嫌悪の果てに   作:黒糖煎餅

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決着

美甘ネルの怒涛の連撃を捌きながら、天童アリスは少し前の出来事を思い出していた。

花岡ユズ。彼女と格ゲーで対戦していた時のことだ。

「うわーん!ユズが強すぎます!」

部内で格闘ゲームでの勝ち抜き戦を催す事になり、アリスはユズに教えを請うていた。アリスが使うキャラクターの指導をする為か、彼女もまた同じキャラクターを使う。数戦を終えた後、アリスはコントローラーを抱えたまま蹲った。そんなアリスを眺めながら、ユズはおどおどとした笑みを浮かべる。

「これじゃ練習になりません!ただのサンドバッグです!」

泣き言を言いながら駄々をこねる。

「ア、アリスちゃん、落ち着いて…」

「落ち着いてなんかいられません!」

「ちゃ、ちゃんと、上手になってきてるから…!」

あわあわとした様子で言葉を紡ぐユズ。その言葉に、アリスはむくりと起き上がった。

「本当ですか!?」

「う、うん。基本操作とか、ジャストガードとか…狙えるところはきちんと狙えるし、私も2個ストック落としてるし…。ただ、アリスちゃんは小さい隙に大技を入れ込むから、そこを狙われちゃうって話で…」

「…?分かりません!大技をブッパしている時が一番楽しいと思います!」

「あはは、それは、そうなんだけど…例えばさ、隙の短い攻撃に、カウンターを合わせるなら、どんな技がいいと思う?」

「スマッシュ攻撃です!」

「ぶぶー。相手が弱攻撃で様子を見てるんだったら、こっちも軽めの攻撃をするか…それか、距離をとって相手を釣り出すんだ。私が小さくジャンプしてたりするのは、アリスちゃんの攻撃を透かす為だったり、アリスちゃんの大技を誘引する為だったり、する。それで、アリスちゃんのペースを崩して…」

「うぅ、難しいです…。」

「か、簡単に言っちゃうとね…自分の得意分野で戦うために、アリスちゃんの得意分野から、私の土俵に引き摺り込むの。」

「なるほど、分かりました!アリス、やってみます!」

結局、辛酸を舐めさせられたばかりであった。けれど、その経験が、今、活きている。

 

威力の弱い縦拳やフェイントを交えた攻撃を受け流しつつ、本命の回し蹴りや正拳突きを確実にガードする。反撃は狙わず、必ず晒す、大きな隙を待ち続ける。

「なんだァ!?大口叩いた割に、やる気がねぇのか?あぁ!?」

まだ。

徐々に苛烈さを増す打撃を、捌く。

捌く。

捌き続ける。

「クッソが…!」

一瞬。微かに声に、揺らぎが宿る。

水面を打ち付ける滝の様な打撃が、静寂を迎える。

「待っていました。ネル先輩の心が揺らぐ、この瞬間を。」

右拳を引き絞る。狙うは、ただ一点。

人体における急所の一つ。顳顬。

全力。恐らく、美甘ネルの見せる、最後の隙。

獲った。そう確信した。

「舐めんなァ!」

ゴッ、と、鈍く音が響く。その拳に残る、微かな違和感。

(加速する前の拳を、額で…っ!?)

「読みが外れたか?なァ!!!」

困惑による動作の硬直。動揺による、思考の停止。

ミレニアムの傑物、美甘ネルはその隙を逃さない。その場で微かに跳躍し、身体を捻る。

(後回し蹴り…っ!)

コンマ、数秒。超人的なまでの反応速度を見せたアリスは、咄嗟に防御姿勢を取った。

それより疾く、頭部に鈍く衝撃が走る。

視界が一瞬暗転し、再び機能した視界の中に、彼女の姿はない。

(どこに…っ!?)

焦り。周囲を見渡す様に身体を回すと、視界の端に迫る、蹴り足が見えた。

「…っ!」

瞬時に反応し、間一髪。頭部を狙ったであろう追撃の蹴りを左腕で防ぐ。重い衝撃が走り、そして違和感。左腕の機能不全。

折られた腕を庇いながら、アリスは戦慄していた。戦う者としての、格の違い。くぐり抜けた、修羅場の数。基礎スペックは彼女とほぼ同等のはずなのに、戦略、それを実行に移す判断力。全てが、自分よりも数段上だと悟るのに、時間はかからなかった。

…いや、知っていた。かつて相対した、あの時に。

自身と、彼女。その間に聳え立つ、悍ましいまでの高さの、壁。

半身で構え、腰を落とす。

元より、知っていた。故に、備えた。

膂力。美甘ネルに唯一、勝てる要素。

防御を棄てる。逃走を棄てる。

狙うは、一つ。

アリスは駆け出した。折れた左腕を庇う事なく、全速で。

「ようやくやる気が出たかァ!?」

獰猛な笑みを浮かべながら、眼前に拳が迫る。

避けない。

「オラァ!」

避けない。

「どうしたよ!やる気無くなっちまったのか?あぁ!?」

視界の端でチリチリと火花が走る。打撃を受けた関節部が、ギシギシと軋む。

烈火の如く飛んでくる追撃を、避ける事なく受け続ける。

他の生徒なら、とうに果てていた。

これは、天童アリス…いや、AL-1Sだからこそできる、力業。痛みを感じず、恐怖を識らぬ故の、捨て身。修復用ナノマシンを最大稼働しながら、ただひたすらに待つ。訪れる刹那を。彼女の…美甘ネルの、最高の一撃を。

夥しい数の目眩しの中、アリスの視覚は確かに見た。拳に注意を引きつけつつ、下半身を強く捻る、その刹那を。

「はぁっ!」

気合、一閃。

おおよそ殴打の音とは思えぬ、生々しい音が響く。

振り抜いた拳に残る、確かな手応え。鋼鉄の拳を受け止めた彼女は十数メートル以上の距離を転がり、その場に力無く蹲る。

立つなと、そう願った。もう、これで終わってくれと、切に願った。

散々だった。

皆がおかしくなってしまってから、何度もこの矛盾を突き付けられた。大切なものを守る為に、大切なものを傷つけた。モモイを。ミドリを。ユズを。彼女たちを諌めようと対立し、止める為に抗い、結果的に傷つけた。その度に、胸の奥にじりじりと疼く想いがあった。

とっくに限界だったのだ。友を傷つける事に、何よりも傷ついていたのは、アリス自身だった。

「…まだ、まだ…!」

ゆらゆらと立ち上がる為に身体を動かすネル。

アリスは、とどめを刺す気力さえ無かった。

立つな。立つな。そう希うアリスの思いとは裏腹に、美甘ネルは確かに両の足で立ち上がった。

脳裏に諦めの文字が過り、しかしそれでも再び立ち上がる。構えようと腰を落とすアリスにその声は届いた。

『流石ですね、アリス。』

砂塵の影響でところどころが掠れている。

けれど、それは確かに共に戦う仲間の声で。

「終わりです。ネル先輩。」

音もなく彼女の背後に現れたトキは首筋に注射器をあてがうと、内容物をゆっくりと注ぎ込んだ。

「テメェ!なにしやが…っ!?」

「猛獣すら昏睡させる麻酔です。それでは、良い夢を。」

震えていた彼女の足はぐらりと揺れ、勢いよく倒れ込んだ。

「…目標の沈黙を確認。任務完了です。お疲れ様でした。アリス。」

C&Cのメンバーに拘束具をつけ終えたトキは、その場に座り込んだままのアリスの元へと足を進めた。

「お疲れ様でした。アリス。…アリス?」

微かに不思議そうな表情を浮かべ、トキはアリスの顔を覗き込む。

「…泣いて、いるのですか。」

「…わかりません。」

アリスは、今の自らの状態に困惑を示す。関節部に損傷はあれど、その他の機能は正常に機能している。それにも関わらず、瞳から大粒の液体が溢れ出していた。

「…辛かったのですね。」

トキはそう呟き、アリスの体を包み込むように抱きしめる。

「トキ…?」

「良いんです。涙は、貴方の辛かった証なのだから。貴方が傷ついていた証拠なのだから。…だから、泣いても良いんです。」

その言葉に、アリスの中の何かが決壊した。

慟哭が、洟を啜る音が、確かにトキの鼓膜を揺らす。止まることを知らぬ彼女の涙が、トキの肩口にしみを作る。

声にならない慟哭が、彼女の心の震えが、確かに後悔を伝えていた。

「…大丈夫。ミドリも、モモイも。ユズも。C&Cの先輩方にも、この件が終わったら、しっかり謝りましょう。アリスが不安なのならば、私も…それに、先生にもついて来てもらいますから。だから、大丈夫です。」

そう言って、トキは強くアリスの体を抱きしめた。

ずっと、ずっと。

彼女の涙が、止まるまで。

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