「ゴン、金が必要とか、旅団がどうしてるか調べてるとか、もうリンには言ったか?」
「まだだけど…」
「リンには内緒にしとけよ」
「え、なんで?」
翌日。朝食の後、四人はロビーで屯していた。ちょっとトイレとリンが席を外した隙に、レオリオがゴンに小声で忠告する。
昨日はゴンがキルアと過ごした天空闘技場の話をするので時間が過ぎてしまい、現状については話していなかった。しかし急にそんな忠告をされ、当然理由を求めるゴン。キルアは何も言わず食後のチョコロボくんを頬張っていたが、その眼はゴン同様に「理由を教えろ」と言っている。
「実は俺とクラピカ、リンに念を教わったんだ」
「ああ、俺達の師匠に聞いたよ」
「姉さん俺には教えてくれなかった…」
「まあそうしょげんなって。教えるのは二人が限界だったみたいだし、急を要する俺たちを優先してくれたんだ」
弟子になったレオリオから直接リンに指導を受けたと聞き、再びしょげるゴン。レオリオが慰めるが、キルアはまたかと言いたげにジト目でゴンを見る。
「…ったくよぉ」
うじうじと落ち込む姿に、キルアは机の上に置きっぱなしにされたリンのスマホを手にとってカメラを起動した。内カメラでゴンと自分にカメラを向けシャッターを切ると、落ち込んでいたゴンも反射的に両手でピースをする。
ゴンは基本的にちょろく、別のことで気を逸らしたらあっさりと機嫌を直す。本題に戻せると、レオリオもホッとして続きを話し始めた。
「あいつ、俺たちが幻影旅団と関わるのをやたら嫌がってたんだよ。クラピカの復讐を止めようとするくらいにな」
「復讐を止める…?」
「ああ、クラピカが旅団用の念を作ろうとするから能力を決めるのにもかなり揉めてたぜ。ほっぺた引っ張り合うわ幼稚な悪口言い合うわ、ガキくせーのなんのって」
「クラピカもか?あんまイメージ湧かねぇ~」
あれだけ反対していたのに折れてしまって、本当に納得しているのだろうかレオリオは内心思っている。話しながら過去を思い返すと、やっぱりリンが納得しているとは思えない。それだけ二人の言い合いはしょっちゅうだったし、凄まじいものだった。
年の離れた友人二人が存外子ども染みたやり取りをしていると察したキルアが呆れ顔でため息をつく。チョコロボくんはとっくに空になってしまっていた。
「じゃあ、リンには言わない方がいいな。あいつゴンと同じで、言い出したらきかなそうだし」
「俺と同じってどういうことだよぉ!」
「数十億のゲームが欲しいなんて言いづれーし」
「そ、それは確かに…」
自分の力でG・Iをハントしようと息巻いていたゴン。キルアに文句を言いかけるが、弱いところをズバリ突かれると何も言い返せない。
今日の予定は単純明快、昨日の腕相撲の続きだ。問題はどのようにしてリンの気を引いておくか。リンがなかなか帰ってこないのを良いことに、男三人は今後の予定をひそひそと立てるのだった。
◇◇◇
(はぁ~、今日も快便快便と…)
スッキリしたリンを待っていたのは、どういうわけかキルア一人だけ。ゴンとレオリオの姿はどこにもなく、きょろきょろと辺りを見回す。
「ゴンとレオリオは?」
「何かどうしても手に入れたいものがあるとか言って、デパートの方に行ったぜ。直ぐ出ないと売り切れちまうんだってさ」
平然と嘘をつくキルアは変化系の鑑といえるだろう。流石のリンも日常的に嘘をつくキルアの嘘をいちいち感知はできず、その言葉を素直に信じる。
ゴンとレオリオは昨日と同じように腕相撲に出かけている。レオリオの言う『獲物』がかかるまで続けるとのことだ。
大きな獲物を狙うには撒き餌が必須。そのためにはゴンの腕相撲知名度が上がれば上がるほど良い。腕相撲をするゴンと何か目論見があるらしいレオリオが出かけ、手が空くキルアがリンの注意を引き付けておく。
単純明快な作戦だが、リンも弟たちが腕相撲に出かけているとは流石に思わない。更に言えばキルアが口にしたデパートはゴン達が向かったのとは反対方向に位置する。ゾルディック家の跡取りは細部に至るまで抜かりがない。
「そうなの?じゃあ私達もデパートに行こうか」
そう言ってゴンと色違いのジャケットを羽織るリン。服装はハンター試験の頃と同じ、スキニーに白のジャケットを身に着けている。
かくしてキルアと共にホテルを出たものの、二人きりになったことが殆どなく、互いに沈黙する二人。傍から見れば気まずい空気だが、しかしリンはそれ以上に気になることがあり、そちらに意識を集中させていた。
(街の空気が変わった…?)
デパートへの道すがら、リンは街の雰囲気に違和感を覚えていた。
昨日まではドリームオークションで活気づいていた街だったが、今日はあちこちでひそひそこそこそと悪い事を企んでいるかのような会話が聴こえてくるからだ。
「ねえ、幻影旅団って知ってる?」
「A級の盗賊でしょ?怖~」
同様に違和感を覚えたらしいキルアも眉間に皺を寄せている。無言で歩きながらあちこちに意識を集中させている二人は傍から見ればかなりピリピリしているように見える。
「昨日の騒ぎ、旅団が関係しているらしいぜ」
「えー何か盗んだの?」
「さあ?でもでっかいお宝だろうな」
耳を澄ませて盗み聞きしてみると、会話の種はどれも幻影旅団の話。昨日リンが逃げ出してきたオークション会場の事件が一般人にも漏れているようだ。
死んだ人間は須く裏社会の人間ではあるが、あれだけの事件が起こったのだから規模が大き過ぎて隠しようがないのは仕方ない。だが今朝ネットニュースを確認したところ、殺人ではなく大量失踪事件として報道されていた。念によるものだろう。
(ま、対岸の火事ってやつね)
天下の大盗賊も被害さえ被らなければただのエンタメだ。大きな声で騒げる話題ではないが、大衆の注目度は高い。
だが、その中には妙に不穏な内容も混じっていた。
「マフィアが旅団を指名手配したらしいわよ」
「懸賞金億単位だろ?」
(指名手配…ガチでマフィアに喧嘩売ったし、当然の結果ではあるわね)
幻影旅団がマフィアに指名手配された…その情報はリンにとっても嬉しくない。
理由はマフィアの雇われハンターになったクラピカに情報が入りやすくなるから。堂々と旅団を狩る大義名分ができるどころか、ファミリーから進んで旅団を捕縛するように指示されるだろう。
クラピカ程の聡くて激情的な人間が何もしないわけはなく、数日以内に何かが起こるのは目に見えている。
「キルア、クラピカから旅団について何か聞いてたりする?」
「んあ!?…いや、何も。あいつにはゴンが連絡したけど、『仕事中で忙しい』の一点張りだってよ」
リンが何気なくキルアに聞くと、キルアは面白いほどに肩を跳ねさせた。警戒していたクラピカの話題を開口一番に出されたこと、気まずい空気の中あっさりとリンが話しかけてきたことの二つがその理由だが、リンは片方の理由にしか気づいていない。
「まあそうよね…」
「リンさ、もしかして昨日死にかけたって言ってたやつは旅団絡み?」
「あー…そうよ。旅団が居るとは思わなかったけど。ったく…あんなに派手に暴れて、おかげでクラピカが旅団を見つけやすくなっちゃうじゃない」
昨日の騒動の噂とリンのボロボロ具合を考えれば、簡単につく推測だ。進んで蜘蛛に関わったとも言いたくなかったがわざわざ隠すほどでもないため、正直に答える。キルアは探りを入れる意味も兼ねて、さりげなくリンの様子を窺った。
「…やたら旅団とクラピカを近づけたくないみたいだけど、何で?」
「ンなもん死亡確定演出だからに決まってるでしょ。それに、クラピカは殺しができるタイプじゃないし」
「あ~、確かにそうかも」
リンの言葉にキルアは素直に頷いた。リンもそうだが、キルアの同意は『殺した経験がある側』だからこその感想だ。リンの心情を把握しておきたい程度の質問だったが、思った以上に理解しやすい返答である。
「…リンってさ、仲間を殺せるか殺せないかで考えた事ある?」
そんな会話の流れで、キルアは思わず口をついて出してしまった。ずっとリンに聞きたかったが、聞けなかった質問だ。口にするのも悔しいが、リン以外に答えられる人間が居ないのも事実だった。
「ん?上か下かはあるけど、殺せるとかはないわね」
リンの返答には二つの意味が含まれるが、話が前に進まないのでここでは割愛する。
「何かあるの?」と尋ねるとキルアはデパートへの道をのろのろと歩きながらも、小さな声で言った。通行人に話の内容が聴こえないように、だがリンに心情を悟られないようにと絶妙なバランスの声量と口調だ。
「…俺、イル兄にさ、相手を殺せるか殺せないかでしか判断するなって教えられたんだよ」
「あんにゃろう、教育に死ぬほど向いてないわね」
偏った教育を施したイルミにピキピキするリンをよそに、キルアはじっとリンの横顔を見つめた。どんな答えが返ってきてほしいのかはキルア自身もわからないが、リンなら何か腑に落ちるものをくれるのではないかと、なぜか期待してしまう。ゴンと同じで力強い、だが闇も見てきた瞳を持つリンなら。
「だから正直、ゴン見てると眩しくなる時があってさ。俺が隣に居てもいいのかって思ったり…リンは、ゴンを見ててそういうのないの?」
それはリンが『キルア側』である前提の質問だ。リンが自分と同じ立場であると同時にまったく汚さ、暗さを感じないのを、キルアはずっと不思議に思っていた。
自分を含め、殺しをできる人間は皆闇の世界に生きていた。シルバやゼノ、イルミがそれだ。ミルキだって俗世的な趣味は持っているが、基本は闇側の人間。なのになぜリンだけは闇の世界に生きていないのだろう…と。
リンはそんなキルアの瞳を見つめ返すと、ふっと目尻を和らげた。
「キルアはさ、私がどう見える?」
「え?…そりゃあゴンの姉貴だし、悪い奴じゃないとは思うよ。殺しの倫理観も俺の家で植え付けられたもんだろ?」
リンからすれば別にそういうわけではないが、わざわざ否定する程の事でもない。いつもは大人びて見えるキルアが今は妙に年相応に見えて、リンはそんな事を訂正するよりもキルアの心を楽にするための言葉を考えたかった。
「イルミがキルアくらいの頃だから…、私が6歳くらいだったかな?あいつにさ、言われたのよ。『リンって自分が決めちゃったら仲間でも容赦なく殺すだろうね』って。実際、イルミがゴンを殺そうとしたら、私は友達と思ってるイルミを殺すだろうし、間違ってはないんだけどさ」
そりゃあ、イルミだってリンにとっては友達だ。好き好んで殺したくなんかない。しかしそれ以上にリンの中でゴンは最優先の存在なのもまた事実。
ゴンに初めて出会った日をリンは一生忘れない。物語の主人公に出会った喜びを弟に出会えた喜びが上回った、あの日のことを。
生まれた頃からハンターになるための訓練に明け暮れ肉親とも数える程しかふれあいのなかったリンにとって、ゴンは生まれて初めて共に暮らす家族だった。ベクトルが違うだけで、リンとイルミが兄弟に向ける愛情の大きさはそう変わらない。その一点においてのみリンはイルミの気持ちもわからなくはない。
「ま、私もそうかもって思う。絶対にそんなのしたくないけど、必要なら覚悟はある。絶対に嫌だけど」
「それはゴンでも?」
「まあね。流石に人類が全滅するかゴンが死ぬかって言われたら一瞬悩むわ。で、ゴンを選ぶ」
初めて人を殺した日、ゴンが殺されそうになっているのを見て肌が粟立つのを感じたことを、リンは昨日のように覚えている。殺しを楽しむのは無理だが、失うくらいなら進んで殺してやると決めたのも確かあの時だ。
「そんな感じで私はもう開き直ってんの。そう考えたらさ、ゴンと友達でいていいのか~とか葛藤しているあんたのがよっぽどマトモよ。隣に居て良いわよ」
「リンはそういう葛藤ねーの?」
「ないわね。…不思議に思う?」
「…思う」
「そんなのどうでもいいって思ってるから」
「…は?」
それはかつてビスケに教えられた心構えだ。自分自身の信念を持てと言われ、リンは自分なりにその通りに生きてきた。
キルアに必要なのはこれくらいのテキトーさだと思っている。年頃のキルアにはなかなか難しいだろうが。
「クソみたいな世界で、私も同じようにクソなところがある。それだけ。流石に快楽殺人鬼はどうかと思うけど、手段の一つとして殺傷するのは動物も同じだし」
思ったよりもシンプルな回答に、キルアは呆気にとられた。そこまで言い切られては、悩んでいた自分の方が馬鹿らしくなってくる。案外これくらいの気持ちで良いのだろうか。
しかし開き直ったらイルミのようになってしまいそうな気がして、リンのように割り切ることはできない。
(いやでもリンとイルミは根本的に何かが違うわけで…)
結論が出ないまま頭の中がごちゃごちゃになる。キルアは珍しく、自分がどうすればいいのかわからないでいた。
「…まあでも、ゴンに誇れる自分では居たいわよ?碌なモンじゃないけど私なりのルールはあるし。人殺しのクソ野郎って言われたらそれまでだけどね!」
悶々と考えているところにリンはしれっとそう言って笑った。どういうわけかそれだけで心のどこかの靄がスッと晴れた気がして、キルアは更に内心首を傾げる。
何処が晴れたのかはわからないが、リンがハンターとして光の下で生きられる理由はこの言葉のどこかに隠れているんじゃないだろうか。リンは「開き直っている」と言ったが、開き直っているわけでもイルミのように何も感じていないわけでもなく、かといって綺麗ごとを言っているわけでもない。
「なーんか、しょーもねぇ話だったな」
「え、結構真面目に答えたんだけど」
キルアが何かに悩んでいるのはわかるが、何に悩んでいるかはわからない。それは本人にもわからないのだろう。そんな弟分の質問に真剣に返答したが、無下にされてショックを受けるリン。
弟関連になるとリンの心は脆い。ガーンと効果音が付きそうな悲壮感漂う表情をキルアが呆れ顔で見やる。リンに修行をつけてもらえなかったと知った時のゴンと同じ顔だ。
「…まあ、ちっとは参考になったよ。サンキュ」
空気読みスキルが高いキルアは、あからさまに落ち込むリンに仕方なくフォローを入れた。
「…良かった!」
(こいつこんなんでほんとにプロハンターなのかよ)
かなり失礼なことを思われているが、リンがあっさりと顔を明るくさせたので仕方ないだろう。
だがそこまで自分の言葉で一喜一憂されて、悪い気はしない。リンがキルアの言葉に真剣に耳を傾けていた証拠だからだ。
「んじゃ、あのビッグチョコパフェ、リンの奢りな」
「どこに奢る要素あった?」
「試験の時、俺の事弟みたいって言ってただろ?可愛がれよ」
「はいはい喜んで。あんたん家の人間って女の子みたいなもの好きな奴多いわよね~」
何が「じゃあ」なのだろうかわからないが、苦労してきたであろうキルアを目一杯甘やかしたいと思うリンだ。
イルミはうさちゃんりんごが好きだし、ミルキは甘いもの全般が好き。きっとキルアもそのクチなのだろうとわしわし頭を掻きまわしながら揶揄うと、「うっせ」と蹴り飛ばされた。それはキルアなりのリンへの不器用な甘えでもあるのだった。
◇◇◇
それから数時間後。
「やっほー」
「うわ、また来た」
「来るっつーの。私だけ仲間外れはなしよ」
レオリオの姿が見えないが、シャワールームから水音がするので入浴中なのだろう。夕食を終えて簡単に部屋で用事を済ませると、リンは早速ゴン達の部屋に遊びに来ていた。
憎まれ口を叩くキルアに軽く応戦しつつ、この場に居ないレオリオのベッドに腰かけてメイメイからPCを受け取る。お喋りしつつも手元は余裕があるので、ついでに作業をしようという算段だ。
「にしても今日暑いわよね~」と言いつつ、汗ばんだヘアバンドを一旦外し、少しぼさついてしまっているポニーテールも下ろす。手櫛で軽く髪を整えていると、キルアがうえーっとリンを見つめた。
「…下ろしてるリンの髪、何かイル兄みたいでキメェ」
キルアの言葉に思わず顔を上げ、近くにあったドレッサーの鏡に眼を向けた。
もちろん顔は全然違うが、黒髪ロングストレートのため後ろ姿はそう見えなくもないだろう。リンのイタズラ心が刺激される。
「キル、うさちゃん林檎剥いてあげたよ。一緒に食べよう」
「似てるー!!うわぁキメェ!!」
シャカシャカと髪を前に持って来てイルミっぽい淡々とした声を意識してみるリン。言いそうで言わなさそうなセリフを真顔でキルアに言ってみると、思ったよりもウケたらしいキルアはケラケラと指差して笑った。
「ねえキル、今日のミルさ…なんか臭くない?」
「うわ言ってたことある!リン、イル兄の解像度高ぇな!」
「キル、DODOTOWNで買っておいたコスプレ、届いたよ」
「ぎゃはははは!!ミル兄じゃあるまいし言わねぇよそんな事!」
大ウケするキルアに段々楽しくなってきたリンも悪ノリし始めた。みょいっと目を冨樫作品あるあるな猫目にしているのがその証拠。イルミのデフォ瞳ともいうが。
今この場にイルミが居たら、リンに「殺すよ?」と言いかけたところでキルアの笑顔に気づき写真に収めるのだろう。完全な身内ネタなのでゴンはぽかんと呆気にとられるばかりだ。
「キル、『お兄ちゃんいっぱいちゅき♥』ってやって」
「…うえ、今のは鳥肌立った」
流石にそれは許容範囲をオーバーしていたらしい。(確かにキモいわね)と思い直し、リンもイルミの真似は止めることにする。ポニーテールを結び直しているとゴンが嬉しそうに笑った。
「姉さんキルアと仲良くなれて良かったね!」
「別に仲悪かったわけじゃないわよ?…え、本当に悪かったわけじゃないわよね?」
「ま、コスプレオカマから金づるくらいには進歩したかな」
「それ退化じゃない?」
ぷはっとヘアバンドをつけ直すとキルアにレオリオのベッドにあった枕を投げて仕返しし、作業に戻るリン。キルアは顔に枕をぶつけられ、ベッドからひっくり返って落ちる。
作業と言ってもほぼ完了していて最終チェックの段階だ。ゴンはキルアを心配しつつもリンの肩にひょいと顎を乗せた。
「姉さん、パソコンで何やってるの?」
「あー、ちょっと趣味でね。アニメの翻訳してたのよ。まあ粗方終わってるし、最後のチェックってとこね」
リンが世界中の言語に精通していることは知っているが、覗き込んだPC画面に全く知らない言語の羅列があるのを見て思わずゴンは顔を顰めた。ところどころ行間はあるが、恐らく文字なのだろうという判別しかできない位には見た事のない言葉が画面をのたくっている。
「うえ、全然読めない…これ何て書いてあるの?」
「例えばこれは『あんたおすまし顔してやってる事クソビッチね!』で、その後『はン!尻軽女にビッチって言われちゃ雌猫が泣くわ!』って書いてある」
「…それ、本当にアニメ?」
丁寧に指差して教えてもらったが全く分からない。そして内容が尖り過ぎていて、姉は何を翻訳しているんだろうと首を傾げるゴン。アニメじゃなくてミトさんがお昼によく観ているメロドラマの間違いじゃないだろうか。
「あー、カタヅケンジャーじゃね?それ。兄貴がよく見てたわ」
「正解」
「キルア、今のでよくわかったね…」
キルアがむすっとベッドに座り直しながら言う。返事をするリンに、台詞二つだけでわかるのかとゴンが目を丸くした。
「女同士のやり取りが見どころの一つなんだよ。でもそれ、かなり人気作だし多言語で翻訳されてたはずだけど」
「うちの会社ね」
「マジかよ。…もしかしてミル兄と会社立ち上げたツレって、リンか?」
(あ、やべ)
ミルキが観ていたと言いつつも自分も毎週楽しみにしていたキルアである。
パドキア共和国は共通語が母国語だが、他の言語でも出ているのはよく知っていた。噂のミルキが作った会社なのだから当然ではあるが、それにリンも絡んでいたとは世間は狭い。
そしてうっかり口を滑らせ、冷や汗を流すリン。隠しているつもりはなかったが、この話題になれば次に聞かれる内容は目に見えているからだ。
「なあ…リン。ミル兄の趣味、知ってる?」
「ん?あー、まあミルキのライフワークだからね。好きにさせてるわ」
「ふーん、ならいいけど」
まさかリンもBL趣味か…?と恐る恐る聞いたキルアに、リンはあっさりと嘘をついた。当然の如くミルキを人柱に立てるその姿勢は、リンがゾルディック家の人間と交流を深める中で身につけた太々しさでもある。
「そんなに人気なんだ。共通語一つあればいいと思うけど…」
「あー!甘いわよゴン!それは自分が共通語を使ってるからこその傲りね!」
「え、そうなの?」
「クラピカだって本来はクルタ語が母国語よ。レオリオの国は共通語と半々だけど…二人ともバイリンガルになるまでそこそこ苦労したと思うわよー」
思わずと言った様子で呟くゴンにびしりと指をさすリン。これは
「そうなんだ…」
「そもそも勉強できない環境の子からすれば共通語を学ぶのもきついし。…でもそういう子にも娯楽ってあってほしいじゃない?だからこうして翻訳してるってワケ」
「確かに…姉さんってやっぱ凄いや」
リンがそう言うと、ゴンは尊敬の眼差しをリンに向けた。
ゴンにとってのリンは頭も良くて格闘もできる、なんでも出来るお姉ちゃんだ。そんな眼差しを向けられてリンが平然としているわけもなく、天を仰いだ後にゴンを思い切り抱きしめた。
「え、わ!何?いでででで!!」
「キュートアグレッション」
「ゴンの骨砕けるぞ馬鹿力」
「おわ、ごめん!」
パッと手を離すとゴンはフラフラしながらも何とか生きているらしかった。(うちの門を押せるくらいの特訓、やってて良かったなお前)とキルアが内心思ったのも仕方ないだろう。
ごめんごめんとゴンを宥めるリン。そうしてお喋りをしていると、シャワーの水音が止まった。ガチャリと扉が開き、タオル一枚を腰に巻いたレオリオが鼻歌を歌いながら機嫌よく出てくる。
「キリッと男前~っと」
「お、レオリオ~来てるわよ」
「…」
「お前なあ…」
「…姉さん」
あたりまえのようにPCを弄りながらレオリオに手を振るリン。当然の如くそこに居てリアクションもないリンに、レオリオはぴしりと固まった。
キルアがしらっとした目でリンを見つめ、ゴンは苦笑いで頬を掻く。数秒後にレオリオが思わず両胸を隠し「…いやぁーん!」と叫んだのは冗談なのか本気なのか。
「…ごめん。別に私悪くないけど」
「お前落ち着き過ぎじゃね…?」
「まあ…一回見てるし」
「はぁ!?」
「どこで!!」
「二次試験の後、飛行船で一緒に風呂に入ってた。あ、私はちゃんと一人で入ろうとしたのよ?」
キルアの言葉にしれっと返すと、キルアとゴンは言葉こそ違えど全く同じタイミングで身を乗り出した。姉が友人が、異性の友人と風呂に入ったと言われて動揺しないわけがない。
二次試験の時点でリンはニアという男の姿になっていたし、そもそもほぼ強制の形で風呂に連行されたので不可抗力ではあるだろうと思うリン。ネテロの煽りをスルーするくらいにはレオリオとクラピカの裸を堪能してやろうという下心はあったが。
「おめーあの時は男だったんだから!実は女でゴンの姉ちゃんでしたなんて思うわけねーだろ!」
罪を被せられそうになったレオリオが慌てて無罪を主張し、リンが「それはそう」と頷く。
そう言われると誰も気づかなかったため、ゴンとキルアもあまり責められないと口を閉じた。
「…ったくよぉ。女のくせにもうちょっと恥ずかしがれっつーの。クラピカなんか顔真っ赤にしてボコボコに殴りやがったぞ」
「お前何処でも全裸になってんの?」
「なわけねーだろ、三次試験の後同室だった時だよ。まったく、あんな女みてーな反応しやがって、終いには襲うぞってな」
「…ほう?」
思わず真顔でレオリオの方を向くリン。その状況について詳しく話を聞きたいところだ。
しかし、PCに内蔵されている時計が21時になったのを視界の端で捉えると、仕方なくPCを閉じた。
「私もう寝るわね」
「ん?妙に早いな。昨日はあんなに夜更かししようって騒いでたのに」
「昨日は興奮が勝ってた。実は最近仕事続きで疲れてたのよね。んじゃおやすみ」
昨日とは打って変わってあっさりと就寝宣言をする。思わずレオリオが突っ込みを入れるが、サクッと正論で切り返して扉を閉めた。
ゴン達三人はベッドに寝そべったり椅子にぐらぐらと腰かけながらポカンとその姿を見送る。隣の部屋の扉が開いて閉じる音が聴こえ、静かになった。
「あいつでも疲れるなんてことあるんだな」
レオリオの感想は残る二人とまったく同じで、特に姉のへばる姿を殆ど見たことがないゴンはびっくりして口まで開けてしまっている。
だが疲れていると本人が言うのならばそうなのだろう。それに正直、リンが居ては今日の報告ができない。そう思い直し、レオリオは声を潜めた。それは作戦会議の合図でもある。
「どうだったよキルア?あいつと二人っきりになるの初めてだったろ。気まずくなかったか?」
「別にいつも通り。うるさかったよ」
「そういう割には機嫌良さそうだったけどね」
「そりゃあな、人の金で食うビッグチョコパフェはうめえから」
キルアがゴンと連絡を取り合っている設定でゴンが場所を勘違いしていて合流できたのは夕方という風に見せかけたため、リンは全く気付いていない。
ヨークシンは広く土地勘もないため、はぐれること自体はそう違和感がないのも幸いした。強いて言うなら『どうしても買いたかったもの』を証拠としてリンに見せるため、レオリオがアダルト雑誌を買って顰蹙を買ったくらいだ。
ニヤニヤと揶揄うレオリオに素っ気なく答えるキルア。ゴンにいつものキラーパスをかまされてもどこ吹く風。それよりも今日の成果が聞きたくて仕方ない。レオリオ達の顔を見れば収穫があったのは一目瞭然だ。
「で、そっちはどうだった」
「釣れたぜ。デケェ魚だ」
そう口火を切って、レオリオは服を着ながらも掻い摘んで事情を説明した。
裏社会の人間がレオリオ達を気に入って裏ルートの条件競売を紹介してくれたこと。恐らくマフィアが取り仕切るその競売では『鬼ごっこ』と称して数名の男女が対象に挙げられており、言ってしまえば賞金首扱いだったこと。その対象が幻影旅団だったこと…。
それはまさしく渡りに船な条件だ。だがどうすればいいのか。キルアは顎に手を当て、考え込む。
「なんつーか…二つの目的が上手い具合に繋がったな」
「でもこれで余計に姉さんには言えなくなったね」
「あいつ、意外と気づかねーもんだな。今日だってゴン達と夕方まで合流できなかった時点で怪しむと思ってた」
達成した場合の賞金は数十憶を超える。億単位の金を欲しており幻影旅団の尻尾を掴もうとしていたゴン達にはこれ以上ないくらいの条件だ。
「ヨークシンは広いし人も多いし。それに一切怪しまないのは姉さんなりにキルアを信頼してるからだと思うよ?」
「…碌に知らねー奴をよく信用できるよな」
この言葉にはキルアも表情を繕えなかった。ぷいとそっぽを向くキルアをゴンが無邪気にニコニコと見つめ、レオリオはまだこいつもガキだなと内心微笑む。
目的のための手段が一つに絞れたことで、やるべきことはシンプルになった。だが簡単ではない。そもそも旅団は神出鬼没で、どこにいるかすらわからない。昨日の出来事からして恐らくヨークシンに居るのだろうというくらいだ。
「旅団を見つける…まずはそれをしなきゃ」
「ローラー作戦とかか?」
「それって人数居ないと効果ねーだろ」
「んじゃ、どーすんだよ」
ゴンの言葉にレオリオが言うが、あっさりとキルアに駄目だしされる。
年下に言い負かされてむすっとしたレオリオはキルアに『そう言うからには案があるんだろうな』と眼を向けた。
「俺達もそのマフィア達と同じことをするんだ。つーか今の俺らでできるのはそれしかない」
「どういうこと?」
「旅団の情報を買うんだよ。でかい対価を出せば、絶対に話題になって人がよってくる。内容も、ヨークシンで写真付きならかなり信憑性がある」
キルアの提案は、いわばマフィア達と同じことを小規模でするというものだ。
正確な情報をくれる相手に対して報酬を払う。一時的にマイナスになるが、結果的に旅団を捕まえれば更に大きい成果が上げられる。
「その対価は?」
「ま、簡単に言うなら金だな」
「俺達そんな持ち合わせねーだろが…やっぱリンに助けを求めるか?」
「黙っとけって言いだしたのレオリオだろ。ていうかゴンがあんまりリンに頼りたくないんだとよ」
金銭のために金銭を払う。仕方ない事だがそもそもの手持ちがほぼないに等しいゴン達には痛い出費だ。
「…お金なら心配しないで。明日詳しく話すよ」
頭を悩ませる二人に、心を決めたような表情でゴンが言った。
こういう時のゴンは突拍子もない事を言いだすが、それが今まで役に立ってきたのも事実。キルアとレオリオは思わず顔を見合わせたが、ゴンについて行くのを心に決めて大きく頷いたのだった。
そして隣の部屋がいやに静まり返っているのには気づかないまま、夜は更けていく。