5.聲の彼方
世の中には幻聴という言葉がある。
精神状態が酷く悪化した時、自分の被害妄想によって聴くものだったり、薬物による副作用で聴こえてきたり。
都市ではそうやって何もないものに反応する人が多いんだ、精神が壊れてる人が多いから。
特に最近はそういう人が増えた、また新しく『ねじれ』と呼ばれる化け物が現れたのもあるんだろう。
けれど私は至って正常だ。
お金には余裕があるし、戦闘経験だってそれなりにあるし、多少は生きる力は身に付いてる。
この前はフィクサーとして雇用されて、仕事はまだ慣れないけどかなり熟せてはいるのが証拠だ。
頭の時の戦闘をした記憶は全くないけど、武器の避け方とか、相手の体の動かし方は何となく予測ができる。
多分、体がそういう戦闘経験を覚えているんだろう、だから迷いも無く動けれるんだ。
それなりに大きい事務所にも所属出来たし、順風満帆なスタートは切れてる筈だ。
でも、それでも……さっき言った幻聴のような何かが、ずっと頭の中で流れてるんだ。
この世のものとは思えない、美しくて優しい声。
その声は人にとって甘いことを肯定してくれて、つい従いたくなってしまいそうになりそうで。
でも、その幻聴に少しでも反応すれば何かが壊れてしまうと、正常な私は思うんだ。
無視はするようにしてる。
この都市で原因不明の何かに反応したら、絶対に良いことが起こらないのは確かだから。
「はぁ、どうしたもんかなぁ……」
「どうしたんだいエーイーリー、浮かれない顔して」
溜め息を吐いて気分を落としていたら、事務所のリーダーであるシェリダーさんに声を掛けられた。
私が町の治安維持として暴徒を鎮圧してた所に偶々出会い、私の実力を見込んでスカウトしてくれたんだ。
私が今いる事務所は、戦いを得意とするリウ協会に所属している。
その事務所の長であるシェリダーさんは2級フィクサー、それぐらい上の位置に居る人に見込まれたってことは、自信を持っていい。
「いやー、最近中々調子が入らなくって」
「スランプかい? そういう日はやっぱりあるよなぁ、まぁ俺にはないけどな!」
「冗談はよしてくださいよ、この前猫に引っ掻かれて泣き喚いてたじゃないですか」
そうやってこの前あった仕事について揶揄ったら、シェリダーさんは長め言い訳をし始めた。
やれ『切り傷が一番痛い』やら、やれ『猫は動きが早過ぎて避けれない』やら……。
こんな小物みたいな一面はあるけど、実力は本物なんだ。
この前は裏路地に発生した『ねじれ』の鎮圧に事務所総出で向かったけど、鎮圧に一番貢献したのはシェリダーさんなんだ。
本人曰くかなり高めの強化施術を施しているみたいで、その証拠に私じゃ到底敵わない身体能力を持っている。
流石に切り落としたねじれの腕を鞭みたいにぶん回して、ねじれの肉体を粉砕してたのには引いたけど……。
「ご、ごほん。とにかく、何事にも気を付けろってことだ。猫パンチにもねじれパンチにも、必ず動きの予備動作があるからな」
「あ、すいません。話聞いてなかったです」
「お……お前って小娘は〜!!」
何かといろんな言い訳を言いまくって収集がつかなくなるから、最近はもう聞き流すようにしている。
でもこんな失礼な態度とっても許してくれるんだから、この人は都市の人の中じゃとんでもないぐらい優しいんだろうなぁ。
……だけど、何事にも気を付けろってのはその通りだ。
「何事にも気を付ける……確かに、最近の特色フィクサー辺りは特に物騒ですもんね」
「特色はみんなイカれてるからな。ピアニストの一件以来、黒い沈黙は狂ったように大虐殺をしてるし、青い残響は妙な行動を繰り返してるし……」
「他にも、紫の涙や藍色の老人は、相変わらず何をしているか分からない。赤い視線に至っては危険過ぎて、大体のフィクサーは近寄るようなことはしませんからね」
フィクサーとは言うが、汚い仕事を請け負う都合上、フィクサーの中には人格に難を抱えている人も一定数いる。
特に青い残響と赤い視線辺りは良い話を本当に聞かない……聞いただけでもやってることがエゲツないんだもん。
黒い沈黙も中指を半壊させたって話を聞いて、幾らなんでも正気の沙汰じゃないと思ったし。
裏路地を支配する組織、五本指。
その名の通り、親指、人差し指、中指、薬指、小指と5つの組織は、巣の人にとっても、裏路地の人にとってもあまり関わりたくない組織なんだ。
その組織の一つである中指を半壊させる。
これは同時に、中指という一大組織を敵に回すのと同時に、多くの恨みを買うキッカケにもなるんだ。
だから、黒い沈黙は狂っているって言われてる。
「エーイーリー、お前も特色の連中みたいな、イカれたフィクサーにはならないでくれよ」
「そんな切実に言われなくても、なりませんよ。なってたまるもんですか」
私には恩を返さなければならない人がいるんだから。
人を食うようなイカれた連中になったり、人を気軽に殺すような人間には絶対にならない。
誰かを守れるような力を持って、優しい人間になる……とても難しいし、どうしようもないぐらい呆れた目標だろうけど。
「私、絶対に強くなりますから」
「……死に急がないこと、分かった?」
「もちろんです、シェリダーさん」
いずれ都市の星を沈めるように。
私が都市を照らす、太陽となってみせる。
♢♦︎♢♦︎♢
肉が捩れる。
意志は捻れ、災禍が目を醒ます。
その果てに私は、苦痛を愛した。
「……あれ、寝てた」
目を覚ます、瞼を開く。
映った天井は見慣れた事務所のもので、寝ている所はみんなが良く使ってるソファで……。
一昨日、事務所の人たちと夜明事務所の人たちで暴徒を鎮圧して……それで確か、その次の日に打ち上げをして……確か、えっと……。
クソ、殴られた頭がめちゃくちゃ痛い……あのクソアマ、また街で見つけたら絶対顔面殴ってやる……。
「起きましたか、エーイーリーさん」
「んあ、フィリップさん……? なんでここに」
「あの後お酒で潰れて、僕が介抱したんですよ。他の方は至急の任務が入られたので、そちらに向かいました」
聴き慣れた声の主はフィリップさんだった。
彼は私と同じ5級フィクサーで、夜明事務所に所属しているフィクサーだ。
そうか、フィリップさんが介抱してくれたのか……フィクサー歴的には彼の方が先輩だから、申し訳ないことをしてしまったな……。
「すいませんフィリップさん、態々事務所まで連れてきて頂いて……」
「お気になさらないでください。それより怪我の方は大丈夫ですか?」
「あぁ、派手に殴られたやつですよね……すっごく痛いですよもう、あのクソアマ絶対ぶん殴ってやりますから」
私が冗談混じりにそう言うと、フィリップさんは軽く微笑みを浮かべる。
いや、ある意味捉え方によっては失笑かな?
フィリップさんは真面目な性格だからなぁ、私みたいなのとは合わないのかもしれない。
取り敢えず眠気を覚ましたい、やっぱり眠気覚ましには出来立てのココアだよね。
棚に置いてあるティーカップを取り出して、インスタントのココアパウダーを適当に入れる。
そして湯沸かし器のお湯を入れて、粉を溶かした。
「フィリップさんもココア飲みます?」
「良いのですか? では、頂きますね」
念のため二人分作っておいたココアを1つ、フィリップさんに渡す。
軽く息をかけて冷まし、火傷に気を付けながら飲んだ。
「やっぱり寝起きのココアは堪りませんね〜……っと、そういえばフィリップさんに聴きたいことがあるんです」
「んく……はい、なんでしょうか」
「フィリップさんは、ねじれと図書館に関係があると思いますか?」
私は、そう問うた。
突如、L社の跡地に現れた図書館と呼ばれる建物。
都市全体を覆い尽くした『白夜・黒昼』と呼ばれる現象が起きた後に存在が確認された、侵入不可の迷宮。
思えば、あの現象が起きてからを境に、都市に『ねじれ』が現れるようになったと思う。
少なからずも何かしらの関連性はあると思うんだ、というか誰でも思いつくような、余りにも辻褄が合い過ぎてる関連性だし。
ツヴァイ協会とセブン協会も図書館とねじれに関する調査を進めてるようだし、いずれ全て暴けれるのは時間の問題かな。
「ねじれを目の前にしたことがないので、僕の口からは何も言えません……しかし、関連性があるか無いか、と問われると、あるようには感じます」
「やっぱりそうですか……いずれ図書館絡みの仕事も増えると思うと、この先が不安ですね」
そう言った私の言葉に対し、フィリップさんもまた『お互い大きな怪我が無ければ良いですね』と返した。
その後は無言の時間を過ごし、ココアを啜る。
何か話す言葉を探しては、啜って考えて……。
(ヤバい、気まず過ぎる)
こう、こんなことを言ってはダメだけど……フィリップさんってお淑やかで大人しい人だから、口数が少ないんだよね。
私自身も口数が少ないタイプだし……これ絶対にフィリップさんも気まずい筈だよ。
なんて、心の中でいろんな謝罪と愚痴擬きを吐き出しながらココアを啜っていたら、いつの間にかお互いにココアを飲み尽くしていた。
飲み干すタイミングも一緒か……本当に気まずい。
「それでは、僕はこれで失礼しますね」
「はい、今日はありがとうございます。フィリップさんも偶に遊びに来てくださいね」
流石に気まずかったからそう言ってしまった。
いや逆にフィリップさんにとって気まずいし、気使わせるんじゃないかな……なんて思ってたけど。
「はい、またの機会にココアも頂きますね」
フィリップさんはそう返してくれ、事務所を後にした。
……もう少しコミュニケーション能力を強くしなきゃな、私絶対にフィリップさんみたいな対応できないし。
自分のことを直すのも大事だけど、これから降り掛かる任務のことを考えると憂鬱だなぁ……。
────もう一杯、ココア飲むか。