「――っ!?」
焦ったように上体を起こし、状況を確認する。
まず目に入ったのは飾りっけのない壁。
起き上がる際についた手から伝わってくるザラザラとした肌触りと、硬い感触。
見下ろしてみれば、それがベッドだとすぐに分かる。
「ベッド……?」
気持ちを落ち着かせ、周囲を見回す。どこかの部屋らしき場所にいることを確認すると、ひとまず安堵のため息を漏らした。命の危険はない。
「なんか俺、気絶してること多くね?」
この世界に来た時の出来事を思い出してポツリと呟き、一人苦笑しつつ、改めて周囲を見回す。
部屋の様子は、綺麗に保たれてこそいるが年季が入ってるようにも見える。まず間違いなくこういう場面でありがちな部屋ではないだろう。
人影もない。簡単な机と椅子、暖炉以外には観葉植物などの簡単な装飾しか施されていない質素な部屋だ。宿の客室とでも言うべきか。
そういえば肉を抉られていたはずだったがと思い足の状態を確認してみると、嘘のようにきれいに治っていた。包帯が巻かれている様子もなく、動かしてみれば普通に動くので後遺症などもなさそうだ。
強いて言えば、学生ズボンの右足付け根部分が見るも無残に引き千切られているくらいか。
自身を見下ろすとシャツも土まみれのドロドロだった。所々には熊の攻撃を避けるために飛び込んだ時に破けたのか、穴も空いている。この状態では、目立たないだけでズボンもドロドロだろう。
別にお気に入りというわけでも無いが、己の身が異世界にある今、着るものが今着ているものしかないという問題があった。
現状を確認すべく、ポケットからスマホを取り出してみると、日付が変わっていた。時刻は13時過ぎであり、結構な時間寝ていたらしいことに気づく。
「最後に時計見たのは……あの熊に襲われる前か。確か19時くらいだったか? ってことは18時間くらい寝てたことになるか……ってバッテリーやべえな。……あ」
スマホの右上に表示されるバッテリー残量が30%を切り、プラスマークがついていた。バッテリーの持ち時間を長くするバッテリーセーバー機能が動いたのだ。
無意識にいつもならベッドサイドあたりにおいてある充電ケーブルを取ろうと体を動かしたが、それに気付いて動きが止まる。ここは異世界。充電器などというものがあるはずもない。どころか、この世界に電気の概念があるのかすら不明だ。
電気の存在を気にして天井を見上げても、照明らしきものは見当たらない。ベッド脇の棚には火のついていないロウソクが置かれていることから、電気が普及している可能性は著しく低いだろう。
ベッド――木製の寝台の上に布を敷いただけの簡素な作りらしい――から降り、聞こえてくる喧騒を頼りに窓を探す。
見つかった窓もまた木製だった。ガラスも一般的には普及してなさそうだ。構造を確認してロックを外し、窓を開け放つと、そこから見えた光景は賑やかの一言だった。
多くの人が道を闊歩しており、それなりに大きい街なのであろうことが伺える。
これからどうするべきかその様子を眺めながら考えようと、そのまま窓枠に腕を掛けようとして、不意に部屋の中に乾いた音が響き渡る。その音の方向を見て、ドアをノックされたのだと気づく。
「どう――」
ノックに応じようとする間もなく、その扉は開かれた。
「あ、す、すいません! 起きてらっしゃったのですね! 少々お待ちください!」
開かれた扉の先には、一人の女性。音がしたことでその方向を見ていた故か、バッチリと目があった。そして即座に謝られた。更には止める間もなくそのまま扉を閉めて何処かへ行ってしまった。
返事もなく入ってきたあたり、気絶してから世話をしていてくれた人だろうかなどと考察する。
一瞬見えた姿は、スーツや軍服といった、いわゆる制服に近い形状の服装だった。そしてその容姿は、明るめで短く切りそろえた茶髪に、黒い瞳。色白な容姿から日本人ではないとすぐに分かる。道端を闊歩していた人々と比べれば整った容姿であり、美人な方だった。
そんな感じにぱっと見で彼女の身なりを認識し、彼女か何者なのかを推測する。
(使用人……という感じでもないよな。何かの関係者だとは思うけど……)
服装から考えれば、あまり科学の発展していない文化でああいった服装を着るのは何らかの職員か、国の関係者だろう。
そんな事を考えていると、扉の外側から足音が聞こえてくる。重い足音だ。ガタイのいい男性か、あるいは重装備な人か。金属音は聞こえないので前者のほうが濃厚だ。これは禿頭で半上裸の筋肉ダルマみたいな人が来るかもしれない。
その足音は熾月の前の部屋で止まる。どうやら先程の女性が誰かを連れて来たようだ。程なくして扉がノックされる。
「どうぞ」
今度は熾月の返事を待ってから開けられた扉の向こうには、予想とは少し違う、少しイケてる感じのオジさんと共に先程の女性が居た。
「お待たせしました」
女性はそう言いながら一礼し、扉を潜ると、そのまま男性に道を譲った。
男性は女性の服装に似ているが、より格式の高そうな雰囲気があった。階級制度か、あるいは普通に上司なのか。どちらにせよ、対応には気をつけたほうが良さそうだ。
「おう、目が覚めたようで何よりだ。俺はこの街《ブレファーゼスト》にあるギルドの支部長、ゲイルってもんだ。あんさんは?」
「十六夜 熾月と申します。この度は助けて頂いたようで、ありがとうございました」
少なからずこの部屋で足の治療や介抱をしてくれたのは間違いないので、そのお礼を告げつつ、ゲイルと名乗る男の様子を伺う。
少し色の抜けたヒゲに、白髪混じりの茶髪。重い足音はその体格ゆえらしく、かなり鍛えられている。
あの時相対した熊といい勝負ができるかもしれない。
「礼には及ばねえよ。ここじゃお前さんみたいのは珍しくないからな」
そう言いながら、部屋の端に据えられた椅子に座る。
「それで? イザ、ヨイ? 呼びづれえ名前だな」
「ああ、熾月で構いませんよ。十六夜はファミリーネームなので」
「あん? そうか。覚えておこう。それで、あんさんどこから?」
「……そうですね、どう答えるべきか」
名前の呼び方でやっぱりどこでも姓名は逆なんだよななどと思いつつ簡単にその事実を告げると、彼は直球な質問を投げかけてきた。その言葉に熾月は考え込まざるを得なくなり、言葉を濁しつつ思考する。
こういう時、神仏の類による転生などならそうした設定を自身が持ってる場合もあるが、熾月は転生ではなく転移だ。この世界に来てすぐに死にかけこそしたが、死んではいない。元の世界でも命の危険すらなかった。
「すごく遠い所です。辺境の地でして……」
熾月の、というより、日本人特有のというべき事なかれ主義故か、考えた末に自然に出た言葉がそれだった。
「辺境の地ねぇ……なら、熾月さんの宗派は?」
「宗派……ですか?」
「そうだ。この世界に住んでるなら神様の一人や二人、信仰してるだろう? まさか無神論者なんてこたーねえよな? この世界でそれはご法度だぜ?」
先の質問とは毛色の異なる質問に、再び考え込む羽目になる。だが、続く言葉を聞いてどうにもならないことを悟った。
彼の言う通りと言うほどでもないが、熾月は別に神の存在を信じているわけではない。少なくとも元の世界では科学的に証明されているものでもないし、何処かの宗教に所属しているわけでもなかった。そもそもこの世界で信じられる神の名前さえ知らないのだ。
架空上の話でも、国や地域によって信仰される神は異なる。熾月の居た国じゃ神は万物に宿るとされ、八百万の神なんて言われていた程だ。
そして、彼の言い草。まるで、そんな事を口にするなとでも言いたげな、妙な雰囲気すら感じられた。
――いや、深く考える必要もない。事実、そう答えること自体が駄目なのだろう。
だが、答えるのが駄目ならば熾月にはどうにもならない。言葉がだめなら、仕草で答えるしかないだろうと考え、その通りだと両手上に向けつつ両腕を上げるような姿勢を取る。ようはお手上げだ。伝わるかは分からないが、何もしないよりはマシだろう。
「……そうか。悪いことは言わねぇ。あんさんが信じるものが答えだ。この《ディスジア》って世界は、そういう世界だからな」
どうやら意図は伝わってくれたらしい。
しかし、彼の言葉の意味がいまいち掴めない。
(どういうことだ? 信じるものが答え……? 一体……)
彼の真意を掴もうと考え込むが、どうやらゲイルは考える時間をくれないらしい。
熾月が考察しようとする少しの間をおいてゲイルは立ち上がり、熾月を真正面から見つめてきた。
「熾月さん。あんさん、異世界から来たのだろう?」
「……ええ」
彼の真剣な表情とその雰囲気に、熾月は頷かざるを得なかった。
「やはりな。それじゃまずは、この世界のルールを知っておけ」
そう切り出しながら彼は、窓の側に移動して空を見上げつつ続ける。
―― 一つ・神の言葉は世界のルールと知れ。
―― 一つ・神の侮辱は万死に値すると知れ。
―― 一つ・神への信仰は神への忠誠と知れ。
―― 一つ・盟約を違えしは神への侮辱と知れ。
告げられたルールは4つ。その全てが、神に関することだった。
守られなければ、天罰が下る。彼は暗にそう告げているのだろう。
「この世界には、神々から誘われこの世界に呼ばれるものが数多くいる。そしてその多くは、この街の近くに召喚されるのだ。あんさんのようにな」
それを聞いて熾月は絶句した。
(つまり……逆に言えばこの街には大勢の異世界人がいる? それに、その多くってことはつまり、近くに召喚されない人も……いやまて、その前に俺は森の中だったぞ? あんな野生動物もいて……)
そんな考えが瞬く間に過る。
ようは、無事じゃない人間も数多く存在するということだ。
「そんな……みっ!?」
思わず口から出そうになった言葉を、ゲイルの手によって遮られた。
彼は静かに首を横に振る。口から出そうになった『身勝手』という言葉。その発言もまた、神への侮辱になる、彼はそう告げているのだろう。
ゲイルの真剣な眼差しに熾月はゆっくりと頷くと、彼の手は静かに離れた。
深く深呼吸して空気を取り入れ、冷静になって思考する。
(落ち着け。異世界に来て数日で人生終了は洒落にならねー)
神によって誘われる。彼はそう言った。つまり、この世界に来れることそれ自体が誉れであるということなのだ。
(確かに、異世界への憧れはあった。嬉しさもないわけじゃない。……けど、現実は理想ほど甘くはねーよ)
冷静な思考で考えるが、熾月はすでに現実を目の当たりにしている。
そして、他でもないゲイルの発言で、この街に来れなかった不運な人もいるという事実を知ってしまった。
「……あんさんにも考える時間は欲しいだろう」
しばらく思考する時間をくれていたゲイルだったが、頃合いを見てそう口を開いたことで、熾月の意識は引き戻される。
「だがすまねえ。そういう事情があって、こっちもあんまり余裕があるわけじゃないんだ」
そう言って彼は、再び窓の外に目を向ける。
「この世界での己の生き方を早めに決めてくれ。あんさんのような異世界人を他にも大勢助けるために、資源は残しておきたいからな。ここにいるやつらの多くは、あんさんと同じように異世界から来た奴らだ。彼らと話をして決めるのも悪くないだろう」
窓の外から視線を外し、扉の方へと向かう。
そして扉を開けつつ、振り返って熾月の方を見やりながら続けた。
「この部屋を貸してやれるのは後数日が限度だ。後のことはそこのシーラに聞いてくれ。彼女はこのギルドの受付の一人だからな。しばらくは受付の仕事を兼任しながらあんさんのことを任せる」
親指でシーラと呼ばれた女性のことを指しつつそう告げる。
シーラの方に視線を向ければ、彼女はいい笑顔を見せつつ、軽く会釈をしてくれた。
「じゃあまあ、頑張れよ」
そんな彼女に会釈を返していると、ゲイルは最後にそんな言葉を残して、お礼する間もなく扉の向こうへと消えていった。
「改めまして、シーラと申します。暫くの間ですが、宜しくお願いしますね」
「あ、はい。こちらこそ」
求められた握手に応じ、素直にそう返す。
「それでは私は受付に戻りますので、何かありましたら、この宿の出入り口に併設されてる受付まで直接来ていただければ。食事などは宿の方が持ってきてくれますので」
口早にそう言って彼女は、扉に手をかけつつ会釈し、部屋をあとにする。
熾月はそれを静かに見送るのだった。