隊服に身を包んだ私は、黒曜の案内の元、産屋敷邸に向かう事になった。
真っ黒の学ランを思わせる上の服に揃いの生地のタイトスカートは、試着の際に一度着たきりなのでまだ少し身体に馴染みきっていない。でも、ごてごてした見た目の割には通気性も良く柔らかい素材なのですぐに馴染むだろう。元の世界では16歳の頃には成長期が終わっていたので、隊服は丁度の大きさにしてもらった。
羽織とリボンも明暗邸に居る間に洗濯してもらったのでピカピカだ。チョコレートカラーの編み上げブーツと黒のニーハイを合わせ、腰に帯刀している私の姿は、今やどう見ても鬼殺隊士。明暗邸を出る前に鏡を見てみたが、思った以上に様になっていた。
そして思わずニヤニヤしてポーズを決めたりしちゃっていたら、黒曜にガン見されていた。恥ずかしい。
この鎹烏、タチの悪い事にCV.杉田智●である。しかも「カァ」や「アホウ」だけやたら声が裏返る。腹ただしい。
でも、「アホウかお前!」とでも言ってくれればまだマシだったのだが、この時はガチトーンで「何やってんだお前」と言われただけだった。しかもやたら流暢。恥ずかしいなんてものではなかった。
「ここが産屋敷邸だ。御館様に失礼のないようにしろ」
産屋敷邸への案内専門の烏の言葉に従って屋敷の中に入れば、奥さんが案内をしてくれた。やっぱり目が怖い。瞳孔はどこにあるんでしょうか。
原作で無一郎が「妖精みたい」って表現していたけど、私は漫画でこの人の事知らなかったら目も合わせられなかっただろうな。なんて言うか、心の闇まで見抜かれていそうな気がしてくる。
そんな事を考えながらついて行くと、奥の座敷に通された。広い部屋の中央部には座布団が敷いてあり、10人は卓を囲めそうなほどに大きな机の向かいに産屋敷輝哉が座って居る。
「初めまして、だね。**」
産屋敷輝哉、いや、御館様がそう声をかけてくれた。
漫画の表現通りに、顔の半分は爛れており痛々しい。でも、元の顔は相当な美形だったのだろうと確信させるほどに顔のラインが整っている。それに、なんだかこの人の声は聴いていてすごくリラックスできる。この人のために尽くしたいと思わせるような。これが彼の、いや、産屋敷一族のカリスマ性なのだろうか。
「改めまして、お初にお目にかかります。明暗**と申します」
座布団に座る前に三つ指をついてそう述べた。すると、御館様は楽にするように促してくれた。恐らく両目は見えていないのだろう。微笑んでいるが、白い双眸は虚空を見ている。
「私は産屋敷輝哉。鬼殺隊の統括をさせてもらっている。君の事は菊子から聞いていたよ。大変な立場だったろうに、それでも私の子供たちと共に戦う決断をしてくれて、ありがとう」
御館様は、そう言うと深々と頭を下げてくれた。ああ、だから皆この人について行くのだと思った。
直感というよりは、私自身もそうしたいと感じたから。この人は自らよりも鬼殺隊を、そして隊士たちを心から大切に思っている、というのが伝わってくるのだ。だからきっと、隊士たちはこの人についていくんだろう。
「滅相もございません。私が望んだ事です。こちらこそ、不躾な願いに応じてくださり、光栄に存じます。そして、要件なのですが…」
そう言って、私は風呂敷の中からガサガサといくつかの品を取り出して机の上に並べた。見えないものの、何かが置かれた気配を察知したのだろう、御館様は「これらは?」と尋ねてきた。
「私がこの世界に来る前、元の世界で所持していた品々です。どれも今のこの世界には存在しない技術で作製されています。からくりに詳しい者に調べて頂き、量産する事ができれば鬼殺隊の為になるのではないかと考えて、ご連絡をさせて頂きました」
御館様は「ふむ」と頷くと、スマホやPCに触れてみた。今までにない触り心地だったのだろう。無心でPCを撫でている。ちょっと可愛いじゃないか。
「なるほど…。ありがたい。こちらでその道に長けた者に引き渡しておくよ。…それと、まだ何か言いたい事があるのではないか?」
そう言うと、御館様は姿勢を正してこちらに向き直った。
「本題はこれからだろう?」と、言われているような…。見えていないはずなのに、それどころか全てを見透かされているような気がする。
「…さすが、御館様ですね。もう1つのお願いは、私の同期で入隊した竈門炭治郎という人物を信用してほしい、というものです。この先、何があろうとも」
そう言って私も御館様を正面から見つめた。やはり1番には顔の爛れが目につく。なぜ、ここまで聡明で思いやりのある人がこんな目に合わなければならないのだろうと思った。
正直に言ってしまえば、パソコンやらの譲渡は2の次。1番の目的は御館様をこの目で見てみる事、そして炭治郎と禰豆子を守ってもらえるように頼む事だった。
物語通りに展開が進むのならば、そのような事をわざわざ頼む必要はない。しかし、最終選別で生き残った人数は、私がこの世界の未来を変えてしまえるという事を明確に示した。
心のどこかで「私が何をしようと鬼滅の刃という物語は変わらないのではないか」とも思っていたが、その可能性は潰えたという訳だ。良い意味でも、悪い意味でも。
つまり、何が起こるかはわからない。もしかしたら原作では九死に一生を得た炭治郎と禰豆子が、柱合裁判で殺されてしまう可能性だってあるのだ。打てる手立ては打っておくに限る。
「炭治郎か…。彼も私の大切な子供だ。悪いようには決してしないよ。安心してくれていい。…それにしても、君は不思議だね。まるで、私たちのこれからを知っているかのようだ」
そう言いながら、御館様はすうっと目を細めた。本当に、この人には、敵わない。私や師範、闇の呼吸の使い手達が用いる「第六感」とは似ているようで根本的に違うものだ。
この人は、確実に訪れる未来を見ている。感覚を研ぎ澄ませている私たちの能力とは異なり、どちらかと言うと超能力に近い。そういう意味では、血鬼術寄りの能力だ。
「…私からはこれ以上の事は何も言えません。少なくとも、今は。でも、私が大切な仲間になる人達を守りたいと思っているのは、本当です」
これが私にできる精一杯の誠実さだった。御館様はそれを聞くとにっこりと笑いかけてくれた。
「もちろん、君も私の大切な子供だよ、**。私にできる事は多くないが、君のために全霊を尽くそう」
「…ありがとうございます。御館様」
話し終えた私は、挨拶をして席を立った。去り際にふと、今しか聞けないと思って振り返り尋ねた。
「御館様…どうしても、自らを、妻子を犠牲にしないといけないのですか?」
御館様はそれには答えず、ただ微笑むのみだった。
◇◇◇
「南南東!!次は南南東へと向カァえ!!」
「わかったよ黒曜…。ちょー…っとそのテンションの高さどうにかしてらってもいいかな…?」
黒曜の叫び声がうるさい。温度差がすごい。ちょっとついていけない。
産屋敷邸を発った後、近くの藤の花の家紋の家で一晩お世話になった。今は黒曜から発された任務指令に従って、数日かけて南南東へと歩みを進めているところだ。
宿があればそこに泊まるが、無ければ野宿。道中で質の悪い男たちに絡まれて死なない程度に返り討ちにする事3回。現在鬼よりも人間の討伐数が上回っている。体力よりも精神的につらい旅である。走ればすぐに着くのだろうが、合同任務との命によって時間合わせのために歩いているわけだ。
それにしても遠すぎやしないか?1人当たりの管轄区域広すぎだろ。総本部である産屋敷邸がある分、ここ東京府はまだ人員が配置されている方なのだろうが、それでもこれだけ歩かなければならないなんて。
数百人程度で日本中の警備ををまかなっているのだから当然ではあると思うけど、ペーペーの新米が烏1羽連れて1人で鬼狩りだなんて、心もとない事この上ない。
新米なのに即戦力として働かされるというのは、隊士の死亡率の高さと鬼殺隊の人手不足にも関係があるのだろう。だけど、死亡率が高いのは新米隊士を1人で放り出す鬼殺隊の方針にも問題があるんじゃないか?せめて初めの数回くらい先輩からの見取り稽古だとか、教育指導をちゃんとやるべきだと思うんだけど…。御館様に文句の1つでも言っておくんだったな。
「ところで、今回の任務は誰と行うの?場所は?」
この数日ほとんど黒曜としか話していない。カラスは会話相手にカウントしてもいいのだろうか。色んな意味でやばい気がするよ私。
産屋敷邸以来、原作キャラとも会えていないし…。ああ、炭治郎は珠世さん達と会えただろうか。原作ではどの辺の時系列なんだろうか今。私も君に会いたいよ炭治郎。
「次の任務場所は山の中!迷い込んだ人間が返ってこない!現在お前の同期の竈門炭治郎と我妻善逸が向カァっている!」
「バッカそれを早く言え!ダッシュだ!」
即席の脳内フラグ回収!!マジか!というかこれって鼓屋敷編じゃない!?炭治郎と善逸、伊之助の初遭遇イベントじゃん!こうしていられるか!!
そうして田んぼ道を足取り軽く進んでいく事1時間。前方に赤みがかった髪の男の子と金髪の男の子が揉めているのが見えてきた。
うわ、本当に炭治郎と善逸だ。伊之助とは割としっかり絡みがあったけど、炭治郎は挨拶しかしていないし、善逸にいたっては話した事もない。これを機に仲良くなりたいものだ。
「なんで邪魔するんだ!お前には関係ないだろぉ!!」
善逸がそう叫ぶ声が聴こえる。おそらくは女の子が去っていった直後だろうか。原作の絡みが生で見られるなんて最高!!炭治郎が形容しがたい蔑む目をしているのも見えてきた。
うーん…もう少し眺めていたい気もするけど、我慢できない!私は炭治郎に向かって手を振りながら声をかけた。
「炭治郎~!!!」
「あ、**!!久しぶりだな。最終選別以来か?」
炭治郎がこっちに気づいて手を振り返してくれた。天使だ。異論は認めない。善逸へ向ける蔑んだ表情とは打って変わって晴れやかな笑顔を向けてくれている。その変わりようが少し怖くもある私である。
「おい俺を無視するなよぉ!というか、なんなんだよ!お前自分はちゃっかり最終選別の時に居たかわいこちゃんとお知り合いになってたのかよぉ!!俺が結婚できなかったのはお前のせいなんだから、責任取ってその子紹介しろよ!!」
善逸がべそをかきながらそう叫ぶ。あ、善逸、私の事も覚えてくれてたんだ。最終選別で顔を見ただけの炭治郎の事も覚えてたみたいだったし、記憶力が良いのだろうとは思ってたけど、こうやって自分の事も認知してくれていたとなるとシンプルに嬉しい。というか、可愛いと思ってくれていたのか。やったぜ。
炭治郎は善逸のその言葉には返答せず、汚らしい生き物でも見るような目で善逸を見下ろした。「おいなんか喋れよ!」と、善逸の悲痛な声が響き渡る。
あ、これ有名なジト目のシーンじゃん。いやぁ…眼福。そしてそれにも何も返さない炭治郎、なかなかに酷な事をする。
「いいか!?俺はもうすぐ死ぬ!次の仕事でだ!俺はなぁ、ものすごく弱いんだぜ!なめるなよ!?わかったらお前その子を紹介しろよぉ!そして俺を守れよな!」
ぼたぼたと涙を溢しながら、善逸がそう訴える。
「俺の名は竈門炭治郎だっ!」
あー…、うん。そういえばここで初めて自己紹介してたんだっけか。絶妙に会話が噛み合ってないよ、炭治郎。でも丁度良いから私も便乗しておく事にする。
「私は明暗**」
「俺は我妻善逸だよぉ助けてくれよ炭治郎、**ちゃん!!」
そう言うと善逸は私と炭治郎の羽織に縋ってきた。ヒモ男もびっくりな突然過ぎる懇願と近すぎる0距離に思わず後退りしてしまった。推しに近づかれてキョドったのと、普通に引いたのと。そしてそんな彼を見下ろしながら呆れたように炭治郎が言う。
「助けてくれってなんだ?なんで善逸は剣士になったんだ?なんでそんなに恥を晒すんだ?」
「ブフッ」
「言い方酷いだろ!」
思わず吹いてしまった。炭治郎が真剣に言葉で抉ってくるところが、何とも言えず面白い。
善逸は涙目を通り越して最早顔面蒼白だ。そのまま金髪の髪を振り乱して、アクロバティックな動きをしながら甲高い声で叫んだ。あ、それブリッジだよね。私も小さい時よくやってたよ。
「おい、**ちゃんも笑うな!女に騙されて借金したんだよ!借金を肩代わりしてくれたジジイが育手だったの!」
うん。知ってる。
「毎日毎日地獄の鍛錬だよ!死んだ方がマシだってくらいの!」
それも知ってる。そして今ならその気持ちも少しわかる。
「きっともうすぐ鬼に喰われて死ぬんだ!生きたまま耳から脳髄を吸われてぇ!!」
まあ、うろ覚えだから確かではないけど、この後で伏線は回収できるよ。
「いーーー↑やーーーー↑!!」と叫ぶ善逸に炭治郎が優しく声をかけて諭す。長男だ…。さっきのジト目は何だったんだというくらいの聖母っぷりだ。そして私は間近で繰り広げられる推しと推しの素敵な絡みに理性を保つべく一定距離を保って眺めていた。更に後ろでは黒曜がチュン太郎や炭治郎の鎹烏と仲良くなっていた。閑話休題。
暫くすると、善逸も落ち着き、再び歩き出す事になった。
周りは田んぼしかない田舎道。のどかだ。ひたすら3人(+鬼1人)と烏2羽、スズメ1羽で道中を行く。炭治郎が大丈夫か?と声をかけると、善逸が弱弱しい声で、「落ち着いたら腹が減ってきた」と答えた。
鼻水と涙で顔も羽織もドロドロだ。作中ではどんなに泣いても常に綺麗な状態だったけど、現実だとそりゃそうだよな。今更だが、妙に現実味を感じる。
「そんじゃ、これあげるよ」
推しの笑顔が見たい私は、そう言って懐からおにぎりを取り出して善逸に半ば無理やり押し付けた。
「俺からも、これ食べるか?」
それに続いて、炭治郎もおにぎりを取り出す。
「うん…2人とも、ありがとう。…でも。2人は食わないのか?」
「いいんだ。それしかないから」
炭治郎がそう言って、私も同意すると、善逸は2つの大きなおにぎりを3分割して私たちに分けてくれた。
昆布と梅の2つのおにぎり。それを炭治郎と善逸と分けあう。ああ、幸せとは、こういう事か。しかも炭治郎と善逸が触れたおにぎりだ。これが何よりも目の前に推しが居る証明になる。美味い。おにぎりも美味いがこの状況が何よりも美味い。
きっとこの時私は凄く気持ち悪いオタクの顔をしていたのだと思う。善逸には怪訝そうに見られたし、炭治郎には「そんなにおにぎりが好きなのか…?」って言われたから。恥ずか死。
そのまま更に歩みを進めると、山の奥深くへと入っていく事になった。
山に入ってから、嫌な予感をびりびりと感じるようになってきた。鬼の気配をこの先に感じる。恐らく、この先を行けば鼓屋敷に到着するのだろう。
少しずつ炭治郎の歩くスピードも速まっていく。その表情は真剣そのものだ。おそらく、炭治郎も鬼の匂いを嗅ぎ取っているのだろう。そして善逸のへっぴり腰具合も上がっていく。私は炭治郎に小走りで追いつきながら声をかけた。
「炭治郎。鬼の気配がするよね」
「ああ。匂いがする。少しずつ強くなっている。多分、この先に居る。でも、なんでわかったんだ?俺は匂いでわかったけど、**も鼻が利くのか?」
「ううん、勘だよ。私、勘が良いんだ。だから何となくだけど、この先に鬼が居るのがわかるの」
半分嘘で半分は本当だ。第六感で鬼を察知してはいるが、この先に鬼の屋敷がある事は元々知っていた。
炭治郎も、この微妙な嘘の入り混じりを察知したのだろう。一瞬怪訝そうな表情をしたが、そこに悪意が無い事を理解して、追及はしないでくれた。
そして歩き続けていくうちに、屋敷が見えてきた。山の中にあるには不釣り合いな、大きな日本家屋である。建物を見上げながら、炭治郎が呟く。
「血の臭いがする。でも、この匂いは…?」
「それより、なんか音がしないか?」
善逸もそれに続いてそう呟く。当然ではあるが、私には臭いも音も全くわからない。改めてこの2人の聴覚と嗅覚の鋭さを思い知った。でも、
「居るよ。この中に。やばいのが1匹と他にも複数。たぶん、人間も」
私の勘もそう告げている。間違いない。この屋敷は、正真正銘の鼓屋敷だ。
ふと木陰を見やると、幼い兄妹が怯えた表情でこちらを見ていた。怯えている兄妹に、炭治郎がチュン太郎で警戒を解く。さすが長男だ。幼子の相手はお手の物らしい。
兄妹の話を聞くところによると、兄が鬼に攫われて、この屋敷の中へ連れ去られたのだという。炭治郎が兄妹に兄を取り戻すと約束すると、兄妹は少しだけほっとした表情を浮かべた。
「炭治郎、**ちゃん。この音なんなんだ?気持ち悪い音。ずっと聴こえる…。鼓か?これ…」
善逸が屋敷の方へ耳を澄ませながらそう呟くと、今まで聴こえなかった鼓の音が私にも徐々に聴こえるようになってきた。音が大きくなるにつれて、嫌な予感もじわじわと膨らんでいく。その時、忘れていた記憶がフラッシュバックした。そうだ!確かこの時、人が落ちてきたんだ!
思い出したと同時に一際大きな鼓の音が聴こえて、人が2階から飛び出してきた。この高さから落ちれば下手をすれば死んでしまう。
「間に合え…っ!」
とっさに呼吸を使って、高速移動で落ちてきた人をキャッチした。腕に衝撃が走ったが、受け身を取る事で大事にならずに済んだ。
「**!!」
人を受け止めてゴロゴロと転がった私の元に、炭治郎が走り寄ってきた。
「大丈夫ですか?!」
声をかけるも、青年からの反応はない。真っ白な私の羽織が血を吸って赤く染まっていく。
受け止めた青年は既に血塗れで、命の灯が今にも消えようとしている。屋敷内で既に致命傷を負っていたらしい。
地面に大量の血液が流れ、小さな水たまりをつくった。鉄の匂いが嫌でも鼻腔を突き刺す。赤黒い液が流れ出る程に青年の体温は下がっていく。
「せっかく…でれ、た…のに…」
「おれはしぬのか?」と途切れ途切れに呟きながら、青年は私の腕の中で静かに息絶えた。炭治郎が息を飲む音が後ろで聴こえた。
事切れた青年は徐々に熱を失っていく。生ぬるい肌は、さっきまで生きていた人間が死んだ事を理解させる。
私はこの世界に来て、何より人生で初めて目の前で人が死ぬのを目撃したショックで、言葉が紡げないでいた。
そうだ。この世界は現実なんだ。どんなに物語と同じであろうと、人は死ぬし、死ねばもう帰って来ない。私たちがもう少し早く来れば助けられたかもしれないのに。
生々しい血の匂いと青年の重み。私は罪悪感や悲しさに耐えきれず、青年を地に横たえてそっと手を合わせた。炭治郎がやるせない表情で同様に手を合わせる。後で戻ってきたら埋めてあげよう。
「**ちゃん。その人、もしかしてこの子たちの…」
善逸がそう言いかけた時、屋敷の中から鼓の音と鬼の咆哮が聴こえてきた。地響きすら起こすそれに怯えながら、兄妹が「その人は兄ちゃんじゃない!兄は柿色の着物を着ている!!」と叫んだ。それならば中に助けに行くしかない。
「**、善逸!行こう!」
炭治郎が声をかける。私も小さく頷き、それに続いて立ち上がった。しかし、善逸が腰を抜かしたまま立ち上がらない。ただ黙って首を振るのみだ。
「そうか…わかった」
え、何?怖い怖い怖い。
横から殺気を感じて反射的に目を向けると、炭治郎が恐ろしい顔をしていた。え、怖い。炭治郎やめよ?その表情、主人公のするやつじゃないよ。
ヒッと怯えた善逸が炭治郎に縋る。
「わかったよ行くよぉおお!!!」
どうやら彼の中で、鬼よりも炭治郎への恐怖の方が勝ったようだ。鬼以上の恐怖を与える主人公とは何ぞや。
「この箱をよろしく頼む。これには、俺の命より大事なものが入ってるんだ」
炭治郎は禰豆子の入った箱を兄妹に預けると、一足先に屋敷の中へ入っていった。泣き叫びながら善逸もそれに続く。
「**ちゃん~!!早く来てよぉ!!炭治郎が怖いよ!!」
善逸の叫び声に応えて2人に続く前に、私は怯えたままの兄妹に声をかけた。
「その箱にはね、可愛くて強い女の子が入ってるんだ。だから、箱から物音が聴こえるかもしれないけど、怯えないで。絶対にお兄ちゃんを助けて帰って来るから、ここで待っててね」
「う…うん…お姉ちゃん、がんばって」
私の言葉に、兄妹は頷いてくれた。これで良し。
私の記憶が確かなら、この兄妹は禰豆子の物音に怯えて屋敷の中へ逃げ込んで、怖い思いをする事になるはずだ。こう言っておけば、この子たちが屋敷の中へ来る事は無いだろう。後に続いて私も屋敷の中へと侵入した。
屋敷の中は光が一切差す事なく、薄暗い。足元がひんやりとして、より一層恐怖を煽ってくる。
「炭治郎~…**ちゃん~…俺を守ってくれるよな?俺を守ってくれるよなぁ??」
善逸がカタカタと震えながら私たちに問うてくる。一番最後に入ったはずなのに、今や善逸に正面へと押し出されて私は炭治郎と共に前を歩いていた。おい善逸、私を盾にするな。
「炭治郎、無理しないで。どこか、折れてるんじゃない?」
私は善逸を無視して、炭治郎にそう言った。
私の記憶が確かなら、この時点で炭治郎の骨折は完治していない。3年の月日は物語の細部を記憶から消し去ってしまったが、この時に炭治郎が骨折していた事はよく覚えている。炭治郎が「長男だから我慢できた!」と、謎理論を展開する迷場面があったからだ。
「!そうだけど…。**は凄いな。何でもわかっちゃうんだな…それも勘か?」
炭治郎が驚いた表情でこちらを見やる。言い当てられた事で、ずっと隠していた心の弱い部分が少し表に出たようだった。どことなく不安げな声音だ。
「だから、済まないが満足に守る事は出来ない」と炭治郎が善逸に言いかけた時、善逸がものすごい剣幕で叫んだ。
「何折ってんだよ骨!!!折るんじゃないよ骨ぇ!!折れてる炭治郎じゃ俺を守り切れないぃぃぃ!!!**ちゃぁぁぁん!!助けてぇぇぇ!!!!」
「うるさい」
白目を剥く善逸に反射的に拳骨をかます。つい。悪気はない。
「いっだぁぁぁぁいいい!!!何すんの**ちゃん!!!」
「いや、うるさくてつい…」
「酷過ぎない?!」
私たちのやり取りに炭治郎が呆れたようにして仲裁を入れてくる。完全にオカンポジだ。
「お前ら落ち着け…」
ポン。
そんな音が聴こえた瞬間、炭治郎の言葉が途切れた。何事かと炭治郎の居た場所に目を向けると、そこに炭治郎はおらず、何もない廊下が続いていた。
「炭…治郎??」
分断された…。まずいな、炭治郎は負傷している。できればまとまって行動したかったけど…。
「いやぁぁああぁああ!死ぬ死ぬ、これは死んでしまう!炭治郎と離れちゃった…。もう炭治郎も俺たちも死んじゃうよぉ!」
「落ち着いて善逸。縁起でもない事を言うんじゃありません!!」
本当に縁起でもないな!映画なんかでは騒ぐ奴は遅かれ早かれ必ず死ぬって相場が決まっているんだぞ!死にたいのか!
「これじゃあ無理だよぉ!!いったん外に出ようよ!子供だけじゃどうしようもないよ!!」
そう叫んだ善逸は、落ち着かせようとする私の手をすり抜けると玄関へと猛ダッシュして行った。まあ、子どもだけじゃどうしようもないってのは同意だな。鬼殺隊やっぱブラックだわ。
追いかけて玄関へ向かうと、善逸が再び叫び声を上げるところだった。玄関が別の部屋に成り代わっていたのだ。
「嘘だろ?!」
善逸が半狂乱になりながらあちこちの引き戸を開ける。しかし、どの戸も玄関に通じるものはなく、善逸の叫び声も止まるところを知らない。
「善逸ちょっと落ち着いてってば…」
「開いてくれぇぇぇ!!!」
私の声にも構わずに善逸が8つめの引き戸を開けると、そこには猪の被り物をした半裸の男が立っていた。フスー…という鼻息と共に男がこちらに向き直る。伊之助だ。
襖の先に猪頭って軽くホラーだな。善逸も思考停止状態で硬直している。
「あ、伊之助じゃん。久しぶり」
「ええええええ!!!**ちゃんアレと知り合いなのぉ?!どう考えてもやばい奴じゃん!不審者じゃん!!!」
まあ、妥当な反応だとは思う。
「お前、あの時の女か!!今は手合わせする気はねぇよ!お前よりも面白そうな鬼が潜んでやがるんだ!!」
そう言うと、伊之助が善逸の顔面を踏みつけて走り去っていった。猪突猛進!!という雄たけびが遠くなっていく。…面白さで鬼に負けたか。少し悔しい。
追いかける間もなく見失ってしまったが、伊之助が去って行ったという事は、確か原作通りなら彼はこの後炭治郎と出会う事になるのだろう。炭治郎は大丈夫だろうか。
暫く屋敷の中を調べたが、鬼にも炭治郎や伊之助にも出会えない。第六感を働かせてはいるのだが、先程から近づく度に場所が移動する感覚があるのだ。場所が分かっても辿り着く前にその位置が変わるのでは意味がない。善逸がべそべそと泣きながら後ろを付いて来る。
「**ちゃん…怖くないの?俺もう帰りたいよ…」
「怖いけど…炭治郎やあの子たちのお兄ちゃんを助けないと」
「なんでそんなに頑張れるんだよ…俺には無理だよ」
「なんで?善逸強いじゃん」
私がそう言うと、善逸は目をひん剥いて私に掴みかかった。顔が近い。表情がこんなんじゃなかったら、少しドキッとするのになぁ。鼻水と涙まみれの充血したガンギマリの瞳では、100年の恋だって冷めるだろう。推しの醜態も少しばかり見慣れてきた私である。
「あのねぇ!!!そういう事何の根拠もなく言うもんじゃありません!!!俺がどんなに弱っちいか知らないだろ!!!」
「いいや、善逸は強いよ。知ってるもん」
漫画読んだし。とは言わない。
しかし、私が心からそう言っている事が音で分かったのだろう。善逸は心底わからないと言った表情でこちらを見やる。「なんで…」とかぼそぼそと聴こえる。
「それよりも、鬼に見つかりたくないならあんまり大声出さないほうが良いんじゃない?」
「そっそうだよ!!!静かにしなきゃ!喋っちゃダメ!!」
「いや、だから声…」
私がそう言いかけた時、物陰からズルズルと鬼が這いずってきた。
体躯は人間と大差ないが、顔は明らかに鬼そのもの。そしてR18指定でも付きそうなくらいに舌が長く、よだれをべとべとと垂らしながら舌なめずりをしている。正直キモイ。
「子供だ…舌触りがよさそうだ」
鬼がそう言う。正直キモイ(2回目)。私がこれまでに出会った鬼は全員ある程度の人型を保ってたんだよ…。人を喰うよりも同人誌の18禁コーナーに行った方が稼げるんじゃないですか??モブ鬼攻めでもよろしくどうぞ。あったら買う!面白ければな!
「ほらご覧!!出たじゃない!!!」
「善逸の声でしょどう考えても…」
私の冷静なツッコミにも聞く耳持たず、善逸が騒ぎ立てる。そうこうしてる間にも鬼がじりじり迫ってきてるのに。
私だっていつもならもう少し緊張するのだが、目の前に鼻水まみれで取り乱している奴が居るから冷静になってしまう。よくあるやつだ。
「善逸。鬼、来てるよ」
「あ゛――――――――!!!!(汚い高音)」
CV.下野●の叫び声が響き渡った。さすがの声量だ。汚い高音選手権を優勝しただけはある。
善逸は私の手をむんずとつかむと、そのまま猛ダッシュで逃走を始めた。
逃げる事数分、命懸けの鬼ごっこはなおも続く。後ろを振り返ればまだ鬼が四足歩行でガサガサと追いかけてきている。何となくGを彷彿させる動きだ。キモイ。
さっさと斬ってしまいたいけれど、善逸に右腕をつかまれているから一緒に走って逃げざるを得ない。
「善逸!私が斬るから手を放して!」
「駄目だよぉ!!女の子にそんな危ない真似させられないぃ!!」
さっきまで守ってくれとか言ってたのはどいつだよ…。いっちょ前にかっこいい事言ってはいるが、鼻水と涙まみれで逃げ回っているのでは話にならない。
鬼の舌がこちらに伸びてくる。とっさに善逸を突き放して攻撃を避けると、鬼の舌は私と善逸の隙間をかいくぐって奥の水瓶に当たり水瓶はそのまま真っ二つに割れた。おいおいそんなのありかよ。
「あり得ないんですけどぉぉお!!!」
善逸の叫び声が響き渡る。ほんとそれな?そしてお次はこちらに舌が再び伸びてきた。狙いは私らしい。
「**ちゃん!!」
応戦してやる、と刀に手をかける前に、善逸が私を庇うためにこちらに飛びかかってきた。攻撃を避け、そのまま2人で障子を突き破りゴロゴロと転がり込む。
「いっててて…善逸、立って!」
「無理無理無理!恐怖が8割膝に来てる!!!」
「そんなセンスのあるレスポンスいらないから!!」
障子を突き破るなんて人生初体験だ。身体の節々が痛むのを堪えながら上から抱き着くような形で私にのしかかっている善逸を立たせようとしたが、上手く立てないらしい。ちょっと流行らせたい台詞回しと共に膝をプルプルさせてむしろしがみ付かれてしまった。
このままでは私も刀を抜けない。普通なら推しとべったりなんて吐血ものの喜びなのだろうが、命の危機でそれどころじゃない。第六感が警笛を鳴らしている。
ちょっとまずいかもしれない。こんなところで死ぬ気はないぞ。
「へへへ…お前の脳髄を耳からじゅるりと吸ってやるぞ」
追いかけてきた鬼が世界一嬉しくない上目遣いでこちらを見てきた。よかったね、善逸。フラグ回収じゃないか。このままじゃ2人とも脳髄マッ●シェイクコースだ、全然嬉しくない。せめてどいてくれ善逸。刀抜けないからマジで。
善逸を再び促そうと見下ろすと、彼は、気絶していた。
まじかよこのタイミング?
一瞬絶望したが、これってもしかして…。
そう思う間もなく、鬼の舌先が驚異的なスピードでこちらへ伸びてきた。まずい、死ぬ。善逸を投げ飛ばして応戦できるだろうか…?そう思った時、
斬
ボトリと舌先が落ちた。鬼も唖然としている。信じられないと言った表情だ。気持ちはわかる。私だって、ギリギリ目で追えるか追えないかの速さだった。
舌を斬り落とした主がゆっくりと立ち上がる。しかしその目は閉じたままだ。間違いなく、寝ている。
シィイイィィィィィイイ…。
眠りながら居合の構えをとる善逸。誰も音を発さない部屋の中、彼の呼吸音がやけに大きく聴こえる気がした。そして先程までの叫び声からは想像もつかないくらい低い声が善逸の口から紡がれる。本気の下●ボイスだ。
雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)
瞬間、落雷のような音を響かせて鬼の首が切断された。
…殆ど、見えなかった。
善逸の後姿は雷が纏っている様に見え、あまりのスピードと気迫に大気すら震えている。これが雷の呼吸…。直に見るのは初めてだけど、すごいな。
ンガッと善逸が目を覚まし、足元に転がった鬼の首を見てこれまた叫ぶ。…とりあえず、助かったな。
私が倒したと思い込んでいる善逸を適当にあしらい、更に歩を進める事にした。
「嫌な音がずっと続いている…」
屋敷の中で炭治郎が居そうな場所へ向かう最中、善逸がそう呟いた。恐らく、炭治郎が鼓の鬼と戦っているのだろう。早く合流しないと。
「「っ…うわぁああぁあ!?!?」」
スパン、といくつめかの襖を開けた時、部屋が90°回転し、私たちの身体は部屋の奥へと投げ出された。
襖を突き破り、障子を突き破り、底なし穴に落ちるがごとく落下していく。待って待って、紐無しバンジーはきついって!!ていうかそれただの自由落下!!
そのまま、視界が明るくなったかと思うと、外へと投げ出されていた。このままでは受け身も取れず、先ほど落ちてきた青年がそうなるはずだったように、地面に叩きつけられてしまう。先程までの落下スピードも合わさって、良くても大怪我は免れないだろう。
「待って待って!!死ぬうううう!!」
「善逸!!私に掴まって!!」
パニックに陥る善逸を咄嗟に引き寄せ、自身の身体にしがみつかせる。そして刀を抜いて、呼吸を整えた。
闇の呼吸 伍ノ型 淵源開闢(えんげんかいびゃく)
伍ノ型は闇の呼吸の中でも珍しい、爆音を伴う技だ。その音量は雷の呼吸にも匹敵し、威力も当然高い。特に広範囲攻撃に向いており、その斬撃は激しい衝撃波を伴って無限に広がる闇さえも見えるという。
地面に攻撃を打ち込む事で落下ダメージと相殺できないかと考えての事だったが、何とかうまくいったようだ。地面には私たちを中心として大きなクレーターができた。
「た、助かった…。**ちゃん…ありがと…」
「私、戻って炭治郎の応戦に行く!善逸はそこで兄妹を守ってて!!」
私がそう言うと、信じられないと言わんばかりに善逸が叫んだ。
「**ちゃん!?さっき死にかけたのに早々に何言っちゃってんの!?」
「こんな屋敷全体を操れるような鬼、1人で戦うのは厳しいもん、炭治郎を見捨てられない!でも、善逸はここに居て。もし私たちがやられたら、兄妹を連れてここから離れた後に応援を呼ばないといけないから!」
「…!!わかっ…た!!」
私の言葉に真剣な表情で頷く善逸。それに軽く頷き返すと、全集中で足腰を強化して二階へと飛び上がり、私は再び鼓屋敷の中へと飛び込んでいった。
◇◇◇
こっちの方に炭治郎が居る気がする。勘を頼りに、回りまくる廊下をなんとか進む。
いつの間にやら部屋だけでなく廊下も回転するようになっていた。恐らく戦いが佳境に入っているのだろう。
もうすぐだ。そう思ったとき、急に廊下の回転が止まった。
直感的に、鬼が倒された事を確信した。…そうか炭治郎、やったんだね。良かった。
無事に危機を脱した安堵感と炭治郎に全てを任せてしまった罪悪感が一気に胸に押し寄せた。恐らく原作通りの展開であるとはいえ、私は彼のために何もできなかった…。
がらりと襖を開けると、丁度炭治郎が薄くなっていくネコを見送っているところだった。恐らく、今回の鬼の血を送ったのだろう。その事には気づいていないふりをして、声をかけた。
「炭治郎!!」
「あ、**…。何とか倒したよ。すごい術を使う鬼だった」
「そうだね、無事で本当によかった…。ほれ」
私が背中を彼に向けてしゃがみ込むと、炭治郎は不思議そうな表情をした。
「もう歩くのもつらいでしょ、おぶっていくから。あの子たちのお兄ちゃんを見つけて、ここから出よう」
「い、いや…そんなの」
「長男だからって、我慢できるのにも限界があるよ。お姉ちゃんを頼りなさい」
肉体年齢は君と大して変わらないけど、精神年齢は2X歳ですよ。もっと年上には頼りたまえ。それに、言うつもりはないけど少しでも君の役に立ちたいんだから。今回は一緒に戦えなかったから余計に。
長男というところが彼のウィークポイントのようだ。私がそう言うと、炭治郎は心底申し訳なさそうに私におぶられた。女の子にもあまり耐性がないのだろう。少し顔が赤い。
…ちょっとまてよ?これ、元の世界なら全国ウン千万人のファンが泣いて羨ましがる展開じゃないか?よし、とりあえず、炭治郎の温もりを堪能しておこう。
なるべく邪念を抱かないように気を付けながら、炭治郎をおぶって部屋を出た。はぁ、生きてるって素晴らしい。
余談だが、炭治郎の鼻を頼りに兄妹のお兄ちゃんが居ると思われる部屋を開けると盛大にモノを投げつけられた。悲しい。分厚い辞書の角が特に痛かった。
聞けば、男の子は鬼から奪った部屋を変える鼓を持って逃げていた事で、今まで逃げ延びていたそうだ。そして鬼が死んだ事によって鼓も消え、半狂乱で物をぶつけてきたと。涙目でそんな事を言われて、どうして怒る事ができましょうか。
いや、辞書は痛かったけどね?あと花瓶。
「刀を抜いて戦え!!この弱みそが!!」
屋敷を出ると、とんでもない事になっていた。
禰豆子の入っている箱を庇うように覆いかぶさっている善逸と、容赦なく彼を攻撃する伊之助。兄妹は木陰でどうする事もできずにオロオロとしている。状況を見る感じだと、鬼が入っているのに気づいて殺そうとする伊之助とそれを守る善逸と言った所だろうか。原作でもそんなシーンがあった気がするし、間違いないだろう。
「善逸!伊之助!!」
私と炭治郎が寄ると、息も絶え絶えに善逸が答えた。
「炭治郎…俺、守ったよ…。お前がこれ、命より大事なものだって言ってたから…」
善逸の目は殴られたせいで腫れあがり、その言葉も途切れ途切れだ。どれだけ痛めつけられたのだろう。青あざが痛々しくて、私は思わず顔をしかめた。
「やめろ!!」
炭治郎は私の背から降りると、善逸ごと禰豆子の入った箱を串刺しにしようとする伊之助の元へ猛ダッシュしていき、その腹に渾身の一撃を見舞った。べきり、と伊之助の肋骨の折れる音が響く。
「あいつ、骨、折った…」
「…マジ?」
音を聴いた善逸が呆然と呟く。炭治郎を追いかけるようにして善逸に駆け寄り、傷を見ていた私も、善逸の言葉を聞いてドン引きした。
「お前は鬼殺隊員じゃないのか?なぜ善逸が刀を抜かないかが分からないのか?隊員同士で刀を抜くのが御法度だからだ!それを一方的に痛めつけるだなんて、卑劣極まりない!」
「そうかい、それは悪かったな。じゃあ、素手でやり合おう」
派手に炭治郎の拳を受けて地に倒れ伏した伊之助は、むくりと身体を起こすとそう言った。戦闘狂過ぎるだろ。取り敢えずは善逸に応急処置をするため、彼らの事は放置しておく事にする。
「え、いや、まったくわかってな…」
炭治郎がそう言う間もなく、伊之助の攻撃が繰り出される。炭治郎も初めは及び腰だったが、次第に攻撃を返すようになり始めた。激しい攻防が起こる。後ろでは3兄妹が再会を泣いて喜んでいる。
善逸の手当てが終わった後、暫くぼーっと静観していたが、拳のやり取りはとどまるところを知らない。むしろ徐々にヒートアップしている。というより2人とも生き生きし始めている様に見える。さながら悟●とベジー●の様に。…これだから野郎ってのは。
うーん…男同士の喧嘩って、あんまり女が口出ししない方が良いんだろうけど。そろそろ潮時だな。
「はい、ストーップ」
攻防を繰り広げる2人の間に呼吸を使って忍び寄り、両者の頭に拳骨をくらわせた。ごちんと、嫌な音が響く。再び善逸が「ひえ…」と怯えた声を出した。でも、それによって叫んだのは私の方だった。
「いっだぁぁぁ!!炭治郎!あんた頭硬すぎでしょ!!!」
あ、これ、手の骨イったかも。岩なんてレベルじゃない。
それでも2人とも拳骨の効果はあったようで、2人とも頭を抱えてその場にうずくまる。そのはずみで伊之助の被り物がどさりと落ちた。
「え!?女!?」
善逸が驚きを隠そうともせずにそう叫ぶ。そうか、伊之助の素顔ってここで明らかになるんだったっけか。顔を上げた伊之助が不服そうに立ち上がり私たちを睨みつけた。
「なんだこら。俺の顔に文句でもあんのか?」
「文句なんかない!こじんまりしていて、色白でいいんじゃないかと思う!!」
炭治郎…。どう考えてもそれ、地雷でしょ…。本人は褒めているつもりなんだから始末におけない。案の定伊之助は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ってっめぇ…おい、でこっぱち!俺様の名を教えてやる。嘴平伊之助だ!覚えておけ!」
「どういう字を書くんだ!」
炭治郎、それどうしても今聞かないとだめ?
ベシリと炭治郎の頭を軽く叩いた後、私は改めて伊之助に向き直った。
「伊之助。私も善逸も、炭治郎が鬼を連れている事は知ってたよ」
その言葉に炭治郎が息を飲むのが聴こえた。
「だったらなんで庇ってやがる!!!」
「炭治郎が、良い奴だからだよ。信じたいって、そう思ったから。何か事情があるんだよ」
伊之助の叫び声と対照的に、私は静かに答えた。禰豆子が良い子なのを原作で知ってるもんとは言わない。
「女!てめえどんだけ甘ちゃんなんd…」
そう言いかけた時、伊之助が急にフリーズした。
「?」
皆がわけもわからずに見守っていると、伊之助はそのまま泡を吹いて倒れた。
どうやら石頭の炭治郎に対してと同等の力で伊之助にも拳骨をくらわせた事によって脳震盪を起こしたようだ。力強すぎちゃったかな?てへぺろ。