息子が死んだらしい
いや、元気に壇上で公開対局をしているので死んではいない。
息子には『かーさんは来るなよ?絶対来るなよ!』などとフリのような事を言われたが、若干囲碁に興味を持ち始めた私はどうしても今回の対局は見てみたかったのだ。
以前北斗杯の会場に足を運んだ時は、息子は別室で打っていたため見えたのは手だけだったが、今回は遠巻きながらちゃんと顔が見える。
(あの子もあんな真剣な顔するのね……)
今まで見たこともないくらいの、真剣な眼差しで碁盤を見詰めている。
高校にも行かずに社会に出たものだから、どうにも不安ばかりがいつも私の心を取り巻いていたが杞憂だったようだ。
さてそれでは息子の対局を楽しむとしますかね、などと軽く息巻いてはみるが如何せん私は対局の内容はさっぱり分からない。
周りのギャラリーの話と解説役の人の話から判断するしかないのだ。
『越智プロに華麗に捌かれてしまったので、右辺の黒は完全に切断され死んでしまいましたね。』
『オイオイ、進藤プロ死んじまったのかよ』
『越智プロっていやぁアレだろ?プロ試験の頃は進藤プロより上手かったんだろ?』
『最近グングン伸びてるよな、越智。こないだ塔矢にも半目勝ちしてたし……』
『逆に最近の進藤はダメだな、なんか集中してない感じする』
(ダメでは無いし、人の息子を勝手に殺さないで欲しいものだわ……)
とはいえ少しは学んだため盤面の戦いはわからずとも、息子が何となく押されているのはわかる。
囲碁の本をこっそり買って読んでいたのが生きたのだ、複雑な気持ちではあるが嬉しく思う。
「……ありません」
「「ありがとうございました。」」
どうやら決着が着いたらしい、息子が頭を下げた。
家では勝った話ばかりするので、負けているところを見るのは意外だった。私は『きっと今日も息子は勝つのね』と軽い気持ちで考えていたので少し呆然としている。
(ザワザワザワザワ……)
周りの人達が動き始めた音で我に返る。
(いけない、息子に見つかったら文句を言われてしまうわ。早く帰らないと……)
そそくさと出口に向かい、帰路に着く。
今日は囲碁の話はしないようにしなければ、息子の機嫌が悪くなると食卓の空気も悪くなるのだ。
帰り道にデパートでちょっといいプリンを3人分、息子の好物を作るための食材を買う。
何だかんだまだ17歳。美味しいものを食べればコロッと機嫌が良くなるのだ。あの子が立派に独り立ちするまでは、親の私が支えてあげないとね。
その晩、うっかり『今日の対局はどうだったの〜?』と聞いてしまい、食卓の空気を悪くしてしまうのであった。
実は既に簡単な教本を2冊読破している美津子。
実戦経験がまるで無いので、知識としてちゃんと蓄えられていない模様。