「**が消えたってどういう事だ善逸!」
潜入してから2日が経過した日の昼、所定の場所にて落ち合うなり善逸が泣きそうな顔をして信じられない言葉を発した。荻本屋にて鬼を発見したと騒ぐ伊之助も、要領を得ない説明にチンプンカンプンだった俺も、その言葉を聞いて思わず善逸に聞き返す。
我慢の限界だったのだろう。善逸は叫ぶやいなや、ぼたぼたと涙を溢し始めた。両手でぐしぐしと擦る為化粧はドロドロになって酷い顔だ。2つに結わえた金色の髪を揺らし、ひっくひっくとしゃくりあげながらもたどたどしい口調で言葉を続ける。
「昨日っ鬼を見つけたんだ…。あんな静かな音、聴いたことがない。下手したら上弦の鬼だった…。そいつが女の子を痛めつけててっ…俺がそれを止めようとしたらすげぇ殺気が飛んできてっ、**が俺を庇ってっ…」
「そんでどうなったんだよ!?」
いつもより更に荒々しい口調で伊之助が叫んだ。善逸の方に身を乗り出し、今にも掴みかからんとする勢いで迫る。
「…俺の代わりに**が殴られて吹っ飛んだんだ…。俺は**のおかげで助かった。でも**が頭から血を流して気絶して、…楼主も止めに入って来たんだけど、そしたら急にそいつ機嫌を良くして、「手当をしてやってくれ」って…。それで、手当をして部屋で寝かせていたんだけどっ…。今朝起きたら跡形もなく消えてたんだ。多分、**が鬼殺隊だってバレたんだと思う。俺の、せいだ…」
そう言い終えるとまたじわりと両目から涙が溢れた。そのまま俯けばぼたぼたと足元の瓦に雫が落ち、一滴また一滴と屋根を滑り落ちる。
俺たちの誰よりも呼吸に熟達している**は、体術こそ得意ではないものの第六感と呼吸を駆使する事で並外れた身体能力を持っている。そんな**を、善逸を庇っていたとはいえ一撃で意識を刈り取るような相手が潜んでいるだなんて…。
「ともかく、宇髄さんに知らせないと!!」
泣いている善逸の背中をポムポムして宥めながら、ハッと気づいた。**の話に気を取られていたがまだ宇髄さんが来ていない。きょろきょろと周りを見渡していると、全く気配を感じなかった背後から声が聴こえた。
「…お前たちには悪い事をしたと思ってる。俺は嫁を助けたいがためにいくつもの判断を間違えた」
「おい…どういう事だよ」
抑揚なしに発せられたその言葉を聞いて、伊之助がいつになく低い声ですごんだ。怒っているんだ。まるで**がもう死んだような扱いをされて。俺だってそうだ。叫びたいのを堪えてぎゅっと拳を固く握る。
「この吉原には上弦の陸が潜んでいる可能性があったんだ。そんな場所に階級の低い隊士を潜入調査に送り込んだ事、わざわざ怪しいとされる花魁に**を接触させた事、数えりゃキリがねぇ」
「ちょ…ちょっと待ってください!!どうして上弦の鬼が潜んでいるなんてわかるんですか!?しかも明確な番号まで…」
宇髄さんの言葉に俺は思わず聞き返した。調べたとはいえあまりにも情報が具体的すぎる。
「…極秘情報だが、お前らは知っているだろうから話してやるよ。御館様から柱に十二鬼月の情報が回っていたんだ。その情報源は、**」
「…俺たちが聞かなかった情報だ」
善逸が絶望の表情でぽつりと呟いた。そうだ、**は無限列車での戦いから暫くした後、異世界から来た事…俺たちの未来を知っている事を告白してくれた。その上で**は俺たちに、本来の未来を知りたいかと尋ねた。
俺たちは友達としての**を大切にしたくて、その情報を敢えて聞かなかった。そこには鬼についての有益な情報もあったのに…。
「俺たちが**から未来を聞いていれば、**は…」
馬鹿だ。俺たちは大馬鹿者だ。もしかしたら本来は善逸が行方不明になっていたのかもしれない。**はそれを知っていたんじゃないか?だから、庇ったんじゃないか?俺たちが未来を**から聞いていれば、こんな事にはならなかったんじゃないのか?
俺たちは自分自身の自己満足で、**を危険な目に遭わせたのか?
ぐるぐると後悔の渦に飲み込まれる俺たちを見て、少し励ますように宇髄さんの薄い唇が開かれた。
「たらればの話をしても仕方がない。それに、**の話によれば、俺たちの未来は既に変化しているらしい。聞いていたってどうしようもなかったかもしれない」
そこまで話した後に疲れたようなため息を1つつき、更に続ける。
「お前らはもうここから出ろ。善逸の言う事が本当なら…ここに居る鬼が本当に上弦だった場合はお前らには対処できない。階級が低すぎる」
「っ…俺たちは階級己です!それでも駄目だと言うんですか!!」
「駄目だ。現に**だって己じゃねぇのか。丸腰だったとはいえ、あいつだって手も足も出なかったんだろうが」
「それはっ…」
「消息を絶った者は死んだと見做す。後は俺1人で動く」
我慢できずに食い下がるも、取り付く島もなく一蹴されてしまった。反論する事も出来ずに唇を噛みしめる。
「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」
宇髄さんは光の無い暗い目をこちらに向けて淡々と言うと、そのまま一瞬にしてどこかへと消えた。そうして後には俺たちだけが残されてしまった。善逸の鼻をすする音だけがやけに大きく聴こえる。
「俺たちには何も出来ねぇってのかよ…クソがっ!!」
「落ち着け伊之助。…**は生きてる。俺は、**も宇髄さんの奥さんたちもみんな生きてると思う」
「っ…なんでそんな事言えるんだよ炭治郎!!」
伊之助を抑えつつそう言うと、善逸が俺の胸倉を掴み上げて叫んだ。憶測で物事を楽観視するなとその目が訴えてくる。悲しみと怒りの匂いがして、ああ、今1番辛いのは善逸なんだと感じた。俺や伊之助からも同様の匂いはしているが、自分のせいで仲間が消えた絶望とやるせなさが深い悲しみの匂いとなって善逸に纏わりついている。
俺は善逸を落ち着かせるようにと、務めて冷静な声を出した。
「全く根拠がないわけじゃないんだ。善逸が見た鬼は店に居たんだよな?」
「ああ…京極屋の蕨姫花魁だ」
憎しみを全面に押し出した表情で善逸が返す。その答えを聞いてふと気づいた。だから宇髄さんは**を花魁に接触させようとしていたのか…。
「つまり、鬼は店で働いているという事だ。それも人目を引く立場の花魁。巧妙に人間のふりをしていればいるほど、人を殺すのには慎重になる。バレないように」
「そうか…殺人の後始末には手間がかかる。血痕は簡単に消せねぇしな」
俺の言葉に納得したと言った風な伊之助が相槌を打った。それに頷いて更に説明を続ける。
「伊之助の居る“荻本屋”にも鬼が居るみたいだけど…そいつと“京極屋”の鬼が無関係だとは思えない。そいつらが連絡を取るための通路みたいなものが建物にあるんじゃないかと思うんだ。だから、今夜荻本屋に集まってその通路を探そう。宇髄さんの言う通り俺たちだけで上弦に立ち向かうのは得策じゃないし、何より**たちの救出が最優先だ」
「なんで今夜なんだ?今すぐじゃ駄目なのか?」
「念のため俺の居る店も調べ終えておきたいのと、先にやっておきたい事があるんだ。恐らく宇髄さんは1人で戦おうとするから」
善逸の疑問にそう答え、俺は最後にこう締めくくった。自分たちを鼓舞するために。
「**も宇髄さんの奥さんたちもきっと生きてる。必ず助け出す。善逸も伊之助もそのつもりで行動して欲しい。そして絶対に死なないで欲しい」
「…お前が言った事は全部な、今俺が言おうとしてたことだぜ」
「やってやるよ。絶対に助けて見せる」
そうして俺たちは3人で頷き合い、その場を解散した。
◇◇◇
月が顔を出し日が沈みかけた頃、伊之助の潜入する“荻本屋”に善逸と伊之助は居た。炭治郎が用を済ませ次第荻本屋で合流し、鬼の潜伏する通路及び捕らえられた人たちの居場所を本格的に探る算段だったのだ。この後は3人の五感を使って鬼の通路を探り、捕らえられた人間の居所を探る手筈になっている。
「遅いぜ!!もう日が暮れるのに来やしねぇぜ惣一郎の馬鹿野郎が!!」
「落ち着け伊之助、声が響く。…でも、確かに遅いな」
しかし、待てど暮らせど発案者の炭治郎が訪れない。日没も近く、鬼が本領を発揮する時間をいよいよ迎えんとしている。このままでは、これから行う作戦に支障が起こりかねない。痺れを切らした伊之助が立ち上がり叫んだ。
「もういい俺は動き出す!猪突猛進をこの胸に!!」
「猪突猛進はしなくていいから忍んでくれよ」
鬼を探すとはいえ、現在の居場所は潜伏先の遊郭だ。何かあったら困る、と善逸が落ち着かせようとするも、伊之助は着物がはだけるのも構わずに力強くしゃがみ込んだかと思えばそのまま飛び上がり、天井を頭から突き破った。
早くも店の器物を破損した事に善逸は軽い眩暈を覚える。とはいえ、万が一にもこの先鬼と接触した場合には戦闘は避けられないだろうし、そうなれば家屋の被害は構っていられなくなるだろう。
何かあったら宇髄さんに押し付けよう。そう思い直した善逸は伊之助を引き止めるのをやめ、忍獣に自身の荷物を所望する伊之助に「俺の分もお願い」と頼んだ。
「行くぜ!猪突猛進!!」
「だからもう少し静かにしろっての!」
善逸が化粧を落とし隊服に身を包んだ頃、伊之助は既に刀を両手に持ちあちらこちらの天井や床を無差別に破壊して回り始めていた。損害賠償、裁判、そんな言葉が善逸の頭をぐるぐると巡る。
通りすがりの遊女たちが化け物を見たという様な恐怖の表情で顔を歪ませており、「ごめんなさいねぇ!」といたたまれなくなって叫べば、大慌てで逃げられた。善逸をも同様の生き物であると見做しているのがその表情からありありと見て取れ、繊細な善逸の心が少し傷つく。
「落ち着けよ伊之助。少し静かにしてくれホント」
「ハァ!?静かに探索なんかできねぇぜ!?お前は**を助けたくないのか!」
「静かに探索はできるだろ…じゃなくて、壁や床とかに不自然な空洞がないか音を聴いてみるから静かにしろって言ってんだよ」
善逸の言葉に反論できなかったのか、伊之助はそれを聞くとぴたりと大人しくなった。先程までの破壊音とは打って変わって、静寂が2人を包む。少し遠くの方で遊女たちが混乱して騒いでいる声がやや鮮明に聴こえるようになった。
「こっちだ!!あそこの床のところ!!」
暫く耳を澄ませていた善逸がハッと目を見開き、叫んで走り出した。なるほど、確かにこっちの方が効率が良い、と感心した伊之助も後に続く。少し走ったところで善逸が立ち止まれば、待ってましたと言わんばかりに伊之助が駆け抜けて善逸の指差したところを力任せに叩き壊す。
獣の呼吸・肆ノ牙 切細裂き(きりこまざき)
やっと暴れられると勢いを込めて型を床に叩きこむと、頭1つ分程度の穴が開いた地面が顔を出した。何となく落とし穴を思わせるようなそこからは、どこかに繋がっているのであろう空気の流れを感じる。
「グワハハハこれが鬼の巣に通じる穴か!ビリビリ感じるぜ鬼の気配!!」
「人の音も沢山聴こえてくる。この先で間違いない。…でも思ったより小さいな。どうしよう…」
思案する善逸をよそに、伊之助が穴に飛び込めば、案の定頭しか入らずに肩の部分でつっかえた。「ほら言わんこっちゃない」と善逸が呆れ声を伊之助にかける。
「伊之助、どう見ても小さいだろこの穴。入れねぇよ」
「甘いんだよ。この伊之助様には通用しねぇ」
ふふん、とドヤ顔を決めた伊之助はそう言うとゴキゴキ音を鳴らして腕の関節を外し始めた。人間にできない形状となった腕を見て善逸もろとも陰から2人の様子を観察していた遊女たちも「ヒィ!」と声を上げる。
「なんだよ紋逸、お前はやらないのか?」
「できるかアホ!」
「だろうな。だが俺は体中の関節を外せる。つまり頭さえ入ればどこへでも行ける。てめぇは惣一郎か祭りの神でも探してな!」
「…悔しいけどそうするしかないな。危ない真似はするんじゃないぞ!」
そう叫んだ善逸も再び別の場所へと走り出す。集中して耳を澄ませていた際に宇髄の気配を感じていたのだ。そして、更に別の場所で何かが壊れる音も。
もしも炭治郎が何らかの理由で上弦の鬼に遭遇したのだとすれば、早急に救助を行って加勢に向かわなければならない。宇髄さんならば地上から地下への道を拓く事もできるのでは、と考えた善逸は宇髄との合流を目指す事にした。
2手に別れて目的の場所へと向かう。仲間を助けるために。
◇◇◇
目を覚ました時に予想外の展開が目の前で繰り広げられていたら、人は大抵の場合思考が停止する。私がかろうじて動けたのは、目の前の風景が原作で見覚えのあるものと一致していたからだ。だから、即座に状況把握して動く事が出来る宇髄さんの奥さんたちはやっぱり優秀なんだと思った。
目を覚まして初めに見えたのは、桃色の帯とそれに絡まる様に倒れ伏す女の人たち、そしてそこら中に散らばる人骨。女の人たちはどれも美人で、鬼の食料になる予定だった人たちなんだと直感した。そして、その中には須磨さんとまきをさんの姿も見える。
獣の呼吸・陸ノ牙 乱杭咬み(らんぐいがみ)
叫び声と共に、伊之助が顔のついた蚯蚓帯に斬りかかる姿が数十m先に見えた。帯もそれに対して負けじと応戦している。どこかで見た風景…そうだ、吉原遊郭編で伊之助が堕姫の食料貯蔵庫に潜入して戦うシーンだ。原作とどの程度一致しているのかはもう確かめようがないけど、伊之助が助けに来てくれたのは間違いないと思う。
少し思い出した程度の、あやふやな私の記憶が確かならば、本来ここに捕らえられていたのは善逸だったはず。でも善逸の姿が見えないって事は、私が身代わりになった事で善逸の正体はバレなかったという事か。周りに金髪頭が見えない事を確認して小さく安堵のため息をついた。
よかった。けどよくない。何やってんのよ私…。未来が変わってきてるとはいえ、忘れていたとはいえ、原作そのままの展開なのに何捕まっちゃってんの?馬鹿なの?
両手足をぐにぐにと動かす。よし、思いっきり殴られて襖も突き破っていたけれど問題なく動けそうだ。頭に巻かれた包帯と痛む頭部はもう我慢するしかない。包帯を巻いて寝かされるときに三つ編みは解かれたようで、胸元まで届く長い髪が少し鬱陶しい。千代子さんから貰ったリボン、大事なものだから、誰かが預かってくれてるといいんだけれど。
「アタシを斬ったって意味ないわよ、“本体”じゃないし。それよりせっかく救えた奴らがおろそかだけどいいの?」
少し離れた場所で繰り広げられる攻防。私たちを庇うように戦っている伊之助は動きがとりづらそうで、イライラしているように見える。そんな伊之助の攻撃をものともせずに帯が嘲る様に言った。
マズい。帯の言う通りだ。それにあいつは力をつけるために倒れている人たちを狙うだろう。そう思うと同時に視界の端で須磨さんとまきをさんが目を覚ますのが見えた。
「う…ここは…」
「!!…須磨さん、まきをさん!!私たちは鬼殺隊です!そしてあの帯は鬼の一部で一般人を喰らおうと狙っているところです!援護をお願いします!!」
「!?…わかった!!」
即座に状況を理解した2人がクナイを両手に持ち女の人たちへと襲い掛かる帯へと投げ放つ。2人の攻撃によって、女の人たちを狙っていた帯が地面に縫い留められた。これでどうにか伊之助が戦いに集中する事はできそうだ。
「誰だてめェら!」
「宇髄の妻です!アタシあんまり戦えないですから、期待しないでくださいね!」
「須磨ァ!弱気なことを言うんじゃない!!」
叫ぶ伊之助に簡単な自己紹介をしつつもぎゃいぎゃいと喚く須磨さんと、その尻を引っ叩くまきをさん。到底鬼と死闘を繰り広げてるとは思えない光景だが、それでもくノ一としての腕は確かなようで、彼女たちは倒れている人たちに襲い掛かる帯を確実に仕留めていく。
でも、このままでは埒が明かない。そして現状私は足手まといだ。隊服は見当たらず、花魁が好みそうな濃紺色の艶やかな梅柄の着物は動きにくい事この上ない。元々着ていた桃色の着物じゃないのは、血で汚れて着替えさせられたからだろうか。それに何より、肝心の日輪刀がどこにもないのでは話にならない。
伊之助に「刀を1本貸してくれ」と言いかけた時、視界にムッキムキのネズミたちが入り込んできた。ふんぞり返るように高く挙げたその両手には、真っ黒な鞘に収まった私の刀が乗せられている。礼を言いつつ受け取ると、2日程度しか経っていないのに懐かしいと思えるその重みがしっくりと手に馴染んだ。
「ナイス忍獣…!!」
欲を言うならば着替えたいところだが、そんな事をしている暇はなさそうだ。私は鞘を帯の隙間に押し込んで固定し、呼吸を整えて型を放つ体勢に入った。
着物も動きにくいけれど、靴がないのが地味に辛いな。鍛えているとはいえ裸足で石だらけの地面を踏みしめるのはなかなかに痛い。
いつもよりも深く足を引き、柄に手をかけて壱ノ型の構えを取る。着物の裾が思いっきり捲れるのはもう仕方がない。呼吸を練ると共に、私に纏わりついている青黒い瘴気がより一層勢いを増した。狙うは空中に垂れ下がる無数の帯。捕らえられている人たちを傷つけないように、素早く綺麗に切り離せ。
闇の呼吸・壱ノ型 暗箭傷鬼(あんせんしょうき)
―――4連!!!
私が型を繰り出すと共に、ドォン!!!と轟音が鳴り響いた。
暗箭傷鬼・4連はこの5カ月で会得した修行の成果だ。闇の呼吸をベースに雷の呼吸もほんの少し混ぜ込む事で、善逸のような居合の連撃を可能にした。複数の敵と対峙する時、しかもフェイントを混ぜ込む暇もないくらいに型を早急に繰り出す必要が生じた時のために。善逸と違って運動センスのない私には4連が限界だったけれど。
…でも、おかしい。壱ノ型は無音の型だ。雷の呼吸を混ぜ込んでも音がしないくらいに修行で精度を高めたはずなのに。今の轟音はなんだ?
私の斬撃によって切裂かれた半数の帯たちが、ひらひらと舞い落ちてきた。地面にはらりと落ちると同時に、帯に閉じ込められていた女の人たちも帯から飛び出してくる。しかしまだ帯は残っている。捕らえられた人も助け切れていない。次で全員助けられるだろうか。
轟音につられて見上げた先に私の姿を認めた伊之助が、怒っているのか喜んでいるのかよくわからない声音で叫びかけてきた。シュタッと地面に降り立った私も軽快に返事を返す。
「起きやがったか**!!てめぇ俺の子分名乗るならこんな蚯蚓帯程度に捕まってんじゃねぇよ!!」
「子分名乗った覚えはないけど、マジで反論の余地がないわ助けてくれてありがと!!それより今の轟音は何!?」
「はぁ!?お前じゃないのか!?」
「違うよ!私の型は無音だって伊之助も知ってるでしょ!」
「じゃあなんだっ…」
なんだってんだよ。伊之助がそう言いかけた時、再び轟音が頭上から轟いた。地下特有のジメジメとした空気は土埃に塗れて一層不快な空間を創り出す。しかしそれもつかの間、風穴が空いた事で頭上から入り込んだ新鮮な空気と共に、頭上から侵入してきた人影を覆っている土埃が晴れていく。
人影は2つ。銀髪の大きな人と金髪の小さな人。まさか地面に穴を開けて助けに来るなんて…。
ぼんやりとその人影を眺めていると、大きい方の人影が一呼吸置いた後に目にも止まらぬ速さで全ての帯をばらばらにしてしまった。
「天元様…」
まきをさんの呟き声がやけにはっきりと聴こえた。完全に土煙の晴れたその先には、予想通り宇髄さんが立っていた。須磨さんとまきをさんに気付いた宇髄さんは、2人の頭をポンと叩いて控えめながらも嬉しそうな表情を浮かべる。
「まきを、須磨。お前ら派手にやってたみたいじゃねぇか。流石は俺の女房だ」
「天元様ァ!!」
最愛の人の登場に安心したのか、須磨さんが鼻水を垂らして大泣きし始めた。あまりの泣きっぷりに、まきをさんと宇髄さんもぎょっとして目を見開く。しかしすぐに微笑み、そんな須磨さんをあやしながら宇髄さんが叫んだ。
「遅れて悪かったな…こっからはド派手に行くぜ!!」
「何カッコつけてるんですかイケメンだからってなんでも許されると思うなよカッコいいなクソが!!」
金髪の人影が…善逸が土埃に咳込みながらも遮るようにして腹式呼吸で叫んだ。その目には“嫉妬”の2文字が深く刻まれている。だがしかし気持ちはわかる。ラブラブ夫婦たちのイチャイチャを見せつけられた私たちの気持ちにもなってほしいものだ。正直いたたまれない。そして何より、今の衝撃で蚯蚓帯が逃げてしまっている。
「祭りの神テメェ!!蚯蚓帯共が穴から散って逃げたぞ!!」
「早く追わないとやばいと思いまーす…」
蚯蚓帯相手に良い戦いをしていたのに邪魔をされて、伊之助は御立腹の様子だ。そろそろここから出たい私も、そろりと手を挙げて意見を述べておく。
「うるっせぇ!捕まってた奴ら皆助けたんだからいいだろうが!野郎共追うぞついてこいさっさとしろぉ!!」
私たちの意見に宇髄さんがキレ気味にノンブレスで叫んだ。えぇ…私たち間違った事言ってないと思うんだけどな。あと私は野郎じゃない。
◇◇◇
「どけどけェ!宇髄様のお通りだァ!!」
あの後、手早く宇髄さんお付きの隠たちに連絡を取って、捕らえられていた人たちの保護と近辺の住民の避難誘導を頼んだ。須磨さんとまきをさんもそちらで手伝ってくれるらしく、より素早い避難が可能になると思う。
そして、私たちは宇髄さんと共に鬼と交戦する炭治郎の元へと慌ただしく向かっている。別段耳が良いわけでもない私でもわかるくらい、地上に出てから大きな衝撃音が鳴り響いているのだ。間違いなく、炭治郎は堕姫と遭遇している。
先頭を走るのは宇髄さん。屋根の上を走っているとは思えないくらいに軽快に、人間離れしたスピードで駆けていく。ちなみにだが、もちろん屋根の上に「どけ」という必要のある障害物は存在しない。ただの勢いだと思う。
「くそォ速え!!」
宇髄さんのやや後方を私、伊之助、善逸の順に走る。追いつけない速さで走られてイラつく伊之助。このままでは宇髄さんより少し遅れて到着する事になってしまうだろう。
「伊之助ごめん、先に行く!勘だけど、早く行かないと恐らく誰かが死ぬから!」
先程から嫌な予感がして仕方がない。なんというか、死の予感がするんだ。炭治郎は無事だと思うけれど、このままでは一般人に死人が出る。
伊之助にペースを合わせて走っていたが、それをやめて足に血液を集中させる。闇の呼吸に雷の呼吸を混ぜ込んで速度を更に加速させた。さっき靴が欲しいって言ったけど撤回しようかな。屋根の上を走るなら、裸足の方がまだ安全だし走りやすい。
「あ!待てこら!」
「伊之助!悪い俺も行く!」
私の言葉に続いて、善逸がそう叫ぶのが後方から聴こえた。私でこんなに加速できるんだから、霹靂一閃を常用している善逸なら容易い事だろう。どんどん距離が離れていく伊之助とは対照的に、後方から善逸の気配が近づいてくるのを感じる。
「…**!」
「何!?」
善逸が後ろから声をかけてきた。高速移動をしているため小さな声では聴こえず、結果として叫ぶようにして名前を呼ばれる。その返答に私も叫び返した。
「**ごめん!俺のせいで!酷い目に遭わせた!謝って済む事じゃないけど…!」
「何言ってんの!?私が好きでやった事だよ善逸に責任ない!むしろあの時庇ってくれて嬉しかったし、伊之助もだけど助けに来てくれてめっちゃ嬉しかったありがと!!」
「う…お前ホントにそういうとこだよ!!直接的!!」
「ハァ!?」
よくわからない事を言われて聞き返すも、それに対する返答はなかった。そうこうしているうちに宇髄さんの背中が近づいてくる。
「宇髄さん!!」
「**!!さっきは言いそびれちまったが、お前には悪い事をした!あとド派手な良い働きをした!嫁を助ける足掛かりになってくれてお前自身も生きてたんだ超イカしてるぜ!!」
「ありがとうございまっす!…じゃなくて!もっと急げますか!?嫌な予感がするんです!このままでは誰かが死ぬ!!」
私がそう言ったと同時に、数百m前方で大きな衝撃音が聴こえた。まるで家屋が倒壊したような。十中八九堕姫だ。
こんなに離れているのに感じてしまった、京極屋で会った時とは比べ物にならない気迫と殺気。思わず恐怖で足を止めたくなるのを必死で堪える。
「…行くぞ!!」
宇髄さんがより強く屋根を踏みしめた。もちろん今までがのんびり走っていたわけではないが、一般人に被害が出始めた事でより迅速に現場へ向かおうとしているのを感じる。近づいていた宇髄さんの背中はまた遠く離れた。慌てて私たちもスピードを速める。
「…宇髄さん!御館様に私が伝えた情報についてはご存知ですか!?」
必死に宇髄さんの後ろを走りながら私は尋ねた。私が御館様に伝えた事、すなわち上弦の鬼の情報だ。知っているかいないかでかなり戦いに変化が起きるだろう。
「ああ、聞いてるぜ!にわかには信じがたいが…」
「本当のところはこの後すぐにでもわかりますよ…私も確実であるとは言いかねますが!」
「違いないな!それにしても、2匹同時に頸を落とせ、か…。しかも妹の方は兄貴に操られる事で更に手強くなるんだっけか!?」
「そうです!…お願いがあるのですが、妹の方を私に任せて貰えませんか!?あの子には借りがあるんです!!」
私の頼みを聞いた宇髄さんは「あの子、ねぇ…」と呟いた。まるで人間の様に扱うんだなとでも言いたげな声音で。それでも、「無理はするな」とだけ言ってくれた。了承してくれたという事だろう。
あと少し、あと少しだ。前方では炭治郎が堕姫と交戦しているらしい。遠目でも帯と刀が交錯しているのが見える。
宇髄さんの背中で戦況が良く見えなくて、走りながら隣の家屋に飛び移った。近づきながらも炭治郎たちの戦況を観察する。
かなり善戦をしている様子の炭治郎。堕姫の操る帯が更に増えたが、それをものともせずに捌き、一纏めにして刀で押さえつけている。
どう見たって現在は炭治郎が押しているように見える。蚯蚓帯を取り込んで桁違いの強さになったであろう堕姫を相手に。でも、炭治郎から嫌な予感を感じる。第六感が警鐘を鳴らしている。どうして?
気になる事はまだある。いくら炭治郎とはいえ、共に鍛錬している時にはあれほどまでの動きはできなかった。それなのに、何があったのだろう?命を懸けた戦いの中で感覚が研ぎ澄まされた?それもあるかもしれないけれど、どちらかといえば能力の前借をしている様な、そんな印象を受ける。勘だけど。
「ほう、やるなあいつ」
「…いや、でも…」
感心したように呟く宇髄さんの声が風に乗って小さく聴こえた。しかし、私にと共に隣の家屋に飛び移って交戦の様子を観察している善逸は、どうやら私と同意見のようだ。少し悩むような声で独り言をぶつぶつと言っている。
炭治郎たちがよりはっきりと見える距離まで来た。炭治郎が帯に突き刺した刀を支点にして、堕姫との距離を一気に縮める。そのまま13本全ての帯を斬り伏せて、堕姫の頸に日輪刀の刃が届いた。
あと数秒で私たちも炭治郎の元へ辿り着く。その時には既に炭治郎が堕姫の頸を落としているかもしれないけれど。それなのに、私は嫌な思考を止められないでいた。
能力の前借…命の前借?呼吸は異能じゃない。等価交換だとか制約と誓約だとか、そんなものは存在しない。ただ自分の身体能力を強化するだけのいたってシンプルな技術。
じゃあ、呼吸を使って命を削るような行為と言えば?
そこまで考えた時、1つの結論に辿り着いた。普通の人間でも集中している時に無意識にやってしまう行為。それを全集中の呼吸で、死闘を繰り広げながら行ったらどうなる?
「炭治郎息して!!!そのままだと死んじゃう!!!」
私がありったけの声で叫ぶのと、命の限界を超えかけた炭治郎が刀を取り落とし蹲って咳込むのはほぼ同時だった。
「惨めよね人間っていうのは本当に。どれだけ必死でも所詮この程度だもの。気の毒になってくる」
一瞬驚いた表情をした堕姫も状況を理解すると同時に憐れむような、嘲るような言葉を炭治郎に投げかけた。
「お返しにアンタも頸を…」
腰から帯を伸ばし、炭治郎の頸に斬りかからんとしたその時、
「おいおい、一瞬感心したのになんだその体たらくは。鬼舞辻無惨を倒すって御館様の前で大見栄切ってただろうが」
私たちより一瞬早く到着した宇髄さんが炭治郎の前に立ちはだかった。宇髄さんの強さを感じて、彼が柱である事に気付いた様子の堕姫。帯を伸ばして臨戦態勢に入るも、彼は気にした様子もなく背を向けて炭治郎に声をかけている。
「柱ね!そっちから来たの…手間が省けた」
「うるせぇなお前と話してねーよ。お前は上弦の鬼じゃねぇだろさっさとてめぇの兄貴を呼び出せ」
「え?」という言葉と共に堕姫の頸があっさり胴体と離れる。端正なその顔はボールの様にポンポンと屋根を転がり、地面に落ちた。衝撃でぐしゃりと右半分が潰れ、それに気付いた胴体が慌てて頭の元へと向かった。
「炭治郎!!」
再び屋根を飛び移り、ヒューヒューと息をする炭治郎の元に私たちも駆け寄る。両目からは血を流しており、言い表せない恐怖が私を包んだ。いったいどれだけの怒りを抱けば、どれほどまでに体力の限界を超えればこんな事になるというのだろう。
優しさは時に諸刃の剣だ。鬼にさえ同情し、見ず知らずの他人のために身を投げ出して怒る炭治郎の危うさ。それが今の姿なんだと思った。
「…だいじょ、ぶだ…。心配、してく…れて、ありがと…」
私たちの声に炭治郎が手を軽く上げて息絶え絶えにそう言った。どう見ても大丈夫じゃない。それでも、堕姫を追いかけないと。
善逸と協力して炭治郎に肩を貸し、宇髄さんに続いて屋根から降りる。大事そうに潰れた自身の頭を抱えた堕姫が、宇髄さんに向けて怒り散らした。
「アンタ!よくもアタシの頸を斬ったわね!!ただじゃおかないから!!」
「まだ生きてやがるのか。だからさっさと本当の上弦を出せよ。こちとら派手に戦う用意はできてんだよ」
「っ…!!また言ったわね!アタシは上弦よ!本当に強いんだから!!
「うるせぇよじゃあなんで頸斬られてんだよ」
「うぅ…本当だもん!アタシ強いんだもん!アタシは凄いんだからぁぁぁ!!!」
彼女はそう言うやいなや、わんわんと泣き始めた。幼子のように泣き喚き、地団駄を踏みながら「死ね!死ね!」と叫ぶ。
「頸切られたぁ!頸斬られちゃったぁ!!お兄ちゃぁあん!!!」
堕姫がそう叫んだ時、にゅるりと分裂するようにその背中からもう1つの身体が現れた。とはいっても新しく出てきたその身体は、堕姫とは似ても似つかない。ガリガリの男の身体、アバラが浮いて骨と皮だけの様に見えるその皮膚にはまだら模様が浮いている。ぼさぼさの髪を無造作にまとめており、鬼というよりは浮浪者に見える。
その男は身体同様に骨ばった両手であやしながら、泣きじゃくる堕姫の頸をくっつけた。
妓夫太郎だ。
「泣いてたってしょうがねぇだろお。頸ぐらい自分でくっつけろよなぁ。…顔も潰れちまってるなあ。大事にしろ顔はなあ、せっかく可愛い顔に生まれたんだからなあ」
私たちには目もくれず、ゴシゴシと妓夫太郎が堕姫の目元の涙をぬぐってやる。そうすると潰れていた堕姫の顔面は、あっさりと元に戻った。
隙あり。宇髄さんが背を向ける妓夫太郎に対して斬りかかる。しかしどこから取り出したのか、一瞬のうちに赤黒い血のような鎌を両手に構えた妓夫太郎が応戦し、間一髪でその攻撃を止める事ができたものの、宇髄さんの頭飾りはぼろぼろと砕け散った。
「俺の攻撃止めたなあ。殺す気で斬ったけどなあ…。いいなあお前、いいなあ」
「…へっ、聞いてはいたが予想以上だな。会えて嬉しいぜ、上弦の陸」
「そう言えば俺の事知ってるみたいだったなあ。俺はお前みたいな色男知らねぇんだけどなあ」
「何なら名前も知ってるぜ。妓夫太郎だったか?役職名がそのまんま名前だなんて、珍妙なこったな」
名前まで知られているのは想定外だったようで、まだら顔の中の双眸が僅かに見開かれた。
「…なんで知ってるんだあ訳わかんねえなあ。…でもそうだよ、俺は妓夫太郎。名前の通り、お前からも取り立ててやるからなあ。可愛い妹がやられた分は必ず取り立てないとなあああ」
ぼりぼりと体中を掻き毟り血を流す妓夫太郎を挑発するように、宇髄さんがせせら笑った。
「教えてやる義理はねぇよ。さっさとくたばれや」
血鬼術 飛び血鎌(とびちがま)
薄い刃のような血の斬撃が、私たち諸共宇髄さんに襲い掛かった。未だに先ほどのダメージが回復しきっていない炭治郎を背に回し、善逸と2人がかりで何とか捌ききる。恐らく触れたら即死であろう斬撃。ギリギリ避けきれなかった着物の袖はいとも容易く切裂かれた。
第六感が退避するべきだと頭の中でガンガン鳴り響いている。それでも、退くわけにはいかない。後ろには炭治郎が居る。この近くの人間は全員逃げたようだが、私たちが退避すれば彼らにも危害が及ぶ。何より、私は堕姫に借りを返さないといけない。
「お前ら大丈夫か!?」
「私たちの事は構わないで!!同時に頸を斬らないといけないんですから!!」
私がそう叫び返すと、宇髄さんが懐から何かを取り出し妓夫太郎と堕姫に投げつけた。火薬だろうか?黒いビー玉程のそれに軽く刃を当てると、それらは鬼たちの元でド派手に爆ぜた。宇髄さんにしかできない芸当だ。これが音の呼吸。
衝撃で倒れないように踏ん張りながら、爆発のその先に目を凝らす。
衝撃で巻き上がった土煙。それもすぐに晴れるが、そこには鬼ではなく鞠の様に真ん丸な帯の塊があった。堕姫が帯を使って自分たちの身を守ったのだ。後から妓夫太郎に抱きつくようにして、こちらを睨み付けてくる堕姫に、余裕の表情ながらに不信の色を浮かべる妓夫太郎。
それを見た宇髄さんは感心したような、これからの死闘を楽しみにするような、何とも言えない笑みを浮かべた。
「…まあ、一筋縄にはいかねぇわな」
「…ホントになあ、なんで知ってやがるんだってなあ。俺たちを同時に斬るだなんて、今まで気づいた奴居なかったのになあ。その前に殺したからなあ」
「教える訳ねぇだろボケ。…**、善逸、炭治郎。あいつらを分断するぞ。2手に別れて一気に頸を斬る」
宇髄さんがそう言うと、馬鹿にしたような口調で妓夫太郎がせせら笑った。
「なんだあ?下っ端如きに俺たちの頸が落とせるってかあ?柱でも俺たちの相手はいっぱいいっぱいなのになあ」
妓夫太郎がそう行った時、私と善逸に気付いた堕姫が叫ぶようにして兄に懇願した。
「アンタたち…!!お兄ちゃんこいつらも殺して!!そこの下っ端共もアタシを虐めたの!アタシ頑張ってるのに、一生懸命やってるのに!!仲良しのフリして裏切ったのよ!!」
「~~~!!ふざけんな!虐めていたのはお前の方だろうが!!」
こちらを指差してそう主張する堕姫の言葉に、ブチ切れた善逸が割り込む様に大声で叫んだ。それを聞いた妓夫太郎の視線もこちらへ向く。
「なんだあ?下っ端がデカい口叩いたところで全員死ぬだけだろがぁ」
「耳を引っ張って怪我させた子に謝れ!頬をぶん殴った**に謝れ!!遊女たちはお前の所有物じゃない、何をしても許されるわけじゃない!!」
額に筋を立てて怒鳴る善逸。その口調に苛立った様子の堕姫が嘲る様に叫ぶ。そして私を見ながら更に続けた。
「つまらない説教を垂れるんじゃないわよ不細工!…**、アンタやっぱり鬼殺隊だったのね。でも下っ端だなんて、道理で初め見た時わからなかったわけだわ」
「堕姫…」
嘲笑と侮蔑と憤怒。だが、それ以上に何かが込められたような表情を見て、心のどこかがずきりと痛んだ。
殺さなければいけない。絶対に殺す。でも一瞬、ほんの少しだけ仲良くしたいと思ってしまった。だからこそ、敵意を見せつけられて裏切られたようなそんな気持ちになった。元より鬼である彼女を殺す目的で近づいた私がそんな事を思う資格はないのだけれど。
彼女も私と同じ気持ちかもしれない。そう思うのは傲慢だろうか。だからこそ、せめてもの償いとして、私自身がその頸を斬って見せる。
ぐっと唇を噛みしめて睨み返しながらも刀を抜いた私を背に、宇髄さんが仁王立ちで叫んだ。丁度その時、遅れていた伊之助もようやく到着したようで、屋根から私たちの隣にズシャリと飛び降りる。全員集合だ。戦えるまで回復した炭治郎も荒い呼吸を吐きながら刀を構え直した。
「下っ端だが地味に侮るな!こいつらは強いぞ、4人とも俺の継子だからな!!」
「えっ、宇髄さん俺は煉獄さんの「俺の継子は優秀だぜ!?逃げねぇ根性がある!!」
撤回しようとした炭治郎を遮るようにして、ガハハと笑う宇髄さん。それを聞いて少し、本当に少しだけ怯む鬼たち。こういうのは勢いとそれっぽさが大事なのだ。それを聞いた伊之助が「まぁな!!」とふんぞり返った。
「こいつらは手足が千切れても喰らいつく!!俺たちにかかればお前らの頸同時に斬り落とすなんざ余裕だぜ!!ちょろ過ぎるな!!」
「なるほどな!そいつらの頸を同時に落とすのか!!確かに俺たちなら余裕だ!!派手に斬ってやらァ!!」
他人の影響を受けやすい伊之助が、やや宇髄さんの口調をコピーしながら勝ち誇る様に叫んだ。そう言えば伊之助たちにはこの鬼たちの倒し方を話してなかったのか。確か以前に話そうとして断られたんだったっけ…。
「その『簡単な事』ができねぇで鬼狩りたちは死んでったからなあ。柱もなあ、俺が15で妹が7、喰ってるからなあ」
「そうよ!夜が明けるまで生きてた奴はいないわ!長い夜はいつもアタシたちの味方をするから…どいつもこいつも死になさいよ!!」
血鬼術 八重帯斬り(やえおびぎり)
血鬼術 飛び血鎌(とびちがま)
「行け**!!あの女に借り返すんだろォ!!」
そう叫んだのを合図にして、堕姫の帯と妓夫太郎の血鎌が一斉にこちらへと襲い掛かって来た。斜め十文字状に伸びてくる刀の様に切れ味の鋭い帯を、宇髄さんが全て捌いてくれる。
姿勢を低くして走りぬけながら同時に放たれる妓夫太郎の血鎌を掻い潜り、私は堕姫に目掛けて型を放った。
闇の呼吸 肆ノ型 晦冥ノ水面(かいめいのみなも)
肆ノ型は下段から相手を斬り上げる型だ。コールタールの様に真っ黒な水飛沫の幻影と共に濃紺色の刀身が堕姫を狙う。伸ばしていた帯を1本手元に戻した堕姫がそれを受け止めた。
「だああああ!!!」
刀と帯がぶつかり合い、一瞬の膠着が生まれる。このままでは力で押し負けると察した私は、咄嗟に炎の呼吸を混ぜ込んだ。それと共に私を纏う幻影が青黒く燃え上がる。力任せに刀を振り上げれば、堕姫の身体は屋根を超えて空高く吹っ飛んだ。それを追いかけて私も走る。
「…よくもやってくれたわねアンタ。絶対に殺してやる、その綺麗な顔を噛み砕いて喰らってやるわよ」
帯でバランスをとりながらダンッと屋根に降り立った堕姫が忌々し気に私を睨みつける。私も負けじと文字の刻まれたその瞳を見つめながら言った。
「借りは返すよ堕姫、終わらせよう。あんたが私にしてくれた事に対して私ができるのは、その頸を斬る事だけだから」
「そうね。アタシもアンタに借りがある。アタシを裏切ったアンタに、苦しみを、痛みを、取り立ててやるわよ」
そう言うと堕姫の雰囲気がガラリと変化した。姿形は堕姫のままだが、そこに妓夫太郎の気配が混じり込んでいる。少し俯いたその表情は伺えない。
「それが俺たちの生き方だからなあ。お前らも同じように喉笛掻き切ってやるからなああ…」
顔を上げた堕姫の額には目玉が1つ、縦に割れて刻まれていた。同時に今までの比ではない殺気が放たれる。
死闘本番の火蓋が切って落とされた。