青い瞳は綺麗だよ   作:へびのあし

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母親とサンタクロース

 

気付けば杏樹は、夜の草原に立っていた。

しかしぼんやりと灯りがともっていて、そこは決して暗い場所ではなかった。

 

『心象風景』

 

きっとこう呼ぶのが正しいのだろう。

杏樹の心の領域。そこは闇に浸かっているどころか、むしろ、明るい。杏樹が裸足で佇んでいるのは、とても色鮮やかで透明感のある、あらゆる植物がクリスタルのように光っている不思議なところだった。

宝石好きの杏樹にとって、自分の心がこうだというのは納得のいくことだし、満足だった。

 

しかしここで、一つ疑問が浮かぶ。

 

(……視界が……)

 

なんだか、へん。

首を傾げた杏樹は、しかしすぐに気づいた。

見えている景色が、低い位置からのものになっていることに。

 

今の自分は、子供だ。

 

手を見ると、今よりずっと若くすべすべで、桃色の美しい肌がそこにあった。グーパーすると自由に動くこの手は、本来のものよりずっと小さい。

 

なんだ、そんなことか。と杏樹は思った。

 

(私は過去を、夢見ているのかな?)

 

ちがうよ

 

……うん?

杏樹は瞬きをした。

 

(てっきり死にかけて、走馬灯代わりにこんな風景を妄想し始めたんだと思ったんだけど。……ちがうの?)

 

そうじゃない

 

「……なるほど。なんとなくカラクリがわかってきたよ。あなたが私をここに招いたんだね————『お母さん』。」

 

その通り

 

くるりと杏樹は振り向いて、“ソレ”と向き合った。

 

草原の上でゆらゆらと、青い炎のような何かが燃えている。

しかしこれは、ただの鬼火などではない。

人型をとった呪霊の、かなり完全に近い顕現をした時のすがただった。

 

 

「思い出したよ。色々と。」

 

そう?

 

「あなたが死んじゃった時のこととかね。私、けっこう泣いたんだ。」

 

あの時は……ほんとうに、申し訳なかったよ。

あなたを置いて逝ったこと、ずっと謝りたかった……。

 

「逝ってないじゃん。謝るなんて論外だよ。ずっとそばにいてくれてありがとうって、私の方こそお礼を言わないといけないくらいお世話になってる。」

 

……あぁ……

 

「……まあ。あなたの愛し方は不思議だったなって思うけど。“大人になってみると、私たちの関係の歪さがわかる”。」

 

え……おとな、に……?

 

「うーん。ちょっと今のはナシかな。これは私の意見じゃない。五条先生の受け売りだから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

“愛ほど歪んだ呪いはない”と五条悟はかつて言った。杏樹には、自分たちの関係性がいかにこじれているか理解していない、と。

大森杏樹は、そんな彼の言葉を一言一句漏らさず覚えている。

 

……しかし、かつのの杏樹は、五条悟の話を理解することはできなかった。

 

 

 

杏樹は、母親の亡霊に向かって静かに声をかける。

 

「……お母さん。私に、大人になってほしくなかったんだね。」

 

あ、あぁ……杏樹ぅ…

 

「子供のままでいたよ。私はずっとあなたの子供だった。だってそういう、『縛り』だったから。」

 

大森杏樹は、思い出した。

母親は貧しい暮らしの中、杏樹に宝石を買ってあげられないのを悔やんでいた。

母親は最愛の娘を置いて、がんにかかってしまったことを悲しんでいた。

母親は生前、子供を守り導く親の役目がきちんと果たせなかったこと……その運命をとても憎んでいた。

 

せめて。

死んだ後。

死んだ後になってから、親の役を果たしたい。

 

みずからの人生を否定する強い負の感情は呪いを産み出し、子供に宿った。

 

子供は、親の歪んだ愛情を拒絶することはしなかった。すんなりその事実を許容し、考えうる限りの最も穏やかな道筋を辿って受け入れた。

結果、二人の間に奇妙な関係が結ばれることとなる。

 

“比較的穏やかな怨霊“

 

無論のこと、正式な依代に呪いを移すまでは暴れ出したこともあったし、ひやっとする危ない事件も起きかけた。

しかし乙骨憂太の里香とは違い、杏樹の意思さえハッキリしているならば、押さえ込むには五条悟など使わずともそこらの呪術師で対処可能。

上は特に危険視することもなく、杏樹も目立たない端役としての人生を受け入れた。

 

五条悟が受け持った初めての生徒、という肩書きがついているのに杏樹は有名でない。それは単独では神のように強い五条が、教師としての器を全く期待されていないという結果の裏返しであるのみならず。

呪術界の上層部にとって、杏樹が安全であると判断されたからだろう。

 

命令に忠実な犬として。いざとなれば使い潰せる駒として。彼女は上の意向で適当に動かせる大勢のうちの一人だ。

文句は言わせない。

文句を言うなら、上から押しつぶすのみ。

 

もちろん本気で使い潰そうという動きがあれば、最強の教師がその全てを粉々に捻り潰してきたのだけれど。それでも杏樹は、どこにでもいるただの呪術師だった。

 

 

 

なぜ。

こんなクソみたいな世界で。

クソみたいな仕事を続けているのだろう。

 

 

 

疑問に思って、一度そこを飛び出したのは七海建人だ。

疑問を抱くぐらいなら、全部ぶっ壊してやると意気込んだのが五条悟だ。

疑問を大事にくるみこんで、純粋な目標をそこに見出したのが乙骨憂太だ。

 

そして————疑問に思う思考力を奪われたのが、大森杏樹という女の子だった。

 

 

 

杏樹は、自分の頭に常に被せていたニット帽に触れる。

 

紫の帽子……ボンボンつき。

これはもともと、母親が抗がん剤治療で抜けた髪を隠すための帽子だったと、杏樹は思い出す。

安い薄い帽子をせめておしゃれにしてあげたいと、杏樹が毛糸を巻いて頑張って作ったボンボン。さくらんぼみたいに可愛らしいそれを病院に届けてあげた時、母親は目に涙を浮かべてお礼を言ってくれた。

 

……その年。生まれて初めて、杏樹の家にサンタクロースが訪れた。

 

腕輪。

海の色の宝石が数珠繋ぎとなった腕輪。

 

サンタはいるんだ、と杏樹は目を見開いて驚いた。

とても高くて買えやしないと、母親が暗い目をしてジュエリーショップの前にかじりつく杏樹の手を引っ張った日々が過去の夢のようだった。

 

プレゼントの包み紙の散らかった部屋の真ん中で。

杏樹は、大好きな宝石の繋がったピカピカの輪っかを、一生の宝物にすると誓った。

 

 

『これがパイプになって、きみの母親が出てきてるみたいだね。制御してごらん。大丈夫、簡単だから!』

 

五条先生の言う通り。

訓練を積み重ね、そして信頼できる呪具製造者に専用の呪印を刻んでもらい。杏樹は自らの術式をほとんど完璧に扱えるようになった。

 

そう。

()()()()

 

呪術には、“縛り“という概念がある。

何かを代償に差し出せば、その分別の何かが手に入る。

 

杏樹に憑いた母親の怨霊には、術式が刻まれていた。

その術を貸してもらえば、杏樹は強くなる。生き残りやすくなる。

 

母が死んで、呪術界が彼女に接触する前に、すでに契約は結ばれていた。

杏樹が把握していた縛りは、以下のもの。

 

<縛り>

1、杏樹は魂の成長を子供の状態にとどめる。

2、杏樹はあらゆる感情を母親へ明け渡す。

3、杏樹は目の機能を母親へ明け渡す。

4、1〜3を代償に、母親の術式(化粧呪法)を意のままに使用する権利を杏樹に与える。

 

無垢な子供の目を、ドロドロと汚い世間から覆い隠し。呪いを生み出す元となる感情を、すべからく子供の手から取り上げ。まるで我が子を『子供』という名の人形のように扱いながらも、確かに母親の怨霊は我が子を愛し(呪い)続けていた。

 

 

『ジュリー。大事な話がある。』と、五条先生は杏樹を呼んだことがあった。

『……?』

『きみの結んだ縛りについてのことだよ。』

 

その時五条悟は、珍しく真剣な顔をしていた。

黒い目隠しの向こう側からでも関係ない、軽く目を凝らし、透かしただけで相手の術式を丸裸にするのが彼の眼。きっと杏樹自身も知らないことを、彼は初見で看破していた。

 

『“サンタクロース“の話題が出たら、すぐにその場から離脱するように。』と五条悟は言った。

『友人、教師、先輩、後輩……誰が相手でも関係ない。そこがどこで、いかなる状況に追い込まれていたとしても……何としても、彼らにきみの前で詳しい話をさせるな。できればクリスマスの話題も禁忌にして欲しいところだね。』

『………どうしてですか?』

『ジュリーの命に関わるからだ。』

 

五条悟の言葉は簡潔だった。

死ぬかもしれないからだ、と言外に言われたことを察して、杏樹は目を見開いた。

五条悟は、どこか苦しそうな気配を漂わせて杏樹を見ていた。

 

『母親の怨霊は、きみを愛している。しかしそれは、とある条件下においてのみ成立する限定的なものだ。その危うい均衡は今、鍵のかけられた箱に無理矢理しまい込まれているような状態になっている。あっさりと崩れ去る可能性があるし、そうなれば何が起こるか……この僕にもハッキリわからない。』

 

その時の杏樹はなんと言ったのだろうか。

きっと『わかりました。』とか『気をつけます。』とか言って、五条先生にお辞儀をしたのだろう。

 

 

大森杏樹は、思い出す。思い出して、理解する。積み上がった理解は経験となり、人を成長へと導く。

 

 

(————あぁ。ようやく、わかった。)

 

 

彼女は死の縁で、ある覚醒を始めていた。

それは、永続的な覚醒ではなく、限定的なもの。

使ったが最後全てを失う、使い捨てカイロの如き消耗品。

しかし————覚醒は覚醒。

 

それだけは、紛れもない事実。

 

 

「ようやくわかったよ。お母さん。」

 

杏樹は、無言で佇む目の前の青火へと語りかける。

 

「ずっと不思議だった。でも考えないようにしてた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

腕輪はサンタクロースからの贈り物ではなかった。

これは、母から子への贈り物。

 

唯一サンタクロースにもらった、消えずにずっと残るもの。

 

「素敵なプレゼントをありがとう。お母さん。」

 

ぐんにゃり。

そうとしか形容し難い震えが、青火に走った。母親は今、とても動揺しているのだった。

 

「子供は、サンタクロースが自分にプレゼントをくれることを信じる。でも、大人はそうじゃない。大人にとって、この行事は180度転換した、別の意味を持っている。……そう。つまり私は今、大人になる条件を満たしたんだ。」

 

…杏、樹……?

 

「私は、私の目でこの世界を見たい。思いっきり、自由に羽ばたいて、この美しく脆い宝石みたいな最高の世界を暴れ回ってみたい。」

 

…う、ぅえ、え……

 

「もちろんタダでとは言わないよ。全部が終わったら、私の体はお母さんにあげる。もちろん術式もあの世へ持っていっていい。……ただその代わり、二つのお願いを聞いてほしいと思うんだけど。」

 

だめかな?

と、そう杏樹が眉毛を下げて聞いた時。

母親の亡霊は、その空っぽの穴のようだった二つの黒穴から、大粒の涙を溢れさせた。

 

大きく、なったねえ……

本当に、大きく……!

 

その答えを聞いた時、杏樹は満面の笑みを浮かべた。

 

「お母さん。私がここで何もできずに死んじゃうの、止めたい?」

 

うん、もちろん、もちろん!せっかく大きくなったんだから、大きくなったところを見せつけて!たくさんたくさん、輝いて!

 

「じゃあ、頑張ろう。」

 

拳を握る。

その手に、あたたかな血液が巡り始める。

 

「五条先生には申し訳ないけど。やっぱり私たちは、これでいい。」

 

 

キラキラと、ただ美しかっただけの世界は終焉を迎える。

ここからは泥試合。

酢いも甘いも噛み分けた大人たちによる、血も涙もある命の削りあい。

 

 

————大森杏樹は、目を開けた。

 

 





ようやくあらすじ回収?のエピソードが書けました。

それから補足を二つ。

死にたくない、という感情を司るのは母親だったので、杏樹に感情はありませんでした。
前話の杏樹のセリフ「私だって死にたくない」は、心の中で母親に語りかけられた杏樹が同意の返事をしただけ。その意味を知っていて喋ったわけではなく、機械仕掛けの人形のおしゃべりみたいなものだった。……という裏設定がありました。


杏樹覚醒の条件については、本編に入らなかったまとめ説明があります。
本来なら『サンタの話題』によって覚醒するはずが、真人の魂いじりの術式で大事なものが弾け飛び、強制的な覚醒が呼び覚まされた模様。……ということでした。


大森杏樹の物語は、あともうちょっとだけ続く予定です。


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