「えっと、次は...ひこうポケモンの写真か」
テラリウムドームがBP集めに励む生徒たちを照らす。
かくいう俺も部長とはいえ、リーグ部の一員。
アイツに、憎いライバルに追い付くためにもっと強くならないと。
「ハルト...」
握った拳に力が入る。
唇をかみ、あの時の辛酸を思い出す。
拳と唇から血が出ているかどうかはわからない。
でも口の中はレモンのような苦みが溢れている。
キタカミの里での出来事。
鬼様と奇妙なお面を取り巻く愛憎劇。
正直心のどこかで俺は鬼様を自分と重ねていた。
ずっと姉ちゃんの陰に隠れて何にもできなかった自分。
恐れ穴に隠れて怯えて生きてきた鬼様。
だからこそ、あの強大な力には俺がふさわしいと思っていた。
だが現実は違う。
俺は鬼様を賭けたハルトとの勝負に大敗を喫した。
文字通り、手も足も出ずに完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
うずくまった時のじめんの匂いは今も鼻を燻っている。
ふうっと軽く息を吐き、体から力を抜く。
今いない人間をどうこう言ったって仕方がない。
それに、1週間半後には来る可能性だってある。
だから、今のうちに強くなって、今度こそアイツを俺がねじ伏せる...。
「精が出るね」
コロコロとした可愛らしい声が耳に響く。
「タロ」
俺の1つ先輩であり、同じリーグ部に所属している。
容姿端麗、成績優秀、バトルの実力も四天王と申し分ない。
今の俺からしてみれば鼻につく要素しかないが、本人を前にすれば特にそういった感情はわかない。
ピンクのカーディガン...のようなものを羽織り寒さ対策もバッチリ。
ブルレク中だが、リーグ部関連の仕事だろうか。
「どうかした?」
「部長の印鑑が欲しい仕事が数件来て。今からでもお願いできる?」
「あー」
と手元の時計を見た後に思考する。
今日もこの後はBP集めにポケモンの育成とやることは目白押し。
だが部長の印鑑が必要であることや、他のメンバーを考えても難しいか。
ネリネは生徒会、アカマツは書類とか難しいし、カキツバタは頼りになるわけがない。
「わかった。行くよ」
この標準語で喋るのも少し慣れてきた。
前のキタカミ弁で話していた自分は...なんというか嫌いだ。
誰かに弱さを見せびらかして、姉ちゃんの陰で泣いている姿を思い出す。
思考を切り替え、タロの元に向かおうとしたとき体がバランスを崩してしまった。
躓くというよりは足から力が抜けたというべきか。
ここ最近のろくにご飯も食べず、睡眠もとらずの生活が祟ったんだろう。
「あ」
間抜けな声が出てしまう。それは切り捨てたはずなのに。
しかし、その倒れそうな体を柔らかな体が支えてくれた。
姉ちゃんから感じるものとは違う深みのある優しい感触。
変な意味でなく、母性を感じるそれに一瞬意識が飛びそうになる。
このまま眠れたならどれだけよかっただろうか。
「ご、ごめん。タロ」
「...最近ちゃんと寝てる?目元の隈、すごいよ」
支えてくれた体を起点にし、何とか起き上がらせる。
この時が運命の分岐点なんだと今になって思う。
急に立ち上がって、顔を上げたせいかタロが反応しきれなかった。
【チュ】
一瞬唇に柔らかいものが触れた。
思春期の女子特有の肌の柔らかさより艶と張りのあるそれが、触れたのだ。
あまりのことで理解ができずに思考回路が一瞬ショートする。
「はぇえ」
「ぇえ?」
お互いに間抜けな声が漏れる。
押しのけてはまずいと思ったのか、その場でへたり込んでしまった。
思わず手の甲で唇を抑え、なんとか思考を元に戻すと画策する。
バトルのことを思い出そうとするが、寝不足もあってか錆びた車輪のようにろくに回らない。
タロも俺のそれを認識してか、ゆっくりと唇を人差し指に腹で押さえる。
「あ、えあ、タロ、その」
「......こ、これは事故です、から」
「事、故?そっか、事故か。ア、アハハ」
もはや理解が追い付かな過ぎて笑うことしかできない。
つまるところ俺とタロの唇が事故でぶつかってしまった。
そのことを考えるとさらに頭が熱くなる。
学園のアイドルと、爪弾きものの俺が、唇を捧げあった。
向こうはどうかは知らないが、俺は初めてである。
脳の理解がようやっと追い付いてきた。
さーっと血の気が引いていく。
タロは言ってしまえばホドモエのボスの娘、社長令嬢と言い換えた方がいいか。
そんな社長令嬢を、事故とはいえキスしてしまったとなればどうなる。
学園から立場を追われるのは火を見るよりも明らか。
「タロ。ここでは、なにもなかった。そ、それでいいべ」
「そうしよっか」
たははと笑う彼女に自分の自己嫌悪が加速する。
やり方がこれしかなかったとはいえ、もっとほかに方法はなかったのか。
書類の書き方もリーグ部の運営も教えてくれたのは目の前の少女だ。
恩返しの一つもできないなんて、キタカミの男として情けない。
だが、そうは言っても起きてしまったことはどうにもできない。
無かったことにするしかないんだ。
「部室、いこっか」
「...そう、だね」
立ち上がり、真っ赤な顔を見せないように彼女の前を先導する。
抜き去る時に見えたいつもとは違うドギマギしたような年相応な顔。
まるで少女漫画に出てくる主人公のような可憐な顔が脳裏を焦がす。
...
.....
.......
昨日の事件から一日たった今日。
忘れようというのに、俺のポンコツな頭脳はどうしても記憶を消してくれない。
ポケモンの技と同じように忌々しい記憶も何もかもを消し去ってくれないだろうか。
移動教室に際して、他の生徒と共に移動しようとする彼女に声をかけた。
周囲の生徒から突き刺さる白い眼を無視し、彼女に声をかける。
本来は今日、資料室で勉強を教えてもらう約束があったんだけど。
昨日の出来事もあって、少なくとも俺は一緒に勉強できる気がしない。
「タロ、ちょっといい?」
「...うん、いいよ」
先行っててと仲がいいであろう女子生徒に声をかける。
友達だろうか、俺を一瞥し、次の教室に向かっていった。
「今日勉強教えてもらう約束さ。あれ、」
っと言いかけた時、彼女は華奢な体をするりと動かした。
俺のすぐ隣まで移動し、他の生徒には絶対に聞こえないような小さな声で。
「今日、私の部屋で。ね」
ゾワゾワとミミズズのような何かが背中を張っていく感触。
それだけ言い、女子生徒の元に向かっていった。
誰も彼もがいなくなったかのような錯覚に陥る。
顔は見えなかったが、なんとなく表情が推察できた。
できるが、したくない。
手と首筋から妙な汗が出てくる。
「う、うん」
誰もいなくなった廊下。
いつの間にか生徒たちは移動を済ませてしまっていたらしい。
俺のむなしい声が小さく木霊した。
...
.....
.......
約束の時間。
行きたくないと行かなければという二つの思考で板挟みになっていた。
今日は部の仕事もとくになく、本当に勉強を見てもらうだけのはずだったのに。
タロの部屋の前まで来て、大きく息を吐く。
「そうだ、これは勉強を教わるだけだ」
誰に言うまでもなく、そう言い聞かせる。
右手で部屋のドアを軽くノック。
はいというくぐもった声と共に、いつもとは違う服装の彼女が出てきた。
マイナンの着ぐるみを纏い、俺を出迎えてくれた。
着ぐるみと言っても遊園地で風船を配っているようなタイプではなく女子が着れる上がパーカーのようなもの。
「...ささ、どうぞ。入って入って」
「お、お邪魔します」
そう促されるまま、彼女の私室に入る。
視界に入る、可愛らしいぬいぐるみや何かで獲得したトロフィー。
玄関に置いてあったスリッパに履き替え、勉強机がある場所に進んでいく。
隣のベッドを気まずさからか、視界に入れないようにしつつ、椅子に座る。
L字型の大きな机なので、誰かと勉強する分には困らない。
「じゃあ、早速始めて行きましょうか」
自分のノートと参考書を広げ、タロからの説明を受けていく。
驚くほどわかりやすいそれは、するすると俺の頭に入っていった。
お金持ちの人は教育から違うと聞くが、それを身をもって実感する。
「そうですね、そこは」
女子生徒がよく発しているいい匂いに頭がくらくらする。
いかんいかん、俺は勉強をしに来たんだ。
せっかくタロが時間を割いてくれているというのに。
「スグリくん?」
っとふとタロが俺の名前を呼ぶ。
この前のようなことがないように、声がした方へと顔をゆっくりと向ける。
「何か飲みますか?」
隣に座る部屋着のタロ。
質問の内容を答えようとするものの、昨日のことが頭から離れない。
思わず艶っぽい唇をジっと見てしまった。
ダメだと理性が危険信号を鳴らしているのに、視線が逸らせない。
「...もう」
華奢で薄く、俺ぐらいでも折れてしまえそうな手が後頭部に回された。
お互いの顔がゆっくりと近づいていき。
「ンチュ」
合わさった。
今まで感じたことのないような多幸感。
甘く体がそのままドロドロと溶けていきそうな、手から力が抜けたような錯覚に陥る。
ダメだとわかっているのに、この劇薬がやめられない。
脳内麻薬がドバドバと放出され、心臓が重低音を肉体に刻む。
「かわいい」
「え?」
唇が離れた時に、ふと彼女が漏らした。
聞こえているが聞き返す。
意味が分からない。俺が、かわいい?
「もっと、欲しい?」
「ほ、ほしい」
「もっと、大きな声で」
「欲しい、全部。欲しいべ」
自分ですら何を言っているかがわからない。
直感で口から言葉を出してしまう。
俺のセリフを待ってましたと言わんばかりに舌なめずりし、彼女は言った。
「やっぱりかわいい」
もう一度キスをする。
お互いの魂と魂が結びつくような熱いキス。
もう二度と離れたくないとすら思わせるほどの。
ドロドロと胸から溶岩のような感情が沸き上がる。
しかしこの感情に不快感はなく、むしろこれを感じることこそが幸福に思えた。
俺が感情の奔流に流されていた時、口の中に何かが入ってきた。
人の温かみを持ったそれは、俺の口を侵略者かのごとく蹂躙していく。
「ん!?タ、タロ」
「離れないで」
一度離れた俺を手で引き戻し、もう一度口内を蹂躙した。
この人のぬくもりを感じながら肉欲の残虐さを感じるものは...舌だ。
舌が俺の口の中をうごめき、歯や俺の舌と絡んでいるんだ。
体からドっと力が抜け、相手の体に倒れこむ。
向こうも俺が限界であると感じ取ったのか、口を放してくれた。
「ハァ、ハァ、」
「フゥー、フゥー」
心なしか鼻息が荒い。
肉食獣のような眼の中には草食獣が一匹...俺だ。
直観的に俺はこれからこの人に食われるのだと察した。
「ベッド、寝ころんでもらえる?」
「...」
もはや何かを言うことはできない。
真の蹂躙はここからであった。
ここから先の記憶は少ししか持ち合わせていない。
...
.....
.......
翌朝、見慣れない天井を見て目が覚める。
ベッドから体を起き上がらせ、自分の体を確認した。
ところどころに謎の痛みと、赤い斑点。
来ている服は...プラスルの着ぐるみだろうか。
「起きましたか?」
隣でマイナンの着ぐるみを着たタロがこちらに微笑んできた。
一昨日のような優しい瞳。
しかし、それはブラックホールのような引力を孕んでいた。
俺の状況の整理がつかないまま間髪入れずに続けてくる。
「よく眠れた?」
近くにあった鏡で確認する。
俺の顔から前にできていたような大きな隈はない。
体もよく動き、常に身にまとっていた不快感の鎧は取り払われた。
「う、うん」
前に自分の部屋で眠っていた時とは違う。
なんだか全身がすっきりしている。
タロがすべすべとした指を俺の唇へと近づけ一言。
「これで事故じゃないね」
ハハっと乾いた笑いが漏れてしまった。