生きていると感じる瞬間はなんだ。
夢に首輪を繋がれて曳かれ、何かに没頭している時こそが生きていると感じるか?
幸せの絹に身を包まれ、他人の暖かさを感じる時に自分と他人の命を実感するのかい?
そう思うのならそうなのだろう、お前にとって生きている瞬間がそれなら、そういう事だ。
私が生きていると感じる瞬間はな、愛していると感じる時だ。
お前の幸せを愛し、苦痛を愛する。
血に塗れたその手に口づけをしてやり、お前たちに敬愛を示そう。
お前たちの幸せを祈り、その喉元に妖精の羽根を当てがってやろう。
そうして起きた次の幕間は真紅に溢れ、幸せも苦痛も飛び散るのだ。
その瞬間こそ、何者にも変えることが出来ない、愉悦の絶頂なのだよ。
「お前もそう思うだろう、私がそう思うのだから違いないよ?」
「ふざ、けんなよ……!! 俺たちの家族を散々ミキサーのように撒き散らしてそれかよ!!」
「お前の讒言は聞いてないのだよ。それで、美しいと思うだろう?」
「このイカれクソ女が、思う訳ないだろッ!!」
そうか、残念だ。
けれど、お前のその獣のような喚きは愛おしい物だよ、もう観れぬのが残念でならないが。
きっとこの喚きと似た咆哮が存在したとしても、お前と言う存在の喚きはもう聞けぬからな。
「もう良い、開け」
「な、ごっ」
手を振って命じれば、男の首は内から『開かれる』ように切り裂けた。
F社の『閉じられている』という概念を持った万物を、問答無用で開けることの出来る特異点を利用した物さ。
私が畏敬した存在が良く愛用していた特異点だよ。
こう語ったは良いが、生憎と特異点の詳細についてはこれしか知らなくてね。
彼女が使っていたから独自に調べただけさ、他は何となく使い方が分かるだけ。
元々が体の一部だったかの様に、本当に使い方が分かるだけなのだよ。
「さて……残りは施設の破壊か」
その一端を魅せてやろうか。
前方に向けて徹底的に破壊してやるのも良いが、全体に向けるように掌を向けた方が良く当たってくれる。
掌の中に爆ぜんばかりの力を圧縮、収束させるのだ。
決して力を漏らしてはならない、はち切れて割れんばかりの風船に、着実に空気を込めるように。
力に呼応されたのか、建物は私を中心に大きく揺れ始めた。
まるで吸い込まれんばかりに、此処に存在する全てが私を埋め尽くさんばかりに……。
「……砕けよ」
そうして、掌を握った。
人間だった肉は爆ぜて散り、薄暗かった部屋もすっかり開けてしまったではないか。
私を中心に、今其処にあった物が全て消え去り、灰燼に帰した。
今感じれるのは、骸の様に冷え切った夜風と、煌々と煌めく日の出が空に浮かんでいるだけだ。
虚無だけが残った。
歯車に従って動く景色のみと、都市の歯車である私だけが残った。
私だけでは虚無だ、虚空でしかない。
「……淋しいな」
生まれた時からそうだった。
幼い時から、私は誰かに首輪を繋げて貰わなければ生きられなかった。
私自身が考えるのを放棄していて、誰かの考えが無ければ生きていけなかったのだ。
誰かの生きる導が私の導であり、光こそが私の導であり。
それは今も変わらない、言うならば成り損ねた雛鳥と言うのが最も効く皮肉だろうよ。
最初の生きる導であった父は、私と同じ調律者によって首を断たれた。
母はフィクサーだったが早くして亡くなってな、父は私を親の手一つで育ててくれた。
そんな父を私は愛していたし、亡くなった母もまた愛していた。
時たま私の小さな体を押さえ付け、獣の様に善がったのもまた愛興さ。
父と母は、私と言う小さな歯車に『エーイーリー』と言う名を授けた。
どうにもこの名前は今でもあまり好く事が出来なくてな、少しむず痒く感じるのだ。
私の名を呼んでくれたのは、父と母だけだったろうから。
だから父が死んだその日、私の名を呼ぶ親愛な人はこの世から消えてしまった。
父が死んだのは単純明快な理由に過ぎず、頭が定めた規則に叛いてしまったこと。
都市では頭が頂であり、頭が都市其の物であり、頭が絶対だ。
都市を脅かすのなら、我々頭は絶対に容赦はしない。
例え都市に貢献した父であろうと、それは例外ではなかったよ。
次の生きる導は、父を殺した調律者……ガリオンだった。
最初こそ彼女には恐怖の念を抱き続けたが、何度も夜を越して夢から醒める度に、彼女に畏敬を示していたんだ。
私にとって彼女は苦痛其の物であり、彼女こそが希望であり、彼女が在なければ今の私も在ない。
A社に入社した当初、憧れであった彼女の前に立ったが、あれは正しく愚鈍であったな。
早々に私の腕と脚を切り裂いた時は、本当に殺されてしまうのではないかと感じたよ。
同じ調律者なのに、彼女と私とでは雲泥の差があったのだから。
『お前は何故私の前に立つ』
『私を敬うのなら道を開けなさい』
あの冷たい瞳は今でも忘れない。
あの時の傷みは今でも忘れない。
今でも、あの時の刹那が狂おしく愛おしい。
血を流した時に、私は確信したのだ。
やはりこの人こそ、私の生きる導なのだと。
『エーイーリー』と名付けられた歯車は、この人を生きる導にすれば良いのだと。
然し、その導も今は亡い。
不純物の処分に向かったガリオンは、2人の処刑者と共にその地で砕けてしまったのだから。
調律者と処刑者が返り討ちに遭うのは余りにも異常な故、あの時は我々も簡単には手出しが出来なかったな。
本来、我々と言う存在は完全無欠であり、敗北など有り得ない歯車なのだから。
その歯車が同時に3つも欠けたのなら、幾ら我々とて一瞬動きは止めてしまうとも。
外郭の化け物が彼らを屠ったか、或いは我々に並び得る異常な歯車が存在し得たのか。
そう探る事でもないだろうが。
「少し……少し疲れたな」
最近は良く考え事に耽る。
導を失ったが故に、私の柱が着実に脆くなっているのを感じるのだ。
もう彼女以上の導を見つける事なんて出来ないだろうし、私が時期に壊れるのも時間の問題だろう。
「その時は……」
その時は土に睡るとしよう。
錆びた歯車は、この都市で要らないのだから。
♢♦︎♢♦︎♢
都市とは何なのかと、私は思う。
都市の頂に座って尚、私は都市の事が分からないのだ。
都市を知るために、始めは様々な巣を歩んだ。
色を失った巣や、翡翠に耀く巣。
海の汐風に満ちた巣や、義体が釘に貫かれた巣。
然れども、幾つもの巣を歩むだけでは、都市の事を理解することが出来なかった。
だから次は裏路地に行った。
巣とは違って血腥く、道の端には鴉に啄まれる骸が其処ら中に転がっていて。
時には原型が分からぬぐらい、骨と肉が混ざり合った骸もあった。
内臓を抜き取られた骸に、綺麗に卸された骸。
巣で観ることはない光景は、確かに都市の事を少しだけ教えてくれた気がする。
くれただけ、だ。
「常に歩もうとも、何も得られる物は無い」
今こうして歩んでも、だ。
裏路地の冷たい空気と人気は、やはり私には合わないとつくづく思うよ。
人の至福や激情が全く観れないのだからな、本当に此処はつまらん場所だ。
少しは変わろうとする者が在れば、きっと此処も変わるのだろうに……。
などと悠長に思っていた刹那。
ピアノの音が聴こえてきた。
「……仰々しいな」
音に導かれる様に、歩む。
その音は酷く不恰好だった。
何年も弾いてはいる音だと分かる、だがこの音には才覚が微塵も無い。
弦から出る音もまるで不協和音の様で、どうにも滑らかな音とは言い難い物だ。
然し……何故だろうか、胸は躍る。
まるで自己を必死に表すかの様に。
ピアノの音には、確かに弾いた主が乗っていた。
ピアノを弾いている者が、目に映る。
その者は痩せこけ、老い、枯れていて。
けれども、その目には愛おしい信念に満ち溢れ。
私は確かに、魅了されていた。
「おい!! さっさと退けよ!!」
男は何度も輩に殴られるが、それでも鍵盤から手は離さない。
ピアノが男の一部かの様に……男は一心不乱に、鍵盤を叩き続けたのだ。
だが、力の前には無力。
椅子から蹴落とされた男が居た場所には、輩が座り込んでいた。
輩が弾く音は、男と違って上品だった。
滑らかに、華やかに、そして美しく。
きっと才覚はある音なんだと、浄らかな音がそれを証明してくれる。
胸は躍らなかった。
輩の音には、男の様な魂が乗っていなかったから。
ただ上っ面の音を垂れ流すだけの機械としか、私の歪んだ感性ではそうとしか感じ取れなかった。
(下らんな)
心の中で、そう一蹴する。
もう飽きてしまった音を聴くのも不愉快な物だ、さっさと立ち去ろうと。
そうした瞬間、男が輩を退かしてまた椅子に座った。
けれど、様子がおかしい。
鍵盤を叩く力はピアノを壊さんとし、現に男は鍵盤に顔面を何度も叩きつけていた。
男の眼窩に黒盤が刺さり、次には頬に白盤が刺さる。
鍵盤は男の顔面を抉って、男の奥深くへと入り込んで、血飛沫の音を吐き出す。
(この違和感は……)
形容し難い違和感を感じた刹那だった。
男が、ねじれた。
男の腕が増え、周りを囲んだ有象無象が、血飛沫を上げながら赤い音符に変わって逝く。
人だった肉がピアノを形造り、空へ、空へと、欲望が駆け上がって行く。
「……はは、はははっ……!!」
真なる人の姿。
それを目の当たりにした時、私の心は酷く昂った。
♢♦︎♢♦︎♢
ピアノの音色が響く。
愛を誓っていた白い女は、解け昇る。
それを視た黒い男は、絶叫を木霊させる。
あの寂れた居酒屋で愛を誓い合った二人が、確かに別たれて、幸せが崩れていった。
その光景が愛おしく、そして都市とはそう言う物なのだと、私は理解した。
所詮どんな幸せを味わおうと、結局我々は都市の歯車に過ぎぬのだと。
黒い男よ、何故それ程までに哀しむ。
別れはいつか来たる物だろうよ。
分かっていたのに、何故哀しむのだ。
黒い男よ、何故そこまで怨めしく思う。
都市とはそう言う物だろうよ。
我々は都市を回す歯車に過ぎぬのに。
黒い男よ、なぁ、黒い男よ。
一体如何して、其処まで人を愛せれるのだ。
「……終わったか」
慟哭の果てに、ピアニストの腕は全て切り落とされ、漸くその演奏は終わった。
魂と心を乗せたあの音色は、私の胸に麗らかな高鳴りをくれたのに……何故、こんなにも虚しいのだろう。
私は何故、こんなにも哀しいのだろう。
自覚しない様にしていた心の殻。
その殻に割れを見つけた時、見て視ぬ振りをした。
必死に閉ざした殻の内側は、私を私垂らしめる姿。
私を否定したくて、あの憧れた人の様になるために封じ込んだ、本当の私。
そうだ、そうだった。
最初から、私は何も愛していなかった。
愛した振りをして、壊れた心を取り繕っていた。
愛した気になって、私は恐怖を呑み込んでいた。
「……そうか、そうか……そう、かぁ……」
私と言う少女は、もう壊れてしまっていた。
あの日受けた恐怖で、私は死んでいた。
尊敬した気になって、恐怖を押し潰していたんだ。
私に欠けていたのは。
欠けてしまっていたのは……。
『己を縛る鎖を断ち切り、恐怖と向き合う瞳は、私の好きな目だからな』
ガリオン、お前はこの時を予見していたのだね。
そうだな、ならば断ち切ろう。
私を縛る鎖を断ち、背けた恐怖に向き合おう。
そして『エーイーリー』は、産まれ堕ちるのだ。
この都市の、新たな歯車として。
「……これが生きる感触、なのだな」
自分らしく、自分の様に、自分のために生きる。
そんな感覚に対して、やっと初めて。
生きる感触を、得れた気がした。