ツェッドの血法は、芸術でなく、戦闘で使っていても美しいものだった。
それから、戦闘の素人である俺が目に見えないほどの激闘が行われた。
ロボット警備員は壊されたもの以外に予備があり、生きた警備員もまだ残っていたからだ。
あちこちで何かが燃えたり、凍ったり、どこかから銃弾がぶち込まれたり――その戦いの中で、博士の動きを止めるのは難しかった。
彼は激闘を掻い潜ってなんらかの機械の前に行くと、そのボタンを押した。
「今まで受けた仕打ちのすべてを思い出せばどうだ! 絶望しろ!」
そして、俺はすべてを思い出した。
俺を絶望させるためだけに行われた、410回の実験のすべてを。
再び俺はゲロを吐くことになる。勘弁してくれよマジで。
これは思い出した過去が悲惨なものだったということもあるが、一気に大量の記憶が流れ込んできたことによる脳みその処理落ちでもある。
俺は手と膝をつきながら、床にぶちまけられた己の吐瀉物を眺めて、呟いた。
「おもい……だせない」
「なんだと、そんなはずは……」
「自分の名前、思い出せない! てか、ない! おいお前、411回も実験しといて、一度もおれに名前つけなかったのか!? しんじらんない!」
はじめにドゥと名乗っておいて正解だった。
それよりまともな人らしき名前は、この長い長い拷問の間、一度たりとも呼ばれていない。
マジかよ! 絶望って幸せとの落差で生じるもんだろ!
幸せを享受させて、そこから絶望まっしぐら――というのは博士にとっても基本路線だったらしいのだ。
だったら普通名前つけるだろ!? なにやってんの! 弾幕薄いよ!
「どうして恨まない! すべての記憶を取り戻して尚! お前に苦痛を与えたこの私を! 殺したいと思わないのかね!? お前の力を使えばそれができるのだ。お前が絶望すれば世界は破滅し、この私も死ぬだろう!」
「なんでお前を殺すためだけに、おれの大好きなものも一緒にこわしてしまわなきゃいけないんだ?」
だっていやだよ。一番嫌いな奴を殺すために、俺が死ぬのは。
「ふふふ。いいものをたくさんおもいだせて、おれはうれしいよ。おれはお前とポーカーしたこともあるし、ピクニックに行ったことだってあったんだ。おいしいものを食べたし、ともだちだってたくさんいた」
絶望とは落差だと考えた博士は、俺に幸福な体験を何度もさせている。
もちろん同時に反吐を飲んだほうがまだマシ、死なせてもらった方がまだマシないや~な記憶も山ほど思い出したが、その程度で絶望するほどヤワな精神をしていない。
根っからのポジティブ人間である俺と、この世界崩壊なんとか器具は相性が悪い――いや、逆にいいのか?
「なあ博士。おれはおまえがきらいだけど、かわいそうだとおもってる。なんでそんなに世界を滅ぼしてしまいたいんだ?」
「そんなのは――私の大切なものは、もうこの世界にないからだ!」
「だが思い出はのこってる。そんなにつらいなら、お得意の忘れる薬をつかえばよかったのに」
この博士の運営する製薬会社は、記憶を消去する薬を開発している。
入れ墨をなぞったら記憶を取り戻せるような薬があるのなら、そんなことをしなくとも、二度と記憶を取り戻せないような薬を作る方がずっと簡単なはずである。
それを作って自分に使ってしまわなかったのは、忘れたくない何かがあるからだ。
「忘れたくないだいじなものなんだろ。世界がほろびたら、おぼえてられなくなるんだ。だれも、おもいだせなくなるんだぜ」
博士の背後にライブラの面々が立つ。
もうなんの抵抗の手段もなくなったのだろう。
博士は崩れ落ちた。
「メアリー、マイケル……私は……」
博士はそう呟いて、呆然自失のままお縄についた。
それからは、ちょっと遅れてHLPDがやってきて、事態の収拾に努めている。
俺にも見覚えのある、片目の隠れた警官が「またお前らかよ」と呆れているが、ライブラを逮捕したりしない以上、すでにそちらとは話がついているということだろう。
事件は無事解決というわけだ、俺という厄ネタを残して。
ライブラの面々に、俺は軽く言ってみせた。
「今のうちに殺してほしいな。絶望する間もなくやってくれるだろ?」
俺は別に、自分の身を犠牲にして世界を守ろうなんて崇高な考えを持っているわけではない。
ただ、自分のせいで人が死んだら嫌だから。
自分のせいで誰かに恨まれたり、責められたりするのが嫌だから、責任を取りたくないから、死んでしまいたい。
俺を見ている人たちの顔を見つめて、考え直す。
俺の発言をそりゃそうだな、死んだほうが良いな、と思ってるやつもいるけれど。
そんなことは絶対に許せない、と怒っている人がいたので、それ以上を言うのはやめた。俺は人に怒られたくない。
「人に殺してほしいというのはむせきにんだった。やる方もいやだよな。自分で死ぬ方法を調べてなんとかしてみる」
まあそんなことしなくても腹から流れる血が多いから、出血多量で死ねるかも。
では、とぺこりとお辞儀をして――命を助けてもらったお礼が、ぺこりというお辞儀一回なのもなんだか不釣り合いな気がして、申し訳なくなる。
なにかできるお礼がないか、地面を見つめながらほかに考えてみたが、なにも思いつかなかった。
だからそれで終わりにしようとしたら、顔を上げたとたんにクラウスのドアップがあってビビった。
本物の幼女だったらビビりすぎて失禁していたかもしれない。
「私が、君に生きていてほしいと願っている」
迫力がすごい。
産毛がびりびりと逆立ち、皮膚が粟立つ。
「あなたが生きることで責められるというのなら、その責を私がすべて負いましょう。あなたが誰かに死んでほしいと願われるというのなら、私が反論しましょう。あなたを殺すために誰かが襲ってくるのなら、私が戦いましょう。あなたが死にたいと思うのなら、私はあなたが生きていたいと思えるように、全力を尽くします」
「なんで?」
どうしてそこまで言うのか、本当に理由がわからなかった。
「世界一の頑固者だからよ、お嬢ちゃん」
眼帯をつけた長身の美女――K・Kが、俺に微笑んだ。
俺は途方に暮れて、クラウスを見た。
「おれ、生きててもいいの?」
「生きることに許可が必要だというのなら――何千、何万人に傲慢だと後ろ指をさされようが、私が許可しよう」
クラウスは俺の手を強く握って、俺の目を一直線に見つめた。
「生きるのだ」
クラウスの言葉に後押しされて、俺はライブラ預かりとなった。
HLでの生活は面白い。
俺をどう拷問してやろうかとずっと考えているやつもそばにいないし、自分自身のご機嫌をとるのなんて、いままでよりずっと簡単だろう。
俺は終焉の書に記載された、42の世界崩壊幇助器具の一つ『オムニアの天秤』としての機能など、ほとんど感じさせることなく、ここで生を満喫するのだ。
他ならぬライブラのリーダーがそう言ったのだから、俺はそれを信じ抜ける。
このあと、桃鉄を一緒にプレイしたザップにえげつなく煽られた俺は、南半球一帯を焦土にしかけるのであるが、それはまた別の話。
初期プロットではレオといい感じになる劇場版ヒロインみたいな主人公で、自分で服毒して死のうとする殊勝さを持ってたはずなんですが、性癖に任せて文章にしたらな~んも原型なくなっちゃった。
これにて完結です。ありがとうございました。