リン=フリークスの冒険   作:夜桜百花

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欲望の共依存【5】

 記されたばかりの長い文章にざっくり眼を通すと、リンは顔を上げてクラピカの方を向いた。隣に座っているクラピカはまだ、渡されたばかりのノートの切れ端に視線を落としている。そしてそのまま小さな唇を開いた。

 

「おおよそは、俺が把握している通りだな。少なくとも各能力の概要はそうだ」

 

 そう言って、一番上の文章を指でなぞる。リンもクラピカの能力の詳細までは知らなかったが、特におかしなところはなさそうだ。

 

父なる指は、癒しの鎖

緋い瞳と引き換えに

貴方の肉体を癒すだろう

他者は癒せない、孤独の十字架

 

「これは【癒す親指の鎖】(ホーリーチェーン)のことだろう」

「緋の眼が制約、自分にしか使えないってことね」

 

 そう言いながら、細い指が下にずらされる。人差し指の能力はまだ作っていないのか、次は中指の能力が書かれているらしい。

 

兄なる指は、束縛の鎖

緋い瞳と引き換えに

生命力を奪うだろう

隠れ偲ぶことを好む鎖だ

 

「生命力……オーラか」

「まあ、把握している通りね。緋の眼の時じゃないとできないし」

 

『隠れ偲ぶことを好む』のは、相手に探知されないように『隠』にすることが能力を使いこなすコツだと言っているのだろう。これはクラピカもよくわかっていそうなので、リンはそれ以上何も言わなかった。

 クラピカの指は、更に下へと降りる。だが、ここからは所々リンにも解釈しきれないところがあった。

 

姉なる指は、探知の鎖

貴方に最も適した鎖

心の機敏に呼応して

理性の貴方を導くだろう

 

『緋の眼を探すのに役立ちそうな探知の能力を作れ』と騒いだリンの苦労の賜物か、あるいは元々こうなる運命だったのか。【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)は文字通り探知能力としてつくられたものだ。

 だが、唯一緋の眼でなくても使える能力という特性から、クラピカは軽い戦闘にもこの能力を使う。そのためか、クラピカは文章の後半にもあっさりと納得して見せた。

 

「……予想通りだ」

「この、心の機敏が~ってところ?」

「ああ。【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)は、俺の潜在意識下での直感を反映していると仮説を立てていた。生物の本能的なものだ」

「な~る」

 

 ぶっちゃけると、クラピカの【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)は時と場合によっては下手な占いよりも当たる。知りたい事に対して直接的な答えをくれる所も利点だろう。

 人知を超えた力だが、念能力だからそういうもの、とリンは考えていた。実際のところは、それなりにちゃんとした理由があるらしい。

 

「確かに、これはネオンの能力がなきゃわからなかったわね」

「問題はここからだ」

 

 残りは、【律する小指の鎖】(ジャッジメントチェーン)と、クラピカの『発』全体の制約と誓約。リンとクラピカが最も知りたかったのは、ここだ。

 

赤子の指は、契約の鎖

違反者の魂を鎖の檻に封じ込める

生きる屍になるだろう

憎しみは留まるところを知らないから

 

「改めて見ると、本当に俺が設定した能力から変質していたのだな」

 

 クラピカがしみじみと呟いた。口調と表情からして、珍しく煽りではなく本心から出てきた言葉のようだ。クラピカ自身、念によって操作されている実感がなく、自分が設定していたものとは全く異なる念に少し戸惑っている。

 

「鎖の檻……オーラ、魂を閉じ込めるってことかしら」

 

 新たに発現したばかりの自身の能力を思い返して、リンは独り言としてそう言った。オーラの源泉=魂という仮説が正しければ、それを能力によって封じ込めることが仮死状態に繋がるのは自然だ。

 クラピカもリンの意見に同意したのか反論はなく、ただ次の文章に視線を落とすばかり。ヨークシンでの事件から1年弱経過して、ずっと知りたかった自身の能力がようやくわかる時が来た。

 

全ての鎖は貴方の魂に繋がる

貴方の掟は緋い瞳

違反の罰は愛する命

貴方にとってなによりの枷となるはずだ

 

残る母は、誰かのために使いなさい

孤独を選ぶ者は、孤独を恐れる者

繋がりを実感できるものが良いだろう

魂を引き換えにするのは勧めない

 

 かつての【天使の自動書記】(ラブリーゴーストライター)に比べれば、随分と理解しやすい文章。それは、占う対象が未来ではなく自身の念という最も近しい存在だからだろう。

 だが、直接的でありながらも婉曲した表現が使われている。しかしそれでも、推理するには十分すぎる内容がそこにあった。

 

「……なるほどね、クラピカにとっては、自分の命よりも重い誓約かも。どうりで命を枷にしてないのに、ウボォーさんとも渡り合えるわけね」

 

 すなわち、制約を違反した場合の罰は、大切な人の死ということだろう。リンの指示した洗脳はあくまで『自分を』傷つける念を作成するなというものなので、他者への干渉を誓約にするのは理論上可能だ。

 

「愛する命……」

「クラピカは人一倍仲間思いだから、つまりはそういうことでしょ。他人にダメージを押し付ける能力を作る奴だっている中、これは結構珍しいけどね」

 

 仲間を失うことを誰よりも恐れるクラピカにとって、この誓約は下手すればクラピカが元々設定しようとしていたものよりも強力に思える。限定的ではあるが、能力のみにおいては旅団とだって渡り合えるかもしれない。

 

(そういえば、ナニカの『おねだり』失敗時リスクも、愛する人の命だったわね。場合によっては、それは自身の命以上の価値を発揮する……ってことか)

 

 リンだって、自分の命よりもゴンの命の方がよっぽど大事だ。そして、クラピカ達のためにも平気で命を投げ捨てるような行為をしてきた。むしろ自分こそ、自身の命よりも他者の命を優先している最たる例かもしれないと思い、内心苦笑する。

 

(クラピカにとっての大事な人……本人も分かっていない可能性もある。そして、大切な人が誰かを判断するのは念能力……それもまた怖い)

 

 そこまで考えたところでふと、クラピカに再会した時の違和感を思い出した。妙に女性の匂いを漂わせているクラピカ。今まではなかったことだ。

 もしかすると、ここ最近の間に大切な人ができた可能性もある。リスクとなる可能性のある相手は、把握しておくべきだろう。

 

「そうだクラピカ、……彼女できた?」

「いや。……なぜだ?」

「妙に女の匂いがしてるわよ。私やゴンじゃなきゃわからないレベルだけど、随分と密着されたような、そんな匂い」

 

 別に、友人なのだから彼女の有無を聞くくらいは許されるだろう。そう思って軽いノリで聞いただけだったが、クラピカは露骨に嫌そうな表情を見せた。聞かれたことを嫌がっている不快の顔というよりは、不意に急所を突かれた時のようなものだ。

 

「相手が俺のような人間を好んでいたから、緋の眼の交渉に自身を使った。最も効率の良い手段だった、それだけだ」

「……」

 

 スーツを正しながら渋々と言い訳のように呟いたクラピカに、一瞬思考停止するリン。二人の間に微妙な間が生まれる。

 

(男……いや、この場合は女か。そりゃそうね、そりゃそうだ)

 

 反射的に(やっぱモブクラルートに行ってたかー!)と怒鳴りそうになったが、今話題に出ているのは男ではなく女。つまり、クラピカの相手は(リンの妄想とは違い)女だ。

 

(え、つまり逆ハニトラ的な? 儚げな微笑みで緋の眼を手にしてるけど、相手は女……的な? いやまあ普通はそうか!)

 

 悲しいかな、長年の思考の癖である。クリスマスパーティーの時のことは苦々しい記憶として今も残っているため、リアルモブクラはリンにとって地雷でしかない。

 だが、すぐにそんな思考を振り払った。問題はクラピカが、自身が唾棄するような行為を進んで行っている……つまりは自身を犠牲にしている点だ。自分の力でなんとかするといわれているとはいえ、友として師匠として、気にかけずにはいられない。

 

「……辛くは、ないのよね?」

「?」

 

 一方、あまりにも深刻そうなリンの表情に、クラピカはきょとんとした表情を見せる。なぜそこまで悲しそうな顔をしているのかと、心当たりがなさそうな。

 まるで、クラピカが辛い運命を辿っているところを目の当たりにしたかのようだ。瞳の中にはほんの少しの怒りも含まれているように見えるのは気のせいだろうか。あの程度、辛くもなんともないのだが。

 

(あの程度の色仕掛けもどきで緋の眼を寄こしてくれるのだから、俺としては好都合な案件だったのだが。……ん?)

 

 クラピカもクラピカで、ようやく気付いた。この言い方では自分が好きでもない女性とふしだらな関係になっていると思われてもおかしくないと。というか、実際に思われているのだと。

 なんてことはない、リンの勘違い。実際のところは、R-18展開どころかキスもしていない。べったりくっついてきたところをそれっぽく口説いただけだ。自覚している人並み以上のルックスというものを利用して。

 

 ただでさえ下ネタが苦手なクラピカ。リンに勘違いをされて、一瞬にして顔が熟れたトマトのように染まる。幻聴だろうか、ボンッと音がしたような気がする。

 

「? 顔真っ赤だけど」

「き、気のせいだっ!」

 

 リンにその表情を見られたくないと手の甲で口を押え、わかりやすく顔を隠した。大きく咳払いをして、焦っていると悟られないように冷静を装う。一方、自分の聞いた内容に急に赤面するようなものが含まれていただろうかと、リンは怪訝そうに首を傾げる。辛くないかと聞いて、なぜ恥じらっているのだ。

 

「……お前が思っているようなことは起きていない。少し密着されただけだ」

 

 だが、誤解を解こうとするその姿はいつもよりもやたらと早口だ。幸か不幸か、リンはそれを単に下ネタ耐性がないからだと理解した。

 

「あ、そうなの? よかった、レオリオと違ってクラピカってそういうの苦手そうだし~って思ったんだけど。多少イチャつく程度ならまあ大丈夫、よね」

「レオリオと違って、()は貞操を重んじている。誤解するな」

「一人称戻ってるわよ」

 

 それでも、好きな子に無意味な誤解をされたり、ましてやハニートラップを仕掛けていることなんて知られたくないものだ。どれだけ取り繕っても動揺は隠しきれなかったようで、早々にリンに指摘されてしまう。

 ついでに、息をするように罵られるレオリオ。ここら辺に関しては本人の日頃の行いが悪いと言える。

 

(なんか妙に慌ててるわね。レオリオで慣れてるし、当人が嫌じゃないのなら別に咎めたりなんかしないのに)

 

 そう思いかけたあたりで(あれ、でもちょっとモヤッとする?)と一瞬感じた気がした。気がしただけなのは、大慌てのクラピカが即座に煽りで誤魔化しにかかったからだ。

 

「いっ……今はそのような脈絡のない話をしている余裕はないと思うのだが? 俺はお前と違って無意味な色事に興味はない」

(なんかいつもより煽りの切れ味悪いわね)

 

 流石に動揺しているのは目に見えてわかっているので、今回は噛みつかずに流しておいてやることにする。師匠は優しいのだ。

 

「脈絡あるわよ。彼女ができたなら、その人が誓約の対象になる可能性大でしょ」

「ならば、それは杞憂だな。裏を返せば、誰が対象になるかが分からない」

 

 誰が死の対象となるか。それは、その時のクラピカの心の機敏にもよっても変化するはずだ。家族の居ないクラピカにとって、その対象は仲間や友人である可能性も十分にある。

 恋人が居ないのならば、猶更だ。ずっと気になっていた女の匂いの理由がわかって、心持ちスッキリしたリン。オフィシャルで恋人ができてしまえば、妄想の余地がなくなってしまうというもの。今はまだ、レオクラやクロクラに夢を見ていたい。

 

「今の時点だったらゴン達の命の可能性もあるわね……もちろん私も。クラピカって私らのこと大好きだし~。気を付けてよ?」

「……ああ」

 

 ツッコミ待ちで冗談交じりの言葉を飛ばす。我ながら(ちょっと自惚れ過ぎたか?)と思うが、否定の言葉は返ってこなかった。

 クラピカは、気まずいような、それでいて照れたような、複雑な表情を見せる。それが逆に真剣さを助長していた。

 

(え、なに今の間。私スベッた? ちょっと、そんな殊勝な反応されたら逆に恥ずかしいじゃん。片思いレオ←クラ的な純愛的なアレ? ガチのやつだった?)

 

 冗談交じりで言っただけに煽られて軽い喧嘩の流れを予想していたのだが、肩透かしだっただけに少し気恥ずかしい気持ちになる。リンもリンで、今日は妙にクラピカと接するのが気まずい。なぜだろう。

 

「……でもま、能力分かったじゃない。制約と誓約も。よかったわね」

「ようやっと、だがな。自身の能力なのに、ここまで把握できていなかったとは。自身に落ち度はないとはいえ、不甲斐ない」

 

 クラピカもクラピカで、こうして油断したところで刺してくるのだ。人のことは言えないあたり、お互い様ではあるが。

 

「念能力なんて、私がどうこうしなくてもわからないことがあるものよ」

 

 さらりと嫌味を言われたので、気づかないふりをして右から左へと受け流す。一切謝る気のないリンにまた呆れたようにため息をついたところで、クラピカの用事は一段落ついた。

 

「……で、お前の用事とは?」

「あ~、そうね。これ……」

 

 となると、次はリンの来訪目的へと話題が移る。

 リンも忘れかけていたが、クラピカに会いに来たのはトルイの緋の眼を渡すためだ。死を覚悟して喧嘩を買いにかかったのを、予想外にもあっさり返してもらえたのは運が良かった。

 

「ちょっと待ってよ~」と言いながらメイメイのポケットから一対の緋の眼を取り出し、机の上に置く。机に置かれた衝撃で、緋の眼は軽く揺蕩った。

 クラピカはそれを静かに見つめ、本物であることを確信する。そして、驚きの表情でリンの顔を見た。喜んでいるような、咎めているような、そんな色も含んでいる。

 

「……礼を言う。だが俺は、緋の眼は自分で集めると言ったはずだが」

「ただの緋の眼じゃないわ。トルイが身に着けてたやつ」

「……は?」

(ん? キレてる? 手柄奪っちゃったから?)

 

 内心首を傾げながらも、どっかりとソファに座り直すリン。一方で、クラピカは無言で次の言葉を待っている。言葉によってはその喧嘩を買ってやると言わんばかりに。

 今日のリンとクラピカは、とことん噛み合わないようだ。……というかこの二人、元々息ピッタリではない。喧嘩ばかりしているのを周りが上手く宥めてくれていただけだ。ある種、喧嘩する程仲は良いと言えなくもない。リンもクラピカが先を促しているのを悟り、悪びれなく事情を説明する。

 

「丁度呼び出しを受けてたから会いに行ったら、これをくれたのよ。だからそのまま、ここまで渡しに来た」

「お前……俺に黙って、トルイに会いに行ったのか!」

「……あっ」

 

 そこでようやく気付いた。トルイの緋の眼を渡すということは、こっそりトルイと対峙していたことを暴露するも同然だと。そしてそれは、クラピカが嫌味と文句を言えるだけの、『隙』に溢れている行為だと。

 この後、婉曲表現と直接表現を交互に混ぜた嫌味がゲリラ豪雨の如く降ってくることになるのだろう。……と思ったが、予想とは大きく外れることになった。

 

「愚か過ぎる行為だ! 殺される可能性だってあったはずだ!」

(……なんか、叱り方がシンプルになってる? ていうか、私に似てきてる気がする……)

「聞いているのか、リン!」

 

 つらつらとリンの不用心な行動に呆れの煽りを入れてくるかと思いきや、クラピカの反応は極めてシンプルなものだった。だからといって良いわけでは全然ないが。

 ポカンとしていたリンに更にガミガミと説教を飛ばすクラピカ。これまでも仲間達の不用意な行動を叱りつけることはあったが、ここまで感情的になることはかなり珍しい。

 

「い……言ったところで止めるじゃない! それに私は一回勝ってるし! 一番目標達成率高いし!」

 

 それはそれとして、言われたら言い返さずにはいられない性分のリン。自分も反対の立場だったら当然怒る自覚はあるのだけれども、そこはそれというやつ。逆ギレをかまさずにはいられない。顔を突き合わせてガルガルと睨み合う。

 ゴンと違って、情緒が育つまでの育ちが悪かったのだ。ジンのせいで、都合が悪い時は取り敢えずキレておく癖がついてしまっている。唯一それをできない相手は、ミトと祖母くらいのもの。当然クラピカは逆ギレの対象内だ。

 

「だからといって黙って行く奴があるか! ホウレンソウも知らないのかお前は! 教えてやる、報告連絡相談だっ!」

「だーかーらー! 報も連も相も、やったところで反対されて終わりでしょ! 最悪乱入! つーか他の奴連れてっても、護るのが大変なのよ!」

 

 逆の立場だった時にそれをやられて、結果としてブチ切れてヨークシンで大乱入の大乱闘未遂をかましたのはリンなのだが。

 そんな過去の黒歴史を棚に上げるリン。しかしその言葉に、クラピカはぴたりと黙り込んだ。煽り男のだんまりは、烈火の如く怒鳴られるよりもある種不気味である。

 

「……」

(あ、やべ。地雷踏んだ……?)

 

 『お前は戦力外だ』と言ったも同然なのだから、当然だろう。それも、リンは気づいてもいないが、好意を持っている女性から言われた。仕方ないとはいえ、クラピカのプライドはかなり傷ついている。

 何も言わず、リンの隣から静かに立ち上がるクラピカ。落ち着くためか水差しを持ってきてグラスに注ぐと一口飲み、そのまま向かいのソファに腰かけた。ため息になるかならないか程度に小さく息をつく音が聴こえる。

 

「……ともかく、無事に帰ってこられたなら、いい」

「あ~、ハイ……」

 

 リンのようなタイプに反対意見を言う場合は、真っ向から怒鳴るよりも黙り込む方がよっぽど効果がある。思わず首を竦めて丁寧な返事になるリン。クラピカは所謂ゲンドウポーズで、じっと還って来たばかりの同胞の瞳を見つめた。

 

「……トルイの眼も、取り返さなければいけないとは思っていた。だが……」

「流石にあの時やるのは、憚られたわよね」

 

 前回トルイと対峙したのは、G・I。すなわち、ゴン達も居る時。トルイが動けなくなったあのタイミングで眼を抉り出すのが最も手っ取り早く安全な手段ではあった。しかし仲間達の手前、クラピカはそれができなかった。

 それは仲間の前で凄惨な光景を見せたくないという遠慮や、自分がこのようなことをする人間だと思われたくないという怯えなど、様々な感情があったわけだが。結果として、リンを危険に晒すようなことになった。

 我が儘を言えるだけの力量を、自分はまだ持ち合わせていないのに。だからこそ自分の力で、どんな手を使ってでもと思っていたのに。結局はリンに頼っている。自嘲するように笑みが零れた。

 

「俺はまた、リンに頼ってしまったな……」

「私にっていうか、これはあいつが勝手に返してきただけよ?」

「それは、お前の強さやトルイと和解したという前提があってこそだろう。俺にはできなかった」

 

 珍しく、今日のクラピカは弱腰だ。念能力が判明したり、予想外に緋の眼が還ってきたりしてただでさえ情緒が安定しないところに、自分の不甲斐なさを串刺しにされたためである。

 

 ここでモテる女なら、優しくクラピカを慰めたのだろう。だが、目の前に居る女はリン一人。そして更に言うまでもないが、リンはモテスキル皆無である。

 従って、こんな時の対応は力業染みてくる。念のため注釈しておくと、悪意は一切ない。弱腰になっている理由を察する洞察力はあっても、モテる女のテクニックというものを履修していないのだ。

 

「……つまりこれは、『そんな泣き言を言わずに済むくらいに鍛えてくれ』って隠れたメッセージ?」

「……はぁ?」

 

 クラピカも、リンから優しい慰めを求めていたわけではない。しかし、そこはほんの少し、少~しだけでも思いやり的な何かを期待してしまうのは男心だろう。予想外に脳筋な言葉を発されて、思わずおかしな声が出る。

 

 リンから直々に指導を受けたのは、もう1年も前の話。ヨークシン以降も共に居たが、殆ど自力の修行のみで、G・Iに入ってからもリンとはたまに組手をするのみだった。

 そのため、忘れていた。正確には、忘れるように努めていた。リンの修行はナチュラルドSで、とても仕事の傍らにできる難易度ではないと。たらりと冷や汗がこめかみを伝う。

 

「……そういうわけではないのだが」

「まったまたぁ、謙遜しちゃって! 新しい特訓メニュー考えとくわ!」

 

「クラピカは能力も作ってるし修羅場も潜ってるし~、トルイにも勝てるくらいの基礎戦力を高める方にシフトしても良いと思うのよね~!」とウキウキになるリン。修行終わりに白目を剥いて爆睡していた地獄のあの日々が脳裏を蘇る。

 

 トドメは「やる事全部終わったら、また一緒に特訓ね! 泣き叫ぶまでしごいてあげる!」という笑顔の一言だった。既に泣き叫びたくなる自分がいるが、そこはクラピカもプライドがあるのでなんとか堪えた。

 同時に、心のどこかで喜んでいる自分も居ることに気づく。契約を解除してもなお、リンはまだ自分と共に過ごす選択肢を選ぼうとしてくれているのだということに。

 

(……絆されている俺も俺か)

 

 同じ時間を共に過ごせることに、喜びを感じている。仲間に対しても同様の気持ちはあれど、リンへのそれは特別なものだ。

 散々否定していたが、認めてしまえばそれはある種、心地良いものでもある。こんな日々が続けばいいのにと思ってしまう。願ってはいけないものだと、この感情をリンへと向けることは許されないと、今でも思ってはいるが。

 

 一方、内心リンは穏やかではなかった。くだらない軽口を叩きながらも、丁度スマホのメッセージにゴンからの連絡が来たのを確認したからだ。

 

『ミテネ連邦のNGLってとこに行ってきます。暫く連絡取れないかも。国境沿いの宿にアルカちゃんと仲間が居るからね』

 

 ゴンらしい、機械慣れしていないながらも思いやりのあるメッセージ文。宿の位置情報まで丁寧に添えられているのは、恐らくキルアの手助けがあったのだろう。

 だが、そこに書かれている地名は、リンの記憶をもとに書きなぐられたメモ用紙の内容と完全に一致している。それは、警鐘以外の何物でもなかった。

 

(……いや、ゴンとキルアが居る。カイト一人じゃないんだから)

 

 心を落ち着かせるために、そう言い聞かせる。だが、同時に嫌な思考に思い当たってしまった。

 

(原作では、どうやってカイトの行方不明が発覚した?)

 

 恐らく原作との相違点となるのだろうが、ミトと恋仲であるカイトは、しばしばくじら島にも訪れていた。そしてリンがカイトの連絡先を知っていた関係で、ゴンもカイトの連絡先を追加している。これは、原作では起こりえなかった変化と言えるだろう。

 ここから、原作におけるゴンはカイトの連絡先を所持していなかったと考えられる。この世界における主人公は、ゴン、キルア、クラピカ、レオリオの4人。そしてカイトと関わりがあるのはゴンのみ。

 つまり、ゴンはカイトと関わっていたためにキメラアント編におけるカイトの行方不明を知ることになった。これは、原作と同じ流れになっているのでは?

 

(落ち着け……カイトには忠告している。ゴンとキルアも、覚悟を持って向かっている)

 

 ぞわりと嫌な汗が噴き出る。それを極力表に出さないように努めながら、リンは思い出したような口調で立ち上がった。

 

「……じゃ、そろそろ行くわ」

「ああ。ゴンとキルアにもよろしく」

 

 近所へ出かけるような口調で手を振るリンに、クラピカも軽く手をあげ返す。それ自体はなんてことのない軽い挨拶だった。

 

 リンの演技は、クラピカをも欺けるほどのものだった。その点、G・Iにおけるトルイ戦の時と違い、リンにはまだ心の余裕があったのだろう。

 今の時代、連絡だって簡単に取れる。リンは一度ああ言った以上、自身の用事を済ませたらまた自分に会いに来るだろう。ツェリードニヒの件も協力すると宣言してくれている。クラピカはそう思っていた。

 つまり、そう遠くない先にまた会う機会がある。それなのに妙な焦燥感を感じたのは、全く根拠のない不気味なものだった。

 

―ゴンが遠くに行っちゃうんだろうなって感じなら、リンは……ある日ふっと消えちゃいそうな感じがするの。ある時急に、跡形もなく……おかしな話よね―

 

 一瞬、消えてしまう気がした。この世にそもそも、リンは存在しなかったかのように。それが恐ろしくて、反射的にリンの手首を掴む。

 

「え、何?」

「……いや。気を付けて」

 

 それ以上は何も言わずに手を離したが、この時の想いはしこりとしてずっと残った。

 そして、この日の出来事が後に後悔に繋がるとは、この時のクラピカは思ってもいなかった。

 

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