「お兄ちゃん、早く迎えに来てね!」
「ああ。直ぐに行くよ……ノア、頼む」
ゲームマスター権限によってどこからでもG・Iに向かうことはできるが、G・Iから何処かへ向かう場合には特定のポイントにしか向かえない。リンの連絡に対してそう返信したリストは、ノアを伴なって最寄りの港町からここまで迎えに来た。
アルカは暫く、ノアと共にG・Iで過ごすことになる。ビスケと共に各地を転々としたりこのマンションで一人で暮らすよりも、安全だとキルアが判断した結果だ。
「ゴンさん、リンさん! お兄ちゃんをお願いします!」
「うん。アルカちゃんも元気でね」
「すぐに野暮用終わらせるからね、アルカ。ノアさん、アルカを頼むわ。リストもドゥーンも、手間かけて悪いわね」
リンの言葉にノアとリストは、「任せて~」「良いんですよ」とそれぞれ答えた。キルアがアルカの言葉を受けて、「馬ッ鹿、俺がこいつらの面倒見てやるんだぜ?」と少しむくれる。
別れが近づく。偶然にも、キルアに『おねがい』をしてもらった後にもう一度リンに『おねだり』をさせていたナニカから、二度目の『おねだり』が来た。結果として、ナニカとも別れを交わす。
「リン、ぎゅってしてー」
「はーい! 暫く会えなくて寂しいけど……元気にしててね」
言外にアルカだけでなくナニカにも、リンはそう言いながら小さな身体をぎゅっと抱き締めた。ナニカにも、アルカ同様の温もりがある。生きている証拠だ。
「にしてもリン、大丈夫なのかぁ? 今回のハント、いかにもヤバそうじゃねえか。ジンには相談したのか?」
ぶっちゃけ、リンはノアとリストに同行を引率を頼んだのでドゥーンは呼んでいなかったのだが。リンとゴン会いたさに無理やりついてきたドゥーンは、そう言って髭を弄る。リンはドゥーンの言葉に鳥肌が立ち、腕をこすった。
「なんで親父に相談すんのよ。考えただけでキッショいわ」
「そう言ってやんなって。ああ見えてあいつもお前の事、心配してんだぜ?」
「ジンは素直じゃないですからね。……でも、かなり危なそうなのは確かです。ゴン君には荷が重いのでは?」
ジンと若い頃からの付き合いであるドゥーンとリストは、当然ハンターとしての経歴も長い。ベテランハンターの視点からも、簡単に聞いたリンとゴンのミッションは危なっかしいものに見える。
その点に関しては、正直リンも同意だ。だが、譲れないものがあるのも確かだった。
「それは何も言えないわ。まあ、言い聞かせてどうにかなる子じゃないし、あの二人ももうプロだからさ」
「……ま、それもそうか」
それぞれが別れを済ませ、リストとドゥーンは、ノアとアルカと共にG・Iへと飛ぶ。リン達も、目的の場所へと向かうためその場を離れたのだった。
スピン達の運転に頼り、借りた車でNGLへと向かう。大人数を運ぶ必要があるため、リン達は大型トラックの内部でガタガタと揺られながら道中を過ごすことになる。
これからNGLに向かう。見捨てる形にして別れてしまった仲間に会いに、あるいは命懸けのミッションに向かいに。それぞれが異なる理由であるが、各々がピリピリとした緊張感を纏っている。
「ねえゴン。約束、違うじゃない」
そんな中、パームの声がぼそりと響いた。ずっと言うのを堪えていたと言わんばかりに遠慮がち、かつそれでいて意見は曲げないという頑なさを感じる。
「え? 何の話?」
ゴンは何のことかと、きょとんとパームを見た。誤魔化しているわけではなく、本当に心当たりがないようだ。
「確かにNGLには向かうことができるわ。でも、ナックルにも勝てなかったし、しかも温情まで貰っているんでしょう?」
共に討伐隊に参加するという約束を守るため、ナックルは直前でゴンに仕掛けた
「結局お義姉さんの荒業に乗っかった形じゃない。約束とは違うわ」
(今、義理の姉と書いて読まれた気がする……)
といっても、リンはパームの言った自分の呼び名の方が気になって、それどころじゃないのだが。なんだか嫌な予感がする。物凄く、今回のハントと同じくらいに嫌な予感が。
「お、師匠から電話だ。わりぃな小声で頼むぜ」
パームのずももも……という空気を遮るようにして流れた、穏やかな鶯の鳴き声。どうやらナックルの携帯の着メロだったらしく、一触即発ではないかとそわそわ様子を見守っていたナックルは一転して仕事モードに戻り電話に出た。車内の端に寄り、ひそひそと通話を始める。
これによって再び仕事前の精神統一タイムに戻るかと思われたが、パームのオーラは変わらない。なまじ目的は達成できただけにここまで我慢していたが、それでもゴンが約束を反故にしたことは納得いかないようだ。
確かに自分は、ナックルを倒してNGLに連れて行くと言った。しかし実際に連れて行くのはリンだ。ゴンは眉尻を下げて心底申し訳なさそうな顔をした。
「確かにそうだね。ごめん、パームさん」
「謝られても困るわ」
「うん。でも、謝るしかできないや。もっと強くなろうって思った。悔しくて仕方ないよ」
悔しくて仕方ない、それは本心だ。だが、それでも表情に多少の余裕があるのは、パームを無事にNGLに連れていけるから。そしてなにより、自分自身がカイトを助けに行けるからだ。もしも行けなかったのなら、本当に悔し泣きするくらいには己の弱さを呪っていただろう。
「それは私には関係ないことだわ」
しかし、パームとの論点からはずれている。あくまでパームはゴンに約束を破った償いをしてほしいのだから。というか、そういう話になるようにさりげなく誘導しているのだから。リンのブラコン本能がビシバシと警鐘を鳴らす。
(……なんか、こっからの会話は聞かない方が良い気がする!)
「じゃあ、どうすればいい?」
「私と付き合って」
リンの嫌な予感をよそに、もじもじと照れ臭そうに言われたその発言。巨大な爆弾が討伐メンバーの頭上に落とされた。
「はぁ!?」
「おいおい……」
「マジかよ」
宇宙が生まれた時のような衝撃と広がる未知の空間が、リンの脳内を占拠する。それはさながらビックバン。思わず大声を出してしまったのも仕方ないだろう。なんとか声が裏返るのを避けられただけ、よく頑張った。
それはキルア達も同様。全員の視線がゴンとパームに注がれる。唯一、通話中のナックルだけは気になる素振りを一瞬見せたが、すぐに電話に集中した。
「うん、わかった」
「へぁ!?」
一方でゴンの返事は更に衝撃的だ。今度こそリンは動揺でおかしな声を出してしまう。普段なら誰かが弄っていただろうが、ゴンの返答が衝撃的すぎて誰もツッコミを入れることはなかった。
「ゴン、お前なんて言った?」
「俺、パームさんと付き合うよ。仕事が一段落したらデートしよ!」
聞き間違いかと思って念のためキルアが問い直してみたが、更なる爆弾が投下されただけ。返答を聞いたキルアも、そしてシュートも、引いたように口元を引きつらせている。
(処す? 処すか? いや待て、耐えろ!)
ぶっちゃけ、パームという人間に対して付き合いたいと思える要素はここまで皆無だった。そして更に、相手はゴンだ。色んな意味で衝撃的すぎる。
しかもカップル成立したのは、リンの目の前。ブラコンである姉がどんな反応をするのかと、二人の視線は自然とそちらへ向く。今すぐキレて暴れ出すんじゃないかと心配しながら。
(耐える、耐えるのよ……。出来たばっかの弟の彼女にキレるだなんて、ドン引きレベルの小姑よ!)
しかし、相手は22歳。ただでさえ半回り年下の弟なのに、義理の妹(仮)が年上だ。リンの心境は複雑である。
(私はまだパームをよく知らない。良いところだってあるかもしれない! ……たぶん)
たとえ外見が超絶メンヘラ女であろうと、毎日包丁を研ぎながらじっとこちらを見つめていようと、直感で相容れないタイプだとわかっていようと、よく知らないままに弟の彼女を真っ向から否定するべきではない。
弟に変な虫を寄せ付けたくないブラコン心と、新たな彼女を真っ向から否定して愛しの弟に嫌われたくないというこれまたブラコン心がせめぎ合う。言うならば、天使のブラコンと悪魔のブラコン。脳内ではリンを挟んで、二人の天使と悪魔が囁き合っている。
(私は良いお姉ちゃん。そう、かっこいいお姉ちゃん。決してみっともない姿を晒してはいけないのよ……つーかここで暴れてゴンに嫌われたら死ぬ)
といっても、大事な仕事前。そしてなにより、ゴン自身が承諾したのだからリンが口を挟む権利はない。ゴンに嫌われるのは何よりも耐えがたいので、辛うじて体裁を繕う言葉だけを絞り出す。
「ぅ……お、ぉめでとぅゴン……」
「ありがと姉さん」
よくやった、リン。流石だ、リン。リンの中のブラコン天使とブラコン悪魔がリンを称える。誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めるしかないのだ。
キルアとシュートはリンに同情的だ。ただでさえブラコンなのに、よくこんな相手と弟が付き合うのを承諾したなと思っている。あくまで他人事ではあるが。
「あ~、……ドンマイ、リン」
「……まあ、弟離れの良い機会なんじゃないのか?」
「好き放題言ってくれるけど、あんたら自分の妹に自分より年上のメンヘラ彼氏が出来たらどう思う?」
「「……」」
リンに言い返され、二人は何も言えず黙った。特にキルアは、アルカにクソみたいな彼氏ができるのを想像して一人で不快な気持ちになっている。そんな微妙な空気はナックルの叫び声によって遮られた。
「うぉい、マジっすか!?」
ナックルはそのまま「ハイ……ハイ……了解っス。じゃあ後で」と締めくくり通話を終了させた。
そしてそのまま、くるりとリン達を振り返る。その表情には焦りが見て取れた。これまでのギャグめいた状況は許されないようだ。
「王が、生まれた」
「マジ?」
キルアの驚きに、ナックルは黙って首を振った。冗談でこんなことは言わない、と。
それは、ハント前に起こった想定外の事態。少しばかり危惧はされていたが、本当に予想よりも早いスピードで王が誕生してしまったようだ。数多の人間や他の生物、そして念能力者を栄養として育った最悪の生物が。
「早過ぎる……」
「……そう上手くはいかないってことね。で、私達への指示は?」
「師匠達がNGLの入り口まで、俺らを迎えに来てくれる。そっからは予定通り巣に行くことになる。つっても、討伐じゃなくて一旦は救護がメインになるみてぇだがよ」
「救護? なんで!」
ハント対象の、カイトを傷つけるようなキメラアントがなぜ救護対象になっているのか。驚き半分、怒り半分でゴンが叫ぶ。キルアがそれを落ち着かせる傍ら、シュートが口元を手で覆った。考え込んでいるのだろう。
「随分な方向転換だな」
「キメラアントは統率された軍隊のような動きをする性質がある。それが崩れたってことは十中八九、女王に何かあったわね」
「恐らくな。詳しくは合流してからだ」
リンの言葉を否定する者はいなかった。今はとにかく、早くモラウ達と合流することだろう。ナックルの頼みにより、トラックは先程よりも更にスピードを上げる。NGLは目前に迫っていた。
◇◇◇
数時間後。NGLの入り口で、手早く審査を通過する。各々の荷物をリンが
入り口を出て、ナックルを先頭に暫く走る。待ち合わせ場所には、ノヴが待っていた。リン達が来たことに気づくと、眼鏡を軽くずり上げつつ能力を発動させる。
「ノヴさん……」
「待ってましたよ。……割符を手に入れた者だけと言っていたのに、全員で来ましたか」
事態が事態だからか、リン達の独断を咎める様子は全くない。ゴンやナックル達は内心その事に少しばかりホッとした。「賭けは私の勝ちですね」とノヴはぼそりと呟いたが、今は言及しなくても良いだろう。
「私の能力で、キメラアントの巣までショートカットします」
「能力?」
「
促されて念空間である
「G・Iみたいなもんかな……」
「あれは現実世界の別な場所に転移する念。こっちは完全に念で作り出した異空間だから、まったくの別モノよ。はい、着替えて」
ゴンとキルアがきょろきょろと辺りを見回している中、リンは預かっていた各々の荷物を返却する。手早く着替えつつ、ゴンがノヴに顔を向けた。
「王はどうなったの?」
「王は護衛軍三体を連れて、東ゴルドーの方へと飛び立ったようです。追いかけて他の蟻が向かう可能性も高い。更に命令を聞かずに個人行動を始めた蟻も居ます」
「ばらけた、か。かなり最悪に近いシナリオだな」
キルアの言う通り、あまりにも絶望的なシナリオだった。数多の人間、念能力者を喰らって成長した王が、生半可な強さのわけはない。間違いなく護衛軍を軽く凌ぐクラスだ。あれだけの禍々しく強力な念を持つ、護衛軍よりも強い存在が生まれた。
(討伐難易度、爆上がりね。軽く見積もってもB、下手したらAクラスに入ってくるかしら……)
ネテロですら、討伐できるかは怪しい。しかし今はキメラアントの残党を救護するミッションが優先らしい。それならば、リン達も黙ってついて行くのみだ。
「丁度救護隊も到着する頃です。私は救護隊を迎えてからそちらへ向かうので、ここから巣まで向かってください」
そう言ってノヴがマスターキーを取り出し、扉を開く。先程入って来た扉なのに、扉の向こうに広がる景色は全く異なるものだった。
非戦闘員であるパームを残して扉を潜ると、一気に生臭い臭いがリン達の鼻腔を貫いた。見れば、巨大な蟻が薄緑の液体を撒き散らした状態で倒れている。止血縫合はされているが、状況は芳しくないようだ。
「おう、来たか」
蟻の大きさや受けている待遇からして、こいつが女王蟻らしい。その傍らにはモラウと、人間に少し似ているキメラアントの兵士が複数人居た。くいと親指で、キメラアントの一匹を差す。
「こいつが俺達に救援を求めて来た奴だ」
「コルトだ。なあ、救護はまだなのか!」
念空間を通り抜けて来た人間が救護隊ではなく、落胆と焦りが同時に来たのだろう。掴みかかりそうな剣幕でモラウに叫ぶ。モラウは状況を尋ねるようにリン達に顔を向けた。
「もう来るみたいよ。見た感じ、不測の事態があったのね?」
「王が女王の腹を破り、生まれた。そのせいで女王は瀕死状態、我々の医療技術では手に負えない」
どうやら、予想通りの事態が起こっていたらしい。会話している間に、ノヴが医療班を連れて戻って来た。いかにも手際の良さそうな外科医をはじめとして、十数名が念空間を通ってやって来る。リン達は邪魔にならないように軽く後ろに下がった。
一言で言うと、これで死んでいないのが不思議なくらいだ。思えば女王蟻は下腹部を中心に負傷しており、王が腹を破ったというのが本当だとわかる。臓器を損傷することが致命的なのは、言うまでもない。
手早く医療班が装置を取り付けていくが、間違いなく救命は不可能だ。念能力でもない限り、難しいだろう。
(……もう少し早く彼と合流できるように連絡していれば、助けられた? いや、私達がこいつを助ける義理はない)
治癒能力があれば女王を助けられたかもしれないと一瞬思ったが、すぐにその考えをかき消した。
そもそも自分達は討伐に来たのだ。女王蟻を生かしては、繁殖は広がる一方。最も優先的に駆除しないといけない対象だった。第一、治癒能力でも【大天使の息吹】レベルのものでないと厳しいだろう。
そう心の中で結論付けて、女王が死ぬかもしれないと必死になっているコルト達に対する、ごくごく僅かな罪悪感をかき消した。人間のように大切な人を失うことを恐れている様を見せつけられるのは、あまり見ていて気分の良いものではない。
息絶え絶えながらも女王が何か伝えたいことがあるらしく、コルトが信号によって会話をする。何かしら、コルトが女王を安心させようとしているのは表情から見て取れた。機械が示す脈拍が、更に微弱なものへと変化していく。
「実際は師団長を殺して食った後、新天地を求めて旅立った。二度と戻ることはないだろう」
女王が王の安否を心配しているのに対し、コルトが優しい嘘をつく。両者の会話を通訳しているタコ型のキメラアントが、そう付け加えた。リン達には何もできる事がなく、黙って成り行きを見守る。
「使ってくれ! 俺の身体を!」
一介の兵隊蟻とは思えないほどの剣幕で、コルトが救護隊に叫んだ。心底護りたいと思っているのが伝わってくる。
だが、キメラアントは文字通り食したものを次世代へと反映させる繁殖方式。臓器を使用することは不可能に等しい。それは、コルトにとっては絶望以外の何ものでもなかった。
やがて、女王の息が途絶えた。最後に王の名前を、愛する子どものために考えた名前を告げて。
どこか虚空へと伸ばされた腕がぱたりと力なく落ち、機械が間延びした無機質な音を立てる。コルトは涙に塗れ嗚咽を上げた。
「また、守れなかった! ……俺は誰一人守ってやれない!」
前世の記憶が混同しているのだろうと、パンダに近い蟻の一匹がリン達に教えた。この嘆き方は女王を失っただけではなく、前世の後悔が表出しているようだ。
コルトは……このキメラアントは、人間だった頃はどのような人生を送っていたのだろうか。死の間際、つまりキメラアントに捕食される直前、誰かを護ろうとしたのだろうか。
「……」
リンは何も言わず、傍らで行く末を見守る。ここまでもずっとモラウとノヴ、そして救護隊のリーダーらしき女性がやり取りをしていたが、モラウはその中で何か言いたげに顎をさすっている。
女王は死んだ。だが、新しく生まれる命もまたあった。王の一部分だったものか、あるいは多産故の兄弟か。それにしてはあまりにも貧弱な、手のひらに乗るほどの小さな生き物を、コルトは恐る恐る取り上げる。 そして、再び希望を取り戻したように、また泣いた。
「この子は俺が守る。絶対……今度こそ、必ず!」
コルトにとって、いや、コルトの大元になった人間にとって、その人は相当に大切な者だったのだろう。守れなかったことを、死んで生まれ変わっても憶えているくらいには。
モラウが無言で、キセルをコルトの背後から突き付ける。人を食わないと誓えるか、と。
「もし誓うなら、何人たりともあんた達には指一本触れさせねえ! 俺の目が黒いうちはな!」
かっこいい事を言っているように見えて、モラウからは鼻水が滝のように流れている。しかも両穴から。その姿を見て、ナックルもまた感動で涙を流す。どうにも涙もろい師弟らしい。
仮にそうでなくとも、コルトと女王の、そして新たな命とのやり取りは心動かされるものだった。
「……」
だが、リンは到底その光景を見て素直に感動はできなかった。増して、キメラアントを護ろうなんて考えにはなれそうにもない。思うのはただ一つ、やり場のない怒りだけだ。
(ここまで情に厚いのに、平然と人間を殺してきたのね。……ま、それは
生物が生きるために生物を食すのは当然のこと。それはわかっている。
だが、キメラアントの行為は残虐かつ非道なもの。キメラアントの所業もまた、ゴンやキルアから聞いていた。当然、出会い頭にカイトが腕を切り飛ばされたことも。
人間の性質を受け継いでいるからこそ、本来のキメラアントには見られない非合理的な殺戮も数多い。今までどれだけの人間が、遊び半分な殺戮の犠牲になったのだろうか。そして、カイトも。
コルトの感情は共感できる。だが同時に、やり場のない憤りも感じていた。彼らの力になりたいと思う一方で、生理的嫌悪感は拭いきれない。皮肉なほどに、キメラアントは人間そのものだ。
「リン……」
ぐっと拳を握りしめる。リンの密かな怒りを察したキルアが、諭すようにリンの名前呼んだ。リンが個人的な怒りを見せるのが珍しく、その声音には心配する色も見てとれる。
キルアは内心驚いていた。抑えているとはいえ、仕事に対しては自分同様に現実的な向き合い方をしているリンが、感情を出している。隠していてこれだ、いったい内側にはどれだけの怒りを隠しているのか、と。
「……私達は、先に行くわ。カイトを探さないと」
女王は死に、火急の対応は終わってしまった。ならば、自分達もそろそろ目的に従って行動しても良い筈だ。別のことに意識を集中させることで、目の前で起こったやり取りを頭から追い出したいと、リンはくるりと背を向けた。
居るかどうかも、定かではない。殺されてとっくに肉団子になっている可能性だって、十分にある。だが、探す価値はあるはずだ。リンの言葉に、その場の光景に呆気にとられていたゴンがハッとした表情になった。
「そうだ……カイト、カイトはどこ!?」
「落ち着けゴン。……ここに人間はいないか? 長髪で銀髪の、背の高い男だ」
キルアがゴンを制し、他のキメラアントに顔を向けた。牛型のキメラアントが少し考えた後、思い当たったようにぽんと手を打つ。
「……ああ、『特訓人間』のことか」
「と、っくん……」
「ついて来い」
その言葉の響きにゴンが嫌な予感を読み取り、思わず反芻した。それはリンもキルアも同じで、思わず眉を顰める。
だが、少なくとも食料にはなっていなかった。それだけは安心できると、リン・ゴン・キルアの三人は黙って彼について行く。
いかにも蟻塚らしい、複雑な構造の城だ。建築を担うらしい、蟻そのままの見た目をしたキメラアントが、ペタペタと穴の開いた壁を補修している。
物理的に破壊されたような形状からして、あれも王の仕業だったのかもしれない。その傍を通り過ぎ、何度も階段を降りる。
城の下層部、女王の間に比べると明らかに兵隊蟻向けの広くて無機質な空間に、その姿はあった。特に拘束されている様子はなく、静かに段差に腰かけている。
「カイト!」
先ほど『特訓人間』と称された通り、兵隊蟻の戦闘訓練用に使われていたのだろう。カイトの身体はあちこちが乱雑に縫われ、傷跡が目立っていた。
無理矢理身体を動かしているのだろうか。ギシュリ、グギシュリ、と人間が立てることのできない音を立てて、カイトはリン達を見た。俯いていたからわからなかったが、片方の目玉は瞼も無くなったのか眼球が剥き出しになっている。
(……カイトのオーラが視えない。完全に抜け殻ね)
それは、視覚的にオーラの違いを視ることができる特性上、リンだけが気づくことができた。カイトの身体にもオーラはあるが、それは元々のカイトのオーラとは全く異なるもの。モラウ達と初めて合流した時に視た、猫型キメラアントの禍々しいオーラの色と酷似している。
操作されていても、オーラが完全に途絶えることはない。例えばクラピカは、リンの
しかし、今のカイトにはそれがない。例えるならば、イルミが【針人間】用に用意しているオーラを纏った針のような、無機物に道具としてのオーラを纏わせている状態だ。それは、カイトの身体が生物として機能していないと言っているも同じ。
(……つまりカイトはもう、死んだ)
リンが希望的観測で抱いていたように、万に一つの確率で死後の念がどこかしらで働いている可能性はあるだろう。しかし……。
「なあ、リン……カイトは……」
少なくともこの肉体は死んでいる。ミトの愛した、カイトという人間の肉体は。キルアも目の前のカイトの異常さとリンの態度で、それを察してしまっていた。
(もしかしたら生きてるかもしれないって思うのは……あまりにも酷。死んだものとして考えた方が良い)
リンが察したそれらのことにまだ気づいていないゴンは、カイトが生きていたことに喜び抱き締めようと近づいた。頭の片隅で今のカイトが異常だとわかっていても、それを無事だった喜びが上回ったのだろう。
「カイト……!」
「おい!」
「ゴン、待って!!」
リンとキルアが引き留めるより、ゴンの接近に反応したカイトが拳を繰り出す方が早かった。それ自体は素早いながらも、威力も弱く機械的なものだ。修行を積んだゴンならば、反射的に避けられる程度の。
「カイト、なんで……」
だが、カイトに攻撃されたショックの方が大きい。呆然と呟くゴンに、リンは努めて無表情に近づいた。そして、カイトの死を宣告した。
「ゴン、ここにカイトは居ないわ」
「何言ってるの、カイトはここに居るじゃん!」
前述の理由から、ゴンはカイトの異常には気づけてもその死には気づけない。オーラがあって、肉体も動いている。何かしらのオーラで意識がブロックされている、もしくは操られていると考える方が自然だ。
少なくともここでカイトの死を断言するのは、ゴンには残酷かつ信じられないことだった。だが、これは誰かが言わないといけないことだった。最初に気づいてしまった人間が。
「カイトのオーラが視えない。ここに、カイトの魂と呼ばれるものはもうない」
「じゃあ……」
「このカイトは、ただの操り人形ってこと。カイト自身の意思はこの身体にはないわ」
とはいえ、ゴンもリンの特性は理解している。そして、自分の姉はこんな時に嘘をつくような人間ではない。リン達を見ていた牛型のキメラアントが、気まずそうに言った。
「この人間は、護衛軍のピトー……ネフェルピトー様が連れてこられた。改造して、何度も戦えるように作り変えられたらしい。俺達も使用していた」
「ネフェルピトー……」
「……猫型のキメラアントだよね?」
「そうだ」
つまりは、カイトはネフェルピトーによって改造されていると言いたいのだろう。その肉体の生死はこの蟻も理解していないようだが。そして、今の言葉に希望的観測を見出したゴンは一瞬表情を明るくさせた。
「じゃあ、ピトーって奴にカイトを直させればいい! そうすればカイトは……!」
「恐らく無駄よ」
しかしリンに言わせれば、それは無駄足以外の何でもない。むしろ、絶望を深めるものだ。一見動いているカイトのオーラがこの肉体に留まっていないのは、ある種死んでいるよりも残酷な状況をリンとゴンにもたらしていた。
「生物は器とオーラが揃って初めて生きられる。オーラがない以上、ピトーでも……たぶん、直せない」
「……いいや、直させる。絶対に元のカイトに戻させる」
「ゴン、だから……」
リンは無意識に、幼い子どもを言い聞かせるような口調になっていた。必要なのは、現実を正しく認識すること。これができなければ、次の段階には進めない。なにより、現実を拒む心の脆さは死に直結する。それはハンターという世界での暗黙の了解だ。
「……うるさい!」
そんなリンの言葉は、ゴンには酷く冷酷で情のないものに思えた。まるで、リンがカイトの死に何も感じていないような、カイトのことをどうでもいい存在だと思っているかのようなものに。
だからこそ、腹が立った。眼に涙を浮かべて、気づけばキッと睨んで叫んでいた。
「姉さんには
それは、ゴンが誰にも、姉にすらも吐露したことのない、偽りない本音だ。そして、ゴンの中の、真っ黒な部分でもあった。
「俺にとって、ジンはジンでしかない! でも、カイトは俺にとって、父さんみたいな存在だったんだ! 何度も島に来てくれて、俺に色んな事を教えて遊んでくれた、父さんなんだ!」
「……」
確かに、リンにはリンの苦労があったはずだ。たらいまわしに預けられ、暗殺一家の教育を受けた。挙句、見知らぬ島にほぼ初対面の弟と捨て置かれた。
だがそれでも、ジンと親子の関わりがあるリンが、ゴンは羨ましかった。口悪くも父親に愛情を向けることができるのが、羨ましかった。そして、父子の交わりを無意識にカイトに求めていた。
「ゴン、流石にその言い方はねーぞ!」
「キルア、いいの」
流石に仲裁しようと出てきたキルアを静かに諫める。それはリンにとっても痛い場所だったからだ。
リンはどれだけ罵倒しようとも、ジンを父親として見ている。『クソ親父』の蔑称だって、見方を変えればジンを父親だと認めているからこそ生まれる言葉だ。
「ゴンがカイトを父親のように感じてるのは、わかってた。ゴンにとって大きな存在だって」
リンとゴンがジンへ、そしてカイトへ向ける感情は、全く異なるものだ。G・Iでゴンの精神世界に入った時から、いや、その前から察していた。
ゴンの精神世界にあったカイトのぬいぐるみ、それはミトと寄り添う形でベッドに優しく飾られていた。家族にしか許されない領域にカイトが居るのは、とっくにわかっていた。一方でジンが何処か現実離れした存在に感じているであろう事も。
「でも、これだけは言わせてもらうわ」
だが、黙って聞いていられない部分もある。確かにただの仕事仲間でしかないならば、悲しみ悼みはしただろうが、報復を考えるまでのことはなかった。だが、カイトはリンにとって特別な存在だ。
「馬鹿にすんな。確かにカイトは父親じゃないけど、私にとっても大事な人よ」
父親の一番弟子であり、ハンターとしての仲間。なにより、ミトの大切な人だ。リンを我が子として育ててくれた人に、ようやく訪れた自分だけの幸せをもたらしてくれた人だ。
それを殺されただけでなく、玩具のように扱われ辱められた。リンにとっても黙っていられるものではない。
「カイト壊されて、怒ってるのがあんただけだと思ってんの?」
「……!」
「そのクソ蟻、ぶち殺してやる。降伏しても許さない。土下座しても、命乞いしても許さない。コルトみたいに優しさを見せて来たって、絶対に許さない」
先ほどのやり取りを見せられて、何も思わなかったわけではない。だが、それ以上に憤りを感じていた。そしてカイトの姿を見てからは、玩具のように弄ばれた怒りと共に。
それら全ては、カイトの仇に向けられる。ゴンとはベクトルが違うとしても、リンも同様に黒い感情を燻ぶらせていた。