本家蛇足編でいうところの、ナナホシのグルメ編となります。
「卵焼きが食べたい」
とある日、ふと溢したシズカの言葉は、偶然そこを通り掛かったルーディアの耳に入った。
卵焼き……既に掠れてしまっている前の世界の記憶から、その料理の情報を引っ張り出してくる。
卵を薄く焼き、それを丸めた、そんな料理。
言葉にするのは簡単だけれど、専用の鉄板が必要だったり、卵に何かしら混ざっている筈という微かな記憶が、卵焼きという料理のハードルを知らず知らず上げていった。
前の世界の料理は、フィッツ家ではそう珍しいものではない。
芋を薄くスライスして揚げたポテトチップスは、シズカは勿論子供達にも大人気なおやつだ。
最近では少し辛めに味付けしたポテトチップスが酒のつまみに良いと、たまーの晩酌のおともにしていたりもする。
そんなこんなで、いくつか前の世界の料理を再現し、アレンジし、味わい満喫してきた彼等にとって、新しい料理は大歓迎であった。
再現するに当たって、基本的に最も活躍しているのはアイシャだ。
既に様々な仕事を並行して行っているアイシャだが、その天才性は料理の再現でも遺憾なく発揮されている。
そこに加えてゼニスとリーリャも交ざり、色んな視点から料理の試行錯誤を行っていく……。
それが、いつものルーティーンである。
「卵焼き……ふーん、またシズカさんの世界の料理ね。薄く焼いた卵を、巻く?」
「溶き卵を焼いていくのね。思ったより単純なお料理ね? 今までみたいにもっと特徴的で複雑なのなのかと思ったわ」
「ふむ……巻く、というのが重要になりそうですね。……焼きながら巻くのですか? それはなかなかに……やってみなければわかりませんが、あまり想像がつきませんね」
話した感触としては、可もなく不可もなく、だろうか。
出来ないという否定は帰ってこないものの、完成形が想像つかないからか、あまり乗り気ではないようにルーディアは感じた。
「うーん……情報も足りませんし……もう少し聞いてみます。シズカには、故郷の美味しいものを食べて貰いたいですから」
そう言って微笑むルーディア。
そんな娘を、二人は微かに瞳を潤ませながら、微笑ましく見つめていた。
「……という訳で、卵焼きってどう作るか知ってる?」
『…………そんな事を聞きにここまで来たんですか?』
地竜谷の底、バーディガーディとアトーフェラトーフェが封印されている場所、その礎となっている闘神鎧へと、ルーディアは問い掛けていた。
兜に眼光が灯り……何処か呆れたように細められてルーディアを見返していた。
その兜の中で反響している感情のない筈の声にも、呆れが含まれているようだった。
「前の世界の事は殆ど覚えてないから。貴女なら覚えているかな、って。シズカに故郷を思い出させるような、絶品の卵焼きを食べて貰いたくて……」
『…………はぁ。わかりました。卵焼きの作り方くらいなら、私が覚えている限りの事をお教えします。だからあまりここに来ないで下さい。嫉妬で殺したくなります』
それは、闘神鎧に宿った意思……オルステッドの経験した前ループの、全てを失ったルーディア、ジェーン・ドゥの掛け値のない本音であった。
今でこそ落ち着いているものの、そこに纏う殺意は本物。
自業自得な面もあれど、そもそも星の巡り合わせが今のルーディアと異なる世界を生きたジェーンにとって、「あったかもしれない未来」である目の前の自分は、いっそ殺してやりたいくらいに憎いのだろう。
例え、今自分が仮にも意識を保っている理由が、目の前の自分のおかげだとしても。
「それは……うん、わかった」
その思いが伝わったのだろう、ルーディアは顔をしかめ、小さく俯いた。
反省している者を更に責めるつもりは毛頭ないジェーンは、その殺意を霧散させ、鎧の眼光を緩ませた。
『……それなら良いです。では卵焼きについて私の知る限りの事を教えましょう。まず、専用のフライパンを使っていたかと思います。それに、味付けが特徴的で――』
つらつらと話し始めたジェーンに、ルーディアは少し慌てながらメモをとり始める。
その内容は意外と細かく、軽く聞いただけで朧気な形が思い浮かぶくらいだった。
暫くの間、兜に反響する無機質な声と、ペンを走らせる音だけがその場に響いていた。
「ハハハハハ! これも美味いが、あの話にあったタマグォヤッキーとやらも食べてみたいものだな! 作り方は覚えたか愚弟!」
「フハハハハ! 覚えておる訳がありますまい! しかしこのドーナツとやらは実に美味い! ルーディアよ、感謝するぞ!」
「ハハハハハ! くるしうない! いつでも献上しにくるが良いぞ!」
『……陛下方、今ここに来るなという話をしていたのですが……』
「何! ジェーン貴様、私からどーなつを奪うというのか! 封印されてこの方こんなむさ苦しい愚弟と共に押し込められて、漸く得られた娯楽を奪うとは、貴様は鬼か!」
『鎧です』
キラキラキラ……
「…………」
シズカの目の前にあるのは、黄金色に輝く平べったい円柱……卵焼きが鎮座していた。
何層にもなる薄く焼いた卵で構成されるそれは、シズカが食べる時を今か今かと待ちわびている。
「あの……これ」
チラ、と視線を自分の妻に向ければ、そこには誇らしげな可愛らしい女性が微笑んでいて……シズカは既に見慣れてる筈のそれに思わず頬を赤らめた。
「卵焼き。どうにか再現してみたから……是非食べてみて」
ニコリと笑みを浮かべて伝えられた言葉に、シズカは無意識に頷き、視線を目の前の卵焼きに戻していく。
出来立てなのだろう、ほかほかと湯気をたてるそれを、シズカはじっと見つめていた。
しっかりと整えられた卵焼きは、とても美味しそうで……。
「……ごくっ」
生唾を飲み込み、一口サイズに切られた卵焼きに箸を這わせてみれば、ふわふわとした感触を感じた。
少し強く押せば断面からじわりと液体が滲む。
そこから香る、芳しい香り……シズカはたまらず、それを口の中に放り込んだ。
「はむ…………んーっ!」
口に入れた瞬間にふわりと香る卵と出汁の風味に、笑みが弾けた。
噛み締めればふわふわとした卵の層から、とろりとした感触と共に、更に出汁が染みだし、口いっぱいに旨味が広がっていく。
もむもむと大事に大事に噛み締め、やがて飲み込んだシズカは、満面の笑みをルーディアへと向けた。
「美味しいっ! ありがとうね、ルーディア!」
それは確かに心の底からの笑顔であり、感謝の気持ちも本心ではあった。
けれど、その表情に一抹の、僅かな翳りを感じとり、ルーディアは不敵な笑みを返した。
「……ふふっ、実はもう一つあるんですよ」
「……もう一つ?」
そう言ってルーディアが取り出したのは、見た目は同じような卵焼きだった。
けれど、それを受け取り箸で摘まみ、ふと鼻をついた香りに、シズカは僅かな違和感……そして強い郷愁の念を抱いた。
驚きと戸惑いの表情のまま、恐る恐るその卵焼きを頬張るシズカを見て……ルーディアはジェーンの言葉を思い出していた。
『……ただ、これはだし巻き卵……とも言います。もしかすると一般的なものではないかもしれません。サイレントは一般家庭でしたよね? なら……こっちの味付けのほうが、思い出の味付けに近いかもしれません』
シズカの口いっぱいに広がる、わざとらしいくらいの甘さ。
脳裏に蘇る、家族団欒の食卓……鮮明に思い出すあちらの家族の笑顔……。
気付けばシズカは大声をあげて、ルーディアにすがりついて泣き続けていた。
ルーディアはただ頭を優しく撫で続けていた。