「空は水に。金貨を空に仕舞うのは、生まれたての我ら」

 ……幼いころ、そんな唄の断片を聴いた気がする。

 灰色で覆われかけた世界。
 還すべき金貨を手にした男は、コーラルの草原で一人の少女と出会う。
 

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空は水。仕舞うは金貨。

 

「空は水に。金貨を空に仕舞うのは、生まれたての我ら」

 

 ……幼いころ、そんな唄の断片を聴いた気がする。

 

 ◇

 

 曇天が空を覆っていた。灰色のカーテンを背景に、森や海は生命の胎動を感じさせないほど静寂。五感や季節、西暦の概念は死んで、あるべき風の音は乾ききっていて、あらゆる熱源が寝静まっていた。それは、時が止まるよりも、残酷な世界である。

 無味乾燥のモノクローム。

 それがここ数年間の日常であった――。

 

 とっくの昔に機能のほとんどを失った道を、これもとっくの昔に開発された旧型の自動二輪車で無理矢理走ること六十五日と八時間と少し。

 倉庫から引っ張り出したオンボロの駆動音を音楽に、朽ちて、朽ちきってしまった道をなんとか越えて、木々が覆う長い林道をなんとか走り抜けた先。私はようやく、目的の()()()()場所へとたどり着いた。

 

 そこは、文明の残骸が朽ち果て、乱立していた。崩れ落ちて横たわる超高層ビル。大きくひび割れた何かは様々な人々が暮らしていた証拠。人類の痕跡であるアスファルトやコンクリートはほとんど草木に覆われて見えず、残っているのは少しばかりの輪郭だけ。人が希望を託して運営していたコロニーは泡沫の夢の後は、このような形をしているのかもしれない。

 私は腰のベルトに括り付けた小箱を触る。

 片手で収まる程度の小さな金属の箱。

 私の目的。そのものであり、原動力。そして罪。重く、重く、のしかかる。

 その重さや痛みを確認するため。たしかにそこにあるものであると、私は確かめるように小箱を撫でた。

 

 街の散策を開始して少し。

 街は()()()さびれていた。

 大地のほとんどはすでに固くたくましい土と入れ替わっている。それを覆うように展開された草木。多少の群落であれば、そのまま通りすぎたものであったが、問題はその規模(スケール)。木の根が走る地面。その根の大きさは幅だけでも、優に人一人分を越えている。その根の主人である木々の高さも尋常ではない。おそらく、平均的な身長の私が二十人分はあろう程の大きさだ。幹も太く、真正面で対面すれば壁のようだ。

 さらに、これらの大木の隙間を縫うように、あたり一面には伸び放題となった低木が浸食している。

 それがあたり一面、視界の向こう側にも広がっている。

 まるで巨人の森だな、なんてことを考える。

 それは、ここに至るまでに通過してきた街とは違った風景だった。

 街に文明の灯が消えているのは共通している。しかし、ほかの街は無機質で弱々しく鼓動しているだけだ。

 ――ヒトの気配は皆無。

 私は、ためしに手元の計器で酸素濃度を測る。

 数値を確認すると、それは人間社会が運営されるには不便なほど高い酸素濃度を叩き出していた。

 はあ、と息を吐く。

 こころなしか、息苦しいように感じるのは気のせいか。

 

 ピピッ、と唐突に、強制力を持った甲高い電子音が、あたり一面に鳴り響く。

 二輪車のバッテリー残量を確認すると、予備電量まで含めてカラの表示になっていた。補助機能も切れてしまえば、こんなものはただの重たい荷物でしかない。

 私は、比較的、草木の浸食の少ない建物の残骸に機体を立てかけて、食糧や水などの生命活動に必要なものや、探査用の機材、非常時の拘束装置などの荷物を取り出す。

 曇天続きのこの空では、ソーラーシステムによるエネルギー充填には数か月単位の時間が必要になるだろう。

 そもそも、進路は植物によって凹凸が激しくなっており、車輪で進行することは不可能だ。

 ここからは長い歩みになるだろう。

 私は、この数か月間、世話になった機体に心の中で別れを告げ、森の中へと歩みを進めた。

 

 巨木群による通行止めを味わいながら、迂回を繰り返し、目的地へとひたすら向かう。

 進めば進むほど、木々の密度は深くなっていった。

 最初は、大雑把に乱立していた巨木たちも、次第に数を少なくしていき、かわりに細かな木々が目立つようになっていた。

 それは次第に密度を増していった。壁のように立ちはだかる草木を時にはなぎ倒して、なんとか先に進み続ける。

 気が付けば、私は、人間がすっぽりと収まるぐらいに形成された木々のトンネルを、歩んでいた。不思議なことに、これらの木々は半ばで折れ曲がるように形成されている。木の頂点に位置するであろうものは地面に刺さっていて、それらが交互にクロスするようにトンネルを形作っていた。それは、何か作為的な、既存の法則とは別のものが働いているように感じられる。

 その様子はまるで、私を歓迎するようであった。

 それに、私は一抹の不安を感じながらも、歩みを進める。

                                                             

 息は常に切れていて、汗はとめどなく流れていた。

 トンネルを歩み、気が付けば食糧は尽きて数日は経っている。

 視界は点滅を繰り返していて、どれほどの距離を歩いてきたか分からなくなってきたころ。足の筋肉は、セメントのように固まり、節々をつなぐ関節は、油の抜けたブリキの玩具のようであった。

 幾星霜にも感じる時間を歩くことに費やして、しばらく。

 

「……あ、ああ」

 

 ()()は見えてきた。

 灰色の世界の中に、差し込む光。モノクロームな木々のトンネルの向こう側。

 ザリザリ、と足元の土を蹴るように進む。

 疲れなんて忘れ、壊れかけの身体には、早すぎるぐらいに足を駆動させた。激痛が身体中を巡る。声にならない悲鳴を上げながら、痛みをバネに足を速めた。止まってしまえば、もう動けなくなってしまうような気がし、必死に動かす。

 息を吐いて吸うのも忘れて、トンネルの先の光の奔流へと走り抜けた。

 

「――、――――」

 

 ――声は出なかった。

 

 質感からして、そこは違った。

 まず、()があった。

 モノクロームではない、青のグラデーションで飾られたコーラルカラー。

 学習ログでは見たことのない色彩。

 地面は土ではなく、何か軽くて固いなにか。それが石灰質で形成されているものだと気がつくのに、時間はかからなかった。

 

「ああ」

 

 息を吸う。

 何よりも、空気が苦しくなかった。

 平坦な地形の、あたり一面に広がる水色。

 それは炭酸カルシウムで構成された未知の植物群。珊瑚に似たそれは、草原のように広がっていた。

 全体を見渡すと、まばらに植物(はいいろ)の浸食は見られる。しかし、その全て全てが高い純度を保っていて、浸食に抗っているように感じられた。

 その強さは、まるで、生命の海そのもの。

 空は相変わらずの曇り空で、色がないことに変わりなかったが、それを塗りつぶしかねないほどのエネルギーがここにはあった。

 軽くなった体の負荷にかまけ、私はあたりの散策を開始することにした。

 ……この時の私はどうかしていた。目の前に広がる未知に、責任感よりも好奇心が勝ったのだから。

 

「――あれは」

 

 しばらく歩き回ると、平坦な地形に一つの変化が見られた。

 それは、ポツリと控えめに主張する小高い丘であった。

 私は、丘に目的を定めて、躊躇なく歩みを進める。

 なにか、あそこには答えがあるように感じたからだ。

 確信に近い感覚を鎮めるために、小箱に触れる。金属の固さが、この世界における私の異物感を実感させた。

 

 丘を登っていくことしばらく。

 頂上近くに着いた私が目にしたのは、不自然なほどに開けた場所だった。

 それなりの広さで展開されたこの場所は、まるで広場のようであった。

 まばらに配置された白い石灰岩は椅子や机のように見え、水色の珊瑚たちも邪魔なものは刈り取られていて、通りやすいように整備されていて、不格好な道であるように思えた。

 今までになかったヒトの痕跡。それが多く散らばっていた

 

 ――いや、ヒトが実際にいるのだ。

 

 慎重に歩みを進めながら、あたりを見て回る。

 この広場。手入れがほどこされているように感じられた。だが、どこか甘さが見受けられるのも事実であった。まるで、それらの概念(ノウハウ)を親から継承しなかったかのような未熟さ――。

 

「――ねえ、なにをしているの?」

 

 ――ありえない存在の声に、思わず振り返る。

 

 そこには少女が立っていた。

 純真そうな琥珀(アンバー)の瞳。不器用ながら整えられているのが見受けられる白金(プラチナ)の髪。華奢そうに見える身体は、ここまでの道中にはなかった生命的なエネルギーに溢れていた。

 少女は珍しいものを見た興奮を隠せない様子で、再び私に問いかけてきた。

「――ねえ、なにをしているの?」

私は驚きを隠せないまま答える。

「……空を探しに来たのだ」

「空?」

 少女は首をかしげる。まるで、初めて()を知ったかのような素振り。不思議なもの見る目で、ゆっくりと私の元に歩み寄る。

「それはなに?」

 どこか期待する目。全くの混じりっけのない純真な無知。

 しばらく、見ることのなかったものに、私は気圧されるように後ずさった。

 その私の様子に、特に不快感を示すこともなく、ただただ珍しさと興味の混じった笑顔で、私を追うように近づく。

「ねえ」

 少女がじりじりと近づく。

 私はそれに等間隔に間合いを保ちながら、後退る。

 それを何度か繰り返して。

 トン、と背中にざらざらと硬いものがぶつかる感触。

 気が付けば、私は巨石の岩肌に追い詰められていた。

「ねえってば」

 視界に広がる少女の満面の笑み。その人間らしさに、どこか懐かしさを覚えるが、どこか私たちとは違うもの。

 くらり、

 私は全身から力が抜けていくのを感じながら、なんとか答える。 

「それは、――分からない」

 

 私の絞り出した答えは、ひどく抽象的で、とてもつまらないものであった。

 

 ◇

 

 ――そのヒトは、不思議な存在だった。

 

 気がつくと、少女は珊瑚の草原に立っていました。

 誰かに捨てられたとか、記憶を消されたとか、そんなありきたりなものではなく、ただ、ポツリとそこに発生したのです。

 青いコーラルが無数に広がる海。 

 それを侵食しようとする灰色。

 他には何もない。

 最初のちょっとした時間は、なんとなくで過ごしてきました。

 あちこちを自由気ままに歩いてみたり。

 なんとなく岩を掘り起こしてみたり。

 青くしげる草木(サンゴ)であれこれ結ってみたり。気が付けばたくさんの時間が過ぎたかもしれないし、それほど経っていないかもしれない。曖昧な時間をフワフワと過ごしました。

 

 ある時、その日常に変化が訪れました。

 それは少女が気まぐれに作った空間でゆったりと過ごしていた時のことです。

 

「炭酸カルシウムの大地か。死んだ珊瑚のはずだが、まるで生きている。この青い植物によるものか?」

 

 その言葉の発生源は、少女と同じ形をしたものでした。

 それがあちこちを歩き回りながら、少女が作ったものをあれこれと寸評し始めます。

 

「待ってくれ。この不安定な空間は何だ? まるで幼児のそれだ。これは椅子か? ありえない。普通、テーブルとはこんなにも離れていないものだろう」

 

 少女は、褒められてないな、と直感で理解しました。ですが、それを上回る好奇心が心のうちに生まれました。

 なので、少女は真似しました。

 あの自分の似た形のなにかと。

 まず、声を出せるように、のどに声帯を。

 言語をなんとなくの推定で考えます。

 そして、()()()()()

 

「――ねえ、なにをしているの?」

 

 心からの言葉を込めて。

 その自分と似た形に近づきます。

 ですが、それは逃げるように少女から後ずさりました。

「なにをしているの?」

 彼女は追求します。

 だって知りたかったから。

 彼女は迫ります。

 感情の機微なんて分からないから。

 そんなことを何回か繰り返して。

 少女が気まぐれに置いた岩が壁となり、ささいな追いかけっこは終わりました。

 再び問いかけました。

「ねえってば」

 彼女の追求に絞り出すように答えました。

「それは、分からない」

 ……そう言って、動かなくなりました。

「あれ?」

 少しの静寂が場を支配した後。少女が不安、という感情を覚え始めて来たころ。

 すうすう、と呑気そうな音を聞こえ始めました。

 安堵という気持ちを覚え、彼女は座り込みます。

 少女は、やることもないので、横たわるそれをじっと眺めることにしました。

 

 ◇

 

 飽きることなく眺め続けて、しばらく。

 ()()は目を覚ましました。

 

「キミも私と同じヒトなら、もう少し助けてくれたっていいんじゃないか」

 

 少女はそこで、()()や自分のような形をしたものが()()と言うのを知りました。

 それからといもの、そのヒトは少女が作った空間で活動を始めました。

 まず、そのヒトは()を作りました。

 あれこれと四角い箱や丸い箱をたくさん置いて、その上に水色の枝を器用に組んで屋根を組みます。少女が置いた青白い岩は椅子やテーブルにされました。曰く、元からそういう用途だったのだから別に良いだろう。宝の持ち腐れよりはマシなはずだ。

 少し傲慢な気がしましたが、少女はその寛大な心で許しました。

 形作られた空間が、彼女にとって心地よいものであったのも確かであったからです。

 そうこうして、そのヒトは彼女の作った空間に居座ることとなりました。

 

「キミのその行動はあまりにも粗末すぎる。淑女としてなっていない」

 

 ある日のことです。少女とそのヒトが一緒に暮らすようになって、少しして。

 少女はそのヒトの()()を好奇心から邪魔しました。彼女にとって睡眠は不要な行為で、心底理解できなかったからです。

 少し辛辣すぎる言葉で少女の行動をたしなめた後、そのヒトは彼女に名前を付けました。

 名前を付ければ、こちらのことも理解できるようになるだろう、という意図のもとでした。

 アルファ、それが少女に与えられた名前です。

 そこで初めて、彼女は自分たちのように実体があって、それぞれに個性があるものには、名前というものがあるということを知りました。

 そして、無性にうれしくなりました。なにかを与えられるのは初めての経験でした。頭からつま先までは理解できなくても、アルファという名前はうれしかったのです。たとえ、その言葉に、どんな意味が込められていようとも――。

 その名づけという行為が特別な意味を持っていて、今度からは相手の気持ちも理解しようという心が彼女に芽生えました。とても大事なことだと分かったから。

 少しして、喜びの余韻がまだ噛みしめるほど残っている中、少女は尋ねます。

 あなたはなんて名前なの、と。

 そのヒトは答えました。

 

 カソウシキテンコタイジュンガタコードエイト――。

 

 少女は理解が追いつきませんでした。

 それは無理もありません。そもそも言葉というものを無理矢理覚えたようなもの。習得してから、ちょっとの時間しか経っていないことも関係していました。それに名前が長すぎます。

 そのヒトは、うんうんと苦戦する彼女の頭をなでながら、面倒くさそうに言いました。

 エイト、で良いと。

 

 彼女とエイトの生活は順調に回っていました。

 少女にとっては、興味や好奇心を引き立てる刺激、それらが少女を変えていくことの多い生活の中。

 エイトは変わることなく『空』というものを探していました。

 ある時は、棒を持って地面を叩いて回り。

 ある時は、丸い箱を足で蹴飛ばしながら、四角い箱を見続けて。

 ある時は、木の根がはっていない青い壁をひたすら掘ってみたり。

 よく分からないモノを、よく分からないコトに使っていました。

 後から分かったことですが、それらの名前をキカイと呼ぶそうです。

 とにかく、エイトは色々なものを調べて回りました。それは、彼女が飽きてくるぐらいに長い時間をかけてのことでした。

 ある日、彼女は尋ねました。

「それってどこにあるの?」

「なんのことだ」

 もちろん、空の場所、と答えます。

「それは向こう側に」 

 エイトは上を指さします。

 それを目で追うと、広がっているのは灰色。

 少女はなんとなく知っていました。エイトはあれから逃げてきたことを。あれを変えたくてこちらに来たことを。

「うそつき」

 それに彼女にはわかっていました。

 あんな高いところに行くには、そこら辺の岩を積み上げたほうが効率的であることを。エイトがしているのは、真逆のそれらを削る行為であることを。

「本当のこと、教えてよ」

 少女は口をすぼめます。

「……水の空だ」

 少し悩む仕草を見せた後、エイトは答えました。 

「ミズノソラ? それって何なの」

「私も見たことがない。だから探しているのだ」

 エイトは誤魔化すように、少女の頭を撫でます。

 彼女は不満でした。水とはなにか。空とはなにか。結局、なんのことか分からずじまい。でも、ごつごつとした手で撫でられるのが気持ちよかったので、そのことはすっかり忘れてしまいました。

 

 しばらくの時が過ぎて。

 いつの間にか、少女が気まぐれで作った空間は、元の形を思い出せないほど素敵で豪華となりました。

 ほとんどは、エイトにとって必要なもので占められていましたが、それでも、誰かと何かを形作っていくのは初めての経験。ほんのり動きにくくなるぐらいで、アルファは未知の感情で満たされました。

 とても気持ちが良い、というのはたしかなことです。

 しかし、名前が分からないというのは、とてもモヤモヤするもの。

 なので、分からないことはエイトに聞くのが一番。

 ちょうど食事をとっているので静かに近寄ります。

 普通に聞くのではつまらない。ついでに驚かせてやろうという魂胆。そう、少女はつねに成長しているのです。

 今度こそは上手くやってやる――。

 そんな気概を抱えながら、背中側から、ゆっくりと静かに、そろりそろりと近寄ります。

 ――そこで気がつきました。

 エイトがなにか、鈍い色の小さな四角いモノを持っていることに。それはエイトが使っているタベモノを集めたり、空を探したりするためのキカイに似ていました。

 知らないものが多い少女から見ても、それは何かを入れているものだと、分かります。

 驚かすことなんて忘れ、彼女は後ろから尋ねました。

 

「それはなに?」

 

 エイトは振り返ります。

 その顔はどこか疲れているようにも、悲しそうにも、なにかを覚悟したようにも見えました。

「……これは、」

「箱?」

「金貨、だ」

 いつもよりも感情のない声で答えました。どこか押し殺しているような声です。

「それはとても大事なものなの?」

「どうして」

「だって、そんなに小さいのに、両手で持っているから」

 そうです。

 アルファの小さな手でも、簡単に持てそうな大きさのそれを、エイトは大事そうに抱えるように持っていたのです。

 エイトは珍しく驚いたような表情をすると、少女に教えました。

 金貨とは、私たちにとって、とても価値のあるものだ、と。

「それは、空を探すことと関係があるのね」

 直感でした。

「これを空に返すのが、私の役得なのだ」

 そう言って、青い草原を眺めました。

 二人の間に静かな時間が流れます。アルファにとって、嫌な静けさでした。

 どれぐらいの時間が流れたか分からなくなってきたころ。

 ポツリ、とエイトは虚空に呟くように、その物語を聞かせてくれました。

 

 ◇

 

 草原の向こう側の景色が灰色ではない時代。

 エイトみたいなヒトたちが、生まれたてのころの話です。

 あるところにカミサマがいました。

 彼には、この星を栄えさせるお仕事がありました。そのためには、ある種族が必要です。それは知性あるもの。知性による認識があることで、この世界(ほし)は回る仕組みでした。でなければ、カミサマの嫌いな、終わりのみが支配する星になってしまいます。

 ですが、そのための種族を造るのには、長い時間が必要でした。星を回すのに理想的な能力を持っていることが条件であるがゆえの、どうしようもないものでした。

 なので、この星のとりあえずの維持と発展を任せるために、一つの種族(にんげん)にチカラを与えました。

 本番前の練習に、と造られたか弱い種族です。なにかを傷つけなければ存在できない生き物。そのくせ、弱い。どうしようもありません。

 カミサマは、これではすぐに死んでしまうと思いました。

 ――なので、十枚の金貨を貸し与えました。

 それは、ない能力を無理に引き出すためのもの。

 そのチカラは絶大でした。

 あらゆる閃きが、彼らの脳裏を駆け抜けます。

 ……あっという間に、星に色が付きました。そう。元気になったのです。

 人間は謳歌します。

 その自我を。その文明を。その闘争を。

 カミサマは危惧しました。

 彼らが本来の役目を忘れてしまうのでは、と。

 そう。人間の本来の役割は、カミサマが本命を造り終えるまでの()()()

 時期が来たら、ちからの源である金貨を返さなければなりません。

 なので、忘れないようにするために、唄を残しました。

 そして、こうも言いました。

 

 “この唄を終わりまで伝え続けなさい。でなければ、この星は死んでしまうよ――”

 

 それは人間が栄えた秘密。

 本来の役割。

 ぶかっこうな、始まりの物語です。

 

 ◇

 

 物語の読み聞かせを終えた後のエイトは元気がないようでした。

 アルファはエイトの頭に手を乗せ、撫でてあげます。

 こうすれば彼女と同じように元気になると思ったからでした。

 しかし、その様子は変わることはありません。

 撫で続けるのに疲れた少女は、足の間に座ります。

 一向に元気にならないエイトに、彼女の方の元気がなくなってしいました。組まれた足の間は、お気に入りの位置。そこに座ることが、彼女が元気になるための方法の一つでした。

 エイトの体にゆったりと背を預けること、しばらく。

 ようやく、エイトは顔をあげました。

 いつもより少し乱暴ですが、優しさの混じった手つきで彼女を撫で始めました。

 しぼんでいた気持ちが一気に膨れ上がります。

「どうしたの? 元気になった?」

 エイトは答えようとしません。

 いつもよりも、無口になってしまいましたが、撫でることはやめません。

 それが、なんだかおかしくて、アルファは笑いました。

 アルファが笑っている間も、ぐりぐりと撫でる手を止めませんでした。それが一層おかしくて、彼女の笑い声は増していくばかり。ようやく笑いが治まり始めたころ。

 エイトは、少女に決してバレないように微笑みながら、それを口ずさみます。

 

 ――それは、そのほとんどが失われてしまった、古くて短い唄でした。

 

 ある日のこと。

 少女が家の中で、いつものように気まぐれを起こしていた時のことです。

 少し遠くに出かけていたエイトが帰ってきました。

 アルファは首をかしげます。

 いつもと違う様子が不思議だったからです。

 またなにか、新しいことを教えてくれるのかと、期待をめぐらせますが、エイトの顔はよく見えません。

 流れるのは緊迫した空気。緊張感で、心が張り詰めそうです。

 エイトは真っすぐと、アルファの顔を見つめました。

 

「――空を見つけた」

 

 それは、この暮らしに終わりを告げる言葉でした。。

 

 ◇

 

 ――その少女は不思議な存在だった。

 

 私、という個体が活動を始めて十数年。優秀な遺伝子を混ぜ合わせたデザインベビーシステムが採用されて、数百年。

 人類はその社会を停止しようとしていた。

 ……なんというか、人類(わたしたち)は疲れていたのだ。

 もういいや、という感じで。

 ある日、唐突にあらゆるものに対する情熱を失った。

 これまで、いやというほど続けていた戦争は緩やかに消失していき、富めていた文明は今までの蓄積をすべて捨ててしまった。それが嫌だと叫んだ一部の少数派は、地球に別れを告げて、宙(そら)の向こうへと旅立った。

 もとより、私たちはつなぎのような存在である。

 バトンタッチはもっと早くされるべきだったのだ。

 いたずらに時間を消費したことで、訪れたのは無味乾燥の風景。

 もしかしたら、そこでは、なにかが栄えていたかもしれない世界。それを認識できなくなった。

 そんななか、私は作られたモノであった。

 生物学的には間違いなく人間。しかし、その人生は人類に奉仕するためのものという定義。ご丁寧に、仮想式典個体純型コード:エイトなんて長い名前まで付けて、だ。

 “とにかく人類を長持ちさせるように。”

 そんな漠然とした言葉が、私に与えられた命題だった。

 そういった命令を受けた同一の個体が何体もいて。それぞれに少しの個体差はあれども全員がそのために手を尽くした。

 それぞれの思いつくままに、延命措置を図った。ある時は、斬新な精神的娯楽を。ある時は、革新的な肉体の蘇生処置を。

 何とか人類、という存在をその場にとどめようと必死だった。

 私以外は。

 私は同期に比べて、サボり屋の個性を持っていたらしい。

 彼らが主人にあらゆる刺激を与えている中、マニュアルに沿った行為のみで済ましていた。気が付けば、同期の中で最も多く命の終わりを見届けた個体、という不名誉な称号を得ていた。だからと言って、罰せられることもなく。それは、それを実行する人間がいない、というそもそもの問題からだった。

 それから少しして、私に関心を持つ個体や人間がほとんど消えたので。

 私は、少しのことだろう、と飼い主たちをほったらかしにして寝ることにした。

 いまや持ち主のいない睡眠用の装置で長期間タイマーを適当に設定した。時間など無限にある、と高を括っていたのだ。

 ――目が覚めた時には、全てが終わっていた。

 どうやら眠りすぎたようだった。

 起きたころには、同期も人間も全て死んでしまっていた。理由は分からない。なにかガスや薬品が漏れたのかもしれないし、活動期限が来てしまったのかもしれない。

 空虚でさびれていくだけの巨大コロニー。人類最後の希望であった街は、私という一つの光だけを残して、終焉へと向かおうとしている。

 私はそんな状況で、ポツリ、とただ一人で生かされていた。

 

 暇つぶし程度に、ありふれた娯楽などに触れてみたものの、熱意を持つ前に飽きることがほとんどだった。気が付けば、機能が残っているものは一通り試した後であった。

 やることもなくなったので、とにかく時間をつぶせる規模のものを求めていた私は、知識の収集にあたることにした。これ以上の更新は見込めないものだが、西暦にして三千年相当の蓄積がある。消費するにしきれない量だった。

 そうして過ごすことで、数年の歳月が経った。

 サボり癖があり、前科のある私だが、この行為だけは休む暇を惜しんで続けられた。

 学問に始まり、様々な視点を持ったカルチャー。歴史は、物語の様相を呈していながら、それは確かな現実で、今に繋がっている事実である。それらは私の心を楽しませるのに十分だった。

 そして、ある日、ざらざらとした質感の古い機械音声のアーカイブを漁っていた時のこと、偶然、金貨の唄を耳にした。

 ほかの知識に比べて、あまりにも異質な情報であるそれに、私はたちまち心惹かれた。それもそうだ。伝承や神話にカテゴライズされるはずのそれは、どこかの大きな政府の大統領やら宇宙開発の発表やらをまとめたフォルダに混じっていたのだから。

 その日から、私は金貨に関する調査を開始した。

 

 意外なことに、その調べものはすぐに終った。

 分かったことは、三つ。

 返還場所は、ここからかなり離れた距離の大陸にあること。

 与えられた十枚の金貨のうち、九枚はとっくの昔に返還されていたこと。

 残りの金貨は、私の住んでいるコロニーにあることだった。それも、そまつな小箱に入って、食糧用倉庫の隣の部屋に、忘れ物のように置かれていた。

 それがなぜ返されていなかったのかは、分からない。

 まだこの星の支配者でいたかったが故の惜しみかもしれない。ただ単純に長い時間をかけすぎたが故の、忘却だったのかもしれない。

 全くの葛藤もなく、この金貨を返すのは、私の役目であることを理解した。

 人類から見たら、私はとんだ裏切り者だろう。

 私たちが栄えていた証拠をまっさらにして、新しいものに受け渡すのだ。

 そんなことをする必要はない、と言われるかもしれない。

 たしかに、好きになったモノを捨てることに、少しばかりの抵抗はあったが。

 それでも、こればかりは譲れなかった。

 だって、自分以上に好きだったのだから。ログでしか見たことがなかったけれど、このカラフルに栄える星が。そこで謳歌した生き物の物語が。

 だからこそ、すべてを完結させよう。

 それが、私がこの青い土地に来た理由であった。

 

 ◇

 

 青白い珊瑚でできた洞窟を進む。

 洞窟の中は、人が何人も並んで入れるほどに大規模なものだった。ゴツゴツとした岩肌が無数に広がる空間は、ほのかな水気に満ちていて、奥に歩みを進めれば進めるほど、その湿り気は増していく。

 

 この土地に来てから六ヶ月に及ぶ時間が過ぎた。

 機材の多くが、機能を停止していく中、私はついに空があると思われる洞窟を見つけた。

 考えてみると、長い時間を過ごしたと思う。機材のほとんどは、その機能を失っていき、私の中では、焦りが生じていた。

 一人であったのなら、きっと気が狂っていただろう。

 

 アルファ――。

 

 呼称のなかった友好的知生体。ただ一人しかいなかった新しいヒト。

 私はその一号、という意味でその名前を付けた。

 何をするにも後ろを着いて来て。分からないことがあればすぐさま疑問を投げかけてくる。情動には素直に従い、それでいて賢い。

 まるで、雛鳥のようだな、と私は笑う。

 彼女の存在は、私の心の支えにいつしかなっていた。

 

 ふと、自問自答が口からこぼれ出る。

 

「同じカタチをしているからと言って、こちらの文明を押し付けるのは、おこがましいことではないだろうか」

 

 ヒトの形をしていながら、ヒトではないなにか。

 人間と表現するには生命力に満ち満ちていて、あまりにも神秘的すぎる。

 ケイ素と炭酸カルシウム、それに少しの炭素でできた新しい種族。

 ――海月(くらげ)のホネの姫。

 ふと、脳裏にそんな言葉がよぎる。

 人と似た別生物。人類が造ろうとしてたどり着くことのできなかった到達点のうちに一つ。ロマンチストのささいな夢。それが現実になったのがアルファだ。

 

 ゴールまで、あと半ばだろうか。歩みをよどみなく進める。

 

 私に性別はない。繁栄は不要と定義されたためだ。

 二重螺旋のプールは閉じていて、人工的な立ち入り禁止の状態。

 親子愛や家族愛、性愛などは生じないように調整されていたはず。繫殖に対する本能がなければ、他者を愛することができないはずだ。

 だが、そんな私が彼女に抱いている感情はなんなのだろう。

 最初に会った時から、気が付いていた。彼女がこの星の本来の主に連なる者だと。

 私とアルファでは、きっと適用される世界の法則が違う。今は、どちらともとれない不完全な世界だからこそ、私たち二人は共存できている。

 しかし、世界が移り変わった時、私の存在そのものが、アルファにとっての毒となるだろう。

 そんな私が彼女の目の前にい続けたら、どうなる。

 きっと、世界の異物と認識される。彼女の頭に残すのは、データのコリジョン。アルファの脳を蝕み、命を削ってしまう可能性が高い。

 ……きっと、それはよくないことだ。

 

 出口が見えてきた。ほどけそうなほど震えている足に、力を入れる。

 

 誰を幸せにするべきか。なにをしにここに来たのか。

 やることは簡単だ。

 死や別れの恐怖は乗り越えているつもりでいる。

 そう。こちらは、とっくに覚悟を決めているはずだ。

 私は、踏み抜くように洞窟を抜けた。

 

 青い乳白色の洞窟を抜けた先にあるもの。

 それは、湖だった。

 がらんとした炭酸カルシウムの大きな空洞。

 その天井近くに張るように展開された大きな水面。

 チャプチャプ、と雨だれのように水がしたたり落ちてくる。

「――、ああ」

 声が漏れる。

 ひんやり、とこちらの肌を包み込む生命力。

 こちらへ、と誘われた気がして、私は空間の中央へと歩み寄る。

 葛藤はなかった。後悔もない。ただ、胸をチクリと刺す感情はあったけれども、それでも進むしかない。

 水の空を見据えて、小箱を開けた。

 ゆっくりと金貨が浮かび上がる。ひどく、緩慢な動き。

 それは砂時計のように、こちらに弁明の時間を残しているようにも、感じられた。

 ――だから。

 金貨が、ひらひらと水面に吸われていくなか。

 私は宣誓のように告げた。

 

「すまない、という言葉は虫が良すぎることは分かっている。だが、これだけは言わせてほしい。それでも、人類(わたし)は幸せだったのだ」

 

 それは別れの言葉だった。

 透明なしずくが珊瑚の大地に落ちる。

 それは水か、涙か。

 

 ◇

 

 星々が走ります。

 それは比喩でなく、いままでの運動不足を解消するかのように、星々が暗いキャンバスを背景に軌道を描きながら、何巡も宙を廻っているのです。止まっていた世界が加速することで、熱量を再生させているのでした。

 

 灰色のカーテンは幕を上げていました。それは、新しい舞台が始まるからでしょう。

 きっと、エイトがやるべきことを終わらしたのだろうと思い、洞窟を背に、キラキラと光る星々を眺めます。

「きれい」

 暇なので、これからのことに空想を走らせ始めました。

 エイトの用事が終わったのです。ならば、エイトの生まれた場所に行ってみるのも悪くありません。この青い土地を離れてみるのは楽しそうです。最悪、二人で、ずっと、この土地に住んでいるのもいいかもしれません。二人でいれるなら、きっと楽しいでしょう。

 あれこれと考えてみます。

 その未来はどれも幸せなものでした。

 しばらく待つこと。

 ざっと大地を踏みしめる音に反応して、彼女は振り返ります。

「――ト!」

 ざっと入り口から歩いてくるその姿に、アルファは駆け寄りました。

「……あれ?」

 しかし、何かがおかしい。

 空を水が覆い始め、青いコーラルの木々はざわめき始めます。

 そして、なによりも名前が出てきません。あれだけうれしかったはずなのに。あれだけ大切にしていたのに。

 少女は頭を押さえました。

 虫食いのように、与えられたものすべてに、穴が開いていきます。

「……どうして、ど、どうして」

 彼女は怖くなりました。

 だって、すべて消えていくのですから。刺激的な毎日。たしかに満たされていた心。彼女のすべてをつぶすように消えていきます。

 それがたまらなく怖くて、手を伸ばします。

 誰か、誰か、と。

「……、う、あ」

 そのヒトは静かにアルファを抱きしめました。

 力強くて、悲しくて、優しい抱擁でした。

 それによって、少女の恐怖は薄れます。

 じんわりと涙が浮かび、安心感が上回ってきたころ。

 抱擁は解かれてしまいます。

 水が空を覆っていく中、そのヒトには時間がないからです。

 くるり、と背中を見せて、何も言わずに立ち去ろうとする、―イ―に、少女は雛鳥のように着いていこうとします。

 ――しかし。

 ガシャン、と少女の足元で音が鳴ります。

 それは、そのヒトの持ち物で唯一残っていたキカイでした。鈍い色の糸が少女の体をがっちりと縛りあげています。それは固く、絶対に追いかけてこないようにするために、少女を足止めするためのものでした。

 どうして、と震える口をなんとか動かします。

 その理由は分かりきっていました。

 彼女にたくさん生きてもらうためです。

「一日で、その拘束は解ける。安心しろ」

 そのヒトは告げます。

 違う、違う、と彼女は言います。

 消えていきそうな目の前にいる誰か。私のために、ここを去るあなた。あなたが孤独になる必要はないのです――。

 少女は、その背中に追いすがろうとしますが、拘束のせいでその場に転んでします。

 作った喉はリセットされるように消えました。

 頑張って覚えた言葉や心も、泡沫の夢のように消えていきます。

 それでも、少女は叫びます。

 

「――! ――、――。――――――……」

 

 そんな抵抗は虚しく。

 少女の意志に逆らうように、瞼が閉じようとします。強制的なスリープモードでした。

 それでも、と体をねじりますが、ピクリとも動きません。

 移り行く世界に抗おうと、あらゆるものを消耗しすぎたせいです。

 明暗が交互に差し、暗闇の比率が上回る視界のふち。

 強制的に消えゆく意識の中。

 そのヒトは告げました。

 心底、愛しいものとして。

 

「幸せにおなり。それが、これからのキミの役目だ」

 

 消えていく彼女の記憶。

 実のところ、それは、カミサマがこっそり設定した防衛本能でした。

 新しい時代にその記憶は不要と判断しました。だって、同じ轍を踏んでほしくなかったのです。

 だから、母なる海に流されるように。

 毒となる思い出はぶくぶくと綺麗にされて。

 エイトというヒトの軌跡や痕跡は、洗い流され、最初を再始動するために、すべてはまっさらになりました。

 

 それから、少し経ってからのこと。

 水がブクブクと空を覆いきった後のことです。

 

 ――気がつくと、少女は珊瑚の草原に立っていました。

 ――誰かに捨てられたとか、記憶を消されたとか、そんなありきたりなものではなく、ただ、ポツリとそこに発生したのです。

 

 ◇

 

 青い珊瑚礁が形作る集落。人数にして十数人しかいないような小さなもの。

 そんな場所から少し歩いた先。

 集落が見渡せる小高い丘にある花畑。

 ワタシはそこで空(みず)を見ていた。

 あたり一面に広がる透き通った水面。大きく厚く張った水鏡の向こう側には、照りつく太陽が見える。あの位置は、ちょうど昼前かな。

 なんて考えながら、ゆっくりと瞼を閉じる。

 さらりと、頬をなでるように風が流れる。

 「今日は風に色味を感じないなあ」

 

 ゆらゆらと空を泳ぐ呑気なサカナたちを眺めながら、祖母を思い出す。

 この世のどんなものよりも、歌うのが好きだった彼女。

 この場所は、祖母がはじめに生まれた故郷らしい。

 祖母はここで育ったのだ。

 よく、小さいころはこの場所に連れてきてもらっては、ここで唄を聞かせてもらったものだが、その祖母もワタシが役目に就く前には眠ってしまった。永い眠りに入る直前に、彼女が告げた願いは、この土地へとその身体を埋めてもらうことだった。

 それからは大変だった。

 そもそもワタシたちの住む集落は、彼女が建てたようなものだ。住んでいる者たち、みんなが慕っている中の大往生。

 それでもワタシたちは悲しかった。

 太陽と月が何週も回っても、悲壮感がずっしりと全体を包み込んだままだった。

 そんな日がしばらく続いて、それは唐突に、こちらに優しく笑いかけるように、奇跡が起きたのだ。

 まるで彼女の生まれ変わりかのように、この場に、白い花々が咲き誇ったのである。

 花、というのは今まで希少だった。

 それがあたり一面に咲き誇るだなんて。

 それは本当に、奇跡としか言いようのない出来事だった。

 

 ワタシはよく唄を聞いて育った。

 ほとんどは、心地の良いリズムであったり、身の回りのことを唄にしたものだったけれど、その中に変っているものが一つだけあった。それは祖母しか歌っていないものだった。

 言葉通りの意味は分かるが、その真意は読み取れない。

 ……なんていうか、きっと他人に期待しすぎる人が歌い始めたのだろうな、ということは分かる。

 そんな変わった唄だ。

 

「そこにいたのか、――」

 どれぐらいそこにいたのだろう。

 ワタシを呼ぶ野太い声に目を開ける。

「叔父さん」

「今日は狩りの日だ。こんなところで、道草を食っていないでさっさと支度をしろ」

 そう。

 ワタシは狩人なのだ。

 その役割は、この集落の食べ物を採ってくること。余裕があれば、過ごしやすそうな場所を見つけておくこと。後者は、念のためというやつだ。外で活動する家族は多いから、万が一の時に役に立つ。

「はやくしろ」

「はいはい」

 ワタシは体についたコーラルを払いながら、立ち上がる。

 叔父は、少し口うるさいのが傷だけれど、これでもワタシなんかよりもずっとすごい人だ。彼は狩人の師匠にして、ワタシの先代なのだ。

 調子の良い時は、空で泳ぐサカナを一日で百匹も捕まえたらしい。

「……また、母さんのことを思い出していたのか」

 唐突に、叔父がこちらを心配そうに見つめる。

 きっと、ワタシがいつもこの花畑にいるから、祖母を亡くしたことが傷として未だにこたえている、と思ったのだろう。叔父はガタイがいいし、少し強面だけれども、祖母譲りの優しい気持ちの持ち主だ。

「ううん。たまに思い出したりはするけれど、単純にこの場所が好きなだけだよ。いい匂いだし。空がきれいに見えるし」

「そうか」

 叔父が胸をなでおろす。

「それにね。ワタシたちには、おばあちゃんの血が流れているでしょう? それなら、なにか、大丈夫な気がするんだよね。前に進めるような感覚というか」

「――母、と同じようなことを言うのだな」

「だって、ワタシ、おばあちゃん大好きだもん」

 祖母に一番べったりだった孫は、ワタシという自信がある。

「それじゃあ、ワタシはそろそろ行くね」

 目をしばたたたかせる叔父に見送られながら、ワタシはその場を後にした。

 

 青い森を抜けて、塩の山のふもとの近く。

 サカナの群れがよく見える場所。

 ワタシは十何匹かのサカナと申し分ない量のコーラルの果実を集め終えたので、開拓を進めていた。

 周りにある植物やらサカナたちやらを調べて、記録をとっていた時のこと。

 少し歩いた先に、」それはあった。

「なにあれ」

 ワタシは、未知と遭遇している。

 それは灰色の空間だった。

 周囲の青いコーラルからの浸食にかろうじて、残ったその空間。

 鈍い色をしたなにかに、もたれかかる()()

 それが生きていない、ということは直感で分かった。

 そして、ワタシたち家族とも違うが、どこか懐かしさを覚えずにはいられないことも分かった。

 ゆっくりと、それに歩み寄る。

 会ったことも、聞いたこともないのに、そのヒトはとても大事なヒトな気がした。きっと、孤独だったのだろう。こんな誰も来ないような場所で、一人だなんて。せめて、ワタシだけでも弔ってあげなければ。

 なぜだか無性に、そう思った。

「いっ……」

 近づこうとするワタシの脳裏に嫌な音が響く。

 

 ――これは見てはいけないモノだよ。決して認めてはいけないもの。相容れないものだよ。

 

「うるさい」

 

 お節介な本能(かみさま)だ。

 自分を鼓舞するように、虚空を怒鳴りながら、この――にそっと触れる。

 ワタシたちにない概念(モノ)に触れるせいか、体がギシギシと悲鳴を上げ、恐怖心や嫌悪感が奔流のように心にあふれる。だが、そんなことよりも大事なものがあるような気がした。ワタシはそれらを無理に払いのけながら、――を静かに横たえた。

 どうして、こんなところに一人で。

 そんな言葉が喉の奥につっかえる。

 それを言うのは野暮だ。

 きっと大切なヒトのためだったのが、分かったからだ。

 

「あなたは上手くやったよ。だから、ゆっくりとお休み」

 

 この――のことは、きっと明日には忘れているだろう。

 それは本能によるものだ。仕方がない。

 それでも、いま、このヒトに出会った時間は消えない。

 ワタシはこの小さな英雄のために、祖母が聞かせてくれたあの唄を口ずさむ。

 

 ――空は水に。金貨を空に仕舞うのは、生まれたての我ら。

 

 それは、彼女たちを出合わせるきっかけとなった唄。

 彼らとワタシたちの別れを象徴する唄。

 

 それを聴いて、どんな感情を抱いたかは、分からないけれど。

 目の前の誰かが、微笑んだような気がするのは気のせいか。

 それが本当かどうか確かめる間もなく、そのヒトは砂となって風に溶けていった。

 

 ◇

 

 気が付くと、ワタシはそこに立っていた。

 青い森を抜けた先の、なんの変哲もない場所。

 塩の山のふもと付近。

 なんだったのだろう、と思う。

 誰かに捨てられたとか、記憶を消されたとか、そんなありきたりなものではなく、ただ、ポツリとそこに立っていたのだ。

 ……なにか夢を、見ていたような気がする。それも気のせいかもしれない。そんな曖昧なものだった。

「あれ?」

 そこで気がついた。

 鈍い色を放つ、見覚えのない小箱。

 硬くて、いままで見たことのない素材で構成されたそれは、どこか既視感を覚えるものだ。懐かしいような、寂しいような。

 直感だけれど――。

 ワタシは思った。

 それはきっと大事なものだ。ワタシたちと過去をつなぐ大事なもの。

 本当はいけないことだけれど。

“ちょっとぐらいなら、いいよ”

 とカミサマが許してくれたのかもしれない。

 ワタシは歩き出す。

 手に持っていた小さな箱を背嚢に仕舞いながら、考える。

 この箱は祖母の眠っている場所に埋めよう。きっと、そうすれば、祖母が喜ぶような気がしたから。

 

「……やっとだね」

 

 キラキラと上空の水面が太陽で光る中。青いコーラルがざわざわと揺れて。それでもサカナたちは呑気に群れで泳いでいて。

 そんな中、それは、ふわりと森を包み込む。

 それはどこか祖母が小さいころにしてくれた抱擁に似ていて。

 さらり、とワタシの頬を優しく撫でる。

 

 ――その日、初めて、暖かい風が吹いた。

 


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