ミトにとって、それは唐突で頭の整理が到底つかない出来事だった。
それでも身体が反射的に動いていたのは、連れられていた子どもたちがかつての自分と重なって不憫に思えたからなのかもしれない。
ミト=フリークス。プロハンター:ジン=フリークスの従妹であり、同じ島で育った幼馴染でもある。ジンがハンターになるために島を出て以降、一度も直接会いはしなかったが。
ジンに置いて行かれた後のミトは、祖母の店を手伝いながら慎ましく生き、成長してきた。
だからこそ、嵐のように舞い戻ってきたジンを見た時の衝撃は、常識から外れた生活をしてきたリンやジンが想定していたよりも大きいものだった。
幼い頃兄と慕っていたジンに置いて行かれたと感じた悲しさ、まともに連絡を寄こしてくれなかった寂しさ、そしてようやく現れたと思えば二人も子どもを置きざりにしようとする怒り。それらを全て無言で消化するには、ミトはまだ若すぎた。
この感情を理解していた者なら、箒を片手にゴンを抱き上げ、リンを後ろに隠しながらジンを叩き出したのも仕方ないと感じるだろう。
もっとも、その心境を本当の意味で理解していたのは祖母一人だったが。
「ミト、ジンを叩き出しちゃって、どうするんだい?」
「いいのよあんな奴!ほんと勝手!!」
はぁはぁと息を切らし、はっと気づく。子どもたちが見ている。赤ん坊はともかく、女の子の方は確実に自分の言った事を理解できている年齢だ。みっともない所をこれ以上見せるわけにはいかない。
大人らしさを繕って、女の子の目線に合わせしゃがみこむ。
「ごめんなさい、大きな声を出しちゃって…」
「ううん、大丈夫」
「…あなた、名前は?」
「リン=フリークス。その子は弟のゴン」
「そう、私はミトって言うの。年は?」
「7歳。ゴンは1歳。父さんがごめんなさい。これからよろしくお願いします」
大人びた子だ、というのが第一印象だ。ジンにそっくりな瞳を持つその少女は、自分が父親に置いて行かれる事を理解していながら、泣きわめくどころか文句ひとつ言う事もせず、それどころか初対面の自分に頭を下げた。
それが余計に痛ましく、殊更にジンが許せなくなった。どんな生活をしてきたら、こんなに達観した子になるのだろう。
「リン、ジン…お父さんとずっと暮らしてたの?お母さんは?」
「…ううん、知り合いの人たちと暮らしてた。父さんはたまに顔を見に来てくれてたよ。母さんはわからない。会った事ないから」
リンは少し気まずそうに答えた。こんな小さいのに、少なくともミトの常識ではありえない生活をしていた事が窺えた。年端もいかない子どもがそんな暮らしをしていたなんて、悔しくて可哀そうで、思わず涙が零れた。
「…リン、これからは私があなた達のお母さんよ。絶対に寂しい思いなんてさせないから!」
抱きしめると、柔らかな子どもの体温が伝わってきた。おずおずと抱きしめ返され、この子たちを守らなければという気持ちが固まった。
◇
日が暮れて少し冷静になった頃。店を臨時休業にし、ミトは祖母と今後の方針について相談していた。リンには3階の別室にてゴンの面倒を見てもらっている。
「…本気かい?」
「ええ、誰が何と言おうと、親権を取るわ。おばあちゃんもリンの言っている事聞いていたでしょう?そんな生活をさせる奴に、あの子たちを到底任せられない」
「ジンにはジンの考えがあるんじゃないかい…?」
「自分の子どもを放っておく必要のある考えなんて、理解できないわ」
祖母はミトの言葉を聞くと、何も言わず黙り込んだ。それを肯定ととり、親権を取る手続きのために必要な事を調べ始める。家のチャイムが鳴ったのはそんな時だった。
くじら島は狭い。店を臨時休業している事は、先刻ミトがジンを大声で叱り飛ばした事も含め、島民全員が知っているような状態だ。
そんなタイミングで、しかもこんな夜遅くに来るような人間は現時点で一人しか浮かばなかった。
「…家には入れないわよ」
扉を少しだけ開けて隙間から顔を出すと目の前には予想した通りの人物がいた。懐かしいとは欠片も思わない。背丈も風貌も、別人のように変わってしまった兄貴分。唯一その瞳だけが幼かったあの頃と変わらない意志の強さを感じさせた。
「ああ、構わねぇ。俺ももう島を出る」
「…何しに来たのよ。リンとゴンには会わせないわよ」
「あいつらに、渡してほしいモンがあるんだ。あいつらがハンターになった時に」
そう言うと、ジンはミトの返事も待たずにそれらの品を押し付けた。ゴンには一見空っぽに見える木箱を、リンにはカードリーダーのようなものがくっついた、ゴンのものより一回り大きな箱を。
「~!!あの子たちをハンターになんて!させないわ!あんたみたいな親の資格がない人でなしがなる職業なんて!」
押し付けられた品を抱えながらも、キッと睨みつける。『ハンター様』なジンには大した効果もないと思っていたが、睨みを向けた相手は予想よりも気まずそうな表情をしていた。
「…俺に親の資格がねぇのは何も言い返せねぇが…そいつは無理だ」
「はぁ!?」
「あいつらはハンターになる。ならずにはいられない。そういう奴らだ」
「黙って!!」
ミトが叫ぶと、ジンは黙りこくった。しばし気まずい間が空いた後、「じゃあな」と一言残して去って行った。ミトはただ、力任せに「もう帰ってこないで」と泣くしかなかった。
無力な自分が、悔しかった。また置いて行かれると心のどこかの幼い自分が泣き叫んでいた。
暫く嗚咽していると、幼い少女の声が後ろから聴こえた。
「…ミトさん?」
「…」
「父さん、来たんだね…」
「…ええ」
流石に大声を出し過ぎた。異常を察したリンが降りてきてしまったらしい。腹だたしいがジンとの約束を守るため、慌てて受け取ったばかりの箱を仕舞い込む。
我ながら不自然な動きだったが、リンにはミトが泣いているところを隠そうとしている様に見えたらしい。
「ミトさん、泣かないで。アレのためにミトさんが泣くのはもったいないよ」
「…ふふっ、そうね」
「そうだよ!本当に、あちこちに迷惑かけてばっかりの馬鹿親父なんだからね!」
こんな幼い実の娘にここまで言わせるなんて、まったくどんな育児をしてきたんだろうか。しかしリンの子どもっぽい見た目とはアンバランスな口調に、今度は憤りよりも笑いが勝った。
くすくすと笑いながら、自分よりも一回り小さな頭を撫でる。
「…リン、ゴンと3人でお風呂に入りましょうか」
「…え?」
「どうしたの?」
「あ、いや…今まで人と一緒にお風呂入った事なかったから」
思いもよらなかった発言に思わず固まる。
「…今までどうしてたの?」
「一人で入ってた。小さい頃は、メイメイと入ってた」
メイメイ?メイドの名前か何かだろうか。思わずオウム返しで問い返した。
「メイメイ?」
「パンダ」
「…」
リンの肩に目をやると、小さなパンダが乗っかっていた。今までの騒動で動揺していたあまり気づかなかったが、そういえばずっといた気がする。目が合うとその小さなパンダは「キュイ」と鳴いた。
本当にどんな生活をさせていたんだ。絶対にジンに親権を渡さない。ミトは改めてそう誓う。
初めて誰かと入るとは言っていたが、ゴンの入浴はリンが行なっていたようだ。てきぱきとゴンの世話をするリンを、思わず呆然と眺めながら湯船につかる。
あまりにもしっかりし過ぎていて、自分が親代わりになる必要がないのではないかという思いすら一瞬頭を掠めた。しかも、なぜかパンダも満足げに湯船に浸かっている。幼いだけの子どもだと思っていたが、ジンの子だ。何かしら規格外なのかもしれない。
「ミトさん、頭洗いたいからゴン見ててもらっていい?」
「え、ええ…本当にリンってしっかり者ね」
「育児放棄クソ親父のおかげだね」
そう言ってニヒヒと笑うその顔は年相応だ。何と言ったらいいかわからず、曖昧に微笑みを返す。
「リン…あなたもお父さんみたいにハンターになりたい?」
言ってからしまったと思った。会ったばかりの、それも父親と離れたばかりの子にそんな質問をするなんて。しかも、ハンターなんかになりたいかどうかなんて。
リンの妙に大人びた様子がかつてのジンと重なり、そしてジンに言われた「あいつらはハンターになる」という言葉が頭に残っていたせいだった。
リンは言うかどうか迷うように視線を空に投げ、ざばりとお湯をかぶって洗い流すと湯船に入りながら言った。
「うん。ハンターになりたい」
「そう…危険な仕事よ?」
「親父の教育方針の方が危険だよ」
「…リン、『お父さん』って言いなさい?」
なんとコメントしていいかわからないあまり、的外れな指摘をしてしまった。
「子どもを放っぽって遺跡追い回してるおっさんだよ?『親父』でいいの」
「…」
ジンに対する見解はかなり気が合いそうだ。だけど、大人としては窘めた方が良い気もする。だがしかしそれ以上にジンが親として酷過ぎるので何も言えない。
「あ…でも、これからはミトさんの事、母さんって呼んだ方がいいのかな」
「いいえ、あなたが呼びたくなったらで構わないわよ」
「うーん…ミトさんを母さんって呼んだら、ミトさんと親父が結婚してるみたいになるもん。ミトさんに失礼だから、ちょっと呼びたくない」
「ふふっ何それ」
徹底的にジンをこき下ろすその姿勢がおかしくて、つい笑ってしまった。「じゃあミトでいいわよ」と言うと、笑顔で「うん!」と返される。
「さっきの話だけど、いつかハンターにはなりたいな。それで、親父を探し出してぼこぼこにするの。ゴンの分まで」
「女の子が乱暴言っちゃダメよ?」
「うう…でも悔しいもん。それに、親父には「やってみやがれ」って笑われたし」
「あいつ…」
思わず頭を抱えた。話し込んでいたら少しのぼせてきたので、リンを促し湯船を出る。
かなり無茶苦茶をやっていたらしいジンの教育方針にヘイトが溜まり今から既にリンの将来が心配になっていく一方で、どこかリンを羨ましく思っている自分に気が付いた。
もしもあの頃、ジンについていくだけの気概があれば。もしもあの頃、ジンを殴り飛ばせるだけの技量があれば、自分はこんなに待つだけにならなかっただろうか。やるせない気持ちを抱える事は無かったのだろうか。
これから成長し、ジンに追いつくであろうリンが、眩しくも見えた。
ジンの言う通りかもしれない。
ゴンはまだわからない。なんせ赤子なのだから。可能ならばハンターとは無縁の平和な暮らしをしてほしいと思う。
だけど、リンは。
この年にしてここまで意思を固めている子を止める事などできない。どれだけ止めたって、きっとあの日のジンのように去ってしまう。そんな気がした。
そして、そう言い訳しながら心のどこかで彼女の未来を応援したいと思っている自分に気づいていた。かつての自分をリンに重ねて。
水気を拭い去り寝巻に着替えた頃、リンがぽそりと言った。
「ゴンの分だけじゃなくて、ミトさんの分も殴らなきゃね。親父の事」
「私の分…?」
「ミトさんにあんな悲しい色をさせるんだから、殴らなきゃ!」
言っている事はよくわからない。だけど、自分を思って言ってくれている事は伝わった。もしかしたらジンを必要以上にこき下ろすのも、私を元気づけようとしてくれているのか…流石にそれはないか。
明日から忙しくなりそうだ。急に娘と息子ができたのだから。
だけど、この子たちを本当の子どもとして愛していけそうだ。
まだ大人にすらなり切れていないミトだが、自分の人生に軸ができたとしたらこの瞬間だと、そう思っている。