ある調律者の独白   作:くちばし

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2.生きる感触

 生きていると感じる瞬間はなんだ。

 

 夢に首輪を繋がれて曳かれ、何かに没頭している時こそが生きていると感じるか? 

 幸せの絹に身を包まれ、他人の暖かさを感じる時に自分と他人の命を実感するのかい? 

 そう思うのならそうなのだろう、お前にとって生きている瞬間がそれなら、そういう事だ。

 

 私が生きていると感じる瞬間はな、愛していると感じる時だ。

 

 お前の幸せを愛し、苦痛を愛する。

 血に塗れたその手に口づけをしてやり、お前たちに敬愛を示そう。

 お前たちの幸せを祈り、その喉元に妖精の羽根を当てがってやろう。

 そうして起きた次の幕間は真紅に溢れ、幸せも苦痛も飛び散るのだ。

 

 その瞬間こそ、何者にも変えることが出来ない、愉悦の絶頂なのだよ。

 

「お前もそう思うだろう、私がそう思うのだから違いないよ?」

 

「ふざ、けんなよ……!! 俺たちの家族を散々ミキサーのように撒き散らしてそれかよ!!」

 

「お前の讒言は聞いてないのだよ。それで、美しいと思うだろう?」

 

「このイカれクソ女が、思う訳ないだろッ!!」

 

 そうか、残念だ。

 けれど、お前のその獣のような喚きは愛おしい物だよ、もう観れぬのが残念でならないが。

 きっとこの喚きと似た咆哮が存在したとしても、お前と言う存在の喚きはもう聞けぬからな。

 

「もう良い、開け」

 

「な、ごっ」

 

 手を振って命じれば、男の首は内から『開かれる』ように切り裂けた。

 F社の『閉じられている』という概念を持った万物を、問答無用で開けることの出来る特異点を利用した物さ。

 私が畏敬した存在が良く愛用していた特異点だよ。

 

 こう語ったは良いが、生憎と特異点の詳細についてはこれしか知らなくてね。

 彼女が使っていたから独自に調べただけさ、他は何となく使い方が分かるだけ。

 元々が体の一部だったかの様に、本当に使い方が分かるだけなのだよ。

 

「さて……残りは施設の破壊か」

 

 その一端を魅せてやろうか。

 前方に向けて徹底的に破壊してやるのも良いが、全体に向けるように掌を向けた方が良く当たってくれる。

 掌の中に爆ぜんばかりの力を圧縮、収束させるのだ。

 決して力を漏らしてはならない、はち切れて割れんばかりの風船に、着実に空気を込めるように。

 

 力に呼応されたのか、建物は私を中心に大きく揺れ始めた。

 まるで吸い込まれんばかりに、此処に存在する全てが私を埋め尽くさんばかりに……。

 

「……砕けよ」

 

 そうして、掌を握った。

 人間だった肉は爆ぜて散り、薄暗かった部屋もすっかり開けてしまったではないか。

 私を中心に、今其処にあった物が全て消え去り、灰燼に帰した。

 今感じれるのは、骸の様に冷え切った夜風と、煌々と煌めく日の出が空に浮かんでいるだけだ。

 

 虚無だけが残った。

 歯車に従って動く景色のみと、都市の歯車である私だけが残った。

 私だけでは虚無だ、虚空でしかない。

 

「……淋しいな」

 

 生まれた時からそうだった。

 

 幼い時から、私は誰かに首輪を繋げて貰わなければ生きられなかった。

 私自身が考えるのを放棄していて、誰かの考えが無ければ生きていけなかったのだ。

 誰かの生きる導が私の導であり、光こそが私の導であり。

 それは今も変わらない、言うならば成り損ねた雛鳥と言うのが最も効く皮肉だろうよ。

 

 最初の生きる導であった父は、私と同じ調律者によって首を断たれた。

 母はフィクサーだったが早くして亡くなってな、父は私を親の手一つで育ててくれた。

 そんな父を私は愛していたし、亡くなった母もまた愛していた。

 時たま私の小さな体を押さえ付け、獣の様に善がったのもまた愛興さ。

 

 父と母は、私と言う小さな歯車に『エーイーリー』と言う名を授けた。

 どうにもこの名前は今でもあまり好く事が出来なくてな、少しむず痒く感じるのだ。

 私の名を呼んでくれたのは、父と母だけだったろうから。

 だから父が死んだその日、私の名を呼ぶ親愛な人はこの世から消えてしまった。

 

 父が死んだのは単純明快な理由に過ぎず、頭が定めた規則に叛いてしまったこと。

 都市では頭が頂であり、頭が都市其の物であり、頭が絶対だ。

 都市を脅かすのなら、我々頭は絶対に容赦はしない。

 例え都市に貢献した父であろうと、それは例外ではなかったよ。

 

 次の生きる導は、父を殺した調律者……ガリオンだった。

 最初こそ彼女には恐怖の念を抱き続けたが、何度も夜を越して夢から醒める度に、彼女に畏敬を示していたんだ。

 私にとって彼女は苦痛其の物であり、彼女こそが希望であり、彼女が在なければ今の私も在ない。

 

 A社に入社した当初、憧れであった彼女の前に立ったが、あれは正しく愚鈍であったな。

 早々に私の腕と脚を切り裂いた時は、本当に殺されてしまうのではないかと感じたよ。

 同じ調律者なのに、彼女と私とでは雲泥の差があったのだから。

 

『お前は何故私の前に立つ』

 

『私を敬うのなら道を開けなさい』

 

 あの冷たい瞳は今でも忘れない。

 あの時の傷みは今でも忘れない。

 今でも、あの時の刹那が狂おしく愛おしい。

 

 血を流した時に、私は確信したのだ。

 やはりこの人こそ、私の生きる導なのだと。

『エーイーリー』と名付けられた歯車は、この人を生きる導にすれば良いのだと。

 

 然し、その導も今は亡い。

 不純物の処分に向かったガリオンは、2人の処刑者と共にその地で砕けてしまったのだから。

 

 調律者と処刑者が返り討ちに遭うのは余りにも異常な故、あの時は我々も簡単には手出しが出来なかったな。

 本来、我々と言う存在は完全無欠であり、敗北など有り得ない歯車なのだから。

 

 その歯車が同時に3つも欠けたのなら、幾ら我々とて一瞬動きは止めてしまうとも。

 外郭の化け物が彼らを屠ったか、或いは我々に並び得る異常な歯車が存在し得たのか。

 そう探る事でもないだろうが。

 

「少し……少し疲れたな」

 

 最近は良く考え事に耽る。

 導を失ったが故に、私の柱が着実に脆くなっているのを感じるのだ。

 もう彼女以上の導を見つける事なんて出来ないだろうし、私が時期に壊れるのも時間の問題だろう。

 

「その時は……」

 

 その時は土に睡るとしよう。

 錆びた歯車は、この都市で要らないのだから。

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 都市とは何なのかと、私は思う。

 都市の頂に座って尚、私は都市の事が分からないのだ。

 

 都市を知るために、始めは様々な巣を歩んだ。

 色を失った巣や、翡翠に耀く巣。

 海の汐風に満ちた巣や、義体が釘に貫かれた巣。

 然れども、幾つもの巣を歩むだけでは、都市の事を理解することが出来なかった。

 

 だから次は裏路地に行った。

 巣とは違って血腥く、道の端には鴉に啄まれる骸が其処ら中に転がっていて。

 時には原型が分からぬぐらい、骨と肉が混ざり合った骸もあった。

 

 内臓を抜き取られた骸に、綺麗に卸された骸。

 巣で観ることはない光景は、確かに都市の事を少しだけ教えてくれた気がする。

 くれただけ、だ。

 

「常に歩もうとも、何も得られる物は無い」

 

 今こうして歩んでも、だ。

 裏路地の冷たい空気と人気は、やはり私には合わないとつくづく思うよ。

 人の至福や激情が全く観れないのだからな、本当に此処はつまらん場所だ。

 少しは変わろうとする者が在れば、きっと此処も変わるのだろうに……。

 

 などと悠長に思っていた刹那。

 ピアノの音が聴こえてきた。

 

「……仰々しいな」

 

 音に導かれる様に、歩む。

 

 その音は酷く不恰好だった。

 何年も弾いてはいる音だと分かる、だがこの音には才覚が微塵も無い。

 弦から出る音もまるで不協和音の様で、どうにも滑らかな音とは言い難い物だ。

 

 然し……何故だろうか、胸は躍る。

 まるで自己を必死に表すかの様に。

 ピアノの音には、確かに弾いた主が乗っていた。

 

 ピアノを弾いている者が、目に映る。

 その者は痩せこけ、老い、枯れていて。

 けれども、その目には愛おしい信念に満ち溢れ。

 私は確かに、魅了されていた。

 

「おい!! さっさと退けよ!!」

 

 男は何度も輩に殴られるが、それでも鍵盤から手は離さない。

 ピアノが男の一部かの様に……男は一心不乱に、鍵盤を叩き続けたのだ。

 だが、力の前には無力。

 椅子から蹴落とされた男が居た場所には、輩が座り込んでいた。

 

 輩が弾く音は、男と違って上品だった。

 滑らかに、華やかに、そして美しく。

 きっと才覚はある音なんだと、浄らかな音がそれを証明してくれる。

 

 胸は躍らなかった。

 輩の音には、男の様な魂が乗っていなかったから。

 ただ上っ面の音を垂れ流すだけの機械としか、私の歪んだ感性ではそうとしか感じ取れなかった。

 

(下らんな)

 

 心の中で、そう一蹴する。

 もう飽きてしまった音を聴くのも不愉快な物だ、さっさと立ち去ろうと。

 そうした瞬間、男が輩を退かしてまた椅子に座った。

 

 けれど、様子がおかしい。

 鍵盤を叩く力はピアノを壊さんとし、現に男は鍵盤に顔面を何度も叩きつけていた。

 男の眼窩に黒盤が刺さり、次には頬に白盤が刺さる。

 鍵盤は男の顔面を抉って、男の奥深くへと入り込んで、血飛沫の音を吐き出す。

 

(この違和感は……)

 

 形容し難い違和感を感じた刹那だった。

 

 男が、ねじれた。

 

 男の腕が増え、周りを囲んだ有象無象が、血飛沫を上げながら赤い音符に変わって逝く。

 人だった肉がピアノを形造り、空へ、空へと、欲望が駆け上がって行く。

 

「……はは、はははっ……!!」

 

 真なる人の姿。

 それを目の当たりにした時、私の心は酷く昂った。

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 ピアノの音色が響く。

 愛を誓っていた白い女は、解け昇る。

 それを視た黒い男は、絶叫を木霊させる。

 

 あの寂れた居酒屋で愛を誓い合った二人が、確かに別たれて、幸せが崩れていった。

 その光景が愛おしく、そして都市とはそう言う物なのだと、私は理解した。

 所詮どんな幸せを味わおうと、結局我々は都市の歯車に過ぎぬのだと。

 

 黒い男よ、何故それ程までに哀しむ。

 別れはいつか来たる物だろうよ。

 分かっていたのに、何故哀しむのだ。

 

 黒い男よ、何故そこまで怨めしく思う。

 都市とはそう言う物だろうよ。

 我々は都市を回す歯車に過ぎぬのに。

 

 黒い男よ、なぁ、黒い男よ。

 一体如何して、其処まで人を愛せれるのだ。

 

「……終わったか」

 

 慟哭の果てに、ピアニストの腕は全て切り落とされ、漸くその演奏は終わった。

 魂と心を乗せたあの音色は、私の胸に麗らかな高鳴りをくれたのに……何故、こんなにも虚しいのだろう。

 私は何故、こんなにも哀しいのだろう。

 

 自覚しない様にしていた心の殻。

 その殻に割れを見つけた時、見て視ぬ振りをした。

 

 必死に閉ざした殻の内側は、私を私垂らしめる姿。

 私を否定したくて、あの憧れた人の様になるために封じ込んだ、本当の私。

 

 そうだ、そうだった。

 

 最初から、私は何も愛していなかった。

 愛した振りをして、壊れた心を取り繕っていた。

 愛した気になって、私は恐怖を呑み込んでいた。

 

「……そうか、そうか……そう、かぁ……」

 

 私と言う少女は、もう壊れてしまっていた。

 あの日受けた恐怖で、私は死んでいた。

 尊敬した気になって、恐怖を押し潰していたんだ。

 

 私に欠けていたのは。

 欠けてしまっていたのは……。

 

『己を縛る鎖を断ち切り、恐怖と向き合う瞳は、私の好きな目だからな』

 

 ガリオン、お前はこの時を予見していたのだね。

 そうだな、ならば断ち切ろう。

 私を縛る鎖を断ち、背けた恐怖に向き合おう。

 

 そして『エーイーリー』は、産まれ堕ちるのだ。

 この都市の、新たな歯車として。

 

「……これが生きる感触、なのだな」

 

 自分らしく、自分の様に、自分のために生きる。

 

 そんな感覚に対して、やっと初めて。

 生きる感触を、得れた気がした。

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