浮世離れな逃亡者 作:スズカ推し
走ること。それは、楽しいこと。
走ること。それは、気持ちいいこと。
走ること。それは、何も考えなくていい、こと。
誰も気にしなくていい、孤独な時間のこと。
私は、それが世界で一番好き。
◇◇◇
私がトレセン学園に入学してからこっち、一番頭を抱えさせられ、いや、現在進行形で抱えさせてくる奴は、間違いなく
その頭を抱えざるを得ない
____トレセン学園の生徒会長とは多忙な役職だ。普通の学校よりも学園内の統治が生徒に委任されている部分が多い分、仕事量も比例、どころか跳ね上がって増える。
その中でも、入学式における新入生への言葉は、彼女――シンボリルドルフ生徒会長にとっては、新入生を一望して言葉を伝えられるし、生徒の大まかな印象を知ることができるとして、気に入っている仕事らしい。
『前代未聞…… いや、実に面白い生徒がいたものだ』
あの入学式の後、生徒会室で彼女はそう言った。理由を尋ねた私は、ことの詳細を明朗に語る会長の前でどんな顔をしていたのだろうか。
『式が始まってしばらくした時、体育館に駆け込んでくる者がいてね。……まさか、その者が
そんな、私ならその日のうちに舌を噛み切ってしまいそうな蛮行に及んだ彼女の名前は、“サイレンススズカ”といった。
入学式に遅れた理由はなんともウマ娘らしく、“走ってたら時間に遅れた”、とのこと。
興味を持たない方が無理がある。私は、その日のうちに奴――サイレンススズカのもとへ訪ねた。入学式の後、新入生は各々の教室に戻り、二限目を簡単な自己紹介や以降の予定伝達で消費するだろうから、二限目が終わるタイミングを見計らって、一年生の教室が連なる棟へ赴いたのだ。
『……』
そこで、私は奴に会った。
とにかく、その浮世離れした雰囲気に驚かされたのは記憶に新しい。
切り揃えられた明るい栗毛の下にある翡翠のような瞳は、廊下の喧騒や足音、何物も映していない。その場にいる者全てを視界に入れず、肩にスクールバッグを下げたあいつは私の隣を通り過ぎて、中央玄関の方へ向かって行った。
『……あ! あれエアグルーヴ先輩じゃない……!』
『わ、私ファンなんです〜! 桜花賞は残念でしたけど……次のオークスはでるんですよね!?』
あの時の私は、GIタイトルも持っていないし、生徒会副会長にもなったばかり。しかし、それでも名家というべき家系の出で、私を知らない者は少なかった。声をかけずとも物珍しさに教室と廊下のしきりから顔を覗かせてくる者もいれば、直接話しかけにくる者もいた。
あいつだけだ。私に目もくれず、私の横を通り過ぎて行ったのは。
俄然、興味は高まるばかりだった。
____その後、私はあいつを探しに栗東寮を訪れた。あいつはそこで一人部屋をあてがわれたということだからだ。
しかし、結果は留守で、寮長曰く“ジャージで飛び出して行った”とのことだった。全く走ることが好きすぎる奴なのだ。
私もいつまでも探し続けることはできない。生徒会に仕事を残していた私は、そこであいつを探すことを一旦諦め、生徒会室に戻ることにした。
____仕事を片したのは4時半頃で、外は夕景色に染まって美しい朱色だった。
仕事に忙殺されていたからか、私はあいつを探すことを忘れていた。
ただ、5時過ぎ辺りからトレーニングをするとトレーナーと約束をしていたから、制服からジャージに着替え、タオルや水筒を携えた私は、夕陽に沈むトレーニングコースへ赴いた。
軽めに流しつつ
その時だった。
『……!』
煌びやかな芝の漣の中を走る、一人のウマ娘を見た。それを見た時、私は午前中の目的を思い出したのだ。
アイツだ。私はアイツを探していたのだ。
真っ赤に燃える太陽に見守られて、飛び散る汗の宝石を振り払って、しなやかな豪脚を躍動させて、ちらちらと光を湛えた髪を靡かせて走る、あいつこそ、サイレンススズカだった。
胸がどきりと跳ねた。足が疼いて、口が歪むのを禁じ得なかった。顔の表面が熱くて、手に力が入って……
『……美しい』
そう、震えた声で、私は言わざるを得なかったのだ。
これが、あいつ――スズカとの出会いだった。
『……!』
『……』
____そして。
『あ、あぁ、見させてもらったよ、君の……』
『……えっと、その』
これが始まりだった。
『邪魔です…… その、どっか、どこかに行っててくれないですか……?』
『……』
あいつとの、それは長い関わり合いの。
『あぁ、えっと、すまない……』