緑の勇者じゃない! それはリンク違いだよ!   作:よもぎだんご

30 / 32
第30話 悪夢の裏側

 ♰

 

 ……ボクがこの世界に迷い込んで、幾月が経っただろうか。

 

 回転に次ぐ回転は地獄の極卒が回す車輪の如く。

 来る日も来る日も自分の意思に反して体を回されて、時間の感覚などとっくの昔に失われていた。

 

 当初こそ夢の主導権を取り戻そうと必死に抵抗を試みたものの、顔に張り付いたナニカに力を吸い取られ続け、勇者の手の平の上で転がされまくってるボクにはもう、夢の主導権どころか自分の意識を保つのが精一杯だった。

 

 今やこの世界のボクの体は時の勇者の記憶を構成する要素の一部となり、この狂ったレースの選手として働かされ続けている。

 勇者の記憶を探るどころか、このレースから逃げることも出来ず、延々と回転を繰り返しては壁や木々にぶつかり、他のレーサーとの衝突で谷底へと墜落する日々だ。

 

 吐いた。

 吐いて吐いて吐き抜いた。

 

 胃袋の中はとっくに空っぽだ。それでも苦く酸っぱい液がせり上がって来るのを止められなかった。

 

 この世界に来て以来、ゴロン族となったボクは何も食べていない。正確には何も食べられない。

 ゴロン族は肉の代わりに焼いた岩を、砂糖菓子の代わりに砂利だんごを食べ、スープの代わりに灼熱の溶岩を飲む。

 

 今のボクの体はゴロン族だからそれらを求める。しかしボクの精神は人間だ。そんなものはとてもじゃないが食べようとは思えないし、食べられない。

 

 でも強制的にしたくもない運動をし続けているから、当然のように喉は乾くしお腹は減る。お腹が減ると体が何か食べ物や飲み物を見つけようと嗅覚が敏感になり、腐った卵を煮詰めたような溶岩や岩の匂いが鼻につくようになる。

 

 例えるなら船酔いで何日も食べていない人の横に物凄く臭いニンニクとかシュールストレミング(スウェーデン土産の塩水で漬けたニシン、凄く臭い)を何日も置いておくようなものだ。

 どう控えめに言い繕っても拷問。それがボクの吐き気をより一層強いものにしてくる。

 

 ……時の勇者は他のゴロン族に混じって平気な顔でバリバリ岩を齧って溶岩も啜っていたが、あれはあいつの頭がおかしいだけだ。どういう舌してんのさ。

 

 健啖家とかいうレベルじゃない時の勇者はさておき、ボクは身も心もボロボロになりながらもこの世界から脱出することを諦めていなかった。

 

 何度も心を折られそうになった。ろくな抵抗すら許されず、一方的に嬲られ、体を弄ばれた。

 

 だが、ボクは夢に潜み、夢を操るノアだ。

 へぼへぼだらけの人間どもやお高くとまった長耳どもとは違う。本当の神に選ばれた使徒なのだ。

 すでにそのプライドはズタズタにされ、泥にまみれていたが、何とかしてこの場を脱出して、勇者の秘密を暴いてやる。そして奴にもボクらが散々味わってきた屈辱と絶望を味合わせてやるんだ。

 

 そう叫び声を上げ続けるノアのメモリー。7千年前から続く聖戦の中で培われてきた亡霊の記憶がボクに諦めることを許さない。

 

 ボクに出来たのは、今は雌伏の時、そう思ってじっとチャンスを待つことだけだった。

 

 そしてその時はやってきた。

 

 それは肉体に引きずられるままにコースにある緑色の壺を割った時だった。

 

 なんと完全に枯渇していたはずの魔力が大きく回復したのである。

 

 ボクらは、ボクとノアメモリーは歓喜した。

 ボクらの能力は微に入り細を穿つレベルで相手の精神世界を再現する。本来はそこに色々と手を加えて相手の心をへし折っていくのだが、今回は仕込みを終える前に勇者に能力を中途半端に反射されて、この狂ったレース会場に引きずり込まれた。その上、魔力を空っぽになるまで吸い取られる始末。

 

 ボクたちノアの一族が使う能力は、才のあるやつが学べば誰でも使えるような魔術ではない。どちらかというと一族固有の超能力、異能って感じだ。それでも燃料になるものが空っぽじゃ何にもできない。ボクらは自らが編んだ夢の中に封印されたも同然だった。

 

 だが、勇者に出来たのはそこまでだ。

 ボクらが勇者の精神を読んで再現した夢の世界。

 それを改変することも、理を覆すことも、力づくで脱出することも出来なかった。奴は戦士であって、心や魂を扱う専門家じゃないからだ。

 

 だからこうして、ボクがこの夢の世界の理に則って魔力を回復させることは止められない。ほら、今また緑色の壺から魔力を得れた。視界の隅に映った緑色に何とか反応して体の向きを変えただけだったけど、それでも確かに魔力を回復できた。

 

 水を得た魚とでも言おうか。疲れた夜にシャワーを浴びた心地と言おうか。

 回転の維持に魔力をじわじわと持っていかれているが、もう少しでそれでも何とかなるレベルまで魔力が回復する。

 

 緑をあと一つ。あと一つでいい。それさえ得られれば、ボクは再び夢のノアとして生き返れるんだ。夢の支配者としてこの世界に君臨出来るんだ!

 

 そう思って砂利が目を傷つけるのも構わず必死で目を見開いていると、見えた。

 

 茶色く乾いた砂地の中に輝くグリーン。

 

 ボクらはそこに突っ込んだ。

 

 

 ……後から考えるとその時のボクたちはどうしようもない馬鹿だった。

 

 

 巨人に思いっきり殴られたかのような、全身に奔る凄まじい衝撃。目の前を覆う爆炎。

 

 息が詰まり、体が宙に浮く。四散する魔力とゴロン族たち。

 

 何が起きたか分からないまま、ボクらは墜落した。

 

 

 

 

 動けない。

 

 崖の下でボクは呻いた。

 

 さっきまで走っていたコースが豆粒のように遠い。

 

 そしてさっきまでは確かにあった魔力がない。欠片も、ない。

 

「うぐぅ、えぐっ……」

 

 この距離を落ちてバラバラにならなかったのが奇跡だとか、命あっての物種とか、そういうのは関係なかった。

 

 掴みかけた希望を自らの手でふいにした自分の愚かさに腹が立って仕方がなかったのだ。

 

 夢のノアは現実の上では不死に近い。例え相手が勇者でも、ボクの正体、そして本体を知らなければ、いくら攻撃しても蘇れる。その代わり現実世界のボクは攻撃力が低すぎて、そこらの人間ならともかく勇者にダメージなんて与えられないんだけど。

 

 だからボクは自分が最もパフォーマンスを発揮できる夢の世界で、勇者を攻撃した。実際夢の世界に引きずり込めたのだから、攻撃そのものは通用しているのだ。ダメージを与えられたかどうかは別として。

 しかし夢の世界で勝負を挑むことは、自分の正体を晒しているのと同義だ。だから夢の世界でのダメージはそのままボクへのダメージとなる。

 

 最後に見たのは恐らく爆発、それも岩盤を吹き飛ばすような強力なやつだ。その上、高い山の頂上付近から一番下まで落下した。たぶん魔力を回復させる壺の中に爆弾が仕掛けられていたのだ。

 

「ううっ……ひぐっ……」

 

 あんまりだ。あんまりにもあんまりだ。

 

 希望を見せるだけ見せておいて、あと一歩のところでそれを取り上げて、絶望の谷に突き落とすなんて、酷すぎる。そんなのってないよ。

 

 鬼だ、畜生だ、これが人間の、勇者のすることかよぉ……あ、ボクら勇者の敵だった……

 

 そんなことを考えていると、どこかで歓声が沸いていた。また一つレースが終わったらしい。

 

 ボクはそっちをぼんやりと見るともなしに見て、次の瞬間には全力で立ち上がろうと足掻いていた。

 

 優勝者は勇者リンクだった。あの緑のとんがり帽子を被っているから間違いない。

 

 ボクが設定したこの世界の最も重要な理の一つ、つまり悪夢の終了条件はこの過酷というのも生温いレースでの優勝だった。

 

 本当なら勇者だけをこのレースに閉じ込めて、ボクは高みの見物をしながら、優勝する寸前でスタート付近まで夢の時間を巻き戻してやろうとか思っていたんだけど、それは今どうでも良い。

 実際は勇者はこのレース生活をエンジョイしていて、ボクだけズタボロになってるとか本当に今はどうでも良いんだ。泣いてなんかいないぞ。

 

 問題はだ、勇者がこの夢空間から脱出してしまえば、この夢は終わるということだ。そして夢の紡ぎ手から、夢の中の一登場人物まで身を落としたボクは、このままでは夢の消滅に巻き込まれてしまう。

 

 そうなればボクはどうなるのか。消滅するだけならまだいい。いやちっとも良くないけど、最悪の結末からは程遠い。

 最悪なのはこの夢に閉じ込められ、永遠にゴロン族としてゴロンレースをし続ける人形になることだ。そしてその可能性は高い。

 

 夢のゴロンレース開催のために魔力を絞り取られ、熱気と悪臭の中でしたくもない運動をする日々を死ぬまで続けるボク。ノアの寿命は普通の人間より遥かに長い上に、夢の中の十年が現実の一分とかざらだ。つまりボクは下手すると何千年、何万年とゴロンレースをし続ける羽目になる。

 

 いやだ。

 絶対に嫌だ。

 絶対に、絶対に、絶対に嫌だ。断固としてNOだ。

 

 勇者に媚を売ってでも、無害な子供のふりをしてでも、ともかく勇者について行き、やつがこの夢を脱出するのに便乗してボクも脱出する。

 

 この件の復讐は他人の脳を通して精神を覗ける智のノア、ワイズリーが復活してから臨もう。出来れば千年公にも手伝ってもらおう。

 

 そうと決まれば、善は急げだ。ボロボロの心身に鞭打って、何とか立ち上がると、ゴロン族に肩車されている勇者のところに向かう。多少よろよろしたけど歩けたのは、癪な事だがゴロン族の頑丈な体のおかげだろう。

 

 勇者のところに辿り着き、彼の服の裾をむんずと掴む。

 

 離さない、離さないぞ。何があっても離すもんか。

 

「ゴロ(おい)」

 

 おっと、つい怒りで言葉が荒くなってしまった。もっと猫撫で声で「ねえ」って言おうと思っていたのに。

 まあ、ボクの奴への溢れんばかりの怒りを想えば、出会い頭にメガトンパンチを叩き込まなかっただけ自制できている方だよ。

 

 そんなことしようとしても、一登場人物では出来ないんだけどね! ゴロン族の子供は理由もなく、人を殴らないから、だって! 

 

 ボクゴロン族じゃねーし! ノアの一族だし! 奴を殴る理由なら一つと言わず腐る程あるし!!

 だから一発と言わず、千発位殴らせてくれてもいいんだよ?

 

 それでも役割(ロール)に反した行為は出来ませんな、と言わんばかりの自分の体にブチキレそうになりながらも、ボクは心の中でbe cool be cool と何度も唱えながらにっこり笑った。

 

 頑張れ、ボク。悪夢からの脱出がかかってるんだ。クールになるんだ、ボク。

 

 さあもう一度、そう思ったボクはふと気づいてしまった。

 

 あんまりにもボクの中で自然だったから今まで気付かなかったけど、ボク……

 

「ゴロ(あれ)? ゴロっ(アレッ)!? ゴロロッ(なんでっ)!?」

 

 ボク……ボク……

 

「ゴ、ゴロ(こ、声)!? ゴロゴロゴロゴロー(声が出せなくなってるー)!?」

 

 

 

 

 

 悲報、ボクが悪夢的レ○○に耐え兼ねて失語症になった件について。

 

 いや冗談じゃないんだけど、本当にそれ冗談じゃないんだけど!!

 

 これ下手すると悪夢から脱出しても、ゴロン族のままなんだけど!?

 

 衝撃の事実に白目を向いて口から魂を飛ばしそうになりながら、それでも頑として勇者の服を離さなかったボクはいつの間にか、勇者やゴロン族に連れられて山を下り、麓の村まで来ていた。

 

 カカリコ村、と古いハイリア文字で書かれた看板を見て、はっと我に返る。

 

 カカリコ村、そうだ。ここもボクが勇者の記憶を読んで作成した覚えがある。

 

 ここ数か月、いや下手すると数年の間、熱気と悪臭の中で身も心もシェイクされ続けたせいか、記憶が曖昧だけど、たぶんここはまだ悪夢の中だ。現実じゃない。

 

 そう、確かあの時は……

 

『地獄のレースを乗り越えても、第二第三の地獄がお前を待ってるぜ、ヒャッハー絶望しろお!』

 

 的なノリで作っていた気がする。しかも超特急で作って、後から調整するつもりだったから、内容をほとんど覚えていない。

 

 馬鹿か。

 ぶん殴ってやりたい。今猛烈に過去の自分をぶん殴ってやりたい。ついでに勇者もぶん殴ってやりたい。

 

 そして小一時間説教してやるのだ。『いいか馬鹿な小娘、勇者を侮った行動は金輪際辞めろ。奴はケダモノだ、畜生だ、レ〇〇野郎だ、近づくんじゃない。気が狂うまで転がされたいのか』と。

 

 そんな妄想をしている内に、場面は進んでボクらは墓地に来ていた。

 

 天気は曇り。今にも雨が降りそうな重い曇天。

 

 そこにどやどやとゴロン族がやってきて、墓地の一番奥まで私達を連れてくる。

 

 そして、投げた。勇者を、ついでに奴をひっつかんでいたボクも。

 

「ゴロオッ(うわぁっ)!?」

 

 墓地の一番奥、人の頭ほどの柵で仕切られた洞窟に向かって投げ入れられた。

 

 こんな時でも悲鳴一つ上げず綺麗に着地した勇者も、こんな時でも悲鳴がゴロゴロしているボクにもキレそうになりながら、立ち上がる。

 

 洞窟の中は暗い。明かりは地面に円状に設置された数十本の松明のみだ。

 よく見ると地面にはうっすらと魔法陣が描かれている。魔術を見慣れたボクも見たことの無いその術式は、黒々としていてどこか禍々しい。乾いた血のようにも見える。

 

 ふと勇者が後ろを振り返ったのに釣られてボクも後ろを見た。

 

 ゴロン達はいなかった。

 

 あれだけ騒がしかったゴロン達は、足音一つなく忽然と消えていた。

 

 

 分かってる。別の夢に来たからあいつらは消えた。それは分かってる。

 

 千年公の行うイカレた魔道実験に何度も付き合ったボクはこの程度へでもない。

 

 でも思わず服を掴む手に力が入った。

 

「怖いか?」

 

「ゴ、ゴロゴロゴロっ!(こ、怖くなんかないしっ!)」

 

 生暖かい目でボクを見ている勇者リンクに腹が立つ。頭を撫でるな!

 

 立腹に任せて、勇者の手を振り払い、ずんずんと洞窟の奥へと進む。

 

 神殿のような門をくぐり、つきあたりを右へと曲がる。

 

「あっ、ちょっと!」

 

「ゴロおおおおおおおおお(うわあああああああああ)!?」

 

 

 なんで床があるのに落ちるんだよおおおおおおお!?

 

 

 

 

 

 

 △

 

 

「起きて、起きてください! 」

 

 魂の賢者アニタが倒れ伏した緑の勇者を揺さぶる。しかし先程まであんなに溌剌としていた彼は、冷たい床に横たわったまま何の反応も返さない。

 

「ファイ様、リンクさんが……!」

 

「バイタル……安定、マスターの肉体は安定状態にあります。マスターは敵の精神攻撃を受けている確率95パーセント」

 

 肝を大いに冷やすアニタに、リンクの顔を瞳のない目でじっと覗き込んでいた聖剣の精霊ファイは粛々と診断を下す。

 

「敵の精神攻撃? この女の子は敵、なのですか?」

 

 突然現れて挨拶と同時に突如倒れ伏した黒髪の少女を見るアニタ。

 

 敵の魔法で外の世界と隔離されたこの部屋に平然と入って来たことからもこの少女が尋常な存在ではないことがわかる。

 だが、ここで無垢な寝顔を晒す少女を見ていると時の勇者を昏倒させる程の敵だとは思い辛い。

 

「イエスレディ。敵をノアの一族と断定。ノアの一族は約7000年前から我々と敵対し続けている一族です。彼女はその末裔であると判断します」

 

「7000年も前から……」

 

 ファイの口から語られる7000年前からの因縁。

 伝説に語られるゲルド族の賢者、魂の賢者となり、その知識と記憶を継承したアニタだったが、改めて自分が参加した戦いのスケールの大きさに圧倒される。

 

 それと同時に彼女の中に疑問が生まれた。

 

「でもファイ様、私は賢者として記憶と知識を先代様から預かりましたが、その中にノアの一族に関するものはなかったと思います」

 

 私の勘違いかもしれませんが……と断りを入れて疑問を呈するアニタにファイはもっともな疑問だと頷きを返した。

 

「アニタ様は魂の賢者として覚醒いたしました。しかし、とりいそぎ必要な箇所をお渡ししただけで、全ての記憶と知識を受け継いだわけではありません。記憶と知識は膨大であり、段階的な継承を必要としているからです」

 

 ファイの説明にアニタは納得した。

 魂の賢者がいつからある役職で、いったいこれまで何人いたのかはわからない。しかしファイの口ぶりからして少なくとも7,000年前から敵対しているらしいことから、賢者の数は百や二百ではきかないことは想像がつく。

 

 自分1人の記憶でさえ全て覚えているというわけにはいかないのに、いきなり数百人分の記憶を頭の中に流し込まれたら頭が弾けてしまうかもしれない。

 

 その様を想像してしまい、なんだか怖くなってきたアニタだが、ファイは顔を青くするアニタに頓着することなく説明を続けた。

 

「ノアの一族はあなた達賢者と同様に役割に応じた特殊な能力を持っています。彼女は夢のノアとして、マスターの夢の中に侵入したようです」

 

「リンクさんの夢の中に? 」

 

「イエスレディ。マスターの精神は強固ですが、夢のノアならば侵入も不可能ではありません」

 

「でも他人の夢の中になど入ってどうするのでしょうか」

 

「アニタ様はどう思いますか?」

 

 今まで立て板に水と話していたファイが急にアニタに質問をふってきた。そんなことを聞かれても……というのが正直なところだが、根が真面目なアニタはうーん、と考えて答えた。

 

「悪夢を見せる、とか?」

 

「イエスレディ、概ねその通りです。夢は意識と無意識、そして魂との境界線です。そこをすみかにする彼女にとって他人に悪夢を見せることなど、箸を持つより造作もないことでしょう」

 

「でも悪夢程度では嫌がらせにしかならないのではありませんか?」

 

 常識的な疑問をていするアニタにファイは言葉の剣を突き刺した。

 

「それが現実と区別がつかないほど鮮明で、真に迫り、永遠に終わらないものであっても、ですか?」

 

 アニタの頭に邯鄲の夢という故事が浮かんだ。

 夢が叶う枕で眠った青年は波瀾万丈な人生を歩み死んだ。だが実際には寝る前に炊いた粥さえ炊けていない僅かな時間に見た夢に過ぎなかった。

 人間の栄枯盛衰の儚さを教えてくれる故事だが、今重要なのはそこではなく、人間の一生が僅かな時間の夢に収まってしまっていることだ。

 

 物語の主人公が見たのは波瀾万丈、栄枯盛衰とはいえ基本的には出世していく良い夢だった。

 

 しかし目の前の彼が見るのは悪夢。それも現実と変わらないほどのリアルさを持つものを、延々とだ。

 

 言葉を失うアニタにファイは淡々と説いた。

 

「永遠に尽きず、終わらぬ悪夢に耐えられる人間はそう多くありません。よしんば耐えれたとしても精神力を大きく消耗し、人格に重篤な影響が出ます」

 

「もし、悪夢に耐えられなかったら……」

 

「精神は崩壊し、人格は破壊されます。その後はノアにとって都合の良い操り人形となる他ありません」

 

「そ、そんな……こんな小さな子が、そんなことをするはずが……」

 

「これまでの戦いの記録から夢のノアは自身の肉体を自由に変更出来ると推測されています。彼女が見た目通りの年齢である確率10パーセント」

 

 重い沈黙が垂れ込めた。2人共考えていることは1つだったが、具体的にはどうすればいいのかわからない。

 

「……ファイ様、彼を助ける方法は?」

 

「…………」

 

「リンクさんは今苦しんでいます。でも、このノアの少女も苦しんでいる。これってリンクさんが抵抗しているってことですよね」

 

 アニタはリンクの頭を膝の上に乗せた。少しでも楽になれば、と。

 

「イエスレディ。マスターはノアからの攻撃の際、咄嗟に剣を振るわれました。聖剣は悪しき力を跳ね返す力があります」

 

「そ、それじゃあ!」

 

「ですが、それは退魔の力を宿した真なる聖剣のみが扱える力。今のファイにそこまでの力はありません」

 

 ファイはいつも以上に淡々と説明した。

 

 勇者の武器、相棒として生まれた彼女にとって、悪しき者の封印のためとはいえ、満足に性能を発揮出来ず主人を危険に晒してしまうことに忸怩たるものがあるのかもしれない。

 

「マスターはご自身の力でなんとか引き分けまで持っていかれたようですが、このままではどこまで持つか」

 

「わ、私に何か出来ることはありませんか!? 未熟ですが魂の賢者としての力もあります! 夢が魂と無意識の境界線なら、私の職分でもあるはずです!」

 

 そんなファイとリンクを見ていられなかったアニタは思わずそう言っていた。まだ賢者としては最低限のことしかわからないが、それでも、と。

 

「……ファイも先程からずっとそれを検討しておりました。マスターとファイだけでなくあなたの魂にも重大な危険が伴いますが、よろしいでしょうか」

 

 危険を共にする覚悟はあるか?

 そう尋ねるファイにアニタの答えは決まっていた。

 

「はい。助けて貰った恩を返せぬようではゲルドの女の名折れでございます。危険の1つや2つ、どうということはありません!」

 

 アニタの覚悟をファイは厳かに受け取った。

 

「イエスレディ。あなたの覚悟に敬意と感謝を」

 

 ファイに頷きを返して、何をすればいいのか目で尋ねるアニタにファイは応えた。

 

「ではアニタ様、ゴロン族をご存知ですか」

 

「は、はい。先日も私の部屋の扉を直していただきましたし。でもそれとリンクさんに何の関係が……」

 

「ではアニタ様、ゴロン族の顔を思い浮かべて、その上にマスターの帽子を被せてください」

 

「え、ええ? わかりました」

 

 ファイの唐突なリクエストにアニタは肩透かしを食らった気分で頭の中にゴロン族の玉ねぎのような顔を想像すると、その上にリンクの緑の帽子を被せた。

 

「イメージしましたけど、ファイ様いったい何をなさるのですか?」

 

「……アニタ様はハンムラビ法典をご存知ですか」

 

「ええ、まあ。教養は私どもには必須ですから」

 

 ただの娼婦と高級娼婦、その違いは様々あるが、一番の差は見かけではなく中身だろう。教養のある金持ちの心を掴むには、こちらもそれ相応の教養が必要だ。そうでなくてもアニタはここの次期女主人として育てられている。彼女は教養と言われるものを一通り収めていた。

 

「目には目を、歯には歯を。古代バビロニアの王に倣い、夢には夢をぶつけるのが良いとファイは思考します」

 

 いまいち要領を得ないアニタに、ファイは足元に花のような魔法陣を展開しながら答えた。

 

「マスターはノアの能力を反射し、彼女が作った夢の中に彼女自身を引きずり込みました。しかし、それだけでは夢の支配者である夢のノアに勝つことは出来ません」

 

 魔法陣はファイを中心に展開し、アニタとリンク、ロードをも巻き込んで拡大していく。

 

「今の我々には、ノアに直接干渉出来るほどの力はありません。しかし今のアニタ様は、マスターの魂と繋がることが出来る魂の賢者です」

 

 ふわふわと浮きながら淡々と仕込みを済ませて行くファイ。

 

「マスターの記憶の中からノアにふさわしいものをリストアップし、その中からマスターの成長の糧になるものを選択しました。これらをマスターの心に浮かび易くすることで、ノアの作る悪夢をこちらで間接的にコントロールします」

 

 何がどうふさわしいのか、アニタは尋ねなかった。なぜならファイは見るからに目が座っていたからだ。

 瞳のない目でそれをされると、怒りの対象が自分ではないと分かっていても、怖くて仕方がない。

 

「アニタ様、ファイが曲をお伝えしますので、伴奏をお願いします。曲はゴロンのララバイです」

 

「わ、分かりました!」

 

 ファイがまず歌い、アニタが曲を奏でる。

 即興で奏でるその曲はゴロンのララバイ。タルミナのスノーピーク地方に住むゴロン族の子守り歌である。

 

 するとアニタの中にある情景が浮かび出した。寒く険しい雪山、強すぎる吹雪によって凍りつく住民たち。

 そこにやってきたのは緑の勇者。彼は志半ばで倒れたゴロンの英霊と共に、この地に巣食う怪物を退治し、問題を解決していった。

 異常な吹雪が治ったころ、ゴロンの英雄の弟が現れた。彼はゴロンの英雄に変身していた勇者を兄と思い込み、とある過酷なレースに出ることを勧めてくる。

 

 そこまで見た時、その記憶の中に違和感を覚えた。いるはずのない人物、フリル付きのドレスを着たノアの少女が群衆の中に紛れていたのだ。

 

『アニタ様、その少女の顔にゴロンの仮面を付けてください』

 

 近くにいるはずなのに、どこか遠くの方から聞こえてくるファイの声。

 しかしどうやってゴロンの仮面をつけるのか、アニタには分からない。すごい人だかりだし、そもそも自分が今どこにいるのかすらも……

 

『仮面を大砲で撃ち出すイメージで結構です』

 

 それなら簡単だとアニタは言われた通りにした。自慢ではないが、大砲でマトを沈めるのはアニタの得意技である。

 

 アニタがレース開始を告げる大砲で仮面を発射すると、ノアの少女の顔にゴロンの仮面が取り憑いた。彼女はびっくりしてとり外そうともがいているが、ツルツルと滑って外せないようだ。

 

 そんなことをしている間にノアの少女はあっという間にドレス姿のゴロン族になってしまった。レース開始と同時に走り出してしまい、悲鳴を上げている。

 

 

「誘導成功。お見事です、アニタ様」

 

 ファイの声でアニタは現実に引き戻された。

 

 膝に乗せたリンクに覆い被さるように寝ていたことに気づく。幼さと凛々しさが入り混じった端正な顔だった。慌てて距離を取る。

 

 急に立ち上がったので、リンクの頭がゴン、と床に落ちて音を立てた。

 

「アニタ様、マスターのことをもっと丁寧に扱うようファイは要求します」

 

「す、すみません、私ったら気が動転してしまって……あれ?」

 

 ファイの視線に慌てて弁解していたアニタは、自分の足で立っていることに気づいた。

 

 

「……え?」

 

 何故? とアニタは状況も忘れて呆然とする。

 

 この店の資金援助と引き換えに、とある大金持ちの老人に売られることになっていたアニタは、老人の強い希望で、纏足を施していた。

 

 纏足とは本来子供の頃から足を締め付けて、足を小さいままにすることで女性を歩けなくすることだ。浮気の防止に役立つという。

 

 アニタは今年で17を数え、既に手足も成長しきっていたが、外科手術と魔術による施術で無理矢理小さくした。

 

 海千山千の貿易商人に負けないために、自分で船に乗って各地で取引し、時には悪質な海賊船や魔物を大砲で沈めたりするなど、活発な女性であるアニタにとって、一人では動くことすらままならないのはとても辛かったが、資金援助の料金を10倍にすると言われては断れなかった。

 

『一度手術をすれば元には戻せない。分かってんのかい? もう二度と自分の足で立つことも歩くことも出来ないんだ。それでもやるのかい』

『やります。私一人の足腰程度でこの街と一族の命運が長引くのなら、それは必要な犠牲でしょう』

『……不甲斐ないババアを恨めよ』

『いいえ、尊敬してますわ。ババ様もお母様も』

 

 アニタは縁談を断ろうとする母やマホジャを説得し、渋る一族の呪医を口説き落として施術を受けた。毒を食わば皿までというわけだ。

 

 しかしその選択に痛みがなかったかと言えば嘘になる。

 

「嘘、どうして足が……」

 

 アニタの足は治っていた。痛み一つ、引きつり一つない。

 震える手で包帯を切ってみると、そこには傷ひとつない健康な足がある。

 

 一歩踏み出した。ここ数ヶ月枯れ木のように頼りなかった足は、昔からそうだったかのように、アニタをしっかりと支えてくれた。

 

 歩ける。

 たったそれだけのことだが、アニタにはそれが天の福音のように感じた。

 

「アニタ様がマスターから貰って飲んでいたミルクはシャトー・ロマーニといいます。あらゆる外傷や病を治癒し、体力と魔力を回復させ、更には数日間無限に等しい魔力を得ることが出来る、エリクサーにも匹敵する秘薬です」

 

「そ、そんな貴重なものだったのですか!?」

 

 足が治った喜びに無邪気に包まれていたアニタは、自分が何げなく飲んでいたものの正体を知って卒倒しそうになった。

 

「イエスレディ。かつてはとても貴重な品でした」

 

「そ、そんなものを御厚意で頂いていたなんて……! 」

 

 本物のエリクサーなど、そんな下手すると小国が買えてしまうようなものを貰ってしまったら何を返せばいいのだろうか。

 

「いけませんでしたか?」

 

「だって当家にはお支払いするものがもう何も……」

 

「ご安心下さい。それは試供品です」

 

「こ、こうなったら母様と私とマホジャを纏めて、いやいっそのことこの店と街ごとリンクさんに……え?」

 

 破れかぶれにもういっそのことこの店と街の権利をリンクに売ることすら考えていたアニタは、信じられないことを聞いて思わず固まった。

 

「それは試供品です。マスターがお世話になっていた牧場で余った牛乳を頂きました。マスターが持っていると腐らない上に品質が上がるので」

 

「…………え?」

 

「アニタ様、何か問題がありましたか。ファイにはアニタ様は心拍数が少々高い以外特に問題は見受けられませんが」

 

「ではあの、これは無料?」

 

「イエスレディ。マスターは元より、ファイも店主もお金を取ろうとは思っておりません」

 

「な、何故ですか!? エリクサーにも匹敵する回復薬なんて、市場に出せばどれほどの値がつくか」

 

 エリクサー級の秘薬など、最初こそ信用されないだろうが、効果が確かだと分かれば、我先にと世界中から客が買いに来るだろう。末代まで遊んで暮らせる額が集まるはずだ。

 

 どうにかその商売の片隅にでも身を置かせてくれないかと、アニタがつい考えてしまっていると、ファイは当たり前のことを言うように言った。

 

「マスターは商売に興味がありません。マスターは勇者ですから」

 

 空は青い、とでも言うかのように、むしろ何故アニタが動揺しているのか不思議そうに見ているファイを見て、その下で眠っているリンクを見て、ストン、とアニタは腰を下ろしてしまった。

 

 一族とかお金とか、なんだか自分がとても小さく見えてしまった。それとどっと疲れた。スケールが大きすぎるのも考えものである。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「あーいえ、何でもありません。リンクさんの件に戻りましょう」

 

 でも絶対この商売には食い込もう。心に決めたアニタである。

 

「イエスレディ。このままでも夢のノアを倒せるかもしれませんが、念には念を入れるべきです」

 

「具体的にはどうなさるおつもりですか?」

 

「……古の時代、ファイを最初に手に取ったマスターが受けた女神の試練サイレンを再現しようと思います」

 

「ファイさんを最初に手に取った、初代時の勇者様と言うことですか?」

 

「そうとも言えるでしょう。もっともあの時代にその名はまだなかったのですが」

 

「でも一度解いた試練では、リンクさんなら楽々突破してしまうのでは?」

 

「イエスレディ、ファイもそこを懸念していました。あまりに簡単に突破されてしまうとノアへの精神攻撃にもマスターの心の成長にも繋がりません」

 

「では、リンクさんやファイさんの記憶にある難しいダンジョンやモンスターを組み合わせて見てはどうでしょうか」

 

「良いアイデアです、アニタ様。早速実行しましょう」

 

 闇のノクターンを始めとするいくつもの曲を合わせた変則的な曲が奏でられ、それは夢の中で実を結び、彼らの現実となった。

 

 彼らの多大な苦労は約束されたも同然なのだが、賢者になったばかりな上に情が深くて天然なアニタと、感情というものに疎い上にファイ自身がマスターに抱いている理想がエベレスト級に高いことを理解していないファイは、リンクのためになることだからと真剣に取り組んだ。

 

 

「完了です。アニタ様」

「はい、ファイ様もお疲れ様です。」

 

 一仕事終えた顔で、汗を拭うアニタ。魔法の音楽を通して人の魂や夢を扱う繊細な作業故に多大な集中力を要したのだ。

 

「あの、途中で予定より多く曲目を増やしましたけど何だったのでしょうか」

 

 ファイの魔法陣の中にいる間、アニタとファイの心は繋がり、以心伝心も同然となる。だから途中で曲目をファイが増やしても、アニタは対応出来た。

 しかし御歳ほにゃらら歳の聖剣の精霊と今日生まれたばかりのひよっこ賢者とでは、霊格に差がありすぎる。ファイが明かさなかった情報を知ることは今のアニタには無理があった。

 

「曲の途中、マスターの心に強く語りかけてくる魂をいくつか検知しました。いずれもマスターのご友人で、賢者候補です。彼女たちはマスターとコンタクトを取りたがっていたので、彼女たちの精神も夢の中に誘導しました」

 

「え!? それって大丈夫なんですか?」

 

「マスターなら問題ありません」

 

 ファイはリンクをこれ以上ないほど敬愛しているが故に、やや過大な期待をかけていることに気づいていなかった。毎回それに応えてしまうリンクも悪いのだが。

 

「そうですね、リンクさんですもんね」

 

 リンクと数千年も一緒にいる精霊が言うならそうなのだろう。アニタは納得して、引き下がった。

 

 この瞬間、闇の神殿の中でロードを連れてサイレンしながら、賢者候補の少女たちを救出し、彼女らの願いを叶えるという、難易度インファナルのミッションが発令された。

 

 なお、ロードの妨害により、井戸の中を調べられなかったので、闇の神殿探索に必須の『まことのメガネ』は得られなかったことを追記しておく。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。