「えー!シュヴァちも言ってよー!」
「ぼ、僕だって昨日注意したばかりだよ。あんまり言いたくないし…」
ヴィルシーナがカフェテリアに向かうと其処には一個年下の妹ウマ娘、シュヴァルグランと更にその一個下の妹ヴィブロスが食事を取りながら言い合っていた。引っ込み思案なシュヴァルと対照的に天真爛漫なヴィブロスだが、珍しくその顔は優れない。何か問題があったのだろうか。
「どうしたのかしら二人とも。食事の場で言い争うのは目に余るわよ?」
三姉妹の中で一番年上なヴィルシーナ。彼女は落ち着いた雰囲気を纏いながら中等部という、年齢の割にしっかり者のお姉さん。今日も可愛い妹の為に仲裁に入るが…。
「お姉ちゃん、聞いてよ!お兄ちゃんってばまた徹夜していたんだよ!」
三姉妹には年の離れた兄が一人いた。彼の職業はウマ娘のトレーナー。しかも三姉妹を同時に担当に持つ専属トレーナーだった。
「あら、また?」
ヴィブロスの言葉に眉をひそめる。ヴィルシーナにも覚えがあった。我が兄ながら面倒見の良い……いや、良すぎるトレーナーであり、深夜になってもトレーナー室の灯りが消えていないところを目にした時は思わず溜め息が出たものである。
「私、この前お兄ちゃんに怒ったばっかりなのにまた昨日の夜、徹夜していたんだよ」
「僕もその前、注意したのに。お兄さんってばその時はわかってくれるけど、すぐにいつも通りだし…」
明るいヴィブロスならまだしも、恥ずかしがり屋なシュヴァルグランでは勇気がいることだろう。おまけに二人は兄にとても懐いている。本人のためとはいえ、怒るという行為は非常に疲れる。
「全く、しょうのない人ね。良いわ、私の方からキッチリ注意しておくからこの話はお仕舞いにしましょう」
ヴィルシーナの言葉に顔を輝かせる二人。この中の誰よりもしっかり者である姉ならば流石の兄も言うことを聞いてくれると自信があるのだ。
「あと一つ聞きたいのだけど、ヴィブロス。貴女夜に寮を抜け出したりしてないでしょうね?」
疑いの目を向けるヴィルシーナ。トレーナーが夜遅くまで仕事していることを知っているのだ。つまりはそういうことである。
姉の追及にヴィブロスは両手人差し指をつつき合わせ、イタズラがバレた子供のようにモジモジし始めた。
「だ、だってお兄ちゃんってば最近甘えさせてくれないんだもん。一緒にお風呂入ろって言っても逃げちゃうし…」
ヴィルシーナは軽く頭を抱えた。
「貴女はもう淑女なのだから駄目。私が一緒に入ってあげるから我慢しなさい」
「えー」
納得がいかないといった様子のヴィブロスだが、シュヴァルは当然と言わんばかりに小さく一言呟く。
「…当たり前だろ。僕達もうそんな年じゃないんだから」
「シュヴァルもシュヴァルよ。貴女はトレーナーに甘えることはしなくなったけど、代わりにお節介が過ぎると聞いたわ」
「えぇ…!?」
シュヴァルグランは幼い頃、兄の後ろに隠れている女の子だったが、流石にトレセン学園に入る前辺りからスキンシップを避けるようになった。
しかし、トレーナー室やトレーナー寮の兄の部屋に訪れてはハンドソープやティッシュなど、生活必需品を毎回チェックしては補充し、果てには彼の残した洗濯物を洗うなどまるで通い妻のようなことを仕出かしている。寮の管理人も妹であるシュヴァルならば問題無いと許可無く通しているが、ヴィルシーナとしては色々問題あると思わざる得ない。
「それと二人共、学園ではトレーナーと呼びなさい。公私混同は厳禁よ」
「「はーい」」
―――――
夜。時計の針が七時を差す前。ヴィルシーナは一人、トレーナー室の前に訪れるとやはりと言うべきか…未だに灯りが消える様子の無いトレーナー室が其処にはあった。思わず独りでに溜め息が溢れる。
小さく咳払いをして妹ではなく、担当ウマ娘ヴィルシーナに切り替えると厳かに扉へノックをした。
「失礼するわ」
中の者から了承を得て他人行儀な物言いで中に入ると、其処には自身の兄がパソコンと資料を交互に見比べながら忙しく手を動かしている。視線だけを此方に向けると、トレーナーは軽く微笑んだ。
「どうした、ヴィルシーナ」
これから怒られるというのに、まるで考えていない様子。本当に呆れた人である。
「トレーナー。シュヴァルとヴィブロスから苦言が出たわ。あまり自身を酷使するの止めておきなさい」
ヴィルシーナは冷静に諭すよう自分の兄に伝えるが、彼は簡単に受け入れることはなかった。首を横に振ると何てこと無いというように答える。
「酷使なんて思ってない。俺がやりたいからやってるだけだ。お前達三人の夢を叶える為なら苦でもないんだよ」
それが多少ならば良いだろう。だがトレーナーの場合、オーバーであるのだ。時計の針が翌日を回っても作業を続けていることに自分が気づいていないとでも思っているのだろうか。ソファには着替えが放り投げられており、ハンガーにかけるどころか洗濯すらしていない様子。
先日、トレーナー寮の窓から彼の洗濯物が出ていないのも確認している。昨晩も此処で寝泊まりしたに違いない。
「気持ちはありがたいわ。でも私達の為なら自身の健康管理も出来てこその行為よ」
それで倒れでもしたらヴィルシーナ達の面倒を見るのは誰だというのだ。
「問題ない。自分のことは自分が一番わかってる」
苦笑しながらこれでこの話はお仕舞いと再び机に向かう。全く相手にされない態度に流石のヴィルシーナも怒りを隠せなかった。
「いい加減にしてください!兄さん!」
ウマ耳を絞り、尻尾の毛を逆立たせるヴィルシーナ。先程までトレーナーと担当ウマ娘としての態度を取っていたが、感情を露にし、トレーナーへの呼び方も幼い頃からの物に変化する。
学園では兄さん呼びを何故か止めていたヴィルシーナだったが、急に妹としての彼女に戻り、兄であるトレーナーも思わず作業の手を止めてしまう。
「ヴィルシーナ…」
「シュヴァルは貴方に嫌われると思いながらも心配で仕方ないから注意をしているのです…。ヴィブロスだって兄さんが大好きだから…私だって…っ」
泣きそうな顔を俯かせるヴィルシーナ。彼女が此処まで兄を心配するのは理由があった。
「兄さんは普通の方よりも身体が弱いのです。昔はよく倒れていましたし…」
生まれつき心臓病を持ち、虚弱体質であった兄。有名な野球一家であったヴィルシーナ達だが、彼は自分の父に憧れていながらも病により野球選手への道を夢見ることさえ叶わなかった過去がある。
「それは子供の頃の話だ。成人した今は余程の事が無い限り、倒れたりしない」
だが、成長してから肉体的にも体力的にも病の蝕みから耐えられるようになり、激しい運動さえしなければ普通の生活は可能になった。しかし幼い頃、青い顔をして泡を吹いた兄を見たことがあるヴィルシーナにとってはやはり拭えないものがある。
あの頃、ウマ娘の体力で兄を遊びに連れ回し、ヒトよりも虚弱な彼が耐えられる筈もなく、結局救急車に運ばれてしまい、一時生死を彷徨った兄の姿に大きなトラウマがあった。
「……」
黙り込んでしまったヴィルシーナに肩を竦め、開いていたノートパソコンの画面を閉じた。
「悪かった。お前の気持ちを考えてなかったな」
椅子から立ち上がり、ソファへ足を運ぶと深く息をつきながら座り込んだ。ヴィルシーナは顔色を僅かに明るさを取り戻し、トレーナーの傍に近寄る。
「おいで、ヴィルシーナ」
ソファの空いた横をポンポンと叩き、座ってほしいと暗にお願いされた。大好きな兄の傍に寄れるのは嬉しいが、学園内である以上公私は分けたかった…。
「もうトレーナーとしての俺は終わりだよ。此処にいるのはお前の兄貴だ」
屁理屈ではあるが、それならばとそそくさ近づいていくヴィルシーナ。顔を赤らめながら兄の横に座ると、彼の身体にピッタリとくっつき肩へ頭を乗せる。
「ヴィルシーナは甘えん坊だな」
シュヴァルやヴィブロス、家族の前では気丈な姉を振る舞っているが、兄に対してだけは年相応に甘えたがりの彼女。昔はこうして大好きな彼に引っ付いていたが、最近は威厳を保つ為ともう一つ。ヴィルシーナにとって悩ましい問題の為に距離を取ろうとしていた。兄への呼び方を学園ではトレーナー呼びを徹底しようとしていたのもそのせいだ。
「わ、私そんな子供ではありません…!兄さんが傍に寄って欲しいと…」
顔を真っ赤にして頬を膨らませる。昔のような妹の姿にトレーナーは思わず小さく笑い声を上げた。
「そうか。そうだな…こうしてると落ち着くからな…」
兄妹としては過剰なスキンシップだろう。年頃のヴィルシーナだが、トレーナーにとって彼女は未だに小さい妹のままである。しかし、ヴィルシーナにとって彼の存在は家族愛以上の物を抱えていた。
兄であればこうして肌を重ねても仲が良すぎる兄妹として問題ないが、異性として好意を持つヴィルシーナには複雑な心境である。
「シュヴァルやヴィブロスは今でも甘えてくるけど、ヴィルシーナだけはトレーナーになってから素っ気なくなったから、心配だった。避けられているんじゃないかと」
「違います。わ、私だって本当は…」
「さっき、兄さんって呼んでくれて嬉しかったよ」
「―――」
穏やかな兄の言葉に詰まってしまうヴィルシーナ。普段から周りから大人っぽい、しっかり者と言われているが実際はそんなことない。無理に背伸びをして叶わないことだと理解しながらも兄に妹としてではなく、ヴィルシーナとして見て欲しいと願いながら細やかな抵抗でトレーナー呼びを始めたのだ。
「兄さん、私は…」
しかし、兄にとって求められている己はヴィルシーナではなく可愛い妹なのだ。震える声でトレーナーに自分の想いを告げようとしたが…。
「……」
兄は静かに寝息を立てて、眠りについていた。
無理をしていない、苦ではないと口にしていたが、やはり疲れが溜まっていたのだろう。こうして気を弛めた瞬間に意識を手放したのだ。
「しょうのない人…」
困り顔で愛おしそうに彼の前髪をかきあげる。頬に手を添えると優しく撫でた。軽く触れた程度では起きる様子がない。
ヴィルシーナは起こさないよう、静かにトレーナーを抱えるとトレーナー室に用意されている簡易ベッドへと運んだ。細身な彼の体重は軽く、ウマ娘である彼女にとってはまるで羽を運んでいるように儚い。
本当はトレーナー寮でしっかりと休んでほしいが、このまま連れていくわけにもいくまい。仕方無しに簡易ベッドへ寝かせるとゆっくりシーツを被せた。
「兄さん…」
血色があの頃よりも遥かに健康そうな頬。ヴィルシーナはそれだけでも安心感を覚える。
ソファにかけられ、ほったらかしにされているシャツを洗濯するため手に取る。シュヴァルのことを強く言えないと自分に呆れながらも恥ずかしそうに鼻を埋めた。
「兄さんの匂い…」
男性特有の香り。懐かしくも安心感を与えるそれに胸が高鳴った。
「―――誰もいない、わよね」
二人っきりだったトレーナー室を見渡し、扉が閉まっていることも窓にカーテンがされていることも確認した彼女は、もう一度兄の傍に近寄ると無防備に晒されているその唇に口づけをした。
「愛してるわ、兄さん。トレーナー…」