ある調律者の独白   作:くちばし

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3.心を知る

 都市は数奇な特異点により成り立っている。

 特異点が齎す未来はどれもこれも異質であり、我々人間では到底理解の及ばぬ領域に踏み入れている。

 

 かつて煙戦争と呼ばれる、翼同士の争いが起きたのを知っているか。

 旧L社による不当な契約により、遂に痺れを切らした他の翼が戦いを申し出たのだ。

 数多の翼が入り乱れて戦争をすると言うのは、都市ではそう何度もある話ではない。

 

 そして戦をすればする程に、翼が持つ技術である『特異点』への警備は薄くなる物でな。

 旧L社の特異点……煙の根源は、この都市を支えてるとは言い難い、非常に悍ましい存在だった。

 

 大抵の者は記憶処理を受けてはいるが、私が勤めるA社はこの『特異点』の特許を管理していてな。

 忘れたくても忘れれない物なのだよ、忘れようと思えれば出来んことはないのだが。

 

 私は頭としてこの都市を見下ろし、都市の全てを識っているつもりだ。

 都市の醜い部分も識っているし、都市の美しい部分も同時に識っている。

 

 然し、都市は知らぬ。

 

 ただの歯車から観た都市を、私は知らぬのだ。

 私はただ普通の歯車ではないと知ってしまったから、都市のことを知らぬのが悔しく感じる。

 

 ピアニストが産まれた……否、都市で初めて『ねじれ』が産まれたあの日、私は初めて都市の一端を知れた。

 ただの歯車として、私は都市を知ることができた。

 何も愛せれない理由が分かったし、愛した気になろうとした理由も分かったのだ。

 

 結論から言えば、私には『自分』が欠けていた。

 

 私は私のことを、都市を最大限回すための歯車、つまり『部品』としか観れていなかった。

『自分』が欠けていると言うのを知ろうとしなかったのは、私が『部品』であることを願ったからだ。

 部品であれば傷付く痛みから逃げれると、幼少の時の体験で分かっていたから。

 

 私には無くて、ピアニストにあった物。

 私には無くて、愛を誓った二人にあった物。

 考える必要もなく、それは『自己の心』だった。

 

 だからピアニストはあんなにも一つの事に夢中になれる。

 だからあの白い女は人を愛せれるし、あの黒い男は人のために怒り、狂えれる。

 私には到底出来ない、出来る事すら有り得なかった感情の激流が、あの日に焼き付いた。

 

 決してあの音色に魅了された訳ではない、私が魅了されたのはあの『自己の心』を最大限表現する姿だ。

 ガリオンもそうだ、あれも『自己の心』に誠実だったが故、あんなにも残酷で美しかったんだ。

 私にもあれ程の心があれば……そして、人を心の底から愛せれる自己があるならば。

 

 私はきっと、都市を知る事ができる。

 私らしく生き、私らしく愛し、私らしく幸せになれる。

 

 識りたいのではない、知りたいのだ。

 生きる感触とは何か、ただそれだけを知りたい。

 

 私も生きてみたい。

 

 部品としてではなく、私自身として生きてみたい。

 ピアニストの様に、心を表現したい。

 あの二人の様に、本当の愛を刻みたい。

 ガリオンの様に、自分に素直でいたい。

 

 だから、だから……きっと、果てしなく難しいけれど。

 これからは私らしく、生きてみようと思うんだ。

 

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 

 私らしく生きてみようとは言ったが、実際何をすれば良いのか分からないのが現実だ。

 私が何をして、何をしたいのか、そんな事も分からない状況でどうすれば良いか分かる筈が無い。

 

 取り敢えず、ピアニストのあの様を参考にして、心を表現してみようと思った。

 

 私の中に在る僅かな感情を文字に、そして絵画に、不慣れながらも指で描いて魅せる。

 出来上がった物はどうにも不細工で、読み辛く、そして見難い。

 何より、心の底から指を動かせていなかったのだろう、ただ創り上げる事に必死なのが、素人目でも伝わってきた。

 

 次はあの二人の様子を思い出し、本当の愛は何かと、小説と現実を擦り合わせてみた。

 

 小説を詠むのは初めてだが……なんと表現すれば良いのだろうか、むず痒い。

 ピアニストの様に見て、聴いて、すぐ感じ取れる物では無く、我々に考えを問うて来るのだから、結果何を伝えたいのかが分からないのだ。

 

 ならばと、見てすぐ感じれるのなら、愛を育んだ物たちを視ればいい。

 然し、然しな……違いが分からんのだ。

 皆同じで、皆同じ様に手を繋ぎ、口付けをする。

 あの二人の様に、胸が熱く高鳴る様な、表現し辛い興奮を何故か感じ取れないのだ。

 まるで、それが建前で在るかの様で……。

 

「と言う訳なのだよ、主人。私の気持ちが分かるかい」

 

「嬢ちゃん……あんた凄く達観してそうな子だけど、とんでもない世間知らずじゃないか……」

 

 ブルーベリーの風味を込めたチャスミルを仰いで言えば、主人は呆れた様に答えた。

 箱入り娘、とでも言いたいのか。

 

 少なくとも『エーイーリー』は箱入り娘では無かった、確かに裕福ではあったけれど。

 人並みに外に出て、人並みに泣いて、当たり前の様に育ったと思う、父がそうしてくれたから。

 

 私は、どうなのだろう。

 

「世間知らず……そうだな、きっとそうだ」

 

「いつもの『そう思うのならそうだろう』とは言わないんだな。まぁ……都市ではそう言うもんなんだよ」

 

 主人は続けた。

 

「みんな何かに怯えてて、自分に必死なんだ。他人のことなんか気にしてられないし、人を愛せる奴はそれこそ異常だよ」

 

「異常……異常なのか?」

 

「あぁ、異常だ。人を愛せれる奴は、このクソみたいにイカれた都市じゃ長生き出来ないからな」

 

 そう主人は言い終えると、洗い物のコップに手を付け、洗い始めた。

 

 人を愛せれるのは異常、か。

 じゃあ、だからと言って私は正常なのか? 

 私にとっては人を愛せれる人こそが正常なのに、都市の人にとっては異常なのは何故だ? 

 

 私が異常だから? 

 私が都市の人として生きれていないから? 

 私と同じで、都市の人も自分の事を『部品』と思って、狭く生きていると言うのか? 

 

「主人よ、お前には都市がどう視える?」

 

 知りたかった。

 私と同じで、都市を同じ様に見ているのか。

 私にとって都市は生き物なのだ。

 

 我々頭を基準に、目でこの都市を監視し、爪で都市に現れた不純物を切り裂く。

 都市の臓器は翼で出来上がっていて、調律者、凝視者、処刑者はこの臓器を護るため、時に滅ぼすために存在して。

 巣は肉となり、裏路地は皮となる。

 そして、細かな血肉の歯車となることで、やっとこの都市に在る事を許されるのだ。

 

 都市とはそう言う物だろう、違うのか? 

 

「……俺にとっての都市は、どうしようもない理不尽を押しつけやがる、クソみたいな世界だよ。きっと、みんなそう思っている」

 

「理不尽、か?」

 

「あぁ、やっとの気持ちで幸せを得れたのに、都市は思うがままにそれを奪いやがる。クソみたいな理不尽を押し付けて……」

 

 そうか、そうなのか。

 

 この主人も、都市の人も。

 私とは違って『自己の心』を持っているのか。

 

 だからこんなにも怨めしく思えて、こんなにも悔しそうな顔ができるのか。

 私が当たり前と思っていたのは、都市の人にとっては当たり前ではなく、ただの不条理でしか無く。

 私が当たり前の様に感じていたのは、私が『部品』だと思えたから感じれていた物だったのか。

 

 少し、分かった気がする。

 都市の人には希望があるのだ。

『生きたい』と言う希望が。

 

 その希望を少しでも持てた私なら、きっと……。

 

「ありがとう、主人。不愉快な想いをさせたな」

 

「あ? いや……こちらこそ悪かったよ、最近は物騒な話ばかりだし……嬢ちゃんも気を付けろよ」

 

「ああ……ふふ、自分に必死と言って、私の身を案じてくれるのだな」

 

 きっと、人は良心を捨てていない。

 平和に暮らしたいと、心の底から思ってるのかも知れない。

 だから、他人の事は気にしない様にしてるのに、主人は私の身を案じてくれた。

 

 それが堪らなく、本当に……愛おしく思う。

 

「嬉しく思うよ、主人。お前も気を付ける様に」

 

 心の底から、微笑む事が出来た気がした。

 

 その日、私は感謝の意も込めて多めに金を出した。

 金は無駄に多くあったから、多少は楽に暮らせる様に、本当に多めに出した。

 主人は慌てて返そうとしていたが。

 私なりに、私らしく優しくなれた日なのだから、それを無碍にしないでくれと言えば、主人は飲み込んでくれた。

 

 私の心を知れた大切な日。

 私が初めて、人の心を愛した日。

 

 そして、後に空虚を味わった。

 

 主人は、胸を刺されて死んでいた。

 

 偶々店に入った私は、私が金を渡した日にいた醜い男と出会し、男は主人の胸を深々と凶器で突き刺していた。

 主人の言っていた事が良く分かった。

 

 この都市はどうしても、我々を苦しめたいのだと。

 

 それは調律者である私も、例外では無い。

 私に『部品』として生きろと強く念押ししてくる様な、胸が歪で黒い何かに満たされ。

 其れを怨みと知るのは、少し後の事だった。

 

 男の腕を裂き、私は問う。

 何故主人を殺したのか、冷たく問う。

 

 男が主人を殺したのは、私が渡した金目当ての様で。

 安全が保証された巣に居残るために金が必要だったと、見窄らしく叫んでいた。

 それを聴いた私は、制御し難い業火の如き熱さが、体の奥底から湧き上がって来るのを感じた。

 

 脚を潰す。

 逃げれぬ様に、徹底的に。

 

 残った腕を切り落とす。

 もう何も持てぬ様に、徹底的に。

 

 男は泣き喚き、私に赦しを乞うた。

 

「違うだろう、赦しを乞うのは私ではないよ」

 

 私の言葉を汲み取ったのか、生きたいと言う欲望が、男の口と体を動かす。

 もう冷たくなってしまった主人に、何度も男は謝罪の弁を述べていた。

 嗚咽に塗れようと、構う事なく。

 

 私はその様子が、酷く腹立たしく感じた。

 何せその謝罪からは、微塵も懺悔を感じないから。

 お前が生きたいと言う欲望だけが、見え透いたから。

 

 何の躊躇いも無く、首を切り落とした。

 口に入った返り血は不味かった、今まで飲み干したどんな血よりも。

 

 その日、私は知った。

 

 人の心の醜さ。

 そして、都市と言う不条理の姿を。

 

 どうしようもなく、どうしようもなく……。

 

 ────初めて、憎しみを抱いてしまった。

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