ある調律者の独白   作:くちばし

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一幕.調律者エーイーリー
1.肉の味


 お前たちは肉の味を識っているか? 

 肉とは生物の筋組織を総じて呼ぶ単語であり、肉にも数多の種類がある。

 鼠、牛、豚、鶏、猪、鹿……そして、人もまた例外ではない。

 

 動物によって肉の味は変わり、また肉の部位によっても食感が変わり、果てには根本の生き方から変わるのだ。

 正しく千差万別、同じ味など決して存在せず、故に肉を纏めただけの本でも山を作れてしまう。

 

 さて、本題に戻ろうか。

 肉の味と言っても、大抵は皆知っていると答えるだろう。

 無論私も知っているとも、人間である以上一度は喰らうことがある食物なのだからな。

 

 では、お前たちは肉の味を識っているか? 

 いや、識らぬだろうよ。

 全ての肉の味を識り尽くすなど、例え私であろうと万里の道を歩むのに等しい。

 この世に存在する生物の肉を全て喰らわねば、肉の味を識っているとは言えなのだからな。

 

 私たちは肉の味を知っている、しかし肉の味は識らない。

 この都市に住む生物の肉を全て喰ろうて、外殻に住む化生も喰らわねば、肉の味を識ることはできないのだ。

 

 今の私の力では生憎とそれは叶わない、否、今それをやれるほどの暇がない。

 暇がない故、私はこの夢想を叶えることができぬ。

 だから今は……。

 

「サンドイッチサンド……これまた変わった一興よ」

 

 取り敢えず、知っている味をもっと識るのみさ。

 やはりハムハムパンパンのパン生地は素晴らしいものだ……この変わらぬ柔らかさが、この老舗を支え続けてるのだろう。

 野菜も肉も拘り抜いている、特に肉の調達にはかなり苦労しただろう。

 

 何故なら、この肉には過度な心労が加わってないのだから。

 本来ならば食糧を無尽蔵に保つため、K社の再生アンプルを使った生産工場から肉を仕入れる筈だ。

 しかしこの肉には、その工場で生み出された肉特有の硬さがない。

 心労故に生まれた肉の硬さは不愉快な歯応えがあるが、この肉にはその心労も、果てには肉体の負荷すらないのだよ。

 

「そこの主人や、今暇を持て余してるかい」

 

「はい、追加のご注文でしょうかお客様」

 

「いや注文ではない。少し尋ねたいことがあってな……この肉、農村から仕入れたものかい?」

 

「え……どうして分かったんですか?」

 

「拘り、愛が籠っていると感じたからさ」

 

 主人の反応を視るに、やはりそうなのだろう。

 肥えた舌故、味の万別は得意でな。

 翼に仕える以上、金も使え切れぬほどには湯水の様に溢れ返る。

 その金の使い道は、私の胃袋を満たすことしかできないのでな。

 

「やはり主人が作るサンドは旨い。また来るよ」

 

「はは、ありがたいお言葉です。またのお越しをお待ちしております!」

 

 挨拶も、例え上っ面だとしても心地が良いものだ。

 さて、次の店は……そう、パジョンだ、パジョンを食べに行く予定だったな。

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 都市に生きる者は幸せと仕合わせを求める。

 互いを知り尽くし、結ばれた先に産まれる幸せと、己を信じて突き進む仕合わせ。

 幸せの基準は人それぞれだろう。

 私のように好きな物を食べ、好きな物を飲み、胃袋を満たすのが至福の者もいれば、億万長者になるのが至福だと言う者もいる。

 

 都市では金が全てだ、金さえあれば命も人権も買える。

 命と人権を買えば、漸く地位を買うことができる。

 金が無ければ、裏路地で灰燼の様に肉すら残らないだろうさ。

 金が無ければ、命があっても人は灰なのだから。

 

「頼むよぉ、あと少し金があれば事業を成功させれるんだよぉ〜!!」

 

「そう言ってどんだけ俺の金吸い取ってんだクソ野郎!! お前のせいでこっちもカツカツなんだぞ!!」

 

 酒の場では、この様な憐れな場に出会す。

 酒とは人の心をあるべき姿に露呈させる薬だ。

 良薬は口に苦しと言うが、酒の場合だと劇薬に成り得るだろう。

 

 怒号と慟哭が飛び交う空間だが、私はそれを愛おしく想うのだ。

 この騒がしさと煩わしさが、都市の人が感情を魅せる数少ない場所だからこそ、堪らなく愛おしい。

 

 都市の人とは歯車であり、歯車故に感情を魅せることはない。

 歯車に自我など要らず、心も要らない。

 皆何かに畏れて、そうやって自分を殺していくのさ。

 

「……やはりマッコリ、マッコリは全てに逢うな」

 

 然し酒の場では、殺した自我がこうやって息を吹き返す。

 感情の激動が人の心を刺激し、普段齎すことのない感覚が、我々の心臓を高鳴らせてくれる。

 そういう瞬間こそ、生きているって奴だと思わないかい? 

 そうやって感情を吐き散らしてこそ、仕合わせは来たる……そう思うだろう? 

 

 まあ、そういう幸せと仕合わせは肌で感じておくとしようか。

 今は味を識る、それだけさ。

 

 それにしても此処のパジョンはやはり旨い、麦生地のほんのり薫る甘みも良いが、何より野菜の肉厚な甘さだろうな。

 醤油もこの甘さに拍車を掛ける……マッコリに逢う、逢い過ぎるのだよ。

 一つ仰いで……喉に通るこの清々しさが、酒の素晴らしさよ。

 

「ふふ……もう少し贅沢をしようか」

 

 そう独白を吐き出した瞬間だった。

 先の言い争いの他、また別の言い争いが生まれた。

 声を聴くに男と女……声色からして、相当慣れ親しんでるな。

 

 目を向けると、男と女はどちらも黒い服を着ていて、女は都市では目立つ美しい髪を持っていた。

 白、いや銀か、或いはその両方か。

 男は相当どやされてる様だな、あれは将来尻に敷かれるだろうに。

 ある程度声が収まった頃か、男が溜まった息を吐きながら口を開く。

 

「……ここ、そんな好きじゃないのか?」

 

「普通はお昼食べに行くからって、寒い裏路地を1時間も歩いてボロい居酒屋に来たりしませんよ」

 

 そりゃどやされるだろうに、相当の間抜けと視た。

 然もあの男、何かを企んでいるな。

 あの目の奥底にある震え、後ろめたさは、恐らく何か重大なことをしでかしたに違いないだろう。

 女は……心底、信頼している様だ。

 

 程なくして、二人の元にパジョンとマッコリが届いた。

 最初は不服そうな顔をしていた女だが、やはり旨い物を前にすれば、人は皆笑みを浮かべる。

 そうだ、旨いだろう此処のパジョンは。

 マッコリと合わせると素晴らしいのだよ、男も通なものだ、お前とは好い話が出来そうだよ。

 

 その二人の様子を視ながら、私はマッコリを仰ぐ。

 何せ人の感情を視ながら仰ぐ酒は至高でな、その時の感情に合わせた酒を呑めばそれはもう素晴らしい肴になるのさ。

 そうして一本、マッコリを空けた。

 

(……昨日の夜に来るつもりだったが、昼に仰ぐ酒も中々好い。今は残業に感謝を捧げよう)

 

 追加の酒を頼もう、そうしよう。

 この程度では足りぬ、私の渇きを潤わせてはくれぬ。

 欲を言うならば、二升は飲み干してやろうぞ。

 よし決めた、頼む。

 この疲れた体を、酒で癒してやる。

 

 然し、挙げようとした手は時を止めた様に止まった。

 何故ならば、目の前にあった感情の激動が終わりを迎えていたから。

 

「時間無いから、一言だけでもお願いしますよ」

 

「分かった! 分かったよ! 実は……」

 

 ……全く、労働はいつも至福を邪魔してくれるな。

 さっさと消えて仕舞えば良い物を……。

 

「好きです」

 

「……今何て?」

 

 ……ほう、そう来たか。

 

「あなたは、どうです?」

 

「……俺、もだ」

 

 素晴らしい、良くぞ言ってのけた。

 やれば出来るではないか。

 今は二人だけの時間で、二人だけの幸せで、そして仕合わせさ……これを乱す権利など、何人にあろうと私が否定してやろう。

 

「チャスミルを一つ、味はストロベリーを頼もう」

 

 お前たちの幸せを、密かに祝福してやろうではないか。

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 満腹感というのは、時に多幸を齎し、時に苦痛を齎す。

 私は今多幸に満ちているが、明日を生きようとする者はきっと苦痛に塗れるまで腹に物を詰め込むだろう。

 多幸を得るのは余裕がある者の特権であり、余裕がない者は口に物を入れるのすら危ぶまれる。

 

 人はそうやって命の危機を感じると、理性が崩壊して本能が全てを喰らおうとするのだ。

 その中でも特異な者は、自食を始める。

 自分の肉を喰らって、生き永らえようとするのさ。

 

 私は想うのだよ、その苦しみ泣いた故に生まれた肉の味は、果たして美味なる物なのかと。

 決して美味ではないと断言できる、じゃあその逆はどうなるか。

 特に私の様な、何も苦しみを抱いていない者の肉は美味なのか。

 それを識ることが出来るのは、私の特権だろう。

 私ほど余裕な人間が他にも在ればの話だが。

 

「此処、23区では食人文化があると聴くが、主人はどう思う?」

 

「どう思うって……い、イカれてるな、って思うよ」

 

 私が今居る店は23区にある小さな店。

 23区は『グルメ通り』や『味の路地』と呼ばれる程に、食に精通している裏路地だ。

 裏路地に存在する店でありながら、味は巣で開かれた店よりも上質な物が多い。

 

 私の胃袋を満たすには丁度良い場所でな、店の者も至高の味を求めるのだから、話が合う人は多い。

 そんな23区にも黒い噂がある。

 根も葉もない噂だが、店によっては人の肉を使っている、と言う話なのだ。

 

「そうか、主人がそう思うのならそうなのだろう」

 

 主人が出したローストビーフを摘み、喰らい、語る。

 血の味は甘く、程良い弾力と仄かな脂が絶妙に舞踏を踏み合っていて……まるで、貴族の踊りの様だ、とでも言っておこう。

 

「ところで主人や、この肉は牛かい?」

 

「あぁ、農村から仕入れた牛でね。安いとこの肉なんだけど、工場産のよりも締まりが良いんだよ」

 

「確かに締まりのある肉だ、美味だよ」

 

 牛の肩と似た弾力に、それでいてこの甘みか……今まで喰った牛とは随分違うのにな。

 牛と猪とでも間違えたのかい、豚の脂のような甘みがあると言うのに。

 

「主人、これは牛ではないね」

 

 そう零せば主人の顔が固まる。

 図星と言ったところだろう、あから様に固唾を飲み始めているではないか。

 

「答えを聴こうか、主人。この肉はなんだい?」

 

 喋らせる暇は与えずに問うた。

 すると主人はどうしたのか、狂った様に笑い始めた。

 まるで即興劇でも観て込み上げた笑いを高らかと上げる様に。

 一頻り笑い終えた後、主人は肉に指を差しながら言った。

 

「はははっ!! あんた本当に鋭いなぁ、鋭くなきゃ良かったのに! それ人肉だよ、人の味はどうだった!?」

 

 私の反応を見たいのだろう。

 きっと吐き出すと思っているのか、或いは泣き喚くとでも思っているのか。

 こんなに旨い肉を吐き出す訳がないさ。

 

 それにな。

 

「分かってたさ。人肉は好く喰うからね」

 

「……は?」

 

 私はね、人肉愛好家なのさ。

 猪肉に似た甘みを持ちながら、牛の様な弾力を持ち、豚の脂と似た優しい脂を待つ。

 そんなにも旨い肉の味を、果たして忘れることが出来ようか。

 否、出来るわけがないのだよ。

 

「主人よ、私は旨そうに視えるかい?」

 

「は、え……美味そう、って……まあ、多少は……」

 

「そうかそうか、なら良かった」

 

 他人から観ても私は旨そうに視えるらしい。

 良かったよ、私自身も実は旨いんじゃないかと、鏡を視る度に感じていたのだから。

 一番喰べたいのは無論、私の憧れの人なのだが……生憎彼女はもう墓の中だ。

 墓を砕いてやって、砕けた体を引き摺り出してやろう、そして弔って喰らうてやろう。

 骨髄も全て食い尽くして、貴女をこの身に刻み込んでやる。

 

 なぁ、ガリオンや。

 お前は今、何処に在るのだい。

 

 ……無い物ねだりをしても無駄さ。

 兎に角、今は解決出来ない事は置いておくとして。

 さて、これで心置き無く、私を喰べれる。

 

「妖精よ、開け」

 

 掌を片腕に向け。

 私の片腕は、刈り取られた。

 

「な、あんた何してんだ!?」

 

「ッ……何、ただの食糧調達さ」

 

 強烈な喪失感と、灼熱に灼き尽くされんばかりの熱さ。

 そうか、これが四肢を捥がれる感覚なのだな。

 この感覚も愛おしいじゃないか、やはり食わず嫌いをするのは良くないね。

 

 ただ血が失われ過ぎるのは寛容出来んな。

 意識が遠退いてそのまま心臓を止めて終うなど、在ってはならんだろう。

 K社の再生アンプルを拝借しておいて正解だったよ。

 

「さぁ、私を調理しておくれ、主人」

 

「……あ、あんた、マジでイカれてるよ……」

 

 再生アンプルを注射する私を視て、主人は顔を恐怖に染めながらそう言った。

 何故だろうな、逢う人には何故かいつもそう言われる。

 お前は欠けていると、お前は頭がおかしいと。

 別に全てを愛し、全てを喰らおうとするのはごく普通の事ではないかい? 

 

 ガリオンよ、お前も私に対して欠けていると言ったな。

 一体何が欠けていると言うのだい、一体全体、お前はどうして『私と同類だ』と言えたんだい。

 私は、お前を同類だとは思わんよ。

 

 お前は苦痛を愛し、苦痛を尊敬した。

 他者の苦痛を見て、お前は愉悦を得れた。

 お前はそうすることしか、幸せを得られなかった。

 だけどお前は私とは違うじゃないか。

 

 私は凡ゆる物を愛して幸せを得られる。

 お前とは違い、苦痛だけでなく幸福にも愉悦と幸せを感じられるのだ、それが他者の幸せであろうとも。

 苦痛だけを愛せれるお前を、私は愛している。

 愛しているし、畏敬しているのだよ。

 

『お前は私に憧れを抱いてる様だな』

 

『私の軌跡を辿ろうとするその姿に、遣る瀬無い気持ちしか感じないな』

 

『教えてやろう。畏敬は諒解の彼方に在る感情だよ』

 

 調律者としての生を受けたあの日、お前はそう私に教えてくれた。

 ……今でも尚、お前の言葉は理解出来ない。

 一体如何して、お前をこんなにも愛し畏敬していると言うのに、お前を理解出来ないと言うのか。

 私はお前を、これ以上に無い程に理解をしていると言うのに。

 

「で、できたよ……あんたの腕のローストビーフ」

 

「……あぁ、出来たのか。ご苦労様」

 

 今は良い、次いつかお前に逢う時まで、この気持ちは秘めておくとしよう。

 目の前に出された肉を、喰らう。

 良く噛んで、味わって……。

 

「……やっぱり、私は旨いのだな」

 

 堪らなく、自分が愛おしくなった。

 

 ガリオンよ、お前も旨いのだろう。

 お前はきっと私以上に旨く、そして私よりも愛おしいのだろう。

 早くお前の墓を砕いてやる。

 

 そして腐ったお前を、喰らってやるよ。

 腐ったお前でも、きっと私よりも旨いから。

 

 今はただ、お前に愛悼を。

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