「舞香、随分と良い顔になったじゃねえか」
「お揃いにしてやろうか?」
木はまだ中の詰まった生きている木だったが、その木が大きく抉れて周囲に木片が散らばっている。
頰も腫れ、木片による細かい切り傷が露出していた部分を薄紅色に染める。
年頃の乙女がするとは思えない鋭い目線には苛立ちが込められており、ここから500m程先にある自陣の旗を見つめている。
当然、茂みも林もある山中では旗も見えない。
ただ舞香が見つめている理由は一つ。
シエラの二人が旗の方へ向かっていったからだ。
旗を守っているのは千鶴だけ。しかも交戦の報告が入っていた事を見るに相手は守りを捨てている。
旗までどちらも殆ど同じ距離。
相手を全員倒せば勝利。
相手の旗を抜けば勝利。
問答が野崎の頭蓋で反響する。
勝ち筋は薄く無い。
どちらを選ぶか。
旗を抜くのが先か、抜かれるのが先か。
延々とそんな考えが巡った。
「なぁ野崎」
舞香が先程と変わらぬ体制のまま野崎に話しかけた。
「とりま起こして。今めっちゃ腰痛い」
「ごめん忘れてた」
舞香を起こして考えを話す。
五分の賭け。
それに対して舞香はこう答えを出し、二人で実行へ移ったのだ。
素早く相手を蹴って距離を取る。
舞香も野崎も来ない自陣で、機関銃を片手に千鶴は苦戦を強いられていた。
ゴム弾はヘッドセットの力で尽きない。
能面の少女、青山小梅は出刃の鉈を振ってゴム弾が自身に当たるより先にそれを細切れにしてしまう。
このままではジリ貧の千鶴は、今後起こる事も舞香達からの無線で聴いていた。
シエラ班の全員が旗へと集合する。少なくとも、野崎達よりも早く。
まずい事になったのは分かっている。
だが、二人にいつも頼っている気もしている。
前回の任務では早々に気絶させられ、二人に任せきりになってしまった。
私には責任がある。そう心の中で反芻しながら、随分軽くなったマガジンを弾き飛ばして装弾する。
足元を、何かが掠めた。
直径6mmほどの金属製の何かが地面へ深々と突き刺さっている。
意識を其方へやっている隙に眼前を鉈が掠めた。
野崎だったら大怪我をしていたに違いない。千鶴ら今だけこの憎たらしい身体を褒めてやろうと思った。
次は何処を狙っているのかが分かりにくい。
小梅は面で顔を覆っているので今何処を見ているのかが分からない。
視線が読めないのなら、構えから筋肉を読む以外ない。
しかし、今さっき飛んできたあれが刺されば…恐らく、凄く痛いだろう。千鶴の背筋が少々冷えた。
「野崎ぃ!もう結構キツイ!」
『珍しいじゃ無いか。素直にそう言うだなんて』
「でしょ?ただ、もう平気。泣き言吐いたら楽になったよ」
『そうかい。あと少し任すぜ?』
千鶴は口角を上げて引きつった笑顔を作る。
表情を作った所で、無線の声は震えているかもしれない。
今すぐに崩したい笑顔だが、二人に不安を抱かせてはいけない。それが先輩としての『責任』なのだ。
「千鶴はワンオペの防戦、舞香と野崎は…あれ?このGPS付き地図ってどう見るんだっけ?」
慣れない機械に悪戦苦闘する弟切。
その姿を生暖かい目で見つめる紅葉はいつも使い慣れた機械の前でテキパキ仕事をこなすいつもの弟切との違いを楽しんでいた。
弟切は“司令官”であるが、肝心の指令はフワッとした抽象的な物以外特に出さず、主にやっているのはデルタ班が使う乗り物等の手配や無線機、ドローン、GPSを通しての状況把握と先述の通りの指令を出すと言う事を繰り返している。
過去、弟切はフォネティック・コーズで働いていた。しかし、詳しい事は本人もあまり話したがらないので知る者は少ない。
紅葉は当時から弟切を知っているが、初めて深く関わったのは見習い時代の医務室に下半身が焼け焦げた弟切が運び込まれた時だった。
その頃より前の事を弟切も、その元仲間も話さないので紅葉も詳しい事は知らないのだ。
「そのマークが野崎くんの発信機だよ、睦月」
弟切睦月。彼は笑顔と眼鏡の奥に思ったよりも大きな何かを抱えている。
「もう
千鶴が旗を背後に据えて叫ぶ。
シエラの3人は既にワイヤーの中にいる。
目の前に鉈を構えた小梅。
少し離れた高台に伊東。
そして今援護に回ろうと右手の藪の中でタイミングを見計らっている瑛楽。
戦意喪失…と言う訳ではないが、矢継ぎ早に押し寄せる攻撃にうんざりしていた。
先程から持っていたトンプソンSMGを捨て好きな薙刀へと持ち替えていた。
薙ぎ払いで距離を取り、なんとか持ち堪えているが、それも時間の問題と言ったところだ。
「3人でお出ましとは、随分と景気がいいねぇ。シエラの皆さんよぉ」
旗を囲んでいたワイヤーの上に野崎が立っている。
逆光になっていて分かり辛いが舞香も横に立っているようだった。
「そっちも3人じゃん。人の事言えないよ?」
瑛楽が言う。
「ほぉ…舞香、なんとか言ってやれ」
「…」
舞香は何も言わない。
「あ、あれ?ちょっと!舞香!」
野崎は、急にさっきまであった戸惑いの表情を無くし、取り出したショットガンで舞香の頭を撃ち抜いた。
赤い液体が吹き出し、周囲の落ち葉に落ちて雨のような音を立てる。
野崎以外の皆が目を丸くする。
ワイヤーで囲まれた中に下顎を落とされたソレが落ちる。
着色された、精巧な舞香の偽物。
内部に仕込まれた血は血糊であり、本物の舞香はどこかに居ると言うことを示すように本物の血と違う広がり方をする。
何より吹き飛んだ下顎と繋がっていた筈の部分から露出したプラスチックともコンクリートとも金属ともつかない無着色の断面が本物のような肌と絶望的にミスマッチな境界線を生み出している。
ワイヤーから飛び降りた野崎は落ちた頭をリフティングするように蹴り上げ、頭上で発砲して粉砕した。
眼鏡の奥にあった眼は日頃のやる気のない死んだ目をやめ、中学生の頃も見せなかったような笑みを浮かべている。
そのまま自身のヘッドセットにスピーカーを繋げ、舞香へ話しかける。
藪の中を歩く音がスピーカーから流れ、舞香の声が聞こえて来た。
『あーあー。これ聞こえてる?』
「バッチリ」
『瑛楽〜、伊東〜、小梅〜。旗がガラ空きだぞ〜?早く帰ってこーい』
伊東がライフルを抱えて走り出した。
その後を瑛楽も追おうとしたが、ワイヤーの壁に阻まれ、小梅と共に残されてしまった。
蜘蛛の巣のように張ったワイヤーが視界を塞ぎ、四人の空気を張り詰めさせる。
誰が先に引き金を引くか、または刃を突き立てるかの勝負。
火蓋が切って落とされた闘争も、今や燃え尽きる寸前のような燻りをしつつ、何よりも熱く燃え上がっていた。
舞香が旗を抜くとは考え辛い。
伊東も瑛楽も同じことを考えていた。
しかしながら、今から千鶴と野崎を倒し、旗を抜くまでには戻って来てしまう筈だ。
舞香は幼少期からシエラ班にこっそりと混ざって戦闘能力は一対一ならば苦戦こそさせれても確実にシエラ班の全員が負ける程だ。
そんな奴を野放しにしていればいつ不意を突かれるか分からない。
不安だけが足を動かしている。
伊東は藪の前に止まり、周囲を確認し始めた。
この藪を抜けた先にはシエラ班の旗がある。
自身らが攻めて来た相手を襲う為に敢えて放置していた藪に自分が襲われる為に踏み入ると言うのは恐ろしい。
藪の中にある目印を頼りにすれば自陣へ帰れる。
そよ風によるざわめきが魔物の咆哮のように感じられる。
臆してもしょうがない。そう自身に言い聞かせながら伊東は藪へと踏み入れた。
三つ目の目印を過ぎたところで、足に何か引っかかったことに気付いた。
頭上には自身の足に絡みついたものと同じ糸で作動するようにされたピンが抜けたスタングレネード。
実にまずい。
「いや…嫌だ!そんなまさか!」
カチリ、と小さな音が、これから大ダメージを負うだろう鼓膜を震わせる。
閃光と爆音が響き、藪を一瞬内側から光らせた。
「とまぁ、そんな所だ。OK?」
野崎がニヤケ面のまま言う。
『俺は今から伊東回収してくるわ』
舞香の声を聞きながら、野崎は瑛楽に微笑みかける。
「形勢逆転、ですね」
「困ったね。まさかこっちが先に欠けるとは」
「あとは舞香が旗を取るか、俺らがお前ら二人を———」
突如、デルタ班二人の無線から舞香の叫び声と強烈な破裂音が鳴った。
「舞香!?」
『野崎君!聞こえる?』
「勿論。で、舞香は!?」
『端的に言うなら…自爆?』
「あ」
野崎の脳は一瞬で舞香の言葉を思い出した。
『相手が察して別の所を通る可能性がある。保険として何個か仕掛けておくよ』
野崎は顔を覆った。
その隙を突いて、瑛楽が野崎へ蹴りを放とうとする。
顔を狙った上段回し蹴り。
それに対して、野崎は愚かとも言える決断をした。
瑛楽の回し蹴りを自身の回し蹴りで相殺する。
二人の足がぶつかり合い、お互い弾き合う。
「瑛楽さん…
「
二人は蹴りの瞬間にしっかりと認識した。
「白だ!!」
「黒!」
「何バカ言ってんのあんたら…」
小梅もそうだそうだと首を縦に振る。
「野崎君、詳しく見るのは後にするよ。だから見せて?」
「こっちも見といて難ですけどまじでぶん殴りますよ?」
「どうせならその脚で締め上げるとかにしてよ。太いし」
「骨ェ逝きますよ?」
野崎の目はレンズの奥で笑っている。
二人は笑顔のまま再度武器を取り出しぶつかり合った。
瑛楽のナイフが野崎の頬を掠めて薄皮を切り裂く。
頬を垂れる血を指で拭うと自身の武器を新調した。
今まで持っていた武器を捨て、元々着けていた白手袋をしっかりと嵌め直した。
瑛楽へ向け、右手を差し出す。
瑛楽は少しだけ驚いたような顔をしたが、構わずナイフを構えた。
その瞬間、瑛楽のナイフが空中に“吊り上げられた”。
太陽光を屈折させ、トリックが顔を出した。
細い透明な糸が瑛楽のナイフへ絡みついている。
ナイフに視線を奪われた瑛楽の脇腹に鋭い蹴りが入る。
ポタポタと血が落ち葉に垂れる。
瑛楽はそのままよろけながら、立ち上がった。
「野崎君…君、結構やるじゃん」
「ありがとうございm…っておわっ!瑛楽さん!?」
瑛楽は野崎の胸元へ倒れ込んだ。
その顔は清々しく、楽しそうで、何よりも煩悩に塗れた顔をしていた。
遅れて迫る手を払い除け、瑛楽を木に括り付ける。
「気絶したんじゃ無いんですか?!この変態!」
野崎が叫んだ途端、千鶴が野崎に掠れた声で言った。
「野崎…ちょっとまずいかも」
千鶴の目線を辿ると、傷一つない小梅が立っている。
能面の笑顔が悍ましい。
振り下ろされた鉈を避け、ゴム弾を撃ち込む。
半分になった弾が落ち葉に散らばり、はらはらと光になって消えていく。
「…え〜っと、小野さん?」
「何?野崎」
「助けに来るの遅くてすいません」
「分かればよろしい」
二人の間を鉈が通り抜け、後ろの地面に切断された跡が残る。
「千鶴!ワイヤーの意義、分かる?」
「分かんないけど…何?」
「今から見せる。小梅ちゃんを押すよ!」
「え?わ、分かった」
二人は小梅をワイヤーまで押そうと力を込めてぶつかった。
小梅自体は軽いのであまり力は要らなかったが、何よりも踏ん張る力が強く、3歳程歳下の少女を何メートルか押すのに大分苦戦した。
ワイヤーに小梅の背中が当たった瞬間、野崎が叫んだ。
「千鶴!離れて!」
野崎が何処からともなく取り出したリモコンのボタンを押す。
その瞬間、小梅が声にならない叫びを上げて悶えた。
「
「誰!?」
「米ンドーの話は後でする!今は構えててくれ!」
「何それ!?」
悶えていた小梅がある一瞬から気絶した。
「さて、と」
「何あれ…?」
野崎がずり落ちていた眼鏡を押し上げ、小梅の面を剥いだ。
翁の能面とは似ても似つかない色白な少女が白目を剥いている。
野崎はまだ自分達よりも歳下の少女にあそこまで苦戦した事に眉を顰めながら、片手で小梅の瞼を下ろした。
(ホンット〜に末恐ろしいなこの娘は。)
この少女がこのまま成長して大人となればどんな化け物になるだろうか。野崎は冷や汗が止まらなかった。
「お疲れ〜!!」
弟切は楽しそうに二人を迎えた。
片手には空になった空き缶が持たれている。
頬は赤くなり、いつもより子供たちは嗅ぎ慣れない臭いを漂わせている。
「弟切…」
千鶴は野崎と顔を見合わせた。
「ん?二人とも〜どうしたのかな〜?」
「司令も!」
「出さずに!」
「「飲んでんじゃねぇー!!」」
「へぶっ!!」
空き缶と共に大きく吹っ飛ぶ弟切。
飲酒、喫煙、賭博に寛容な野崎でも仕事を放棄するのはいただけなかったようだ。
もみじが舞香と一緒に全員の治療が終わった事を伝えに来た。
舞香も特に大きな怪我は無かったようで平気そうな顔をしていた。
弟切はよろけながらゆっくりと立ち上がった。
その時、弟切のスペースとなっていたテントにシエラの面子がゾロゾロと入ってきた。
瑛楽が野崎の肩にさりげなく手を置きながら言う。
「野崎君は今回は頂けませんでしたが、次こそは手に入れて見せますよ。その約束と言っては難ですが…どうです?少し食事でも。」
「お酒は?」
「飲み明かせる程度は」
「氷は?」
「瓶もグラスも冷やせます」
「アテは?」
「無論、各種取り揃えてます」
「パーフェクトだ!」
「感謝の極み」
「「「何でオメーが一番に食い付いてんだよ!!」」」
三人からの総ツッコミを喰らった弟切はヘラヘラと笑いながら椅子を支えにして立ち上がる。
テントの外では、折り畳み式の机に大皿で料理が乗せられている。
「凄いな」
野崎が目を輝かせる。
煙に乗って調理用の油の匂いが鼻腔をくすぐる。
今の今まで肩を組んでいた筈の瑛楽がいつの間にか千鶴の方へ行っている。
「いや〜
瑛楽はニコニコと笑いながら千鶴を軽く叩く。
「瑛楽。そこ胸」
「え?」
目が笑っていない。
(あの目で見られたら何も言えないなぁ。)
弟切はもみじから逃げながら酒とつまみを楽しんでいる。
千鶴も舞香ももう既に料理に手をつけ出している。
野崎も、楽しげな食事に参加しようと積まれたお盆を手に取った。
テストですわ〜!まだ課題が真っ白ですわ〜!!