青い瞳は綺麗だよ   作:へびのあし

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虎杖悠仁と模擬戦闘

虎杖悠仁(いたどりゆうじ)は、明るく能天気な好青年だ。

具体的に言えば、呪術高専の東京校と京都校の交流会で殺されかけてもあまり気に病まず、頭のおかしいアイドルオタクゴリラにブラザー認定されても平然としている鋼メンタルを持っている。

 

ただまあ、交流会はあまりにも殺伐していたし波乱万丈だったので、さすがの彼でも多少疲労を感じていた。

途中参加とばかりに特級呪霊が襲ってくるイベントとか、嫌すぎる。

虎杖はゲームや映画を愛する一般人の感性を持った呪術師を自覚しているので、のんびり平穏に生きられるなら無論そっちの方がいいのだ。

 

無論のこと、呪術師に真っ当に平穏な生き方ができるはずはない。

それでもまあ、どっちがマシ……とか、そういうものはある。

 

“生き様で後悔したくない“

 

その一心で祓って祓って祓いまくる人生を選択した虎杖。彼はそれに見合うだけの実力も兼ね備えていた。

つまり何が言いたいかと言うと……低級の呪霊を祓う任務へ赴くのは気楽だ。自分を殺せるほど強い呪霊は滅多にいないし、露骨に暗殺しようとしてくる呪霊もいない。退治すれば、それでお金を稼げて人助けにもなる一石二鳥だ。

 

何より、あっという間に終わるので時間がたくさん余る。

その結果、たまにはこういうおまけも発生する。

 

 

虎杖は、銀杏並木の間でぼんやり空を眺めていた黒コートの女性に手を振られて、あっと立ち止まった。

微笑を浮かべる彼女の背格好を観察し、合点する。

 

「あ、ジュリーさんっすか!」

「うん。」

 

正解だよ、と言わんばかりに静かに彼女は頷く。

紫色のニット帽についたボンボンがブランコみたいにゆらりと揺らいだ。

 

「今晩は。きみのことは、五条先生から聞いてるよ。」

「虎杖です。よろしゃお願いしゃーっす。」

「よろしく。きみ、元気だね。」

 

大森杏樹と名乗った彼女は、「(とら)(つえ)くんだと思ってた……五条先生は否定しなかったんだけどなぁ……?」と不思議そうに首を捻っていた。

 

今日虎杖が彼女と待ち合わせをしたのは、訓練のためだ。

二人で模擬戦をしたり情報交換をしたりして、お互いの戦力増強を目指す。五条先生が思いついて虎杖と大森それぞれに電話で連絡し、細かい微調整などは補助監督の伊地知が必死に手配してくれた。

 

「……まあ、きっと私の記憶違いだね。五条先生がそこまで耳が遠いとは思えないから。」

 

うん、と頷く彼女。

虎杖は、ん?と何かおかしいことを聞いたように首を捻る。

 

大森杏樹は、今なんと言っただろうか。

 

『五条先生がそこまで耳が遠いとは思えない』

 

当たり前のことである。

 

虎の杖くん、という音と、虎杖くん、という音の区別がつかないようでは、五条悟は最強の座を獲得していない。どんな小さな違和感からも危機を悟り、なんとなくあっちかな、と思った方にぶっ放した蒼や赫で敵の心臓を正確に消し炭にする天才が彼なのだから。

そういう意味では、彼女の言い分は正しい。しかし、どこか理屈のこねかたが致命的に間違っている気がする。

虎杖はウンウンと脳みそを回転させて考え込み……そして次の瞬間。

 

バチン、と彼の中で花火が弾けた。

空から降り注いた稲妻が、黄色く明るく荒野を照らす。新たな景色が降臨するかのごとく、さっと開けた思考の中、虎杖悠仁はとある考えに辿り着いた!

 

(……もしやジュリーさん、五条先生に恋してるとか!?)

 

そういうゴシップが大好きな年頃である。

特に根拠がなくても、『そういう関係の香りがする!』というだけで噂を立ててはしゃぎたい、そんな青春の時期真っ只中に虎杖はいた。

そんな彼が、『五条悟の悪戯行為と思われる出来事の結果を、大森杏樹が都合よく五条をたてる形で解釈する』場面を見てしまったのだ。

結果。

ワクワクしながら、わざと素知らぬ顔をして鎌をかけることを、虎杖は決心した。

そしてこういう時、意外と彼は強い。ババ抜きとかポーカーでブラフかますのが得意なタイプだ。

真面目に誘導尋問しようとすると壊滅するが、無自覚にやると成功する。そんな彼は、今遺憾無くその才能を発揮しようとしているのだった。

 

明るく朗らかに、雑談口調で虎杖は大森杏樹へ語りかける。

 

「ジュリーさん。そういや、最近ナナミン……あの、七海建人って人に会ったんすよ。」

「七海くんか。真面目でいい先輩だよね。たくさんの名言を話してくれそうな人。」

「そうっすよね!いやー、実を言うと俺も一個、ナナミンの印象深いセリフがあったなってのを覚えてて。」

「ふうん?」

 

彼女は興味をそそられたように、瞬きをする。

ここまで順調。

本番はここから。虎杖はひそかに唇を舐めた。

 

「ナナミンは、五条先生のこと『信頼も信用もできるけど、尊敬はしない』って言ってたんすよね。俺すげえ納得しちゃったんだけど、まあ、色んな人の意見聞いてみたいなーっていう気持ちもあって。五条先生のこと……ジュリーさんはどう思うんすか?」

「とても尊敬してるよ。」

 

即答。これは脈アリかも?!と盛り上がる虎杖。

ここまで来れば、状況は詰将棋の様相をかもし出してくる。

 

「おっ。ちなみに、どこがですか?」

 

大森杏樹は目を細めるようにして微笑むと、迷わず答えた。

 

「顔が芸術作品みたいなところ。」

「あー、やっぱ顔っすか。」

「それに、いい人だしね。」

「……おお?」

「よくお土産買ってきてくれる。」

「それってもしや……

 

 

……ジュリーさんのためだけに?」

 

 

テンポよく返事を返していく彼女に、すっかり虎杖悠仁はノリノリになってしまっていた。

満をじして放たれた渾身の問いに、彼女は微笑する。答えは、果たして。

 

「————ううん。自分のために買ってきて、食べる前とかにそれを見せてくれる。優しいよ。」

「なんだ。」

「おや、落胆したような声だね。」

「つまんないじゃないっすか。恋人かと期待したのに。」

 

五条悟がお土産を見せびらかすのは、高専内でもよくみられる光景だ。優しいというより、むしろ露骨な自慢というか、他人に対する意地悪やからかいの類というか。

ともかく親切心とは真逆の動機ゆえの行動であるのは明らかである。

 

これをもって、虎杖は大森杏樹と五条悟との恋愛関係は事実無根であると断定。

 

『ジュリーっていう女の子に会ってきなよ。僕の教え子第一号だけあって、すごーくマトモだから!』とニヤニヤして送り出した五条先生の顔を思い出し、(なるほどな。)と全てを納得した。

 

(呪術師として)マトモな人間=(一般の基準で)イカれた人間

 

そういうことだった。

 

(……五条先生をまともに尊敬する人なんて、狂ったやつしかいない呪術界でも見たことねえぞ……。)

 

“狂った奴しかいない”などと、呪術界における良識担当伊地知や常識担当七海に聞かれたら三時間くらい説教されそうなことをサラッと考えながら、虎杖は感嘆していた。

いやまあ、多分五条先生を尊敬する人がそんなに珍しい、ということはないはずなのだ。クズだ何だのと言われているが、一部の信者い熱狂的に支持されそうな人ではある。ただなんというか、あまりにも大森杏樹の見た目が一般人的すぎて、そのギャップに違和感を感じるだけなのだろう。

 

よし、今日から俺も五条先生尊敬してみようかな、とふっと思ってみる。しかしなんか嫌な気がして、虎杖は首を傾げるのだった。“死んだふりして実は生きてましたドッキリ!“の大失敗の恨みは根深い。あれで大事な友を何人も本気で怒らせたのである。あの時は乗ってしまった虎杖も虎杖だが、色々と落ち込んでいた虎杖の精神状況へ漬け込んで煽った五条先生が全面的に悪いと思う。

別に虎杖とて、五条先生が嫌いというわけではない。むしろ面白くて楽しい人だし、何より自分の命の恩人なので好感度は高い方だが……大好きだと公言しろとなるとモヤッとする。そんな感じだった。

 

「じゃあ、虎杖くん。」

 

声をかけられて、虎杖は我に帰る。

大森杏樹の静かな目が、柔らかな微笑みをたたえてじっとこちらを見つめていた。

綺麗な目だな、と虎杖はふと思った。

 

————まるで公園で遊んでる子供みたいな目だな。純粋で、曇りがないっつうか。

 

呪術師には珍しい。毒々しい闇の気配が一切感じられない相手。……なんとなく、虎杖は京都校の三輪霞という女の子を思い出した。きっと性格は全然違うが、ピュアだという点で似た何かを感じる。

爽やかな人は好みだ、と虎杖は拳を握って口の端を吊り上げた。きっと組み手をしても後腐れないいい感じのものになるだろうという予感があった。

ゆっくりと気分が高揚していく。集中が深まり、戦闘前の研ぎ澄まされた喜びに胸が満たされていく。

 

「それじゃあ打ち合わせ通り、戦いの稽古をするよ。宿儺さんの器だとか、とても格闘術が得意だとか、色々きみの噂は聞いているんだけど……うん。きっと私は弱いから、殴る蹴るをする時は血飛沫がかからないように注意した方がいいかも。」

「おっす!」

 

なにかおかしな注意事項が最後についた気がするが、虎杖はあまり気にしなかった。

 

多分あれは、こういうことだ。

たとえば油断させておいて、本当はめちゃくちゃ強かったパターンが待っているとか。

たとえば舐めてかかるとぶちのめされるとか。

それで「呪霊も呪詛師も、騙すのが得意な生き物なんだよ。敵の言葉はまるっと疑ってかかろうね。」などと微笑みを浮かべながら説教を垂れるのだ。

 

その手には乗らない。

虎杖は、五条悟がわざわざ名指しで彼女を呼んだ理由に考えが至らないほど、馬鹿ではなかった。

これが虎杖の成長につながる、彼を鍛えるよい機会になると確信しているからこそ、五条先生は大森杏樹を呼んだ。

 

どうやって第一戦を攻略しようか頭を回転させる虎杖の前で、大森杏樹は静かに指を立てた。

 

「————闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。」

 

周囲に被害が及ばないよう、簡単な帳を下ろす。

うすく闇を孕んだ幕が空から下りるように。ゆっくりと宙に出現した結界がプラネタリウムのように小さな空き地を包み込んだ。

 

「……よし。結界はオッケー。始めようか。」

 

大森杏樹は、黒いコートを脱いで畳み、遠くへ放った。

戦闘準備が整った。

 

ルールは三つ。

1、術式の使用は禁止

2、重大な怪我を与えてはならない

3、どちらかが参ったと言った時点で試合終了

 

要するにただの殴る蹴るの試合である。

 

「武器は使っていいんすか?」

「私は使う。虎杖くんはダメ。」

「嘘だろ!?」

 

追加ルール:大森杏樹は武器の使用あり。虎杖悠仁は素手に限定。

 

抗議の言葉を叫ぶ虎杖に、コクリ、と大森杏樹は邪気のない表情で首を傾げた。

 

「だって虎杖くん、強いもん。東堂くんと張り合える術師相手なんて悪夢だと思う。私は術式なしじゃ渡り合える自信がないから、ちょっと武器を使うくらい許してくれなくちゃ。」

 

————どうやら結構本気で言っているらしい。

 

だんだん虎杖にもわかってきた。

彼女は基本的に正直だ。嘘をついているように聞こえるのに嘘ではない。逆ブラフのようになっている。

それが事実かどうかは置いておいて、彼女の言葉は本心である可能性が高い。

 

しかし。それはそれで『なぜ五条先生が虎杖と彼女の訓練を指示したのか』がわからなくなってくる。

 

(……どういうことだ?)

 

訝しげに思いながらも、虎杖は呪力を練って拳に集めた。

そんな虎杖の前で、大森杏樹が取り出したのは、ごくごく一般的な刀だった。ただし、なんというか、()()()()()()()()()()()

 

ゆらゆらと呪いの気配が感じられる気はするが、特に暴力的なものでもなさそうである。

虎杖はじっと観察するが、それ以上何か情報を得られるとは思えなかった。

 

「ちなみにこれは、薄紫のヒスイの刀。硬度で一番と言われるダイヤモンドは一点への衝撃に弱く、実はけっこう割れやすい。その点ヒスイは頑丈さでは世界一の宝石とも言われ、古くは石器武器にも使われていた歴史も持つ。」

「術式の開示?!そこまで本気でやるんすか?!」

 

さっき術式禁止ってルール決めたばっかなのに!と驚愕する虎杖に、大森杏樹は首を横に振った。

 

「ううん。単純に、きみが知りたいって顔してたから。この刀は綺麗だし、強い武器は私の気持ちを明るくする効果があるのでとても便利。……まあ、本当は鉄のハンマーとか使った方が強いのは認めるけどね。どうせ実戦では使わないもん。」

「実戦で使わないんかい!」

「使わないっていうか、使えない?」

「疑問系で首傾げないで下さい!こっちが不安になりますよ!」

 

さて、ここから虎杖悠仁の頭が回転し始める。

 

術式の開示かと尋ねられて、彼女はNOと答えた。

これはつまり、刀が術式の範囲外にあることを意味する。一つ目の可能性は、単純に薄紫のヒスイの刀を扱っているというもの。しかしこれは、あまり有りうる話とは思えない。薄紫のヒスイは貴重な存在であるのに加え、刀を形作れるほどの塊の宝石などがそう簡単に採取できるものだろうか。

 

よって、虎杖は二つ目の可能性の方が高いと考える。

すなわち、『既に術式が使用された過去がある』というもの。刀の性質に変更を加える。そういう力が発揮されたのではないだろうか。

それが、固めるために樹脂へ熱を加えるような過程だとしたならば。一度変化させたものは戻らない。術式の範囲から外れた後、放っといてもそのまま。そういう結果となる。

 

刀を宝石に加工するだけの呪具製作者など、常識的に考えてこの世に存在するはずがない。いや、いるかもしれないが、さっきの彼女が宝石について語った時の嬉しそうな表情……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()キラキラした目が気になった。

つまり大森杏樹の術式は、そういうことではないだろうか?

 

きっと彼女の術式は、わかりやすい攻撃を放つ類いのものではない。特殊で、あまり汎用性も高くない。

状況に応じて上手く使えば必殺を誇るが、敵との相性が悪ければ一発で三途の川に飛ばされる危険を持つような、ハイリスクハイリターンのタイプだろう。

 

つまり、()()()()()()()()()()

 

分の悪い賭けをしなければならない時や、不利な状況下へ追い込まれた時。彼女は体術または他の何かで苦境を乗り切らなければならない。

つまり、術式がなくてもある程度は戦えるに違いない。

 

 

————結論。

 

(ひとまず、一回殴って様子をみる!)

 

考えても考えても、彼女がどう戦うのか思いつかなかった。体術が苦手というのに嘘はないようだし、体術が弱いわけないだろうとも思える。

虎杖はさっと切り替えた。

即断即決。地面を蹴って、前に飛び出す。

 

虎杖が俊足を生かしたパンチを繰り出そうと前に出た瞬間、予想外のことが起こった。

 

「わ……っ!」

 

彼女がこちらの懐へするりと飛び込んできたのだ。

フェイントだった。

 

視線の向きから予想できた、彼女の取るであろう回避ルート。そこを先回りして塞ごうと動いた虎杖は、見事にタタラを踏むこととなった。

 

(なんじゃこりゃ!)

 

盛大に混乱する。

あっちへ行くと思えばこっちへ行く。こっちへ動くと思えばあっちへ動く。

 

ありきたりなハッタリも、最早ここまでくれば、神技としか言えない技術だった。

東堂葵の入れ替え術式『不義遊戯』を使用された時もものすごく混乱するが、それに匹敵するほどの不自然さ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

どこに目を向けてそっちへ動いてる!と思わずツッコミを入れてしまいそうになる。

 

しかし虎杖もさるもの。

彼は格闘の天才だった。

 

大森杏樹はのろい。一撃は重くもないし、動きにさほどの精細さも感じられない。

つまり虎杖は、彼女が動いた後で動き始めても、余裕で追いつける。

 

杏樹のヒスイ刀をすいすいと避けながら、虎杖は次第に集中を深めていった。

 

(……そうか…!)

 

五条先生が、なぜ自分に彼女と訓練するよう提案したのか。

それは、これが理由だったに違いない。

 

 

宿敵のうちの一つ、特級呪霊の真人は、まだ生きている。

彼の人体改造の術式は、とても厄介だ。自分の体にツノを生やし、手を量産し、風船みたいに膨らんだかと思えば弾け、羽を生やして空を飛ぶ。

彼は誰よりも人体の構造とその動かし方に詳しい呪霊だろう。

こっそり極小の目を百個くらい作って全方位警戒しておいて、顔についている二つの目はダミー、などということくらい余裕で考えつきそうだ。

 

「ギア一個上げるよ!」

「おっす!!」

 

大森杏樹のフェイントは、一層わけがわからないものになった。

ギアを一段階どころか、十ぐらい上げたのではないか?と虎杖は疑うほど。もうめちゃくちゃだ。

 

しかし。

 

「……っ。すごい、これも余裕なんだね。」

 

杏樹の目が見開かれる。

そう。虎杖は即座に対応してみせた。

 

当たり前だ。

 

(真人だったら、もっとえげつねえことすっからな!)

 

今もこの世界のどこかにいて呪いを撒き散らす悪魔のようなやつ、あの真人に負けるわけにはいかない。

今度こそ、祓う。この世から、あいつを消し去ってやる。

そんな覚悟が、虎杖悠仁の動きを押し上げた。

 

ヒスイ刀を、呪力をまとった拳で狙う。刀を折られてはたまらないと刃の向きをくるっと変えた杏樹を、虎杖の掌底が狙う。

死角から放たれる上段蹴りを、ギリギリで回避した杏樹は、そのまま横っとびに跳んだ。

 

(距離をとって体勢を立て直す気か!)

 

そうはさせじと虎杖が追う。

杏樹はズザザッと砂を踏んで着地する。そして、あからさまなフェイントを二段重ねに迫り来る虎杖を、そこで構えて迎えうつ。

 

ここで虎杖は、散々奇妙な動きで混乱させてくれた杏樹に、小さな意趣返しをすることを決意した。

 

(右フックと左アッパーはブラフ!最後の回転蹴りが、本命だぜ!!)

 

ここで彼は一つの想いを込めた。

虎杖は格闘センスでけっこうなんでもできるが、フェイントのプロではない。即席の作戦の意図が杏樹に読まれることは、つまり想定内。

ただし、読めても対応できないフェイント。

 

そういうやり方もあることを、杏樹に見せてやろうと考えたのだ。

 

本命ではないとはいえ、パンチは両方とも、避けなければギリギリ当たる。

ギリギリでも当たれば大きなダメージとなるため、これは避けなければならない。

 

(———そう!これは!)

 

しかし避けた動きで隙が作り出され、無防備な胴体へ致命の一撃が入ってしまう。

 

(“ジュリーさんが弱いからできる技!”)

 

全力を出さない攻撃でダメージを与えられる相手だからこそ、できる作戦。

ただの訓練で『対大森杏樹限定ミニミニ必殺技』を作り上げた無自覚にすごい虎杖だが、内心はけっこう失礼だった。

失礼な内心のまま、堂々と虎杖は勝利宣言。

 

「つぎで決めるぜー!」

「………っ」

 

虎杖は拳を振り抜き————

 

「あっ……。」

 

静かな呟きが、杏樹の口から漏れた。彼女の目が、大きく見開かれる。

けれど気づいた時には、全てが手遅れだった。

 

 

「————えっ……と?」

 

何も理解できていないような、虎杖悠仁の声が帳の闇へ響く。

彼の手は、()()()()()()()()()()()()()

大森杏樹が、うん、と頷いて一言。

 

「……参った。」

「いや、おっそいっすよ!!ジュリーさん!!」

「そうかな。」

「当たり前じゃないっすか!っていうか手当て!手当てしないと!!」

 

何が起こったのか整理しよう。

一つ。虎杖は、杏樹が余裕で回避可能なパンチを放った。

二つ。杏樹はすぐさまそれを、単なる本命攻撃の前段階の一部であると見抜く。

三つ。杏樹は怪我万歳の覚悟でわざとそれを受け止めて、致命の一撃を回避する動きをとった。

 

「……だって、しょうがない。あそこで怪我をしておけば最後の攻撃は避けられるんだから。」

「ただの訓練っすよ!?トドメは寸止めにするに決まってるじゃないっすか!?」

「そうなの?」

「そりゃそーでしょ!」

 

涼しい顔で血濡れた腕をぶらぶらさせながら眺める杏樹は、虎杖のその言葉を聞いて興味をそそられたように顔を上げた。

 

「でも、五条先生は寸止めにしなかったよ?」

 

それを聞いて、虎杖は固まった。

なんとなく、心当たりが思い浮かぶような。

 

「あー、まあ、多少はそういうこともあるかもしれねえけど……」

「血を吐いてる私に容赦なく追い打ちかけてきて、映画に出てくる鬼みたいだった。」

「えっ?」

「七日連続で粉砕骨折させられて、家入さんの雷が落ちた。なぜか五条先生に。」

「へ、へえ……」

「でもこの経験のおかげで、『痛覚をおしつける術式』をもった呪霊と戦った時は、蚊に刺されたぐらいにしか感じなかった。なんかもう、適当に瞬殺できたよ。」

「……嘘だろお…」

 

虎杖は、なんか怖くなった。

チラリと彼女の方を見れば、しっかり呪力操作をして虎杖がつけた傷の血止めなど完了させている。頼もしい大人だ。さすが手慣れている。……と、素直に感動できなかった。できるわけがなかった。

 

「昔の五条先生……怖すぎじゃね?」

「そう?」

「荒れてるっつーか。歯止めが効いてないっつーか。……さすがに俺でもそんな訓練させられたことねえぞ?まあ実戦では一回死んだけど。」

「死んだの?すごいねきみ。天国とか地獄とかの存在を検証できた?」

 

この問いは、うすく微笑みながら尋ねられれば不気味以外の何ものでもない。今まで聞いたことのないバリエーションの反応を投げかけられ、虎杖はどもった。

 

「あ、いや……なんつーか、そこまで行く前に引き戻されたというか。あの、詳細は俺にとっても謎っていうか。」

「ふうん。」

 

彼女は怪我がない腕のある側の肩に黒コートを羽織りながら、ポツリとこんなことを呟いた。

 

「虎杖くんさえ良ければの話だけど……もう一回死ぬ機会があったら、ぜひ確認してきて欲しいなぁ。」

「………………はい。」

 

冗談のようなやり取りを続けながら、二人は高専へ歩き出した。

 

とっぷりと日は暮れて、紺色のベルベットカーテンを敷かれたかのように、夜の闇が空を覆い尽くしている。

宇宙の星々が煌めいて、銀色の砂粒の舞いのようだった。

 

「風が……ふいてるね。」

 

いい風だ。

目を細めた杏樹の耳のそばで、ニット帽にぶら下がったぼんぼんが揺れる。

 

この後は普通にゲームや映画の話になって、虎杖がノリノリで喋り倒したそうな。

 





虎杖の攻撃を受けた杏樹の腕がいくらなんでも脆すぎる理由は、虎杖くんの逕庭拳。
インパクトから一歩遅れたタイミングで呪力が追いつき、二度目の打撃が襲ってくる怖いパンチ。

訓練だからおもいっきり油断してた杏樹が、ちょっと防御のタイミングをマズった。
もちろんキチンと防御しても思い切り吹っ飛ばされること必至のパンチだったので、どちらにせよ杏樹の負けは確実。

杏樹「東堂くんと張り合える術師相手なんて悪夢だと思う。」
虎杖「その東堂ですら赤子の手を捻るように瞬殺できる五条先生(しかも割とガチで荒れている時期)相手に一対一の稽古とか、悪夢だと思う!」


……五条が荒れていた云々は作者の妄想。でも、ありえない話ではないと思っていたりする。
夏油が闇に堕ちたあと、教育者になることを選んだ最強の心が凪であるわけがない。
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