日が変わった一時間ほど後に便利屋の事務所に戻り、各々が休みを取る。
皆がすっかり寝静まり、聞こえるのは風が窓を打ち付ける音だけとなっていた。
シッテムの箱の端末を指先でいじる。彼女達はすでに眠っているらしく、端末からは安らかな寝息が聞こえていた。モモトークには先ほどまで連絡を取り合っていた彼女の通知が映っており、短く『おやすみなさい。』と打たれている。
夜分に申し訳なかったが、彼女も寝るに寝付けなかったらしい。温かいココアを入れていたところでしたので、と言った彼女。寝付ける様にと軽く通話をし、後日の詳細を軽く説明しておいた。
ざっくりと話を通し、詳細は後日で。そう言って通話を終わらせようとすると、彼女は『眠気がくるまで、お話ししませんか?』と言った。いつもの彼女とは少し違うしおらしい…いじらしい言動に軽く驚きつつも、彼女が寝付けるまでなら、と話を了承する。
話した内容は、なんでもないことだった。
今日は気温が少し冷え込んでいたとか、今日は学食で月見うどんを頼んだ、とか。本当に些細な、日常のワンシーンだった。
しばらく他愛のない話を聞いていると、少しずつ彼女の声から緊張が失われていくのがわかった。彼女がうつらうつらしているタイミングで通話を切り、おやすみとメッセージを打ったのが、つい一時間ほど前だった。
時刻は午前3時を指しており、眠るタイミングを逃した私は寝惚け眼を擦りながら、キッチンへと珈琲を淹れに行った。
抜き足、差し足。眠っているだろう彼女たちを起こさない様、廊下をゆっくりと歩く。ようやくキッチンに辿り着くと、人影があることに気がついた。
「…カヨコ?」
「…先生?ごめん、起こしちゃったかな。」
カヨコはコポコポとケトルでお湯を沸かしながら、私の方へと向き直って困った様に笑う。
「いや。寝付けなかっただけだよ。眠ったら明日に響きそうだったからコーヒーでも、と思ってね。」
「…奇遇だね。私も、コーヒー淹れに来たんだ。一緒に飲もうよ。」
「ありがとう。それじゃ、ご一緒させてもらおうかな。」
「うん。先生は…ブラックでよかった?それともちょっと甘めにする?」
「ブラックでいいよ。」
「じゃあ私もブラックで良いかな…そうだ、先生。食器棚の横にお茶請け買ってあるから、好きなの持ってきなよ。」
「いいの?じゃあ…お、カステラ。」
「…先生、目敏いね。」
「カヨコも食べるよね?」
「勿論。苦いコーヒーには甘いお茶請けって、相場が決まってるからね。」
そう言いながらカヨコはケトルからインスタントコーヒーを入れたフィルターに優しくお湯を注ぐ。その間に切り分けられていたカステラを三つ取り、それぞれのお皿に置いてカヨコを待つ。
「出来たよ。はい、先生。」ふわふわと湯気の立ち上るコーヒーを持って、カヨコがダイニングに姿を表した。
「ありがとう、カヨコ。はいこれ。カヨコの分のカステラね。」
二つ並べたカステラを取り、カヨコの前に置く。
「先生が2個食べればいいのに。」
「いやぁ、最近甘いものがたくさん食べられなくてね…歳かな。」
「またそんなおじさんみたいなこと言って。まだ二十代なんだから、そんな事言う歳じゃないでしょ。」
全く…と言いつつ、カヨコはフォークで一口大に切り分けたカステラを口に運ぶ。
「…ん?なんだか、じゃりじゃりしてる。」
「ざらめ入りのカステラなんだね。キヴォトスにもあるんだ。」
「へぇ…ざらめ入りなんてあるんだ。初めて食べた。」
ずずっとコーヒーを啜り、カヨコはゆっくりと息を吐いた。
「…でもこれ、夜中に食べたら太るやつじゃない?」
「そうかも。でも、カヨコは痩せすぎなくらいだよ。これくらい大丈夫大丈夫。」
「…先生がそう言うなら、二つ食べちゃおうかな。」
そう言うと、ふわりと頬を綻ばせながら、カヨコはカステラを口に運んでいく。
食器の擦れ合う音とコーヒーを嚥下する音だけが薄暗いダイニングで響いた。沈黙が場を満たす。けれど、変な不安は感じない。寧ろ、この丁度いい距離感が心地よかった。
しばらく談笑を続け、すっかりとぬるくなってしまったコーヒーを飲み干した。
「ごちそうさまでした。」
「ん、お粗末さまでした。…って言っても、コーヒー淹れただけだけど。」
「美味しかったよ。こうしてゆっくり2人で飲むのも、いいものだね。」
「…また先生は、そうやって…。」
「何か変なこと言ったかな?」
「なんでもないよ。食器、私が片付けておくから。先生は部屋に戻ってゆっくりしてて。怪我も完治してないんだしさ。」
「…じゃあ、お言葉に甘えようかな。カヨコも、眠れないにしても体は休めなよ。それじゃあ、また…今日の朝に。」
「うん。また。」
キッチンへと消えていくカヨコの後ろ姿を見届けたあとに、部屋に戻った。