口をゆすぎ、記憶を取り戻したことで、俺の活舌はだいぶ上昇した。
「大変おみぐるしいところをお見せしました」
「いえ。体調は?」
「平気。世界はまだ平和ですか……」
「我々が生きているってことは、人類滅亡まではしてないな」
なるほど、スティーブンの回答は単純明快な基準だ。
みんなまだ生きてるから世界は滅びてない。全くその通りである。
心なしか窓の外からちゅどーんちゅどーんという爆発音が鳴り響いている気がするが、それってHLの日常であって俺のせいじゃないよね、きっとそうだよね。
「なにか思い出したかね」
クラウスに問われ、俺は頷いた。
「アルガルチ製薬からきました。薬もそっからパクッたし、もともとそこで管理されてた。だから帰るならそこ」
「世界崩壊幇助器具の一つを、一企業が持ってるとなると、パワーバランスが随分変わるな」
「でもうまいこと管理してた。おれも十分遊んだし、もう戻ろうかな。アルガルチ製薬に世界を滅ぼす意思がないっていうのは、今まで世界が滅びてないことが証明してるよな?」
本気で世界滅ぼそうとしてんなら、少女一人絶望させるのなんて簡単なんだから、もうやってるだろって話である。
「ドゥくん。君がそこに帰りたいというのなら、我々はそれを手伝おう。それでいいのかい?」
スティーブンに問われ、俺は頷いた。
スティーブンは俺の肩にポンと手を置き、方々に指示を飛ばし始めた。
これできっと丸く収まるだろう。俺は世界をちょっと見たかっただけのただの家出少女で、今から家に帰るだけだ。
神妙な顔をしたツェッドが言う。
「また会えますか?」
「それって会いたいと思ってくれてるってこと?」
「ええ。ハンバーガーを初めて食べるところを見るのは気持ちが良かった。他に食べたことのないものがあるのなら、ぜひ一緒にどうですか、ドゥ」
うーん、かりそめの名前だったとしても、呼ばれるのはうれしいものだ。
俺は喜びを噛みしめながら、ツェッドに手を差し出した。
「いつかね、ツェッド」
「必ずですよ」
俺とツェッドは握手を交わした。
ライブラの手際は見事なもので、俺は無事にアルガルチ製薬の本社へと連れてこられていた。
俺が名前を知っているようなメンバーは忙しいのだろう、輸送してくれたのは別の人間だった。
彼らとも手を振って別れ、会社の門をくぐると、博士が俺に尋ねる。
「どうして戻ってきた?」
「満足したからさ」
HLをその足で歩いて、俺は満足した。
それから運よく、ライブラのメンバーも見れたし、もう思い残すことはないかもしれない。
ここに戻ってくることで、楽しくない日々を過ごすことになろうが、死んでしまおうが――構わないと思ったから、俺は戻ってきた。
「助けをもとめるにはいいやつらすぎた。おれはここにいても平気だとおもったからもどってきた」
「絶望させられるとしてもかね」
「おまえにはできないよ、博士」
名も知らぬ、ただ白衣を着ている男だから博士と呼んでいるだけのこの男は、俺を世界崩壊幇助器具のひとつとして、正しく使いたがっている。
アルガルチ製薬が世界滅亡を企んでいないなんて嘘だ。
博士は俺を絶望させたがっているし、そうすることで世界を破滅させたがっている。
理由など知らない。だがまあ、そういう輩はたくさんいるのだろう。
少女一人を絶望させる程度のことで世界を破滅させられるのなら、そうしたい輩はいくらでも。
「はながきれいだった――おれはきっと自分の人生のはじまりが、きれいなものであれと願った。だからおれが初めて見たのは、いちりんのはなだった」
コンクリートの隙間から生えているような雑草だ。
だが、俺は見たことのない花だった。
HLにしか生息していないのか、俺が知らないだけで地球産の普通の花なのかは知らない。
そしてきれいだった。花弁は白一色で、茎は黄緑で、それくらいしか覚えてないけど。
「それからいろんなものを見たし、聞いたし、嗅いだし、食べたし、友達もできた。たのしかったなあ。そんな思い出をたくさんもって死ねるおれは、不幸か?」
「幸福を知ったからこそ、それを享受できないお前は不幸だ。もう二度と何も見れず、聞けず、嗅げず、食べれず、そして笑えない。お友達もお前をすぐに忘れるだろう。お前は不幸だ。絶望して死ぬのだ」
「おれはそう思わない。お前はおれを絶望させられない。だってさ、これで
「……case411、失敗だ。記憶消去作業に入れ」
411回目だってさ、ウケんね。
「お前が絶望するまで、この地獄は終わらない」
そんなのよりお前が死ぬ方が早いんじゃねえの、と減らず口を叩いてやる前に、部屋の壁がぶち破られた。
俺は驚いてそちらを見ると、そこには――とんでもない覇気を身にまとった、一人の紳士がいた。
クラウス・V・ラインヘルツその人である。
後ろには、先ほど見たライブラのメンバーと、幾人かまだ見ていなかった顔もいる。
スティーブンはやれやれ、と頭を抱えていた。たぶん、計画とかそういうのが台無しになったんだろうなという顔だ。
クラウスは顔が怖いので怒っているのか真顔なのかを判断しにくいが、威圧感だけは確かにあるまま、俺に聞いた。
「どうして助けを呼ばなかったのだね」
なんかやっぱ俺怒られてる? えへへ、こわ~い。
「我々は、あなたの信頼を勝ち取れなかったのか」
「いやいや。そんなことはなく。ただ、いそがしそうだなって」
俺の憧れるヒーローたち、ライブラの面々に対して、アルガルチ製薬は世界滅亡を企んでいないなどという
「これくらいの世界の危機より、もっと大変な危機をすくってほしいかなって。おもっただけなんだけど」
俺が自分自身の機嫌を取り続けるだけで防げるような、実に簡単な世界滅亡の危機は、ライブラが首を突っ込むに値しないと思ったのだ。
ブラッドブリードも関わっていないし。漫画を読んでわかる通り、彼らは忙しい。
HLは世界の危機にあふれかえっている。俺もそんな危機の末端で、特別じゃない。
俺の言い分は、クラウスにとって納得のいくものではなかったようだ。
「少女が苦しむのを見て見ぬふりなど、どうしてできようか」
俺苦しんでないけど……!?
動揺していると、スティーブンが片手に持った小型機械を軽く振った。
「悪いが、さっき君の服に盗聴器をつけていてね。博士との会話なら筒抜けだ」
この腹黒中年男、しれっとプライバシーを無視してきやがった。
クソーッ、しいたけの飾り切りみてえな顔面しやがって。
俺の肩叩いたのは盗聴器つけてたのか、コナンかっつーの。
えー、じゃあ俺が勝手にツェッドをお友達とか言ったのも聞かれてたってことですか~!? 恥ずかし~!
ちょっと傷の手当をされて、ちょっと飯おごられた程度で懐く単純馬鹿は俺だよ~ん!
お友達は対等な関係じゃなきゃいけないからこれじゃよくてもペットだよなすまん。
「記憶を取り戻し、あなたは間違いなく苦しんだ。それを誰にも伝えず、平気と嘘をついた。諦めるべきではない、ドゥ少女よ。あなたには幸せになる権利がある」
これを、俺が世界を滅ぼす機能を持っているから、とかでなく言ってのけるのが、きっとクラウス・V・ラインヘルツという男なのだろう。
俺のついた嘘の中で彼が咎めるのは、俺が
ライブラにいたあのときから、俺が助けてと言えばそうしてくれたのだろう。
だからこそ、言うのがためらわれた。
この根っから人のよさそうな男に、胸糞が悪くなる俺の状況を見せたくなくて。
不幸な少女など、はじめからいなかったのだと、そういうことにしてしまいたかったのだ。
やっぱ平気だぜ、と俺が言う前に、博士が叫ぶ。
「警備員、何をしている! 侵入者を排除しろ!」
「警備員ってのはコレかァ?」
もはや鉄くずとなったそれを放り投げたのは、ザップ・レンフロだった。
ここの警備には人間もいるが、ロボットも配置されていた。
それを切り刻んでぶん投げてきたのである。なるほどもう詰んでるかも。
博士もそう思ったのだろう。
「こうなれば、一か八かだ。お前だって死ぬ間際には、絶望するだろう……!」
博士はそばにあったメスを、俺の腹に刺し込んだ。
流石人の肉を切り開くために存在しているのがメスというものなので、それはそれはいい切れ味で、俺の薄い腹を切り裂いた。
「ドゥ少女!」
「おい、おいおい、おいおいおいおい! その程度でおれを絶望させようってのか!?」
俺を心配する声をかき消すように、俺は大声で叫んだ。
411回におよぶ拷問の試行錯誤、その全部を失敗に終えさせたらしいこの俺が、ちょっと腹に穴が開いた程度で落ち込むと思ってんのか!?
思うよな普通……だって腹に穴開いてんだもん……と一瞬冷静になるが、今そんなことを考えちゃいけない。
俺はイカレた転生者で、完全におかしいことが原因で世界を滅亡の危機から救うことができるのだ。
そう、俺は転生者だ。
特段素敵なチート能力ももらえなければ、もともと個性的な職業や経歴を持っていたわけでもない、普通の人間だった。
だが、人に誇れるものはただ一つ持っている。
俺の特技は、ポジティブシンキングだ。
「なめるんじゃねえよ! いまのおれはサイッコーにきぶんがいいんだぜ!」
痛みを無視するのは得意だ。
転生者っていうのは死を何度も経験しているから、
そしてなんなら死も経験しているんだから、その先を知っている。
死ぬほどの痛みも、死自体も恐れないのなら、これほど拷問に耐性のある種族はいまい。
「あはは! ともだちがあそびにきた! しかもともだちがともだちつれて! いっぱい!」
「だァれがこの葛餅野郎とお友達だっつーんだ!」
「余計なことを言わないでください、このタイミングで! 人の心無いんですかザップさん!」
「ンだと陰毛頭! 友達の友達は友達理論が適用されんのはおとぎ話の世界だけだっつーの!」
ともだちが一人減った。まあいいか。
あんまりともだちになるべきでない人間のような気がするし。
「オセロどころかハイドアンドシークだってできる人数だ。なあ、おれにどんな後悔があると思う――おれがおれを忘れても、おれをおぼえていてくれるひとがこれだけいれば、おれは満足だよ」
これだけの人数に看取られるのなら、それなりに幸せな人生だったと言えるのではないだろうか。
しかもみんなヒーローだし、好きな漫画の登場人物だ。
たくさん流れ落ちていく自分の血を手ですくって、俺は笑って見せた。
「ここでたすからなくても、たすけてくれようとしたひとがいるってだけで満足だよ。おれは絶望しない」
「お前を助けに来たやつらを、全員目の前で殺してやる。そうしたらお前も絶望するだろう!」
「だれも死なない」
俺は確信を持って言った。
それは彼らライブラのみんなを信じているからでもあり、自分自身の能力を信じているからでもあった。
「だって世界の味方なんだろ、ツェッド。俺の気分が良ければ、世界はいい方に傾くんだ。おれは今――しあわせだ! だったら、ヒーローが死ぬわけないじゃんか!」
「ええ、そうですね!」
ツェッドは、己の血法で作り上げたトライデントを構えた。