浮世離れな逃亡者   作:スズカ推し

2 / 2
第一話:やっぱり怖い 1

 ____こんこんこん。

 そんな反響音が響き渡った玄関口は冷え切っていた。ひんやりとした空気の奥で、薄暗闇を耳が撫でる。

 

「……ん」

 

 一人の少女は、ベッドの上でもぞもぞと身を捩らせた。軋み音が静寂に染み渡った。

 白い無機質なカーテンのかけられた一つ窓の下の冷蔵庫、その両隣にタンス、少女がうつ伏せになってふすベッドの足側に置かれた勉強机に雑多な物置、緑色のカーペット。という部屋には、耳鳴りが起きそうな静けさが居座っている。

 彼女に煩わしい耳鳴りが起こっていないのは、枕元のタンスの上に置かれた丸い目覚まし時計が、乾いた音で時を刻んでいるからであった。

 ____こんこんこん。

 そんな心地よい静寂を打ち破る音が、再び玄関口から聞こえてきた。枕に顔を埋め、艶やかな栗毛を散らした少女は、静かに寝息を立て始めた。

 ____。

 しんと静まり返り、こち、こち、と時が刻まれる音だけになった。

 ____かしゃ、がちゃん。

 

「……」

 

 その時、枕の上に先を垂らしていた彼女の耳がピンと立った。

 そんな彼女の耳に矢継ぎ早に入ってきたのは、床を一定間隔で布生地が滑る音。

 彼女の細い五指が枕にのび、顔の下から引き抜いて耳を巻き込むように頭に被せ、ぎゅっと押さえつけた。

 まるで意味は無いが、せめてもの抵抗の証であった。

 そして、彼女は荒々しく開け放たれたのだろう扉の音を、枕越しにくぐもらせて聞いた。

 

「……!? わぶっ」

 

 さらに、強烈な外力に引っ張られ、頑なに押さえつけていた枕が指を滑り、それに引っ張られるように顔が浮き、ぼふ、とベッドの上に落ちた。

 

「……」

 

 重だるそうに顔を上げ、振り向くと、紫色のラインが横に二筋とフリルが先端についたスカートが見えた。

 ゆっくり顔を上げれば、そこにあったのは、冷徹に自らを見下ろす顔があった。

 赤いアイシャドウの入った目尻は引き攣ってるし、よく見えないが、きっと、あの先端が二股に分かれた耳は引き絞られているんだろうと、見上げた彼女はそう思った。

 

「おはようスズカ。今日はなんの日か知っているな?」

「……選抜レース」

「そうだ。……そして、私の記憶が正しければ、お前はマイル走のレースに出走登録していた筈だが」

「……」

「発走時間は午前9時50分から。……今、何時だ?」

「……」

 

 ピリついた空気を醸す声色に晒され、なお眠たげな翡翠色の瞳は、タンスの上の目覚まし時計に向けられる。

 目覚まし時計の長針と短針は丁度9時を指し示して、こちこちと音を鳴らし続けていた。

 

「申開きは?」

「……ない、です」

「ならさっさと準備をしろ、たわけが……」

 

 もぞもぞと布団から這い出、タンスの上にあった緑色のメンコ二つを手に、猫背で洗面所まで歩いていく少女――サイレンススズカの気の抜けた後ろ姿を見送った彼女――エアグルーヴは、皺のよった眉間を揉みほぐしながらため息をついた。

 ____いくばくもしないうちに、玄関口の隣にある扉の奥からびちゃびちゃと洗面台を弾む音が聞こえてくる。

 サイレンススズカが這い出たままの布団に手をやったエアグルーヴは、手に感じる温もりを無視し、すっと持ち上げた。

 

(……大体一ヶ月か)

 

 パシャパシャと水流が遮られるような音が混ざるのを耳に入れながら、弛んだ布団を二つ折りにしたエアグルーヴは、ふと、サイレンススズカとの出会いを思い出した。

 夕陽に沈む芝を駆ける一匹のウマ娘。朱色に染まり、影を落としながら夢中になって走るその姿はいっそ優美で、まさしく昨日のように思い出せた____

 

(ようやく時間が取れた…… ここしばらく花壇の世話ができてなかったから……?)

 

 ____一ヶ月前のことである。その日はよく風が吹いていて、グレーのワンレングスボブカットを靡かせながら、エアグルーヴはトレセン学園校舎の正面玄関前の広場を歩いていた。

 昼休みにつき、ぐるりと通路の屋根で囲われた広場の真ん中で、水瓶からとうとうと煌めく水を落とす三女神像の噴水周辺はウマ娘で賑わっていて、広場の片隅にある大樹のウロや青々と茂った芝生、ベンチには少女の声がこだましていた。

 そんな中、ふと、エアグルーヴの切れ長な瞳は、広場の端っこに弱々しく生える木の根に寄りかかった、見覚えのある明るい栗毛を見たのである。

 

(サイレンススズカ……? 食堂に行かずに……)

 

 彼女――サイレンススズカは、まるで周囲から切り離されたかのような雰囲気で座り込み、購買で買ったのだろうコッペパンを齧っていた。翡翠色の瞳は少し先の地面を見つめ、緑色のメンコに包まれた耳はしきりに動いていた。

 

(……元々、一人が好きな奴なのかもな)

 

 その時、エアグルーヴは特別な感情を抱くこともなく、踵を返して目的地への道を急いだのだった。

 しかし、それが2()()()続けばどうだろうか。

 

(……)

 

 花壇の整備はもちろん、生徒会副会長として校内の巡回や生徒の困りごとなどの解決で奔走している彼女は、昼休み近くになると毎日のように広場を往来していた。

 すると、やはり活気から切り離された位置にサイレンススズカの姿を見つけるのである。天候がぐずついて人がまばらになっていても、彼女はそこにいたのである。

 

(アイツ、ここに馴染めているんだろうな……?)

 

 入学して二、三週間は経てば友達の一人もできて、昼食を共にすることぐらい普通なのでは、しかし、食事は一人で済ませたいと考える者もいるし……

 と、それが、サイレンススズカに対してエアグルーヴが強く興味を持った二度目の瞬間であった。

 疑問に思ったその日は丁度、高等部は三限で放課後、中等部は四限で放課後となっていた為、三限目が終わったのち、エアグルーヴは中等部の一教室へ向かうのだった。

 ちょうどその時間は歴史の授業で、どうやらグループワークで一単元の内容を生徒自らまとめ上げ、発表を行うという形式の授業中であった。

 

(……)

 

 少し教室に目をやるだけで、サイレンススズカの姿を発見するのは容易であった。

 窓際の端っこで、1グループ4人の構成であるはずが、三人が仲良く喋って手を動かす中、まるで透明な板でも張って隔絶されたかのように、俯いてのんびり手を動かす栗毛の少女を見て、エアグルーヴの不安は増大の一途であった。

 

(……やっぱり、馴染めてない?)

 

 と、しばらく見ていると班員が彼女に話しかける場面もあったが、二、三言葉を交わすとすぐに元の均衡を取り戻していた。

 授業終わり、当たり前のように一番乗りで教室を飛び出して行ったサイレンススズカを見送ったエアグルーヴは、彼女とグループワークを行っていたウマ娘達に声をかけた。質問する事柄は当然、授業中ほとんど話し合いに参加していなかった彼女のことである。

 すると、ウマ娘達は皆一様に微妙そうな顔を浮かべた。

 

『なんというか…… 全然よくわかんないんですよね、サイレンススズカ…… いつも静かにぼーっとしてるだけですよ?』

『話しかけても相槌とちょっと返事するだけだしねえ』

『授業中とか、彼女窓の近くだからずっと外眺めてて、良く怒られてるよねえ』

 

 それを聞いて、エアグルーヴは次に職員室を訪ねた。自分の中ににわかに湧き上がった疑問を解消する為である。

 

『彼女かね? ……うーん、少々協調性に難あり、かねえ。授業についても、妨害するような子ではないが、そもそも授業に参加しようとする意思が無いね。注意しても聞かないし…… 入学早々困った生徒だよ』

 

 中等部を受け持つ先生方からの評価は概ね一致していた。

 ただ一人、

 

『サイレンススズカ? 相当優秀ですよ。スピードについては特筆すべきものがあるし、最近始めた、二人のウマ娘の間を割って追い抜くトレーニングも1発で決めて。……控えめすぎる点は分かりますが、黙々と練習を積むことができる良い子なのでは?』

 

 レースに関する実践学習を受け持つ教官を除いて。

 ____話を聞き回っているうちに、エアグルーヴの中でサイレンススズカへの評価が変容していく。性格的にも立場的にも様々なウマ娘と関わることの多い彼女は、件の彼女のような存在に心当たりがあった。

 

(圧倒的に自分がしたいことだけをする……か。我が強すぎて孤立しているのか……?)

 

 エアグルーヴはその日のうちに問題児(サイレンススズカ)の本心を確認することに決めたのだった。それと、少しの小言を付け加える為にも、である。

 一先ず、生徒会での仕事も残っているしトレーニングもあるしなので、それらを片付けて栗東寮へ帰寮後に話をつけようと決めたエアグルーヴであったが……

 

『……え? ()()()()()()()()()……?』

 

 彼女の部屋を訪ねても音沙汰なし、入れ違いになったのかと寮中歩き回って聞き回ってもまるで当たり無し。門限の19時を超えて尚見つからず、寮長を訪ねてみて発覚する衝撃の事実。

 互いに部屋着姿の寮長とエアグルーヴが二人並んで立ち尽くしていた玄関の壁にかけられた時計は、20時30分程を指し示していた。

 

『アイツ…… 何かに巻き込まれたんじゃ? 先生に____』

『あー、うーん……』

 

 エアグルーヴの心配をよそに、寮長は歯切れの悪そうな表情を浮かべた。

 

『彼女、()()()()()()()……』

『……』

 

 その瞬間であった。顔を見合わせていた二人は、ガンガンと硬い悲鳴を聞いた。

 振り向いた先にあったのはガラス張りの扉で、鏡面に唖然とした自分が映る奥に居たのは、話題の渦中にあった栗毛のウマ娘。よほど走ったのか、彼女はいつになく気色の良い表情をしているように見えた。

 そして、小言が説教に変わったのは言うまでもなかった。

 

(____……)

 

 ふと、両手に重みがあることを思い出したエアグルーヴは、小さく生ぬるい息を吐き出して、二つ折りの布団をさらに折ってベッドの上に乗せた。

 と、その時。彼女の耳にドアノブが捻られる音が聞こえた。

 振り向けば、そこには不服そうな何も考えていなさそうな表情をした問題児がいて、薄い胸元を濡らした寝巻き姿でのそのそとベッドまで戻ってきた。

 

「そら、さっさと着替えんか。……朝食を取る時間はあるのか? せめて30分でもアップができたら……」

 

 手で払うようにしてサイレンススズカを促したエアグルーヴであったが____

 

「……あの」

「ボサボサしない! 全く…… お前がマイペースの権化なのはわかってたがここまでとはな! 出走登録したのだから体調不良でもない限り出走前提で用意しておけと____」

「……」

 

 ベッドの傍にあるタンスの一番上を引き、すでに着慣れた赤と白の体操服を引っ張り出したサイレンススズカは、口の中まで出てきていた言葉を反芻した。

 

(……なんで、私に構ってくるんだろう)

 

 止まらない小言が突き刺さる度、サイレンススズカはそう思った。エアグルーヴのことを悪く言うつもりは無く、ただ純粋に疑問であった。

 

『門限は守れ! ウマ娘といえども犯罪に巻き込まれるかも____』

『宿題ぐらいやったら終わるんだからサボるな! 後で走る時間が減るだけだぞ!』

『お前…… こんなことを言うのはあれだが、少しは自分を出せるようになった方がいい____』

 

(……私は)

 

 こんなエアグルーヴに対して、どう思っているんだろうか。

 ふと、そんなことを思いついてしまったサイレンススズカは、慌てて被りを振って考えるのをやめるのだった。

 無意識に握られた手が、体操服の白い布地に深い皺を寄せていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。