血が飛び散る。
黒い羽根が舞い、妖精が全てを切り裂く。
ねじれた少女は勇者のように、終末を奏でる怪鳥と死闘を繰り広げ。
ねじれた調律者は、調律者で在った者と死戦を創り上げていた。
ねじれとなった愚鈍なる少女たち。
『ありのままの姿』として顕現した黒金の片翼は、少女たちを天高く飛翔させる。
「……美しいな」
黒い女、ビナーは笑みを浮かべる。
何を思って美しいと思ったのか、常人の我々では尺測れるものではない。
異形と成って理性を失い、黒い涙を零し続ける少女たちの何が美しいのか、常人には決して理解できない。
漆黒の瞳には、確かな喜悦が孕んでいた。
「エーイーリー、お前は昔から私を真似ていたな。果たして其の行為に如何なる意味を持っていたんだい?」
「私、私は、私は、あの子を護る……護らなきゃ、この力は意味を成さない、私の意志で、利己的な意志で護らなければ……」
「言葉も通じないか、憐れだな」
嘲謔と愉悦。
その感情を感じ取り、ねじれた調律者が怒りのままに腕を払う。
直後、背後から現れた妖精たちがビナーに向かって刃を向けた。
ビナーの放つ妖精とは違う、均等の取れていないねじれた刃。
その全てがビナーの肉を食まんと直撃……することはなく。
ねじれた刃は、ビナーの前方に巨大な腕を出し、盾となった終末鳥の肉を食んでいた。
「利口な子よ、無理はしないように」
終末鳥の腕を優しく摩って慰撫すると、ビナーも妖精を放ち、同時に鎖も地を這った。
ねじれた調律者が放つ妖精よりも速く、鋭く。
標的を変えることなく突き進んだ妖精は、割って入ってきたねじれた少女の翼によって防がれた。
しかしかな、それすらも読んでいたからこそ、ビナーは鎖を這わせていたのだ。
少女の足に鎖が纏わりつき、動きを封じる。
「潰せ」
命じ、受け入れ。
終末鳥が力一杯腕を振り上げ、下ろす。
まとめて肉の塊とせんと襲いかかる凶爪を、調律者は黒い波を創り上げて少女を護った。
空気の層すら破る轟音と、視界を奪う砂煙。
ただこの状況で分かることは、ねじれと化したあの二人がこの程度で死ぬはずがないという事実。
黒金の耀きが、狂い咲く。
「……随分と手荒いね」
空間すらを捻じ曲げて放たれた衝撃波は、平坦だった地面に大きな窪みを作り上げた。
無論、その衝撃波を間近で受けた終末鳥が無事な訳がなく。
人を簡単に潰される巨大な片腕は、線で区切られたかのように消えていた。
「無理を強いるが、少し耐えてお呉れ。お前にはまだ手を貸して貰わなければならないが故」
もう一度、終末鳥の腕を優しく摩り、ビナーは言う。
彼女の意思に応えたのか定かではないが、終末鳥の大きな目がほんの少しばかり煌めいたかのように輝いた。
直後、砂埃を切り払いながら少女が飛び出てくる。
片翼を大きく広げ、目に映る全てに斬りかからんと、母の形見であった剣を振り回す。
己の片割れを護るために。
片割れを奪わんとする者を斬り刻むために。
その剣の矛先は、ビナーに向けられていた。
妖精で迎撃する素振りも見せず、黒波を出す気配もない。
ただ、ビナーは鎮座した。
そして。
「な、剣、が……っ!?」
「成る程……他人の自我を借りるのは、此の様な感覚なのか」
夥しい数の目が生えた黒い剣が、少女の剣を弾いていた。
黄昏がビナーを包み、護る。
それは終末鳥の自我であり、意志であり。
少女が調律者を護るように、終末鳥もまたビナーを護っていた。
「エー、イーリー!! 手を出すな、私の愛する子を傷付けるなぁッ!!」
「お前には興が湧かないよ、愚かな子よ」
ねじれた柱を放ってくる調律者に対し、ビナーは飽きたと言わんばかりに容易く攻撃を叩き落とす。
お前は後だと言わんばかりに調律者を妖精で牽制し、少女の元へと距離を詰める。
「やめろ、近寄るな、その子を傷付けないでくれッ!!!」
少女を傷付けられまいと、調律者は黒い涙を流しながら大量の線を放つ。
その全てはビナーに集中したものであり、全力で防がなければ止めきれない物。
しかし、間近にまで迫った少女の剣は、既にビナーに降りかからんとしていた。
「云っただろう、お前には興が湧かないと」
それを見過ごす終末鳥ではない。
黒い翼から放たれた光線が、線を弾いてビナーを守ってみせた。
当然守るだけに留まらず、終末鳥の凶悪なくちばしが伸び、調律者を喰らわんと牙を立てる。
少女を護ろうとするのに必死だったのだろう、調律者の反応が僅かに遅れる。
そして少女もまた、ビナーに向けた剣を止め、調律者を護ろうと行動に移そうとしていた。
それが愚鈍なる少女たちの利点であり、欠点。
「しまっ……」
「遅いよ、幼子よ」
審判の大剣が、少女の肉を食む。
終末の怪獣が、調律者を蹂躙する。
黄昏が、少女たちの肉体を斬り刻んだ。
「足の引っ張り合いも其処まで来てしまっては、愚鈍と云わざるを得ないね」
飛ぶ力を失い失墜する少女と、力無く膝を突く調律者。
しかし、ビナーと終末鳥は緊張の糸を切らなかった。
これ程の相手が今の一撃で沈まないことを分かり切っていたから。
数多の激戦を制してきた強者だからこそ、眼前の少女たちが規格外であることを理解していたから。
少女が飛翔する。
失くしていたはずの飛ぶ力を取り戻し、少女は飛翔する。
黒金を纏ったねじれた刃が、今一度飛翔する。
黎明を切り裂く閃光が、一閃だけ煌めいた。
少女にしたように切り裂かれるビナーと終末鳥。
両者が反応できない程に研ぎ澄まされ、速過ぎる一閃が、血の霧を生み出した。
首を切り落とされた終末鳥の体が崩れ、光となる。
体を失った小さな鳥の首は、ビナーを見つめている。
心配しているのか、或いは憎悪を抱いたのか。
大きな瞳からは、感情の色を感じ取れない。
「……お疲れ様。ゆっくりお睡りなさい」
躊躇い無く、ビナーは労った。
無理をして己を護ってくれたことに感謝し、自我を貸してくれたことに感謝し。
優しく頭を慰撫し、もう一度労った。
瞳孔が開き切った鳥は、光となって消えた。
ビナーを纏う黄昏が、より一層強く煌めく。
「本当に能く働く……勤勉な子」
黄昏は、ビナーに向かってくる妖精を、ねじれた剣を。
その全てを叩き落とし、身勝手な審判を始めた。
小さなくちばしが大きくなる。
不公平な天秤が傾く。
大きな目が、全てを監視した。
気付いた頃には、少女と調律者の体には、同一の罰が刻まれていた。
胸を横一文字に切り刻んだ、罰の傷痕。
本来なら少女にだけ刻まれる筈だった烙印が、何故か調律者にも刻まれている。
愚鈍なる少女たちは、ただ困惑するしかなかった。
「ほう……お前たちの存在は一蓮托生なのだね」
既に限界を迎えていた調律者の体が、崩れる。
元より傷だらけだったエーイーリーの肉体から分離し、満身創痍の状態で戦闘を継続していたのだ。
少女の体もまた同じく限界を迎え始めている、寧ろ少女の方が先に斃れるほどに傷を負っていた。
にも関わらず少女が立てているのは何故か。
それは産まれた理由が故の業。
自ずから背負った罪禍の印。
ねじれる時、少女の傷の大半を背負ってしまったから。
助けてくれと利己的に願ったのに、利己的になり切れずに少女を護ろうとしてしまったから。
結局、力は意味を成さなかった。
「エーイー、リー……? 起きて、起きて……起きて、起きて起きて、起きてよ、目を開けてよッ!!!!」
「嫌だ、嫌だ嫌だイヤだっ!!! おねがい、一人にしないでよ!! 私のこと、独りぼっちに……しないで……」
少女が駆け寄る。
血塗れの体で、鉛のように重い体を引きずって。
力を無くして目を閉ざした片割れの体を、必死に揺すった。
助けてみせると手を引き上げたのに、利己的に己の身を案ずることしかできない、矮小で無力な存在。
結局、護るべく振るった剣は、矛先を失った。
ビナーの笑みに、狂気が宿る。
「少女よ、何故涙を流す」
「お前が望んで此処に来たのだろう、覚悟は抱いていただろう?」
慈母の如き声色に、愉悦が孕む。
「本当に醜く憐れだな。お前も、エーイーリーも……」
「嗚呼、然れども、其の崩れ逝く様が堪らなく美しい」
ビナーは……ガリオンは、幼い時から狂気に囚われていた。
都市に昇る星を見上げようと、鬱屈とした都市に夜明けが差そうと、美しいとは思えなかった。
そんな破綻者が唯一美しさを感じる時が、崩壊と破滅から抽出される感情だけ。
そのような感情が、ガリオンの胸の渇きを潤すのだ。
否、潤ってなどいない。
まだ足りない。
私の渇きは俄然干涸び続けている。
此の渇きが潤い切った瞬間など或る物か。
永劫に感じる輪廻の輪に囚われていた刻でも、決して潤ったことは無い。
渇きの様な胸の高鳴り。
心の奥底から湧き上がる喜悦。
其の先に封じ込めてしまった恐怖。
エーイーリー、お前は私を真似ていたな。
其の行為に如何な意味を持つ?
私のことを識らないお前が、果たして私に成れると思えたのだろうか?
お前はお前の儘。
私は私の儘。
身の程を弁えて過ごせば、此の様な結末は迎えなかっただろうよ。
嘗てお前は、恐怖に向き合う瞳を宿していた筈だ。
私には成せなかった其の瞳、見守っている者が漸く浮かべた瞳。
何故、お前からは其の瞳が消えてしまったのだい?
其れはお前が恐怖を飲み込んで仕舞ったから。
お前は私を真似ていたが、既に私と同じだったのだよ。
新人類と呼ぶに相応しい、都市に即わない破綻者。
残念で居た堪れない、お前の此の様を視て、つくづく想うよ。
「護れ、お前がそう決めたならば」
「其の剣は何の為に握っている?」
理性を宿さぬ者に問い掛けようと、答えは返って来ない。
其れが其の人の儘だから。
望んだ果てに得た、最も自由で在れる姿だから。
答えの代わりに返って来たのは、ねじれた刃。
もう力も籠っていない満身創痍の刃を容易く弾き飛ばし、少女は蹌踉めく。
「お前が護らねば、護るべき者は奪われるぞ」
「立ちなさい、其れがお前が望んだ儘の姿だろう?」
もう一度刃が飛んでくる。
今度は精一杯の力を込めて。
ありったけの憎悪を込めて。
喉が切れんばかりの慟哭と共に、少女は剣を振るう。
其処に『護ろうとする意志』を感じることは無く、利己的な意志しか感じ取れなかった。
「そうだ、其れで善い」
妖精が腕を斬り刻み、灰燼に還した。
少女が絶叫する。
痛みに悶え、四肢を暴れさせる。
出血も酷い、もう少女の体は持たないだろう。
現に、暴れていた肉体が鳴りを潜め、痙攣を繰り返していたから。
少女の瞳孔が、力無く開き始める。
「苦しいだろう。せめて介錯は……」
「やめ、ろ……やめて、くれ……」
止めを刺してやろうと剣を振り上げ、止め。
震える身体に鞭を打ったエーイーリーが、少女の前で手を広げていた。
立つことすら出来ない身体で、必死に少女を護ろうとしていた。
跪いて、懇願して、惨めな様だった。
「……其の行為に意味は或るのか?」
「頼む、私は殺しても、いいから……この子だけは、殺さないでくれ……」
エーイーリーが出す言葉とは思えなかった。
都市の醜さを、都市の無慈悲さを、私の残虐さを識っている女が出す言葉とは思えなかった。
如何してかな、らしくも無く疑問を抱いた。
其処に在るのがエーイーリーなのか、或いはエーイーリーの皮を被った本能の塊なのか。
「お前の選択は其れで善いのか?」
「苦しみの輪から逃れようとしたお前が、輪に留まる選択で満足するのか?」
問うた。
理性も何も無いのならば、譫言を云うだけに過ぎない。
別に気にする必要は無い、只の本能に従っている存在に過ぎぬから。
然し、何を期待してしまって在るのか、私は答えを求めてしまった。
待った果てに得た帰ってきた答え。
「この子を護れるなら……私に生きる意味を与えたこの子のためなら……」
「私は輪に留まって、この子を護り続けてみせる……」
「……それが、私の望んだ答えだ」
らしくない答えだった。
そして、もうお前も解っている筈だった。
「少女はもう、息をしていないよ」
「……知っている、そして知りたくなかった」
光になり始めた少女が動く気配は無い。
其れが死の証明であり、決して揺るがぬ烙印。
「お前は此れで善いのか?」
「構わないよ。たとえ死に別れたとしても……」
「私はあの子を、地獄から見護るよ」
「……利他的だな、お前らしくない」
嘗て識っていた者を、斬り棄てた。
♢♦︎♢
いつも通り紅茶を嗜む。
蜂蜜を淹れて、疲れた脳を癒す。
鉄の箱に閉じ込められていた時間の分、味を愉しむ。
「飲まないのかい、アンジェラ」
「私が味を感じ取れないのを分かって言っているのかしら」
「雰囲気だけでも楽しんでお呉れ、こうして話す機会も少ないが故」
蒼白の機械に向かい、促す。
紅茶を共に愉しむ者は少ないが故、此の素晴らしい味と雰囲気を識って貰いたいのだが……。
珍しい来客だ、せめて味は感じ取れなくとも、この雰囲気は楽しんで貰いたいものだ。
「一々無駄に駄弁る必要も無いわ。私は訊きに来ただけだから」
「顔見知りを斬り棄てたことについてか? 其のことについては何も思わないとも、都市では必然の事象さ」
「そして加えるならば、元とは云え調律者の本に、頭に関する情報が記載されていなかった。其のことに対する疑問を問いに来たのだろう?」
図星でも突かれたのか、アンジェラは口を噤んでいた。
例え図書館と云えど、結局は都市を照らす星に過ぎない。
都市は都市の儘であり、其の都市を照らす星で在れば、都市の意志に囚われているのに過ぎないのだから。
あの愚鈍なる少女たちを刻んだ苦しみも、都市の輪に過ぎぬ。
「何故私に顔見知りを斬った感想を問うのだい? 私は私の輪を廻すだけだ、お前ならば解り切っている筈の答えだ」
「そうね、訊くだけ野暮だったわね。あなたはそういう人間だから」
「……頭の情報が得られぬのは、其の様に規制されているからだ。我々が築いた都市の生態を崩さぬ様、決して識られてはならぬ情報だからな」
其れが都市の儘で在れる姿なのだからと、答えた。
決して知り得たかった情報では無かったのだろう、少しばかりアンジェラの表情が曇っていた。
目つきも風貌もあの男に似ているのに似つかない其の姿。
例えあの女に模された姿とて、自ずから嫌ったあの男に近付けてしまった愚かな少女。
やはり、お前はあの男の仔だよ。
「帰るわ、もう話すこともないし」
「待ちなさい、アンジェラ」
席を立ち、在るべき場所に戻ろうとしたアンジェラを止める。
まだ何か話すことでもあるのかと言いたげな顔は、明から様な嫌悪を宿していた。
「また御出でご覧なさい。他愛も無い話をしようじゃないか」
「……考えておくわ」
指の鳴る音と共に、機械は消えた。
もう一度、紅茶を啜る。
啜り、飲み干し、余韻を味わう。
「……エーイーリー、お前はココアが好きなのか」
旧き友の本に書かれた其れ。
甘味が強く刺激的な、私には余り合わぬ味。
予め司書補たちに淹れさせて作り置きさせた其れを、机の上に持ってきた。
ほんの少しばかり冷めたココアを、啜る。
「……やはりお前は、私と似ていないよ」
私と同類だった女を、思浮べた。