ラブライブ! ~ 目では見えない10人目 ~   作:kiss_sea

4 / 18
 サブタイトルは苦し紛れに書いています。


4小節目 即興曲ばんざーい!

「A-RISE、A-RISEっと……あった」

 スチール製本棚の一番上、左から6番目のところからお目当ての楽譜は見つかった。本棚の上端は低い天井のすれすれまで伸びている。脚立を使わないと上段にある楽譜を取れない一方で、あまり譜面の物色に気を取られすぎているともれなく頭部を強打する超・非ユーザーフレンドリー設計。ちなみに俺はもう慣れているのでそのあたりは抜かりない。

 『A-RISE Rain of sorrow ――ナゲキノアメ――』。表表紙に印字された文字を見るだけで、昨夜の興奮が(よみがえ)ってくる。

 俺はそのバンド・ピースを一冊手に取り、脚立から降り立った。

 中をパラパラとめくる。二短調だった。まず主旋律であるヴォーカルパートに、エレキギター二本とベース、それにドラムスにシンセサイザー(楽譜のによると終盤のヴァイオリンパートもこれによるものらしい)。それに冒頭のケルト風フレーズ用アコースティックギターが二本。フォーピースバンドで譜面通りにコピーするのは人数の関係上不可能ではあるが、やむを得ない。

 次いで俺はテンポを見る。四分音符が等号で結ばれた式の右辺には、“198”の表記。

「げ」思わず声が漏れる。198? 

 速弾きの登竜門とも呼ばれる『ハイウェイ・スター』がだいたいテンポ165ぐらいだ。それよりももう一回り、いや二回りは速い。まだまだ楽器を持って一年足らずのメンバーが二人も在籍するバンドに、果たしてカバーが可能なのか。俺はひとしきり悩んだ。

「どうしたんだい、そんなに(うな)って」どうやら声に出ていたらしい。楽譜を持っていない左手で頭を抱える俺に、店長が近づいて声をかけた。少し目を離した隙に紺のエプロンを身に着けている。珍しい。

「いえ、この曲バンドでコピーしようかなと思ってたんですが難しそうで」俺は右手に握られた一冊の楽譜を、うっかり店長に手渡してしまった。

「どれどれ」店長は楽譜を受け取り、楽曲のタイトルを確認する。

「あ、やっぱりちょっと待っ」俺は手を伸ばし譜面をふんだくろうとするが、時すでに遅し。

「ぶっ! 瑞季くん、きみ案外アイドルに興味あるのかい? わはははははははははは」ゲラゲラと手を叩き笑う。大失態だ。この人だけには見られたくなかった。ネタにされるのか火を見るより明らかだったし。

「へえ、瑞季さんも()()()()()の曲、聴くんですねえ」店長の言葉を耳にした春乃ちゃんがそう漏らす。引かれてしまっただろうか。カウンターに立つ彼女の表情は、目の前に屹立(きつりつ)する本棚の存在で伺い知れない。

「……いい曲なんですよ、それ」俺は頭を掻きながら、俺はそう弁解した。「好き嫌いせずにいろいろなジャンルの音楽に触れるのは、別に悪いことではないでしょう」

「これは失敬。その通りだよ。いやあ、意外だったのでね」店長は口角を吊り上げたまま、楽譜を一ページ一ページめくっていく。五線譜に羅列(られつ)された音符を目で追いながら、紙芝居を幼児に読み聞かせるように、ゆっくりと語りだした。「君は小さいころからロック少年だったからねえ。小学校に入りたてぐらいかな。君のお父さん――義和に連れられてこの店に初めて来たことを覚えてるかい? あのとき俺は君に『好きな歌はあるの』って尋ねたんだよ。そのとき君は店内のテレビを指さした。ちょうど販促用のライブDVD、いや当時はビデオか。それが垂れ流しになっててね。それで、こう言ったんだ。忘れもしない。『ぼく、あのおじさんのおうたがすき』って。ビデオはちょうどゲイリー・ムーアが『パリの散歩道』のアドリブソロを弾きまくってる場面だった。自分のイチオシに泣きのギターの代名詞的な曲を挙げる小学生は、後にも先にも君しかいない」

「そんなこと言ってたんですか、俺」全く記憶にない。というかずいぶん渋い音楽性を持った小学生である。

「ああ。順調に義和の洗脳教育が進んでいるようで安心したよ。あいつは昔、それこそ俺以上にハードロック一筋でね」店長はしみじみと語る。「類は友を呼ぶ、というわけではないかもしれないけど、俺と義和が引き合うのは必然的だった」

「父さんとはバンドメンバーなんでしたっけ」かつて初めてここを訪れたとき、父は俺にそう紹介したような気がする。

「元、ね。大学まで組んでた」店長は補足した。「もうお互い家庭を持っちゃってるし、仕事もあるから昔ほど趣味に時間を割けるほど自由なわけじゃない。けど、」

 一旦言葉を切り、俺に楽譜を差し出す。俺はそれを受け取り、

「けど?」

「けど今、当時のメンバーと改めて音楽やったら、昔とはずいぶん方向性が変わってて面白いかもな、って思うわけよ。嫁さん迎えて、子どもが生まれて、小さい文字が読みにくくなって。自分自身の内面も外面も少しずつおっさんになっていくと、ガキの頃じゃさっぱり理解できんかったものも、だんだん(おもむき)を感じられるようになるものだから。仕事終わりに飲むビールのうまさも、親のありがたみも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

 そう言いきって、店長はたおやかに微笑んだ。その笑みは、知り合いの息子が少しずつ大人になりつつあることへの(よろこ)びなのか、あるいは昔と今の自分を比較してあまりの変容に驚いて、つい漏らしてしまったものなのか。

「いらっしゃいませ」

 ふと、自動ドアが開いた。俺を除けば本日初めての来客だ。レジカウンターの春乃ちゃんが対応する。

 靴音からして一人だろうか。リノリウムの床を軽快に打ち鳴らしながらレジに歩み寄ったその客は、

「……ピアノの試奏を」

 端的にそう告げた。落ち着いた声。本棚のせいで姿は見えないが、女性だろう。それも妙齢の。

「かしこまりました。二階へどうぞ」

 カウンター脇の階段が軋み、あまり心地のよろしくない音を立てる。二階は管楽器の部屋だ。バイト以外ではめったに立ち入らない。

「今週もか」傍に立つ店長が一人ごちた。

「え」

「最近よく来るんだよ。今さっき店に入ってきた嬢ちゃん。んで、ひとしきりピアノを試奏して満足したら帰る。朝方の人の少ない時間帯を狙って来店しているみたいだから、君が知らないのも無理はないけどね。ただ今日は昼前に来るあたり、どういうわけかいつもとはようすが違うみたいだけど」

 俺がここで労働に従事するのは、休日の、店が込み合う昼前から終業時刻である十九時まで(平日は学校がある関係でシフトに入れない)。またバンド練習でスタジオに()もる際もだいたい昼過ぎからなので、確かにそのような客は今までに見た覚えがない。

 俺はレジカウンターの前へと移動して、そのすぐ横にある二階へと続く階段へと視線を向ける。古ぼけた階段を踏み鳴らし、案内を終えた春乃ちゃんが二階から下りてきて一声。「お父さん、今日も来たよ。あの凄腕(すごうで)ピアニスト」

「ああ、そうみたいだな。直接姿は見えんかったが、声で分かった」

「今日は何弾いてくれるんだろうね。楽しみ」

「前回はベートーヴェンの『悲愴(ひそう)』。そんでその前がシューベルトの『魔王』。いつぞやリストの『ハンガリー狂詩曲第九番』も()ってたか。ずいぶん忙しい曲ばかりやるお嬢さんだなあ。目立ったミスタッチもなく弾ききるからぶったまげるよ」

 店長の口から発せられる高難易度の楽曲の数々。俺は驚嘆して、

「末恐ろしいほどの腕前ですね」

「うむ。まさしく、『超絶技巧』だ」

 店長がその人物への評価を口に出してほどなく、二階から高密度の音の(かたまり)が、ダムが決壊したように溢れ出てきた。

 『幻想即興曲』。ショパンが残した四つの即興曲のうち、最後のもの。

 左手と右手で異なるリズムを打鍵しなければならない主部。下声部の6連符に上声部の16分音符という複合(ポリ)リズムから紡がれる、複合三部形式、(えい)ハ短調の物語だ。

 現世にまで伝わっているこの曲は、ショパン一人によるものではない。実はショパンの死後に、彼の友人であるユリアン・フォンタナの手で書き直されたものである。

 いわば二人の偉大なる作家による著作物を、彼女はどのように解釈したのか。止めどなく俺の耳を打つピアノの音の滴から、鍵盤を打つ左右の指が、それぞれの絶妙な力加減がされているのが手に取るようにわかる。題名の通り幻想的で、けれどどこかもの悲しく書かれたプロットに、彼女なりの「山と谷」が形作られる。

「見事ですね」未だ姿を見たことすらない一人のピアニストに、俺は率直な賛辞を呈した。しかしその声は、音の海を泳ぎまわる彼女に届くには、あまりに小さすぎた。

「だろう」店長はにやりとして、「俺最近クラシックにハマってるんだが、実はあの嬢ちゃんの影響も少なからずあったりする」と白状した。

「さっきまで上機嫌にジミヘン弾いてた人間の言葉とはとうてい思えないんですが」俺は店長を鼻で笑う。

 店長は顔をしかめて、「それを言うなよ。古典音楽は聴く専なんだから」

「はあ、そうですか」

 俺は階段へと視線を戻す。頭上から降り注がれていた音の雨は、突如(とつじょ)その激しさを弱める。変ニ長調の中間部に差しかかっていた。

「クラシックが流れる店ってなんか通っぽいよね」店長は恍惚(こうこつ)とした面持ちでそう述べる。「しかもCD音源なんかじゃない。生演奏だよ生演奏」

 思う存分試奏してもらう代わりに、店内BGMとして利用。ギブ&テイクの関係がここに成立しているような気がした。

 ところが、春のおだやかな陽気のようなゆっくりとしたアルペジオを奏で終えると、演奏は唐突に停止する。十秒ほど間が置かれる。残りの主部とコーダはどうしたのだろうか。俺は店長と春乃ちゃんの顔を交互に見比べるのだけれど、二人とも釈然としないのか首を傾げている。

 この瞬間だけ現実世界から切り離され、時間が止まっているかのような無音の店内。けれど再びこの五十平米ほどの空間に生々しさを生じさせたのは――。

「あいしてるばんざーい」

 他ならない、太く力強い彼女の歌声と、それを優しく支えるピアノの伴奏であった。

 

 

    ◆       ◆       ◆

 

 

 

 今日は本当に朝からツイていなかった。お気に入りのカシミヤ100%カーディガンは、着ようとしたらボタンが取れた。用事を済ますために乗ろうとした、目的地へと向かうための電車は、ことごとく子猫一匹すら迷い込めぬほどに乗客で充填されていて、何本か遅らせないとそもそも乗ることすらままならない状態だった。そして目的地で朗々と自作の曲を弾き語っていたら、それを見知らぬ男に一部始終聴かれる始末。

 早朝、朝食時に垂れ流しになっていた朝のワイドショー番組を思い出す。専属の料理人により膳立てされた焼きたてのクロワッサンをかじりながら、何となしに液晶テレビの画面を(なが)めていると、ちょうどふくよかな女性アナウンサーが黄道十二宮占いの結果を十一位から順に発表しているところだった。科学的な根拠に乏しいその言葉に、特に興味もないけれど暇だから耳を傾ける。

 最初に七位まで。自分の星座であるおひつじ座の名前は、そこにはなかった。

 次に六位から二位まで。おうし座、やぎ座、かに座、うお座、てんびん座。またも私の星座はなかった。

 すると、一位か。あるいは――最下位。ランク付けをするのだから、ドベがあるのは仕方がないことなのだろうけど、最も低い位置というのは少々(しゃく)(さわ)る。

 私は昔からそうだ。自分が一番でないと気が済まない。勉強にしても、音楽(ピアノ)にしても。だから上を見上げることしかできない順位に位置付けられるというのは気に食わない。だから、血の(にじ)むような努力をした。

 けれどもツキだとか運勢というものは、個人の労苦ではどうにもできない問題だ。そうなのだけれど、やっぱり一番がいい。見上げるより見下ろした方が気分がよい。

 果たしておひつじ座は――。トランペットを抱えた愛らしい天使が飛び回るカットインののち、表示された文字は「しし座」。私は即座にテレビから視線を背けた。

 数秒後、おどろおどろしい悪魔的なBGMとともに、アナウンサーが『ごめんなさい! 今日もっとも運勢が悪いのはおひつじ座のあなた! 前々から計画していたことがすべて裏目に出る日です。しかしそんなあなたに送る今日のラッキーアイテムは――』

 言い終えるまでに、私は食卓に置かれたリモコンでテレビの電源をシャットダウン。占いなんて信じない性質(たち)だけれど、せめてラッキーアイテムぐらいは確認しておけば、まだ救いはあったのだろうか。

 当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦。できれば後者の結果になることを願いたいものだが、こういうときに限って占い通りの結果になるのは世の常だ。まあ、実際そうなったのだけれど。

 ほんとうに、家から出なければよかった。あんな羞恥(しゅうち)に身を()がれる思いは、自分が()()()()()()()()()の世界にのめり込む時間が与えられたとしてもなお、お釣りがくる。

 内壁の壁紙が()がれ落ち、ところどころクリーム色の下地が見えているあの楽器店での出来事を回想する。

 何やら駅前でライブか何かあるようで、意図した時間の電車には乗れなかった。いつも通り、他に客がいない早朝の時間帯に例の楽器屋を訪れようとした計画は丸潰れ。いつもより何本も遅らせ、ようやく空いてきた山手線に飛び乗り、辿り着いたのは日も高くなってきた頃。

 朝の占い通りの結果になりつつあることに一抹の不安を隠しきれない私。『前々から計画していたことがすべて裏目に出る日です』という、朝のアナウンサーの言葉が頭の中で反芻(はんすう)される。けれど、今日はあの店でやりたいことがある。だから行かねばならない。

 普段の三倍増しに混雑していた秋葉原駅から、歩いて五分足らず。つい一か月前ほどに、電気街を練り歩いていた際にたまたま発見した、小さな楽器店。私は吸い込まれるようにその中へと足を踏み入れる。

 店内に視線を彷徨(さまよ)わせる。労働意欲の低い店長に代わってカウンターに立つポニーテールの少女が一人。助かった。見るかぎり他に客はいないようだった。

「いらっしゃいませ」営業スマイルで出迎えられた。視線を合わせることなく彼女に近づき、手短にピアノの試奏を申し出る。

「かしこまりました。二階へどうぞ」

 私は彼女の後ろを着いていく。

 体格のいい人間が勢いよく駆け上がればたちまち底が抜けてしまうのではないかと不安になる、カウンター脇にある木製階段。木材が朽ち果ててしまっているのか、一段上がるたびに不快な音が耳につく。

 足元に気を配りながらそれを上っていくと、観音開きの木造ドアがある。見た目以上に重いその扉を開いたその先には、十五(じょう)ほどの小部屋。

 部屋はいくつものガラス張りショーケースであふれ返っており、それらの中にはトロンボーン、サックス、ホルン、トランペット、クラリネット、フルート、尺八、オカリナなどなど、ありとあらゆる管楽器が無秩序に陳列――いや、無造作に置かれているといった方が正しいか――されている。(はな)から売る気がないのか、これらの商品を整理しようという気配がまるで感じられない。

 ところで、私がこの店を訪ねたのはこれらの管楽器を()でるためではない。

 部屋の最奥、常に閉め切られているカーテンのすぐ傍。フローリングの床に鎮座する一台のグランド・ピアノ。ともすれば年季が入った代物なのかもわからないけれど、(ほこり)一つついていない漆黒(しっこく)のボディや金属光沢を放つ真鍮(しんちゅう)のペダルからは、おおよそそのようなことは感じられない。この店内の中でも、珍しく手入れの行き届いた一品。

「ごゆっくりどうぞ」

 私が猫足のピアノ椅子に腰を下ろしたのを見届けたポニーテール少女は、そう告げると頭を下げて部屋を出た。また階段から耳障りな音が奏でられる。

 今日の指の調子はいかがなものか。健康診断の一曲目。できれば運指の激しいものがふさわしい。(まぶた)を閉じて何を弾こうか思案する。

 ベートーヴェン。リスト。シューベルト。ドビュッシー。バッハ。ラヴェル。これらはすでに演奏済みだ。

「あ」

 失念していた。フレデリック・ショパン。超絶技巧のピアノ曲といえば彼ではないか。

 すると、『革命のエチュード』か。いや少々粗が出るかもしれない。だいいち暗譜してないし。だったら、よし。あれをやろう。

 私は左手でG#の音を二つ、それぞれ1オクターブ離して打鍵した。

 




 『愛してるばんざーい!』はピアノmix版の方が好きなんです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。