「瑛楽はどこに行ったのやら…」
山中にある木を潜り抜けながら、フラッグがありそうな場所まで走る野崎。
山岳部隊だというのも相まって、木の葉で日光が遮られた山林がより一層怖く見える。
熊笹が風に揺れて擦れた音がザワザワと広がる。
(瑛楽より先に熊でも出るんじゃねえか?)
野崎は
「君…あぁ、そのマーク、デルタ班の人だよね」
フォネティック・コーズの班員には二つのマークが付いている。
一つ目は社員証の社章。
二つ目は班の名前をあしらった班ごとのマーク。
二つ目のマークは個人個人でどこに付けるか決めて良いため各々ボタンやアクセサリーに刻むなどしている。
野崎はボタンにマークを刻んでいる為、関係者ならば野崎がどこの班か判っても不思議はない。ただ、関係者が模擬戦の会場に踏み入るとも考えられない。
確実に無関係だ。
スプリットタンに切れ長の瞳をした女性は何者か。
深入りしたくとも出来そうにない雰囲気を醸し出す彼女に、野崎は少しだけ恐怖を抱いた。
「私は百蛇レルネ。君は…あ、ちょっと!逃げないでよ!」
身体が逃げようとした。それも勝手にだ。
数千年規模で家畜化された筈だった人間の本能が危険信号を垂れ流している。
レルネが野崎の肩を引き、半ば強制的に目を合わせる。
(体が…動かない…?)
レルネの瞳が蛇のように縦に割れ、じっとりとした視線が野崎の目を貫く。
「駄目だよ、“野崎”くん。質問には答えなくちゃ」
レルネの手には日光を反射する銀色のドッグタグが握られている。
『Kosuke Nozaki』と刻まれたドッグタグを動かない野崎の首にかけ、レルネはゆっくりと微笑む。
「今から10秒数えるよ。その間だけ目隠ししてあげる」
「何が言いたいんですか?え〜っと、レルネさん」
「さんなんて付けなくていいよ。私はそういうのあんまり好きじゃないからね」
「分かりました。で、その目隠ししてる間にどうしろと?」
「私に…そうだなぁ、キスでもして貰おうかな。君可愛いし」
そう言うとレルネは目隠しを巻いた。
ここから10秒。
「ったく、あのバカどこ行きやがった?」
レルネの同居人にして相棒のタカヒロは思わず溢れた荒い言葉を虚空へ向かって訂正しつつ、窓の外を見渡した。
夕食の用意をしようとした所でレルネが家を飛び出して行ったので、エプロンを付けたまま外を見ているのだが見つからない。
それもその筈、レルネは街並みの向こうに霞む山にいるのだから。
「しょうがないか」
エプロンの紐を解き、コートを羽織った。
コートに隠すような形で日本の日常には絶望的に合わないモノ…革製のホルスターを付けると、そこに二丁の拳銃を入れた。
コルト社製のシングル・アクション・アーミー(SAA)だ。
西部開拓時代から現在まで広く使われ、多くのファンがいるリボルバーである。
SAAに加え、タカヒロはもう一丁の銃を背負った。
ウィンチェスター社のライフルだ。
レバーを使ったコッキングが印象的なこの銃はコルトSAAの弾を使用できる点から人気を博した銃だ。
頭にはハットを被り、使わない拍車がついたブーツを履き、レルネを探しに行った。
ケペシュが腐葉土に突き刺さる。
伊東は全身に薄い切り傷を付けられ、各所から少量の出血が見られる。
模擬戦が終われば野崎の骨折すら僅か3日程で治した紅葉による治療が待っているので、舞香も伊東も攻撃に迷いがない。
タクティカルトマホークが舞香を狙う。が、その刃も舞香が左手に構えていた盾に阻まれ、血ではなく少々の木片を飛び散らせただけだった。
激突が続く中、舞香の肩を誰かが叩いた。
「やぁ、舞香」
瑛楽が微笑む。
「まじかよ」
深いため息と共にそう言う舞香。
その顔を瑛楽が殴り付けた。
女性とはいえ、瑛楽はそれ相応の筋力がある。
細身な舞香を殴り飛ばす程度難なく出来る。
その場にあった木に叩き付けられた舞香は小さく呻くと気絶したように項垂れた。
「行こうか。小梅ちゃんが旗を発見したそうだ」
「はいよ」
レルネが目隠しを巻き、野崎を挑発する様に手招きする。
野崎は、先程動けなくなった時の事を思い出していた。
あの時、レルネは野崎の肩を掴み、半ば強制的に“目を合わせた”。
逃げようとした時には動けたのだが、目を合わせた瞬間に体が固まった。
百蛇レルネには何かしらの能力がある。野崎は自身の体験した、奇妙な事象からそう感じ取った。
その能力が発動するのは、恐らく目が合った時。
今付けた目隠しはその能力を制限する為の物だろう。
あの目隠しが外れれば目が合ってしまう。
レルネが不敵な笑みを浮かべる。
それを見た野崎は、自身の足へ纏わり付く妙な触感に気がついた。
足をゆっくりと這い上がる感触。
ひんやりとした鱗の温度。
出し入れされる舌が自身の太腿を触る感触。
シューシューと聞こえる息の音。
足を見ずとも野崎は理解した。これは蛇だ、無数の蛇だと。
背筋が凍り、動けなくなりそうになったが、足を這い登る蛇をお互い怪我の無いように払い、レルネに向き直る。
悠長に地面を歩くと蛇がまた足に巻き付いてきそうなので地面を力強く蹴り、レルネへ向かって跳躍する。
レルネに近付く迄は良かったのだ。
顔も接する寸前にあり、あと少し首を前に出せばレルネにキスできる。
しかし、野崎は首が動かなかった。そう。野崎浩介は手を繋いだ事すら無い様な人生を送ってきた故に、目の前の少女にキスをするなど林檎を片手で握り潰すより遥かに難しいのだ。
そのまま硬直していると、レルネの目が野崎を見つめた。
もう10秒経ってしまったようだ。
(まずい!)
野崎は咄嗟に思い付いた作戦を行動に移した。
切れ長の瞳と目が合う前に、野崎はレルネが手を離し、落ちていく目隠しを奪った。
「…面白」
目隠しをしたは良いが、そもそもレルネを見失ってしまった野崎の頬にレルネが口付けをする。
慣れない感触に戸惑う野崎を他所に、レルネは微笑み、目隠しをした野崎から離れようとした。
その時、目隠しを解いた野崎がレルネを睨みつけながら言う。
「何の為にこんな事を?」
その言葉には少々の苛立ちと戸惑いが混じり込んでいる。
レルネは笑いながら言う。
「私は君と…君たちデルタ班と仲良くなれる気がするんだよね。だから、ちょっとお話でもしようかと思って」
レルネは細めた目の奥で野崎をじっくりと見つめる。
「君、なんか抑えすぎて苦しそうだね?良いんだよ、気にしなくて」
そう言うとレルネは野崎の上着へ触れ、勢いよく胸元のボタンを外した。
こちらも勢いよく胸元が開き、驚きと羞恥で赤く染まった顔の野崎へ、レルネはにやける様な笑い方をしながら手を振った。
ボタンを急いで閉めながらレルネを見る。すると、少し強めの風が枯葉を舞い上げながら通り抜けだ途端、レルネの姿が消えてしまった。
最初から最後まで何者かよく分からない。そう野崎は考え、遠くの銃声に耳を澄ませた。
「あーいぼっ。ただいま」
「!?レルネ!どこ行ってたんだよ!」
驚いた様子のタカヒロは驚きからか口調が崩れている。
「ちょっと山行ってた。ごめんね」
身体を低くし、見上げる様な姿勢になったレルネは言う。
「や、山?華のJKが?」
「ちょっとやめてよ〜、何年前の話してんのさ〜。」
照れながら笑う二人を夕日が照らしていた。
次回くらいでシエラ戦も終わりですかね。
少々長引いてしまいました。