ある調律者の独白   作:くちばし

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10.思浮べる

 血が飛び散る。

 黒い羽根が舞い、妖精が全てを切り裂く。

 ねじれた少女は勇者のように、終末を奏でる怪鳥と死闘を繰り広げ。

 ねじれた調律者は、調律者で在った者と死戦を創り上げていた。

 ねじれとなった愚鈍なる少女たち。

『ありのままの姿』として顕現した黒金の片翼は、少女たちを天高く飛翔させる。

 

「……美しいな」

 

 黒い女、ビナーは笑みを浮かべる。

 何を思って美しいと思ったのか、常人の我々では尺測れるものではない。

 異形と成って理性を失い、黒い涙を零し続ける少女たちの何が美しいのか、常人には決して理解できない。

 漆黒の瞳には、確かな喜悦が孕んでいた。

 

「エーイーリー、お前は昔から私を真似ていたな。果たして其の行為に如何なる意味を持っていたんだい?」

 

「私、私は、私は、あの子を護る……護らなきゃ、この力は意味を成さない、私の意志で、利己的な意志で護らなければ……」

 

「言葉も通じないか、憐れだな」

 

 嘲謔と愉悦。

 その感情を感じ取り、ねじれた調律者が怒りのままに腕を払う。

 直後、背後から現れた妖精たちがビナーに向かって刃を向けた。

 ビナーの放つ妖精とは違う、均等の取れていないねじれた刃。

 その全てがビナーの肉を食まんと直撃……することはなく。

 ねじれた刃は、ビナーの前方に巨大な腕を出し、盾となった終末鳥の肉を食んでいた。

 

「利口な子よ、無理はしないように」

 

 終末鳥の腕を優しく摩って慰撫すると、ビナーも妖精を放ち、同時に鎖も地を這った。

 ねじれた調律者が放つ妖精よりも速く、鋭く。

 標的を変えることなく突き進んだ妖精は、割って入ってきたねじれた少女の翼によって防がれた。

 しかしかな、それすらも読んでいたからこそ、ビナーは鎖を這わせていたのだ。

 少女の足に鎖が纏わりつき、動きを封じる。

 

「潰せ」

 

 命じ、受け入れ。

 終末鳥が力一杯腕を振り上げ、下ろす。

 まとめて肉の塊とせんと襲いかかる凶爪を、調律者は黒い波を創り上げて少女を護った。

 空気の層すら破る轟音と、視界を奪う砂煙。

 ただこの状況で分かることは、ねじれと化したあの二人がこの程度で死ぬはずがないという事実。

 

 黒金の耀きが、狂い咲く。

 

「……随分と手荒いね」

 

 空間すらを捻じ曲げて放たれた衝撃波は、平坦だった地面に大きな窪みを作り上げた。

 無論、その衝撃波を間近で受けた終末鳥が無事な訳がなく。

 人を簡単に潰される巨大な片腕は、線で区切られたかのように消えていた。

 

「無理を強いるが、少し耐えてお呉れ。お前にはまだ手を貸して貰わなければならないが故」

 

 もう一度、終末鳥の腕を優しく摩り、ビナーは言う。

 彼女の意思に応えたのか定かではないが、終末鳥の大きな目がほんの少しばかり煌めいたかのように輝いた。

 直後、砂埃を切り払いながら少女が飛び出てくる。

 片翼を大きく広げ、目に映る全てに斬りかからんと、母の形見であった剣を振り回す。

 

 己の片割れを護るために。

 片割れを奪わんとする者を斬り刻むために。

 その剣の矛先は、ビナーに向けられていた。

 妖精で迎撃する素振りも見せず、黒波を出す気配もない。

 ただ、ビナーは鎮座した。

 

 そして。

 

「な、剣、が……っ!?」

 

「成る程……他人の自我を借りるのは、此の様な感覚なのか」

 

 夥しい数の目が生えた黒い剣が、少女の剣を弾いていた。

 黄昏がビナーを包み、護る。

 それは終末鳥の自我であり、意志であり。

 少女が調律者を護るように、終末鳥もまたビナーを護っていた。

 

「エー、イーリー!! 手を出すな、私の愛する子を傷付けるなぁッ!!」

 

「お前には興が湧かないよ、愚かな子よ」

 

 ねじれた柱を放ってくる調律者に対し、ビナーは飽きたと言わんばかりに容易く攻撃を叩き落とす。

 お前は後だと言わんばかりに調律者を妖精で牽制し、少女の元へと距離を詰める。

 

「やめろ、近寄るな、その子を傷付けないでくれッ!!!」

 

 少女を傷付けられまいと、調律者は黒い涙を流しながら大量の線を放つ。

 その全てはビナーに集中したものであり、全力で防がなければ止めきれない物。

 しかし、間近にまで迫った少女の剣は、既にビナーに降りかからんとしていた。

 

「云っただろう、お前には興が湧かないと」

 

 それを見過ごす終末鳥ではない。

 黒い翼から放たれた光線が、線を弾いてビナーを守ってみせた。

 当然守るだけに留まらず、終末鳥の凶悪なくちばしが伸び、調律者を喰らわんと牙を立てる。

 少女を護ろうとするのに必死だったのだろう、調律者の反応が僅かに遅れる。

 そして少女もまた、ビナーに向けた剣を止め、調律者を護ろうと行動に移そうとしていた。

 

 それが愚鈍なる少女たちの利点であり、欠点。

 

「しまっ……」

 

「遅いよ、幼子よ」

 

 審判の大剣が、少女の肉を食む。

 終末の怪獣が、調律者を蹂躙する。

 黄昏が、少女たちの肉体を斬り刻んだ。

 

「足の引っ張り合いも其処まで来てしまっては、愚鈍と云わざるを得ないね」

 

 飛ぶ力を失い失墜する少女と、力無く膝を突く調律者。

 しかし、ビナーと終末鳥は緊張の糸を切らなかった。

 これ程の相手が今の一撃で沈まないことを分かり切っていたから。

 数多の激戦を制してきた強者だからこそ、眼前の少女たちが規格外であることを理解していたから。

 

 少女が飛翔する。

 

 失くしていたはずの飛ぶ力を取り戻し、少女は飛翔する。

 黒金を纏ったねじれた刃が、今一度飛翔する。

 黎明を切り裂く閃光が、一閃だけ煌めいた。

 少女にしたように切り裂かれるビナーと終末鳥。

 両者が反応できない程に研ぎ澄まされ、速過ぎる一閃が、血の霧を生み出した。

 

 首を切り落とされた終末鳥の体が崩れ、光となる。

 体を失った小さな鳥の首は、ビナーを見つめている。

 心配しているのか、或いは憎悪を抱いたのか。

 大きな瞳からは、感情の色を感じ取れない。

 

「……お疲れ様。ゆっくりお睡りなさい」

 

 躊躇い無く、ビナーは労った。

 無理をして己を護ってくれたことに感謝し、自我を貸してくれたことに感謝し。

 優しく頭を慰撫し、もう一度労った。

 瞳孔が開き切った鳥は、光となって消えた。

 

 ビナーを纏う黄昏が、より一層強く煌めく。

 

「本当に能く働く……勤勉な子」

 

 黄昏は、ビナーに向かってくる妖精を、ねじれた剣を。

 その全てを叩き落とし、身勝手な審判を始めた。

 

 小さなくちばしが大きくなる。

 不公平な天秤が傾く。

 大きな目が、全てを監視した。

 

 気付いた頃には、少女と調律者の体には、同一の罰が刻まれていた。

 胸を横一文字に切り刻んだ、罰の傷痕。

 本来なら少女にだけ刻まれる筈だった烙印が、何故か調律者にも刻まれている。

 愚鈍なる少女たちは、ただ困惑するしかなかった。

 

「ほう……お前たちの存在は一蓮托生なのだね」

 

 既に限界を迎えていた調律者の体が、崩れる。

 元より傷だらけだったエーイーリーの肉体から分離し、満身創痍の状態で戦闘を継続していたのだ。

 少女の体もまた同じく限界を迎え始めている、寧ろ少女の方が先に斃れるほどに傷を負っていた。

 にも関わらず少女が立てているのは何故か。

 

 それは産まれた理由が故の業。

 自ずから背負った罪禍の印。

 ねじれる時、少女の傷の大半を背負ってしまったから。

 助けてくれと利己的に願ったのに、利己的になり切れずに少女を護ろうとしてしまったから。

 

 結局、力は意味を成さなかった。

 

「エーイー、リー……? 起きて、起きて……起きて、起きて起きて、起きてよ、目を開けてよッ!!!!」

 

「嫌だ、嫌だ嫌だイヤだっ!!! おねがい、一人にしないでよ!! 私のこと、独りぼっちに……しないで……」

 

 少女が駆け寄る。

 血塗れの体で、鉛のように重い体を引きずって。

 力を無くして目を閉ざした片割れの体を、必死に揺すった。

 助けてみせると手を引き上げたのに、利己的に己の身を案ずることしかできない、矮小で無力な存在。

 

 結局、護るべく振るった剣は、矛先を失った。

 

 ビナーの笑みに、狂気が宿る。

 

「少女よ、何故涙を流す」

 

「お前が望んで此処に来たのだろう、覚悟は抱いていただろう?」

 

 慈母の如き声色に、愉悦が孕む。

 

「本当に醜く憐れだな。お前も、エーイーリーも……」

 

「嗚呼、然れども、其の崩れ逝く様が堪らなく美しい」

 

 ビナーは……ガリオンは、幼い時から狂気に囚われていた。

 都市に昇る星を見上げようと、鬱屈とした都市に夜明けが差そうと、美しいとは思えなかった。

 そんな破綻者が唯一美しさを感じる時が、崩壊と破滅から抽出される感情だけ。

 そのような感情が、ガリオンの胸の渇きを潤すのだ。

 

 否、潤ってなどいない。

 

 まだ足りない。

 私の渇きは俄然干涸び続けている。

 此の渇きが潤い切った瞬間など或る物か。

 永劫に感じる輪廻の輪に囚われていた刻でも、決して潤ったことは無い。

 

 渇きの様な胸の高鳴り。

 心の奥底から湧き上がる喜悦。

 其の先に封じ込めてしまった恐怖。

 エーイーリー、お前は私を真似ていたな。

 其の行為に如何な意味を持つ? 

 私のことを識らないお前が、果たして私に成れると思えたのだろうか? 

 

 お前はお前の儘。

 私は私の儘。

 身の程を弁えて過ごせば、此の様な結末は迎えなかっただろうよ。

 嘗てお前は、恐怖に向き合う瞳を宿していた筈だ。

 私には成せなかった其の瞳、見守っている者が漸く浮かべた瞳。

 何故、お前からは其の瞳が消えてしまったのだい? 

 

 其れはお前が恐怖を飲み込んで仕舞ったから。

 お前は私を真似ていたが、既に私と同じだったのだよ。

 新人類と呼ぶに相応しい、都市に即わない破綻者。

 残念で居た堪れない、お前の此の様を視て、つくづく想うよ。

 

「護れ、お前がそう決めたならば」

 

「其の剣は何の為に握っている?」

 

 理性を宿さぬ者に問い掛けようと、答えは返って来ない。

 其れが其の人の儘だから。

 望んだ果てに得た、最も自由で在れる姿だから。

 

 答えの代わりに返って来たのは、ねじれた刃。

 もう力も籠っていない満身創痍の刃を容易く弾き飛ばし、少女は蹌踉めく。

 

「お前が護らねば、護るべき者は奪われるぞ」

 

「立ちなさい、其れがお前が望んだ儘の姿だろう?」

 

 もう一度刃が飛んでくる。

 今度は精一杯の力を込めて。

 ありったけの憎悪を込めて。

 喉が切れんばかりの慟哭と共に、少女は剣を振るう。

 其処に『護ろうとする意志』を感じることは無く、利己的な意志しか感じ取れなかった。

 

「そうだ、其れで善い」

 

 妖精が腕を斬り刻み、灰燼に還した。

 少女が絶叫する。

 痛みに悶え、四肢を暴れさせる。

 出血も酷い、もう少女の体は持たないだろう。

 現に、暴れていた肉体が鳴りを潜め、痙攣を繰り返していたから。

 少女の瞳孔が、力無く開き始める。

 

「苦しいだろう。せめて介錯は……」

 

「やめ、ろ……やめて、くれ……」

 

 止めを刺してやろうと剣を振り上げ、止め。

 震える身体に鞭を打ったエーイーリーが、少女の前で手を広げていた。

 立つことすら出来ない身体で、必死に少女を護ろうとしていた。

 跪いて、懇願して、惨めな様だった。

 

「……其の行為に意味は或るのか?」

 

「頼む、私は殺しても、いいから……この子だけは、殺さないでくれ……」

 

 エーイーリーが出す言葉とは思えなかった。

 都市の醜さを、都市の無慈悲さを、私の残虐さを識っている女が出す言葉とは思えなかった。

 如何してかな、らしくも無く疑問を抱いた。

 其処に在るのがエーイーリーなのか、或いはエーイーリーの皮を被った本能の塊なのか。

 

「お前の選択は其れで善いのか?」

 

「苦しみの輪から逃れようとしたお前が、輪に留まる選択で満足するのか?」

 

 問うた。

 理性も何も無いのならば、譫言を云うだけに過ぎない。

 別に気にする必要は無い、只の本能に従っている存在に過ぎぬから。

 然し、何を期待してしまって在るのか、私は答えを求めてしまった。

 

 待った果てに得た帰ってきた答え。

 

「この子を護れるなら……私に生きる意味を与えたこの子のためなら……」

 

「私は輪に留まって、この子を護り続けてみせる……」

 

「……それが、私の望んだ答えだ」

 

 らしくない答えだった。

 そして、もうお前も解っている筈だった。

 

「少女はもう、息をしていないよ」

 

「……知っている、そして知りたくなかった」

 

 光になり始めた少女が動く気配は無い。

 其れが死の証明であり、決して揺るがぬ烙印。

 

「お前は此れで善いのか?」

 

「構わないよ。たとえ死に別れたとしても……」

 

「私はあの子を、地獄から見護るよ」

 

「……利他的だな、お前らしくない」

 

 嘗て識っていた者を、斬り棄てた。

 

 

 ♢♦︎♢

 

 

 いつも通り紅茶を嗜む。

 蜂蜜を淹れて、疲れた脳を癒す。

 鉄の箱に閉じ込められていた時間の分、味を愉しむ。

 

「飲まないのかい、アンジェラ」

 

「私が味を感じ取れないのを分かって言っているのかしら」

 

「雰囲気だけでも楽しんでお呉れ、こうして話す機会も少ないが故」

 

 蒼白の機械に向かい、促す。

 紅茶を共に愉しむ者は少ないが故、此の素晴らしい味と雰囲気を識って貰いたいのだが……。

 珍しい来客だ、せめて味は感じ取れなくとも、この雰囲気は楽しんで貰いたいものだ。

 

「一々無駄に駄弁る必要も無いわ。私は訊きに来ただけだから」

 

「顔見知りを斬り棄てたことについてか? 其のことについては何も思わないとも、都市では必然の事象さ」

 

「そして加えるならば、元とは云え調律者の本に、頭に関する情報が記載されていなかった。其のことに対する疑問を問いに来たのだろう?」

 

 図星でも突かれたのか、アンジェラは口を噤んでいた。

 例え図書館と云えど、結局は都市を照らす星に過ぎない。

 都市は都市の儘であり、其の都市を照らす星で在れば、都市の意志に囚われているのに過ぎないのだから。

 あの愚鈍なる少女たちを刻んだ苦しみも、都市の輪に過ぎぬ。

 

「何故私に顔見知りを斬った感想を問うのだい? 私は私の輪を廻すだけだ、お前ならば解り切っている筈の答えだ」

 

「そうね、訊くだけ野暮だったわね。あなたはそういう人間だから」

 

「……頭の情報が得られぬのは、其の様に規制されているからだ。我々が築いた都市の生態を崩さぬ様、決して識られてはならぬ情報だからな」

 

 其れが都市の儘で在れる姿なのだからと、答えた。

 決して知り得たかった情報では無かったのだろう、少しばかりアンジェラの表情が曇っていた。

 目つきも風貌もあの男に似ているのに似つかない其の姿。

 例えあの女に模された姿とて、自ずから嫌ったあの男に近付けてしまった愚かな少女。

 

 やはり、お前はあの男の仔だよ。

 

「帰るわ、もう話すこともないし」

 

「待ちなさい、アンジェラ」

 

 席を立ち、在るべき場所に戻ろうとしたアンジェラを止める。

 まだ何か話すことでもあるのかと言いたげな顔は、明から様な嫌悪を宿していた。

 

「また御出でご覧なさい。他愛も無い話をしようじゃないか」

 

「……考えておくわ」

 

 指の鳴る音と共に、機械は消えた。

 

 もう一度、紅茶を啜る。

 啜り、飲み干し、余韻を味わう。

 

「……エーイーリー、お前はココアが好きなのか」

 

 旧き友の本に書かれた其れ。

 甘味が強く刺激的な、私には余り合わぬ味。

 予め司書補たちに淹れさせて作り置きさせた其れを、机の上に持ってきた。

 

 ほんの少しばかり冷めたココアを、啜る。

 

「……やはりお前は、私と似ていないよ」

 

 私と同類だった女を、思浮べた。

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