ラブライブ! ~ 目では見えない10人目 ~   作:kiss_sea

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 長くなりました。


7小節目 四季、真姫、決起

「とりあえず立ち話もなんだから上がって。話なら家の中で聞くから」

 広場みたいな庭をあとにし、彼女に案内されるがまま歩くこと十数秒。

 身の丈をはるかに上回るぐらいに積まれてできた煉瓦(れんが)(へい)。それは高級住宅の立ち並ぶなかでも、群を抜いて大きな御殿の一部を秘匿している。

 塀に沿うように歩く少女の影は、乾いた赤土色を覆う。俺たちを先導するその歩みは、ほどけかかったスニーカーの靴ひもを蝶結びにしている間にでも、取り残されてしまいそうなほどに早足だった。

「その前に」煉瓦を伝う陰影の動きは、ほんの一瞬だけ停止した。振り返る。その目線は形のそれぞれ異なる四つの顔のうち――俺に合った。「なんであなたがここにいるの。他の四人はまあ、分かるにしても」

 見たくもないものが勝手に視界に入っていることに対する嫌悪感。むき出しとなった激しい敵意は、それだけで俺の心の臓を丸ごとえぐり取れるぐらいに鋭利な凶器だった。

「さあな。神様のめぐり合わせだろ」胃を貫くような視線に、俺は澄みきった虚空へと目をそらす。「宝くじで一等が当たる確率が一千万分の一だ。それに比べたら、街中を歩いてばったり出くわすなんざわけもない」

「とっさの言い訳にしてはウィットに富んでるわね」彼女は再び向き直る。「まあ、詳しいことはうちの中で聞くことにしようかしら」

 中世ヨーロッパの城よろしく意匠の凝らされた鉄製の門を、少女のか細く生白い腕が押し開く。

「わあ、おっきい」「おしゃれだねえ」「たいそうご立派なお宅です」「二回目だけど、やっぱりすごいなあ」「家なのか、これ」

 それの全容を前に、口々に感想が飛び交う。

 明治時代の鹿鳴館(ろくめいかん)じみた、レトロな雰囲気をまとう外観。白く塗りつぶされた二階のベランダはまさしくそれだ。今まさに西洋風のドレスに着飾られた貴婦人とザンギリ頭に燕尾服の男が手を取り合い、音楽に合わせて踊りだしたとしても、それは何ら不自然ではない。

 大きさだけではなく、歴史的な価値をも兼ね備えているように感じさせてしまう。家宅と呼ぶには、漂う空気も瞳に映る姿も、あまりに壮大すぎた。まさにこの建築物には、「館」と呼ぶ以上にふさわしい名称は思い当たらない。

 門の前でしばし静止して息を呑む俺たちに、

「なにしてるの。そんなところで立ち止まってないで、早く中に入って」

 彼女はすでにドアの前に立ち、客を待っている。

 西木野。大理石の表札には、行書体でそう刻名されていた。三文字の名字は、駅前に建造された私立病院の名とまったく一致していた。

「もしかして医者の娘さんかい。『西木野病院』って、そういうことだろ」

「……へえ。知ってるのね」

 豪邸に住まうのも納得がいく。

 白と茶の丸石で敷き詰められた小路をじゃらじゃらといわせて、俺たちは彼女のもとへと向かう。

 気まぐれな春風がふと、頭をなでる。広大な庭に植えられたキンモクセイの枝がゆらりとしたことには、ひょっとしたら突然の来客を歓迎する意味が込められていたのだろうか。

 植物の心を読むことができない自分には、わかるはずもなかった。

 

 

「ここよ。入って」

 正方形に切りだされたアースカラーのカーペットが、チェス盤みたいな紋様をつくっている廊下を歩いていく。モダンな色合いの、ふかふかとしたウールのスリッパを履いた少女は俺たちをリビングへと招き入れた。

 紫地に白牡丹(ぼたん)柄の上品な絨毯(じゅうたん)が敷かれた、二十畳はあろうかという部屋。中央に置かれた(けやき)の長テーブルは、その表面に薄く塗装されたであろうウレタンニスにより気品あふれる光沢を放っている。

 そのテーブルをL字に取り囲むコーナーソファーに腰をかけている人物が一名。

「あらあらたいへん。真姫(まき)が大勢お友達を連れてきたわ」

 艶っぽい声でそう口にするのは、彼女の母らしき人物である。若作りしているのか本当に若いのかは不明だが、二人の見た目は母娘(おやこ)というよりかは、少し年の離れた姉妹にはるかに近い。

「ええと、あれえ? 女の……いえ、男の子? ううん、どっちかしら」困ったように首を傾げる。その言葉は、間違いなく俺に向けてのものだろう。

「よく間違えられますが、俺の腹には赤ん坊は宿せません」

「まあ、男の子!」母は娘にじっと視線を送る。「真姫にもとうとう春がきたのねえ。ヴィヴァルディ流しておいて正解だったわ」

 天井の四隅と正面に据え付けられた5.1チャンネルサラウンドスピーカーから吐き出される、臨場感満載のヴァイオリンコンチェルト。重厚な弦楽器集団が奏でる季節の始まりのにおいは、まさしくアントニオ・ヴィヴァルディの『四季』より、協奏曲第一番ホ長調『春』であった。

「そんなんじゃないしっ。もう、ママ。からかわないで」

「冗談よ。それじゃ、お茶()れてくるから。お友達と仲良くね」母は娘に微笑みかけ姿を消す。香水をつけているのか、爽やかなシトラスの香りを残して。雅やかな大人の芳香に、少しくらりとした。

「お茶目なお母様ですね」リビングと廊下を仕切るドアが音を立てて閉まったのを確認して、海未はそう述べた。「あの無邪気さの十分の一でも、うちの母にもあればうれしいのですが」

「海未ちゃんの家、みんな厳しいもんね」と、ことりは同情する。「日本舞踊の家元ってたいへんだよねえ」

「ええまったくです。それこそ私は物心つく以前から血反吐(ちへど)を吐くような稽古(けいこ)を――」

 忘れることができればどれほど楽だろうか、じっと目をつむり、しみじみと過去の辛い記憶を語りだそうした彼女を、

「あなたの実家の事情はそのくらいにしてもらおうかしら」赤髪のピアノ少女、西木野真姫は制する。「私はべつに、他人の身の上話を拝聴するためにあなたたちを自宅に上がらせたわけじゃないの。知りたいのは、もっと別のこと」

 彼女は母が座っていた場所の、ちょうど真向かいに据え置かれた一人掛けソファーに腰を下ろす。色は真正面に鎮座する長椅子のそれに近いが、こちらの方がやや黄色みがかっていて乳白色と表現できる。

「かけたら。目線の高さが合っていない話し合いなんてフェアじゃないでしょう」

 真姫に促され、俺たちはぞろぞろとL字の長椅子に着席する。彼女から見て左から、俺、海未、穂乃果、ことり、そして一番右に花陽の順である。スポンジに座ったのかと錯覚するほど反発が小さい。

 高価そうな調度品に傷をつけないように細心の注意を払った結果、俺たちはみな、極端に身を前に乗り出して浅く腰かけるという不自然な恰好(かっこう)になっていた。

「な、なんか近くないかしら。まあ、それはともかく」お嬢様は足を組む。パステルカラーの膝丈フレアスカートから伸びる長く細い二本が重なるところとか、物憂(ものう)げに頬杖をつく様子とか、ぱっちりとしたアメジスト色の瞳を縁取るふさふさの長いまつげが、まばたきのたびに上下に揺れることとか。彼女の一挙手一投足がいちいち十九世紀ヨーロッパの貴族みたいで、ほんとうに絵になっている。

「あなたたち、うちの庭でなにをしてたの。なんで、ここにいたの」

 俺たちを貫通する真姫の双眸は、ごまかしや虚言の類が一切通じないほどに、峻厳そのものであった。

「ほら、穂乃果。申し開きを」「いやそれはちょっと」「元はといえば穂乃果ちゃんが言いだしたことでしょ」「花陽ちゃん、ここはお願い」「ええっ、私ですかあ!?」

 俺の左に並ぶ四人の少女は互いに顔を見合せて、誰が最初に話を切り出すか押し付け合いをしているようだった。

 彼女たちは、目の前の少女に何か要件があって訪れたと言っていた。それが何なのか、俺は詳しくはわからないけれど。

「弾き語りだよ。俺は。横のこの娘たちはどうか知らんが」彼女たちがしゃべらないなら、と俺は口を開いた。「こいつを持ってね」弦を緩めるどころか移調器(カポ)を装着したままギグケースに収納されたマーティンを提示する。

「ふうん。そのためにこんなところまで?」真姫が二割ぐらいは信じた顔で、「公園やら駅前やら、路上ライブするならもっとふさわしい場所があるのに」

「あいにく他人に聴かせるのは目的としてなくてねえ。恥ずかしいもんで。誰にも邪魔されずにのんびり弾けて歌える場所を探して行き着いたのがここだよ。そんでしばし満喫してたらあの庭に来たのがこの娘たち」

 確かに人はいなかった。そりゃそうだ。他人の庭に忍びこんでドンチャン騒ぎした挙げ句に駆けつけたポリスメンに連行されていく趣味嗜好(しこう)は、ふつうの人間なら持ちあわせないだろう。

「音楽活動をまったり楽しめるところがヨソの家の敷地なのね、あなたの中では。それなら常識を疑うわ」

「うッ」痛いところを突いてくる。「……それは、申し訳ない。この辺りに土地鑑はないもので」上目がちに窺うと、彼女は呆れてものも言えないという顔をしていた。

 真姫ははあ、とこちらに聞こえるように息を吐き、

「もういいわ。知らなかったなら、これ以上追及するのはやめておきましょう。それで、」海未以下三名を流し見る。「あなたたちはどうなの。大方、私に用があって来たんでしょう」

 テーブルをはさんで対峙する両軍に沈黙が流れる。みな、答えられないのか。それとも返す言葉を熟考しているのか。二勢力が形成するぴりぴりとした空気に、俺が入り込める余地はない。

 無音の空間を蹴り破ったのは、はつらつとした声だった。

「――西木野さんのこと、あきらめきれなかったから」

 穂乃果の言葉は嘘ではないことを、彼女の毅然とした面持ちがが証明している。真剣な顔つきで相手の目を見据えて語られたそのメッセージは、端から見ていると愛の告白にしか聞こえなかった。

「え」「ほ、穂乃果ちゃん?」「わわわ、なんだか大変なことに」彼女の左右に腰掛ける少女たちは戸惑いの声を上げる。

 思いを告げられた相手はその意味を瞬時には理解できかねたのか、ほんの少しの間硬直する。

 十秒後、脳内ですべてを解釈したその人物は、ひどくうろたえていた。

「な、なっ」真姫はその髪と遜色ないくらいに頬を紅色に染め、「なにを言いだすのかと思えばっ。いきなりそんなこと言われても私、どうすれば……。ああもう!」

「ほえ?」その反応に、穂乃果は首をかしげていた。むしろなぜそこまで平然としていられるんだ。

「穂乃果、知っていますか。現在わが国において同性婚は法的に認められておりません。――それはあなたにとって嘆かわしいことかもしれませんが」海未は憐憫(れんびん)のまなざしを送る。「しかしアメリカに移住すれば、あるいは。ニューヨークやワシントンD.C.ならば」

「穂乃果ちゃんが外国に行っちゃうなんていやだよ!」ことりはデパートでおもちゃをねだる幼い子どものように。穂乃果の両肩に手を置く彼女の両目は、大粒の(しずく)で潤んでいた。「もしも二人がアメリカに渡って、そういう間柄になったとしても。それでも、海未ちゃんと私は……ずっと、ずうっと穂乃果ちゃんの友達だからね」

「穂乃果さんって案外そういう……。いや、好きになった相手がたまたま同性(女の子)だったという可能性も無きにしもあらずですね。なんと悲しい恋でしょう」花陽はなにやらぶつぶつとつぶやいてから左右に首を振り、「だめだめ、いけません。いかなる事情があろうとアイドルに恋愛は御法度(ごはっと)です」

 そんな中、ただ一人ぽかんと口を開けて様子を見ていた穂乃果は、

「みんな、なに言ってるの? さっきの私の言葉は『西木野さんに作曲をお願いするのをあきらめきれない』っていう意味なんだけど」

 口にした彼女を除いた全員が、喜劇のようにソファーから転げ落ちる。左隣からごちりと鈍い音がしたかと思えば、

「い、いたたたたたたた」とくに前傾姿勢であった海未は、したたかにその額をテーブルの面に打ちつけていた。

「言葉の選びかたが悪すぎます!」赤くなった患部を右手でさすりながら、海未は穂乃果を強い口調で非難した。その気持ちは十二分に理解できる。

「あはは、そういうことだったんだね。ああびっくりした」ことりはほっと胸をなで下ろし、「でもよかった。穂乃果ちゃん、いなくならなくて済んで」

「その、()()()()()()()()じゃなかったのはまあ、いいんだけど」真姫は収まりが悪そうにぽりぽりとこめかみのあたりを掻いたのち、先の厳かで近寄りがたい顔つきに再び戻る。「作曲の件なら、こないだ丁重にお断りしたはずですけど。忘れたなんて言わせない」

 真姫は海未でもことりでも花陽でも、ましてや俺でもなく、ただ穂乃果を睨んでいた。

「そっか。西木野さんの気持ちは変わらないんだね。でもね、さっき」けれども穂乃果はひるむことはない。それどころか相手よりも強い眼差しを向けて、「『愛してるばんざーい!』、歌ってたんだよ。あなたの曲を、みんなでね。聴こえたでしょ?」

「当たり前じゃない、あんな大声なら。近所迷惑もたいがいにしなさいよ。というかなんであの曲を」

 世界で自分しか歌えないはずの唄。それが一人ではない人物により、ましてや自宅の庭で歌唱されることの心地悪さといったら察しようがない。

「とある筋から入手しました」ことりはいたずらっぽく、「まさか初対面の人が西木野さんの曲を知ってるなんて」おい俺を見るな。

「ちょっとどういうことなの」真姫は俺に食ってかかろうとすっくと立ち上がり、「……まさかあなた、昨日のノート。私が店に置き忘れたやつ」

「何かの手違いでもらっちゃ、いや冗談冗談、ごめんほんと悪かった、うん返すよ今すぐにでも」デタラメを言ってお茶を濁そうかとしたが、やっぱり今の彼女を相手に下手に取りつくろえば取りつくろうほどボロが出ることを悟った俺。早口でまくしたて、足元に寝転んでいる手提げ袋から『作曲ノート』を取り出し、彼女に手渡す。

 無言で受け取った彼女はおそるおそる俺に問う。「……中は?」

「見なきゃ弾けねえし歌えねえよ」

「やっぱり変態だわ。あのとき警察につき出していれば」それに海未と花陽は首肯(しゅこう)する。いやお前らも見ただろ。

 このたびの舌戦において旗色が悪いどころではない俺だが、予期せぬかたちで助け舟はやってくる。

「みんな笑ってたんだ。歌い終わったあと。だってね、とっても気持ちよかったもの。でもこれって、私たちだけじゃないと思うんだ。西木野さんの曲は一冊の本なの。読めば、触れれば、どんな人でもわくわくどきどきさせたり、元気づけたり、やさしい気持ちにしたりする力があるんだよ、きっと」

 押してダメならもっと押せ。ゴリ押しの極みみたいな穂乃果の言葉は、真姫の思考をかき乱すには覿面(てきめん)の効果を示した。

「あ、あなたって人は、さっきからなんなのっ」真姫は朱色のほっぺたをなるたけ見せないように俯きながら、「そんな、返答に困るようなことは言わないで!」

「もしね」穂乃果はなおも畳みかける。「もし、それでも嫌なら今度こそあきらめる――ごめんね、何度も何度も。迷惑だったでしょ。でも、西木野さんほどの才能が埋もれたままなのは見ていられなくて。今の私たちの力じゃできるかどうかわからない。けれど、いつかは日本一のスクールアイドルになって、西木野さんの歌を日本中の人たちに届けたい。届けて、さっきの私たちみたいに笑顔になってほしいんだ」

 スクールアイドル。気になる単語が飛び出したが、いま口を挟むほど野暮な俺ではない。

「そ、んな……だって。でも」真姫の声はしぼんでいく。大勢は決したようだった。

「恥ずかしい? だいじょうぶ、ステージ上の私たちはもっともっと恥ずかしいと思う!」穂乃果のその言葉は激励する意図があったのだろうか。少しピントがずれたような物言いだが。「そうだよね、海未ちゃん」

「ええまったくです。誰のせいでこうなったのやら」海未は肩をすくめる仕草を見せ、「ですが、穂乃果の言うことはもっともです。先ほどはじめてあなたのオリジナルソングを聴きました。そして歌えました。初見ですよ? 人の脳裏に焼きつく曲を作れるのは、まさしく天賦(てんぷ)の才というほかありません」

「楽しかったあ。でも今度は、西木野さんのピアノに合わせて歌いたいなあ」ことりはたおやかに微笑む。

「わっ、私も……」花陽はおずおずと。「西木野さんのすてきな曲に合わせて、私の大好きなアイドルが歌って、踊る。そんなのが見れれば夢のようだなって」

「あ、あなたたち、もうほんとなんなのよ! さっきからひとが断りづらいことばっかり! 意味わかんないっ」真姫はぷいと顔を背ける。その視線の先。がちゃりと音がしたかと思えば、彼女の母が盆に人数分のティーカップと小皿を乗せて入ってきた。

「お話にずいぶん熱が入ってるようね。そんなときには、はい。カモミールティー。リラックス効果があって飲むと落ち着くの。あとチーズケーキで疲れた脳へ糖分を補給」

 一人ひとりの前に、湯気が立つ陶磁器のカップと甘美な匂いを放つ小皿が並べられる。「わあ、おいしそう! いっただきまーす」添えられた銀のフォークで、さっそくクリームチーズ城の攻略に取りかかる穂乃果。

「これはご丁寧に、ありがとうございます。ほら、穂乃果も」海未は隣で口をもごもごさせる少女にはたらきかける。

「はひはほうほはいはふ」せめて飲みこんでからにしろよ。お行儀が悪い。「んっ! ごほっごほっ」のどに詰まらせた。言わんこっちゃない。

「うふふ。そんな慌てて食べなくてもケーキは逃げていかないわ」真姫の母は口元をおさえて上品に笑い、「それにしてもよかったわねえ、真姫。たくさんお友達ができて」

「違うの! この人たちは、ただ、その」真姫は言いよどむ。

「その?」

「きょ、共同作業者みたいなものよ」

 共同作業。それは、彼女たちを手伝うという意味だろうか。

 これが母娘の絆というものなのか、母はそれだけですべてを察したように、

「そう。がんばってね、作曲。やるからにはいいものを作るのよ」

 そう言い残してリビングを去っていく。「なっ」真姫はなにか口にしようとしたが、母の姿はもうそこにはなかった。

「西木野さんっ」穂乃果は立ちあがる。その口元にはチーズケーキの生地が付着している。「とうとう決心してくれたんだね」

「いやさっきのはちょっとした言葉のあやで」悲しいかな、彼女の弁明には誰も耳を貸そうとはしなかった。

「よーし! そうと決まればさっそく曲のほうお願い! 実はもうそろそろファーストライブ演ろうかなって方向で話進んでて。私たちも振りつけ考えたりしたいから――そうだねえ、一週間でできるかな」穂乃果は握り拳を真姫に示しながらそう告知した。

「え? いやそんなすぐには」冗談でしょうと真姫は目を丸くする。イメージもなにも固まってない真っさらの状態から一週間? いや無理だろ。音楽には多少なりとも心得のある俺でもそう思う。

 ところが穂乃果の顔は本気も本気だった。

「えええええええええええええええ」

 リビングに轟く真姫の絶叫。ご愁傷(しゅうしょう)様です。

 チーンと、俺の脳内には葬式で使う涼やかな鐘の音が響いた。

 

 

「はあ、わかったわ。一週間でいけるところまでやってやるわよ。ただ出来は期待しないでね。ただでさえ時間が限られているんだから」観念したように真姫はつぶやく。

「まったく、なんでこんなことに」

 ハーブティーを口にした。カップを傾けるその仕草までも、並々ならぬ高貴さを感じさせる。

「それで」口の中を潤した彼女は、「私、満足に弾けるのは鍵盤楽器ぐらいよ。もしアイドルっぽい曲を作るならギターとかドラムとか、いるでしょう。言っておくけど打ち込みとかよくわからないから」

 そう。よしんば作曲までは無事にこなせたとしよう。だがほとんどの場合、世のアイドルというのはピアノの鍵盤だけが押された「ナマの曲」に乗り、歌って踊っているわけではないだろう。

 バックバンドの演奏をレコーディングしたものに重ねる。DTM(デスクトップミュージック)を利用し弦楽器やドラムスの音を人工的に合成する。いずれの手法でも、編曲というプロセスを介しているのだ。

「どうするの……え?」

 長椅子に座る少女たちの視線が俺に集まる。それにつられて、真姫も俺を見る。え。

「わあ、いたねえ」「ええ、いましたね」「今日ってツイてるぅ。おいしいチーズケーキも食べられたし」「こんな日ってあるんだ」

「え、なに」俺にやれってこと?

「西木野さんへの罪滅ぼしだと思って引き受けてください」と海未。はい以外の選択肢はないような、峻峭(しゅんしょう)な顔つきだった。言葉面はいいけど、いやこれあの娘への謝罪代わりには一ミリたりともならないよね。

「どうなんですか」黙っている俺に海未は詰め寄る。日本人形みたいに整った目鼻が触れそうになるから、思わず身体から心臓がはね出そうになる。

「わ、わかったよ。わかったから。近い、近い」俺はソファーから立ちあがる。五人の視線が、俺の顔面に焦点を結ぶのが感じ取れた。

 その瞬間だ。

 脳が焼けつくような感覚に陥る。もしかして今は、自分の願望を叶える最初で最後のチャンスなのかもしれない。

 今すぐに彼女たちへ伝えるべきこと。言わなければいけないこと。即興だというのに、それはびっくりするぐらいにまとまっていた。

「自己紹介をしよう。野々村瑞季、公立青ケ谷学園二年生。軽音楽同好会所属。俺は確かにギターを弾ける。なおバンドはベースボーカル一人、キーボード一人、ドラムス一人、そしてギターの俺を加えたフォーピースだ。ちなみにベースとドラムはまだ初心者だがそこそこ上達してきている」

 俺の口からなめらかに流れ出たのは、そんなこと。でもこれはしゃべるべき内容の三分の一にも満たない。

「へえ、バンド組んでるんだあ。しかも同学年」ことりは感心したように、「ただの変態さんじゃなかったんですねえ」昨日から出会う女の子はみな、なんでこうも俺に手厳しいの?

「それはさておき」真姫は話を戻す。「できるレベルなの? 初心者がどうとかって話だけど」

「さあな。やってみないことには分からんね」

「……すっごく不安なんだけど。もし編曲(アレンジメント)でポシャったら私の苦労も水の泡って可能性もあるんだけど」

「そうならないように善処するよ。それで、」俺は当同好会が抱える問題を手短に語り始める。「実はね。ウチのバンド、学校での待遇はあまりよい方とはお世辞にも言えない。でも、もしこれから結果を出して部員が増えれば、俺たちには天国のような生活が待っているかもしれない」

 本当に彼女たちへ伝えたいこと。それは、俺の――いいや、軽音楽同好会のたっての望みだ。

 これはビジネスだ。俺たちの手で編曲をする代わりに、その見返りを求める。いつまでも相手方の言いなりというのは性に合わない。

 自分たちが甘んじて受け止めている現在の状況を前置きする。そして問題提起の次にくるものといえば、具体的な解決方略の呈示。プレゼンテーションとはそういうものだ。

「――そこでだ。取引をしよう。スクールアイドルとか言ったな。いいだろう、俺たちが君らの編曲を手伝う。その代わり君たちはその曲を歌い、踊り、日本中にその名を轟かせるんだ。そして俺たち青ケ谷学園軽音楽同好会の名を世に広めてくれ」

 これは大きな賭けだ。彼女たちと手を組むのなら、それに時間を取られて肝心のバンド活動はおろそかになるだろう。もしかしたら、今後地道にライブ活動を繰り返したほうが、学校側に実績を示すという点では安牌(あんぱい)なのかもしれない。だというのに、バンドの運命を左右する判断を、俺の一存で下してよいものか。取り返しのつかない下手を打ってしまった可能性は否定できない。

 けれどそうした地道な努力が実を結ぶのはいつになるのか。俺たちが卒業する前に、なんとかなるのだろうか。時間は、じつはそう残されていないのではないか。

 一年経っても相変わらず増えない部員。現状を見れば、どちらを選ぶべきかは明白だった。

「ふふっ、いいよ。手伝ってくれるならなんでも」穂乃果は快活な笑みを浮かべる。「西木野さんの歌も、あなたたちのアレンジも。私たちが全国に連れていくよ。いつか、絶対に」

 根拠はないけれど、彼女のその言葉には不思議な説得力があって、納得してしまう。

 この娘にならすべてを委ねられる。そんな気がしてならなかった。




 ちなみに私もDTMは扱えません。
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