「野崎!」
珍しく声を張り上げて舞香が入ってくる。
そこに野崎の姿はない。
ご丁寧に閉められている奥の扉を、惨状を覚悟の上で開けると、そこには弟切とジョナサンが居た。
「…ジョナサン?」
「舞香ちゃん…」
「野崎はどうしたんだ!」
ジョナサンの襟を掴んで、舞香は声を荒げる。
「攫われたよ。僕の代わりになってね」
「…!」
舞香は悔しそうに唇を噛む。
「…弟切。ヘッドセットのGPSから居場所を探れない?」
千鶴が上っ面だけの冷静さを見せながら弟切に訊く。
「もうやってるさ。ここからもう10キロ以上離れたところだけどね」
「十分。車は?」
「今ユニフォームの方に応援を要請した。直ぐに着くだろうさ」
そう言ったところで、駐車場からクラクションが聞こえた。
「頼んだよ。二人とも」
「…後で、帰ってきたら色々聞かせてもらうからな」
「GPSの反応からして、国道を北東へ登って行ってるでしょうね。どうします?」
千鶴と舞香が車に乗り込むと、運転手として応援にきたタクシー運転手風の男が、機器越しに指示を待っている。
乗り込んだ二人を見ると、安全運転という言葉が恋しくなるほどの急発進をし、ガラガラの国道へと入った。
『真後ろに付くのはあまり良くないだろう。横はいけるか?』
城澤の落ち着いた声がスピーカーから響いた。
「お任せを」
そう言うと、機器越しに指示を受けた男はアクセルを勢いよく踏み込み、真夜中の国道を飛ばし始めた。
「お仲間が攫われたと聞きました。それもかなり大事な方が、と」
「班の技術者を庇ったんだ。バカだよ、あいつは」
「バカとはいえ、最善策かも知れないですよ」
フォネティック・コーズが持つ、各班の特殊技術。
それは班の特性や戦法を決める、極めて重要なものだ。
それを手掛ける技術者を失うのは、班全体、ひいてはフォネティック・コーズ全体の危機とも言える。
「…あいつ、連れ帰ってきたらぶん殴ってやる…」
舞香が、静かに呟いた。
「なぁ、こいつ…」
「ジョナサンってことにしといて」
「こいつがぁ?冗談だろ?」
「冗談じゃないよ。ちゃんと理由もあるし」
「…そうかよ」
「近づいてきました。準備を」
舞香はナイフを用意すると、サイドドアから飛び出して装甲車へ飛びついた。
「舞香!」
「さっさと行こうぜ。アジトの場所は吐かせりゃいい」
「…確かにね」
荷台の上に立った舞香は、冬の夜風に髪を靡かせながら、金属製のコンテナにナイフを突き立てる。
コンテナの材質は主に鉄板だ。普通なら、人間の力で貫通し得ない。が、しかし、舞香に限って話は別だ。
ヘッドセットで作り出した、高い強度を誇る武装と、時に恐ろしい程の力を発揮する人間。
二つが組み合わさる時、それは分厚い鉄板すら貫通し得るのだ。
「なんだァ!?」
まるでナイフで缶を開ける様に、刺し貫いた穴が次第に増えていく。
重い金属音と共に、コンテナの上を破って舞香が落ちてくる。
「野崎、いや、“ジョナサン”は何処だ!」
「言うか!」
飛びかかった雑兵の全身から血が噴き出す。
「太めの血管と内臓は外した。言えよ。ジョナサンの場所を」
「う、撃てぇ…!こんな奴、ロシアにだっている…!殺せぇ!」
そう掠れた声で叫ぶ雑兵を足蹴に、AKを構えた集団に飛び付く。
ライフルを弾き飛ばした勢いで、全身を切りつける。残り5人。
こちらに向けて撃ってくるも、全て外してしまう。弾倉交換の間も無く、前腕が使い物にならなくなる。残り4人。
銃剣を構えて突撃してきたものの、投げ飛ばされ、両掌を刺し貫かれる。
それでも屈せず蹴りかかるも、腿の腱を切られて転倒。顔を蹴り飛ばされて失神する。残り3人。
AKを乱射し、十字砲火で舞香を追い詰めようとする。しかしその弾幕は易々と通過され、AKは両断される。
やけになって殴りかかった拳を割られ、痛みに怯んだところで舞香がナイフを投げる。
胸に隠されていた拳銃に当たったことでナイフは止まったが、戦える様な精神状態ではない。残り2人。
恐れ慄く余り逃げ出そうとするも、後ろは壁。
持っていたAKを投げ捨てて、ロシア語で降伏の言葉を叫ぶ。
舞香はその2人を一瞥すると、コンテナをザクザクと切り開いて運転席へと向かった。
窓の外に張り付く少女に驚いた運転手は、こえをあげる間もなく意識を飛ばされ、操作を明け渡す。
「弾の代わりには十分そうだな」
そう言うと、舞香は勢い良くアクセルを踏み込んだ。
トラックにしては素晴らしい加速をして、夜景が次第に速くなる。
舞香の目の前に、野崎が乗せられた車が近付く。
鈍い衝突音と、ガラスが砕ける音が響いた。
「あの娘、イカれてやがるぜ…」
後方にあるトラックは、黒い煙と炎をあげて停止している。
コロブチカの2人が用いている装甲付きトラック、『
その装甲はバレットM82の12.7×99mm弾の直撃すら耐え、大統領専用車両であるビーストに負けない程強靭なタイヤを搭載した、重装甲の怪物である。
自身らの部下が乗るトラックなんぞとは一線を画すその装甲は、衝突しても難なく走行を続けていた。
「まさかトラックを乗っ取って突撃してくるだなんて、人ってのは変わらないものだな」
そうグルーシが呟く。
夜風が車体を撫で、衝突の衝撃で歪んだパーツが規則的なリズムを刻む。
しかし、何かがおかしい。
響いてくるのは、後ろではなく、運転席の真上からだったからだ。
「やられた!」
天井から貫通してきたナイフが抜けるより先に、ヤーブラニが舞香の肩を撃ち抜く。
舞香は顔すら歪めずに、ナイフを一振りした。
ヤーブラニの白い髪が夜空に散る。
「乙女の商売道具に何をするんだい」
「死人には不要だ」
「
そう言うヤーブラニは、ひらりと身を翻して荷台の上に立つ。
「君はクソ生意気だし後ろの野崎くんみたいな可愛げもないけど、君にも死んで貰いたくは無いからね」
舞香の耳を弾丸が掠めた。
「これ以上怪我したくなければ投降を勧めるよ。出来れば…2分以内にね」
「ほざけ!」
舞香はナイフを荷台に突き立て、それを足場にして、陸上競技のスターティングブロックを用いたように加速した。
ヤーブラニはそれを躱すと、無防備な舞香の背中を撃つ。
よろめきながら立ち上がる舞香は、またナイフを足場にして突進しようとする。が、ナイフを構える手が震えていた。
(撃たれすぎて貧血気味になってきたか…まずい…)
口の中に滲む血にすら腹を立てながら、最後の力を振り絞って、舞香は突進した。
その動きは恐ろしく速かった。
人間は視覚刺激に反応するために180ミリ秒ほどを要する。
それすら超越する、人体の限界級の加速。
ヤーブラニの元へ、文字通りの人間砲弾が飛び出した。
『グルーシ、ジョナサンは捕まえられたのか?』
通信の向こう側から、ノイズまみれの声が来る。
「ええ。この手でしっかりと」
『そうか。よくやってくれた』
「しかしながら、まさかジョナサンがフォネティック・コーズの処置を自らしていたとは思いませんでしたよ」
グルーシは、あたかも野崎がジョナサンであるような口振りで語り始めた。
『どう言うことだ?』
「貴方が戦ったと言うノザキという日本人は
「ジョナサンは性別も、顔も、背格好まで変えて、こんな傭兵の真似事遊びをしていた訳です。こんな狭苦しい島国でね」
『よくそこまで見抜いてきた。ヘッドセットは破壊してきたか?』
「あの技術は私の元で
『親機は何処に?』
「ジョナサンと共に輸送してますよ。我々の商品には、信頼も含まれてますからね」
『頼んだぞ。コロブチカ』
そういうと、擦れた声の通信は終わった。
運転席で、グルーシは深く紙巻きタバコを吸い込む。
ため息ごと煙を吐くと、窓の外を駆け抜けていく街灯の灯りが、線のように見えた。
「信頼は、金じゃ買えねえんだよ。若造」
ぼやきも、吐き出していたらしい。
舞香の突進は、今までのように空を切るわけではなかった。
鈍い音が響き、小さな呻き声が漏れる。
夜空を身体が舞い、荷台から落ちそうなところでその手を掴んで引き摺り上げられた。
「あーあ、言った通り5分以内にやめとけば良かったのに」
気絶しているのは、舞香の方だったのだ。
時間は、10秒前まで巻き戻る。
舞香の突進は人体の限界を超えた速度にまで達していた。それ故に、避けるのはほぼ不可能と言うべきだった。
しかし、ヤーブラニは上へと飛び上がったのだ。舞香が動くより先に力を込め、目で捉えるより先に足を離していた。
ヤーブラニの後ろから迫り来るのは、荷台の高さスレスレの道路標識。
視界を埋める青に、舞香は赤いシミを作りながら吹き飛ばされたのだった。
「可愛い顔してたのに、結局全身血塗れか」
屋根を2回小突くと、タチャンカは次第に減速した。
「君は人質かな。じゃ、明日の未明にでも」
笑いながら、ヤーブラニはコンテナの中へと舞香を寝かせる。
ドアを閉めたところで、五感のほとんど封じられた暗闇が訪れた。
書き溜めてある分をゆっくり放出します。