ある調律者の独白   作:くちばし

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9.愚鈍なる

 生きたいと願う。

 私らしく在れる姿で生きたいと、常々と願った。

 私を縛る鎖を解いてこの世界を歩み、ただ生きていたいと誓った。

 然し、私を縛る鎖たちはそれを赦してくれなかった。

 

 産まれ堕ちたその日から、私は何も愛さなかった。

 目に映る全てが醜く、私にとって周囲の存在は抑圧でしかなかった。

 そして私が産まれた理由すら只の道具でしかないと知った時、私は抵抗するのを諦めてしまった。

 だから愛する真似をした、愛する真似をして、善く観ようとして私の意志に嘘を塗った。

 そうしなければ、私は壊れて朽ち果ててしまっただろうから。

 

 人が憎かった、都市が憎かった、憎悪を抱いた。

 人の罪を背負って、その罪を浄化せんと私は走り続けた。

 だが、どれだけ足掻こうと罪は増幅する。

 善くあって欲しいから、もう誰にも苦しんで欲しくないと思って成した行動は、全て罪へ成り代わってしまう。

 胸を破かんばかりの膿が破裂し、私の理性は破滅した。

 代わりに生まれたのは憤怒に満ちた慟哭。

 私に降りかかる不幸を切り裂き、私を縛ろうとする理不尽を刺し貫く。

 利己的に私を守って、叫ぶのだ。

 慟哭は私に降る声を全て跳ね除け、私を孤独した。

 もうそれで構わなかった、独りにして欲しかった。

 誰も私に関わらないで欲しい、私独りでこの生を謳歌したかったんだ。

 

 だが、声は私を独りにしてくれない。

 五月蝿く執拗に、私に語りかけてくる。

 私の意志を後押ししてくれるように、語りかけてくれる。

 

『もう苦しまなくていいのよ』

 

『あなたらしく生きて、誰かの罪を背負う必要なんてないじゃない』

 

 声は私の意志を揺るがし、この足場を崩そうとする。

 そうだな、それが都市の在り方だ。

 利己的になり、欲望に自由であらねばならない。

 この都市を見下ろしていたから、そんな事はとうの昔から理解できている。

 

 あぁ、でも。

 お前があの子と同じことを説くなど、烏滸がましいにも程があるな。

 

「黙れ。お前の様な身勝手な存在が、あの子の論理を使うんじゃない」

 

『あら、悲しいわね。色々と話した仲じゃないの』

 

「其れは其れで、此れは此れだ。お前、あの子にも同じ様に口説いているんだろう」

 

『口説くだなんて失礼ね。私は彼女にありのままの姿であって欲しいだけよ』

 

 言い方を変えただけで偉そうに語る。

 

『それに、あなたも彼女のことが嫌いなんじゃないの?』

 

 そうだ、そうだとも。

 私はあの子が嫌いだった。

 利己的な姿勢であれるあの姿が羨ましく、私には無かった愛する心を持っていたんだから。

 私が出来なかった事をさも当たり前の様に熟し、私には成せなかった事を成してみせる。

 心底憎かった、私に苦しみを押し付けておいて、何故お前だけとすら思った。

 だから腕を切り落としてやったし、堕落の道を創って破滅させてやろうとしたんだ。

 

 だが、あの子は都市の人にはない考えを見せてくれた。

 私が抱く事が出来なかった考えを抱いていて、私に優しく説いてくれて。

 羨ましかった、然しそれ以上に、私を縛っていた鎖を解いてくれたんだ。

 最初から私を縛っていたのは、私自身の心なんだと。

 

 私が産まれた理由なんぞどうでもいい。

 私が護りたいから、私が護るべきだから。

 私を自由にしてくれた愛する子の為に、私は戦う。

 

「お前が求めるのは、人が人らしく在れる姿だ。私もそれが善いと思うよ、嘘偽りの無い姿は心地が良いものだろうから」

 

『じゃあ、どうしてあの子の味方をするの? あの子もありのままで在れる姿を望んでるけど……結局は苦しむ道を歩んでるじゃない』

 

「愛する子が頑張るなら、それを応援しない人は居ないだろう?」

 

 声は、笑った。

 

『……えぇ、確かにそうね。なら、私は待つだけよ』

 

「あぁ、待っておけ。あの子も私も、背けていた物に向き合わなければならないから」

 

 だから、歩まねばならない。

 あの子があの子らしく生きれるように。

 

「……独白からは醒めたか?」

 

「あぁ、醒めたとも。……ガリオン、此処に在たのだね」

 

 そうだ、お前とも向き合わねばならない。

 ガリオン、私はお前からずっと逃げていたから。

 お前を英雄として観て、お前と云う恐怖から目を背けたから。

 狂った振りをして、お前よりも狂人で在ろうとしたから。

 

「お前らしくない目をするのだな。如何様な物がお前を変えたと云うのだい?」

 

「真に愛せる者を見つけたから。何も愛さなかった私が、愛する事が出来たからな」

 

 話の合間ではあるが、不意を打つように私は妖精を放った。

 私が卑劣な戦法を取るのはガリオンも知っている、さも当然かの様に、ガリオンは妖精を黒い波で弾いた。

 

「やり口はお前らしい。私が知っているお前は、やはり何も変わらぬ様だな」

 

「相も変わらず皮肉った台詞を好むね、お前は」

 

 軽口を叩きはするが、ガリオンは間髪入れずに巨大な柱を幾つも放ってきた。

 黒い波だけでは防ぎ切れないであろう物量。

 ならばこちらも多少の物量で押し、取りこぼした物は黒い波で防ぐ。

 

 一つ、二つ、三つ。

 柱を柱で潰し、合間を縫う様に飛んできた妖精を線で迎え撃つ。

 残りは黒い波で防ぐ、削れた体力の消耗はある程度抑えなければならないが故。

 然し、それは裏目に出てしまった。

 意図的に出力を強くされた妖精が、黒い波すらも引き裂いて私の肩を切り裂いた。

 

「ッ……小賢しい事をする」

 

「お前の遣り口は知っているが故。嫌に思うことを成すのが戦いの定石だよ」

 

「私の方が出力も精度も高い。その様な手は、命を刈り取る時に残しておくべきではないかい?」

 

「ほう、強がるのだな。明らかに力が弱っているのにも拘らず、その手負いの身体で勝てる見込みはあるのか?」

 

 そう言われた時、嫌な汗が伝った気がした。

 赤い霧に貫かれた胸の傷は無理に繕っているだけだ、激しく動けば血が溢れてしまう。

 それに私も肉体に戻って間も無い。

 直ぐに全力を出すのは叶わない……ガリオンの言う通りだ。

 

「確かに私の知っていたお前は、私よりも特異点の扱いが上手かったな。然し、手負いならば私の方が上ではないかい?」

 

「……全く、お前は本当に憎たらしい」

 

 何もかも見透かしている、その見透かした瞳が嫌いだった。

 線と妖精を織り交ぜて放ち、威力にも差をつける。

 素早く放ち、威力を敢えて殺し、遅く放った物には強い威力を込める。

 多少なりともガリオンの体を掠めはしたが、その全ては黒い波と妖精によって相殺されていた。

 

「……図星を突かれたからと、大人気ないなぁ?」

 

 漆黒の瞳に、微かな悦楽を感じる。

 吊り上がった広角は、まるで悪魔の様で。

 次の瞬間、反応する程不可能な速さで妖精が脇腹を切り裂いた。

 いいや、違う……出血が多過ぎて、意識が弱り始めてる。

 防げれた攻撃を防げなかったか。

 

「ご、ぶっ……深い、な」

 

 内臓に傷が入ったか、血反吐が腹から込み上げてくる。

 身体の中心に迫る程の斬撃……それに加え、妖精が傷を切り裂きながら拡がらせる。

 圧迫しても出血が止まる気配はない、無理矢理縫った胸の傷も開き始めた。

 この身体で出来ること……この剣ではガリオンを切り裂くのは不可能だ、万全の彼奴に近付くなど不可能に等しい。

 

「さて……まだ余興は始まったばかりだ。存分に楽しもうじゃないか」

 

 そう言ったガリオンが、紙切れを三つほど出した。

 そしてその紙切れが光となって消えた瞬間、ガリオンの背後に三つの卵が現れる。

 いや、あれは……卵と呼べる物なのか? 

 目が生えて、腕が生えて……あれはなんだ、嘴か? 

 

「それは、一体……」

 

「幻想体さ、お前も識っているだろう? 司書の肉体は彼らの存在によって構築されていてな、彼らから力も借りることができるのだよ。そして……この様な芸当もできる」

 

 そう言いながら、ガリオンがもう二枚ほど紙切れを出し、それが光になった瞬間だった。

 ガリオンの背に翼と呼ぶには悍ましい何かが生え、背後には外郭に巣食う様な巨大な怪物が顕現した。

 巨大な瞳が私を凝視し、黒い翼に生えた夥しい数の眼が私を監視する。

 

「……は、ぁ?」

 

 何が起きたか分からず、素っ頓狂な声を漏らしてしまう。

 私の意識が鈍り過ぎたせいか、幻覚でも見ているのか? 

 いや、そうだ、幻覚の筈だ、これは幻覚なのだ。

 幻覚じゃなければ、あんな化け物が一瞬にして現れる訳がない。

 

「……ッ!!」

 

 怪物が腕を上げ、振り下ろしてくる。

 人一人など簡単に叩き潰せれる肌の巨大な手。

 幻覚だと信じたのに、私は反射的に黒い波を展開する。

 そして、黒い波を通して凶悪な質量を感じた。

 

「ぐ、ゔッ……お、もい……!!」

 

「善く防いだね、然れども此れは止めれないさ」

 

 ガリオンが嗤った直後、私の腕を妖精が切り裂く。

 痛みに堪えはするが、黒い波が揺らいで怪物の手が迫って来た。

 人の身体では耐えるのが不可能な重圧が、私を念入りに押し潰す為に一際強く乗し掛かる。

 嫌な音が、足から響いた。

 

「がぁ、ぐ、ぅぅぅ……ッ!!」

 

 折れた骨が肉と服を破いて突き出てくる。

 血が噴水のように吹き、耐えられず私は折れた方の足で膝を突いた。

 腕を切り落とされた痛みも耐え難いが、骨が露出する程の痛みは想像を絶する。

 漏らした事のない悶絶の悲鳴が、私の口から漏れ出ていた。

 

「お前が痛みに声を漏らすとは……中々視られない光景だねぇ?」

 

 悪辣なる狂笑を浮かべたガリオンは、ゆったりとした足取りで向かってくる。

 もう私が何も出来ない無力な人間とでも思っているのだろう。

 あぁ、その通りだ……正直言って、私に成せる抵抗はもう何もない。

 残されてるのは悪足掻きぐらいか……いいや、してもないのに何故諦める。

 ここで諦めたら、私の愛する子はどうなってしまう。

 私が護るんだ、私が護らねばならないんだ。

 

「柱、よ……」

 

「……微笑ましい足掻きだな」

 

 微弱で細い柱は、私の腕と共に妖精で粉々にされた。

 肘より下の腕が、消えた。

 

「は、ぁ……もう、何も……」

 

「何も残って無いな、お前は護るべきものすら護れなかった。刃毀れした刃すら握れないお前に、果たして何が成せる?」

 

「……何も、成せないさ」

 

 私は、お前の様に狂っていないから。

 痛みを笑って受け入れられないし、血が出過ぎれば動く事も出来ない。

 お前の様に狂っていないから、狂った振りをしてるだけだから。

 結局、この力は護るべき物を奪う力でしかないのだな。

 

『……もういいんだよ、エーイーリー。もう、私のために苦しまないで』

 

『これ以上苦しむあなたを見たくないから……もう、二人で逃げよう?』

 

「……私、は……お前を、護れて……な、い。逃げれ、ない」

 

 聞こえてきた愛する者の声に、答える。

 声を振り絞って、答える。

 

『なんで私のためにそこまで背負ってくれるの? どうしてそんなに傷ついてまで、私を守ろうとするの? そんなに傷ついてまで……そんなの、私は望んでいない!!』

 

「は、は……利己的な、子……結局は、私の意志……お前が、望んでなくとも……私がやりたい、だけだ」

 

『……そんな利他的なこと、全部捨ててよ!! もう私を護らないで、私があなたを護るから!!』

 

 だから、利己的になれと。

 お前は、私に命じた。

 

「……あぁ、疲れたな。カルメン……結局は、お前の言う通りだった」

 

 結局私は、あの子の心を傷つけただけだった。

 私のせいであの子は苦しむ道に進もうとしてる。

 もう見守ることすら出来ないのに……。

 

『いいえ、違うわ』

 

『これはあの子が切に望んだこと』

 

『あの子が初めて利他的に出せた、唯一の答え』

 

『愛する子の行為を頭ごなしに否定するなんて、ただの醜い我儘よ』

 

 そうか、そうなのか。

 これはあの子が切に望んだ事なのか。

 私を護りたいと、私に利己的であれと。

 その全てが、あの子の自己犠牲で成り立つ物じゃないのなら。

 あの子が苦しまないのならば、あの子が出せた只一つの答えならば。

 

「……私を、助けてくれ。エーイーリー……」

 

 二人の手を、私は取った。

 

 光の行方で、汝は目を醒まし。

 この花と共に、自然へ旅立たんことを、私は望む。

 

 涙を流す我らの代わりに歩む者はいない。

 己の自我に成り代わる偽善者はいない。

 この世に生まれた種ならば、己の耀きで狂い咲かねばならぬ。

 

 嘘を立て、真実を砕く。

 憧れを偽り、虚像を浮かべる。

 その逃避を繰り返し、我々は気付いた。

 苦痛は救いなどではなく、愛は慰めでしかないと。

 

 例え我が身が砕けようとも。

 灰色に塗られた天国にて我らは愛される。

 苦痛に愛され、愛に愛され。

 生きた故に、愛憎に溢れた。

 

 肉が捩れる。

 意志は捻れ、災禍が目を醒ます。

 その果てに私は、漸く苦痛を愛した。

 

 ……嗚呼、然れども私たちは苦痛を捨て去る。

 私たちの為に、愛する私たちの為に。

 私たちの為に、翼は羽撃く。

 私と共に生まれた花と共に、外へと飛び立たんことを。

 

「……私たちは、望む」

 

「……御出でご覧なさい」

 

 私と、愛する子と共に。




接待
愚鈍なる少女たち
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