ある程度島の状況を確認して回り、木の上でしばしの睡眠をとったリンが目を覚ました時、もうゴンは一日目の場所には居なかった。夜更かしをしたリンが起きたのは二日目の陽が傾いている時刻だったので当然と言えば当然なのだが。
(あー!もうまた探さなきゃいけない!こんな事なら能力使って起きとくんだった!)
慌てて探し回るが、こういう時に限って目的の人物は見つからないものだ。襲い掛かってきた受験生を撃退しているクラピカとレオリオや尾行されているのを完全無視しているキルアは遠目に見かけたが、肝心のゴンは見つからない。
人影を見つけ、やっとゴンかと思い近づいたがまたしてもハズレ。しかも今度は正面からの邂逅だったので相手もリンの存在に気づいた。
「ん?」
(あー、三兄弟の…デカいからアモリかな。もう一人は弟か。今年も受験してたのね)
顔を突き合わせてもボケっとしているリンとは対照的に、アモリとイモリは愛用の武器を構え臨戦態勢に入る。
「何だお前、俺のプレートを奪いに来たのか!?」
「いや?ここで会ったのはたまたまです。…今回は四次試験を受験されたんですね」
思わず現役の頃を思い出しそう口走る。だが、あの時の子どもが成長して性転換して目の前に居るなんて考えが及ぶわけもなく、そもそも当時のリンを記憶しているかも怪しいアモリ達。当然不信感を露わにして警戒心を高めるばかりだ。
「…なぜ知っている?過去でお前に会った事はないが」
「まあ、色々と…俺、君の事尊敬してるんですよ」
「は?どういうことだ」
「どういうことも何も、非常事態でも正しい判断ができるのは尊敬されて当然でしょう?」
これはリンの本心だ。あの時、弟たちの安全を想って真っ先に試験を降りたアモリの決断力と優先順位の付け方を、リンは素直に尊敬している。その力があれば、リンは後悔する事がなかっただろうから。
正直なところ、常に兄弟の連係プレーで動く事を前提としているアモリ達がハンターの逸材だとまでは思わない。念能力をジョイント型にすれば武力は確保できるだろうが、所謂印象値があまり高くないからだ。集団で行動できるスキルは必要だが、それしかできない人間は己の信念がないとハンター界隈では見做される。
だが、仲間を大切にするという一点についてのみはリンはアモリを高く評価している。そのため、人差し指を唇に当てながら自分たちにだけ聴こえる距離で小さく言った。
「本心ですよ。…サービス。君の弟の一人、99番の少年をターゲットにして尾行してるみたいだけど、とっくに気づかれてる。そして君達の後ろをハゲの忍者がずっと尾行してますよ」
「何だと!?」
少し前に見えた光景と、今背後に隠れているハンゾーの存在を教えてやる。動揺したアモリが背後を振り返る隙に、リンは彼の前を通り過ぎて再びゴンを探し始めた。
◇◇◇
三日目の夜。広い島ではなかなかお目当てを見つけることはできず、ゴンを探すよりもヒソカを探した方が手っ取り早いと気づいたリンはヒソカが待つ丘までやってきた。
別に待ち合わせをしていたわけではない。ただ、ヒソカが明らかにリンを挑発する殺気を辺りに巻き散らしていたため、簡単に場所が分かったというだけだ。
(…ゴンの匂いがする。やっぱり、かなり前からヒソカを張ってたみたいね)
夜を選んだのは他の受験生の目にとまり辛く、かつゴンが隠れてヒソカを襲いやすいから。そんなリンの意図も知らず、ヒソカは待ちきれないと言わんばかりに禍々しいオーラを練っている。
「やあニア♥随分焦らしてくれるじゃないか♣」
嬉しそうに口の端を吊り上げて目を細めるヒソカ。椅子代わりにしていた切り株から立ち上がりトランプを取り出すその姿は、誰が見ても殺意満々であるとわかる。
リンは別段戦いが好きなわけでは無い。それに加え、今まで出会った人間の中でも間違いなくトップに君臨する禍々しいオーラを纏うヒソカだ。普通なら臆してもおかしくないのだが、やはり自分もジンやゴンと同類なのだろう。強敵を相手に高揚感を隠し切れないでいる。
「こちらにも色々と事情がありまして。それに、ちゃんと約束を果たしに来たでしょ?」
そう言って軽く腰を落とし、戦闘用にオーラを練る。高密度の練を身に纏う姿に、ヒソカは満足そうに舌なめずりをした。
(美味しそうな青い果実…大きく実り、熟し始めてる♥)
オーラ総量といい密度といい、目の前の青年は滅多に御目にかかれない極上の獲物だ。まだまだ骨格も筋力も発展途上である事を考えると、今後さらに美味しく実るだろう。
いくつか目ぼしい果実を見つけたとはいえ、殺り甲斐もなく退屈しきっていた上に制限まで出されていた試験続きだ。少しくらい遊んだって罰は当たらないとヒソカは思う…ヒソカに天罰などという概念はないのだが。
愛用の発を練りながら、トランプを指に挟みヒソカは走り出した。ジョーカーのカードを投げつけ、反応を窺う。
避けられてもブーメランのように曲がって瞬時に背後から狙えるよう、後方に『隠』を纏うゴムを飛ばしておいたピエロ特製のトラップ入りだ。仮に受け止められたとしても、その頃にはヒソカの拳が脇腹に入るだろう。
避けるか、受け止めるか、どう出る?
小手調べにしては殺意に満ちたマルチバッドエンドな選択。しかしニアはどちらも選ぶ事はなかった。
(…『発』か?)
投げたカードが一瞬にしてニアの前から消えた。いや、燃え尽きた…というのが正解かもしれない。
カードを一瞬で燃やす熱量のオーラで攻撃されたら、流石のヒソカでも被害を被るだろう。足を止め、空中で一回転して勢いを殺す。迎え撃とうとしていたニアの拳は空を切った。再び膠着が起こる。
続く攻撃はニアが動き出すのが先だった。効果音でも付きそうな程の足の速さでヒソカに急接近し、掌底を当てる。それがフェイクで本命はオーラを纏った左腕だと判断したヒソカは、敢えて攻撃を受ける事で続く本命の一打に備えオーラを溜めた。その判断が誤りだったと気づいたのは、一瞬後。身体が僅かに麻痺した時だ。
そしてオーラを纏う左腕すらフェイクだったようで、右の手を強く握ったニアがヒソカの腹を打つ。ヒソカは軽く血を吐いたがそれ以上に興奮が抑えきれず、反射的に全力の蹴りをニアに叩きこんだ。辛うじてガードしたニアも勢いは殺しきれず、ざりざりと土の上を足裏が滑る。
「オーラの質を炎や電気に変化させる…変化系かな?にしては似た者同士の匂いがしないんだけど…♣」
オーラを練りながら探りを入れるヒソカの言葉に、ニアは不敵な笑みと共に人差し指を一本唇に当てた。教える気はないらしい。
(つれないな♠でもそこもイイ…♥)
ヒソカの興奮はどんどん膨張していく。色んな感情が渦巻いて戦闘の妨げになるためリンは敢えて見ないようにしているが、下半身も立派に立ち上がっていた。
「キミって凄く興奮させてくれるね♥キミみたいな
好きこそものの上手なれ。リンはオーラ遊びも含め、念能力の鍛錬だけはずっと日常的にこなしてきた。ジンを見つける少し前からはそこそこ真剣に肉体トレーニングも行っており、対峙して以降はいつか一泡吹かせてやると殊更体術修行にも取り組んでいる。
その実力は師匠であるビスケの折り紙付きであり、ごくたまに暇な時はネテロの喧嘩相手も務める程。「おぬしは世界中の能力者の中で言うならギリギリ足の小指ってとこかの」と褒めているのか馬鹿にしているのか微妙にわからないトーンで言われたのは割と最近の話。
体術やオーラ操作の技術だけでは全てを測れないのが念能力の世界だが、ちょっとしたお遊びだけでもヒソカを興奮させるには十分すぎる実力をリンは持ち合わせていた。
そして天才は天才を見分けると言われる通り、ヒソカの実力はリンも察していた。身体能力や知力、おおよそ戦闘関連のみに偏ってはいるが、ヒソカのそれは間違いなく稀代の天才のもの。
(ここまで才能を持っちゃ、これだけ変態になっちゃうのも仕方ないわね)
有り余る才能と実力。これだけの力を持ち合わせておきながら、恐らくまだピークではない。年下の自分が言うのもなんだが末恐ろしいという思いを拭いきれない。
だがその一方で、だからこそこの世界が退屈にも感じるのだろうと多少は理解した。同情や共感は一切ないが、強い人間との戦闘に固執するのは仕方ない。それだけのものをヒソカは持っている。
(ま、ショタコンやセクハラはアウトだけど…ね)
そこまで考えたところで(お前がそれを言うか?)と内なる自分がリンにつっこみを入れ、心の中で思わず吹き出す。
くつくつと笑いながらリンは両手にオーラを集中させた。
『雷』
手元にオーラを集中させ、更にそれらを電気に変化させる。念の電流が周囲を明るく照らし、大きく跳んだリンと共に渦巻く。
(本当、良いオーラ♥)
ヒソカは歓喜に震えていた。攻防を繰り返すほどに伝わってくる隠された実力。隠し持っている力を全て出し切ったなら、イルミやクロロにも匹敵するだろう。これでまだ伸び代があるというのだから、喜ばずにはいられない。
(ゴムは雷を通さない…よね♠)
ヒソカの推測した通り、電気に見えるオーラは全ての性質を電気に模しているらしく、ヒソカのオーラで易々と阻まれた。
バチバチと光が飛び散る中、『隠』で背中に貼り付けておいたガムを収縮させる。ニアの身体はゴムの力によって大きく木に叩きつけられた。
「隙あり…♥」
今殺すには惜しい。どうでもいい存在なら迷わずにトランプで切り刻んでいたが、ヒソカはオーラを纏った拳で殴りつける方を選択した。瞬間、ニアの身体が燃え上がり拘束している木ごと炎に包まれる。
一筋縄ではいかない。何が起こるかわからないなんて、なんて楽しい相手だろう。クロロとはまた別な高揚感を感じさせる目の前の相手に、興奮が止まらない。
(…蜘蛛の次は、彼で遊ぼうか♥)
一方で、ヒソカと戦いながらもリンはゴンの気配を探っていた。
ヒソカがゴンのターゲットであることを考えると、ゴンがプレートを奪うための策はおのずと限られる。そして川べりでの行動、これらから推測するに、ゴンがヒソカが獲物を狙う瞬間を狙うのは簡単に想像がつく。しかしせっかくその瞬間を何度も提供しているのに、ゴンが動く気配はない。
(ずっとヒソカを見張ってたはずなのに、どうしてゴンは仕掛けない?…もしかして私が殺されないか心配で助けようとしている?)
一旦気づくとそうとしか思えなくなってきた。あの、命知らずの癖に人の事は誰よりも気にする弟だ。その可能性は十分に考えられる。
「ニア…もしかして別の人の事考えてる?」
ヒソカが面倒な女のような発言を、にしては殺気の強いトランプと共に投げる。それを躱しながら、リンは丁度良いと叫んだ。
「まさか!俺だって一対一のこの勝負を楽しんでいますよ!邪魔も入らず殴り合えて最高です!」
それはヒソカではなくゴンへ向けたメッセージだ。自分への手助けは要らないから、為すべきことをしろ、と。
(ゴンの居場所が一定になった…一番狙いやすいスポットを見つけたかしら?)
サービスだ。せっかくならば、ゴンの居場所から最も狙いやすいスポットでヒソカを狩らせてやろう。そう思い、わざとヒソカの打撃を受けて遠くまで吹っ飛ぶ。
そして敢えて距離を取り、怪我をしている風に足を引き摺るそぶりをしてヒソカが食いつく隙をちらつかせた。ヒソカには気づかれなくても自然の中で生物の動きを観察して育ってきたゴンにはフェイクだとわかる程度に、僅かに。
ゴンもリンの意図に気づいたらしい。そして興奮収まらずに殺気をこれでもかと出すヒソカを目掛け、釣り竿がしなる音が聴こえた。非念能力者でありながら、ヒソカの殺気に自身の殺気を紛れさせてばれないように、しかし確実に狙う。
(外すなよ、ゴン!)
◇◇◇
(ニア!?)
ヒソカの尾行を初めておおよそ一日。途中で針を刺した男が謎の変貌を遂げたり、そのまま地中に潜ったりといったハプニングもあったが、ばれずに張り付いていた。だが、ここに来て現れた予想外の人物に、ゴンの心拍数は上がるばかりだ。
一次試験から仲良くなった青年、ニア。礼儀正しく物静かだがところどころで天然な事をやらかす面白い人、というのがゴンの評価だった。そして、キルアと同じで戦闘のセンスが凄い。
ニアが強いのは知っている。一次試験の途中でヒソカと対等に渡り合っていた事も。だが、一対一で戦うのはあまりにも無謀だ。それくらい、ここまでのヒソカは恐ろしくゾクゾクする存在だと認識していた。
助けなきゃ。自分の目的も忘れ飛び出そうとしたゴンを引き留めたのは、ニアとヒソカから放たれた謎の殺気だった。
(何あれ…!怖い!この場に居たくない!!)
二人とも立っているだけで何もしていない。聴覚の鋭いゴンは会話もそのまま聴こえているが、なんて事のない戦闘前の会話をしているだけだ。それなのに、その場から動く事ができない。
ヒソカが走りだす。トランプが投げられ、ニアの目の前で燃え尽きた。どんな技を使っているのか、あるいはただのトリックなのか。目に見えない熱風を感じながら、ゴンはぎゅっと釣り竿を握りしめた。
(でも、ニアを助けなきゃ…!怖いけど、怖いけど仲間だもん!)
大きく深呼吸をして、キッと前を見据える。二人の攻防は目にも止まらない速度で繰り広げられている。自分が役に立つとは思えないが、仲間が戦う姿を見て見ぬふりはできなかった。
ゴンは命の危機感が人よりも薄い。いざという時には、平然と自らを犠牲にする。それはシビアな自然に囲まれて暮らした事や幼少期に親に捨てられたと感じた事に起因する。
そんなゴンにとって、仲間の危機に助けに入るのは自然な流れだった。たとえそれが到底敵わない力量差のある相手だとしても。
「まさか!俺だって一対一のこの勝負を楽しんでいますよ!邪魔も入らず殴り合えて最高です!」
踏み出しかけた一歩は、ニアの叫びによって再び止められた。ヒソカと対峙している状態で口にする言葉にしては違和感の残るその発言に、一つの推測が頭をよぎる。
(ニア…俺の存在に気づいてる!?)
一度そう思うと、それ以外考えられなくなった。ニアはヒソカがゴンのターゲットだと知っている。ヒソカにもばれなかった尾行がニアに気づかれているのは驚いたが、よくよく見れば時々見えるニアの動きは何かを気にしているような気もする。
(せっかく貰ったチャンス…絶対に外せない!!)
意思の疎通もできないこの環境でニアの厚意を断ることは、ニアの足を引っ張ることに繋がる。即座に周囲を見渡し、最も見晴らしが良く狙いやすい場所を探す。
ニアの力になれない、それどころか助けられた…いや、今はそんな事を考えるな!雑念を振り払いプレートを見据える。
ニアの動きが少しおかしい。脚を引き摺っているが、本当に怪我をしている野生動物はあんな動きをしない。
(ここを狙えって言ってる!)
言葉にせずともニアの意図がなぜかわかった。ヒソカは気づいていないらしく、ニアの首目掛けて手が伸びる。ゴンの釣り竿が一層大きくしなり、ヒソカのプレート目掛けて放たれた。
◇◇◇
ヒソカがリンの首をカードで斬りつけようとした時、ゴンの釣り竿がヒソカのナンバープレートを襲った。流石のヒソカも獣のように気配を殺したゴンの存在には気づけなかったらしく、一瞬あっけにとられる。
その隙をついてリンはカードを指で押さえつけながら、引き摺るふりをしていた足でヒソカの腹を蹴り飛ばした。状況整理が追いついていないヒソカの身体は、空中から攻撃を仕掛けようとすることもなく地面に着地する。
もしもゴンが外していれば、ヒソカは動揺を見せずリンの首を斬っていただろう。勿論ガードもしただろうが、リンが作り出した隙はある種狂気にも近い弟への信頼と愛から作り出されたものだ。
だが、成功してしまえばなんてことはない。軽く服についた汚れを払い落とし、ゴンが逃げて行った方向をぼんやりと見つめるヒソカに笑いかける。
「ナンバープレート…盗られましたね」
「…気づいてたんだ♠」
何に、とは口にするまでもないのだろう。ヒソカが言外に指したのは言うまでもなくゴンの事だ。自分も気づかなかった存在にリンが気づいていたのが、ヒソカをまたしても驚かせたらしい。
「まあね」とリンが軽く受け流すと、ヒソカは裏切られたとでも言うようにじろりとリンを睨みつけた。彼としては一対一の
「君達…もしかしてグルだった?」
「まさか。俺があの子に勝手に肩入れしただけですよ」
「ふうん…可愛がってるんだね。あの子って、君の獲物?」
仮にリンがゴンの命を狙っているとしてもヒソカは平気でそれを妨害しゴンを自分のおもちゃ箱に入れるだろうが、白々しくそう尋ねてきた。そしてそのワードは当然リンにとっては地雷である。
「いえ…でもあの子を殺すなら、その前に俺がお前を殺します」
「それ、いいね♥考えさせてもらう♣」
軽く殺気を飛ばすリンに、ヒソカはくるりと背を向けた。興も醒めてしまったし、もうこの遊びは終わり…という事だろう。リンとしても目的は達成したし、特に異論はない。
「ねえ、また近いうちに、ヤろうよ♥」
だがそう言って軽く振り返ったヒソカは、心底楽しそうだ。ヒソカと違って快楽殺人者ではないリンは、腕組みをしてよそ見をする事で軽くスルーする。だがヒソカが振られてしまった事を気にしている様子はない。
「君…まだ本気じゃなかったんだろ?」
「ヒソカこそ、お遊び程度だったくせに」
「そりゃあね♦もっと君の戦略に思いを巡らせたいから…今日は味見♥」
勿論お遊びと言えど、リンの実力が及ばなければあっさりと殺されていただろうが。
「君のソレ、発ですらないんだろう?」と確信した様子で言うヒソカ。あれだけのやり取りでバレるとは思わなかったが、バレて困るものでもないため何も言わず無言で肯定だけしておく。
その時、ゴンが走って行った方角から僅かに風を切るような音が聴こえた。十中八九、ゴンを狙っていた男だろう。
(あいつ…忠告してたのにやりやがったわね)
頑張った弟の成果を横取りしやがって…と密かにイラつくリン。殺す気はないが、あのタイミングで狙ってきたということはリンに見られても問題ないと思っているのと同義だ。リンが足をそちらへ向けようとすると、それより先にヒソカが一歩踏み出した。
「じゃ、あの子にご褒美でもあげてこようかな…♥」
「バックバージンだけは駄目よ」
「?」
「いや、何でもないです」
反射的に本音が漏れてしまい、ぱっと口を押さえる。幸いよく聴き取れなかったらしくヒソカは首を傾げたが、リンもそれ以上は何も言わない。
プレートを獲られたにもかかわらず、ヒソカのオーラは凄く楽しそうだ。リン同様にゴンが狩られたのにも気づいていそうだし、止めても行きそうなので黙って任せることにした。
「次は外で…もっと素敵な殺し合いをしようね♠」
「…気が向いたらね♥」
最後の一言は仕事としてのニアの言葉ではなく、リンの本音だ。あざとく指を頬に添えて首を傾げるリンに、たまらないと言わんばかりに震えながらヒソカは去って行った。
◇◇◇
「…ミトさん」
筋弛緩系の毒を盛られたのだろう。加えてヒソカに殴られ意識を飛ばしたゴンを、近くの木の洞の中へと運んでやる。風邪をひかないように自身の上着を被せてやった時、ゴンが涙混じりにそう呟いたのを、リンは確かに聴いた。
(…ミトさんには感謝しなくちゃね。親父よりもよっぽどゴンの親をしてくれる)
幼少期から色んな人が親代わりとなってあちこちたらい回しにされていたリンと違い、ゴンにとっては今回の試験が初めて親元から離れる旅だ。まだ12歳にもならない少年、口にしなくても少し心が弱っていたのだろう。
(…いや、私も同罪ね)
だが、ゴンが寂しいと思えるくらいの親になってくれたのはミトだけだ。ジンは勿論、リンだって結局はゴンを置いて島を出てしまった。
自分の罪悪感を紛らわせるために眠っているゴンの頭を優しく撫でると、動かない身体でも僅かに身じろぎをして、またゴンは寝言を言った。
「姉さん…」
「…」
もしかすると、自分はゴンに過剰な期待をしていたのかもしれない。本当は一緒に冒険するよりも姉弟揃って島で遊んで暮らす方がゴンは幸せだっただろうか?
…だが、もう後には戻れない。自分を優先して島を出たジンもリンも、そして二人を追いかけてハンターになると決意したゴンも。
「早く一緒に冒険しよう、ゴン。姉ちゃん待ってるから」
起こさないよう小声でそう呟くと、心なしかゴンの表情は安らかになった。
◇◇◇
夢を見ているときに『これは夢だ』と気づくことができる夢を、明晰夢というらしい。
姉から教えてもらった知識だが、ともかくゴンは今自分が明晰夢の中に居ると気づいた。
さっきまで幼い自分が養母であるミトと共に眠っている夢を見ていたが、場面が切り替わり目の前には父親の姿がある。写真でしか見た事がないので若い頃の姿をしており、それに違和感を覚えてここが夢の中だと察した。
父に会えたら、話したい事がいっぱいあった。聞きたい事もいっぱいあった。だが、父は何も言わずに背を向けて去って行く。
夢の中なら、好きな展開にできたっていいじゃないか。そう憤りながら走って追いかけるが、一向に追いつけない。その背中は小さく、遠く、霞んでいく。
歯噛みしながら隣に眼を向けると、姉の姿があった。今まで気づいていなかったが、自身の右手は姉の左手としっかり繋がれている。だが姉はゴンに眼を向けることなく、父の背中を真っすぐに見据えていた。
ああ、姉さんまで行っちゃうんだ。行かないでほしい。
そんな思いとは裏腹に、繋がれた手が離される。真っ白な世界の中、姉はよそ見をせずに走り出した。
「姉さん行かないで…」
思わず小さな声が漏れた。見送ったあの時から月日は過ぎたのに、未だに夢の中ですら笑顔で見送れない。
だが、ゴンの声が聴こえたかのように、その背が一度だけ振り返りゴンの瞳をしっかりと見据えて言った。
「早く一緒に冒険しよう、ゴン。姉ちゃん待ってるから」
早く追いかけたい、追いつきたい。