『氷狼』蛇足編   作:如月SQ

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ケーキ

「何か特別なものをプレゼントしてあげたいんだけど、何かないかな」

 

『…………ここの場所はあまり周知されるべきではないと思うのですが、何故貴方がここに?』

 

「? ルディに聞いたらすぐに教えてくれたよ」

 

『あの子は……まったく』

 

 フィッツはジェーンを訪ねていた。

 感情のない音声を放つはずのジェーンの声が、どこか呆れを含んでいるように聞こえた。

 

「けぇきっていうお菓子を特別な日に食べるって聞いたんだけど、シズカは作り方よく知らないっていうし……知ってるかな?」

 

『け、ケーキですか……?』

 

 ジェーンの声は困惑に震えていた。

 

「なんだけぇきとは!? なんだか美味そうな響きだ! この間のどーなつとやらとは違うのか!?」

 

「特別な日に食べる物という事は、それだけ希少なのであろう。ふむ、大王陸亀の卵のような珍味でも使うのか?」

 

『卵は使いますが……いや、お二人は少しお静かに願います』

 

 茶々を入れる二人に苦言を呈してから、ジェーンは暫く黙り込んだ。

 鎧の兜からは目の光が消え、微動だにしなかった。

 

 思考するのは前世――正しくは違うが――の記憶。

 何故か殆ど風化していない記憶から、ケーキに必要なものを整理していく。

 果たしてこちらで作る事が出来るのか甚だ疑問ではあるが、求められている答えを持っているのだから、差し出すのは吝かではない。

 特に、相手がフィッツであるならば、ジェーンの個人的な感傷もあり、情報を渡す事に抵抗はなかった。

 

『……わかりました。私の知っている範囲で良ければお教えしましょう。アイシャに伝えれば私の拙い知識だけでもどうにか完成品に持っていけるでしょう』

 

「そっか! ありがとう!」

 

 ただ、笑みを浮かべるフィッツの姿に、ありもしない胸が痛むだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『以上が、私が知るケーキの詳細です。苦戦するのは間違いないでしょうが、作れなくはないかもしれませんね。幸運を祈っておきます』

 

「……うん、よし。わかった、ありがとうね」

 

 ジェーンの言葉を書き記していたフィッツは軽く読み直した後頷き、ニコニコとした笑顔で軽く頭を下げた。

 大事そうに書き記した紙をしまうその姿に、ジェーンは先程からずっと気になっていた疑問を口にした。

 

『……私に、何か言いたい事はないのですか?』

 

 そう口にした瞬間、ジェーンはしまった、と思った。

 こんなにも穏やかに接してくれているのに、わざわざ波風立てるような事を口にするべきではなかった、と。

 

 今の世界の彼等はオルステッドから前の世界の顛末くらいは聞いている筈だ。

 いくらあの口下手龍神だろうと、そのくらいの情報共有はしているだろう。

 ならばきっと、あの時あの決戦の時に全てを台無しにした自分に対して憎しみを覚えている筈だと、そうジェーンは確信していた。

 だからこそ、罪悪感を覚えてしまった。

 つい言葉にして、問いかけてしまった。

 かつて、自分が手にかけた想い人へと。

 

 ジェーンは、さっきまでの笑顔が憎しみに染まる様子を幻視して……。

 

「……うん? ……ああ! そうだったね、言い忘れてたよ」

 

 けれど、返ってきたいっそ朗らかな声色に兜の光が瞬いた。

 

「僕達を助けてくれて、ありがとう」

 

 真っ直ぐ、微笑みを浮かべてそう言い切ったフィッツの様子に偽りは感じられず、ジェーンは面食らってしまう。

 兜の光が何度か明滅する。

 

「君が助けてくれなかったら、僕達は泥沼に間違いなく殺されていた。アスラ王国も甚大な被害を受けたと思う。シャリーアだって君が目覚めてくれなかったら、僕達の家族がどうなっていたかわからない。本当に、ありがとう」

 

 ただ真っ直ぐ此方を見て、心から礼を述べる姿に、ジェーンはたまらず視界を閉じた。

 兜の光が消え、僅かに震える。

 

『……な、ん……』

 

 眼光は消えたまま、ジェーンは意味のない言葉を呟く事しか出来なかった。

 礼を言われる事が、あまりにも予想外で、想定外で、何も返す事が出来なかった。

 

 フィッツは、その様子を笑みを浮かべて見守っていた。

 ジェーンの内心を全てではないしにしろ、ある程度わかってひまうから。

 きっと、全てを背負ってしまっているのだろうと察して、それ以上を言及する事はなかった。

 

 ただ、それでも一つだけ、彼女に……伝えておきたかった。

 

「……ごめんね」

 

『え……』

 

「僕に君達が辿った全てを察する事は出来ない……でも、そんな運命を辿った僕がどう思うかくらいはわかるよ」

 

 フィッツ自身がオルステッドの話を聞いて思った事。

 それは、もう一つの未来の自分の不甲斐なさ、そして。

 

「君を幸せに出来なくて、ごめんね」

 

 目の前の、別の世界での最愛が幸せにならなかったという深い後悔だった。

 当事者ではなくとも、例え本当の意味では自分ではなくとも、目の前の人を悲しませ苦しめたのは間違いない。

 ならば謝る事に躊躇いはなかった……誓いを果たせなかったのだから。

 

「そっちの僕もきっと、心からそう思ってた筈だよ」

 

 その言葉に今度こそ、兜は光を失い言葉すら発さなくなってしまった。

 暫くフィッツはそのまま様子を見るものの、結局反応はまったくなかった。

 

 やがて洞窟の外の明かりが僅かに翳り始めた悉く気付いて、フィッツは軽く頭を下げた。

 

「それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ。もしもまた何かあれば、会いに来る。陛下方、失礼致します」

 

 二人の騒がしい返答を聞いて苦笑を浮かべながら、フィッツは踵を返した。

 洞窟を出るまでの間、二度三度と兜を振り返ったが、フィッツの姿が見えなくなるまでそこに光が灯る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ……!」

 

 とある日、フィッツ邸の夕食後。

 シズカへの労りの品という名目でデザートに出されたものに、誰もが目を輝かせた。

 たっぷりのクリームが乗った大きなホールケーキ。

 かつてシズカがいた世界で最もポピュラーといえる、イチゴのショートケーキ……に見えるベリーのショートケーキだ。

 残念ながらイチゴそのままの果物は見つける事が出来なかった為、味の近い、酸味の強いベリーの果実で代用したケーキである。

 

 シズカは人数分に切り分けられたそれをフォークで慎重に一口分掬いとり、震える指先を堪えながらゆっくりと口の中へと運んでいった。

 そして、口にいれて咀嚼した瞬間、口内に広がる懐かしい甘さと舌触りに、シズカはギュッと目を瞑った。

 柔らかなスポンジと滑らかなクリーム、そして甘酸っぱいベリーの酸味が口の中でおどる。

 

「ッ~~~!」

 

 その感動は言葉にならず、シズカは押さえきれない情動のままに手をブンブンと上下に動かしていた。

 見るからにわかりやすい歓喜を振り撒くシズカに、用意する為に四苦八苦したフィッツは笑みを溢した。

 ぐるりと周りを見渡せば、誰もが皆笑顔で頬張っている。

 自分の娘のルーシーはほっぺにクリームをつけながら懸命に。

 息子であるジークはアリスにあーんをされながら嬉しそうに……。

 

「…………大丈夫かなぁ」

 

 一抹の不安を感じる光景だったが、問題は未来の自分かジーク本人に丸投げしておく。

 それよりも、と、フィッツは隣でケーキを味わうルーディアへと意識を向けた。

 

「おいしい~……」

 

 感慨深げに呟くルーディアの口の端はしっかりとつり上がっていて、フィッツは内心で安堵の息を吐いた。

 メインは勿論シズカに喜んで貰う為ではある。

 けれどやはり最愛の人には喜んで貰いたいものだから。

 いつでも、どんな時でも。

 幸せになれるように。

 

「ねぇ、ルディ」

 

 そっと手を重ねて、フィッツは静かに問いかけた。

 

「ルディは今、幸せ?」

 

 返答は、花が咲いたような満面の笑顔だった。

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