最近道路の段差で跳ねるのが楽しくてしょうがありません。
「あの…野崎さん」
教室に戻ってきて早々に本を開き、背もたれに寄りかかって寛ぐ野崎に、隣の席の男子生徒が話しかけてきた。
「呼び捨てでいいよ。それで、どうしたの?」
椅子に腰掛けていつもの調子で話す野崎を見ながら、生徒は目の前の少女に質問した。
「野崎さんって…好きな漫画とかある?」
野崎は少し考えると、顔を上げて微笑み、「少し長くなるぞ」と言った。
授業を終え、昼休みが始まろうとしている。
「千鶴ちゃん、今大丈夫?」
クラスの少女が千鶴の机に手をつきながら言った。
「大丈夫だけど、どうしたの?」
「ちょっとお話ししない?」
少女は微笑みながらそう言う。
「お話し?」
「あ、別に何か酷いことしようってわけじゃなくてさ。普通に興味があるだけなんだけどさ」
慌てて弁解するのを気にせずに、千鶴は微笑みながら尋ねる。
「じゃあさ、学校案内とかってしてもらえたりする?」
少女が自信ありげに口角を上げた。
「任しといて」
男子生徒が教室の隅で話している。
「体育館空いてるしちょっと遊び行かね?」
「いいじゃん。誰か誘う?」
その様子を見ていた舞香は、最近体を動かして遊ぶ機会が無かったことを思い出し、二人の男子生徒へと近付いた。
「そうだな…」
「それなら、着いて行ってもいいか?」
後ろから声をかけられた生徒は後ろにいる、異性にしては背の高い生徒へと問いかけた。
「原田さん?いいの?」
「どうせ暇なんだから、遊んだっていいだろ?」
「そう言うなら良いけど…今から結構たくさん男子誘うよ?」
「いいさ。何するんだ?」
「バスケとかかな」
「なら、大丈夫だな。今日は妙に調子がいいんだ」
舞香は自身ありげに微笑んだ。
「野崎さん、それ何読んでるの?結構厚いけど」
隣の席の男子生徒が野崎の手元を覗き込みながら尋ねて来た。
野崎は手元の文庫本から目を離しながら、慣れた手つきで栞を挟んで閉じた。
「少し前に賞を取った小説だよ。題材が気に入ったから読み始めてみたらハマっちゃってさ」
「どんなの?」
「読む?」
「いや、いいや」
「結構面白いのに」
そう言うと野崎は本の途中に差し込んだ栞を頼りに、さっきまで読んでいたページへと目を落とした。
目を落としてはいるが、文章は読んでいない。
野崎の意識はクラスメイトへと向いていた。
このクラスは元々吉川が在籍していたクラスだ。
もしかしたら、失踪の原因や手掛かりが何処かにあるのかも知れない。
ただ、その原因がここにあるならば、それを他者に伝えていない事からも分かる通り、事件を隠そうとしている誰かが居る筈だ。
下手に嗅ぎ回って隠蔽を促してはいけない。今の所は本を読みながら、周囲の談笑に耳を傾ける事ばかりだった。
授業も終わり、皆別のルートから俵田の支部に帰って来た。
「学校を案内してもらったけど、特に怪しいところはなかったし…」
「男子達も怪しく無かったし…」
「クラスも怪しいところは無かった」
「「「収穫ナシかぁ…」」」
3人は机に突っ伏した。
「流石に1日じゃ何も出んさ。こう言うのは結構長引くからな」
音羽がインスタントのコーヒーにお湯を注ぎながらそう言う。
「長引くって…それどれ位ですか?」
「早けりゃ1日」
野崎が嫌そうな顔をする。
「長けりゃ…予算が割かれなくなるまでかな」
「それって…一体どれ位…?」
「下手すれば潜入したまま夏季オリンピックを二回見れるよ」
野崎の顔が途端に青ざめた。
「長引かなけりゃ良いな…」
「そう言えば、音羽さんは今日一日何してたんです?」
「私も君らと同じように潜入してたんだよ」
「何か怪しい所とか…気になる所ってありませんでした?」
「…少しだけなんだがね」
音羽が飲みかけのコーヒーを机に置いて立ち上がった。
「数人の目の中、瞳のところに…」
音羽が会議室のホワイトボードに、不思議な多角形を描いた。
「こんな形が見えたんだ」
台形。しかし、側面には段らしきものがあり、上には四角い形が乗っている。
千鶴が近付いて図形を覗く。
「これ何ですかね?」
「それがよく分からないんだよ。流行ってるコンタクトとかなのかも」
その時、寝ていた野崎が2人の声を聞いて目を覚ました。
「どうかしたの?」
「あ、野崎。このマーク知らない?」
千鶴はホワイトボードを見せた。
野崎は手元に置いてあったアンダーリムの眼鏡をかけた。
「これどこで見たやつ?」
「生徒の瞳のところに見えたマークだって。コンタクトとかかな?」
「一応聞くけど、心当たりとかは?」
「無いね」
「だろうと思ったよ」
野崎は暫くそのマークを凝視してから「ダメだ」と言って眉間に手を当てながらホワイトボードから離れた。
「明日も早いんで、お先に失礼します」
会議室のドアが閉じられ、またもや静寂がやって来た。
「なぁ千鶴」
「どうしたんです?」
「いや、少し思ったことがあってな」
「思ったこと?」
「今日、私たちは高校に“潜入”した訳だが」
膝の上で軽く握られていた音羽の小さな手が、布地を巻き込みながら握りしめられる。
「千鶴は、デルタ班の皆んなは…本来ならここじゃなくて、向こう側に居れたんじゃないかって…」
それを聞いた千鶴は、少しだけ俯くと、音羽へと語りかけた。
「少なくとも、私は後悔してませんよ」
そう言う千鶴は、少し哀しげな、それでいて優しい顔を浮かべている。
「私、勧誘を受けてここに来たんです」
「勧誘?」
「ええ。ちょっとしたケンカに巻き込まれちゃって、少し仲裁したら近くの職員の人に誘われたんです」
千鶴はその時のことを思い出しながら、自分の掌を見つめる。
「仲裁、か…君らしいな」
「勧誘された時は、正直イヤでしたよ。でも、ふと思ったんです」
千鶴は手を爪が食い込むほど強く握った。
「今まで幸せに生きてきた裏には、今の私達みたいな人らがいて、その人達が命を削って守ってくれたから、今まで危ない目に遭わずに済んだんだって」
昔の事を思い出しながら千鶴は続ける。
「だから私も同じ道を選びました。皆んなを、あの時の私達みたいに、幸せに過ごさせるために」
そう語る千鶴の目には、彼女の固い決意と、静かに燃え上がる闘志、そして彼女の慈愛が滲んでいた。
「本当に、君は優しいな」
音羽は自分よりも年下の少女から、自分が会ってきた班長達と同じモノを感じ取っていた。
「野崎!」
野崎は朝にしては強い日差しを受けながら目を覚ました。
部屋の入り口に千鶴と舞香が学生服のまま立っている。
「あ」
野崎は勢いよく飛び起き、制服に着替え終えて部屋を出ようとした。
しかし、急いでいたせいか、机の角に腿が当たってしまい、その拍子で机の上に放置してあった本が床に落ちた。
その表紙を見た野崎は、何かを思い出したように、その本を学生鞄に突っ込んだ。
今日もまた、昨日と同じように半日が過ぎた。
南中から少しズレた太陽光の差すなか、学校はいつも通りの賑やかさを取り戻していた。
購買には人が集り、生徒達が所々で遊んだり喋ったりしている。
潜入しているフォネティック・コーズのメンバーにとっては、この時間は情報収集に丁度よい時間だ。
皆、計画通りに動くことにした。
マンゴープリンがマイブームです