趣味以外で文を書く用事が立て込んで中々こっちが進みませんでした。
最近寒くなってきたからか布団に入っても足が冷たいです。
部屋へと戻るまでの間に、野崎は画面に無数のヒビが入ったスマートフォンを起動した。
仕事として、花を守る事になっていた期間は、既に終わっている。
野崎は痛む体で伸びをして、自室のドアへと消えていった。
自室に戻った野崎は、本棚から取り出した何冊かを机に積み、珍しくパソコンを開いて調べ物をしていた。
画面に、不気味な画面が多数映る。
『Tezcatlipoca mask』と書かれた画像を拡大した野崎が、眼鏡の奥で眉間に皺を寄せた。
「…やっぱり」
黒い黒曜石と、青緑のトルコ石が貼り付けられた髑髏の面が、記憶の中で強く反響する。
「間違いねぇ。あいつ…」
野崎が部屋を飛び出そうとした所で、ドアが恐ろしい程強いノックを受けた。
「…もみじさん?」
「全身血塗れで倒れてた割には、随分と元気そうね?」
「貴女のおかげですよ」
もみじの顔を見ると、珍しく怒りに震えている顔をしていた。
「…野崎君、何か掴んだのは分かるけど、そんなに急がなくたっていいんじゃない?」
「それがそうも行かないんですよ。まだ頭の中で組んだだけですから」
すぐに歪んで分からなくなる——そう言おうとした野崎の腕が、鋭い痛みに襲われた。
「…っ!?」
痛みから足が震え、崩れるように膝をつく。
血が集まった左腕がじんわりと熱を帯び、抑えた冷たい右手を温める。
「あ、今来たか」
そう呟いたもみじが、野崎を部屋のベッドまで担いで持って行く。
鋭い痛みは、リジェネーターの副作用に他ならなかった。
野崎の額には汗が滲み、抱えている痛みの辛さを示している。
痛みが酷いのは、今までで一番酷い怪我だったからだ。左腕一本は安くなかったと見える。
「少し寝てて」
そう言うもみじは、優しい声色をしていた。
(奴がもし神だったとして、どうするつもりなんだ?)
「出来る範囲で止めるさ。仕事だからな」
(仕事だからって言うが、誰がそれを依頼するんだ?)
「依頼だって?」
(依頼なしには動けないだろ。仕事だぜ?)
「…自分に言い負かされると、どうしようもなく腹が立つな」
掛け布団の下で、少女は自問自答を繰り返していた。
何か考えるときは、こちらの方が早く結論まで行ける…そう野崎は信じている。
ただ、実際は時間と脳のリソースを無駄遣いしているのみでしかない。
悶々とする中で、野崎の目には飾り棚の
左腕の痛みが、存在を語り続ける。
「動けばいるさ。きっとな」
「部屋に来てみたはいいけど…寝てたりするのかな?」
午後1時、千鶴は目の前のドアを見つめていた。
流石に勝手に部屋へと入るのは気が引ける。しかし、どうしても気になることがあったのだ。
野崎が倒れる寸前に呟こうとした、男の正体について。
それを知る為に、興味に近しい何かに突き動かされながらも、僅かな理性で部屋へと突入するのを躊躇っていた。
時計の針は、どれ程進んだだろうか。
意を決してドアノブを握ったところで、そのドアノブが強く捩じられた。
「わわっ!」
情けない声を上げながら手を離すと、ドアの向こうから野崎が顔を出した。
眼鏡の奥にクマのある黒い目が見える。
「何してんの?」
いつもは薄暗い部屋も、今日は何故かカーテンが開けてあり、冬の青空から降り注ぐ日差しが部屋を読書日和の明るさにしていた。
「で、何してたんだよ。俺の部屋の前で」
少し不機嫌そうに聞く野崎へと千鶴が問いかける。
「あの男の正体、分かったんでしょ?」
一瞬、野崎が動きを止めた。
それから、待っていたように本へと手をかける。
「繋がったよ。俺の中だけだけど」
そう言う野崎の本に、不気味な仮面が載っている。
「なにこれ?」
黒曜石とトルコ石の横縞が入った頭蓋骨を見せつけるように本を開きながら、指で文章をなぞる。
「テスカトリポカ、ナワトル語で煙を吐く鏡って意味がある。」
「てすか…?」
「テスカトリポカ。言い辛いよな」
野崎はそう言うと、今度はノートパソコンの画面一杯に拡大した民族的な画像を表示した。
「これが、テスカトリポカ?」
「あぁ。この通り、顔に特徴的な横線があるし、全身にはトナルポワリに基づいたシンボルがあしらわれてる」
そう話す野崎は、ふと、千鶴の反応がない事に気付く。
横目で千鶴を見た時、千鶴はついていけないといった感じに白目を剥いていた。
「ゆっくり話すか。時間はあるしな」
「おーい野崎?飯できたけど…」
舞香が部屋のドアを開けると、気絶している千鶴をよそに、野崎がパソコンで資料をまとめていた。
「…何事?」
舞香が尋ねると、野崎は凝り固まった体を伸びで解しながら、舞香の方へ向く。
「飯の時にでも話すよ」
そう言った野崎はノートパソコンを畳み、千鶴を優しく担ぎ上げて食堂へ向かった。
食堂、とは言うが、特に従業員はいない。
設備のある給湯室みたいなものだ。
その向こう側には長机が二つ程置かれており、必要に応じてくっ付けることもある。
エプロン姿の舞香が台所へと消えていくと同時に、担がれていた千鶴が目を覚ました。
「今何時!?」
「もう8時になるぜ」
そう野崎が言うと、千鶴が野崎からするりと降りる。
「…野崎、皆んなに説明してもらえる?今日教えてくれたこと」
「千鶴が気絶してる間に資料を纏めてきたよ。いつでも話せる」
眼鏡の奥の目が、いつもより黒々として見えた。
「…初めて、だったもんね」
野崎は、自分の身体中に走る痛みを噛み締める。
「初めてが心臓抉られてる
「まぁ、吐いてないだけ凄いと思うけど?」
「吐く元気もねぇよ。腕いてぇし」
そう言った野崎は、眼鏡の縁に張り付いた血を指の腹で擦る。水洗いしなければ取れないのか、落ちることはない。
「…俺も仲間入りって訳か」
そう呟くと、野崎は台所から出てきた舞香とすれ違いながら箸を取りに行った。
「野崎、どうだった?」
舞香が静かに尋ねる。
「…気負っちゃいないよ。無事でもないけど」
特に何も無い日、というのは、素晴らしく特別なものだ。
そんなこともあって、今日の舞香はやけに気合いが入っていた。
食後の眠気がやってきた辺りで、野崎は印刷してきたプリントを机の上に置く。
「これがこの前の…」
もみじがそう呟くと、舞香も皿を腕に積んだまま写真を覗き込む。
煙の中から現れる、
眼窩は真っ暗な闇に埋まり、歯は人間と異なる形をしている。
「…化け物」
そう言う舞香に、野崎は残りの食器を持ったまま囁く。
「化け物なら、いいんだけどな」
流し場へ歩いていく野崎の背中には、わずかな恐怖が滲んでいる。
食器の音を僅かに響かせながら、舞香は野崎の後を追った。
冷蔵庫に貼られた当番カレンダーには、今日の所に野崎と舞香が記されている。
食器を洗う野崎に、舞香は尋ねる。
「さっき、なんであんな事を言ったんだ?」
「ただのぼやきだ。たまにやるだろ?」
「何の意味もなくぼやく奴じゃねぇだろ。お前は」
「まぁな」
「
「…バカみてぇな仮説だよ。破綻まみれの、無茶苦茶な奴」
「お前の仮説なんていっつも破綻まみれだろ」
「違ぇねぇや」
二人は昔のように大声で笑い出す。
野崎の顔が和らぐと時を同じくして、舞香の手元もまた力が抜けた。
「あ、皿割っちまった!」
「バカお前!え〜と、び、ビニール袋取ってくる!」
時刻は9時を回っていたが、賑やかな空気が支部を包んでいた。
皆が寝静まった後、自室となっている仮眠室で、男は資料の仮面をじっと見つめていた。
机の上には、昔の戦友が笑っている。
「…もう少しすれば、本当に…」
机の中にあるグロックが透けて見えるような錯覚を覚えた弟切は、自身の利き手を眺めた。
多くの敵を殺め、人を救う。その為に鍛えられた手。
血に塗れて汚れたそれを払い、僅かに灯る豆電球から目を隠した。
「…待っててください、リコ先輩」
冬は雪の夜の明るさが好きなので好きです。