メロンソーダ
俺はローラースケートで軽やかに移動しながら、右手に持ったトレイを運んでいた。
盆の上にはメロンソーダとポテト、ハンバーガーのセットが乗っている。
昔ながらのシステムで、厨房で作った料理を、注文者のいる車にまで運ぶサービスだ。
このバイトを始めてから3日と経っていないが、早くも慣れた足さばきでお目当ての車のもとにたどり着く。
俺は運転席側の窓をコンコンとノックし、接客用の爽やかな声で言った。
「スペシャルセットのお客様……ァアアア!?」
せっかく整えた声は途中でひっくり返り、悲鳴へと変わる。
目の前の景色がぐるぐる回った。けしてローラースケートで回っているわけではない。
空間、いや世界ごと、ぐちゃぐちゃ混ざって滅茶苦茶になる感覚。
俺は卓越したバランス感覚により、トレイの上のメロンソーダをこぼさずに済んだ。
嫌な予感がしたので、眩暈の中ローラースケートで滑ってその場を移動すると、さっきまで俺がいた場所に鉄骨が突き刺さった。
瓦礫を飛んで避けながら先に進む。すぐに人影を見つけた。
見覚えのある背中が振り返って、神々の義眼が俺を射抜く。
「あの、この辺で小さい女の子見ませんでした!? 急にどっか行っちゃって!」
「ワオ。半分くらい状況を把握したかも」
自分の手首にあるブレスレットがチャリ、と音を立てる。
なるほどあれがそうなって、これがこうで、つまりああってワケ。
周囲ではどっかんどっかん爆発音が響き渡り、様々な血法が飛び交っているが、俺には余裕があった。
このHLでは予想を超えるものばかりで、既に俺はこの街に慣れ切っているからだ。
トレイの上に乗ったポテトをつまんで、己の口に放り込む。続いてレオにも勧めた。
「食べる? お客さんいなくなっちゃった。ちなみにその子の居場所なら知ってるよ」
「いや、そういう場合じゃないんすけど……!」
と、言いながらレオはポテトに手を伸ばした。
「食っていいよと言われたら、食わなきゃいけない場合ではあるんじゃないっすか……!?」
「わかってるね」
レオは冷や汗を流し、顔をひきつらせている。
まるで俺がその子を誘拐して、俺のポテトを食わなきゃどうなるかわからないぞ、と脅しているかのようだ。
強盗のようにやったりしないよ。
俺はどんだけ友達に飢えてるってんだよ。あいにく友達には恵まれてきたよ。
「話はこの場が落ち着いてからの方がいいのかな。彼らを応援してあげたほうが良いと思う? レオ」
「
ライブラの皆が戦っている相手は
ズワイかタラバか知らないが、食べられそうな見た目である。
繰り広げられているのは死闘だが、観戦している分にはイマイチ緊張感に欠ける。
しかし俺は、この蟹が冗談ではないことを知っていた。
この異界産の蟹は、衝撃をきっかけにして無限に増殖するのだ。
だから彼らも迂闊に攻撃ができず、捕獲の形をとるしかない。
しかし蟹は彼らの手の及ばぬあちこちで増え続け、このままではHL全体が蟹で埋め尽くされるだろう。
そこそこの世界の危機かもしれない。
地球が蟹の惑星になってしまう可能性もあるわけだ。
俺には戦闘能力がないため、特にできることはない。
ローラースケートは履いているので、網かなんかがあれば多少蟹を集められるかもしれないが、あまりに
この蟹には親分がいる。
その親分蟹を基盤にして無限に増殖を繰り返しているため、どこぞに潜んでいる親分を見つけ出し叩かねば、このカニカニパニックは終わることはない。
しかしそんなことなど彼らは承知の上で、なかなか見つけだせないというわけ――なのかな。
いや、レオができることはもうないと言ったから、この事はまだ知らないらしい。
彼の目があれば、もう少し事態の解決に近づいているはずだ。
とりあえず、一旦蟹と格闘する皆を応援しておくことにした。
「ザップ~! がんばえ~!」
甲高い幼女のような発声で、俺がザップを応援すると、ツェッドとザップが振り返った。
ツェッドが攻撃を捌きながら、俺のことをザップに尋ねる。
「知り合いですか?」
「知らねェよあんなペチャパイ」
「ゥオイッ! 死語だし最悪だな!」
憤ったのは隣のレオである。
俺は自分の胸を見下ろした。たしかに非常になだらかだ。言われるまで気づかなかった。
胸に手を当てながら、俺は呟いた。
「これでもいいもん食わせて育ててもらったはずなんだけどな。ちっちぇ~頃いた、実験施設での予後が悪かったんかな~」
「謝れザップさん! アンタのせいでこの方が悲惨な過去暴露しちゃってるでしょ!!」
「俺のことはすでに知ってるだろ、レオ」
「え?」
ぽかんとするレオが再び俺を見る。意外とわからないものなんだなあ。
俺は片手を振ってご挨拶した。
「俺だよ俺、レオの探し人、ドゥちゃんだよ~」
「「「……はァ!?」」」
驚く皆を視界に入れながら、俺は堂々と胸を張った。
「大きくなっただろ。胸以外は」
「自虐はもういいっス、マジで!?」
「もっとよく
俺が提案するとレオは目を見開いて、俺のことを
「レオくん、どうなんですか!?」
「……マジっす!!」
叫ぶように問うたツェッドに、レオが叫んで回答した。
俺は頷く。神々の義眼があれば、俺が俺である証明するにあたって、諸々の面倒な過程をすっ飛ばすことができる。
さっきまでの他人行儀が嘘のように、レオは俺の肩を掴んだ。
「なんでこんなことに……!」
レオが俺にさらなる質問をぶつける前に、スティーブンが言う。
「歓談している場合じゃないぞ! このままじゃHLが陥落する! 蟹で!」
「嫌すぎる!」
「しょうがないにゃあ……」
「しょうがなくはねえっスね!?」
もちろん、俺は世界の滅亡を望んではいない。
しかし、HLが崩壊するのは
かくいう俺も、世界の均衡を一瞬で崩してしまえる存在なわけだ。
ちょいと指で突いてトランプタワーを崩すのと同じ感覚で、一国程度滅ぼしてしまうだろう。あるいはもっと多くのものを台無しにできる。
けれどやっぱり、俺はそんなことを望んではいない。
「じゃあ、えーと、比較的
「あ?」
俺は左手の親指と人差し指の先端をクロスさせ、ハートマークを作った。
その手をザップに向けて、精いっぱいの上目遣いをする。
「愛してる♡」
場の空気が凍った。もちろん俺にエスメラルダ式は使えない。
熱烈な愛の言葉を、バキューンと素敵ウインク付きで言い放っただけなのに、どうして。
しかしそんなことはどうでもいい。
今の俺には、
――焔が、人の形をとったような男だった。
引き締まった肉体は、獰猛な獣のような俊敏さと、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを宿している。
閃光と見紛うばかりの銀髪は、風に乱され、野生と洗練の狭間を行き来する。
双眸は鋭く、飢えた狼のように獲物を見据える。
それでいて、ふとした瞬間には、燃え尽きる直前の焔のように揺らめくのだ。
指先ひとつ、唇の端ひとつ、そのすべてが戦いと快楽に生きる男の証。
長年の鍛錬と修羅場をくぐり抜けたしなやかな腕は、刃を握るために、あるいは誰かを無造作に抱き寄せるために存在する。
混沌とした世界に舞い降りた紅蓮の閃光。
触れれば焼かれ、惹かれれば呑み込まれる。
だが、それでも目を逸らせない——彼という存在が、あまりにも鮮烈だから。
バチバチと、脳みそに閃光が走るような感覚。
視界が霞んで、ザップが見えにくくなる。
それで、俺の集中は一度途切れた。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返っている。
暴れ回っていた蟹は1匹残らず沈黙し、皆が呆然としていた。
「もう大丈夫そう? これ以上は結構しんどいかも」
そう言ってから、口の中に鉄の味がすることに気がついた。
自分の首元も濡れている。これは鼻血だ。
口の周りに垂れている血をぺろりとなめとると、呆然としていたレオがハッとし「ばっちいでしょ!」と俺を叱った。
何が起きたのかは知らないが、何をしたかなら説明できる。聞かれる前に回答した。
「
その時の俺はザップしか目に入っていなかったが、後についさっき起きた出来事をレオに説明してもらった。
――そもそも今回の騒動は、魚屋が発端である。
もっと原因を遡ればブラッドブリードであったが、それはほとんど関係がない。
牙狩りによる対ブラッドブリード戦は人類の勝利で終わった。
しかし、戦闘の途中で一部の家屋が破損、魚屋の一角の水槽が破裂、保管されていた異界産蟹「レギオンクラブ」が脱走、そして今の事態である。
ついさっきの俺は、みんなに出会えて最高にハッピーな気持ちだった。
だからあの瞬間、俺の世界の
つまり、事態の顛末はこうだ。
俺がザップに突如「愛してる♡」と言ったことで、ザップに対する殺意を募らせたチェインが、ザップに足払いをかけた。
一方その頃、遠方からネット弾で異界蟹を狙っていたK・Kは、突如高速で飛んでくる異界の鳥をスコープに収めた。
そのままではクラウスたちに突っ込んで行きそうな軌道を確認、ネット弾を蟹ではなく鳥に撃ち込む。
鳥は空中で網に捕獲され、飛べなくなった状態で近くの鉄塔にぶち当たる。その衝撃で鉄塔は崩れ、爆音とともに地面に叩きつけられた。
そしてひび割れたのは地面だけでなく、その地下を通る水道管もだった。
この異界産蟹「レギオンクラブ」は、繁殖する際に可燃性のガスを少量発生させるという特徴があった。
一匹の分裂にあたって発生するガスの量は人体に影響のない程度だが、蟹の親玉がいる付近、つまり繁殖が最も盛んな場所に関しては、かなりの量のガスが充満していたのである。
蟹の親玉は、奇跡的に我々のすぐ下にいた。
ついさっきチェインの足払いにより体勢を崩したザップは、躓いた際にわずかに焔丸を振る形になった。
焔丸から散った火花、それがひび割れた地面から地下へと落ちていき、可燃性ガスに引火した。
――当然発生する大爆発。
地下水道に潜んでいた蟹の親玉が爆発により、地面を突き破って空中へと吹き飛ぶ。
ザップがチェインに文句を言うついでに向けた焔丸の刀身に向かい、蟹の親玉が飛んでいき――頭部を真っ二つにされ、蟹味噌をまき散らした。
結果として、親玉を仕留められたレギオンクラブのすべてが沈黙――非常に美しい連鎖であった、とそれを見ていた皆が口を揃えた。
しかしそのすべては、俺の知覚するところではない。
なぜなら、その時の俺にはザップしか見えてなかったから。
制服の袖で血のついた鼻をこすると、再びレオに「メッ!」と叱られた。
レオには随分、適応力があるらしい。
俺の扱いが完全に、この頃のドゥへのものだ。
見た目成人女性に対してやるには不適切かもしれないが、中身元成人男性であるはずの俺が今までやってきたことがガキ過ぎるので文句言えないね。
ティッシュで俺の鼻を押さえながら、レオは真剣に言った。
「もう二度と使わないでくださいそんな技」
「そんくらいいつも世界が平和だと良いね」
鼻を押さえられているせいで、俺の発言はふがふがと間抜けに響いた。
レオに丸めたティッシュを鼻に突っ込まれたが、これティッシュを抜くときにもっかい鼻血が出るかもしれないからあんまりよくないんじゃないかな。
しかしずっと手で鼻を押さえ続けるのも疲れるので、今はこれで良しとしよう。
お盆から、ひとつポテトをつまんだ。
冷めた上に、油でべちょべちょのポテトはおいしくなかった。
どっかのタイミングでお盆を落としてしまえばよかったな。
しかし自分の意思で食べ物を捨てるのは、食べ物への執着が異常な元日本人としてかなり抵抗がある。
俺のローラースケートさばきがあまりにうまいが故に……っぱ、カードキャプターになるためには必要な技術だからよ……鍛えてあんだよな……。
レオの次に気を取り戻したのはザップであった。
「あの状態で馬券買ったら全部当たるってことかオイ!? もっかいやってくれ!」
ザップの言葉を聞いて、俺は笑った――あんまり彼がいつも通りだったからだ。
それで勘違いしたレオが、飛びかかって俺を引き倒した。
未だにしっかり手の上にあったトレイごと俺はひっくり返り、スペシャルセットを地面にばらまいた。
これにはちょっとほっとする。
もう食べなくていいわけだ。あれは最後の晩餐には向かない食事だった。
「絶対やめろぉ!」
レオが悲痛な声で叫ぶ。
俺がザップに微笑んだのは、まだザップを好きだからと思ったらしい。
ちなみにそう勘違いして焦っているのはレオだけではなかった。
「そのまま押さえてろ、少年! ドゥの視界にザップをいれるな!」
「アイス買ってあげよっか、それともクッキー? キャンディー!?」
スティーブンが指示を叫び、チェインがお菓子で釣って俺をあやす。
俺は空を見あげ、喉元に落ちてくる鼻血を飲み込みながら、彼らに答えた。
「わかった。なにもしないし、甘いものもいらないから、みんな落ちついてくれ」
「世界には楽しいことがもっといっぱいあるわよ、BBQする!? ねえ!? 楽しいわよぉ!?」
「わかったよK・K、今度やろうね」
俺は無責任な約束をして、レオの肩をとんとん叩いた。
ギブアップの意である。
「今は別の理由でザップさんを見ない方がいいっすよ」
「ええ……それはそれで心配だろ……」
「男の趣味が最悪だよ、ドゥ」
それに関してはチェインに言われたくない。
ザップ・レンフロをポエミィに形容しながら抱腹絶倒、まるで筆が進まず。
燃え盛る紅蓮の双眸、闇夜を薙ぎ払う銀糸――ぎゃははは!