北神三世、アレクサンダー・カールマン・ライバックは充実した日々を送っていた。
想い人であるルーディア・グレイラットとのたった一度の夢のような夜からの、まさかの妊娠出産。
自分とルーディアの子供であるアレクシアの誕生と共に、五人目の夫として迎えられて早一年程。
既にルーディアと体を重ねる事も許可され、最上級の体に毎回搾り取られ……。
それとは別に、可愛らしい自分の子供に眦が下がりっぱなしであった。
更には圧倒的格上である龍神オルステッドの下、様々な任務をこなしつつ、自分に勝るとも劣らない強者達と研鑽し続ける日々……。
ただ漠然と英雄を目指し各地を放浪していた頃からすれば、まるで天国のような日々である。
しかしそれでも自分の目指す英雄の道は未だ遠く、果てしない。
まずは王竜剣カジャクトを操る父を越えることを目標に、日々鍛錬を続けていた。
そしてそれは、その日の鍛錬を終えて帰路についていた、そんな時の事だった。
今日は別に自分の日ではないが、体力が限界を迎えたその日の夫と交代するなんて事もそこそこ起きる為に、特に用事が無ければルーディアの夫達はいつもフィッツ宅で夜を過ごす。
その例に漏れず、アレクも今日は夕飯を共に取り、あわよくばと目論みつつ、軽い足取りで向かっているところだった。
そんな彼の前に小さな人影が一つ、飛び出してきた。
「おっ……と。どうしたんですかお嬢さん」
その小さな人影は、不思議な色合いの髪をした少女だった。
簡素な服を着たその少女の髪色はつむじが黒く、毛先にいくにつれて白く染まっている、なんとも言えない髪色だった。
顔は整っているが完全な無表情で、アレクを見上げていた。
「アレクサンダー・カールマン・ライバック?」
手を後ろで組んだ少女は首を僅かに傾けて、無表情のままに問い掛けた。
不躾な態度ではあったがアレクは気にする事なく、その場にしゃがみこんで目線を合わせた。
「そうです。僕に何かご用ですか?」
アルスを始めとしたルーディアの子供達と交流していたアレクは、すっかり子供好きになっていた。
笑みを浮かべながら、優しい口調で問い返す。
「北神三世?」
「ええ、そうですよ」
声色にも表情にも感情のない少女に、アレクは少々の困惑を覚えていた。
感情があまり表に出ない子なのだろうか……そう考えると少し前のルーディアの特徴が思い浮かぶ。
あの頃のルーディアは表情は動かなかったし、声も出せなかった。
そう思うとなんだか親近感といえばいいのか、その少女を好ましく思えてしまう。
単純な自分に苦笑しつつも、アレクはまじまじとその少女と目を合わせた。
「目標捕捉」
「……ん?」
ふとアレクは気付く。
少女の顔立ちが、どこかルーディアに似ていることを。
娘だと言われたら信じてしまうくらいには、面影を感じられる顔立ちだった。
しかし、ルーディアの子供は自分が知る以上はいなかった筈……ならば、この子は一体……?
アレクは疑問に思い、その少女へと問い掛けようとした。
「あのお嬢さん、君のお名前は――」
その時不意に、自分の顔に影がさしている事に気付いた。
先程まで傾き始めた日に照らされていたのに、と不思議に思い、アレクは視線を上に向けた。
そこにあったのは……大きな槌であった。
妙に赤い、身の丈と同じくらいの大きさの槌。
それを目の前の少女が振り下ろそうとしていたのだ。
「てい」
ブオンッ!
「ぶぁっ……!」
可愛らしい掛け声とは裏腹に、風切り音を出しながら振り下ろされた槌を、アレクは背後に飛び退くことで避けることが出来た。
ドゴンッ!
アレクを捉えられなかった槌は石畳を粉々に粉砕し、地面にめり込む。
目の前の幼い少女が繰り出したとは思えない轟音を響かせて地面に半分程をめり込ませた槌を見て、アレクは冷や汗を流した。
見た目からは想像もつかない破壊力に、背筋に寒気が走った。
ブオンッ
そうしてそんな破壊をもたらした槌を、少女は軽々と持ち上げ肩に担ぎ、その無感情な顔でじろりとアレクを見た。
「私、アリス。
北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバック。
お父様に喜んで貰う為、目標、叩く」
ブオンッ!
「ちょっ、ちょっと待ってくださっぶな!?」
ドガンッ!
問答無用とばかり再度振り下ろされた槌は、またもアレクを捉えることはない。
またまた石畳を破壊した槌を見て、アリス、と名乗った少女は目を細めた。
「要望、回避行動の停止を要求」
槌を地面から引き抜きながらの身も蓋もない要望に、アレクは苦笑をこぼした。
身の丈と同じ大きさの槌を自在に振り回す、ルーディアに似た少女。
そんな明らかに訳ありな少女が自分を狙っている状況に、最早笑うしかない精神状態だった。
少女相手に本気で鎮圧など出来る訳もなく、かといってあんな槌で叩かれたら、自分がどうなるかわかったものじゃない。
どうするかといった思巡は一瞬。
似ている事から事情を知っている可能性があり、かつ拘束に長けている自分の妻、ルーディア・グレイラットに頼るという、男としては少し情けない選択肢を選ばざるをえなかった。
子供を傷つけるのは本意ではないし、かといってわざわざ痛い思いをしたい訳でもないが故の選択だった。
「悪いですけど、大人しくやられる気はありませんよ!」
「!目標、逃走開始……追撃行動にうつる」
アレクは身を翻し、アリスから距離をおきながら駆け出していた。
向かう先は元々目的地だったフィッツ宅。
そこにルーディアもいるはずだという考えだ。
なお、アレクの後を追うアリスだが、巨大な槌を持っていることに加えあくまでも体格は少女であった為か、移動速度は見た目通り普通の子供並であった。
槌を引き摺り、ゴリゴリと石畳を削りながら後を追う少女はあっという間にアレクに引き離されるのだった。
そして、もうすぐフィッツ宅、というところでガラスの割れるような音がした。
何か、行き先で異常が起きている?
まさか、例の邪神が何か巻き起こしているのだろうか?
警戒心を高めつつ思案するのも束の間、走るアレクのすぐ横の壁から、何かが猛スピードで突き破ってきた。
ドガァアンッ!
轟音とともに砕け散る壁、その壁をぶち破ってきた何かを見れば……。
「ほげぇっ……」
「うおっ……!?ザ、ザノっ!?」
目を回したザノバ・シーローンだった。
そんな彼を避けることも突然の事に受け止めきることも出来ず、そのまま二人はもつれ合うように地面に転がった。
ザノバの勢いは相当なもので、そこそこの距離を宙に舞ったアレクは、鈍い痛みに顔をしがめながら体を起こした。
そして……ザノバが吹き飛んできた方向から感じる凄まじい冷気に目を見開いた。
やかて姿を表したのは、想像通りの姿……五人の夫を持ち、七人の子供を産み、丁度今アレクが求めていた女性……。
「ザ~……ノ~……バ~……!」
ルーディアが鬼もかくやという形相で此方を睨んでいた。
そもそもルーディアは穏やかで、感情の起伏がそこまで激しくないタイプだ。
そんな彼女がここまで怒るなんて、とアレクはザノバが何をしたのか気になった……気になったが。
「る、ルーディアさん!ちょ、ちょっと落ち着いて!彼、気を失ってますから!」
「アレクどいてそいつ殺せない!」
この迫力、怒りようではそれより先に彼が力尽きそうだと判断したアレクは、ルーディアの前に立ち塞がった。
そうしてシズカ達が到着するまでの間……アレクはザノバへ放たれるルーディアの殺意を受け止め続けるのだった。