勇者様と魔王が戦った跡地、先日までは確かに自然豊かな森林だった焼け野原にテントを張ることになった。
あの戦いの後…きっと疲れたのだろう。日も暮れてしまって、勇者様がお眠りになられた。その状態で村に引き返すのは、得策ではないと判断したからだ。
直接歩いたり走ったりするのは言わずもがなだが、転移も眠っている勇者様を運ぶには少し衝撃が強すぎるのである。きっと起こしてしまうだろう。
来る前に野営に必要な道具を掻き集めておいて良かったと思う。
昼食の最中、突然姿を消した…恐らく私が目視できないほどの速度で駆け出していった勇者様をあのまま追っていかなかったことは、結果的に言えば正解であったのだ。
とても口惜しいことではあるけれど、どちらにせよ事後にしかお役に立てないのなら、このようなサポートが私のできる最大限であるのだから。
少し苦しげな寝息を漏らす勇者様の様子に意識を向けながら、今は残った二人で焚き火を囲んでいた。
「君は…聖女でいいんだよね?」
「はい。まだ未熟者ではありますが…」
「未熟ねぇ。ちなみに大聖女ってなんだか分かるかい?」
聖女は聖女だ。
活躍の差こそあれど、位地や序列があるなど聞いたことがない。しかし、魔王の言葉は妙に確信的であり、どうしても出任せであるとは思えなかった。
ただ、仮に大聖女なんてものがあったとしても、私のような人間がそれに相応しいものであるとは思えない。
「…申し訳ありません。寡聞にして存じません」
「やっぱそうだよねぇ」
私の返答に深々と頷いた彼女は、あの戦いの最後。勇者様と魔王の間に割り込むようにして転移してきた少女であった。
彼女は勇者様よりは大きく、私よりは幼い…だいたい15歳前後の子供のように見える。少なくとも外見上は。
思わずハッとするような造り物めいて美しい相貌に、燃えた炎のような真っ赤な髪の毛。血縁があるのか、それとも偶然か、勇者様に似た黄金の瞳。…そして魔王との戦いで見せた、圧倒的な剣の腕前。
私はその特徴を持った人物を知っていた。しかし、どうしても確信が持てないでいる。
「確認なんだけどさ、名前はなんて言うの?」
「モリオルといいます。…姓は、すみません。無いのです」
「姓名を失った子…最近だと珍しくもなくなったね。それとも聖女だからかな?ところで、魔王に名を知られていたみたいだけど…」
「…不思議です。あの魔王とは、一度も会った事がないのですが…」
そもそも遭遇した魔王は大体勇者様が片付けてしまった。…魔王を見逃したのは、今回が初めてのことなのだ。
「へぇ…?」
これは怪しまれている、のか…?
彼女は魔王が去ってからというもの、ずっと貼り付けたような表情を浮かべていて、どうにも考えていることがわからない。
まるで魔法使いの方々や司教様を彷彿とさせる、底の見えない様子。
何が起きても対処できるよう奇跡の発動準備をするが、魔王との戦いを見るに、私の敵う相手ではないだろう。今は勇者様も無防備だ。…それでも聖女の端くれとして、出来る事はいくつかある。
「ああっ、そんなヒリつかないでよ!私が悪いことするような人間に見えるかな?」
「いえ…」
私が身構えたのを察知したようで、彼女は戯けたように言葉を飛ばす。
確かに彼女の伝記には、悪行など一つも描かれていない。
それでも私は彼女の仇敵、あの魔王を治癒した張本人なのだ。万が一があるかもしれないと、どうしても考えてしまう。
「あはは、はぁ…警戒させちゃったみたいだね?」
「…いえ」
「言い訳じゃないんだけど、あの魔王は予言が得意だったみたいでね。世界がこうなることも、人が絶滅の危機に瀕することも分かってたみたいなんだ。だから、あいつに名前を知られていた君も、何か大きな役目がある人なのかなって気になってさ」
「どういう、ことでしょうか…?」
「あれ、もしかして知らない?あいつは“900年の終末”も、それが始まる場所も現れる魔王も、何もかも言い当ててたんだよ。そのせいで906年には世界が滅ぶ、だからそうなる前に俺が滅ぼすんだってね」
「それは…」
最初の魔王…彼の台頭は、暦でいうと894年頃から始まる。
前触れもなく現れて、三年の間に当時の人口の五割を鏖殺し、897年に初代勇者であるアウロラ様に討伐されたのだ。…しかし、世界が本格的に滅び始めたのは、その三年後。900年の最初の朝のことであった。
アウロラ様が取り戻した平和を打ち破るように、魔王の群れが現れたのだ。
残存する人類を滅ぼすに足る力を持った怪物が、実に十一体。当時のまだ魔王への対策を持たない人類へと牙を剥いたのである。
それらは最初の魔王とは異なって知性が無く、ひたすら"より人間の多い場所"へと向かい、蹂躙するだけの怪物であった。
最初に現れた魔王たちを殲滅するために、アウロラ様は五年の月日を要した。その間にも魔王は次々と現れ続け、収拾がつかないと判断されるまでに約三十数体の"新しい魔王"が観測されたのである。
結果として、世界は特別な強者が治める三つの国と、魔王に感知されないほどに寂れた農村を残して、滅ぼされる事となった。
これが900年の終末だ。
それから300年を経た今でも、未だに続いている大厄災である。
これをどうにかする手掛かりとして、現状最も有力視されている情報こそが、最初の魔王の素性であった。
終末の前触れとして現れたもの。
果たして彼は、どうして単体で現れたのだろうか。あるいは、どうして次の魔王が現れるまでに六年の猶予があったのだろうか。
どこから来て、何故人を滅ぼそうとしたのだろうか。
もしこれらが分かれば、魔王が現れる原因を潰せると考える学者も多く、彼は未だに研究の対象とされていた。…しかし、今の言葉が本当なら、話が変わってくるだろう。
最初の魔王が来たから、終末が始まったのではない。終末が始まるから、最初の魔王がやってきたのだ。
「一応あいつの言ったことは、全部教会に報告したんだけどね。これは隠されてた風情かな。聖女にすら秘匿されてるとは思わなかったよ」
「秘匿…そういうことなのでしょうか。しかし、何故?」
教会が情報を秘匿するということは、それが知られると人類にとって不利益なことが起こるということだ。しかし、今彼女から聞いた魔王の言葉は、人類の存続に関わるような問題になるとは思えない。
どうして秘匿される必要があったのだろうか?
「考え込んじゃった。…ねぇ、そのナッツ食べていいかな?美味そう」
「あっ、はい。どうぞ…」
「ん、ありがとう」
炒ったまま放置していたナッツを彼女に渡しながら思考を回す。
魔王が現れるタイミングを自ら決められた事。そして未来の知識。それらが与える影響は、そこで行き詰まっている学者様が何名か、研究の題材を鞍替えする程度ではないだろうか。いや、おそらくそういうことではないのだろう。
生きた呪詛や悪魔召喚の方法と違って、それ自体が有害な情報というわけではないのならば…
「ん、美味っ…」
魔王は、未来を知っている。その上で894年を選んで到来した。
その事実は、あくまで前提。
そこから発展した『何か』が、人類にとっての不都合に繋がるということだ。
未来を知ること自体は禁忌ではないはず。魔王のそれと比べれば精度は低いだろうが、予知の魔法や奇跡は有り触れているから。
そうすると、手法。…魔王が未来を知るために使った術が問題なのか?
……分からない。行き詰ってしまった。
これ以上思考を回しても、答えが出ることはないだろう。
解答を求めて視線を送る。
そこには黙々とナッツを味わう少女の姿があった。勇者様が好まれるからと、夜番の都度ローストしていたものだが、どうやら随分と気に入ってくれたみたいだ。
ふと私の目に気付いたようで、彼女は口内のものを飲み込んでから、一旦咳払いをし…話を再開させた。
「顔を見るに…分からなかったって感じだね?」
「もう少しだと思うのですが…」
「いや、そこらで止めておいたほうがいいよ。どうせ、分かったところで何ができるわけでもないんだからね。まぁ、君は賢いからいつかは気付いてしまうんだろうけど」
「そうでしょうか…?」
「そうそう、先生…あー、教皇様の受け売りになるんだけどね、『目覚めた後の夢なんて考えても仕方ない』んだ。悪夢から覚められる人数には限りがあるんだからね」
彼女は魔法で生成したお湯を…正確には魔法で生成した水を、焚き火で沸かしたものを啜った。
ほうと一息吐いて、こちらを見つめる。
「…ねぇ、聖女モリオル、もし君が本当に勇者を大事にするなら、あまり教会を。いや、大司教たちを頼らないほうが良いと思うよ」
「それは、どういう…?」
「あの人達は…確かに人類の味方なんだろうけど、背中を任せるには隠し事が多すぎる。信用できても信頼できない。特に勇者、純粋なあの子にとっては猛毒だろうからね」
「やはり、あなたは…」
僅かな静寂。弾ける火の粉の音がやけに煩く感じる。
彼女は…色々なことを知りすぎている。魔王のことも、教会のことも。
ずっと思考の淵で漂っていた疑問。もはやほとんど確信に近いそれを、しかし聞いてしまってもいいものかと葛藤していた。
そんな私を、じっと見つめる黄金の眼。…それは勇者様と非常に似通っていて、しかし根本的に何かが違う。彼女の、そのどこか昏い視線には、一体どのような思惑が乗っているのだろうか?
「あなたは、勇者アウロラ様…ですよね?」
問い掛けを受けて、アウロラ様は目を閉じた。
そして少しの溜めをおいて「あは」と、堪え切れなくなったような声を漏らす。
次に彼女が見せた表情は、自嘲的で…酷く卑屈な笑みだった。
「ようやく聞いてくれたね?」
勇者アウロラは、教会では教皇様の次に偉大な聖人として名を連ね、魔法協会では生きた救いの概念とも呼ばれているお方だ。
最初の魔王を含め、彼女は記録上では12体…推定では13体もの魔王を滅ぼしている。
今まで公的に討伐が確認された魔王の数は、23体だ。その内9体が勇者様の功績。つまり魔王の討伐記録は、その半分以上がアウロラ様によって作られている。
……しかし、稀代の英雄である彼女は、13体目の魔王討伐の折、忽然と姿を消した。倒した魔王の遺骸をその居城に置き去りにして、二度と姿を現さなかったのだ。
一説には相打ちになったとか、封印の魔法に掛けられたとか言われていたが、その真相は…
「まさか、このようなところに居られたとは思いもしませんでした…」
「驚いたでしょ?」
初めは300年前の英雄が生きているなどありえないと思っていたが、聖都の中央に建てられた銅像や飾られた絵画そのままの姿。…そして何より、あの魔王とのやり取りを聞いて確信してしまった。
彼女は血縁でも子孫でもない、紛れもなくアウロラ様本人であるのだと。
「伝説に謳われるような勇者は、結局のところ、こんなにも情けない逃亡者だったってことさ。そのせいで世界はめちゃくちゃだ。今の勇者もきっと苦労してるだろう」
泣くように笑うその表情は、まるで彼女自身が罪人か何かだと思っているかのような…
まさか、気付けと言わんばかりの発言を繰り返してきた理由は懺悔…私がアウロラ様を糾弾すること、それを期待しているということなのだろうか?
もしこの推測があっているなら、それは…酷く心外なことだ。
「私は、アウロラ様のしたことを否定などいたしません。むしろ、それで良かったのだと思います」
「…そうかい?」
「ええ、だって…勇者様は今日、全身を焦がされ、身体を裂かれ、首を半ばまで斬られました。先日は全身を貪り食われ、呪いに侵されていました。それでも全く泣かないのです。まだ12歳の少女が…大人ですら耐えられない苦痛の中で、微笑みすら浮かべて、私に抱きつくのです」
「…もしかして、今日みたいなことは珍しくもないっていうのかい?」
問いに頷きで返す。
アウロラ様は口元に手をやって、絶句したように嘘だろう?と呟いた。視線が寝袋の勇者様へと向かうが、今そこにいるのは泥のように眠る少女だけだ。
「だったら…!だったら尚更、逃げた私が憎いと…」
「いえ…違うのです。つまり何が言いたいかというと…魔王退治は、人の心を壊すに十分過ぎる苦行ということです。このような使命、きっと誰も背負うべきではありません」
勇者様を生贄に存続する世界が、それで救われる膨大な数の命が…それでも尊いとは、思えなくなってしまったのだ。そのような悍ましい礎の上にしか成り立たないなら、いっそのこと全て崩れてしまえとすら思う。
「私は拒まれない限り、勇者様の行くところならどこまでも付いて行く覚悟です。…しかしそれと同時に、使命など忘れ、逃げてほしいと思わずにはいられない」
私は勇者様のご意思を尊重したいと思ったのだ。
魔王討伐を手助ける理由など、もはやそれだけ。
あの方は、誰より人を尊んでいるから。そして、そうではなくなった時、私は何を捨てても…それこそ命を賭しても、勇者を辞めたあの子を守るつもりだ。
そんな私の意思表明を聞いたアウロラ様は、一瞬驚愕に目を丸めて、その後に怪訝な表情を浮かべた。
そして言葉を選ぶように少しずつ、私に問いかけてゆく。
「…君、でも…彼女がいなくなったら、人類はすぐに滅んでしまうよ?」
「そうでしょうね、でも…滅んだ方々が勇者様に何をできるというのでしょうか?」
「は…?」
彼女が言葉を失う。
どうやら次の言に迷っているらしい。しばらくそのような沈黙があって、ようやく飛び出したのは精神状態の確認であった。
「君…正気かい?」
「間違いなく」
「教会の…しかも聖女なんだろ?」
「はい」
「…本気で言ったのか?」
「神に誓って、本気です」
「…は、はははっ」
ひどく乾いた笑いがあった。そして、それは尋常でなく呆れたような巨大なため息になって、最終的にアウロラ様は項垂れてしまう。
俯いたまま何やら唸り声を漏らす様は、今までの振る舞いからは信じられないような所作であった。
「…っ?アウロラ様、もしかして気分を害されましたか…?」
「んや、違うよ…」
焦って声をかけると、彼女は反応して顔を上げた。そしてこちらと視線を合わせるなり「なんなんだよ、その表情は…」と呟く。
次に出たのは二度目、深く呆れたような溜息だった。
「君のようなことを言う人間が、私の仲間にもいたよ。あいつは強いだけの怠けたおっさんだったけど…君は聖女なのに、とんだ破戒者じゃないか」
「それは…確かにそう、かもしれませんね…」
「かもしれないじゃないんだよ??」
そんな遣り取りを経た後のアウロラ様は、まるで面白いものを見たような、そしてそれ以上に過去を懐かしむような吹っ切れた表情をしていた。
「私が敬虔な信徒じゃなくて助かったね、そうでなければ何をされてもおかしくないところだ」
「あはは…それは困りますね」
「笑い事じゃないんだけどね…?」
仕方なさそうな声調は、これまでの少し芝居がかった言葉遣いや、許しを乞うような卑屈な声調と比べると、まるで晴れやかにすら思える。
それにしても…破戒者とは。こう面と向かって言われてみると、思ったより恥ずかしいものだ。
それまでの13年で培ったものが、たった4年の旅で消え失せてしまったのだ。誰より勤勉に、誰より敬虔にと努めてきたはずなのに、価値観は意外なほどに早く変わってしまうものらしい。
「まぁ、でも勇者に一番必要なのは、君のような倫理観の壊れた子なのかもしれないね」
「こっ、壊れ…?」
「そう、壊れた子。まぁ面白いことを聞いたし…ついでに私も口を滑らせてしまおうかな」
何か重大な秘密を話そうとしているのだろう。
アウロラ様はお湯で口を潤わせ、一度深く呼吸を挟んだ後に続けた。
「あっ、そうだ。君さ、ちょっとお湯を口に含んでもらえるかい?」
「…?分かりました」
「飲み込まないでね」
本題に入るかと思いきや、まだ何かあるらしい。
アウロラ様に促されるまま、ほとんど減っていないカップのお湯を口に含む。…いったいどういう意図があるのか分からないが、あえて拒むほどの理由もなかった。
十分量の湯を入れたら「ん」と、準備ができたことを伝える。
「素直で可愛いね?…それじゃあ話すよ」
「んぃ」
「…おもしろすぎるでしょ」
「……??」
「あぁ、いやなんでもないよ。多分ね、今代の勇者。あの子は、私と血が繋がっているんだ」
その計り知れない強さと、特徴的な金色の瞳。もしかしたらそうではないかとは思っていたけれど、本当にそうだったのか。
……ということは、つまり勇者様はアウロラ様の子孫だったということだろうか?
彼女に子供がいるなんて話は聞いたことがないけれど、お隠れになられてから300年程もあったのだ。きっと、そういうこともあるのだろう。
そうすると私が知る勇者様のご両親は、義父母だったということになるのだろうか。彼らは普通の農民だったはずだが、どのような事情があって勇者様を引き取ることになったのだろう。
紙面上でしか知らない方々に、思いを馳せる。
「あは、分かるよ。君は彼女が私の子孫にあたると考えたはずだ。例えば遠い子孫とか…あるいは、私は身体が若いからね。最近こしらえた隠し子ってこともあるかも?…でも、違う」
「…?」
勇者様との血縁があって、それでいて子孫にも当たらないとすると、考えられるのは傍系…?
つまりアウロラ様にはご兄弟が居られた。その子孫にあたるのが、勇者様ということか。
もしこれが本当ならば、相当な秘密であろう。今まで存在が語られなかった理由が分からないが、いずれにせよそれは重大な……
「正直目覚めることはありえないと思ってたけど…」
―――私はあの子の、妹なんだ。
・素直で清楚な面してとんでもないことを言う子
・倫理感はヤバいけど全力で世界を守ってる大組織
こういうの大好き。