ラブライブ! ~ 目では見えない10人目 ~   作:kiss_sea

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 はい、あけましておめでとうございます(遅)。また前回の更新から一ヶ月ほどたってしまいました。
 今回は海未ちゃん回。


13小節目 これまで、これから

『ご期待に添えられず、申し訳ありません』

 飾り気のかけらもない短い謝罪文がスマートフォンのメール受信トレイに格納されたのは、μ’sがファーストライブを終えたその日のこと。門番(白井さん)が構内に進入する車への事務手続きで持ち場を離れたその一瞬の隙をついて音ノ木坂を脱出した俺たちは、どうにかめいめいの自宅へと帰着していた。

 ベッドでごろりと横になりながら差出人を見ると、園田海未の文字。無題で送られてはきているが、さすがにどういった件に対しての()び状なのかは察せないほど、俺はにぶちんではない……と思う。

 まったく、クソ律儀だなこいつは。いまどきここまで生真面目に詫びを入れられる女子高生なんぞ、それこそ希少種じゃないか? 実家が日本舞踊の家元だとか聞いたけど、親友(穂乃果とことり)にもですます口調だし、どんだけ淑女(しゅくじょ)に育てられているんだろう。

「べつに怒ってねえよ。むしろ褒めてやりたいぐらいだ」

 そう、サクラ同然の俺たちを除きほとんど観客がいない状況に置かれて、それでも腐らずに、折れずに、最後までやり遂げた。

 俺はすぐさま返信ボタンを操作し、メールの作成に取りかか――いやちがう。文章ではない。こういうやつには、言って聞かせないとだめだ。どれだけ『そうじゃない。おまえたちはよくやったんだ。失望なんてしていない。最初はそんなもんだ。俺たちだって初めて学外でライブ演ったときはライブハウスもガラガラだったんだから』なんて書いて送っても、彼女の眼には粉砂糖がたっぷりとまぶされたドーナッツみたいな、甘く、口当たりばかりのよい美辞麗句にしか映らないだろう。

 だから、声で。音を発して、伝えなければ。

 俺は電話帳から「そ」を検索する。相馬(そうま)副島(そえじま)曽我部(そがべ)曽野(その)……園田。あった。上から五番目。彼女の名前をタップし、電話をかける。

 はたして、海未はワンコールで出た。『………………』 

 出たけれど、彼女は言葉を発しない。そのまま十数秒経過すると、俺はとうとうしびれを切らして、

「……おい、なんかしゃべってくれ。イタ電してるみてえじゃねえか」

『……もしもし』

 ようやく聞けた電話越しの彼女の声は、なんだかひどくかすれていた。泣いていたのだろうか。その原因は今日のファーストライブの悔しさ。そして、自分たちを支援してくれた周囲に、結果という形で応えられなかったことへの情けなさと、それに対する自責の念。それらは地層のようにいくつも積み重なって、園田海未という自分に厳しく人一倍責任感の強い一人の少女を押しつぶそうとしている。

「夜分遅くにすまねえな」『いえ、お気になさらず』「いつもなら寝る時間なのか、いまは」『まあ、だいたいは』「やっぱりまじめだなあ、おまえ。俺なんて高校入ってから日付変わるまでに床に就いたことなんて数えるほどしかないぞ。おかげで背は一年生ンときからちっとも伸びねえ」『そう、なんですか』「ああそうだ、今日の制服ありだとう。あれ海未のだろ。丈もちょうどよかった」『はい――あっ』

 今日。それはいま言ってはいけないワードだったのかもしれない。傷心の相手を(おもんばか)り、他愛ない話からそれとなく本題を切り出そうとしたけれど、うかつだった。自分のしょうもない失態に、俺は強く悔いる。

 一呼吸置いて、海未は問う。

『あの……メール、見ましたか。今日のライブのこと、なんですが』この言葉は、彼女がとてつもなく勇気を振りしぼって口にしたものだろう。できれば触れたくはないけれど、触れなくてはいけない。相手方に送信した以上は、このまま世間話して通話を終えるわけにはいかない。

「ああ、見たよ」俺は真剣な口調で答える。

『そう、ですか。すみません』「なんで謝るんだよ」『なんでって、それは――』

「自分たちを見込んで手伝ってくれた周囲のメンツに合わせる顔がなくてか」

『……ええ、そうです』

 ややあって、海未は気落ちした声でぼそりと言った。

「ばか」『え』「ばかだよ、おまえは」『なっ』電話の向こうの彼女は、俺の言葉に少しムッとしたようだ。『ばかとはなんですか、ばかとは』ほんのちょっぴり、海未の声に生気が戻る。

「ンなことでくよくよ悩みやがって。俺たちゃ、べつにおまえらを見損なっただなんて思ってねえよ。友弼も、椛も、楓も、あの西木野真姫とかいう娘も」

『うそです』海未は即座に返す。『それは、相手を傷つけないためのうそ。私があなたの立場でも、同じようなことを言うでしょう』

「うそなんかじゃない。おまえは、俺の声がうわべだけの薄っぺらなものに聞こえるのか」『そ、それは』「そうは聞こえねえだろう。だって俺はいま、ほんとうのことをおまえに伝えているのだから」

 海未はしかし、なおも自分を(とが)めようと言葉をしぼり出す。

『ですが、あなたたちは私たちに楽曲を提供し、それを世に知らしめることで名を上げるつもりだった』「ああ、そのとおりだ」『そのために、私たちに協力したのに。その投資はすべてむだになってしまった』

「むだかどうかは俺たちが決めることだ。それにまだ、それを判断できるほど時間は経っていない」

『あなたは優しいのですね。そうやって、刃のこぼれた刀で私と相手してくれる。万が一のことがあっても深手を負わさぬよう』スピーカーの向こう側で、すべてを悟ったように海未が笑った気がした。『こないだ歌のレッスンに来てくれたとき、椛さんが言っていました。最初のステージが肝心だ。今後の活動に勢いをつけるうえで、このファーストライブはきわめて重要だと』

 もう、こらえられなかった。 

「ええい! いまのおまえには言って聞かせないとだめだと踏んで電話したのに、この分からず屋め。いまは家か?」

『そうですが……なにをするつもりですか?』不審そうに海未は問うた。

「音ノ木坂の近くに公園があるだろ。学校に続く階段を上る前の、遊具といえばおんぼろのブランコが一つだけあるとこだ。一時間後、そこに集合。どうやら面と向かってオハナシしねえといけねえみたいだ。最近暖かくなってきたとはいえまだ夜間は冷え込む。ちゃんと寒くない服装で来いよ。いいな」『えっちょっ』

 俺は彼女に断らせないように早口でまくし立て、通話終了のボタンに触れた。そして勉強机のイスにかけてある(だいだい)色のカーディガンと通学(かばん)をひっつかむと、ドアを押しあけ、階段を駆け下りる。

 リビングのソファーでは、父と母が例によっていちゃついていたが、俺が血相を変えて駆けこむと何事かと振りかえる。

「父さん、母さん。ちょっと出かけてくる。遅くなるかもしれないけど心配しなくていいよ」

 それだけ伝えて、俺は自宅を飛び出した。

「美紀、あれは女だね。こんな時間に外出なんてそれ以外に考えられない」「バンドの娘とデートでしょうか。そういえばやたらと仲のいいのがいるとかいないとか」「青春してるねえ。僕たちが出会ったころにそっくりだ」「あら、でも私はいまでもあなたと一緒にいるだけでどきどきするんですよ」「僕たちの青い春はまだ終わってないということだね」「そうですね」「あははははははははははははは」「うふふふふふふふふふふふふふ」

 背後から聞こえてくる耳をふさぎたくなるほどのゲロ甘なやりとり。けれど息子そっちのけでこうして乳繰り合ってくれるのは、ときにはめんどうな手間が省けて助かったりするのだ。

 

 

 

 結果から言えば、海未は来た。いや、来ていたというのが正しいか。俺が電車を乗り継いで指定時間ぎりぎりに集合場所へ到着したときには、すでに彼女は公園の青いベンチにぽつりとひとり腰かけていた。俺の最後の指示はきちんと彼女に伝わっていたのか、クリーム色のセーターを着用。真姫宅の庭で初めて出会ったときに着ていたあれだ。とくにすることもないのか、ぼんやりとした街灯の光のもと、ロングスカートに隠された自分のひざをじっと見つめている。うつむいているが、その表情はひどく曇っているのが遠目でも見てとれた。

 午後十一時三十七分。公衆トイレの壁かけ時計は間もなく翌日の時を刻もうとしている。時間も時間だ。公園には海未以外だれもいない。そうして俺は待ち合わせ場所として最悪なチョイスをしてしまったことに気づく。少なくとも俺より腕っぷしは強い――彼女は学校で弓道部に所属、そのほかにも実家の関係で剣やらなぎなたやらの心得もあるそうな――とはいえ、人気のないこの暗闇のなかで女子生徒を待たせるのはきわめて危険だ。無事であったからよかったとはいえ、もっと考慮するべきであった。もしこの事実が椛や友弼に知られたらそれこそ血祭りに上げられること請けあいである。

 駅から走ってきたので、俺は少々息が上がっている。荒い呼吸のまま彼女に近づき、その二十メートルほど前で、

「悪い、待たせたな」

 彼女は真っ黒に塗りつぶされた空間へ視線をさまよわせると、すぐに俺を見つける。暖色系の服装は夜でもわりとはっきりと見えるのだ。

「いえ、私もいま来たところでして」言いながら、海未は右に詰めて俺の座るスペースを用意してくれた。俺は彼女に肩を並べて、ではなく一歩分離れて腰を下ろした。自分から会うことを提案していてなんだが、じつのところ、μ’sのなかでマンツーマンでのコミュニケーションが最も取りづらいと感じているのがこの海未だ。彼女自身の引っ込み思案な性格も手伝って、なかなか距離感をつかみにくい。穂乃果かことり、いわば仲介役が横にいればまたちがうのだけれど。

 俺はやはり、電話と同様に世間話から入ることに決めた。俺自身はいきなり本題を切りだしてもよいのだが、たぶん海未が話しにくいだろう。まずはその緊張をほぐしてやらねば。

「こんな遅くに呼び出してしまってすまないと思っている」

「い、いえ。私も今日はなかなか寝つけそうになかったのでちょうどよかったです」「親御さんにはどう言って出てきたんだ?」「ちょっと散歩してくる、と」「そうか」「はい」「じゃあ、早く帰らなきゃいけないな」「そう、ですね」

 会話終了。よし、少し状況を整理するためにいま置かれている状況をチェックしよう。

 年ごろの男女が夜中の公園で二人きり、ましてやいま同じベンチに()し、互いのまばたきが、口の動きが、風になびく毛先がわかるぐらいの距離にいる。身も心も固くならないはずがない。

 蛍光灯と星月の明かりが混ざった光は頭上から降り注ぎ、弱々しく、けれど優しく少女を包んでいる。深い海の底みたいな色をした長くやわらかそうな髪は、ときおり吹く夜風にそよぎ、左右に小さく揺れている。

 ただひたすらに両ひざのあたりを見続ける彼女。ちょうど目元までが淡く照らされている。その横顔は触れればたちまち壊れてしまいそうなほどに繊細で(はかな)く、とても神秘的で――そしてこの世のものとは思えないほどに、きれいだった。そう、今日のファーストライブのときよりも、もっと。

 目線が釘づけになるとはこのことだろうか。しばしの間心を奪われていると、俺の視線に感づいてか、

「あ、あの、なにか……?」

「うっ、あっ、いやっ、なんでも。なんでもないっ」俺は首を左右に振ってごまかす。見とれていましたすみませんなんて、言えるわけがない。それよりそろそろ本題に入らねば。

 呼吸を整え、あらためて口を開くけれど。

「あのさ」「あの」二人の発言タイミングは、見事なまでにかぶる。「先、いいぞ」「いえ、瑞季くんどうぞ」「いや、さっきから俺がしゃべってばっかりだし、海未が」「あ、はい。それじゃあ、その」

 海未も、考えていることは一緒だった。

「そろそろ用件のほうに入りませんか。お話したいこととは、電話の続きですよね」

 

 

「努力が足らなかったのでしょうか。それとも、もっと私がビラ配りを熱心にやっていればよかったのでしょうか」

 最初に口を開いたのは、意外にも海未だった。

「三人で円陣を組んで士気を高めるとまもなく、幕が上がりました。ですが」海未の声は震える。夕方の真新しい記憶だけに、その情景はむごたらしいほどに鮮明なのだろう。「席にはだれひとり、座っていませんでした」

 海未は下を向いたまま、なおも続ける。

「ことりはあのとき、あなたがたが客席にいないこと――いえ、実際はいたのですが、ステージ上からでは見えなかったので――ショックを受けているようでした。私もそうです。そうですが――」

 海未はまるでつい数時間前の自分自身が信じられないかのようにふり返る。「あなたがたが音ノ木坂のホールにいないこと、自分たちの情けない姿を見られなかったことにほっとしてしまった私も、たしかにそこにあったのです」

「恥ずかしいことは嫌いか」俺はそんな疑問を口にしていた。「俺は嫌いだ。人生において避けられるものなら避けていきたいと思ってる」

「へえ、意外ですね」海未は目を丸くして、「ライブを何度もこなしている瑞季くんなら、そんな気持ちにすらならないだろうと思っていましたが」

 俺は首を横に振って、

「まさか。俺だって人前で演るときは手だって震えるし、心拍数だってうなぎ上りだ。とくにステージに出たときの、あの観客の目線が一点に集まる感じは最悪だ。やっぱりライブなんて演るもんじゃないって、あの槍みたいな視線を一身に浴びるたびに感じる。あんなのいくら場数を踏んだところで慣れるもんじゃない。ああ、思い出すだけで変な汗が」

 海未は黙って、俺の話に耳を傾けている。

「でもな。ライブ演ってるときの『気持ちよさ』ってのは、そういうどきどきだとか恥ずかしさだとかを乗り越えた先にあるんじゃねえかな。自分たちのつくるグルーヴにまず自分たち自身が気持ちよくなる。そんでもって、あの突き刺さるようなまなざしから一転、パフォーマンスを見た観客は笑顔になって俺たちに拍手してくれるわけだ。それがまた、心地よいんだな。どう思う? 俺の考え」

 それはすなわち、ファーストライブの一部始終をもう一度回想してみたうえで考えてくれという意味で。海未はしっかりとその意図を()んで、

「それは、そう、なのかもしれません。現に今日の私はそうでした。穂乃果の言葉を借りるわけではないですが、歌ったり踊ったりしているときは、観客席から賞賛の拍手が聞こえているときは、楽しかった。それこそその四分あまりの間だけは、まるで痛み止めが効いているみたいに、辛い思い、恥ずかしい思いなんて些末(さまつ)なことであるかのように捨て去られて。ただ、自分がこの場で最高の演技をするということだけに夢中になっていました」

「それでいいじゃねえか。とりあえず、自分が楽しければ」

「そういうわけにはいきません! あなたがたはそれでいいのですか!? 私たちでは、」海未は立ち上がって、俺に半歩ぶん詰め寄った。「私たちでは、あなたがたの本来の目的は達成できないかもしれないのですよ!?」

 ああ。この女の子は、ほんとうに。なんて責任感が強くて、なんてばかで――なんて、弱いのだろう。

「だいじょうぶだよ、おまえたちなら」「ですが、」海未はなにかまだ言いたげだったけれど、それより先に俺は口を開いて、

「なんのために俺がいて、友弼がいて、椛がいて、楓がいて、西木野真姫がいる」

 その問いかけに海未はしばらくぱくぱくと口をあけたり閉じたりするも、形のよいそれから言葉は出てこない。

「穂乃果はあのレストランで言ったよな? 俺たちも仲間だ、って。ことりなんてμ’sの一員にしてくれたぞ。それなら仲間(メンバー)を、ライブが成功するまで、あの音ノ木の講堂を満員にするまで、いいや全国の舞台に俺たちを連れていってくれるまでサポートするのが筋ってもんだろう。ちがうかよ」

 俺以外、ここに彼らはいないけれど。きっと、同じことを思ってくれるはずだ。だってやつらもまた、俺や穂乃果の、いまひとつ実現性が見えてこないうまい話に乗せられた大ばか者たちだ。彼女たちを見捨てることは、絶対にない――たぶん。

 俺の語る単語一つひとつは強烈なつむじ風となって次々と少女に襲いかかる。最後まで言い終えると、海未は力尽きたようにふたたび自分のポジションに座りこんだ。そしてぼそりと、注意していないとほんとうに聞き逃してしまいそうな声で、

「それでも、私には……」やっぱり下に、自分のひざ目がけて言うのだ。その大きさからしてこの言葉は俺に向けられたものではなく、あるいは独り言だったのかもしれない。「私には自信がありません。瑞季くんたちの夢を実現できる自信が」

「だめだ。あきらめるな。俺たちがいい曲を作ってやる。ダンスも素人だけど、振りつけも一緒になって考えてやる。だから、最後までやってくれ。これは俺からのお願いだ」「できません。私にはやっぱり、アイドルなんて」「海未! 顔をそむけるな。こっちを向いてくれ。俺の話を聞いてくれ」

 けれど、それどころか海未はひざとひざの間に顔を埋め、ぽつぽつと語りはじめた。

「今日のライブが終わったあと、穂乃果は生徒会長に言いました。『いつかこの講堂を満員にしてみせる』と。夢物語のようだと私は思いました。そんなこと、できっこない」

 その瞬間。俺は綿のスカートに埋没した顔面を強引に引き起こし。

 ぱちん。

 触れればたちまち壊れてしまいそうだなどと形容していたにもかかわらず、そんな乾いた音を立て。あろうことか彼女のそのきれいな顔を、俺はぶっていた。

 海未の顔が上がった。こちらを見る。この公園に来てから、はじめて正面からまじまじとその顔を見たような気がする。

 電灯の明かりに照らされ、彼女の目元からほほへと、ふたすじの線がまっすぐ下りているのがわかった。

「痛かったか?」「すこしだけ」「……ごめん」「いえ……」

 二度目の沈黙が訪れる。今度はそれを、俺が打破した。

「正直言うとさ、今日のライブまで、不安で仕方がなかったんだ。おまえたちと手を結んだことがほんとうに正解だったんだろうかって、自分の選択が誤ってたんじゃないかって、あれから何回も思った。けど」俺は立ち上がった。俺の顔を追うように、海未の目線が動く。

「今日のライブを見て、なにをばかなことを考えてたんだろうって思い知らされたね。だって俺たちが見たのは、こんなにも楽しそうに舞台に立ってて、こんなにもきらきら輝いてて、こんなにも観客が()きこまれる演技をしている娘たちだったんだ――俺はアイドル素人だけど、そんなやつでもすげえって感じられたんだ。こんな娘たちに疑いを抱くのは、あまりにも失礼だ」

 少女の白いほほから滴が一滴、二滴と離れて、公園のざらざらした土を濡らした。

「それと同時に、この娘たちならいける、きっとだいじょうぶだって心の底から思えた。だからさ、」

 次の言葉を口にするのはあまりにも照れくさくて。こっちを見てくれ、顔をそむけるななんて言ったわりには俺は海未と視線を交わすことから逃げ、公園の植え込みへと目線を投げる。

 そして俺は顔をかきながら、彼女にこう伝えるのだ。

「もうすこしだけ、おまえたちのことを信じさせてくれ。俺の確信が正しいものであったって、証明してくれ」

 海未は(せき)を切ったように泣きじゃくりはじめた。夜更けの公園、周囲に響き渡るほどの声で(こく)する可憐(かれん)な少女をベンチに座らせ、対する男はぽつりと立っている。あれ? これカン違いされるやつじゃね?

 どうしたものか、俺はただおろおろとしていると、

「……ひっぐ。やっぱり、あなたは優しいです」

 目元を大きく腫れさせて、かすれかすれの声で、俺に伝えたのだった。

 

 

「もう、こんな時間なんですね」掛け時計を見た海未は申し訳なさそうに言う。もう、日付は翌日となっていた。「すみません、私のせいで」

 あれから海未はひとしきり号泣し続けたのだが、当然彼女ひとりを置いて帰ることなんてできるわけもなく。こうしてただベンチで、隣の少女が泣きやむまでずっと待っていたのである。

「いや、べつにいいよ。さすがにこんな夜中に女の子ひとりにするわけにはいけないし」あんなことを言った手前、いやちょっと俺の手には負えません無理ですごめんなさい失礼しますだなんて言おうものなら、明日の夕方には俺のなきがらが部室に遺棄されていることだろう。主にゴツい男子生徒とうるさくてちっこい女学生の手によって。

 俺は鞄の奥底でくしゃくしゃになっていた無地のハンカチを取り出し、海未に押しつけた。「ほれ。汚ねえけどそれでもかまわないんなら使えよ」

 海未はありがとうございます、と受け取ると、「歌のレッスンで来た椛さんがあなたのことばかりを話していた理由が、なんとなくわかりました」

「ああ? どういう意味だそりゃ」

「それを()くのは野暮というものですよ。ふふ」海未はなんだか含みのある微笑みを見せると、涙でぐしゃぐしゃの顔を丁寧に(ぬぐ)っていく。

 あらかたそれも終わると彼女のロングスカートのポケットが震えた。「おや」海未はそこから携帯電話を取り出し、画面を覗きこむ。

「電話です。父から」

 やばい。それだけで全てを察してしまう。

「ああ、うん。早く出たほうがいいんじゃ、ない……?」と、俺は青ざめた顔で答えた。

 彼女はうなずくと、画面をタップして本体を耳へ押し当てる。

「はい、もしも――」『いまどこをほっつき歩いているんだ! 散歩って言ったきりぜんぜん戻ってこないじゃないか! 親に心配をかけるなこのバカ娘がっ!』

 五秒で通話終了。相手の怒鳴り声の大きさたるや、音源から離れた俺の耳でもはっきりととらえることができるほどで、耳元に携帯がある海未なんてその声量に顔をしかめている。

「ええと、帰りましょうか」「ああ」子を思う親の気持ち、おそるべし。

 

 

 それから私はひとりで帰ります、これ以上ご迷惑はおかけできませんと(かたく)なに単独行動を試みる彼女をなんとか説得し、二人は公園へ向かうルートを逆にたどっている。

 さっきまであれほど言葉を交わしあったのに、いまとなってはそれがうそのようで。また、無言で(とき)が過ぎていく絵面に戻る。俺は沈黙にいたたまれなくなって、

「ほっぺた腫れてるな。すまん。強くたたきすぎた」

 街灯に照らされた彼女の右ほほ。豊頬(ほうきょう)の美少女というにはあまりにも片側だけが不釣り合いに、ぷっくりと赤く膨らんでいる。

「いえ、あれぐらいでちょうどいいんです。おかげで目が覚めましたし」「でも泣いてたじゃねえか。力加減わからなくて思いっきりやっちゃったし」「ああ、それは――」

 海未はあごに人指し指を当て、続く言葉を言うべきか言わざるべきかしばらく逡巡(しゅんじゅん)してから、

「あれは、べつに痛くて泣いてたわけではないんです」

「え」

「あなたはうつむいてばかりの私にこっちを向け、と言いました。ですが、私はそうはしなかった。これはなんででしょうか」

 海未はいたずらっぽく笑う。その瞬間だけ、周囲よりもすこし落ち着いていて大人びた園田海未が、年相応の無邪気さをもったひとりの少女へと様変わりしたようだった。

「なんでって」ぴんとくるはずもない俺は首をひねる。「ヒントくれよ」

「ううん、そうですね。私ではなくても、きっと女の子ならみな同じことをすると思います。とくに椛さんなんて」

「はあ? なんだよそれ。ぜんぜんヒントになってねえじゃねえか。だいいち椛がなんで関係あるんだよ」

 文句を言う俺に海未は、

「うふふ。うわさどおりの方ですね、あなたは」

「おい、いい意味には聞こえねえぞ」

「やれやれ、椛さんの思いが実を結ぶのはいつの日になることやら」

 なんの話だよ。俺はそう問うたけれど、海未はなんだかんだとはぐらかすばかりでまともに取り合ってくれなかった。オンナノコというのは、よくわからん。

 そんなやりとりをしている間に、彼女の実家に到着した。

 二重の防壁とでも言えばよいか。最初の壁はものものしく積まれた周囲を囲む石垣である。それを横目に石畳の通路を歩いていくと、次に姿を現すは二つ目の壁。夜目にもコントラストが美しい、白壁に黒塗りの(へい)だ。高さ二メートル弱、おおよそ日本人の背丈では中の様子はうかがい知れない。

「西木野宅もとんでもない代物だったが、おまえの家もたいがいだな」

 正面。塀と塀の間には、まさしく武家屋敷とよぶにふさわしいその内部へと繋がる大きくいかめしい門が構えられている。いったいいつから使われているのか、どっしりと重量感を感じさせる鉄製のそれの表面は、空気に触れてさびつき、赤黒い模様が点々としている。

 その門を片手で悠々と押し開けた海未は、

「そうですか? それでは、私はここで失礼します――ええと、瑞季くん。終電には間に合いそうですか?」

「無理だな」俺は即座に返答する。携帯で時間を確認する。もう、〇時もとうに半分を過ぎていた。いまから秋葉原駅に急いだところで、俺はプラットホームで途方に暮れることになることは間違いないだろう。

「そう、ですか。申しわけありません」彼女が両手をそろえてお辞儀をする。その瞬間視界を遮るものがなくなった。マツとウメとサクラが植え込まれた庭の奥に、恰幅(かっぷく)のよいおじさまが仁王立ちしているではないか。あれが海未の父なのだろう。間もなくその怒号は、夜更けなどお構いなしにこの近所一帯に鳴り響くことになることは、火を見るより明らかだった。

「ああもう。いいって。なんとかして帰るからさ」

 じゃあな、また。俺はそう言い残し、踵を返して園田家前から去ろうとする。しかし背後から、

「ああ、それでしたら。私の自転車をお貸ししますので」

「え」

「高校に入ってからというもの、乗る機会がすっかり減ってしまいまして。ちょっと待ってください」海未は門の裏からシルバーの二輪を担ぐと、でんと豪快に俺の前に置いた。

「はい、どうぞ。では、ごきげんよう」

 海未はまたぺこりと頭を下げると、敢然と父のもとへと歩んでいく。恐ろしくないのかねえ。

 渡された自転車のサドルにまたがると、それから海未の残り香が漂ってきた気がして。公園でのあの、神々しいまでに整った彼女の横顔をふと思い出して、思わずどきりとしてしまう。

 ここから自宅まで、少なく見積もっても約四十分。長旅になりそうだった。

 俺はぺダルを蹴りだす。海未父のお説教が始まるまでに、できるだけ遠くへ。

 前かごに入れた通学鞄は五月の風に揺れ、生きているかのごとくかたかたと動いた。




 きみはじてんしゃどろぼう~♪
 ユニコーンの曲のなかではけっこう好きです。一番はMaybe Blue。次点で大迷惑。三番目がWAO! でしょうか。
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