ラブライブ! ~ 目では見えない10人目 ~   作:kiss_sea

12 / 18
 11話からずいぶん間が空きました。ちゃんとしたライブパートの描写ははじめてなのでなかなか苦労しました。海未の苦しみ、じゃなかった産みの苦しみ。


12小節目 潜入、洗礼、宣言(2)

「――そりゃ、そうだ。世の中そんなに甘くないっ!」

 幼なじみ二人に挟まれるように立つ穂乃果。その言葉は彼女の独り言なのか。それとも、いまにも崩れそうな海未とことりをなんとしてでも励まそうとしているのか。

 ことりの垂れ目がちな瞳は大粒の滴で潤んでいる。けれどもっと辛いのは、このスクールアイドル活動を企画した張本人である穂乃果なのだ。

 彼女はことりの右隣でどうにかその頬に涙が伝わないよう天井を見上げている。ここで感情を爆発させ、赤子のように泣きじゃくってしまうのは簡単だ。けれどそうすれば、誰がいまの状況を立て直すことができようか。高坂穂乃果という少女は、このμ'sというアイドルグループにおける自分の役割を認識し、あくまでも気丈にふるまおうとしている。

「うん、まさか大入満員ってことはないだろうとは思ってたけど、お客さんが一人もいないのは予想できなかったなあ。さすがにちょっとこれは手厳しいなあ、あはは……」

 彼女の肩は細かく震えている。ごめんね、西木野さん。ごめんね、瑞季くんたち。みんな、私たちのために身を()にして手伝ってくれたのにね。どうもだめみたい。私たち、評価されなかった。ごめんね、ごめんね……。いまはもっともっと両隣の二人を激励しなければいけないというのに、そんなことばかりが口をついて出ようとする。穂乃果は否応なしに胸からせり上がってくる負のワードをなんとかして呑みこみ、笑ってごまかそうとする。

 けれどどれだけ苦笑いでこの場を取りつくろうとしても、どれだけ声を張って(しな)びかけている三人の心を奮い立たせようとしても、それは叶わない。満を持して上がった緞帳(どんちょう)の先において、自分たちのライブを待ちわびていた人がただの一人さえもいなかったという事実。それをまだわずか十六歳の少女が背負うには、あまりにも重すぎた。

 ステージ上の彼女たちに向けられたピンスポットライトの光。それはわずかに客席にも漏れ出て、ぼんやりと絨毯(じゅうたん)を、椅子を照らしている。

 ためらいがちな足音。ステージ脇の非常扉が開き、二人の女子生徒がステージに歩み寄ってくる。

「ごめん。がんばったんだけど……」

 そのうちの一人、二見(ふたみ) 史子(ふみこ)は伏し目がちにそう口にした。「一年生、みんなほかの部活に行ってるみたいで」

「力になれなくて、ほんとうにごめんなさい」

 もう一人、三村(みむら) 美佳(みか)は頭を下げる。申し訳なさそうな表情で、その決して大きくはない背丈はよりいっそう小さく見えてしまう。

「瑞季くんたち、いないね」ことりは力なくつぶやいてから、床に目を落とす。一滴、二滴。それまでぎりぎりまぶたでもち(こた)えられていた液体は重力で落下していき、フローリングの板を叩いた。「私たち、身内にも見捨てられちゃったの?」

 実は暗がりの中に瑞季たちはいるのだが、どうにも光量が足らず、舞台上の彼女たちにはその姿は視認できない。

 海未はくちびるを噛みしめながら、「いえ、彼らはなんとなくわかっていたのかもしれません。パッと出のアイドルが付け焼刃の歌とダンスでライブを演ろうとすればこうなることが。それでも止められなかった。なんだかんだ、少しずつ形になっていくことに楽しさを感じはじめていた私たちを」

 だからこそ、この現場に居合わせるのはあまりに辛い。

 穂乃果がこのスクールアイドル活動を提案してから今日という日を迎えるまでにおよそ一ヶ月。

 できたてほやほや、まだまだ湯気の立ちのぼるグループだ。とはいえその間には、μ'sの軌跡がたしかに刻まれていっている。穂乃果の発案。海未の作詞とトレーニング。ことりが考案した衣装と振りつけ。加えて真姫の作曲ならびに青ヶ谷学園の軽音楽同好会四名によるアレンジメント。この現状は彼ら、彼女らが必死の思いで繋いできた「努力」という名のバトンの価値を、根底から否定しているようにしか見えなかった。

 けれど、穂乃果は首を横に振る。

「ううん。私は止めてほしくなんかなかったよ。だって――こんな結果にはなっちゃったけど、大好きなこの学校を、私たちの手で守りたい。そう心に決めていままでやってきたんだから。それにね」穂乃果はさらに語気を強めた。声は空虚なホールのすみずみまで広がっていく。「歌ったり踊ったりするの、楽しいもん。だからたとえ誰かにやめとけ、って言われても、それでも続けたい」

 その言葉は、あるいはだだっ子のようではある。だけれどそれには、初志貫徹、一度決めたことは中途で投げださない――高坂穂乃果という少女の強い意志が込められている。

「しかし、お客さんがいないようでは」海未はうなだれる。「今日は恥を忍んで引き上げるほかありません」

 海未の発言にことりがそうだね、と口にしようとした瞬間。

「ちがう! 俺が、俺たちが、ここにいる!」

 薄暗い講堂を切り裂いていく声。穂乃果も海未もことりも、どこかで聞き覚えがあるような気がした。三人の視線は、それが発せられた方向に集まる。

 一人の女子生徒がホール内の段差を駆け下り、ステージに向かってきた。光源に近づくにつれ、その顔は徐々に見えるようになってきた。

 いや、女子ではない。あまりに髪が短すぎたのだ。それに、その右手に乱暴に掴まれているのは黒いかたまり。その人物が一歩、また一歩と床を踏みしめるたびに、それは振り子のように左右に大きく揺れている。

「瑞季くん!?」

 真っ先に彼の姿を確認して驚きの声を挙げたのは、海未であった。「まさか、ほんとうに女装して……」

 いや、触れるべきはそこじゃねえだろ。瑞季は内心そんなことを思いながらも、彼女たちの立つステージの前へとたどり着く。

 瑞季は邪魔くさそうに携えていたカツラをかぶり直す。そうして唖然(あぜん)とした表情の三人に、こう言い放ったのだ。

「どうだ、似合ってるか? 長い髪ってのもなかなかうっとうしいもんだな。毛先が目ン玉の中に入るわ頭は蒸れるわでろくなことがない。思わずこの部屋に入った瞬間に取っちまった」

 瑞季があえてそういう言葉を口にしたのも、沈みかけた空気をなんとか和ませようとした彼なりの機転である。心が折れてしまっては舞台には立てないから。同じように「ライブ」というものを経験している彼には、それが痛いほどによくわかっている。

 五秒後ぐらいに穂乃果が口を開いた。それから彼女は破顔一笑、

「うん、とってもかわいいよ。――あ、そうだ。いまから一緒に踊ってみない? その制服のままでさ。音ノ木坂初潜入記念、みたいな」

「いや、遠慮しとく。俺たちは今日は客だからな、あくまで観る立場だ。さあ早く演ってくれ、こちとら待ちくたびれてるんだ」

 瑞季は手を左右に振るジェスチャーをすると、三人の真正面、最前列の席に腰かけた。そして上半身だけ振り返ると、「おい、おまえらも座れ。始まるらしいぞ」

 椛と楓が階段を下りていき、同様に一番前の列へと腰を下ろした。

「実はアイドルのライブって、生で観るのはじめて」「わたしもそうだよ。いつもDVDなんだよね」

「ふふふっ」海未は笑っていた。「思いっきり内輪での披露という形になりましたね。緊張感もなにも、あったものではないです」

 ふと、入り口近辺が明るくなる。扉が開き夕日が漏れ込んだためだ。誰かが入ってきたのだ。

「はあ、はあ。あれ、ここだよね。なんで演ってないんだろ、ライブ。あれえ?」走って来たのか荒い息をするその人物は、怪訝そうに講堂の中を見回す。そしてステージ上の穂乃果たち三人を確認するやいなや、「――あ」

 よかった。会場はここで間違っていない。だけれどその表情は穂乃果たちを見つけて安心した、晴れやかなものだけというわけではない。遅刻して来ても開演すらしていなかったこと、自分を含め片手で数えられるほどの観客しかいないこと、そして会場内を包む肌を刺すような空気。それらすべての情報から、小泉花陽はすべてを悟ってしまった。それゆえに彼女は、悲痛さに安堵(あんど)が三割ぐらい混じった複雑な顔で、講堂内の階段を下りていく。

 床が一歩、また一歩と踏みしめられるたびに、チョコレート色のボブカット頭が、徐々にだがステージ上の三人にも見てとれるようになっていく。そしてトレードマークである横長メガネのレンズがピンスポの漏れ光を反射し、わずかにきらめいた瞬間、

「は、花陽ちゃんっ!」穂乃果は叫んだ。「ほんとうに。ほんとうに、観に来てくれたんだ」

 花陽はにっこりと笑って答える。「えへへ、はい。先輩方がライブの告知を始められたときから絶対に行こうって、心に決めてたんです。だって私、アイドルが大好きですから」

 花陽は彼女たちを間近で感じられる席――最前列に座る。一席はさんだ横には瑞季がどっかりと腰かけているのだが、いまのその姿はまさしく清楚可憐(かれん)な女子生徒そのものであり、花陽が気づくべくもない。

「ついにお客さんだよ。あたしたち以外の」椛のその言葉は、ステージの中心に立つ一人の少女へと向けれれている。そう、この活動の発端人である高坂穂乃果へと。「あとはほのかっちの開演コールだけだよ」

 椛がそう急かすのも、このライブ前に一度、彼女たちの練習を見学したからだ。そこで抱いた期待とか興奮とかが、μ'sの一ファンとしての若菜椛を熱くたぎらせているのだ。

「――やっぱり、演ろう。演るしかないよ。お客さんにこうして足を運んでもらってるし、中止なんてできない」

「え――」「穂乃果……」ことりと海未はそう口にした。けれども二人ともどこか、μ'sのエンジンたる彼女からその言葉が発せられるのを待っていたかのようだった。

「それに、()()()()()は今日のためにがんばってきたんだから。曲も、その歌詞も、振りつけも、一から作り上げた。基礎体力をつけるために毎朝早起きして神田明神で走りこんだし、雨が降ったら使えない学校の屋上で、歌もダンスも、それこそ日が暮れるまで猛特訓した」

 このときホール脇に控えていた史子と美佳が慌てた様子で非常扉へと駆け寄り、それを押し開けた。楽曲と照明の準備をするため講堂の放送室へと向かったのだ。

「努力は報われるとは限らない。だけどまず挑戦しなきゃ、報われることは絶対にないの。だから、」穂乃果は一歩進み出た。そして次に述べた言葉は幼なじみを励ますためだけではなく、ともすれば自分をいま一度奮い立たせる目的もあったのかもしれない。

「歌おう。踊ろう。私たちの全力を、ここで出し切ろう!」

 海未とことりは顔を見合わせる。自然と笑みがこぼれていた。

「そうだ!」穂乃果は振り返り、二人に提案した。「改めて『アレ』やろうよ」

「ええ、『アレ』ですか? お客さまの前ですしさすがにそれは」「ええ、いいじゃんいいじゃん。そのほうが活気づくしさ。ことりちゃんはどう思う?」「私もやりたいなあ、仕切り直しの意味もこめて『アレ』」「ほら、やるしかないって。ほら、海未ちゃんも腹を抱えて」「それを言うなら腹を固めて、です。はあ、まったくしかたありませんね」

 彼女らは正三角形を描くように並んだ。三人ともお互いの顔が見えるように向き合っている。人数は少ないが、円陣のような構図だ。

 少女たちは三角形の中心に向かって片腕を伸ばす。みな、Vサインを示している。それらのVは両隣と繋がり合い、(ひし)の実のようなオブジェクトを形づくる。

 そうしてから、一呼吸おいて穂乃果が先導する。「μ's、ミュージック――」

 その誘導に、穂乃果のみならず海未とことりも次のように続けた。「スタート!」

 三人の声はホールに広がり、重苦しかった空気を弾き飛ばしていく。心なしか肌寒さが少し和らいだことを、瑞季と花陽は感じた。

 少女たちの顔がにわかに引き締まった。彼女たちは客席に背を向けると、背筋をぴんと張った格好になる。同時にピンスポの色が白色から青白い光へと変わり、舞台上に立つ三人の姿は幻想的に照らされる。

 ピアノ・イントロがスピーカーから吐き出された。真姫の弾いたそれを、楓が一音たりとも(たが)えることなく忠実にコピーした部分。そう。軽音同好会の面々が、どうしても「良すぎて手を加えられなかった」という箇所。それに合わせて、少女たちはホール側へと反転する。

 μ'sのファーストライブが、いまここに始まった。

 

    ◆       ◆       ◆

 

 ステージ衣装に身を包んだ三人が左右に舞いはじめた瞬間に、俺の意識はすでに彼女たちの世界に吸い込まれていた。

 楓のドライヴ感漂うリフ。それは高度数百メートル、はるか上空に吹きすさぶ風であるとすれば、そこから眼下に広がるは、まるで生きているように脈打つ大地――すなわちリズム隊、椛のベースと友弼のドラムスがつくるグルーヴだ。いっぽうで俺の務めるエレクトリックギターは控えめである。アンプだけで自然に歪ませられたそれは、荒涼たる大自然の中の一風景、つまり生い茂る木々やごつごつとした岩肌を流れる小川のごとく、ただ静かに和音を刻んでいる。

 “Hey,hey,hey,START:DASH!!”。少女たちはユニゾンで歌いながら、楽曲の雰囲気を体現するかのように高らかにこぶしを突き上げる。

 三人は、背中を合わせるように三角形に並んだ。最初はことりが舞台中央に立つ。次に海未がそこに。そしてハイタッチののちに、穂乃果が移る。

 Bメロに入る。友弼考案のハネたドラムパターンであるが、しかし彼女たちはリズムを乱すことはない。それどころか、みなアイドルらしく口元に笑みさえ浮かべながら、ジャストのタイミングで手足を運動させている。彼女たちの顔からは、もう悲哀の情は(ごう)も見受けられない。

 ストレートな8ビートに戻る。いよいよサビの前だ。歌いながら、来るなら来いとばかりに大きく手を広げた穂乃果。

 “START!!”。彼女の叫びが、講堂の壁を、天井を、床を、俺たち観客の耳朶(じだ)を打ちつける。同時に、舞台上の三人は腕をまっすぐに伸ばしたまま、ぴたりと静止した。半身になって立っている彼女たち。その視線は客席から逸らされている――穂乃果なんて、顔は真後ろに向けられている。

 サビ。オクターヴ奏法を用いたギターフレーズが終わるのに同調して振りむいた穂乃果。その額からは早くも多量の汗がふき出している。激しいダンスを歌いながら行うのだ、そうならないはずがない。

 三人は口々に歌詞を歌いあげると、両手の人差し指で天を指す。その間は楓のキーボード・ソロだ。あくまで主役は舞台上の彼女たち。音数ばかり増やして目立つのではなく、三人のパフォーマンスにうまく融け合い、華を添えるような優美な旋律。双子の姉は、この楽曲はだれのためにあり、そのために自分はどのようにふるまえばいいのかということを理解しているようだった。

 二番に入る。横一列の状態から並びかわる。まず中央に立つのはことりだ。ステージ手前側へと一歩飛び出したせいで息が上がってきたようすが見て取れる。大きく口を開けてできるだけ多くの酸素を肺に取り込もうとしていた。しかし、やはり笑顔は絶えることはなく、苦しそうな表情は一切見せない。

 海未に入れ替わる。弓道部で日ごろから身体を鍛えている彼女は涼しい顔。まだまだ余裕、というところだろうか。

 その場所へ汗みずくの穂乃果が入る。手足の動きは、一番のそれよりもいっそう激しくなった。

 二番のBメロ。メリーゴーランドのように彼女たちは立ち位置を入れ替えていく。そしてふたたびあのオクターヴ奏法を迎える。楽曲のもつ疾走感、彼女たちの躍動感あるダンスと相まって、低音から高音へと上りつめていくエレキギターの旋律は、まさしく地表から空への上昇気流を思わせる。

 その拍に合わせ、彼女たちは順々に反転していく。振り向きざまに力強く突き出された右手の握りこぶしは、大地を割り、空を裂く。

 ふたたび迎えたサビで、少女たちは舞台上を跳びはねていく。彼女らは青空を自由自在に舞う(たか)となっていた。

 手拍子が、起こった。最初は楓と椛。二人の手のひらはまったく同時に打たれた。双子の阿吽(あうん)の呼吸は、示し合わせることなど必要としない。次いで、俺。穂乃果の友人たちも続く。さらに花陽――と、その隣に座っているボーイッシュな女子生徒。彼女の友だちなのだろうか。三人の演技に集中していたため、ここへ入ってきたことに気づかなかった。

 鷹は生命の源、大地へと舞い戻ってきた。生い茂る木々の枝で自慢の羽根を休め、小川の水でのどを潤した。ふたたび空へと飛び立つために。

 “彼方(かなた)へと 僕はDASH!!”。そう口ずさんだ舞台上の三人は、ゆっくりと両腕を鉛直方向に伸長させる。その両人差し指は、ただ天だけを示している。

 三人は胸の前で手を交差させ、目をつむる。それはなにかを祈る仕草に似ていた。この飛行(ライブ)が気持ちよく終えられますように。お客さんが私たちを観て笑顔になれますように。そして、これからも歌ったり踊ったりできますように。ともすれば、彼女たちはそんなことを願っていたのかもしれない。

 また、冒頭のようにこぶしが突き上げられる。地上に下りていた鷹は、羽根を広げた。その躯体(くたい)が少し宙に浮いたかと思えば、またたく間にぐんぐんと高度を上げていく。

 彼女たちは向かい合い、各々その中心に右手を据える。三つのそれはそのまままっすぐ引き上げられていく。少女たちの頭上で、それらは一つにまとまった。

 掲げられた腕が、手の甲が、降り注ぐ舞台照明にまぶしく照らされる。その明かりはさながら太陽だった。

 少女たちが舞う空には、今日も雲一つ浮かんでいない。

 

    ◆       ◆       ◆

 

 彼女たちの演技は、これで終わった。

 ピンスポットライトは消え、代わりに講堂全体の照明が灯される。薄暗さは一瞬にして霧散した。

「はあ、はあ」「ぜえ、ぜえ」「ふう」

 三人はステージ中心へと集まる。さしもの海未でも、息も絶え絶えという状態であった。けれど彼女らの表情は晴れやかだ。自らの全てを出しきったという、達成感が込みあげてきたのだ。

 会場を乾いた音が包む。それはまばらだけれど、まぎれもない拍手。左右からだけではない。後ろからも聞こえた。瑞季は振りかえる。講堂に入ってすぐの通路に深紅の頭髪の女子生徒が佇んで、両手のひらを打っている。その姿は遠目であっても見間違えようがない。このライブの曲、“START:DASH!!”の作曲者、西木野真姫その人であった。

「え、来てたのかよ」ぼそりとつぶやいた彼の言葉は、その両隣りから発せられる興奮した声にかき消された。「すごい、すごいよ(りん)ちゃん。スクールアイドルだよ。私たちの学校から、ほんとうに生まれたの!」「かよちん嬉しそうだね。でもたしかに先輩たちも曲も、かっこよかったにゃあ」「編曲のお手伝いしてよかったね、椛ちゃん。私ね、この子たちのためにピアノ・ソロを作れたこと、いますごく誇りに思ってる。お客さんの数なんて関係ない。穂乃果ちゃんたちは、こんなにもライブを観るひとの心を打ったんだから」「くやしいけど、ミズには感謝しないといけないかもね。もしほのかっちたちにミズが出会わなければ、こうしてあの子たちが歌い踊る姿をナマで目にすることすらできなかったわけだし」

 拍手は突然止まる。何者かがホール内の階段を下り、ステージへと歩み寄ってきたのだ。

 その人物は、ゆっくりと絨毯敷きの段差を踏みしめていく。一歩、また一歩と進むにつれ、またしても講堂にあのぞっとするほどの寒気が戻ってきた気がして、瑞季は鳥肌が立つ。左を見れば、花陽も口元を引きつらせていた。

 現れたのは、きらびやかなブロンドの髪を後頭部で一つ結びにした女子生徒。国立音ノ木坂学院三年生にして現生徒会長、絢瀬(あやせ) 絵里(えり)

 彼女は立ち止まった。絵里は階段を下りきることなく、その中腹で、高みよりステージ上の彼女たちへ冷ややかな眼差しを向けている。

「生徒会長――」

 なぜ、あなたがここに。穂乃果は戸惑いながらも口にする。それもそのはず。絵里はつい先日、アイドル部の設立を請うために生徒会室を訪れた穂乃果を一蹴したのだ。“部の発足には最低五人以上部員が必要だ。それにたとえ五人集めたとしても、創部は認可できかねる。部活は生徒数を増やすためにやるものではない。思いつきで行動しても、学校の状況はなにも変わらない”と。

 そこまで私たちを毛嫌いしているのに、どうして講堂に。すっからかんの講堂を見て私たちをあざ笑いに来たのですか。穂乃果は、そう問いたかった。けれどそれより先に絵里が口を開いた。

「どうするつもり」

「え……」逆に、問われた。「どうする、って」

「察しが悪いのね。こないだ屋上で言ったはずよ。スクールアイドル、ためしにやってみたけどやっぱりダメでした、じゃ済まされないのよ」絵里は、なおもこう続けた。「私だってこの学校が好き。廃校なんてなってほしくないから、安易な発想を行動に移してもらいたくはない。この身勝手な活動であなたたちだけが恥をかくだけならまだいいわ。これは全校生徒に見られてるの。スクールアイドル活動は、ひいては学校全体の士気にも影響を及ぼすのよ。そのことをよくよく理解してちょうだい」

 穂乃果は絵里をにらみ返す。両者の視線はその中間で激しくぶつかり合う。そうして、穂乃果は語る。

「それでも、続けます」

「なぜ? このありさまを見なさい。これ以上やったところで、この活動に私は意味を見出せないのだけれど」絵里の目つきはさらに険しいものとなる。

 しかしながら、穂乃果は一歩も譲ることはない。さらに強く、絵里の吸い込まれそうな(あお)い双眸を見据えた。

 そして両者の間に数秒、沈黙が流れる。頭の中で慎重に言葉を選んだのち、穂乃果は次のように答えた。

「『やりたいから』です。これが理由じゃ、だめですか」

 それは子どもじみた言い分だ。けれど高坂穂乃果という少女をここまで突き動かしているものの正体を、あまりにも的確に言い表していた。

「そんなことがまかり通ると思うの」絵里は冷たく言い放つ。

「ええ、これは私の――ううん、私たちのわがままなのかもしれません。でも、いまこうして人前でライブしてみて、改めて思ったんです。もっともっと歌いたい、もっともっと踊りたいって。スクールアイドルの活動はとっても楽しいって、心の底からそう思えるんです」

 この思いはきっと海未ちゃんも、ことりちゃんも一緒です。そう付け足した穂乃果に、二人はたおやかな笑みを浮かべる。

 絵里は黙って、穂乃果の言葉を待っている。

「こんな気持ち、はじめてなんです。やってよかったって、本気で思えたんです」

 舞台上でひとり熱弁を振るう彼女を、瑞季たちは固唾(かたず)を呑んで見守っている。

「いまはこの気持ちを信じたい。……もしかしたら、このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて、ぜんぜんもらえないかもしれない。でも、一生懸命がんばって、私たちがとにかくがんばって、届けたい。いまのこの思いを!」

「そう。言いたいことはそれだけかしら。まあ、あなたの考えはよくわかったわ。でもこれ以上学校の運営上にさし障りが生じた場合、生徒会として黙っておけない。なんらかの干渉があると覚悟して」

 それだけ伝えると、絵里は踵を返して去っていく。

「待ってください!」その背中を穂乃果は呼びとめた。その声は開け放たれた入口の扉から廊下へと響いていく。

「まだなにか言い残したことでもあるの?」絵里は怪訝そうに穂乃果を見やる。

「どうすれば認めてもらえますか。スクールアイドル、μ’sを」

 絵里は、とりとめもないことを耳にしたとでも言いたげに彼女たちに背を向けた。そして階段を上りながら聞こえるか聞こえないかぎりぎりぐらいの音量で、「――結果を出しなさい」

「え……」

「結果がすべてよ。あなたたちの言うことは理想でしかない。著しい成果が見られなければ私は納得できない。この音ノ木坂の生徒会長としてね」

 階段を上りきった絵里。その身体が講堂から廊下へと移動しようとした瞬間、穂乃果は訴えた。

「わかりました。それなら……いつか、いつか私たち、必ず」ステージ上の穂乃果は、一歩前へと踏み出す。「ここを満員にしてみせます!」

 穂乃果は右手を強く握りこむ。爪が手のひらに食い込んで、血がにじみ出た。

 絵里は返事をすることなくホールから姿を消した。

 日はさらに傾いていて、窓枠のアルミサッシは廊下にいびつで細長い四角形をつくっている。その中を静かに絵里は歩いていく。

 全身オレンジ色に染まった彼女に背後から、「ふふっ。完敗からのスタートか。これから見ものやね、えりち」

 廊下の壁にひとり、もたれかかっていた。にひひ。声の主はあやしげに微笑むと、絵里を追いかけてゆっくりと歩んでいく。

「べつに、あの子たちに期待なんてしてない」

「そう? そのわりにはずいぶんご熱心に観てたやん。後ろでこっそり、あの娘らに気づかれんように。ビデオカメラまで持って」

「そ、それはちがうわ。ただ、私は客入りと彼女たちのパフォーマンスの質を確認していただけ。ビデオは、その、」

 絵里は、少しだけ慌てた。限られた人物の前でだけ見せる、氷の仮面を外した彼女の素顔。

「あとから彼女たちに渡して、この活動がいかに無意味で、自分たちが無力であるかを実感させるために――」

「ふうん? それで、出来はどうだったん?」

「ダンス素人にしてはまあ、といったところ。でもあれではまだお話にならない」

「絢瀬センセイの見る目はきびしいなあ。おお、こわいこわい」

「うるさい。ムダ口叩いてないで早く帰るわよ、(のぞみ)

 頬をふくらませた絵里は、足早にそこを去っていく。うさんくさい関西弁を口にする彼女も置いていかれないように早足になった。

 重なった二人の影は、生徒昇降口に差しかかると廊下から消失した。




 気合一発一万字。そろそろ十万の大台に乗ったかも。今回はけっこう疲れました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。