『波』で特定した位置へ向けて走っている途中、よく知る匂いがリンの鼻腔を掠めた。
数時間前まで隣に居たその人物は、すぐ近くに居るらしい。少し近づくと気配も感じたため、クロロがリンを待っているのだと悟りリンもそこまで駆け寄った。
クロロは車が辛うじて通る程度の、ハンロとヨークシンの間に位置する路地裏に立っていた。
流石に大きな立ち回りの後では少し疲れたらしく、あまり綺麗とは言えない壁にだらしなく背を預けている。リンが近づくとクロロはリンに顔を向け、両腕に視線を集中させた。
「……酷くやられたようだな」
真っ赤に腫れあがった腕は服に隠れて見えないが、腕を庇っているその動きを見れば簡単にわかってしまう。服があちこち薄汚れているのもすぐにばれた理由だろう。
何となく認めるのが癪なのでそれには返事をせず、リンもクロロの顔に視線を向ける。
「そっちこそイケメンが台無しね」
リンの言う通り、酷くやられたのはクロロも同じだ。殴られた顔は腫れ、セットした髪は崩れている。
リンが皮肉を言うと、クロロは軽く鼻で笑って落ちてきていた髪をかき上げた。少なくともリンと違い身体は自由に動かせていると言いたいらしい。
「イルミに連絡はもうした?」
「ついさっきな。……鎖野郎に刺された念、記憶とは違ったよ」
「え?」
「旅団との接触禁止ではなく、蜘蛛としての活動を禁止された。あと、念ではなく犯罪行為を」
「へえ。何か緩くなってるわね」
「……何があいつを変えたんだろうな」
少し予想外な事を言われ、リンは思わず黙り込んだ。クラピカがクロロに、原作にはなかった温情を向けた理由。それは間違いなくリンが関わっているのだろう。
クラピカはリンに対する諦めや同情でそんな行動をする人間ではない。そんな彼は、リンとクロロの行動に何を思っただろうか。そもそもクロロがどのような交渉をしたかも知らないので、想像するのは難しいのだが。
「ま、いーじゃない。これを機に足洗ったら?」
「冗談」
しかしいずれにせよ、クロロがこれまで通りの生活をするのは絶望的だろう。旅団員との連絡なんて蜘蛛の活動に関わるものが全てだし、能力すら他人の念を盗むものであるから使うことはできない。
リンとしては冗談のつもりはなかったが、クロロにはあっさりと流されてしまった。ならばそれ以上食い下がりはしないが、気になったのでツッコミだけは入れておく。
「ていうか、どっちにしろ足洗うか除念しか選択肢なくない?……いや、除念すらグレーゾーンな気がする」
「除念はするつもりだが。どうした?」
「除念したいのって蜘蛛として活動したいからでしょ?間接的に蜘蛛の活動判定にならないのかしら」
「……あまり自信はないな」
幻影旅団としての活動を禁止されたわけだが、旅団に戻るための行動はそれに該当するのだろうか。『発』の制約あるあるなルールの抜け穴に近いところはあるが、リスクを背負って失敗してはクロロもたまらないだろう。
更によく考えれば、クロロはここまでの生計を基本的に窃盗で立てていたと推測できる。当たり前だが盗賊が真っ当に生計を立てる道理がないからだ。それを禁止された今、クロロは持っている所持金だけで生活するか真面目に働くかの2択に立たされているとも言える。
「念能力も窃盗関係だからこれ以上新しくは盗めないし、緩く見えたけど活動制限され過ぎでしょ。ほぼ詰んでるわね」
「……俺のために除念師を探すつもりはないか?」
「冗談。大人しく娑婆にでも戻れば?」
当然リンが真面目に除念師の捜索をするわけがない。クラピカを裏切ることにもなるし、リン自身も足を洗えと本気で思っているからだ。それに、自分が動かなくても玩具を壊されたヒソカか大金を積まれたイルミが良い感じに探してくれることだろう。
ともかく、互いに目的は達成した。報告も終わったしこれで解散、リンは仲間の下へ戻り、クロロは除念のために単独行動をすることになる。
しかしクロロは壁から背中を離して歩きかけたあたりでふと、思い出したように言った。
「言い忘れていたが」
「ん?」
「お前の記憶の中には懐かしいものも含まれていた。忘れた顔も鮮明に見られたよ。サンキュ」
「ふぅん?」
リンにそう言ったクロロは、珍しく子どもっぽい表情を浮かべていた。意味が分からないという顔をして軽く首を傾げておくが、リンもそれが何を指すのかはわかっている。
リンがルカスを大切に思うのと同じくらい、クロロも変わらずサラサとの思い出を大切にしているのだろう。
思い出に浸る時だけ、人は過去に戻ることができる。その気持ちはリンにも痛いほどわかった。
「……ああ、私も忘れてたものがあった」
そう思うとちょっとしたサプライズを仕掛けたくなった。本当は後日落ち着いてからデータだけ送信するつもりだったが、この場で渡した方がきっと喜ばれる。
「メイメイ」と声をかけて具現化すると、消耗しているリンに遠慮して自発的に具現化してこなかったメイメイはすぐさま現れ、リンの頭に飛び乗った。
暫くわしゃわしゃと顔を擦りつけられた後、
能力ができたきっかけやリンの思い入れ、制約の強さなどが理由だろうか。通常の念獣とは異なり、リンとメイメイは一心同体に近いところがある。そのためリンの意図も察していたらしく、骨折して両腕が使いづらいリンに配慮したメイメイは、自らポケットから目的のものを取り出した。
「それ、クロロに渡して」
「きゅ」
そしてふよふよとクロロの下まで飛ぶと、短い腕を突き出して品物を押し付ける。クロロは思わず漫画で読んだ猫型未来ロボットを思い出した。
「USBか?」
「アジトで渡しても良かったんだけどね。そんな空気じゃなかったからさ」
クロロが受け取ったのを確認すると、リンは心持ち胸を張ってちょっとしたドヤ顔でそう言った。
手のひらには真っ黒の小さなUSBがちょこんと置かれている。だがリンに何かを頼んだ覚えはない。クロロはその中に何が入っているのかと不思議そうにしながらも、リンの言葉の続きを待つ。
「中身はカタヅケンジャーの全アニメと吹き替え台本。流星街のガキンチョに「次はアニメも用意してやる」って言っちゃったからさ~」
それは、クラピカ達の修行の面倒を見ながら、合間でずっと作り続けてきた台本だった。
流星街は社会的には存在しない街だ。そのため流星街独自の言語も社会的に広まることはほぼなく、社内で流星街言語を使えるのはハンター協会で勝手に資料を漁っているリンくらいしか居ない。
その特色から販売することも利益にする事も出来ないため社員教育はせず、流星街言語の漫画や小説は全てリンが手ずから翻訳していた。年に1度は大量の翻訳漫画を持って訪れ、教会に置いてもらう。リン自身が得することは一切ない、いわばボランティアだ。
そして新たな取り組みとしてアニメを翻訳し、教会で放映してもらう。その第一号作品に、リンはカタヅケンジャーを選んだ。
「でも声優が居ないのよ。ネイティブのが良いだろうし、テキトーに向こうで役者揃えて声入れておいて」
「お前、記憶ないって言ってなかったか?」
「誰かさんが墓参りに連れてったせいか、サラサ関連の記憶だけが残ってるのよ。ほんの少しだけど」
「ぶふーっ!僕グリーン!」と馬鹿のような顔をして記憶の中のクロロを真似ると、クロロは今までに見た事のない顔で笑った。強いて言うならば、リンの記憶に薄っすらと残っている幼少期のクロロに近い笑い方だった。
笑顔は伝染する。普段のクロロとリンでもそういった現象はしばしばあったが、今回のクロロの笑いは特別人の心に響くものだった。釣られてリンも思わず笑みを溢す。無邪気な笑いは、この街での騒動の終焉にはお似合いだろう。
「じゃ、ヨロシク」
「ま、暇なときにな」
「暫くガチニートのくせに」
強がりで互いにはっきりとは言わないが、声の入っていないそのアニメに誰が肉付けをするかは、2人ともわかっていた。クロロは後ろ手に手を振り、今度こそリンの前から去るのだった。
◇◇◇
「お……っと」
命を懸けた殺し合いの最中、イルミの携帯が知らせたメッセージ着信音がヒソカの攻撃を遮った。その隙に距離を取るでもなく、イルミはまるで食事中にメールに気づいたかのような素振りで携帯を手に取る。
それはリンの代理であるクロロからで、任務の終了を指示するものだった。『よく頑張ってくれた』と労いの言葉つきだが、本当に頑張ったと思っているのでイルミはちっとも嬉しくない。むしろ少し腹が立ったのでせいぜい吹っ掛けてやろうと決意したが、この報酬を支払うのはクロロではなくリンである。
しかしそれならば、こんな割に合わない仕事は即座におしまいだ。イルミが両の手に持っていた針をしまったので、ヒソカもこの戦いの終わりを悟った。
「何、もう終わりなわけ?」
「うん。向こうの用事は済んだみたいだから、俺はおさらばさせてもらうよ。もう結構ボロボロだし」
そう言ってあちこち擦り切れ切り刻まれた衣服の裾をぴらぴらして見せる。広めの襟がついた服は、見事に襟ごともぎ取られている。
服だけでなく、顔も手足も血で滲んでボロボロだ。針を刺して操作しているので見えないが、場所によっては出血多量で致命的なほどの傷も負っている。
それはヒソカも同じで、いたるところから血を流している。目的の料理と違ったとはいえ、それなりに楽しい勝負だった。もう終わってしまうのは少し残念だとヒソカは思った。
「イルミさぁ……クロロより僕を優先してくれたんじゃなかったっけ♠」
「そうだよ。だからちゃんと居場所を教えただろ」
「肝心なところで邪魔されちゃ意味ないんだけど♦」
仕事が終わったのなら今のイルミはヒソカにとってただの友人だ。兼玩具という言葉も付け加えられるが、今のイルミを本気で狩る気はヒソカにもない。
「うち、一応昔からのお得意さんを優先する主義だからさ」
「……♣」
ヒソカがイルミに依頼した時、イルミはクロロよりヒソカの方が付き合いが長いからと引き受けていた。つまりこの言葉の指す人物はクロロではない。思い当たったもう1人の人物を思い浮かべ、ヒソカは自然と微妙な表情になる。
キルアは逃げた際の反応からして違う。ゴン達は論外だ。あまり考えたくないが、この状況でヒソカの邪魔をする依頼をイルミにできそうな相手はリンしか居ないだろう。そういえばハンター試験でリンが正体を現した時、2人は昔馴染みだと言っていた。
「ま、今からでも上手くやれば間に合うんじゃない?」
たった今邪魔したばかりとは思えない口調で、イルミはしれっとそう言った。もちろんクロロはとっくに逃げているし追いついてもヒソカと戦うのは不可能なのだが、それはイルミには関係のない事だ。
ここでもまた、1つの騒動が幕を閉じる音がしていた。
◇◇◇
『波』を使ったリンが迷わずにゴン達の居場所を探るのは容易い。そしてあちこちの骨を折られている拷問明けとはいえ、車で移動していた彼らの下へ戻るのも。
クロロを見送った後何となく外で待機していたゴン達は、リンが近づいてくるとすぐに気が付いた。出迎えるその顔は柔らかく微笑んでいたり生きていて良かったと涙ぐんでいたり、あるいは複雑な心境を抱いていたりと様々なものだ。
初めにリンに気づいたのは、暗闇でも問題なく視力を発揮できるゴン。かなり遠くまで見通せるのも相まって、リンに気づくと叫んで大きく手を振った。
「姉さん!」
「……あー、ダッサイわね私。二度と会わない覚悟で出て行ったのに、こうして戻ってくるんだから」
近くまで来ると気まずさからそう言って苦笑するリン。ゴン達が気づくまではそれなりに走っていたが、今更走り寄るのも憚られ敢えてゆっくり歩いて向かう。
それに構わず、ゴンは真っ先に駆け寄りリンを強く抱きしめた。骨が痛むのを耐えてリンが弱く抱きしめ返すと、小さく鼻をすする音が聴こえる。
「よかった……生きててよかった……俺……」
肉親を失う恐怖に一番怯えていたのはゴンだ。人質交換から今までの十数時間、案じるのは無事な姿の姉と再び会えることだけだった。骨に響くタックルを与えられたリンも含めて、それを咎める人間は誰一人いない。
いや、1人だけ居た。咎めるというよりはそれ以上の感情を抑えきれない人間が。
歯を食いしばりひと際複雑な表情を見せていたクラピカは、どうしてもそれだけでは終えられなかった。ゴンがリンから離れるや否や即座に駆け寄り、そして頬を殴る。ドカッと鈍い音が響き、弱っているリンの身体は倒れずとも大きく傾いた。
「クラピカ……」
平手ではなく鉄拳だ。変わらず握りしめられたその手はぶるぶると震えている。ゴンは激怒しているクラピカに少し動揺はしたが、名前を呼ぶのみで状況を見守る構えを見せた。それはキルア達も同様だ。
「拷問明けなんだからちょっとは優しくしてよ」
メリケンサック役にもなる鎖が具現化されていなかったのは、せめてもの優しさなのだろう。辛うじて動かしやすい左手で「痛た……」と頬をさするリン。クラピカが本気ではなかったとはいえ、甘んじて受け入れるためにあえてオーラでガードをしなかったリンの頬は赤くなっている。
「拷問!?ちょっと見せ……」
「軽々しく命を懸けるなと言ったのは!お前だろう!!!」
リンの言葉に驚き手当てをしようと駆け寄るレオリオを遮り、クラピカの悲痛な叫びが夜の街に響いた。揉め事でも起きているのかと、コンビニから深夜勤務の店員が顔を出す。
クロロの時と言い、監視カメラに映る映像はずっと不穏なものだったのだろう。いざという時はライセンスを提示して口止めを図らなければならないかもしれないとリンは内心思った。
だが一方で、クラピカに対してリンは全く悪いとは思っていない。
「クラピカだって同じことしてきたじゃない」
その気持ちはリンだってずっと感じてきたからだ。『軽々しく命を懸けるな』とクラピカに言った、修行中のあの時から。
いくら言っても止めてくれなかった。話も碌に聞かず、念能力といい今後の方針といい、簡単に命を削る真似をするクラピカ。ならばこちらもやりたいようにやったに過ぎない。
「謝る気はないわ。同じ状況に陥ったら、私はまた同じことをする。もうしないなんて約束は絶対にできない」
それもまたリンの本心だった。言い返すことができず、クラピカは黙り込む。その隙にレオリオがリンの傷口を確認するため駆け寄ってきた。
「リン、傷口見せろ」
「えぇ……。引かない?」
「いいから見せろ」
有無を言わさず言われ、仕方なく上着を脱ぐ。ゴンに色違いのジャケットを預けると、観念して両の腕を見せた。
容赦なくバキバキに折られた腕はよくここまで耐えられたとリンが自画自賛する程には腫れ、赤黒いちょっとしたR-G指定が必要になりそうな色になっている。拷問耐性があると言ったって、慣れていて痛みを感じづらいだけで痛いものは痛い。
「おまっ、何だよコレ!」
「フェイタンっていうチビに折られちゃった~」
「オマエワタシタチハメタカ!だってさ~」とフェイタンの口真似を片言でしてみるが、当然ながらこの場ではウケなかった。
治療のために慌ててレオリオが能力を発動させるが、かなりの重傷なのでここで完治させるのは難しそうだ。そしてリンの口真似からフェイタンが誰かを悟ったゴンが、目のハイライトを消してスンと真顔になる。
「俺の腕も折ろうとした奴……姉さんを傷つけたの?」
今からでも戻って殴り込みに行くのではないかと思わせるその表情に、キルアが念のため首根っこを掴んでおくのはファインプレーと言えるだろう。リンも『ゴン=サン』という謎のキーワードが頭を掠めたため、慌ててフォローに回る。
「い、いや、わざと折らせたのよ!ほら、流石に可哀そうだったから~的な?」
まったく何を言っているかわからない言葉だが、リンもよくわかっていない。ちなみにリンの片言言葉を話す時の顔は原作でジンが同じような話し方をした時の表情そっくりなのだが、それは知らない方がリンの幸せというものだ。
「1つ確認しておかなければならない。なぜ病院にいたあの男は生きている?あれは私が設定した念能力とは明らかに異なる状況だ。……私の能力はどうなっている?」
リンの言葉にゴンが落ち着きを取り戻した頃、クラピカも冷静さを取り戻していた。
しかし何を話せばいいか分からず、事務的な聞いておかなければいけない質問が最優先に来る。だが、それを聞いてくれるくらいなら殴られていた方がリン的にはまだマシだった。
(痛い所突かれた~!!)
そもそも、クラピカの意思が変わらなかったところからリンの想定外だったのだ。洗脳というルビをつけても差しさわりのないリンの能力、
しかし能力に変化が起こったのは事実。だがこの場合制約と誓約やそれによって施行される能力が具体的にどのように変化しているのかは、本人にも能力を発動したリンにも知る術はない。
従ってリンの返答は
「いや~それがさ……わかんない★」
こうなる。1周回って冗談めかせば誤魔化せないかと浅はかな考えが頭をよぎったので星をつけてみたが、当然誰一人笑わない。クラピカは思わず石になり、ゴンすら無言の冷たい空気が周囲を吹き抜けた。
「お前は馬鹿か!馬鹿だな!私の事を言えるものかお前の方が数十倍阿呆だ!!」
平時のクラピカならば苛立ち紛れに一つため息をついた後、つらつらと長文の煽り文句を並べていただろう。だが相手がリンだからかそれとも怒り心頭だからか、クラピカの言葉は単調かつシンプルに攻撃的なものだった。
ずかずかと近づいてきたクラピカと距離を取るため、リンは反射的に手のひらを正面に向けながら謝る。
「ごめん!いやそれは流石に悪いと思ってる!」
「ごめんで済むか阿呆!」
リンの頭上に拳を落とそうとしたのか、1歩クラピカがリンに近づく。それを甘んじて受けようと軽く首をすくめたリンだったが、いつまで経っても衝撃は訪れない。
(……?)
ちらりと片目を開けるのと、意識を失ったクラピカがリンの前に倒れ込むのはまったく同時だった。
「クラピカ!」
「気絶してるだけ。たぶん能力の使い過ぎと疲労ね」
レオリオが治療してくれたとはいえ複雑骨折が通常骨折になった程度の回復しかしていない。そんな腕でクラピカを平然と受け止めると、リンはゴンにそう言った。
クラピカの能力は緋の眼の発動を前提としているものが多い。本人は問題ないと言っていたが、一時的とはいえ能力の大幅な強化が何のリスクもないとは思えないと、リンは前々から疑っていた。
緋の眼の発動条件は興奮状態にあること。多くの場合は怒りだ。一般人でも、怒りはエネルギーを消耗する。
長時間怒り続けるだけでも疲れるのに、そこに身体能力の強化が相まるならば体力の消耗は大きいだろう。むしろ今までよく耐えていたものだ。
「レオリオ、回復頼める?期待できないけど、もしかしたら一定の効果はあるかもしれない」
「お、おう」
「私も手伝うわ。肉体的疲労なら能力で回復できる。……でもこの数日、彼は気が休まらなかったものね」
「センリツよ」とリンに軽く自己紹介すると、センリツはフルートを吹き始めた。
美しい癒しの旋律が辺りに響き渡る。それと同時にレオリオが
確かに、肉体的疲労もあっただろう。だが、センリツは暗に精神疲労が起因しているのではないかと言っている。リンは美しい調べを聴きながらも、その答えを返した。
「精神的なものも大きいでしょうけど、分不相応な能力を使った反動だと思う。だからあれだけ言ってたのに……」
レオリオとセンリツが能力の使用を終えたが、クラピカは目を覚まさない。一度拠点に戻るしかないだろう。
腕の痛みには見ないふりをしてリンがひょいとクラピカをお姫様抱っこすると、ゴンは謎に「おおっ」と呟いた。確かに、クラピカの治療中にゴンから返してもらったジャケットを肩に羽織り、中性的美人のクラピカを抱き上げたリンは王子のように見える。
それをしれっと聞き流しながらキルアが「早く行こうぜ」とコンビニの方を見つつ催促する。コンビニ店員からすれば殴ったり抱き合ったりフルートを吹いたりと完全に異常集団だろう。
車に乗る人間はクロロがリンに変わっただけだ。クラピカを先に車内に乗せたため、クラピカとクロロの代わりに乗るリンの席は入れ替わっているが、それ以外は何一つ変わらない。
レオリオがアクセルを踏むと、車は法定速度の制限内で走り始めた。
(……流石に気まずいわね)
次第に交通量は増え、レンタカーも街並みの一つとして溶け込んでいく。徐々に光が増えるビルの景色を眺めつつ、リンは内心そんなことを考えていた。それが伝染したのかそうではないのか、誰もが無言だ。
「レオリオ、どこに向かうの?ホテルはもうチェックインできる時刻じゃないでしょ」
「一応ヨークシンに向かってはいるが……今から入るなら適当にモーテルを取るしかないよな」
恐らくもうクラピカが狙われる事はないだろうが、万が一ということを危惧しているのだろう。この時刻でも入れて旅団に狙われにくそうな宿泊施設はそう多くない。レオリオはそう言いながらも車を1度停車させた。
車の止まった場所は新・ヨーク病院だった。夜間外来からライセンスを提示してウボォーを素早く病院に降ろすと、車は再び空が白み始めたヨークシンを走り出す。車内は再び沈黙が訪れた。
「姉さん、皆……クラピカも知ってるよ」
「え?」
レオリオが適当に調べたモーテルへ向けて車は走る。しんとした空気を破ったのはゴンだった。眠るクラピカの向こう側からひょいと首を伸ばし、ゴンはリンを真っすぐに見ていた。ゴンも察していたのだろう。リンがはっきりと裏切り宣言をした手前、気まずい思いをしているのだと。
キルアはため息を1つつくと、同じように顔をそちらに向ける。レオリオとセンリツは何も言わず、彼らの言葉の向かう先を見守っていた。
「あの時の言葉、全部嘘だったんだよね?旅団に味方するとか、俺達と敵対するとか……そういうの」
全部知っていると言った割に、ゴンは心配そうにリンを見上げた。
もしも否定されたらどうしようと思っているのは簡単にわかる。頭を撫でるには離れている距離で、しかしはっきりとゴンの質問を肯定するのも気恥ずかしいので、リンは回りくどい言い方をする代わりに心持ち穏やかな口調で答えた。
「まあ、気づいてないと助けられてないわよね」
リンが旅団側につくと言ったその言葉を信じ込んだ状態で、それでも旅団からリンを奪還しようなんて発想にはならないだろう。
大穴でゴンならやりかねないが、そんなものをキルア達が許すわけがない。だが改めて言われると、何とも言えない気恥ずかしさが押し寄せるリンである。
「クラピカに死んでほしくないし、人殺ししてほしくもなかった。それに、旅団に死んで欲しくもなかった。だけど俺達が旅団を倒すって言いだして、もうどうにもならないからせめてクラピカが復讐するのを止めようとした。違う?」
「あー、そこまでバレてたか……流石に想定外」
「わかりやすい奴の考えてる事なんて簡単にわかるっつの」
ゴン達が自分で気づいたのかそれともクロロが告げ口したのか。リンが思っている以上に彼らはリンの心境をよく理解していた。恥ずかしさで顔を覆いたくなるリンに、さらなるキルアの追撃がぐさりとリンの胸に突き刺さる。
「そんなことで自分の命捨てに行ったのか?」
(ダサ……恥ず……)
あまりにも図星すぎて恥ずかしい。人に隠していた心情を正確に把握され、その上それを言葉で語られるほど恥ずかしいものはない。負け惜しみではないが、リンにしては珍しく言い訳がましい言い方で弁解をする。
「私って自己中なの。ハンターなんてどいつもこいつも自己中極まりないけどさ。欲しいもののために他の物を平然と捨てる。私にとってはそれが自分の命だったってだけ」
「ジンと似たような事言ってるや」
「あー、カセットテープのアレか」
「え、死ぬほど嫌なんだけど」
ゴンがくじら島で聞いたジンからのメッセージを思い出し、キルアがそれに同調する。リンは当然の如く食い気味にそう被せた。
「けどよぉ、自己中にも程があるだろ。同じことやってるんじゃ、命懸けんなってクラピカの事言えねぇじゃねえかよ」
今まで冷静に徹していたが、レオリオとて言いたい事はあったのだろう。その口調には僅かだが咎める色が混じっていた。
だがそれは、あくまでリンが自分の命を粗末にしようとしたことを責めるものだった。内心は怒っているのではないかと思い少しズルをしてオーラの機敏を視てみるが、そこにリンを非難する色は視られない。レオリオの言葉は純粋に仲間を想ってのものだ。
「死にたがり馬鹿と一緒にしないでよ。私は最終手段で命懸けただけだし。超絶自分大事だし真面目に修行してるし」
内心ほっとしたがクラピカと一緒にされるのはやっぱりムッとするので、性懲りもなく言い返す。
レオリオは特にそれで気分を害した様子はなかった。そもそもリンに思い切り蹴られたのに一切咎めないほどの器の大きさなので、これくらいは不思議ではない。そこにゴンが、思った事を脊髄で言ってしまったようなトーンでぽそっと呟く。
「姉さんはそれくらいクラピカに人を殺してほしくなかったんだね。自分の命を懸けられるくらい」
「……うわ、熱出てるわね。メイメイ、冷えピタ出して」
認めるのが恥ずかしくてリンはゴンから視線を外した。同時にクラピカが発熱しているのに気づき、メイメイに冷えピタを取り出して貼り付けさせる。
車は走り続けている。再び無言の時間が続き、ゴンは遠慮がちに口を開く。それはクロロに聞いたものと全く同じ質問だった。
「姉さんにとって旅団って……クロロってどんな存在だったの?」
「兄貴分、的な感じかしら?いや頼り甲斐はないわね。やっぱオニーチャンくらいか」
改めて考えると、自分にとってクロロとはどういった存在なのだろうか。
幼馴染でもなければ仕事仲間でもなく、共通の趣味嗜好を持っているわけでもない。馬は合うものの、逆に言えばそれだけだ。考えれば考える程、なぜ自分達は接点もないのに仲が良いのだろうという気がしてくる。
「似た者同士でさ。殺されかけたこともあるけど、気づけば持ちつ持たれつになってたわね」
「それはお前がいたずらで殺気飛ばしたからだろ」
「ちょっと待って、何で知ってるの」
当然なぜ知ってるかなんて、クロロが余計なことまで言ったので確定だ。何かしらの形で仕返ししてやろうと心の中で決意する。
だがそんな事を考えられる以上、やはりクロロはリンにとって気の置けない人間なのだ。
「当時は……何を考えていたかしら。あんまり思い出せないけど、気も合うし、嫌いじゃない。上手く言葉にできないけどさ」
リンはそれだけ言い、口を閉じた。ゴンはそれを聞き、「仲が良かったんだね。大好きだったんだ」とだけ言う。
「……ま、そうなのかも」
車は静かにモーテルに到着する。いつの間にか夜が明けていた。