ラブライブ! ~ 目では見えない10人目 ~   作:kiss_sea

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 思春期特有の不安定な心理模様は、青春小説を書くうえでの醍醐味なのかもしれません。


17小節目 カンジャ(2)

 ゆえに三軍のこと、間より親しきはなく、賞は間より厚きはなく、ことは間より(ひそ)かなるはなし。

                     ――孫武(そんぶ) 著、曹操(そうそう) 註『孫子(そんし)の兵法 第十三(へん) 用間』

 

 

 

    ◆       ◆       ◆

 

 

 

 小泉花陽はアイドルが好きである。それも筋金入りのアイドルオタクなのだ。

 幼いころからテレビのなかのきらきら輝いている少女たちに強く憧れていた。そんな彼女が、「私も大きくなったらあの子みたいにかわいい服を着て、大勢のひとの前で歌ったり踊ったりしたい」というひそかな思いを抱くのは、必然的とも言えた。

 しかしその夢を叶えるためには、彼女には決定的に足らないものがあった。

 それが、自信。

 もともと積極的に動くようなタイプではなかった。小学校時代はそれでもまだ多少はましではあったけれど、中学生、思春期を迎え周囲の視線が気になりはじめると、自分はアイドルになりたいから放課後は毎日ダンスの練習に取り組みます、よかったら私と一緒に天下を取りませんか、だなんて声を大にして言えるわけがなく。学級ではただ自分の趣味嗜好(しこう)が周りに漏れることがないようひた隠しにしつつ、スクールカースト上位集団特有の華やかで甘酸っぱいコイバナやらスポーツに精を出す姿やらをぼんやり眺めては、ああ、私にもあんなふうな元気があればなあ、とため息をもらすのであった。

 アイドルの夢は、中学卒業と同時に捨て去った。舞台に立つ以前に、引っ込み思案な性格をどうにかしたいと思った。

 親友、星空凛は典型的なアウトドア少女。いつもにこにこ、悪く言えば楽天的な彼女を見ていて考えた。からだを動かせばすこしは自分というものを変えられるのではないか、と。

 そんなこんなで、高校生になった。

 凛に相談して連れて行かれたのは、陸上競技部の部活動見学。花陽にとって初めての運動部が陸上だというのは好都合である。経験者の凛なら初心者にも助言してくれるだろう。

 けれど。グラウンドで先輩に交じってトラックを走る気には、いまひとつなれなかった。

 その日は学校に誕生したスクールアイドルのライブが行われるのだった。昔からあれほど夢中になっていたアイドルという存在を、身近な場所で見て、感じることができる。夢といっしょに放棄したつもりだったけれど、好きという気持ちだけは釣り針のように心のどこかでひっかかって、まだ残っていた。

 花陽の足は、会場である講堂に向かっていた。

 

 

(なにしてたんだろ、私)

 

 という後悔の念は、ここ数日、授業中でも入浴時でも床に就く前でもふとした拍子にひたすらこみ上げてくる。

 部活見学の場から走り去ってしまったこと。私は自分を変えたくて、運動部に入ろうとしたのではなかったのか。

 仮入部の期間が終了してしまったいまとなっては、あのときそういう選択をしてしまった自分を責める言葉だけがひたすらに募っていく。

 

 

(ほんとうに、凛ちゃんに申しわけないよ。あんなにも私のことを考えてくれてたのに)

 

 学級終礼を終えた直後の教室。部活に急ぐ者。友人と最近駅前にできた甘味処(かんみどころ)の話をする者。バスの時間まで読書をして時間をつぶす者。その姿はさまざまだが、とにかく生徒はまだ大勢残っていて室内は閑散(かんさん)としているわけではない。

 ところで、帰り支度(じたく)はとうに整っているのに、花陽は自分の席を立つことができないでいた。

 

「かよちん、帰ろっ」 

 

 その凛が机ひとつ分離れた距離から声をかけた。うつむいていた花陽は突如呼ばれた自分の愛称にびくりとする。

 

「ひゃあ! ――って凛ちゃん」

「どうしたの? 浮かない顔だけど」言って二秒後に凛はつけ足す。「あ、もしかして。お昼に食べた凛特製のおにぎり、あんまりおいしくなかった? ごめんね、かよちんを喜ばせようと思ったんだけど、凛お料理苦手だから……その、こんなのも満足に作れなくて」

 

 凛の眉根が下がるのを見てしまった花陽は、

 

「ううん、ちがうの。作ったくれたおにぎりはおいしかったよ。これはその、いろいろあって。凛ちゃんのせいじゃないよ」

「じゃあなにがあったの。かよちんが苦しんだり落ち込んだりしてると気になっちゃうよ。かよちんは凛の一番の友だちなんだから」

 

 凛と自分は深い信頼関係で結ばれている。そのことは、花陽自身も重々承知だ。だけれど、本人を目の前にして()()()()を伝えることは、彼女にとって難しいことであった。

 それにどっちみち言ったところで、親友は、「もう、そんなことは凛は気にしてないよ。ひとには向き不向きがあるの。身体を動かすならべつに陸上部じゃなくてもいいんだから」ってそんな言葉かけをしてくれるだろう。中学まではその優しさにすがってばかりだったけれど、もういまは高校生だ。凛にこれ以上の迷惑はかけたくなかった。

 

「ううん。心配しないで。たいしたことじゃないから」

 

 なんとか作り笑顔で答えて、花陽は椅子から立ちあがる。

 

「そんなわけない。たいしたことじゃないようには見えないよ」

「ほんとうにだいじょうぶだから。凛ちゃんは部活あるでしょ。私と帰ってていいの?」

 

 花陽の問いにすこしだけ凛は考えこみ、返す言葉を脳裏に浮かべる。

 

「あ、いや、今日はちょっとかよちんと帰りたい気分で。それにかよちん、なんだか悩んでるみたいだし。凛にできることなら相談に乗りたいなあって」

「それはだめだよ、凛ちゃん。自分のやりたいことをがまんしてまで私のめんどうを見ちゃいけないよ」

「でも」

「ごめんね凛ちゃん。私、ちょっと用事あるから先帰るね。部活、がんばってね」

 

 そう言い放って花陽は駆け足で教室を飛び出した。当人は気づいていないものの、芯のしっかりとした「通る声」だった。彼女はおとなしい性格だとばかり思っていたクラスメートみなが花陽の言動にぎょっとしている。

 室内が無音となっていた。

 

「凛ちゃん。小泉さんとなにかあったの?」

 

 ぽかんとしている凛の肩を、しっかり者で一年一組の級長を務める水野(みずの) 友香(ともか)が叩いた。

 

「……わかんない。とくにかよちんの気に障るようなことはしたつもりはないんだけど。きっと、いやたぶん、ひょっとしたら」

「もう、凛ちゃんが不安になってどうするの。もし話がこじれてきたら気がねなく呼んでね。二人の仲を取り持つようなんとかするから。なんてったって私はこのクラスの学級委員長だもの」

 

 水野は自信満々に胸を張る。高校生ばなれした豊満なバストが強調され、彼女と対極的なスレンダー体型の凛はべつの意味でも微妙に傷ついた。

 

「うん、ありがと。もしものときは、お願いするかも」

 

 満足そうに水野は去っていく。頼られることをなによりも好む生徒だ。だからこそだれもがめんどうで嫌がるような級長という役職に立候補したのだった。学年が学年なら例の生徒会長と学校の覇権をかけて雌雄(しゆう)を決していたのかもしれない。

 

「――ねえ、かよちん。ほんとうにどうしちゃったの?」

 

 彼女の独白はふたたび喧騒を取り戻した教室に埋もれていき、すぐに弾けて消えてしまった。

 

 

 

 用事というのは、後づけでどうにかなるものだ。

 現に花陽はその用件を手に入れた。考えたのではない。形あるものとして、いま彼女のスクールバックのなかに入っている。

 生徒手帳である。そして金文字で刻まれた氏名は――西木野真姫。

 むろん、たとえば体育の授業前に更衣をしているとき、真姫が脱いだ制服のポケットからこっそり抜き取ったというわけではない。いたずら、ともすれば陰湿な嫌がらせともとれるようなことを花陽が真姫にするわけもない。これはいましがた拾ったものだ。

 ライブが終わり、次のアイドル活動へとまた一歩を踏み出したμ’s。階段を上ってすぐの廊下の両脇には画鋲(がびょう)でとめる方式の掲示板がある。

 そこにはA3サイズのポスターが貼られていた。(くだん)の三人が色鉛筆で描かれている。かわいらしくデフォルメされたイラストとともに、ポップな字体で書かれた「初ライブのお知らせ!」――が二重線で訂正され、その上に『μ’s』という文字が躍っている。

 そして、やはり手描きの雲型吹き出しのなかには、丸っこくいかにも女子を感じさせる字形で、「メンバー募集中!」とある。

 ポスターの前にはどこかの空き教室から持ち出されたであろう学校机が一台、置かれている。ウレタンニスが塗られてらてらとした光沢をもつその上には、A4プリントの束。厚みは十センチはあろうか、取るときに山が崩れないように透明なプラスチックトレイに収まったそれは、放課後、すこしずつ生徒が増えはじめた廊下でもひときわ存在感を放っている。

 プリントを一枚、花陽は持っている。私たちと一緒にアイドルやりませんか? 端的にそんな文言が表記されていた。

 その机の前に落ちていたのがこの手帳だ。

 拾って持ち主に返すべきか、それとも見て見ぬふりをして帰路につくか。

 真姫とは何度かは会話したことがある。ところが学校で見るかぎり、最近の彼女は、なんだかいつにもまして鬱々(うつうつ)としていて、周囲にひとを近寄らせない厚く硬く高い壁を張りめぐらしてしているようだった。花陽もそんな真姫にはどうしても話しかけづらかった。

 激しく葛藤したけれど、しかしこれは十分な「用事」になるため、花陽は前者を選択した。凛にうそをつきたくなかったのだ。

 

「ええと……あれ?」

 

 生徒昇降口。真姫の下駄箱を見れば上等そうな革靴が二足入っている。てっきり帰ったのかと思いきやまだ校内のどこかにいるということだ。

 すると、考えられる可能性としてもっとも高いのは音楽室だ。仮に、いまから引き返してそこでピアノを弾いているであろう彼女に渡すにしても一年生の教室がある廊下を経由する必要がある。すなわち最悪凛とばったり出くわすリスクが生じるのだ。

 いまの花陽にとって、来た道をもう一度逆からたどることのメリットは無に等しい。

 花陽は自分の靴に手をかけた。

 

 

 

 案の定、帰りがけに大幅に寄り道をしてまで訪れた西木野邸には真姫の姿はなく、今日は非番だという彼女の母――真衣が代わりに応対した。

 ()()だけを手渡して失礼しようかとしたが、そうもいかなかった。

 

「せっかくだからゆっくりしていって。わざわざ家まで届けてくれたんだもの、お礼ぐらいしなくちゃ。いまちょうどクッキー焼いたとこなの。よかったら食べてくれるかしら」

 

 (あで)やかな大人の笑みが浮かべられる。断るのも失礼な気がして、花陽はおずおずと首を縦に振った。

 

 例のリビングに通されてふかふかのソファに控えめに腰かける。目の前のテーブルにはアールグレイティーの入った陶磁器のカップ二つと、大皿に盛られた湯気の立つバタークッキー。ベルガモットの鼻に抜けるような爽やかな芳香と、甘美で馥郁(ふくいく)たる焼けたバターの香り。

 思わず花陽は生唾(なまつば)を飲み込んだ。

 

「はいどうぞ。召しあがれ」

「い、いただきます」

 

 皿に手を伸ばし、まだじんわりと熱い一枚をつまみ、口に運ぶ。細かく砕かれたアーモンドの歯触りと、意外にもしっとりとしている生地の対照的な食感がおもしろい。

 

「どう?」

「……おいしい、です」

「うふふ、お口に合ってよかったわ」そう言って、真衣もハート型にくり抜かれて焼き上げられた一枚を咀嚼(そしゃく)する。「うん、まあまあ上出来かしら。あとで真姫にも食べさせましょう」

 

 やはりここは落ち着かない。花陽は室内をぐるりと見わたす。

 もう真姫の家にお邪魔するのはこれで三度目となるが、来るたびになにかしらのインテリア用品が増えていて、たとえばこのソファ脇にある観葉植物なんてそうだ。大ぶりで肉厚の葉はつやつやと室内灯の光を蓄えており、鋭く深い鋸歯(きょし)もいくつも並んでいる。熱帯種なのだろうか。日本に生まれて十五年、少なくとも花陽はいままでこのようなものは見たことがない。

 

「なにか足りないと思ったら、BGMがなかったじゃないの」とごちた真衣は、天井すれすれまで伸びている部屋奥のCDラックからお目当ての曲を探しだすと、その左に鎮座する大型のオーディオ機器に飲みこませる。

 四方八方の壁に据えつけられているスピーカーからはピアノの伴奏と、それに支えられたヴァイオリン属の弦楽器が高音部から低音部までいくつも折り重なって、部屋のすみずみまで伸びていく。

 J(ヨハン).S(セバスティアン).バッハ作曲『管弦楽組曲第3番二長調第2楽章』を、アウグスト・ウィルヘルミの手によってヴァイオリニストがG弦だけで演奏できるように編曲された『G線上のアリア』。

 

「やっぱりこの曲を聴くと落ち着くわねえ。先月来たときは『四季』の第一楽章()だったわよね。あのときはほかにも大勢いたみたいだけど、今日はあなただけなのね」

 

 そう言って、真衣は花陽の対面に座る。

 

「はい。その、あのひとたちは私の先輩で。いろいろあって一緒になったんです」

「そうなの。私はにぎやかなのが好きだから残念だわ。――それで、ええと。小泉花陽ちゃん、だったかしら」

「ふぇっ!?」突然呼ばれた自分の氏名に花陽は驚く。「どうして私の名前を」

「あの子、たまにうちで言ってるのよ。同じクラスの小泉さんがどうたらこうたらって。ううんと、お友だちということでいいのかしら?」

 

 ――私は西木野さんにとっての、友だち? そうなのだろうか。私としてはうれしいけれど、西木野さんはほんとうにそう思ってくれているのだろうか。 

 ややあって、花陽は小さな声で、

 

「はい。たぶん、そうだと」

「たぶん?」

「……はい、その。そんなに頻繁にはお話ししたりするわけじゃないんですけど、仲は悪くはないと思います」

「へえ。まあ、それでもいいわ。真姫は昔から人づきあいが苦手でね。できたら話し相手になってもらえないかしら」

「はあ」花陽は生返事である。「西木野さんがいいなら、私はぜんぜんかまわないんですが」

「そう言ってもらえると助かるわ」

 

 でも、と花陽はためらいがちに口にする。

 

「最近の西木野さん、なにかに迷ってるみたいで。その、なんだか話しかけづらいというか。なにかあったんですか?」

「迷ってる? ――ああ、そうかもしれないわ」と、母は自宅での娘のようすを思い返しながら語った。

 

 そして続ける。親だからこそ知っている、自分の子どものほんとうの姿を。

 

「あの子は、不器用なの。なにかを成し遂げるためにはなにかを捨て、手に入れることをあきらめなくちゃいけないって思ってて。ピアノを上手くなるために休日は練習に明け暮れ、お勉強をがんばらないといけないから一緒に遊ぶ友人もつくらない。あの子がそれでいいって言うなら私は無理に止めないけれど――そんな人生って、息が詰まらない?」

 

 首肯した花陽を見て、真衣はさらに、

 

「でも。迷っている、ってことは心のどこかで気になりはじめているわけよね。たった三年間、一生に一度きりしかない高校生活を、ほんとうは自分はどう彩りたいのかってことを」

 

 微笑を浮かべティーカップを傾ける。褐色の水面に、年齢不詳のみずみずしい肌が映った。

 ――たった三年間、一生に一度きりしかない高校生活。その言葉は間違いなく娘に向けられていたものだけれど、花陽の耳にはその一言一句がやけに大きく響いたのだった。

 一口紅茶を飲むと、真衣は、

 

「ああ、そうだわ。こないだライブがあったらしいわね。どうにも作ってた曲がお披露目(ひろめ)されたとかで。どうだった?」

「最高、でした」あれこれと飾りつけるのも相手にはかえってうそくさく聞こえてしまうと思い、花陽は一言で返した。

「ふふふ、そう。よかったわね、真姫」

 

 真姫の母が天井を見上げて小さくつぶやいた言葉は、弓でこすられて生じた弦の振動にまたたく間に溶けこまれていく。

 その本人は、いまここにはいないのだった。

 

 

 

 日づけは翌日へと替わる。

 スパイとなって真姫の本心を訊きだせ。要するにそのような趣旨の電話が一つ上の先輩、高坂穂乃果からあったのは昼下がりのこと。

 詳細な話を訊く間もなく切られた。とはいえ先輩であり、いちおう面識もある。無下に断ることもできないのであった。

 それに、驚いた。真姫が曲作りを断るとはどういうことなのだろうか。

 昼食としてこしらえたソフトボールサイズの特大おにぎりを自宅の食卓でかじりながら、花陽は考える。

 また、机上のスマートフォンが振動した。

 さすがにさっきの依頼があまりにも雑すぎることを反省して穂乃果がかけ直してきたのだろうか。

 画面に触れる。

 西木野真姫、と表示されていた。

 あまりの好タイミングに、通話ボタンをタップしようとする花陽の手は停止した。

 そして我にかえったころに、ちょうど通話を切られてしまった。

 慌ててリダイヤルする。ワンコールもしないうちに彼女は出た。

 

『……出れるならさっさと出なさいよ、電話』

 

 どこか人気(ひとけ)のあるところにいるのだろうか。その声はきわめて聞きとりにくい。

 

「ごめんなさい。西木野さんからかかってくるなんてちょっとびっくりしちゃって」

『まあべつにかまわないけど。それで私が落とした生徒手帳、家まで届けてくれたのよね。さっきママから聞いたけど』

「う、うん。迷惑だった? ごめんね」と、おどおどとした口調で花陽は言う。

『なんであなたが謝るのよ』

 

 スピーカーの奥からなんともいえない叫び声が上がる。若い男、それも三、四人の集団のものだと花陽は推測した。

 

「西木野さんはいまどこにいるの」

 

 危ない場所でなければいいが。彼女の身を案じる一心で、花陽は問うた。

 すこしだけ間があって、真姫の声が返ってきた。

 

『……ゲームセンター』

 

 花陽は自分の耳を疑った。

 

「――――え」

『だから、ゲームセンターだってば。駅から出てすぐのところにデパートあるでしょう? あのなかにあるやつよ』

「ほ、ほんとうに?」

『うそついてどうするのよ』

 

 あの両親が医者のお嬢様で、いつも図書館で勉強するか音楽室でピアノを弾いているかの西木野さんがゲーセンに? どうして、そんなところに?

 にわかには信じがたいけれど、よくよく耳を傾ければ電子音が確かに聞こえる。

 生まれて初めてこういう場所に来たのであろう真姫は、困ったような声で、

 

『ねえ、ここってどうやって遊べばいいの。ぜんぜんわからないから、とりあえず店の前のベンチに座って電話してみたんだけど。昨日のお礼言うついでに訊いてみようかなって、あなたに。だめだった?』

「ぜんぜんだめじゃない。っていうかいまから行くからちょっと待ってて!」

『えっ』

 

 花陽は電話を切り、残ったおにぎりを丸飲みすると、小走りで玄関へと向かった。

 

 

 

 果たして、ほんとうに真姫はそこに座ってじっと待っていた。休日、部活でもないかぎり学校に用などないだろうに制服姿。その頭には、瀟洒(しょうしゃ)で気品のあふれる彼女らしからぬかわいらしい寝ぐせがついている。

 

「案外早かったわね」

「はあ、はあ。うん、走って来たから」

 

 花陽は深呼吸をして荒れた息を落ち着けると、

 

「それで、なんでこんなところにいるの?」と問いかけた。

 

 それに対して真姫はすこしムッとした表情で、

 

「いちゃだめなわけ」

「そ、そうじゃなくて。その、珍しいなあって。西木野さん、こういうところで遊ぶイメージぜんぜんなかったから」と慌てて花陽は弁明する。

 

 真姫は頬杖をつきながら言うに、

 

「今日はそんな気分なの」

「なにかあったの?」

「まあ、いろいろね――で」真姫は言葉を切り、右手で指し示す。「どうやって遊ぶの」

 

 そういえば彼女はそんな目的で私に電話してきたのだった。それを思い出した花陽は、

 

「ええっと、店内のどこかに貸出機っていうものがあると思うんだけど。もしなかったらカウンターの店員さんに現金とメダルを交換してもらうの」

 

 花陽自身もゲームセンターには数えるほどしか行ったことがないが、過去の凛に誘われて遊んだ記憶を頼りに語る。

 

「ああ、それっぽい機械ならあったわ。さっき見たの。店の奥に三つぐらい」

 

 真姫は立ちあがり、スクールバックから某有名ブランドの財布を取り出す。おそらく国内で買えば十万は下らないであろう。プリクラ機ののれんをくぐって出てきたどこぞの女子大生二人組みがその長財布を見て目をむいている。

 

 店へと歩んでいくブルジョアお嬢様の背中に花陽は、

 

「あの、西木野さん。私も一緒にやってもいいかな、ゲーム」

 

 はたと真姫の歩みが止まる。

 

「そのためにわざわざ店まで来たんじゃないの、あなた」振りかえった真姫の表情は怪訝(けげん)そのものだった。

 

「それもあるけど」

「それも、ってほかに目的でもあるの? まあ、べつにいいんだけど」

 

 左右に揺れるストライプスカートを、置いていかれまいと花陽は懸命に追っていく。

 

 

 

 西木野さんはどんなゲームで遊びたい? という質問は必要なかった。五百円分のメダルを手にした彼女と店内の筐体(きょうたい)を物色していると、真姫の視線はひたすらにあるものだけをとらえていたのだった。

 音楽ゲームだ。楽曲に乗って流れてくるリズムアイコンに合わせタイミングよくボタンを押す、というタイプのもの。

 

「あれがやってみたい?」と花陽。

「べ、べつに。音楽はゲーム感覚でやるものじゃないし」真姫は視線をそらし、向かいのレーシングゲームのほうを眺めるのだけれど、やっぱり気になってしかたなくて、脇目づかいにほかの客がそれをプレイしているさまを見る。

 

「でも、『当店一番人気』って貼り紙されてるけど」

「だから、べつに私は」

「私、挑戦してみようかな。ちょっと難しそうだけど、おもしろそう」

 

 花陽はそう言って空いている筐体の前に立った。

 メダルを入れてあれこれと操作する。ハイハットシンバルで4カウントが刻まれたのちに、ハネたビートでアイコンがいくつも飛んでくる。

 

「わっ、きゃっ、あっ。だ、だれか助けてえ」

 

 花陽はそれらを(さばく)くことができない。目にもとまらぬ速さで飛来する音符マークにコンボを繋ぐことはおろか、アイコンがジャストタイミングを過ぎてからボタンを押している、いわゆる「着払い」ばかりの彼女を見かねてか、

 

「ちょっと代わって」

 

 真姫は花陽を脇に押しのけると、色分けされた五種類のボタンを軽快に叩きはじめた。あれよあれよという間にコンボ数が増えていき、ついに三けた。低調だった序盤を挽回(ばんかい)するように、スコアもぐんぐんと伸びていく。

 そして、最後の一アイコンまで華麗に決めると、画面が暗転する。ドラムロールで十分に焦らされたのちに山吹色で"SCORE S+ Congratulations!!"と仰々しい表示。

 花陽は口をあんぐりと開いて、

 

「す、すごい。西木野さん、この曲知ってたの? UTXのスクールアイドル――A-RISEなんだけど」

「まさか。ただあなたがやってる後ろでリフレインの部分を聴いて覚えたの。あとは四拍子を頭のなかで鳴らしながらリズムに乗ってボタンを押すだけ。難しくもなんともない」

 

 真姫は照れた顔を悟られぬようにそっぽを向き、やや波打ったくせ毛の先を指で弄んでいる。

 

「あ、あれ? これは」

 

 画面上のドット文字を、プレイヤーより先に花陽は見て言った。

 

<スコアS突破おめでとうございます。そんなあなたにもう一曲無料でプレイのサービス!>

 

「なによこれ。意味わかんない」と口にはしているものの、真姫はまんざらでもなさそうだ。

「次はどんなのをするの?」と花陽。

 

 案内に従いレバーを操作して曲選択画面をスクロールしている真姫は、

 

「知ってる曲がないわ」

 

 お嬢様もお嬢様、いままで大衆音楽なんて触れたこともほとんどございません、という彼女が昨今の歌謡曲に(うと)いのは花陽もなんとなく察するところであって、

 

「クラシックもあるみたいだよ」 

 

 花陽の誘導どおりに真姫はボタンを操作する。

 背景が変わった。どこかのコンサートホールの舞台上に交響楽団が集結している。

 

「これがいい」

 

 パガニーニ、リスト、メンデルスゾーン、ヴェートーベン、ハイドン、大バッハ、ショパン……。真姫の目に留まったのはそのなかのいずれでもない。

 アマデウス・モーツァルト、『きらきら星変奏曲』。

 

「私がまだ幼稚園のころ、誕生日に買ってもらったおもちゃのピアノではじめて弾けるようになったのがこの曲。いま思い返せば弾いてたのは主題のところだけだったけど。それでも、楽しかった」

 

 目を細める。十年以上も前のことを懐古するように。

 彼女は“Play”にカーソルを移動させ、ボタンを押し込んだ。

 ハ長調。すべて白鍵のみで構成されたその上を、上機嫌なグランドピアノの音が軽やかに飛び跳ねていく。

 

 

 

「ふう。いい気分転換になったわ」

 

 結局例のゲームにどっぷりとはまりこんだ真姫は、登録されているクラシック曲の大半を制覇するまでそこからてんで動こうとせず、ひたすらに店内の楽曲ハイスコアを塗りかえていく作業に没頭していた。

 彼女が超絶演奏を披露しているいっぽう。かたわらの筐体にて「なんとか曲の最後までやりきった」という水準のプレイを図らずともしてしまっている花陽は、当初はひどくいじけていた。

 けれどもうわさがうわさを呼んで真姫の周囲に黒山の人だかりができるころには、私はこのひとと今日一緒に遊んでるんだぞ、という一種の誇りのようなものが花陽のなかにうまれて、いまではすっかりえびす顔である。

 そしていま、二人はゲームセンターからはす向かいに位置する小洒落(こじゃれ)たカフェで休憩をとっている。

 ジャズが流れている。ウェス・モンゴメリーが親指のみで弦を(はじ)く。

 奏でられた名器・ギブソンL-5CESは深く、あたたかい音を放つ。それら一つひとつはなめらかに繋がって、見事にフレーズを構築していく。

 

「ずいぶん長いことやりこんだよね」と、花陽。

「その、案外悪くなかったわ。また機会があれば来てみたいわね」

 

 真姫は優雅な手つきでカップのなかのブラックコーヒーを口へ運ぶ。(いき)なしぐさは、昨日見た彼女の母とそっくりだ、と花陽は思った。

 ふと、先輩からの指令が脳内にフラッシュバックして、花陽は、

 

「ね、ねえ西木野さん」

 

 真姫は急に改まった彼女の表情に(いぶか)しげそうに視線を送り、

 

「なに」

「えっと、その――もう、μ’sを手伝ったりしないって、ほんとう?」

 

 かたり。白塗りのパイン材テーブルに音を立ててティーカップが置かれた。

 

「ちょっと待って。それ、だれから聞いたの」

「うぇ、あう、その」

 

 しどろもどろの花陽に、真姫は、

 

「……まあ、おおかたあの二年生の先輩か同じクラスの星空さんでしょう」

 

 と、また頬杖をついて言う。 

 

「凛ちゃんも知ってるの?」

「ええ。五時過ぎだったかしら。昨日いろいろあって二人きりになってね。うっかり口を滑らせてしまったのよ」

 

 真姫はそのことを悔いるように口をへの字に曲げる。

 

「なんで、なの? どうして、急にやめたりなんて」つい身を乗り出して問うてしまった花陽は、我に返って頬を染めて、「よかったら、その。教えてほしいなあって」

「あなた、どうせあの先輩に私の心中を探ってこいとか言われたんでしょう」

 

 図星だった。花陽は口をつぐむ。返答できなかった。

 

「まあいいわ、教えてあげる。どうせ言ったところで他人がどうこうできるものじゃない。これは私の問題だから」

 

 え、いいの? そう言いたげな花陽に、真姫は語りだす。

 医者という家系のこと。自分のばくぜんとした将来設計のこと。今朝がたの父と佐伯里佳子のこと。言葉は泉のようにとめどなくあふれ、ふたりの少女の周囲に広がっていく。

 一部始終を語ると、真姫はさらに、

 

「背の高い草木が生い茂るジャングルのなかにひとり投げ出された気分だわ。どうすれば脱出できるのか、そもそもいま森のどこにいるのかすらもわからない」

 

 真姫は憂鬱(ゆううつ)そうにカップの中身を付属のスプーンでかき混ぜている。半分ほどかさが減った黒い液体は徐々に室温に近づきつつある。

 

「私なら、それでも最期の最期まであがいてみるかな。それがかえって死を加速させる向きにはたらいていたとしても、私は笑って死にたい。――そうだね、お米がないか探してみたりとか」

 

 言って、花陽は生クリーム入りのいちご大福をほお張った。

 

「なによそれ。熱帯雨林にイネなんて自生してるわけないでしょう」

「たとえばの話だよ。私、白いごはんが大好きだから。どっちみちトラさんやワニさんに食べられちゃうのなら、ほかほかの炊きたてごはんでお腹いっぱいになってからがいいの」

「なにが言いたいわけ」真姫は彼女の意図するところを量りかねている。

「つまりね」

 

 一呼吸入れるように、花陽は玄米茶をすすった。

 

「西木野さんは、やっぱり音楽が大好きで、好きで好きでしかたなくて。私の見間違いかもしれないけれど、さっき音楽ゲームをやってるときも心の底から楽しそうだったの。だから私がジャングルでお米を探すように、西木野さんも森に生えてる木から楽器作ればいいんじゃないかなあ、って思うんだ。少なくとも、私が西木野さんだったらそうするよ。()()()()()()()()()()()()

 

 真姫はうつむいて黙りこくる。瞳に映る真っ黒な液体は、まさしく自分自身の心情を代理しているかのようだった。そうして十数秒、

 

「そう言うあなたはどうなの」と、真姫は花陽を見すえて言った。

「え」

「あなただってアイドルが好きなんでしょ。さっきもスクールアイドルの曲やってたわけだし、こないだのライブにも行ったのよね。それなのに自分もやりたい、あの先輩みたく歌ったり踊ったりしたい、って思わないわけ」

 

 真姫の切り返しに、けれど、花陽はぶんぶんと激しく首を横に振り、

 

「わ、私には無理だよ」

「なんで」

「……だって、その。私、西木野さんみたいにきれいじゃないし。どんくさいからきっとダンスだってできっこないし。それに声だって小さいから、人前に出て歌うなんてとてもじゃないけど――」

「んっ!」真姫は花陽の眼鏡を乱暴にひったくった。「きゃっ」と短く悲鳴を上げる花陽。

 

 真姫はアンティーク調の白いカフェチェアから立ちあがる。花陽はなにが起こったのか把握しかねているのか、あらわとなった裸眼をぱちぱちとさせている。

 

「そうやっていざ自分の番となるとあれは無理、これはできないって逃げるのはひきょうよ。あなたさっき、自分で『後悔だけはしたくない』って言ってたじゃない。いまμ’sは新メンバーを募集しているわ。このチャンスをみすみす逃してもいいわけ」

「でも、私は」

「ダンスならいまからうまくなればいい。最初から完璧に踊れるひとなんていないんだから。あと、声が大きくしたいなら私が教えてあげるわ、腹式呼吸。あなたせっかくきれいな声してるんだから、もったいないわよ。それに――」

 

 真姫はふたたび椅子に腰かけて、上目づかいに、

 

「あなた、自分が思ってるより外見は悪くないわよ。私が保証するわ」

 

 どうにも気持ちがむずむずして、真姫は残りのコーヒーを一息に飲み干した。

 

 




 次回→ まきりんぱな回(たぶん)。
 そういえばサブタイトルがカタカナである意味がお分かりになったでしょうか。
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