「私は認めないわよ」
ノルンの婚約報告の場で、父様が号泣して頭を下げて……それで穏やかな雰囲気で終わる筈だった。
けれどそれをぶち壊したのは、予想外な事に母様の声だった。
ママやお母さん、ノルン、アイシャの視線が同時に母様に向いた。
母様は穏やかな笑みを浮かべていたけれど……目の奥はまったく笑ってなくて……それこそ父様がママを妊娠させた時のような迫力を感じた。
「か、母様……?どうしたんですか?」
母様の事だからルイジェルドとノルンの事は知ってただろうし、とっくに許していると思っていたから、その発言は本当に想定外だった。
父様もだらだら涙流しながらも、ポカンとしてる。
「どうしたもこうしたもないわ。私はまだ、ノルンを渡す気はないの!」
そう言って立ち上がった母様は、すたすたと歩いてノルンに後ろから抱き着くと、ルイジェルドから引き剥がすように後退していった。
「お、お母さん!?」
「ゼニス、どうしたんだ。めでたい場じゃないか」
ノルンは戸惑いながら母様を見上げて、お母さんはきょとんとした顔で首を傾げている。
「だって……嫌よ、私。まだノルンと一緒に過ごしたいわ。
やっと普通の親子に戻れたのよ?
ノルンの成長も全然見守れてないのに……。
学校卒業したらもう嫁ぐだなんて……耐えられない!」
「お母さむぎゅっ」
そう言ってノルンをぎゅうと抱き締める母様の言葉に、私は妙に納得してしまった。
言われて見れば母様がまともにノルンの世話を焼いたのは、転移事件までの間……。
それから意識が戻るまでの間、母様はずっと……夢見心地だった。
となると母様がノルンを世話していたのは、たったの三年……。
「ずびびっ……ゼニス、気持ちはわかるがな……」
「あなたはノルンの可愛い時期をずっと見守ってきたじゃない!
私の気持ちはわからないわ!」
父様が鼻を啜ってから説得を試みるけれど、焼け石に水……というよりは逆効果。
母様の言うことも、まぁ間違ってはいない。
とはいえ転移事件の後だしそういう余裕はなかったとは思うけど……。
ただ父様は自力で家族を見つけられた訳ではないと思っているから、その辺りを突かれると弱い。
気まずそうな顔で黙り込んでしまった。
そして母様はより一層ノルンを強く抱き締めて……ノルンの顔が母様の豊満な胸に埋まってしまった。
「むぐぐぐ……」
ノルンが苦しそう……。
「……いや、親が親としていれる時間は貴重だ。
俺はまだ時間を置いても構わない。いつまでだろうと待てる」
「ルイジェルドさんはそう言うけど、ノルン姉は直ぐにでもルイジェルドさんと一緒になりたい筈だよ?
もう互いに気持ちは通じあってるのにお預けなんて、ノルン姉が可哀想だよ。
私だったら耐えられないなぁー……」
「今くらいにシャロンとシャルル、シャーレと引き離され、後は十数年後……か。
……すまないゼニス、それは辛い。あたしはゼニスに賛同するぞ」
「ギレーヌ……!ありがとう……!」
「……奥様、奥様がご反対なされるのでしたら、私も反対致します。
私はいつでも奥様の味方ですので」
「リーリャ……!」
うーん……なんだか雲行きが怪しくなってきた。
母様達皆が反対に回っちゃって……ルイジェルドが凄い気まずそう。
父様は多分逆らえないし、役にも立たないだろう。
……本来こういう時は反対するのは父親で、母親はそれを諌めるものなんじゃないのかな?
まぁ、事実は小説よりも奇なりって事なんだろう。
ここは、ノルンとルイジェルドに恩を返すつもりで一肌脱ぐ事にしようか。
ノルンは母様の胸に埋められて動かなくなっちゃったし。
「母様、ノルンの気持ちが一番ですよ。
ノルンもこれまで色々大変でしたし……。
私はノルンに大きな恩がありますから、ノルンの気持ちを尊重します」
「ルディ!よく考えて頂戴!貴女も子を持つ親でしょう?
よーく想像して?私の心を見て?そして、貴女に置き換えて頂戴!
私の気持ちが……貴女が一番わかってくれる筈よ!」
その瞬間、しまったと思った。
母様から送られてきた強い思念、それをもろに受け取ってしまった私の心は……母様の深く、深く傷付いた気持ちを理解させられてしまった。
深い眠りにつき、目を覚ませばよくわからない所で体をろくに動かせず、ぬいぐるみのようになって過ごす、穏やかな日々。
悪い日々じゃない、寂しい訳じゃない、けれど成長した娘達を見る度に頭に過る、取り返しのつかない事をしてしまった感覚。
既に手からこぼれ落ちてしまった、過ぎ去ってしまった、決して元には戻らない娘との時間。
それでも前向きに、一緒の時間を過ごしていたのに、結婚という形で引き離されるなんて……。
寂しいという思いが、悲しみが、苦しみが、私の心を埋め尽くした。
母様が……そこまで苦しんでいたとは、思わなかった。
いつも笑顔で見守ってくれて、日々を心から楽しく過ごしていたと、そう思っていた。
でも、そんな穏やかな日々の中、ずっと棘が刺さり続けていたような痛みを感じていたんだ……。
娘達が立派になればなる程に。
自分の腕からするりと抜けていくように思ってしまって。
……不意に、今、私が子供達から引き離されたら、どうなるだろうと頭に過った。
生まれたばかりのリリが、クリスが、ジークが……。
私のおっぱいを揉んでにへらと笑うララが。
まだまだ甘えん坊のルーシーが。
とっても立派に大きくなったアルスが……。
気付けば目からはポタポタと涙が溢れてきてしまっていた。
子供達が私の元からいなくなると思うと、悲しくて涙が止まらなかった。
だって、一番大きなアルスだって、まだ学校にすら通っていない。
そんな子が私の元から離れるなんて……会えなくなるなんて……考えられない、考えたくない……!
「ルディ……」
母様の泣きそうな声が、ひどく胸をうった。
お母さんもママも、母様の肩に手を乗せて、何処か期待するように、私を見つめていた。
その視線に、私は……応えた。
「私も……反対します。もっと……家族の時間を過ごしたいです」
「お姉ちゃん!?」
「ルディ!?」
驚くアイシャと父様、遅れて母様の胸から顔を引き剥がしたノルンが、信じられないとばかりに目を見開いて此方を見つめてきた。
「ね、姉さん……なんで……」
潤んだ瞳に罪悪感を覚えない訳ではないけれど……。
ごめんね……でも母様に感化されてしまった今……自分に嘘はつけない。
母様を筆頭にした母親達の燻ったこの思いは、きっと何処かでなんらかの形で発散しなきゃいけなかった。
それを恩人のルイジェルドにふっかけるのも申し訳なく感じるけど……仕方ない。
「ルイジェルド……ノルンが欲しかったら、私達を説き伏せて下さい。
今のままでは、結婚を許す事は難しいです」
「姉さむぎゅ」
母様ごとノルンを抱き締め、その顔を胸に埋めさせる。
遅かれ早かれ、母様の癇癪は何処かで起きた事。
なら今、徹底的にやったほうが良い。
そこまで理解出来てるのかいないのか、父様は面白いくらいに動揺している。
ただ一方で、ルイジェルドは静かに、けれどしっかりと闘志を漲らせていた。
……闘志……?まさか私とお母さんは兎も角、母様とママも説き伏せる(物理)するつもりだろうか?
流石に違うとは思いたい。
「……わかった。ノルンを貰い受ける為、俺に出来る事はなんでもしよう」
ルイジェルドは覚悟を決めた顔でそう宣言し、真剣な表情で此方を見つめていた。
こうして、母様を筆頭にした私達母親の、小さな抵抗が始まったのだった。