「俺の名前が欲しい?何を……?」
少女にニコニコと笑いかけられながら、困惑するヤクモ。しかし、名前を欲しいと言われてもそもそも自分の名前をもらったところでそれは男の名前だ。女の子の名前ではない。しかし、少女はヤクモが皆から名前で呼ばれていることを羨ましいと言っていた。そして今になって気付く。自分は少女の名前を知らないということを。
「……君、名前は?」
「ないよ」
少女はあっけらかんとした様子で平然と言ってのけた。名前がないことは少女にとって当たり前だったのだろうが、誰からも名前で呼ばれないという現実は、相当辛いもののはずだ。だからこそ、名前のないことを当たり前と思いつつも名前を羨ましがっていたのだ。
「……母さんは?」
ソラ達と共に町中で対峙していた時の記憶はぼんやりと靄がかかっており、あまり覚えていない。しかし、少女が言っていた母親と同じ髪や目という言葉を思い出す。彼女だって母親がいるのなら、名前をもらっているはずだろう。それが当たり前じゃないのかとヤクモは思って聞いたのだが、
「お母さん、私の事嫌いみたい。名前もくれなかったし、見てもくれなかった」
「え……なんで嫌いなの?」
「わからない。私の姿が嫌いだ、その姿を見せるな、消えてしまえって凄く怒ってた」
「……酷い」
あまりの壮絶な親子関係にヤクモは言葉を失っていた。先ほどまではあっけらかんとしていた様子の少女だったが、母の怒る様子を思い出したのだろう、目に見えてわかるぐらい落ち込んでしまっていた。悲しそうな雰囲気も見せる彼女の様子を見たヤクモは放っておけなくなったのだろう。座り込む彼女の頭に手を当てる。
「あ……」
そのまま頭を撫でてあげると、少女も少し表情が和らいでいく。気分が少しは落ち着けたようだ。嬉しそうに無邪気な視線をヤクモに向ける。
「ありがとう、なんか落ち着いた」
「そっか……でも、それなら俺と一緒にいていいの?」
少女は今の自分の姿が母親に似ているという旨の発言をしていた。そんな自分は母親を連想させるのではないかと心配するヤクモに少女はきょとんとしていたが、
「ううん、いいの。私、お母さんのこと好きだから。お母さんが私の事が嫌いなのは理由があると思ってるから……ほら、これ見て!」
そう言い、少女が取り出したのは人形だった。その人形は少女に似た紫の髪色をしており、綺麗なドレスをしていた。
「人形……?」
「そうだよ、私の人形。お母さんは私の人形を作ってくれるぐらい好きだったと思うんだ……途中だけど」
見れば確かに、人形は途中までしか作られていないように見えた。これを途中までは作ってくれたのに、母から少女への愛は突然怒りや憎しみに反転してしまったのだ。一体何が2人にあったというのか。
「……この人形、凄く丁寧に作られてる」
「うん、人形なんてこれしか見たことないけど、すっごく可愛いって思うんだ」
母親の作ってくれた人形を褒めてもらえたことでさらに嬉しそうに少女はぎゅっと大事そうに人形を抱きしめる。その様子が居た堪れなくなったのだろう、
「わかった。俺の名前でいいなら使っていいよ」
「本当!?」
「でも、ヤクモのままだとちょっと変だと思う。君は女の子なんだし」
先程の少女の願いを叶えてあげることにした。しかし、ヤクモの名前をそのまま使うのは女の子としてどうかと思ったのだろうとヤクモは少女にさらに提案することにする。
「……そういうもの?でも……ヤクモの名前がいいなって」
「えっと……うーん……」
頬を掻きながらヤクモは考える。自分の名前をもじって女の子の名前にするにはどうしたらいいのか。しかし、いくら考え込んでもそう都合よく出るわけもなく。そもそも自分の名前を女の子の名前に変えようとすること自体複雑な気分になってしまう。しかし、この少女のためだ、妥協は許されないとあまりないと自分でもわかっているネーミングセンスを総動員させて必死に考え込む。
「……」
「……じゃあ……」
少女の期待するような目線に冷や汗を流しながら、ヤクモは何とかそれを絞り出すことに成功する。本当に受け入れてくれるのかという一抹の不安を感じながら、恐る恐るといった様子で口を開く。
「……ミクモ、ってのはどう……かな……?」
「……」
ヤクモからもらったミクモという名前。それを聞いた少女はじっと考え込み始める。そして、
「ミクモ……ミクモ……ミクモ……!」
段々興奮したように目をキラキラさせながらその名を呼んでいく少女。よほどしっくりと来たのだろうか、嬉しそうに両手を上げると、
「ありがとう、ヤクモ!ミクモ……なんか凄くいい!」
「そっか、よかったよ」
心の底から嬉しそうにははしゃいで見せる。その様子を見て、歳の小さい子を見ているかのような感覚に陥りながら、ヤクモは夜の空を見る。言葉には出さないが空を見上げる彼の表情は少し寂しそうだった。
(ソラさんはどうしてるかな……)
★
「……」
「ソラちゃん?まだ起きてる?」
「……あ、はい」
夜の空を部屋から見上げているソラに、ましろが声をかける。振り向いたソラの顔を、ましろはじっと心配そうに見ていたが、その表情を見て安心したように少し笑う。
「よかった、大丈夫そうで。ちょっとさ、心配だったんだ」
「あはは……すみません、お見苦しいところをお見せしましてしまって……」
ましろだけではない、皆にも心配させてしまったことをソラは申し訳なさそうに謝罪する。
「あんなに取り乱してしまうなんて……未熟です……」
「そんなことはないよ。それに、取り乱さない方がおかしいんだから……むしろ、取り乱して正解だったと思う」
「……え?そ、そうでしょうか……?」
ソラが思い出すのはヤクモが少女の手によって洗脳されていく光景を見てしまい、つい我を忘れてきてしまったことだった。自分でも狼狽えまくってしまっていたのは覚えている。もしあの場でもう少し冷静になれていれば、もう少し別の手段だってとれたはずだ。結局、他の皆が合流してきて、やっと精神的に持ち直せた状態だ。しかし、ましろはそれでもよかったのだという。まさかの言葉にソラは驚いてしまう。
「好きな男の子があんな目に遭ったんだから、きっとソラちゃんの対応が正解なんだと思う。それだけ、ヤクモ君の事を想ってるってことでしょ?」
「え?そ、それは……」
「ツバサ君は気付いてないだろうけど、あげはちゃんももう気付いてるよ」
「!?」
完全に驚いた表情になってしまい、ぽかんと口を開けたままの状態で呆然と立ち尽くすソラ。一応、ヤクモへの好意については自分からましろやあげはには説明したことはないはずだ。しかし、どうやら普段の様子からましろとあげはにはすっかりばれてしまっていたようであり、そのことを告げられたソラは一瞬フリーズしていたが、次第に顔を真っ赤にしてしまい、恥ずかしそうに肩を竦めてしまう。
「な、なんでばれちゃっているんですか……?ま、まだましろさん達には言ってないし、ヤクモさんにだってまだ……その、告白……とか……」
段々と恥ずかしさが強くなっていったのか、もじもじとしながら顔を逸らすソラ。そんな可愛い姿に思わずましろは微笑みが止まらなくなってしまう。
「ふふ、なら絶対にヤクモ君を助けないとね」
「……はい、そうですね」
こんなソラをいつまでも見ていたいという気持ちについつい駆られてしまうが、ソラのためにも絶対にヤクモを助け出さなければ。ましろの言葉に、ソラも改めて決意するように返事をしていると。
「ま、ましろん!ソラちゃん!大変!!」
「「!?」」
階段を慌ただしく駆け上りながら、あげはが部屋に飛び込んでくる。とにかく慌てた様子のあげはを見て、2人ともびっくりしてその顔を見る。
「あげはさん!?」
「ど、どうしたの!?そんなバタバタして!?」
「や、やばいよ!ヨヨさんがヤクモ君のお父さんに連絡してたんだけど……」
呼吸を落ち着かせようと深呼吸しながら2人に話し始めるあげは。ヨヨは家に帰れなくなってしまったヤクモの事を誤魔化すべく、家に電話していたのだろう。それに対応していたのはヤクモの父、ムラクモだったようだが、ここで遂に致命的な問題が起こってしまったようだ。
「ヤクモ君のこと……誤魔化しきれなかったみたいで、ヤクモ君のお父さんが家まで……!」
「「ええ!?」」
2人の驚愕の声が同時に上がり、血の気が引いていく。プリキュアの事を隠し、ずっとヤクモと一緒に戦っていたことは、親から見ればとても納得のいくものではないはずだ。ソラやツバサの場合はスカイランドという世界の住人ということもあり、子供の事を心配こそしていただろうが戦うことを受け入れてくれていた。しかしこの世界の住人ともなれば話は大きく変わってくるだろう。
「ど、どうしよう……プリキュアのこと、ばれちゃった?」
「わ、わかんない……とにかく、ヨヨさんが皆を集めてって」
冷や汗を流すあげはの話を聞き、顔を心配そうに見合わせるソラとましろ。ムラクモはきっと快く思ってはいないだろう。そう思うと気分が重くなってしまう。だが、ばれてしまったものはもう仕方ない。ここからどう説明すればいいのかどうかと特に頭を痛くしているあげはと共に、不安そうに2人はヨヨの部屋へと向かう。そこにはヨヨとツバサがいた。エルはヨヨの膝の上に座っており、そわそわとしていた。そこには他にムラクモの姿があり、彼は無言で腕を組んだまま2人と同じように席に座ってヨヨ達に向かい合っていた。
「……」
ツバサはというと居た堪れない様子だった。ヤクモの事もあり、居心地が悪そうにしているようだった。そこに入ってきた3人はヨヨの側に置かれていた椅子に座っていく。そしてその場に全員が揃ったことをムラクモとヨヨが確認すると、
「今回のことについてだけど……」
「……はい」
重々しく口を開くソラ。ムラクモから何を言われるのだろうか。プリキュアの事をバレて、怒られるのか。息子を返せと言ってくるのか。いずれにせよ、和やかな話になるとはとても思えない。4人がムラクモの言葉をじっと待っていると、
「大体の話はヨヨさんから聞いたよ」
「え、えっと、大体というと……?」
「……どうやら、すれ違いが起こっているみたいだな」
「そうみたいね」
ムラクモの言葉にあげはがとぼけるような対応をして誤魔化そうとする。それを見て、どうやら自分とあげは達ではそもそもの前提が異なっていると指摘するムラクモ。ヨヨもそれに頷くと、今度はましろ達の方が疑問そうに首を傾げることになる。すれ違いとはどういうことなのか。その疑問に対し、ムラクモはもう黙っている時ではないと悟るように口を開く。
「まず最初に言わせてもらうが……俺はプリキュアの正体が誰なのか知っている。当然お前たちがアンダーグ帝国と戦っていることもな」
「「「「!」」」」
ムラクモの発言に言葉を失ってしまう4人。既にムラクモには正体がばれていたと知り、バツが悪そうにましろとあげはは
顔を逸らしてしまう。そんな中、ツバサはどうしてムラクモにそのことがばれたのかという疑問に辿り着く。もしかしてと思い、ヨヨに視線を向ける。
「もしかしてヨヨさん、ムラクモさんにプリキュアの事を……」
「ちょっと違うわ」
しかしヨヨは首を横に振ってしまう。ムラクモにこの事を教えていないとすれば、ムラクモは自力でプリキュアに辿り着いたということになる。確かに、息子がプリキュアという事実は巡り合わせ次第によっては知る機会もあるかもしれない。だが、そうなると何故アンダーグ帝国の事を知っているのかという当然の疑問が出てくる。こればっかりは誰かから話してもらうしか知る方法がないはずだ。
「じゃ、じゃあなんでアンダーグ帝国の事を……!?」
「坊主、ほれ」
「え!?わわ!?」
ムラクモが急にツバサに呼びかけ、ポケットの中にでも偶然入っていたのだろう、ボタンを取り出して弾く。それを受け取れということなのだろう、慌てて弾かれたボタンを立ち上がってキャッチするツバサ。ほっとしながらそれを握っていたが、そのボタンからありえない感触がしてくることに気付いてしまう。何かがカサカサと手足を動かしているような、そんな感覚だ。それに気付いた瞬間、ぞわっと生物の本能的な恐怖を感じてしまい、
「うわあああああ!?」
思わず裏声で叫びながらひっくり返ってしまう。あんまりにも衝撃が強すぎたのか、その場で鳥の姿になってしまう程だ。そのままひっかり返ってしまい、ツバサの方も手足をぴくぴくとさせながら白目を剥いてしまっていたが、その姿を見て慌てるのは周りの3人だ。ムラクモの目の前でプニバードの鳥の姿に戻ってしまったツバサを見てしまい、パニックに陥ってしまう。
「わ、わーわー!?」
「ち、ちち違うんです!?これはその……手品!そう、手品だよね!?」
「そ、そそそうなんだようね!?全くツバサ君ったらこ、こんな真剣な状況でまでふざけないでよ?ね!?だ、だから……」
「いやプニバード族のことも知っているからそんな混乱しなくていい」
ツバサの事を必死に誤魔化そうとする3人。しかしムラクモはそんなことはしなくても大丈夫だとすっぱりと言い切ると、自分が弾いたボタンを見るようにと指差す。3人が言われるがままにボタンの方を見ると、ボタンはなんと一人でに動き出すと、ツバサの体の上に乗り始める。そしてツバサがワンテンポ遅れて我を取り戻すと、その視界には、2つの目がついたボタンがあった。いや、ボタンではない。それは、
「ら、ららランボーグ!?」
「「「え!?」」」
目の前のそれがボタンではなくランボーグだと気付いたのだろう。咄嗟に警戒心を跳ね上げてランボーグを押し出すと、素早く人の姿に戻る。ボタンは暫く転がっていたが、やがてその勢いが収まると手足が生え、地を蹴ってムラクモの掌に乗る。
「な、なんでランボーグをムラクモさんが……!?」
「……もしかして、ヤクモ君がランボーグを呼べるのって、遺伝!?」
「そういうことになるんだろうな」
そこまで話されて、ようやくソラ達も理解する。ムラクモがアンダーグ帝国の事を知っているのは、とても簡単な話。ヤクモのアンダーグエナジーを操る能力は、そもそもムラクモの力が遺伝したものだということを。つまり、ムラクモは元々、アンダーグ帝国の住人だったのだ。だからこそ、プリキュアの事もアンダーグ帝国の事も知っているのだろう。
「そもそも、知ってなきゃあいつの自由を許すわけないだろう」
「それは……そうだけど……」
確かに自分達も、ヨヨや家族が事情を知っていてサポートしてくれているからこそプリキュアとして自由に動けている。ヤクモも、プリキュアの事を隠していても家に帰らなかったり長い間家を空けていたりとしても問題なかったのは、ヨヨが誤魔化しているという体を取っていたが実態はムラクモもしっかりと把握していたということなのだろう。
「……あれ?というとこれまで、僕達の前に現れたあの仮面の人物は……」
「俺だ。別にこの世界で動く気なんてなかったんだがな。あいつがプリキュアに選ばれちまったんでそうもいかなくなったのさ……ま、だいぶ洒落にならないことも起こったんで今の王様達に生命力を補充したり色々やることになった。ああ、あいつは俺だって気付いているぞ。今する話はないって俺が言ったら大人しく引き下がっていたがな」
「える!?」
これまで自分たちの前に現れて主にヤクモを導いていたのはどうやらムラクモだった。両親を陰ながら助けてくれていたということを知ったエルもより驚いてムラクモを見る。そしてムラクモは、時が来るまで自分の事を話すつもりはなかったのだという。しかし、そのムラクモがこうして出てきたということは。
「ムラクモさん、あなたが皆に話す時が来たのね?」
「……ええ、何も話さない、というわけにはいかなくなった。だが……俺でもわからないことはある。俺がアンダーグ帝国から出て行ったのもずっと前の話……今のアンダーグ帝国がどうなってるかなんて全く知らないからな」
「……教えてください。ヤクモさんと一緒にいたあの女の子の事を」
とはいえ、今のアンダーグ帝国の内情について知っているわけではない。しかし、ずっと前に出てきたと言っても、知っていることはあるはずだ。特に、あの少女は一体何なのか。それを問いかけられたムラクモは少し困惑した様子を見せる。
「……その話はヨヨさんから聞いた。だからこそ来たわけだからな……その少女の事についてだが……結論から言わせてもらう」
そう言い、一旦言葉を区切るムラクモ。その様子を見て、ソラ達もそれほどに大事な内容なのだと判断し、次のムラクモの言葉をじっと待つ。ムラクモは少しだけ、本当に言っていいのかと躊躇うような素振りを見せていたが、次第に覚悟を決めたのか、一瞬だけエルをちらっと見てから皆の顔を見る。
「そいつは確かに俺やヤクモの親族になるんだろう。エナジーに類似する点があって、何よりヤクモの変わった姿がそいつの母親に似ているんだろう?目や髪の色も一致している……俺は知らなかったが、ヤクモにとっては従妹にあたる存在、なんだろう……しかし、どうしても腑に落ちない……ありえない」
「ありえないって、どういうことですか」
ムラクモの発言から、決して少女の言っていることが妄言ではないと断定されてしまった。しかし、それと同時にムラクモは引っかかるものを感じていた。それはいったいなんだというのか。それを問われたムラクモは、真剣な表情で先ほど言うのを躊躇っていた言葉を口にするのだった。
「俺の知る限り、そいつの姿は俺の姉が殺したくて仕方がないくらいに怒り、憎んでいるであろうこの世で一番嫌いな奴の姿だからだ」