青い瞳は綺麗だよ 作:へびのあし
(……ん?んんんー?)
真人は、何かが変化したことに気づいてきた。
目の前で必死に攻撃を避け続けていた、ちょっと動きが不規則でしぶといだけのまるでゴキブリの如く惨めな人間。
なんか追い詰められれば術式使ってくれるんじゃないかなー、という好奇心により手抜きの戦いを行っていたわけだが、ここにおいてそれが功を奏したのかもしれない。
真人はワクワクしながら、うっすら伏せられている杏樹の顔を遠くから覗き込んだ。
自分の目を望遠鏡のように改造して、ズームインをかける。
杏樹の目が、ゆっくりと、開いていく。————その焦点が、こちらに合った。
その瞬間だった。
ゾワリ。
何かが真人の背中を駆け巡った。
「……っ。」
変化は何もなかったはず。さっきまでと同じ、大森杏樹の目がただこちらを向いただけ。———いや、待てよ、と真人は目を凝らした。
彼が見るのは、魂のカタチ。
決して外面に騙されない真人の目が、異常を感じ取った。
(えーと?魂が反転して……いやなんだコリャ?!)
思わず弾みで魂を見る目を十五個ぐらい量産してしまった真人は、その分析力を遺憾なく発揮して状況を把握し始める。
(なるほど、元々“見る”ことに関して実権を握っていたのが母親の怨霊だったわけか。そしてたった今、その権限があらためて大森杏樹に譲渡された。へー、それにしても物凄いスピードの変化だよな。あんな地震の震源地みたいな揺らぎ作っといてよく魂が崩壊しないっていうか。あの呪術師ホントに人間なのか?いや半分ぐらいは呪霊だな……)
まじまじと目を見開く真人。
そんな彼に、大森杏樹はゆっくりと口を開き、「真人殿。」と喋りかける。その口調に、さっきまでの子供っぽさは欠片もない。
丁寧で事務的な、大人の喋り方となっていた。
「“宝石御化粧“は私が子供の間限定で使える術式です。呪霊で工作遊びをするかのような『色と宝石の性質押し付け』や、どんなに頑張って呪われた武具を作っても結局お遊びの訓練ぐらいにしか持ち出せない『特別児戯』。わがままを堪えることを知らず、欲しいものを手に入れるためなら全てを排除する『術式の中和』。
……こんなものは、もう必要ありません。私は、大人になったのですから。」
杏樹はここで、一息ついた。敵前で情報をペラペラ喋りまくるという愚行を犯している彼女だが、もちろんそれには理由がある。
これは“術式の開示“。
自分に不利な条件を立てることで、呪力や術式のパワーアップを狙う技術。
真人は呆気にとられたようにそれを聞きながら、一つのことに気づいた。
(あれぇ?もしや今、夏油がコイツ殺したい理由消えたんじゃね?)
術式を中和する術式。
夏油が警戒していたのは、彼女がその術式を持っているゆえだった。
しかし大森杏樹はたった今、まさにそれを“放棄する”とハッキリ口にしなかったか。
もしそれが正しいなら、夏油が渋谷でことを起こす前に杏樹を排除しようとした理由は綺麗さっぱり無くなったことになる。
(いや、でも待てよ。捨てた分だけ別の何かを得るのが呪術の基本。子供から大人になったっていう発言からして、きっと……)
思考を巡らす真人の前で、杏樹は澱みなく話を続ける。
その目は、今まで彼女が知らなかったはずの泥沼の感情で渦巻いていた。
「私が使えるようになった呪術は、『
どんな宝石も、摩耗し、すり減ってゆく過程で美しくなります。……そもそも大人というものは、傷つくことを知っている者たちのこと。彼らは痛みを背負い、重く深い過去の苦しみを抱えながらなお、それを踏み石に成長してきました。
————私は今より、全ての負の感情を成長に変えてみせましょう。」
ダン、と一歩が踏み出される。
青く呪力が走った。
—————呪術 玉不磨無光:哀惜
バチン。
焼き切れたような音が響く。
杏樹の目が、ゴウッと青く燃え上がっていた。
真人が、へぇ、と口の端を吊り上げる。
「あなたは先ほど、私の大切な思い出の帽子を引き裂きました。」
「まーね。それがどうかしたのかい?」
「あれは二度と元には戻らない。……よくも、よくもやってくれましたね。」
挑発にあっさりと自ら乗っていくスタイルを披露する杏樹は、先ほど何を言われても涼しい顔をしていた彼女とはまるで別人のようだった。
目まぐるしく変化を遂げる魂のカタチ。
術式が流動的に変化しているため、術式の開示すらもどこか抽象的になってしまうほどの成長。
真人は、静かに興奮していた。
夏油のお使いの目的だのなんだのを、些細なことだと綺麗さっぱり忘れてしまうほどに。
「アハハ!きみ、メチャクチャじゃないか!で、結局どーすんだい?思い出の品をぶっ壊した俺を恨んで、憎んで、しまいになんだ?その手で殺してやるー、とか何とか、ほざくのかい?!」
「
杏樹は、血の滲むほどに拳を握り、強く奥歯を噛み締めながら、それでもゆっくりと首を振る。
「————
その言葉をトリガーに、杏樹の呪力が錬成されたように秩序を形成した。
「このやるせなさも、哀しさも、私だけのものなのです。どんなに悔しくても、復讐心に突き動かされたくとも、関係ない。乗り越えるべき過去は全部、私が墓場まで持っていく……!」
杏樹が前に飛び出した。
あらためて抜かれた刀を右手に携え、真人の本体へ向かって突っ込んでいく。
触れたら終わりの破壊の権化を、杏樹は全く恐れない。
ゴウゴウと青い炎が目を覆っている。
哀しさをバネに、杏樹は“魂を見極める目“を手に入れた。
これで素晴らしい結果はが二つ手に入った。
一つ目、自分の魂を呪力でガードできる。
二つ目、体だけ攻撃を受けてもノーダメージの真人、その魂を直接攻撃できる。
対真人の能力を手に入れ、杏樹は“強者相手にほぼ何もできなかった過去の自分“から脱却した。
「この世に苦しみを撒き散らす呪霊を、野放しにはしておけない。子供たちの未来を守るため。責任ある大人の義務として、今あなたを祓います!」
「いいねキミ!本当は私怨まみれなのにソレを必死に隠そうとしてる所とか、身勝手な人間っぽくてサイコーだぜ!」
真人は、“触れる”から“殺傷する”目的に術式の使い方を変えた。
針やドリルのような形の手が突如出現し、杏樹の体を突き殺そうと迫ってくる。投げ縄や網を飛ばされたと思ったら、そこに凶悪な棘の群れが覆い尽くすように生えてくる。
おもわず杏樹は冷や汗をかいた。
危ない地帯に、恐れず突っ込んでいけるのが彼女の長所。
しかしあまりにも、相手の格は杏樹を圧倒している。
血飛沫が飛ぶ。
防御に使った腕が刺し貫かれる。
ずっと共にあった杏樹の帽子は、この特級呪霊を相手にするうちとっくに破れ、千切れ、血濡れになってどこかへ吹っ飛んでいった。
(足りない。)
魂を見極める目だけでは、ただなぶり殺しにされるだけ。
(……もっと。せめて、もう一つ!何かを!)
—————呪術 玉不磨無光:後悔
思い切り地面を蹴って、真人から距離をとる杏樹。真人は何かの始まりを予感したのか、わざと追撃をかけずに静観することを選んだ。
杏樹は呪霊が警戒からではなく、ただの好奇心で手を止めていることを知りながら、それでも恐れず未来を掴むための一歩を踏み出す。
「あなたは先ほど、高専の忌庫番たちをただのゴミと評しました。」
と、杏樹は語り出した。
「しかし殺された方たちの中には、私の知り合いもいたのです。彼らは決してゴミなどではありませんでした。……例えばあの方は、恋人ができたために呪術師を辞めるかどうか悩んでいた優しい男性でした。
私はある日その方に、道端の花を宝石にして渡しました。『さっそく婚約指輪に加工してもらう』とはしゃいでいた彼が抱いていた、仕事への迷い。そんな彼の退職への思いを、あの時私がほんの少しでも後押ししてあげれば。そうなれば、もう少し早く呪術師を辞める決心がつき、彼は死ななかった……かも、しれなかった。」
感情らしい感情がなかった昔の話。
何もできなかった無力感を、今だからこそ感じる。今になって、感じる。
今までが空っぽみたいなものだったからこそ、ほんの少しの激情の欠片が、怒涛の津波の如くに杏樹を襲って呑み込まんとする。
バチン。
またも焼き切れたような音が響き、青い炎が杏樹の手に宿った。
「後悔を、この溢れてどうしようもない感情の塊を、私は私の墓場まで連れてゆきます。」
その手の炎は、杏樹の全身へ馳せるように広がってゆく。怪我した部位にたどり着くとそこで炎は停止し、血で染まっていた部分が静かに癒されてゆく。————反転術式。
真人は目を見開いた。
“ここまでできるとは”というのが彼の感想だった。
まずもって、真人と触れても大丈夫、という術師はほとんど存在しない。その壁を彼女はあっさり超えてきたばかりか、反転術式までを会得した。これは特級術師でも会得が難しい(かつての五条悟でさえも死の縁へ追い込まれるまで使えなかった技術と言えば、その難度がわかるだろう。)特別な技術だ。
しかも早い。
圧倒的なスピードで彼女の怪我は完治した。
これでは脳を潰さなければ彼女の打倒は厳しいかもしれない。
どんなカラクリだと、真人は驚愕する。
しかしすぐにとある真実に気が付いた。
(この術師……命を燃やしてる!!)
文字通り、命を対価にした力の制限解除。
そういえば、そんなこともあるかもしれないと夏油が言っていたような。
あまりのことに真人が目を見開くと同時、彼の意識の冷めた部分が疑問を呈した。
(いやいや、ちょっと待てよ?今現在、俺はアイツに関係する誰の命も脅かしてないよね?一般人もここにはいないし。自分の命差し出してまで助けたい誰かとか存在してないはずなのに、なんでそうまでして必死になってるわけ??)
“大森杏樹は、大人である“
“大人は過去を知る責任者として、未来を守るために戦う義務がある”
“大森杏樹は、義務を遂行する”
真人は、余裕だ。
圧倒的強者の高みから人を見下ろして、小指の先で蹴散らそうとする。
ああ、実際にそうだろう。
才のない準一級術師がどんなに頑張っても、たった一つの命を代償に飛翔しても。その翼は絶対に雲へ届かない。
知っている。
知っているからこそ、諦めたくないと思う。
きっとそれが人間という、愚かで悲しい……そしてとても美しい生き物なのだろうから。
—————呪術 玉不磨無光:未練
「私は一夜限りの大人です。……ええ、仕方がありません。永遠に子供でいてあげるという、母との契約を破るのですから、その代償は大きなものになる。当たり前のことが当たり前に起こるだけです。」
しかし、と杏樹はその口を動かす。
影が降りたその頬に、静かに涙がつたった。
「……死にたくないです。」
枯れていた涙が、溢れ出す。
何年分も溜まっていたそれが、泉から湧き上がるようにじわりじわりとこぼれ落ちる。
「せっかく大人になったのに。その成長を恩師に見せることもできないのが申し訳ありません。合同で任務を共にした仲間たちや、先輩や、後輩、補助監督の皆さん、窓の方々、街のおじいちゃんにおばあちゃん、花屋の女の子、……会いたい人がたくさんいます。もっとお礼を重ねておけばよかったと、思い出を積んでおけばよかったと、そう思うほどに別れが惜しくなる……」
バチン。
三度目の、焼き切れたような音。
青い炎が杏樹の心臓に宿る。
「この未練を……私は墓場まで抱いてゆきます。」
最後の想いが籠る。
それは、杏樹の死の覚悟を糧にして成長した呪い。
「人型特級呪霊、真人殿。あなたの魂を、宝石にして散らします!!」
彼女の想いを受けて、真人の返事はというと。
「あーそうかい。やってみろよ……それが君にできるなら、だけどね!ベー!」
呪霊は人の気持ちを受け止めない。
真摯な想いは馬鹿にし、真剣な呼びかけには挑発で返す。
ただこの世に呪いを撒き散らすだけの存在。
祓ってやると、そう言われても真人は余裕。どんな急成長を遂げる人間が相手だろうと関係ない。こちらがそれを上回る急成長で対応すればいいだけの話。
「そのにやけ顔、崩してやります!」
「無駄だよ、三下呪術師!」
真人は、杏樹の立ち回りが変化してきたことに気が付いた。速いし、上手い。加速度的に体術が向上している。
素の体力はそれほどでもないはずなのに、今の彼女の格闘は宿儺の器、虎杖悠仁に勝るとも劣らない。
呪力の扱いで、肉体が追いつかない部分をカバーしているのだ。
ちょっと面倒くさいな、と真人は思った。
殴る。……反転術式で直される。
不意打ちで背中を刺し貫く。……すぐに離脱し反転術式で直される。
大質量の壁で挟み込んで潰そうとする。……一点突破で壁を破壊して逃げられる。唯一逃げ遅れて潰れた右足の踵から下も、あっという間に反転術式で直される。
反転術式とは、あんなにホイホイと連発できるものではないはずなのに。
まるでゴキブリだ。
しつこい。
生き汚い。
こうなってくると、確実に殺そうと思えば本気になるしかないかもしれない。しかしあんな奴相手に本気を出すのもなぁ、という真人のプライドがそれをさせない。
(……あいつ、一夜限りって言ってたよな。)
真人は、気づいている。すでに、杏樹の死の覚悟は生半可なものではないことに。
放っておけば、勝手に彼女の寿命は尽きて死ぬだろう。
(そういえば、“俺の魂を宝石にして散らす“とか何とか言ってたけど、どういうことだ?)
とても強大な力だ。それを振るうには、きっと何か追加の条件があるはず。命を捧げるぐらいでは埋まらないものが、そこにはあるのだから。
真人は、どこかに感じる違和感を探った。
真人が攻撃し、杏樹は怪我をする。
杏樹は怪我を治しつつ、頭だけはしっかり庇いながらまた突貫。
それの繰り返し。
怪我をして、怪我をして、怪我をして……
————怪我?
そうか、と目を見開き、真人は杏樹へ伸ばしかけた巨大な手を慌てて柔らかいクッション状にした。
勢いを殺しきれないが、問題ない。
杏樹の体を欠片も傷つけることなく衝突したそれの、ぽわん、と間の抜けた音が響く。
腕で手のクッションを受け止めた杏樹の顔が、悔しそうに歪んだ。
「あっぶね!なかなかやるじゃんか!」
「……くっ。」
バレましたか、と杏樹の口が小さく動く。
『一定以上の傷を己に刻んだ相手を、殺す』
それがたった今練り上がったばかりの術式の発動条件。
しかし、間に合わなかった。
自分の体が真人に傷つけられるごとに呪力が増大していくのを、悟られてしまった。
もう少し、あとほんの少しで条件を満たすところだったからこそ、悔しくてたまらない。
杏樹は歯噛みをした。
「惜しかったねー!次の手考えてあるのかい?アハハ、悔しそうだ!俺は十分楽しんだし、きみに用がないならここにきみを置いて帰っちゃおっかなー!」
「————諦めません。」
杏樹の全身が、青い炎を噴き上げるように燃えていた。
そんな彼女の足掻きを、真人は気色の悪い表情でケタケタ笑う。
「“諦めない“だってえ??なんて陳腐なセリフなんだろ!あー阿呆らしい!俺がお前の希望ごと全部叩き潰してやるよ!!」
馬鹿にしきった彼のセリフに、杏樹は静かに大きく目を見開いて返事を返す。
「教えて差し上げましょう。人から生まれた特級呪霊の真人殿。————大人から希望を取り上げることは許されない。何人たりとも。……無論あなたも例外ではありません。」
真人は嗤う。この惨めで憐れで、頭の悪い人間という生き物を。
今、まさにこの瞬間。杏樹の魂は、紛れもない絶望をみている。
彼女は、彼女では真人を倒せないことを理解している。否、否応無くそうさせられてしまった。
圧倒的な実力差と、それを覆す作戦の失敗を目の前にして、彼女は絶望している。
————それなのに、希望を捨てない。
ああ、なんて馬鹿なのだろう。
真人は杏樹に引導を渡すため、初めて『ある程度の全力』を出すことを選択した。
ストックしていた改造人間を喉の奥からベェェ、と吐き出す。
それが条件なのだとすれば、真人には最初から勝ち筋が見えていたことになる。
つまり、自分が手を下さずに杏樹を殺せばいいわけだ。使役できる傀儡をたくさん所持している真人にとって、杏樹が完成させた術式はあまりにも場当たり的で相性最悪のものだったと言っていい。
真人は高みの見物を決め込み、改造人間を操って杏樹にトドメをさす。
ストックの数を減らすのが惜しくて温存していたが、もうそれは気にしないことにした。
たった今、この瞬間。真人が改造人間を撒き散らした時点において、杏樹の死亡と真人の生存が確定した。
(いえ、まだです……。術式の条件未達成……よって変換効率は最悪……しかし92%溜まったゲージを何とか活かすことができれば……!)
(うーわ、この後に及んで目が死なないとかマジかよ。ほんっとに諦めが悪いなあ。)
ゆらりと据わった目でこちらを睨み、丁寧に拳印を組んでゆく杏樹。
真人はそんな彼女を冷めた目で見つめていた。
(終わりだよ。)
彼女に向かって、改造人間が殺到する。
しかもそれは、ただの意思なき操り人形などではない。
(普通の奴ら向かわせても、全っ然歯が立たないだろうからぁ……うん。じゃあこうしよう。)
チョチョイのちょいで、改造人間の振る舞いが変化する。
ただの化け物ではなく、真人自身のように肉体を変幻自在に操れるものたち。一匹が大質量になって襲い掛かり、かと思えば鋭い針の一点突破。要するに真人が一気に増えたようなものだった。
絶望だ。
そして。
万が一、万万が一の話ではあるが……もしも改造人間に襲わせる作戦が失敗したとしても、真人には最大の切り札がまだ残っている。それは『領域展開』。これを使って術式効果を必中にすれば、もう大森杏樹に勝ち目はない。
つまり何が言いたいかと言うと。
完全なる、詰みだ。
「—————呪術 玉不磨無光:絶望」
「だーかーら、無駄だってんだよ!」
大森杏樹の祈りが込められている。
さっきからずっとだ。
命を懸けた呪いが、真人の魂へと襲いかかっている。
しかし真人は顔色も変えない。
相手が悪かった。
真人は魂の専門家。魂への攻撃と守備に関するスペシャリストに、条件を満たさない術式の攻撃はあっさりと防がれる。魂を呪力で完璧に覆って弾かれた呪いが、行き場をなくして雲散霧消した。
「手も足も出ないだろうって……最初からそんなことわかってました。」
顔を伏せた杏樹の呟きが、静かにその場に沁み通る。
「でもわかりません。わかりたくありませんでした。せめて夢を見たいと、そう願うことの、何がいけないというのですか。」
……バチン。
「私はこの絶望を抱えて、墓場へ歩んでいくことでしょう。」
刹那。
青い炎が、全て消え去る。
大森杏樹の目から、光が失われた。
————生きて人間でいたものが、終わりを迎える。
改造人間に腕を食われ。足を取られ。
彼女は呪いの混沌の中に埋もれてゆく。
(……しかし血は流れない。彼女はゆっくりと、透明になってゆく。)
————時は流れる。人の歴史は残酷に朽ちてゆく。
(……でも、もしかしたら。人でないものは、真に終わりを迎えることはないのではないだろうか。)
————敵に全力を出させるまでもなく、無駄な敗北をする。
(……たとえば引き際をわきまえ、別の未来を見つめたならば。己が『完敗』を、『負け越し』ぐらいに覆すこともできるのかもしれない。)
「あーあ。呆気ないもんだよ。途中ちょっと期待したんだけどな。ま、夏油に報告がてらさっさと帰るかー。」
破壊の跡だけが残される。
————呪力の残穢だけが、彼女の死にざまの証。
大森杏樹は、死んだ。
おそらく残り一話分くらい。
さすがにこれでは終わらせません。
*おまけ*
杏樹の考える大人像:
傷つくことの意味を知っている者。その上で、それを踏み石に前へ進んできた者。
彼らは絶望をわかっている。理想と現実が如何にどうしようもないものかをわかっている。
……だからこそ。どんな子供よりも美しい、星のように宝石のように煌めく希望を持って生きる権利が、彼らには与えられている。