「時透くん、凄いよなぁ。俺たちより年下なのに、あの力と素早さ。動きが全く見えなかった」
浴衣姿で山に来ていた事もあり、取り敢えず修行は明日からという事にしてもらった。あの雰囲気だと、明日から暫く炭治郎は野宿で修行確定だろう。何なら食事もまともにできるか怪しいところだ。
…小鉄くんを説得しないと、炭治郎死んじゃうかな。でも、それくらいに追い詰められないと覚醒はできないのかもしれないし。原作では確か、死にかけて能力を得ていたと思うんだけど…動作予知能力だっけ?第六感の領域じゃん羨ましい。匂いでどんだけわかるんだよって気持ちです。
寝るにはまだ時間があるため、炭治郎は私の部屋に来ていた。女の子の部屋に入る事に良い顔をしていなかったものの、禰豆子にせがまれては駄目ときつく言えないらしかった。ちなみに私は言うまでもなく大歓迎だ。寝る前に推しとの会話を楽しみ、推しの吐く空気を堪能し、眠りにつく。なんと素晴らしい1日の締めくくりだろうか。
「まぁ、彼はいわゆる天才だからね。日の呼吸の使い手の子孫だし」
「そうなのか!?じゃあ、日の呼吸について知ってるかな!?」
禰豆子にせがまれて蜜璃さん流の三つ編みを施しつつ、炭治郎の呟きに返事をした。私の言葉を聞いた炭治郎は、ぽやぽやと畳に寝そべっていた身体をガバリと起こし、食い気味に私の方に身体を寄せて来た。
「お、落ち着きな炭治郎?」
「…!!」
…と思ったら急に顔を真っ赤にして3m近く距離を離した。何がしたいんだろうか。
いくらなんでもそこまで離れる事はないじゃないか。例のあの虫を見つけた時みたいな後ずさり方をされて私の心はハートブレイク。なんか前も似た様な事があった気がする。いつだっけ?かまぼこ隊の誰かだったと思うんだけど…善逸かな?
「知らないんじゃない?彼、日の呼吸使わないし」
ともかくショックを顔に出さないように努めつつ、時透さんの顔を思い浮かべながら意見を述べる。彼の普段の様子を見るに、覚えている事柄の方が少なそうだと思わないでもない。
「そうか…。それにしても…絡繰人形の人の子孫かぁ」
がっくりと肩を落とした炭治郎はそのまま再びごろりと仰向けになり天井を見つめながら呟いた。個人的にはその異様に離れた距離を戻してからごろ寝して欲しいけど、敢えて口には出さないでおくことにする。
絡繰人形の人の子孫?時透さんの話からどうして急にそんな事を言い出したのかと一瞬思ったけど、日の呼吸を使う剣士の子孫+日の呼吸を使う絡繰人形の剣士=絡繰人形の人の子孫という思考回路だろう。時透無一郎が継國の子孫という話はしていないはずだし。当たらずとも遠からずなのが凄いところだと思う。
まあ実際、日の呼吸って唯一無二だしね。数百人いるはずの鬼殺隊内で日の呼吸を使う人間もいないわけだし、絡繰人形の元になった剣士が唯一の使い手だと決めつけるのも無理はない。
「いや、日の呼吸の子孫ではあるけど、絡繰人形の元になった剣士じゃなくて、正確にはそのお兄さん。今は上弦の壱をやってる」
「は…?」
私が原作知識を元に訂正すると、再びガバリと起き上がった炭治郎。しかし今度は食い気味にこちらに寄るでもなく、目を点にしてぽかーんと口を開けたまま固まってしまった。情報量が脳内キャパシティーを超えたらしい。彼の頭はあまり難しい事を考えるのには向いていないのだ。まあでも、気持ちはわからんでもない。
「始まりの呼吸の剣士のお兄さんが、鬼?それも上弦の壱???」
「ん。そゆこと」
「…どういう事だ??」
本気で理解できないといった様子の炭治郎。情報過多は勿論だけど、そもそも『兄弟は仲良くするもの』が思考の大前提にある彼には、兄弟で敵対関係という構図が理解できないのだろう。そう思いながら私は漫画で読んだ継國兄弟のエピソードをぼんやりと思い返した。細かい話までは覚えてないけど、どちらの気持ちもわかるからこそ、やるせない兄弟だったと思う。
「まぁ…言葉のまんま。兄弟って、複雑なんだよ。近いからこそよく見える。近過ぎるからこそよく見えない。炭治郎と禰豆子みたいに、無条件に互いを大切に想い合えれば良いんだけどね」
「…そういうものなのか」
脳裏を不死川兄弟がよぎった。弟を守りたい兄と、兄の隣に並びたい弟。どちらが正しいなんてない。だからこそ、難しい。この世界の彼らには原作の様な後悔をして欲しくない。上手く和解させる事ができたらいいんだけど…現時点で私と不死川さんは死ぬ程仲が悪いし、玄弥とは死ぬ程気まずい。どうしたもんか。
「あ、それと!ずっと聞きそびれていたけど、ここに来た本当の理由を教えてくれ!あと、長が言っていた撤退命令って…?」
「…ああ、そうだったね。物語の中で遊郭の次に上弦の鬼が出てきたのが、この里なんだよ。それも、里を襲撃して刀鍛冶も根絶やしにするって事で2匹。もしも物語通りの展開になるなら近いうちに上弦の肆と伍が来るから、里の人には鬼にばれないように少しずつ避難して貰ってたんだよ」
蜜璃さんの食べっぷりと時透さんの乱入によってずるずる後回しになっていた、今里で起こっている事と今後起こる可能性のある事…所謂“刀鍛冶の里編”の説明を簡単にする。内容としては、御館様から出ている里の人間の撤退命令、物語で襲来していた上弦の肆と伍の特徴、そして炭治郎が絡繰人形を用いた修行によって大幅に実力を付ける事が出来るという事について。
まぁ、上弦の肆と伍から上って頸を斬るための条件がなかなか厳しい印象だし、知ってても…ってところはあるんだけれど。
「…ってなわけで、一応これで全部かな」
「そういう事だったのか…」
「そ。私が居なくても、炭治郎なら遅かれ早かれ鋼鐵塚さんを探しにここまで来てたでしょ?本来はそこで偶然戦いに巻き込まれる事になってたんだよね。この世界では…わからないけど念のため、ね。確か小鉄くんの修行、物語の中ではかなりえげつなかったし…覚悟しておいた方がいいよ」
「そ、そうか…それにしても上弦か…勝てるだろうか。…いや、勝つんだ」
炭治郎は一瞬不安気に顔を曇らせたものの、すぐに気合を入れ直した表情でうん、と1人頷き拳をぐっと握った。上弦の鬼と対峙する可能性が高くても臆することなく立ち向かう姿勢を見せる…流石は主人公だ、感心した私は素直に賞賛を口にした。
「それでこそ炭治郎」
「はは、なんか照れるな」
会話が終わると、再び微妙な空気が部屋の中を占めてきた。一通り話を理解した所で、また謎の羞恥心が炭治郎を襲ってきたらしい。
どうしたもんかと考えていると、大人しく私に髪を結われていた禰豆子が畳をべしべしと叩いて、炭治郎に「こっちにこい」の催促をした。どうやら私と炭治郎の間に流れる絶妙な気まずさが不満だったご様子。御立腹な禰豆子に従って炭治郎は私の正面に座り、禰豆子と向き合う形で彼女の頬っぺたをつつく。ナイス禰豆子!!!
「…ん?なんか、血の匂いがしないか?」
「え??」
先程よりは冷静になってこちらに近づいた炭治郎が、鼻をヒクヒクさせながら顔をしかめた。急に予想外の事を言われ、暫く考えた後に思い当たる。そういえば、時透さんから禰豆子を庇った時に少し皮膚を斬られていたな。完全に忘れていた。
「…**、首を怪我してるじゃないか!無一郎くんから禰豆子を守ってくれた時だろ!あの時は慌てていたし、無一郎くんや小鉄くんの血の匂いに紛れて気づかなかった…不甲斐ない…」
私が思い出したと同時に、炭治郎も気づいてしまったらしい。私の首にそっと触れて傷口を確認し、痛々しい声でそう言った。禰豆子に持たせていた手鏡を借りて首元を確認すると、傷自体は呼吸の熟達や時間の経過もあってとっくにかさぶたになっていたが、僅かながら流れ出た血が頸筋を伝って浴衣までしみ込んで固まってしまっている。
…あの後すぐに暗い外に行っていたし、自分の首なんて見えないから気づかなくても仕方ないけれど。炭治郎に心配をかけたくなくて黙っていたのに自分が忘れていたせいでバレるとか、馬鹿なのか私。
自分のどんくささに内心落ち込んでいる間に、炭治郎が別室から借りて来た救急セットでテキパキと治療を施してくれた。この程度、呼吸で簡単に止血できているし問題ないのに、そう言っても聞いてくれない。禰豆子の髪を結いながら自分は手当てをされるという謎構図である。
「咄嗟の事とはいえ、禰豆子を守れず、**にも怪我をさせてしまった…申し訳」
「謝るのはナシね」
私が軽く睨みつけてぴしゃりとそう言うと、炭治郎が伏せていた目をこちらに向けた。首に包帯を巻いていたため、至近距離で視線が絡み合う。しかし今度の炭治郎は距離を取るどころか身動きすらできないようだった。それこそ、私と目が合う事で石になったんじゃないかってくらいに。
「禰豆子が危なかったから助けた。それは大事な友達で仲間だから当たり前の事じゃん。それとも炭治郎は私の事を誰も守れない弱い人間って思ってる?」
「そっそれはない!」
私の言葉を即座に否定する炭治郎。「ならいいじゃん?」と言ってニヤッと笑いかけると、炭治郎は少し目元を赤くしてにっこりと感謝の言葉を述べてくれた。
「ほい、出来上がり。とっても似合ってるよ禰豆子。やっぱり可愛い子は何をしても可愛いねぇ」
ポンと軽く背中を叩いて、蜜璃さん風三つ編みの出来上がりを告げると、禰豆子はクルクルと回りながら嬉しそうに私に抱きついてくれた。はぁ…可愛い。思わず頬が緩む可愛さだ。
「…」
「ん?どうした炭治郎?炭治郎も可愛いと思うでしょ?」
「ああ、可愛い…」
「なんで私の方を見ながら言うの。禰豆子に言ってやりなよ」
ぽけーっとしながらそう言うものだから、思わず笑いながらツッコミを入れてしまった。それを指摘された炭治郎はよっぽど恥ずかしかったのか、顔を耳まで真っ赤にして叫んだ。
「うぁ…お、俺はもう寝る!おやすみ!」
「え?ちょ…」
呼び止めようとした時にはもう居なかった。なんて速さなんだろう、流石煉獄さんの継子。修行の成果を無駄な所で見てしまった。
「寝るって、まだ大分早いのにね?禰豆子」
「む~…」
まったく今日の炭治郎はおかしい。どうしたというのか。
◇◇◇
「それじゃあ行きましょうか、炭治郎さん」
翌朝、昼前起床がデフォルトの私たちにはなかなか辛い時間帯に、小鉄くんは炭治郎を迎えに来た。着替えも朝食も小鉄くんの「早くしろ」オーラを一身に受けながらだったので、炭治郎の精神は既に疲弊し始めている。別に私は早起きをする必要はなかったけれど、あまりにも炭治郎が不憫だったから、見送りまでする事にした。
「そうだね小鉄くん。…そういえば昨日聞きそびれていたけど、絡繰修行をしないなら**はどうするんだ?」
「私も私で、強くなるために修行しに行ってくるよ。禰豆子はここで数日お留守番する事になるけど…」
「え、数日?俺が帰って来るぞ?」
「あ~…あまり帰れることは期待しない方がいいかも」
「…それは、勘か?それとも物語の知識か?」
「…」
この事実を今突きつけるのは酷すぎる。言うに言えない私は思わず炭治郎から視線を外した。しかしそれが無言の肯定になり、炭治郎の顔色はサッと青くなる。とどめを差すように小鉄くんが追撃をかけてきた。
「炭治郎さん、早くしましょう。一刻も早く。時は金なり、もしくは力なりです。あの糞がきの鼻っ柱を折るって約束したでしょう?」
「え、俺強くはなりたいけどそんな約束してな…」
「強くなりたいんでしょう?行きますよ」
「…そうだね…それじゃあ、い、行ってくる…」
さらば炭治郎、死ぬんじゃないぞ。後姿にできる限り気持ちを込めた敬礼をして見送っておいた。彼が無事に生きて帰れますように…。
「さて、と。私も行くか」
今朝貰ったばかりの日輪刀を腰に差し、1人呟いた。ずっと折れた刀を持っているわけにもいかないだろうと長の厚意で、新しい日輪刀が来るまでの繋ぎとして1本頂いたのだ。打ったのは修行中の刀鍛冶らしく、少し切れ味は悪いけれど。修行中の鍛冶師が打った刀は日輪刀としての性能を確かめるために里の常駐隊士が手に持って色変わりさせるらしく、刀は既に薄っすらと赤く色づいている。ここの常駐隊士には炎の呼吸の使い手が居るようだ。
炭治郎だって強くなるために頑張っているんだ。私も頑張ろう。「よし」と気合を入れ直して、私は目的の場所へと向かい走り出した。
里の南端部。立地の関係で常に北風が吹いているこの場所では、風下という事で炭治郎の鼻でもそこに居る人の存在を認知できない。わざわざ炭治郎には内密に会うために仕組まれたようなその場所で、私の事を待っているある人が居た。
「…鱗滝さんですよね?はじめまして、明暗**と申します」
「お前が明暗の所の娘か。炭治郎と禰豆子が世話になっているな」
鱗滝左近次。原作では序盤から登場する炭治郎の育手、そして師範と柱時代を共にした仲間でもある。師範の家を出る際、炭治郎には内密にするように言い含められた後、更に強くなりたいなら刀鍛冶の里で彼に会うようにと言われていた。
ちなみに、炭治郎に内密にするようにというのは、鱗滝さん本人の希望らしい。たぶん、成長した愛弟子に会うのは少し照れくさいんだろう。
「いえ、こちらこそ…師範からあなたに会うように言われてやってきました。でも、鱗滝さんはどうしてこの里に?」
「御館様の命で、里の警備だ。…と言っても、数日中に全員退避するからその時に共にここを出るがな。お前たちの担当刀鍛冶が一向に動こうとせんと長が嘆いておった」
どうやら数日中には里の中は戦闘員だけになるようだ。本当に上弦が来るかはわからないが…否、恐らく来る。そんな気が、する。
「明暗からお前に会ってやってくれと言われていたが…何の用だ?」
「え…私も、師範から『強くなりたいなら里で鱗滝に会え』と言われて、稽古をつけて貰いに来たつもりでした…」
天狗面越しでもわかる、射抜くような視線。まっすぐにそれを受け止めるも、予想外の質問をされた私は頭の中ではてなマークを飛ばしていた。
てっきり強くなるための稽古をつけて貰えると思っていたので、用件から聞かれるとは思っていなかったのだ。ところが私の反応を見て鱗滝さんは何かを察したらしい。「はぁ」とため息を1つついて頭をかく。
「まったくあいつは…普段は丁寧に説明する癖に肝心な所で言葉を飛ばす癖がいつまで経っても抜けないな。…ともかく、強くなりたいという事なら実力を見る必要がある。1度手合わせしようか」
「は、はい!よろしくお願いいたします!」
そう言って鱗滝さんは真剣を抜いた。一瞬ぎょっとするが、本当の力量を測りたいなら真剣の方が適しているし、今は木刀なんかも持っていない。私もそれに応じて貰ったばかりの刀の鯉口を切り、自分でも聴こえるか聴こえないかくらいの音で息を吸い直して構えを取った。
元柱だから当然ではあるが、彼は並々ならぬ実力を持っている。勘もそうだけれど、少なからず死線を潜り抜けて来た経験から何となくわかる。それに、鱗滝さんからは人とは違う何かを感じる。本気で戦っても絶対に勝てない、師範と同じくらいの強い人だ。
水の呼吸 壱ノ型 水面斬り(みなもぎり)
力強く大地を蹴った鱗滝さんが、一瞬のうちに距離を詰めてくる。シンプルな真一文字の薙ぎ払い、まずは小手調べという事だろう。小手調べ程度なのに、既に目で追えるギリギリラインだ。
第六感を頼りに刀を抜いて攻撃を受け止める。ガキン、と鉄同士がぶつかり合う音が辺りに響いた。威力を相殺しきれず、鍔迫り合いになったまま私の身体がザリザリと後ろへ押しやられる。
…重い!!状況変化への対応を得意とする水の呼吸は、元来技の威力よりも受け流しや柔軟性に重きを置いている。それなのに、この力強さ…これは呼吸による肉体強化というよりも、純粋な鱗滝さん自身の筋力だ。本当に老人なのこの人!?
闇の呼吸 参ノ型 暗香防翳・影(あんこうしょうえい・かげ)
力では到底敵わない事を悟った私は、1度距離を取り死角から攻撃する事を選んだ。独特の歩法と、タイミングを合わせて刀を持つ手を脱力させる事で残像を作り、姿を眩ます。当然寸止めするつもりではあるが、鱗滝さんの右斜め後方から頸を目掛けて刀を振った。
「儂に不意打ちは難しいぞ。炭治郎同様鼻が利くもんでな」
攻撃を難なく受け止めた鱗滝さんが、お面越しに静かに呟いた。そうだ、忘れていた!この人は原作でも鼻が利くって描写があったんだった。さっき第六感で感じた『人と違う何か』の正体に気付き、思わず歯噛みする。
「またこちらから行くぞ」
水の呼吸 参ノ型 流流舞い(りゅうりゅうまい)
瞬きもしない一瞬の間に呼吸を整えた鱗滝さんが型を放つ。呼吸によって現れる水龍は炭治郎のそれよりも圧倒的に色濃く、大きい。極め抜かれ至高の領域に達した攻撃だ。その迫力だけでも気圧されて、思わず身体が動きを止めそうになってしまう。
左側頭部!
咄嗟に勘のみで姿勢を低くすると、頭上を刀が通り過ぎた。ぱらりと数本髪の毛が落ちる。避けられなかったら寸止めしてくれただろうが、それでも数センチ先で刃物が飛ぶのはひやりとする。
闇の呼吸 肆ノ型 晦冥ノ水面(かいめいのみなも)
低い姿勢からそのまま刀を振り上げる。片手だけでバク転をしてから2回宙返りによる後退。正しく天狗の様な身のこなしで軽々と躱される。追撃を加えるために私も走る。
鼻が利くという事だったな、でもこっちだって専売特許がある。
右脇腹!
雷の呼吸 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)
人は周囲全てに満遍なく、かつ永久的に意識を向ける事はできない。どれだけ至高の域に達しても、人間である以上は相手の攻撃を察知するまでの間に無自覚に警戒できない部位が生まれる。第六感でそれを認識、正確に攻撃するのだ。それでも熟練者は一瞬の殺気を瞬時に察知して防御するのだが。
鱗滝さんはその熟練者だ。隙をつくためには少しでも速く動かないといけない。覚えたての技を使い、鱗滝さんの周囲を高速で走り回り攻撃をする。闇の呼吸と混ぜる事で攻撃に転じるまでの隙も限りなく小さくしているが、彼は易々と私の攻撃を受け流して見せた。
水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き(しずくはもんづき)
受け流しからの攻撃。水の流れの如くスムーズな転用だ。咄嗟に察知して避けるも間に合わず、羽織の袖に穴が開いた。一昨日千代子さんが繕ってくれたばかりなのに!!
水の呼吸 弐ノ型 水車(みずぐるま)
「ぅが…」
体重を乗せた上段からの斬りこみ。私の体勢が崩れた隙の容赦ない攻撃だ、避けられない。闇の呼吸と炎の呼吸の併せ技でなんとか受け止めるも、両腕がじんじんと痺れ口から呻き声が漏れた。
右大腿部…!
受け止める事に精一杯になっている一瞬の隙をつき、瞬時に攻撃箇所を変えた鱗滝さんの刀が飛んでくる。わかるのに身体がついて行かず、気づけば刀は私の足元で寸止めされていた。勝負ありだ。止めて貰えなければ、とっくに私の両足は胴体から離れている。
「…なるほどな、お前の力量はわかった。その弱点も…」
「はぁっ…ふぅ…ありがとうございます。…教えてください、私の、弱点」
刀を鞘に納めながらも息1つ乱さない鱗滝さんとは対照的に、私は息も絶え絶えだ。急激な運動による生理的な汗と死を感じた事で出る嫌な汗を一気にかき、季節感0なのもお構いなしに羽織を脱いでパタパタと仰ぐ。少し落ち着いたところで改めて背筋を伸ばして鱗滝さんに評価を尋ねた。
「お前の弱点は、圧倒的に体術だ。女だてらに下手な男よりも筋力がある。他の呼吸を自分に合わせて使いこなす才も、相手の隙や攻撃を見抜く第六感もある。しかしそれらに身体がついて行ってない」
「…その通りだと、思います」
鱗滝さんの言葉は正しく図星だ。呼吸と死に物狂いな鍛錬のおかげで元の世界の新体操選手の様な動きはなんとかできるけれど、戦闘においては状況判断に呼吸、咄嗟の回避や隙をついた攻撃など、あらゆる要素に合わせてこれらの動きを行わなければならない。
私にはそれができない。現に、回避が間に合わず羽織を駄目にしてしまっている。今までの鬼との戦いは怪我や衣服の損傷程度で済んでいたけど、これからはそのような隙が命取りになるだろう。
「どのような訓練をすれば体術は向上しますか…」
「いや、正直言うと鍛錬ではお前の体術は向上しない」
死刑宣告の様な言葉に顔の温度が急降下するのを感じた。今でも怪我が絶えないのに?向上の見込みないの?もうそれ今後の戦闘で確実に死ぬじゃん。猗窩座と『お前の脳髄ぶちまけてやる☆』的なバトルアポ取ってるのに?鬼舞辻無惨から『署までの同行願います♡』的なアプローチ受けてるのに?無理過ぎじゃない?
「私…人生諦めた方がいいですか…」
このまま戦って生存率低いなら今のうちに遺書用意しておいた方がいいかもしれない。葬式…は無理にしても皆悲しんでくれるだろうか…。
私が自分の死後を妄想して絶望していると、匂いで伝わったのだろう。鱗滝さんは呆れ声で「最後まで話を聞け」と呟いた。もう結論わかってんじゃんと思いながらも小さく頷いて続きの言葉を待つ。
「お前は、何故自分の体術が向上しないと思う?」
「それは…それが私の限界だからでは?」
「いや違う。お前は、自分の限界を低く置き過ぎている。まだ若く、これから先更に伸びるはずなのに、だ。とどのつまりはその思い込みが自身の成長に枷を嵌めている」
正直、心当たりはある。呼吸はこの世界特有のもので実際に身に着けてしまえば使いこなせるまでに馴染んだが、体術はなまじ元の世界の常識がある分、こんな動きをする事は普通できないと思い込んでいる節がある。だから、咄嗟の躊躇が命取りになる。だから、肉体を動かす思いきりが出来ない。
「…どうすれば、克服できますか」
「お前だけの力では厳しいだろう。その枷は異世界の常識から来るものだ。…道理で明暗がお前をここへ寄越したわけだ」
「…つまり、どういう事ですか?」
「儂は催眠術を得意としていてな。禰豆子に『人間は仲間だ』という暗示を施したのも儂だ。これを使えばお前の枷を外し、体術を伸ばせるようになるだろう。…あいつめ、昔は『催眠術なんざ詐欺』だとか言っておった癖に」
お、おお…!貴方が神でしたか…!!
天狗面の背後から後光が差している、気がする。というか催眠術って事は寝てるだけで良いんだよね?楽過ぎて気が引ける…なんか炭治郎に申し訳ないな。現在進行形で三途の川を彷徨っているであろう友人に心の中で手を合わせておく。
そこから数日、鱗滝さんの下で界王神界で修行する〇飯よろしく、座り続けて暗示を受け続けた。特に面白みは無かったので割愛。全てが終わった後物凄く身体が軽くなっていたから、多分効果はばっちりなんだと思う。アルティメット化、できてるかな。
◇◇◇
「…ってな修行で、相手の次の攻撃が匂いでわかるようになったんだ」
「うぉ、凄いね!匂いでどんだけわかるのよそれ…どういう理屈?」
「俺もよくわからないが…相手が行動を起こすまでの無意識や筋肉の動きなんかの変化を匂いで読み取ってるんじゃないか?」
「絡繰には意識も筋肉もないじゃん」
「確かに…」
「…で、人形から出てきた刀は筋肉達磨化した鋼鐵塚さんが持って行ったと。…よくぞ生きて帰って来たよ炭治郎…」
「あぁ、小鉄くん…悪意の匂いがない横暴なだけに性質が悪かった…。ところで、**の方は?」
「まぁ、口止めされてるから多くは言えないけど、体術能力を向上させるために無意識領域を矯正したんだ。さっき蜜璃さんと軽く組手して貰ったけど、めっちゃ身体が動くようになってた。ほんと別人みたいに」
「やっぱりそうだよな!数日前と匂いが全然違ってるぞ!なんかこう…余計なものが取っ払われたみたいな…」
「本当!?玄弥はどう思う?」
「いやお前らなんで当たり前みたいな顔で俺の部屋居るんだよ出てけ!友達みたいな顔して喋りかけてくんな!!」
数日後、久しぶりに顔を合わせた私と炭治郎は、そのまま玄弥の部屋へ向かい煎餅を食べていた。炭治郎が玄弥を気にしていた為だ。ぶっちゃけ地雷以外の何物でもないなとは思ったが、もう面倒くさいし今更だし、私も仲良くなりたいからいっか~ってな感じで同行した。ツッコミ担当の金髪が居ない今、あまり全てをまともに捌こうとすると損をするというものだ。炭治郎の膝の上では数日間放置されて御立腹だった禰豆子が陣取って寝息を立てている。
「え!?俺たち友達じゃないの!?」
「違うに決まってんだろうが!てめぇは俺の腕を折ってんだからな忘れたとは言わせねぇ!」
吠えた玄弥にショックを受ける炭治郎。しかし玄弥の言い分は至極当然と言える。むくりと起きた禰豆子の相手をしつつ、私は心の中で大きく頷く。同意するだけで何もしないけど。疲れるし。
「あれは女の子を殴った玄弥が全面的に悪いし、仕方ないよ」
「下の名前で呼ぶんじゃねぇ!」
女の子を殴っていれば骨を折られても仕方ないと笑顔で主張する炭治郎。割と怖い奴である。そしてやや的外れな玄弥の発言。ツッコミがキャパオーバーした結果と予測する。なんだかんだ言って玄弥は常識人なのだ。そしてこの場では常識人ほど損をする。
「まぁ落ち着きな~。玄弥、煎餅好き?」
「…食う」
先日起きた『玄弥の玄弥事件』があるからか、私単体だとあまり無下にも出来ないらしい。もんのっすごいしかめっ面ではあるが受け取って食べてくれた。それを見る炭治郎の顔には「解せぬ」と書かれている。
「ん、あれ…歯が抜けてなかったっけ。前歯、温泉で…」
まじまじと玄弥を見つめていた炭治郎が、ふと気づいたようで疑問を口にした。ぼりぼりと煎餅を齧る玄弥の歯は全てが綺麗に生え揃っており、抜けた形跡など見られない。
そういえば、炭治郎はこの時点では玄弥の鬼喰い能力を知らないんだったっけ?プライバシーに関わる問題だからここでは特に口出しするつもりはないけど。
煎餅に集中する事で少し怒りが落ち着いたのか、それとも鬼喰いを後ろめたく感じているのか、玄弥はこちらを見ずにぼそりと呟いた。
「…お前の見間違いだろ」
「見間違いじゃないよ、歯とってあるから」
マジで言ってる?
ごそごそとポケットから取り出した炭治郎の手の平には、歯。数日前に見た、歯。この子、他人の歯をずっとポッケに入れてたの?色んな意味でアレだよ?
「なんでとってんだよ気持ち悪ィ奴だなテメェは!」
「いや、だって落とし物だし返そうと…」
「正気じゃねェだろ捨てろや!」
うわぁ…流石に引くわ…。玄弥に心底同意する。というか、落とし物って何?歯を返されたところでどうしろと言うのだろうか。
「**ちゃん…居るかい?」
「あ、はい」
どうするのこの場の空気…ってな所で聞き覚えのある声に呼ばれたので、これ幸いとばかりに部屋から出た。一瞬玄弥が助けを求める様な表情をしていたが、すまんな。
炭治郎のおかげ?で少し玄弥とシンパシーを感じられたような気がする。まぁ、そんな彼を容赦なく見捨てた私ですが。
部屋の外で待っていたのは珠守さん。元々線の細い人だったが、更にやつれ壁にもたれてプルプルしている。作業中は面会謝絶と言われてずっと顔を見る事が出来ないでいたが、予想以上の衰弱っぷりに思わず叫んでしまった。
「珠守さん!!大丈夫…じゃないですよね!?」
「ようやっと…ようやっと納得いくものを打ち終わったんだ…受け取って欲しい。…もう、上弦と対峙しても折れたりしないよう、丹精込めて打ったから…あと、頼まれてたものも造ったよん」
そう言って差し出された刀と頼んでいたもの。受け取ると、力尽きたようでその場にバターン!と音を立てて倒れ込んだ。既にわかっていた展開らしく、里の人2人が奥からこちらにやって来て、珠守さんを担ぐ。慣れているのだろう、流れるような動きだ。そして珠守さんが倒れると同じタイミングで玄弥の堪忍袋の緒が切れたらしく、炭治郎と禰豆子が部屋から放り出されてきた。
「珠守さぁぁぁん!!」
「あなたが珠守さんですか…って、えぇ!?大丈夫ですか!そして女性だったんですね!」
倒れた拍子にお面がずれて下から出てきた顔を見て、炭治郎が驚いた。今そこじゃない…と思いつつも、鍛冶師の女性は珍しいのでまぁ言いたい気持ちもわかる。ぱっちりとした意志の強そうな赤い瞳、スッと通った鼻筋に薄い唇、そして虚弱体質なのに超健康的な小麦色の肌。珠守さんは原作に居なかった人物とは思えない超絶美女なのだ。
「そうよぉ~よろぴく。珠守兜、34歳。名前のせいで縁談に恵まれず絶賛彼氏募集中…あの長、呪ってやる」
その言葉を最後にして気絶した珠守さんは、えっちらおっちらと運ばれて行った。最後の言葉がこれでいいのだろうか、珠守さん。この後、長をはじめとする最後の里民が疎開するらしいので、一緒に連れて行かれるのだろう。
これで、この里には鋼鐵塚さんのような例外を除いて非戦闘員は誰も残っていない。そして私と炭治郎は引き続き里に残り上弦の襲撃に備えるようにとの伝令が来たため、命令解除の伝達が来るか上弦の鬼が襲撃してくるまではここで待機する事になる。
「珠守さん…大丈夫かな…」
「まぁ…多分、きっと、恐らく」
度肝を抜かれながらも心配そうな表情の炭治郎。たぶん…大丈夫だと信じてる。なんだかんだであの人、一周回って生命力強そうだし。
気を取り直して貰った日輪刀を確認することにした。真っ黒な鞘と、白と濃紺色を合わせた柄は、闇の呼吸にぴったりなデザインだ。異なる2つの世界の交わりを思わせるような金で縁どられた2つの楕円で装飾された鍔は、私の境遇を知っての思いやりだと思う。ゆっくり引き抜くと、真っ暗な闇夜を思わせる濃紺の峰に月白の刃を持つ刀身へと色変わりした。闇の呼吸の適性者が持つ色だが、師範とも千代子さんとも違う、私だけの日輪刀の色だ。
「色変わりの瞬間って、何回見ても良いもんだな!」
「本当にね…。あとさ、これ見て!」
そう言ってドヤ顔で頼んでいたもの…短刀を見せる。こちらも素材は日輪刀と変わらないので、抜いて見せると同様に色変わりを起こした。
「短刀か…?どうして?」
「これ、半年くらい前から珠守さんと話し合ってた特殊な刀でさ。しのぶさんの日輪刀に近いって言えばわかりやすいかな?」
特殊な加工をする事で、常に藤の花から抽出した毒を刀身に保持する事ができる短刀だ。相手にぶっ刺して毒液を注入するもよし、刀身から染み出した毒と共に頸を掻っ切るもよし。小さいがかなりの量の毒を入れておく事ができる。
1回分しか毒を注入できないという制約はあるけど、その分しのぶさんの刀よりも注入できる毒の量は多い。そして小さいからこそ背中に隠し持つ事が出来る。羽織もあるから敵にはまず見られる事がない。
「なるほど…これで簪はもう投げなくて良いんだな!」
「う゛っ…トラウマを掘り返してくるね炭治郎…」
ともかく、武器が増えたのは大きい。あれこれ使って戦えるほど器用じゃないから、基本は打刀の方で戦うけどね。この短刀は所謂奥の手ってやつだ。絶対に生き延びて勝ってやる。
◇◇◇
その晩、夢を見た。修行を終えて明暗邸に変えると、師範と千代子さんが血塗れで倒れている夢だ。2人ともがその双眼をこれでもかというくらいに開いており、しかしその瞳に光は宿っていない。視界がぐらついて、足元を見ると私の身体は泥に呑まれていた。ずぶずぶ、ずぶずぶ。水っぽい息苦しい世界へ落ちていく。
思わず飛び起きて目が覚めた。外は雨降りらしい。だからあんな嫌な夢を見たんだ。本当に嫌な夢だ。だから鼓動がうるさいんだ。だから目から涙が止まらないんだ。