ある調律者の独白   作:くちばし

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CS版図書館完走したので投稿です。


6.音の在処

 音、それは生きていることの証明。

 凡ゆる事象に関して常に付き纏うものであり、それは体にも心にも言えること。

 

 都市というクソみたいな世界では、体は当たり前のように弾け、血を噴き出す。

 その時に出る音は酷く不愉快で、慣れていても普通なら吐き気を催してしまうぐらいには。

 これは心にも言えることで、どうしようもない理不尽な何かと対面してしまうと、折れてしまうのだ。

 

 実際に音が鳴るわけではない、ただ、なんとなく分かるんだ、折れた時の音が。

 自分を生かしていた何かが、恐怖や絶望によって切れてしまった時に鳴る致命的な音。

 個人的な主観だが、都市にはそういう音が溢れ返っていると思う。

 

 きっとこれは私にも言えることで、私が信頼する事務所の人たちにも言えること。

 そして実際、私はその音を目の前で聴いてしまったから。

 

「……大丈夫、と聞くのは野暮ですよね、シェリダーさん」

 

「そうだな、きっとそう……」

 

 椅子に座り込んで頭を抱えたシェリダーさんは、心の中にある感情を振り払うように自慢の銀髪を掻き回した。

 私だってそうしたい、でも……組織には、いつ如何なる時でも落ち着いているべき人間が必要だ。

 

 先日、等々被害を出し始めた図書館に夜明け事務所の人たちが派遣された。

 凄腕のサルヴァドールさんが率いる事務所なら、ってみんな楽観視していて、きっといつものように仕事を終わらせてくるもんだと思っていたから。

 

 今回の結果は、正直言って心に来るものがあった。

 

「夜明け事務所はフィリップだけが生存したが、他のメンバーはそのまま本にされて実質壊滅だ。こうなるなら俺たちも無理して出向いていれば……」

 

 シェリダーさんは恨み言を吐くようにそう呟く。

 だけど『無理して』と言ったように、私たちも図書館とは別の奴らに人員を削られてしまっている。

 歯車の教団やブレーメンの音楽隊の調査に出向いていた副所長と一部のメンバーが、何をキッカケにしたかは分からないが、特色フィクサーである『青い残響』と遭遇してしまったんだ。

 

 そしてその場で何があったかは分からず、残っていたのは副所長とメンバーが惨殺された痕のみ。

 特に副所長は酷い有り様で、体の一部を楽器のように加工された後、腐敗が進んでいて原型を留めていなかった。

 

 裏路地の道端で殺された筈だろうに、まるで見せしめのように建物の中で押し花みたく死体が詰められていたから。

『青い残響』が何を企んでいるのかは分からないが、もう彼がフィクサーとして活動する気が無いのは確かなのだと、この件を通してよく分かった。

 

「クソ……俺が弱いせいだ……」

 

「……弱いとか、強いとか……そういう問題じゃないと、思います」

 

 慰めにもならない慰めを無い頭で絞っては、無責任に言う。

 きっとその場にシェリダーさんがいれば、副所長や他のメンバーは助かったかも知れない。

 仮に少しの人数が死んだとしても、救われた人はいたかもしれない。

 

 けど、もしシェリダーさんまで死んでしまったら。

 そうなったらきっとみんな殺されていたし、遺された私たちは路頭に迷っていたかもしれない。

 

「私もあなたも、分かっていた筈です……都市はこういう世界なんだって」

 

 シェリダーさんは俯いて、私の話を聞く。

 聞いているかすら分からないけど、そう言わなければ彼が壊れてしまう気がしたから。

 

「このクソみたいな都市では当たり前のように人が死ぬって……分かってたじゃないですか」

 

 何も持たず、何も持てなかった私ですら分かる。

 この都市は理不尽で形成されていて、優しい人から死んでいくんだって。

 

 なのにこの人は、都市で優しくいれてしまう。

 惨く冷酷で無ければ生きていけないこの世界で、この人は誰かを護ろうと優しくなれる。

 だから彼には長生きして欲しいと思うのだ。

 

 例えそれが、彼の望む道じゃなくても。

 

「……あぁ。そうだな、それが都市だ」

 

「なら……なら、弱くても」

 

「でも、みんなを護らない理由にはならない」

 

 強い意志をぶつけられた私は黙ってしまった。

 ああ、そうか。

 この人のやりたいことを止めるのなんて、私程度の存在では余りにも烏滸がましいんだ。

 

 私の意志が、折れてしまった音がした。

 細やかで、しかしはっきりと。

 私の意志は、この人の意志に砕かれてしまった。

 

 その日に降った雨の音。

 アスファルトに打ちつけられた水の匂いは、私たちの哀愁を包んだ。

 

 ♢♦︎♢♦︎♢

 

 肉が捩れる。

 意志は捻れ、災禍が目を醒ます。

 その果てに私は、苦痛を愛した。

 

 例え我が身が砕けようとも。

 灰色に塗られた天国にて我らは愛される。

 苦痛を愛し、苦痛に愛され。

 生きた故に、愛憎に溢れた。

 

『お前もそう思うだろう、幼子よ』

 

 黒い女は詩を詠った。

 白過ぎる世界に佇む唯一の黒。

 私と良く似ていて、似ていない女。

 私がする訳がない目をしている、黒い女。

 漆黒に染まった底無しの瞳が、人とは思えなかった。

 まるでその場にいない怪物のようで、けれど間違いなくそこに存在している未知の生命体で。

 女の纏う雰囲気に、気圧される。

 

「……あなたは、誰」

 

 剥き出しになった殺意は、決して鳴り止むことはないと私の心臓に念を押す。

 目の前に立つ存在が、今の私の生を断ち得ることなど容易いものだと、この殺意が証明してくれていた。

 

 私の問いに対し、女は目を閉ざす。

 首をゆっくりと傾げ、唸りを上げ。

 ふと空を見上げたかと思えば、顎を触った。

 

『……お前、とでも云えば良いか』

 

「私……?」

 

 前触れも無く放たれた言葉に、私の思考は止まる。

 こちらに不快感を与えてくる笑みが、私の奥底を見ようとしてくる。

 

 笑っているだろう、嗤っているだろう。

 私の戸惑う様を見て、笑っているんだろう。

 その笑みがどうしようもなく不愉快で、鬱陶しくて、目障りで……沸々と、内に宿った黒い感情が脈動した。

 

『何故そう腹を立てる。お前の問いに応えただけだろうよ』

 

「えぇ、そうですね。私の顔をしておいて、そんなふざけた答えを出すのが気に食わないんですよ。この世に同じ人間なんて存在する訳ないじゃないですか」

 

『お前がそう思うのならそうなのだろう。だが、私は紛れも無くお前だ。そしてお前もまた、私なのだよ』

 

 女の遠回し過ぎる問いに舌打ちを鳴らす。

 訳の分からない屁理屈みたいな答えが、私の神経を強く逆撫でる。

 何が言いたいという問いすら、女は軽くあしらうんだろう。

 そんな決まり文句みたいな問いをする気は全く起きず、殺した方が早いと体が結論を出した。

 

『……そうか、それがお前の答えか。やはりお前は私だ』

 

 行動にはまだ移していなかったはずだ。

 殺意も顕にはしてないし、隙を見て眼前に立つ人の皮を被った何かを殺すつもりでしかない。

 決して、筒抜けになるような行動はしていないはずだった。

 

 しかし、黒い女は私の殺意を敏感に感じ取っていた。

 

 刹那、頬に血雫が弾ける。

 生暖かい血飛沫が半身を濡らす。

 誰の血、なんて言うまでもない。

 武器を手に取ろうとしていた私の手は『解けて』切り落とされた。

 

「は、ぁ?」

 

 呆気に取られた声が漏れる。

 そして、烈火の如き喪失感が体を襲った。

 全身が震える、頭が焼けそうになる。

 あまりにも多過ぎる情報量が、意識を混濁させる。

 だが、決して気絶してはいけないと、理性がなんとか意識を取り留めていた。

 

 整理が少しついた頭で、ようやく周りの音が聞こえ始める。

 静寂だった世界が、空気を張り裂けんばかりの咆哮で壊された。

 誰の声だ、誰の声だと、ひたすらに詮索する。

 しかし詮索など意味も無く、答えは自分自身に他ならなかった。

 

「あ、あぁぁあ″ぁ″っっ!!! うで、が、うでがぁあ″っっ!!!!」

 

 痛みを紛らわすために、出す気もない言の葉が漏れに漏れる。

 無意識のうちに腕を抑えて痛みの軽減を図ろうとしているが、それも焼け石に水だ。

 胸を押し上げる吐き気が込み上げてきて、私の声はぐちゃぐちゃに壊れた。

 人が出してはならない声が、吐瀉物と共に漏れ出て落ちる。

 

「え″ぅ、お″っ、えぇぇ……っ」

 

『……ほう、随分と反応が違うなぁ?』

 

 卑しく笑う女の顔が、霞んだ視界に映った。

 私が痛みに悶える姿を見て、この女は嬉しそうに笑っているんだ。

 愉悦に浸って、いやらしく笑みを浮かべているんだ。

 ……悔しい。

 

 悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい!!!! 

 

 何もできずに死ぬなんて、絶対にあり得ない。

 私の命はお婆ちゃんに支えられて生きてこれたんだ。

 事務所のみんなのお陰で私の未来には道ができたんだ。

 それを、こんなクソみたいな女に奪われるなんて、絶対にあってはならない。

 

 あっちゃ、ダメなんだよ!!!! 

 

「おまえが、笑うなぁぁぁああっっっ!!!!」

 

 絶叫にも似た慟哭が、腹の底から湧き上がる。

 憎悪が、憤怒が、そして殺意が。

 私の身を支配して、体を突き動かした。

 

 武器も取らず、私は女に手を掲げた。

 ただ、走ろうなんてことはしていない。

 手を掲げる、たったそれだけの行動。

 最初は何をしているのかと一瞬思った。

 しかしそれが、私の体に刻まれた『頭』の使い方だったのは、この乱れた思考の中では知る由もない。

 

 さも『当たり前』かのように、眼前が耀きで溢れた。

 

 空気を伝って、いや、空間すらも切り裂いて、それは黄金色に耀く。

 空間を切り裂く音は、初めて聴くはずなのに、酷く懐かしく感じた。

 その矛先はあの黒い女の腕に向かっていて。

 女の頬に、血雫が弾ける。

 そして次の瞬間、女の半身が血塗れになった。

 

『ッ……また、この感覚か』

 

 あからさまに痛みに顔を歪めた女は、よろよろと後退りながら倒れそうになる。

 が、地に膝は突かんと、崩れそうになる体を力いっぱい理性で支えていた。

 痛みを堪えた末に出た汗が、女の頬を伝り、私の頬にも伝う。

 

 女の腕は肘から下が消え去っており、断面はなんの凹凸も存在しない、綺麗過ぎる断面だった。

 高い工房の武器でもあんな断面は作れない、にも関わらず、私は腕を振るっただけで女の腕を切り落としたんだ。

 女がしたように、私もまた同じように、切り落としたんだ。

 

『如何かな、少しは思い出したかい?』

 

「思い、出したって……ひゅぅ……なに、が……」

 

『己の過去の断片を、少しでも思い出せたかい?』

 

「そ、んな……こと……」

 

 過去の断片……過去の記憶とでも言いたいのだろうか。

 こんな状況で思い出せる訳がないだろう、腕を切り落とされてまともに思考が出来るとでも思ってるのか? 

 無理だとも、私はそんなに冷静になれる人間じゃないんだから、無理に決まっている。

 

 失血も多過ぎて意識が遠のいてきた。

 呂律も回らないし、体が酷く寒い。

 早く腕を縛って止血をしなくちゃ……あぁでも、体に力が入らないんだから止血すら無理か。

 

 え……私、死んじゃうの? 

 こんな訳の分からない場所で、訳も分からず殺されるの? 

 そっか、そうなんだ。

 人って、こんなに呆気なく死んじゃうんだ。

 

『いいや、死なんよ。少し話をしようじゃないか』

 

 私の考えていることを悟りでもしたのか、そう言いながら女は私の手を無理矢理取った。

 こんな状態だからそのまま倒れそうになるのに決まってるのに……と、思った矢先だった。

 やけに体が軽かった。

 鉛のように重かった体が、まるで羽根のように軽くなったんだ。

 

 ……いいや、違う。

 

「うで、が……!?」

 

『そう驚くでない、元より在った姿だろうよ? 若しくは……腕のない体が恋しくなったかい?』

 

 切り落とされた私の腕が、服と共に元通りになっている。

 血に塗れていた服が、まるで何事も無かったかのような状態に引き戻されてる。

 そんなバカな、なんで? 

 痛みも何もない、失血で感じていた目眩と意識の混濁すらも。

 まさか血まで元通りになった、とでも言うのか? 

 全部元に戻すなんて、それこそ特異点の力じゃなきゃ不可能な筈だ。

 

『特異点の力ではないよ。まぁまぁ、其処にお座り、気を休めなさいな』

 

「ちょ、ちょっと! さっきから勝手に話を進めないでよ!!」

 

『良いから良いから。少し気が立ってしまっているのだよ』

 

 先とは打って変わり、女の声色と表情は柔らかいものに変わっていた。

 しかし騙されない、あんなことされたら騙される訳がない。

 今度は絶対中を抜かないように、と……思いはしたが、何故か抵抗はできず、私は女の言う通り椅子に座り込んでしまった。

 ずっと緊張していたせいだろう、椅子に座った瞬間全身から力が抜けて、再び立ち上がる気力すら起きなくなった。

 

『すまないね、少し試したかったのさ。お前が本当に私と同じ存在なのか、結果としてはあまり理解を得られなかったが……』

 

「無駄に腕切られたって意味ですか、それ。ていうか、なんであなたが分からないんですか」

 

『そう悪態を突くでない。それに、お前も私の腕を切り落としただろう? それで良いじゃないか、然程気にすることではないよ』

 

「腕一本で然程って……どういう価値観してるんですか……」

 

 どうにも、この女は全く掴みどころがない。

 見るからに人間と同じ形をしていながら、やはり人間と同じように感じない。

 人の皮を被った怪物としか、私は感じ取れないんだ。

 あくまで私の価値観だが、人間と同等の知的生命体がもう一種存在するなら、私は絶対に理解を示せないと思う。

 人間と同等の価値観を持った、人間とは別の生き物。

 果たして他の人は理解を示せれるのだろうか、私が理解をしてあげられないぐらい未熟なだけなのだろうか。

 

 未熟だから、この女のことも理解できないのだろうか。

 

『たった独りの思考に耽っているのかい? 安心しろ、その疑問はいずれ紐解かれるさ』

 

「……あなたは誰なんですか。ここは一体、何処なんですか」

 

 ただ、疑問をぶつけることしかできない。

 私は頭が弱いから、他人に意志を砕かれるぐらい弱いから。

 理解を拒んだ相手に、答えを求めるぐらい情弱だから。

 意地汚く、答えを待った。

 

『私はエーイーリーと云う。この光の中で逢えたことを嬉しく思うよ、エーイーリー』

 

「……同じくエーイーリーと言います。よろしくお願いします」

 

『……ふふ、宜しく。一先ず、紅茶でも如何かな?』

 

 そして私は、私たちは。

 誰にも知られることのない茶会を、開いた。

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