この子も曇らせが似合う。すき。
夜が明け、空が白み始める頃。
生徒たちが校舎に入る前を見計らって、私はトリニティ総合学園の一室…ある組織の拠点の一室へと向かった。
昨夜の私を追跡していたゲヘナの学生たちを鎮圧するべく、トリニティの武闘派はおおよそ自治区の境界付近へと出払っているらしい。日頃は付近を警戒している哨戒部隊の生徒たちはその数をおよそ半分以下となっている。そのおかげで、私は何度か危うかったところはあれど、トリニティ内部に侵入しても特に察知される事なく、無事に済んでいる。
記憶を頼りに、目的の部屋へと向かう。目的地は『正義実現委員会』の部室だ。
周囲に生徒たちの気配がないことを確認し、ドアノブをゆっくりと捻る。鍵の施錠を確認し、所持していたスペアキーを差し込もうとした時…
かちゃり、と鍵の開錠音が響く。
ぞわりと鳥肌が立つ。
口が乾き、緊張から喉が鳴る。
ゆっくりと息を吐いて覚悟を決め、解錠されたドアを開いた。
「…あれ、先生じゃないっすか。」
仲正イチカ。
普段と何も変わらない彼女が、そこにいた。
「…やぁ、イチカ。久しぶり。」
繕った笑顔で挨拶をする。イチカはいつも通りの笑顔でにこにこと笑っている。
「お久しぶりっすね。…こんなところで話すのも何ですし、部屋で頂き物のお茶と茶菓子でもいかがっすか?大丈夫、取って食ったりはしないっすよ。」
あまりにも普段通りの彼女に拍子抜けしつつ、けれど、変わらぬ生徒がいることを嬉しく思った。
「はは、それじゃご一緒させてもらおうかな。…実は、昨日からあまり食べていなくてね。」
すっかり毒気を抜かれた私は、招かれるままに彼女の勧めるソファに腰掛ける。
「どーぞ。熱いんで気を付けるっすよ。」
「ありがとう。いただくね。」
ほかほかと湯気がのぼる紅茶を口に含む。柔らかな香りと甘味、渋味。凝り固まった心が、身体が解きほぐされていくような不思議な感覚。息を吐くと、イチカは楽しそうに笑っていた。
「美味しそうに飲むっすね、先生。はい、ナギサ先輩がくれたロールケーキっす。ハスミ先輩に見つかる前に、2人で食べちゃいましょ。」
薄く目を開き、口元に人差し指を当てたイチカはいたずらっぽく笑う。
「…そうだね。少し、ハスミに申し訳ないけど。」
「イイんすよ。ハスミ先輩、夜更けにパトロールって言ってカフェ行ったりしてるんすから。」
「…ふふ、そう言う事なら、いただこうかな。」
「先生ならそう言うと思ってたっす。」
そう言うと、イチカは私と自分の前に大ぶりに切られたロールケーキを置き、いただきます、と呟いてからロールケーキにかぶり付いた。
「んー…朝から食べるロールケーキは罪深いっすねぇ…」
「しみじみ思うね…それに、朝からはちょっと重いや。私も歳かな。」
「はは、先生おじさんみたいな事言うじゃないっすか。まだまだ若いんすから、余裕でしょう?」
からからと笑うイチカに
「イチカもアラサーになればわかるよ。」
と返すと、
「わかりたく無いっすねぇ…」
と返された。それが可笑しくて、少しだけ笑ってしまう。
「こうなる前に、たくさん美味しいものを食べてね。委員会の仕事も大事かもだけど、それ以上に、大切な人と楽しい時間を過ごすのも大事だよ。」
「…そうっすね。確かに、この時間は大事にしたいっす。…ね?先生?」
揶揄うように笑うイチカに面食らいつつ、
「そうだね。…イチカにそう思ってもらえて、嬉しいよ。」
沈黙が場を満たし、それぞれ黙々とロールケーキをつつく。イチカが食べ終わり、紅茶を飲み干すのと、私がロールケーキを食べ終わるのは、ほとんど同時だった。
「じゃ、本題に入る前にもう一杯飲みますか。先生もおかわりいります?」
「貰おうかな。何度もありがとう。」
「いえいえ、1人分淹れるのも、2人分淹れるのも大差ないっすから。それに、私だけ紅茶飲むってのも気まずいっすから。」
再び紅茶を淹れ、イチカは私の向かいに座り直す。
「で、こんな早朝からなんっすか?」
「…実は、正義実現委員会に依頼があって来たんだ。」
「依頼?お仕事の手伝いっすか?ダメっすよ、先生。仕事は早めに終わらせなきゃ。」
「…。」
「…軽口言ってる場合じゃ無さそうっすね。すみません、茶化しちゃって。」
「いや、構わないよ。それで、依頼っていうのは…」
そして私は、イチカに話を切り出した。昨日受けたゲヘナ生徒からの襲撃のこと。近傍で起きるゲヘナ生徒の暴動の理由がおそらく私であること。トリニティとゲヘナの確執を利用するようで申し訳ないが、私を守ってほしいと言うこと。訥々と話すと、イチカはゆっくりと紅茶をあおる。
「…そりゃ、えらいことになってるっすねぇ…わかったっす。正義実現委員会は、先生の身柄がトリニティにある間は先生の護衛を努めさせてもらうっすよ。ゲヘナの連中には指一本触れさせないっす。」
「…ありがとう、イチカ。」
「いえいえ。…先生、お疲れでしょうし。セーフハウスに戻って、少し仮眠でも取ってきたらどうっすか?目のクマ、酷いっすよ?」
「…そんなにかな。でも、そうだね。イチカに話も聞いてもらえて安心したし、少しでも仮眠とってこようかな。申し訳ないんだけどさ、イチカ。」
「言われなくてもわかってるっす。セーフハウス近くまでついて行くっすよ。ロールケーキのカロリー消費には丁度いいっす。」
「ありがとう。それじゃあ、いこっか。」
「はいっす。」
部屋を後にし、イチカと共にセーブハウスの方角へと向かう。閑散とした地域に設置されたセーフハウスに生徒の姿はほとんど無く、朝の澄んだ空気と静寂が街を満たしていた。コンクリートを踏み締める、2人分の足音が静謐な空気に柔らかく響く。
30分ほど歩くと、セーフハウスに到着した。
良かった、と安堵のため息をこぼす。
「ありがとう、イチカ…」
言い切るより早く、イチカが銃を構える。
「そういえば先生、知ってました?今日私、委員会非番の日なんすよ。」
ゾクっと背筋が粟立って、閃光弾を握りつつイチカに向き直る、その刹那。
パァン、と乾いた銃声が響いた。