青い瞳は綺麗だよ 作:へびのあし
暗い部屋で、スーツ姿の男と羽織姿の男が低い声で会話をしている。
呪術界にも書類仕事は存在していて、彼らが行なっているのはまさにそれだった。
「現場検証者の報告によると、残穢は登録済みの特級呪霊『真人』のものと一致。例の高専の忌庫襲撃犯と同一犯で間違いないと思われます。」
比較的若い声が報告を述べる。極力感情を排した彼の声は、まさに組織の歯車として機能するに相応しい。名も知られぬ補助監督という職業が、彼にそうさせている。
それに応えたのは、より静かで重みのある声だった。立つ地位こそ違えど、彼もまた同じように補助監督。疲れたように、彼は必要事項を問いかける。
「……で、今回の被害状況は?」
「準一級術師が一名死亡しました。一般人、及び周辺の建物被害はありません。多少田園が荒れましたが、既に住民の方との話し合いで解決済みです。この件に関しては別の事案も絡んでいますのでそちらに報告書をまとめました。」
「……それで済んだか。近頃は特級呪霊が立て続けに確認されている上、そのたびに惨劇的な被害を出し続けてるからな……悪夢みたいだよ、全く。」
「確かにそうかもしれないですね。準一級術師の殺害もこれが初めてではないですし……何人目でしたっけ?」
「……いちいち覚えてられんよ。きみはどうだい、覚えてるのかね。」
「………いいえ。」
死者を悼むには、彼らが見てきた死の数は多すぎた。
手を合わせることをはおろか、黙祷すらも捧げることはない。
二つの影は仕事に戻り、明日には今日報告した死者を忘れるだろう。
それが、呪術界という世界。
呪いが廻り続けないよう工夫された、誰もが忘れることを得意とする世界なのだった。
♢
「……おい、パンダ。」
「んあ?」
「お前最近大丈夫か?随分辛気臭い顔してんじゃねーか。」
「真希……お前やっぱツンデレだけど根は優しい奴なんだよなー。」
「はあ?そんなことねーし……ってかオイコラ!やめろ!芋虫みてぇにくねくね近寄るな!気味悪い!」
「だって寂しいし……」
「ガキかよ!」
「俺パンダ。」
♢
「へえ、狗巻先輩もジュリーさん知ってたんだ……。そりゃ初耳だなぁ。」
「シャケ。」
「ねえ虎杖。あの人、ちょっと変わってるって噂だったじゃない。アンタ実際にその目で見てどう思ったわけよ?」
「うーん、野薔薇との相性は微妙かも。でも多分、伏黒は好きだろうな。掴みどころあんまないけど不思議に優しいっていうか?教える時とか丁寧で優しいからさ、五条先生と交代で教師やってほしいくらいだったよ。」
「……マジか。一度稽古つけてもらいたかった。」
「ツナマヨ〜。」
「あー、でも技術的なことはあんま教えてもらえない気もするな。多分戦ったら伏黒より弱いから。ただ、精神的な強さが半端ないって感じだったかなあ。なんかマジもんの幽霊相手にしてる気分になれるぞ。」
「………。……そうか。」
「……すじこ!昆布!」
♢
「…あぁ、そうか。……悲しいなぁ。親身になってくれたし、五条先生なんかに比べたらよっぽどいい人だったのに。」
「……里香も好きだったんだね。うん、もちろん全部わかるよ。天国からのきみの声、ちゃんと聞こえてるとも。」
「僕たちの恋路を応援してくれた。あれはとっても素敵な思い出だったよね……。」
♢
大森杏樹という人間は、死んだ。
しかしその残穢は、この地に留まり続ける。
「お母さんに、二つお願いがあるんだ。」と、彼女は怨霊と約束を結んだ。
「一つ目、全てが終わったら、私の体と術式をお母さんにあげるって言ったんだけどね。ただ……目だけは残してほしいんだ。」
ずっとお母さんに目を使わせていたんだから、それくらい許してもらっていいでしょ?と。
そう問いかけた杏樹に、母親の怨霊は頷いた。
それゆえに、肉体滅びし後も、杏樹の目玉だけは残り続ける————呪力の塊となって。
「それで、二つ目なんだけど。お母さん、いや————大森リカ様。」
心象風景の映し出された奇怪な世界において、大森杏樹はその場にゆっくりと正座をした。丁寧に、そして美しく。彼女は手をついてお辞儀をする。
「私というくびきを失った後、この地に放たれた怨霊として暴れるのではなく。どうか私の後の世代の若者に、その御手を貸してやっては下さいませぬか。」
できることなら、自分の手で真人を祓いたかった。
しかし全力を尽くし、その命の一滴までを搾りとってなお、奴には敵わなかった。
ならば次の世代に託そう。
絶望だけを残さず墓場に連れてゆき、希望だけをこの地に残してゆこう。
それが、戦いの最後、一見不発に終わったように見えた『呪術 玉不磨無光:絶望』の祈りの、隠された正体だった。
大森杏樹の体は改造人間に蹂躙されて死亡したのではなく、限界を超えて霧散したのでもない。
最後の最後。自分に残ったものほぼ全てを母親の怨霊に注ぎ、呪力の塊に変換させた。
……乙骨憂太は、天才だ。
……多少彼にくっつく怨霊が降って湧いて出た程度で制御不能になるような、やわな人材ではない。
杏樹の母親は里香ちゃんならぬ、リカちゃんとして。
乙骨憂太を支えていくことになるだろう。
もちろん、『特級禍呪怨霊:折本里香』本人とそっくりそのまま同じにはなれないだろうが。それでもほとんど似た存在として顕現させることはきっと可能だ……乙骨の純愛と、杏樹の祈りの力が合わされば。
「この大森杏樹、心より感謝致します。リカ様。」
その二つ指をついて地にひれ伏した彼女の腕が、すうっと溶けるように消えた。
続いて足が。
胴が。
肩が。
顎が。
鼻が。
耳が。
…………。
…………。
最後に残った二つの目玉だけが、不気味に宙を見つめている。
哀しげに溢れた涙が、ポトリと地面に垂れる。
大森杏樹は、ここで一つの限界を迎えた。
ここまで魂を変容させ、格上との大立ち回りを広げて。安心して気が抜けた瞬間、襲ってきた疲労に杏樹は耐えきれなかった。
黒々と染みをつくった涙の上に、呪力の塊である目玉は力を失った飛行機のように墜落した。
眠った目玉が目覚めるのは————
♢
五条悟が獄門疆に封印された。
そのニュースは激震となって呪術界を揺さぶることとなった。
たった一人でパワーバランスのたずなを握っていた彼の存在が、いかに大きかったことか。
呪詛師は激増。
あちこちの派閥で内部抗争が勃発。
上層部は保留にしていた秘匿死刑を強引に押し通そうと狩りを始め、さらに五条悟という目の上のたんこぶを復活させないようできる限りの手を打った。たとえば五条を永久追放、その理解者である夜蛾学長を死罪に認定するとか。たとえば五条を復活させようとした者を死刑に処するという触れ(そんな内容の公式発表は存在しないが、きっとそうなるであろうともっぱらの噂である)を回すとか。
そして。
彼の生徒たちは、死に物狂いで努力した。
彼を復活させなければ。
そうしなければ、もっと大勢の人が死ぬのだから。
……封印されてからわかることがあった。
不思議なことに、彼は近しい人たちからそこまで嫌われていないようだったのだ。
振り回されっぱなしで、割と本気で彼への恨み言を日々垂らしていた者たちも、『思い出してみればあいつも繊細で優しい奴だった』などとふとこぼすことがあった。
【“死んで勝つ“ と“死んでも勝つ”は、全然違うよ】
【大丈夫。僕最強だから。】
【若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ。何人たりともね。】
【俺だけ強くても駄目らしいよ。】
【夢があるんだ。……だから僕は教育を選んだんだ。強く聡い仲間を育てることを。】
【……。一人は寂しいよ?】
彼の残した言葉の端々に、人間性が垣間見える。
本当の本当にイカレることができなかった。
だからこそ、最後に下手を打って封印されてしまった。
これが、五条悟が最強であれど神ではなかったということの証左。
だからこそ、生徒たちは駆けている。
仲間と共に。仲間を失ってもなお。
……大人が繋いできた未来を、今度は自分たちの手で守るために。
虎杖悠仁らは、死滅回遊という命懸けの競技に参加。そこで出会った術師『天使』との協力を取り付け、獄門疆「裏」の開門に成功。
それにより、五条が封印された獄門疆「表」も同時に開門されることとなった。
最強の五条が目覚める時が、ついにやってきたのだ。
実のところ、五条を封印した張本人である呪詛師:羂索はこの事態を防ぐため、獄門疆「表」を水深8000mの深海に置き、さらに二重三重の封印をかけて呪霊まで置いていたのであるが。しかし最強の五条悟にそんな小手先の妨害工作が通用するはずがない。全ての封印・呪霊を吹っ飛ばした彼は、その余波のみで地震を起こすという迷惑な離れ業を披露する。
そして————
「————あ?」
身につけていた黒服こそ所々破れてボロボロになっているものの、余裕綽々でピンピンしている五条悟。
彼は海面へ浮上した後、なにかおかしなものがフヨフヨ宙へ浮いているのを発見した。
獄門疆から復活した後のテンションで適当にゴミでも払うように消し飛ばしてやろうとした、その手が途中で止まった。
青く、透明な宝石の眼が……五条の代名詞、六眼がそれをとらえる。
「ジュリー、…か……?」
そこにあったのは呪力の塊。
しかし精密な顕微鏡の如き五条の眼は、その正体をことごとく看破する。
昔懐かしい生徒の呪力。変容しているものの色濃く面影を残し、そしてなぜか二つの目玉の形をとっている呪力。
無言で、ただただじっとそれは見つめてくる。
まあ、喋らないという点に関しては仕方ない。
口がないから、喋りようがないだろう。しかしこれは……
(……いや、コレどういうこと?さすがの僕でも状況理解できねーんだけど……。)と、戸惑う五条悟。
じっと見る。
見つめ合う。
分析力だけは神の如き五条の眼が、不意に閃いた。ピカリ、と宇宙に煌めく星の光を宿し、驚きに目を見開いた五条悟。そんな彼を、“杏樹の目玉“が嬉しそうに上下へ跳ねながら見やっている。
「アハハ!アハハ、アッハハハハッ!何それ、ウケるんだけど!」
五条悟は、腹を抱えて思う存分笑った。
「毎度思うけどさ。きみ、面白すぎ!」
子供だった教え子が大人になる。
そうして次世代に願いを託す。
そう。
それは紛れもない真実。
しかし。
………そんなありふれた美談で終わらないから、大森杏樹は大森杏樹なのだ。
“五条先生の瞳を見つめるため、目だけは残す“
読み取れたその呪いの執念に、オバケかよ!と五条悟は笑ってしまった。
いや、実際オバケのようなものだった。
しかし困ったな、と五条は頭をかいた。
自分に向けられた呪いであるが、その正体が正体であるゆえに祓いにくい。夢枕に目玉が二つ立つようになる……ぐらいの影響はあるかもしれないが、そこまで凶悪な呪いでもないのが微妙に厄介だ。一般人に迷惑をかけないなら、呪いを祓う大義名分がなくなってしまう。
あーあ、と五条は天を仰いだ。
「何の意味もないじゃん。こんな状況で笑わせてくれるなんて、まったく、ありがたくもないね。」
ケラケラと笑う五条悟。
彼は鬼火のように小さく付き従う目玉を伴って、これからどうしようかなと考えながら海の上を歩き出す。
(……とりあえず、夏油の体を弔いたいな。)
天上天下唯我独尊。
孤高の最強は、自由な青空のもと目を閉じた。
(この先どんな地獄が待ってるかしれないけど……)
—————今はとても、静かだよ。
ジュリーのおかげかな、と呟いた五条悟。彼は更なる戦いの場を目指し、瞬間移動の術式を起動してその場から消え去った。
……きっと彼の最後の日まで、二つの目玉は付き従うのだろう。
「青い瞳は綺麗だよ。」
そう言って微笑み、彼の終わりと共にその生涯を終えるのだろう。
(完)
これにて完結。
ありがとうございました。
ネタ帳にこの内容のあらすじを保存したまま放置すること数ヶ月。
なんとなく書き始めた頃、映画「ゲゲゲの謎」を見に行くことになりました。視聴後、筆のスピードが倍になったのは言うまでもなく。
目玉親父があんなにカッコいいなら、大森杏樹もカッコいい終わらせ方にしなければ……と頑張りました。
さて。
リカちゃんを、勝手に大森リカ様にしたことについて、言い訳はありません。
二次創作なので、やりたいように暴れさせていただきました。
最後に、ここまで目を通していただいた方、ありがとうございました。読者の皆様の暇を潰せる作品であったなら作者冥利に尽きます。
またどこかで会えることを願って、筆を置きたいと思います。
さようなら!